一
それから市蔵と千代子との間がどうなったか僕は知らない。別にどうもならないんだろう。少なくとも傍で見ていると、二人の関係は昔から今日に至るまで全く変らないようだ。二人に聞けばいろいろな事を云うだろうが、それはその時限りの気分に制せられて、まことしやかに前後に通じない嘘を、永久の価値あるごとく話すのだと思えば間違ない。僕はそう信じている。
あの事件ならその当時僕も聞かされた。しかも両方から聞かされた。あれは誤解でも何でもない。両方でそう信じているので、そうしてその信じ方に両方とも無理がないのだから、極めてもっともな衝突と云わなければならない。したがって夫婦になろうが、友達として暮らそうが、あの衝突だけはとうてい免かれる事のできない、まあ二人の持って生れた、因果と見るよりほかに仕方がなかろう。ところが不幸にも二人はある意味で密接に引きつけられている。しかもその引きつけられ方がまた傍のものにどうする権威もない宿命の力で支配されているんだから恐ろしい。取り澄ました警句を用いると、彼らは離れるために合い、合うために離れると云った風の気の毒な一対を形づくっている。こう云って君に解るかどうか知らないが、彼らが夫婦になると、不幸を醸す目的で夫婦になったと同様の結果に陥いるし、また夫婦にならないと不幸を続ける精神で夫婦にならないのと択ぶところのない不満足を感ずるのである。だから二人の運命はただ成行に任せて、自然の手で直接に発展させて貰うのが一番上策だと思う。君だの僕だのが何のかのと要らぬ世話を焼くのはかえって当人達のために好くあるまい。僕は知っての通り、市蔵から見ても千代子から見ても他人ではない。ことに須永の姉からは、二人の身分について今まで頼まれたり相談を受けたりした例は何度もある。けれども天の手際で旨く行かないものを、どうして僕の力で纏める事ができよう。つまり姉は無理な夢を自分一人で見ているのである。
須永の姉も田口の姉も、僕と市蔵の性質が余りよく似ているので驚ろいている。僕自身もどうしてこんな変り者が親類に二人揃ってできたのだろうかと考えては不思議に思う。須永の姉の料簡では、市蔵の今日は全く僕の感化を受けた結果に過ぎないと見ているらしい。僕が姉の気に入らない点をいくらでも有っている内で、最も彼女を不愉快にするものは、不明なる僕のわが甥に及ぼしたと認められているこの悪い影響である。僕は僕の市蔵に対する今日までの態度に顧みて、この非難をもっともだと肯ずる。それがために市蔵を田口家から疎隔したという不服もついでに承認して差支ない。ただ彼ら姉二人が僕と市蔵とを、同じ型からでき上った偏窟人のように見傚して、同じ眉を僕らの上に等しく顰めるのは疑もなく誤っている。
市蔵という男は世の中と接触するたびに内へとぐろを捲き込む性質である。だから一つ刺戟を受けると、その刺戟がそれからそれへと廻転して、だんだん深く細かく心の奥に喰い込んで行く。そうしてどこまで喰い込んで行っても際限を知らない同じ作用が連続して、彼を苦しめる。しまいにはどうかしてこの内面の活動から逃れたいと祈るくらいに気を悩ますのだけれども、自分の力ではいかんともすべからざる呪いのごとくに引っ張られて行く。そうしていつかこの努力のために斃れなければならない、たった一人で斃れなければならないという怖れを抱くようになる。そうして気狂のように疲れる。これが市蔵の命根に横わる一大不幸である。この不幸を転じて幸とするには、内へ内へと向く彼の命の方向を逆にして、外へとぐろを捲き出させるよりほかに仕方がない。外にある物を頭へ運び込むために眼を使う代りに、頭で外にある物を眺める心持で眼を使うようにしなければならない。天下にたった一つで好いから、自分の心を奪い取るような偉いものか、美くしいものか、優しいものか、を見出さなければならない。一口に云えば、もっと浮気にならなければならない。市蔵は始め浮気を軽蔑してかかった。今はその浮気を渇望している。彼は自己の幸福のために、どうかして翩々たる軽薄才子になりたいと心から神に念じているのである。軽薄に浮かれ得るよりほかに彼を救う途は天下に一つもない事を、彼は、僕が彼に忠告する前に、すでに承知していた。けれども実行はいまだにできないでもがいている。
二
僕はこういう市蔵を仕立て上げた責任者として親類のものから暗に恨まれているが、僕自身もその点については疚ましいところが大いにあるのだから仕方がない。僕はつまり性格に応じて人を導く術を心得なかったのである。ただ自分の好尚を移せるだけ市蔵の上に移せばそれで充分だという無分別から、勝手しだいに若いものの柔らかい精神を動かして来たのが、すべての禍の本になったらしい。僕がこの過失に気がついたのは今から二三年前である。しかし気がついた時はもう遅かった。僕はただなす能力のない手を拱ぬいて、心の中で嘆息しただけであった。
事実を一言でいうと、僕の今やっているような生活は、僕に最も適当なので、市蔵にはけっして向かないのである。僕は本来から気の移りやすくでき上った、極めて安価な批評をすれば、生れついての浮気ものに過ぎない。僕の心は絶えず外に向って流れている。だから外部の刺戟しだいでどうにでもなる。と云っただけではよく腑に落ちないかも知れないが、市蔵は在来の社会を教育するために生れた男で、僕は通俗な世間から教育されに出た人間なのである。僕がこのくらい好い年をしながら、まだ大変若いところがあるのに引き更えて、市蔵は高等学校時代からすでに老成していた。彼は社会を考える種に使うけれども、僕は社会の考えにこっちから乗り移って行くだけである。そこに彼の長所があり、かねて彼の不幸が潜んでいる。そこに僕の短所があり、また僕の幸福が宿っている。僕は茶の湯をやれば静かな心持になり、骨董を捻くれば寂びた心持になる。そのほか寄席、芝居、相撲、すべてその時々の心持になれる。その結果あまり眼前の事物に心を奪われ過ぎるので、自然に己なき空疎な感に打たれざるを得ない。だからこんな超然生活を営んで強いて自我を押し立てようとするのである。ところが市蔵は自我よりほかに当初から何物を有っていない男である。彼の欠点を補なう――というより、彼の不幸を切りつめる生活の径路は、ただ内に潜り込まないで外に応ずるよりほかに仕方がないのである。しかるに彼を幸福にし得るその唯一の策を、僕は間接に彼から奪ってしまった。親類が恨むのはもっともである。僕は本人から恨まれないのをまだしもの仕合せと思っているくらいである。
今からたしか一年ぐらい前の話だと思う。何しろ市蔵がまだ学校を出ない時の話だが、ある日偶然やって来て、ちょっと挨拶をしたぎりすぐどこかへ見えなくなった事がある。その時僕はある人に頼まれて、書斎で日本の活花の歴史を調べていた。僕は調べものの方に気を取られて、彼の顔を出した時、やあとただふり返っただけであったが、それでも彼の血色がはなはだ勝れないのを苦にして、仕事の区切がつくや否や彼を探しに書斎を出た。彼は妻とも仲が善かったので、あるいは茶の間で話でもしている事かと思ったら、そこにも姿は見えなかった。妻に聞くと子供の部屋だろうというので、縁伝いに戸を開けると、彼は咲子の机の前に坐って、女の雑誌の口絵に出ている、ある美人の写真を眺めていた。その時彼は僕を顧みて、今こういう美人を発見して、先刻から十分ばかり相対しているところだと告げた。彼はその顔が眼の前にある間、頭の中の苦痛を忘れて自から愉快になるのだそうである。僕はさっそくどこの何者の令嬢かと尋ねた。すると不思議にも彼は写真の下に書いてある女の名前をまだ読まずにいた。僕は彼を迂闊だと云った。それほど気に入った顔ならなぜ名前から先に頭に入れないかと尋ねた。時と場合によれば、細君として申し受ける事も不可能でないと僕は思ったからである。しかるに彼はまた何の必要があって姓名や住所を記憶するかと云った風の眼使をして僕の注意を怪しんだ。
つまり僕は飽くまでも写真を実物の代表として眺め、彼は写真をただの写真として眺めていたのである。もし写真の背後に、本当の位置や身分や教育や性情がつけ加わって、紙の上の肖像を活かしにかかったなら、彼はかえって気に入ったその顔まで併せて打ち棄ててしまったかも知れない。これが市蔵の僕と根本的に違うところである。
三
市蔵の卒業する二三カ月前、たしか去年の四月頃だったろうと思う。僕は彼の母から彼の結婚に関して、今までにない長時間の相談を受けた。姉の意思は固より田口の姉娘を彼の嫁として迎えたいという単純にしてかつ頑固なものであった。僕は女に理窟を聞かせるのを、男の恥のように思う癖があるので、むずかしい事はなるべく控えたが、何しろこういう問題について、できるだけ本人の自由を許さないのは親の義務に背くのも同然だという意味を、昔風の彼女の腑に落ちるように砕いて説明した。姉は御承知の通り極めて穏やかな女ではあるが、いざとなると同じ意見を何度でもくり返して憚からない婦人に共通な特性を一人前以上に具えていた。僕は彼女の執拗を悪むよりは、その根気の好過ぎるところにかえって妙な憐れみを催した。それで、今親類中に、市蔵の尊敬しているものは僕よりほかにないのだから、ともかくも一遍呼び寄せてとくと話して見てくれぬかという彼女の請を快よく引受けた。
僕がこの目的を果すために市蔵とこの座敷で会見を遂げたのは、それから四日目の日曜の朝だと記憶する。彼は卒業試験間近の多忙を目の前に控えながら座に着いて、何試験なんかどうなったって構やしませんがと苦笑した。彼の説明によると、かねてその話は彼の母から何度も聞かされて、何度も決答をくり延ばした陳腐なものであった。もっとも彼のそれに対する態度は、問題の陳腐と反比例にすこぶる切なさそうに見えた。彼は最後に母から口説かれた時、卒業の上、どうとも解決するから、それまで待って呉れろと母に頼んでおいたのだそうである。それをまだ試験も済まない先から僕に呼びつけられたので、多少迷惑らしく見えたばかりか、年寄は気が短かくって困ると言葉に出してまで訴えた。僕ももっともだと思った。
僕の推測では、彼が学校を出るまでとかくの決答を延ばしたのは、そのうちに千代子の縁談が、自分よりは適当な候補者の上に纏いつくに違ないと勘定して、直接に母を失望させる代りに、周囲の事情が母の意思を翻えさせるため自然と彼女に圧迫を加えて来るのを待つ一種の逃避手段に過ぎないと思われた。僕は市蔵にそうじゃ無いかと聞いた。市蔵はそうだと答えた。僕は彼にどうしても母を満足させる気はないかと尋ねた。彼は何事によらず母を満足させたいのは山々であると答えた。けれども千代子を貰おうとはけっして云わなかった。意地ずくで貰わないのかと聞いたら、あるいはそうかも知れないと云い切った。もし田口がやっても好いと云い、千代子が来ても好いと云ったらどうだと念を押したら、市蔵は返事をしずに黙って僕の顔を眺めていた。僕は彼のこの顔を見ると、けっして話を先へ進める気になれないのである。畏怖というと仰山すぎるし、同情というとまるで憐れっぽく聞こえるし、この顔から受ける僕の心持は、何と云っていいかほとんど分らないが、永久に相手を諦らめてしまわなければならない絶望に、ある凄味と優し味をつけ加えた特殊の表情であった。
市蔵はしばらくして自分はなぜこう人に嫌われるんだろうと突然意外な述懐をした。僕はその時ならないのと平生の市蔵に似合しからないのとで驚ろかされた。なぜそんな愚痴を零すのかと窘なめるような調子で反問を加えた。
「愚痴じゃありません。事実だから云うのです」
「じゃ誰が御前を嫌っているかい」
「現にそういう叔父さんからして僕を嫌っているじゃありませんか」
僕は再び驚ろかされた。あまり不思議だから二三度押問答の末推測して見ると、僕が彼に特有な一種の表情に支配されて話の進行を停止した時の態度を、全然彼に対する嫌悪の念から出たと受けているらしかった。僕は極力彼の誤解を打破しに掛った。
「おれが何で御前を悪む必要があるかね。子供の時からの関係でも知れているじゃないか。馬鹿を云いなさんな」
市蔵は叱られて激した様子もなくますます蒼い顔をして僕を見つめた。僕は燐火の前に坐っているような心持がした。
四
「おれは御前の叔父だよ。どこの国に甥を憎む叔父があるかい」
市蔵はこの言葉を聞くや否やたちまち薄い唇を反らして淋しく笑った。僕はその淋しみの裏に、奥深い軽侮の色を透し見た。自白するが、彼は理解の上において僕よりも優れた頭の所有者である。僕は百もそれを承知でいた。だから彼と接触するときには、彼から馬鹿にされるような愚をなるべく慎んで外に出さない用心を怠らなかった。けれども時々は、つい年長者の傲る心から、親しみの強い彼を眼下に見下して、浅薄と心付ながら、その場限りの無意味にもったいをつけた訓戒などを与える折も無いではなかった。賢こい彼は僕に恥を掻かせるために、自分の優越を利用するほど、品位を欠いた所作をあえてし得ないのではあるが、僕の方ではその都度彼に対するこっちの相場が下落して行くような屈辱を感ずるのが例であった。僕はすぐ自分の言葉を訂正しにかかった。
「そりゃ広い世の中だから、敵同志の親子もあるだろうし、命を危め合う夫婦もいないとは限らないさ。しかしまあ一般に云えば、兄弟とか叔父甥とかの名で繋がっている以上は、繋がっているだけの親しみはどこかにあろうじゃないか。御前は相応の教育もあり、相応の頭もある癖に、何だか妙に一種の僻みがあるよ。それが御前の弱点だ。是非直さなくっちゃいけない。傍から見ていても不愉快だ」
「だから叔父さんまで嫌っていると云うのです」
僕は返事に窮した。自分で気のつかない自分の矛盾を今市蔵から指摘されたような心持もした。
「僻みさえさらりと棄ててしまえば何でもないじゃないか」と僕はさも事もなげに云って退けた。
「僕に僻があるでしょうか」と市蔵は落ちついて聞いた。
「あるよ」と僕は考えずに答えた。
「どういうところが僻んでいるでしょう。判然聞かして下さい」
「どういうところがって、――あるよ。あるからあると云うんだよ」
「じゃそういう弱点があるとして、その弱点はどこから出たんでしょう」
「そりゃ自分の事だから、少し自分で考えて見たらよかろう」
「あなたは不親切だ」と市蔵が思い切った沈痛な調子で云った。僕はまずその調子に度を失った。次に彼の眼の色を見て萎縮した。その眼はいかにも恨めしそうに僕の顔を見つめていた。僕は彼の前に一言の挨拶さえする勇気を振い起し得なかった。
「僕はあなたに云われない先から考えていたのです。おっしゃるまでもなく自分の事だから考えていたのです。誰も教えてくれ手がないから独りで考えていたのです。僕は毎日毎夜考えました。余り考え過ぎて頭も身体も続かなくなるまで考えたのです。それでも分らないからあなたに聞いたのです。あなたは自分から僕の叔父だと明言していらっしゃる。それで叔父だから他人より親切だと云われる。しかし今の御言葉はあなたの口から出たにもかかわらず、他人より冷刻なものとしか僕には聞こえませんでした」
僕は頬を伝わって流れる彼の涙を見た。幼少の時から馴染んで今日に及んだ彼と僕との間に、こんな光景はいまだかつて一回も起らなかった事を僕は君に明言しておきたい。したがってこの昂奮した青年をどう取り扱っていいかの心得が、僕にまるで無かった事もついでに断っておきたい。僕はただ茫然として手を拱ぬいていた。市蔵はまた僕の態度などを眼中において、自分の言葉を調節する余裕を有たなかった。
「僕は僻んでいるでしょうか。たしかに僻んでいるでしょう。あなたがおっしゃらないでも、よく知っているつもりです。僕は僻んでいます。僕はあなたからそんな注意を受けないでも、よく知っています。僕はただどうしてこうなったかその訳が知りたいのです。いいえ母でも、田口の叔母でも、あなたでも、みんなよくその訳を知っているのです。ただ僕だけが知らないのです。ただ僕だけに知らせないのです。僕は世の中の人間の中であなたを一番信用しているから聞いたのです。あなたはそれを残酷に拒絶した。僕はこれから生涯の敵としてあなたを呪います」
市蔵は立ち上った。僕はそのとっさの際に決心をした。そうして彼を呼びとめた。
五
僕はかつてある学者の講演を聞いた事がある。その学者は現代の日本の開化を解剖して、かかる開化の影響を受けるわれらは、上滑りにならなければ必ず神経衰弱に陥いるにきまっているという理由を、臆面なく聴衆の前に曝露した。そうして物の真相は知らぬ内こそ知りたいものだが、いざ知ったとなると、かえって知らぬが仏ですましていた昔が羨ましくって、今の自分を後悔する場合も少なくはない、私の結論などもあるいはそれに似たものかも知れませんと苦笑して壇を退ぞいた。僕はその時市蔵の事を思い出して、こういう苦い真理を承わらなければならない我々日本人も随分気の毒なものだが、彼のようにたった一人の秘密を、攫もうとしては恐れ、恐れてはまた攫もうとする青年は一層見惨に違あるまいと考えながら、腹の中で暗に同情の涙を彼のために濺いだ。
これは単に僕の一族内の事で、君とは全く利害の交渉を有たない話だから、君が市蔵のためにせっかく心配してくれた親切に対する前からの行がかりさえなければ、打ち明けないはずだったが、実を云うと、市蔵の太陽は彼の生れた日からすでに曇っているのである。
僕は誰にでも明言して憚からない通り、いっさいの秘密はそれを開放した時始めて自然に復る落着を見る事ができるという主義を抱いているので、穏便とか現状維持とかいう言葉には一般の人ほど重きを置いていない。したがって今日までに自分から進んで、市蔵の運命を生れた当時に溯って、逆に照らしてやらなかったのは僕としてはむしろ不思議な手落と云ってもいいくらいである。今考えて見ると、僕が市蔵に呪われる間際まで、なぜこの事件を秘密にしていたものか、その意味がほとんど分らない。僕はこの秘密に風を入れたところで、彼ら母子の間柄が悪くなろうとは夢にも想像し得なかったからである。
市蔵の太陽は彼の生れた日からすでに曇っていたという僕の言葉の裏に、どんな事実が含まれているかは、彼と交りの深い君の耳で聞いたら、すでに具体的な響となって解っているかも知れない。一口でいうと、彼らは本当の母子ではないのである。なお誤解のないように一言つけ加えると、本当の母子よりも遥かに仲の好い継母と継子なのである。彼らは血を分けて始めて成立する通俗な親子関係を軽蔑しても差支ないくらい、情愛の糸で離れられないように、自然からしっかり括りつけられている。どんな魔の振る斧の刃でもこの糸を絶ち切る訳に行かないのだから、どんな秘密を打ち明けても怖がる必要はさらにないのである。それだのに姉は非常に恐れていた。市蔵も非常に恐れていた。姉は秘密を手に握ったまま、市蔵は秘密を手に握らせられるだろうと待ち受けたまま、二人して非常に恐れていた。僕はとうとう彼の恐れるものの正体を取り出して、彼の前に他意なく並べてやったのである。
僕はその時の問答を一々くり返して今君に告げる勇気に乏しい。僕には固よりそれほどの大事件とも始から見えず、またなるべく平気を装う必要から、つまり何でもない事のように話したのだが、市蔵はそれを命がけの報知として、必死の緊張の下に受けたからである。ただ前の続きとして、事実だけを一口に約めて云うと、彼は姉の子でなくって、小間使の腹から生れたのである。僕自身の家に起った事でない上に、二十五年以上も経った昔の話だから、僕も詳しい顛末は知ろうはずがないが、何しろその小間使が須永の種を宿した時、姉は相当の金をやって彼女に暇を取らしたのだそうである。それから宿へ下った妊婦が男の子を生んだという報知を待って、また子供だけ引き取って表向自分の子として養育したのだそうである。これは姉が須永に対する義理からでもあろうが、一つは自分に子のできないのを苦にしていた矢先だから、本気に吾子として愛しむ考も無論手伝ったに違ない。実際彼らは君の見るごとく、また吾々の見るごとく、最も親しい親子として今日まで発展して来たのだから、御互に事情を明し合ったところで毫も差支の起る訳がない。僕に云わせると、世間にありがちな反の合ない本当の親子よりもどのくらい肩身が広いか分りゃしない。二人だって、そうと知った上で、今までの睦まじさを回顧した時の方が、どんなに愉快が多いだろう。少なくとも僕ならそうだ。それで僕は市蔵のために特にこの美くしい点を力のあらん限り彩る事を怠らなかった。
六
「おれはそう思うんだ。だから少しも隠す必要を認めていない。御前だって健全な精神を持っているなら、おれと同じように思うべきはずじゃないか。もしそう思う事ができないというなら、それがすなわち御前の僻みだ。解ったかな」
「解りました。善く解りました」と市蔵が答えた。僕は「解ったらそれで好い、もうその問題についてかれこれというのは止しにしようよ」と云った。
「もう止します。もうけっしてこの事について、あなたを煩らわす日は来ないでしょう。なるほどあなたのおっしゃる通り僕は僻んだ解釈ばかりしていたのです。僕はあなたの御話を聞くまでは非常に怖かったです。胸の肉が縮まるほど怖かったです。けれども御話を聞いてすべてが明白になったら、かえって安心して気が楽になりました。もう怖い事も不安な事もありません。その代り何だか急に心細くなりました。淋しいです。世の中にたった一人立っているような気がします」
「だって御母さんは元の通りの御母さんなんだよ。おれだって今までのおれだよ。誰も御前に対して変るものはありゃしないんだよ。神経を起しちゃいけない」
「神経は起さなくっても淋しいんだから仕方がありません。僕はこれから宅へ帰って母の顔を見るときっと泣くにきまっています。今からその時の涙を予想しても淋しくってたまりません」
「御母さんには黙っている方がよかろう」
「無論話しゃしません。話したら母がどんな苦しい顔をするか分りません」
二人は黙然として相対した。僕は手持無沙汰に煙草盆の灰吹を叩いた。市蔵はうつむいて袴の膝を見つめていた。やがて彼は淋しい顔を上げた。
「もう一つ伺っておきたい事がありますが、聞いて下さいますか」
「おれの知っている事なら何でも話して上げる」
「僕を生んだ母は今どこにいるんです」
彼の実の母は、彼を生むと間もなく死んでしまったのである。それは産後の肥立が悪かったせいだとも云い、または別の病だとも聞いているが、これも詳しい話をしてやるほどの材料に欠乏した僕の記憶では、とうてい餓えた彼の眼を静めるに足りなかった。彼の生母の最後の運命に関する僕の話は、わずか二三分で尽きてしまった。彼は遺憾な顔をして彼女の名前を聞いた。幸にして僕は御弓という古風な名を忘れずにいた。彼は次に死んだ時の彼女の年齢を問うた。僕はその点に関して、何という確とした知識を有っていなかった。彼は最後に、彼の宅に奉公していた時分の彼女に会った事があるかと尋ねた。僕はあると答えた。彼はどんな女だと聞き返した。気の毒にも僕の記憶はすこぶる朦朧としていた。事実僕はその当時十五六の少年に過ぎなかったのである。
「何でも島田に結ってた事がある」
このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と云った。けれども御弓の菩提所を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已を得なければ姉に聞くよりほかに仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」
「じゃ分らないでもよござんす」
僕は市蔵に対して気の毒なようなまたすまないような心持がした。彼はしばらく庭の方を向いて、麗かな日脚の中に咲く大きな椿を眺めていたが、やがて視線をもとに戻した。
「御母さんが是非千代ちゃんを貰えというのも、やっぱり血統上の考えから、身縁のものを僕の嫁にしたいという意味なんでしょうね」
「全くそこだ。ほかに何にもないんだ」
市蔵はそれでは貰おうとも云わなかった。僕もそれなら貰うかとも聞かなかった。
七
この会見は僕にとって美くしい経験の一つであった。双方で腹蔵なくすべてを打ち明け合う事ができたという点において、いまだに僕の貧しい過去を飾っている。相手の市蔵から見ても、あるいは生れて始めての慰藉ではなかったかと思う。とにかく彼が帰ったあとの僕の頭には、善い功徳を施こしたという愉快な感じが残ったのである。
「万事おれが引き受けてやるから心配しないがいい」
僕は彼を玄関に送り出しながら、最後にこういう言葉を彼の背に暖かくかけてやった。その代り姉に会見の結果を報告する時ははなはだまずかった。已を得ないから、卒業して頭に暇さえできれば、はっきりどうにか片をつけると云っているから、それまで待つが好かろう、今かれこれ突っつくのは試験の邪魔になるだけだからと、姉が聞いても無理のないところで、ひとまず宥めておいた。
僕は同時に事情を田口に話して、なるべく市蔵の卒業前に千代子の縁談が運ぶように工夫した。委細を聞いた田口の口振は平生の通り如才なくかつ無雑作であった。彼は僕の注意がなくっても、その辺は心得ているつもりだと答えた。
「けれども必竟は本人のために嫁入けるんで、(そう申しちゃ角が立つが、)姉さんや市蔵の便宜のために、千代子の結婚を無理にくり上げたり、くり延べたりする訳にも行かないものだから」
「ごもっともだ」と僕は承認せざるを得なかった。僕は元来田口家と親類並の交際をしているにはいるが、その実彼らの娘の縁談に、進んで口を出したこともなければ、また向うから相談を受けた例も有たないのである。それで今日まで千代子にどんな候補者があったのか、間接にさえほとんどその噂を耳にしなかった。ただ前の年鎌倉の避暑地とかで市蔵が会って、気を悪くしたという高木だけは、市蔵からも千代子からも名前を教えられて覚えていた。僕は突然ながら田口にその男はどうなったかと尋ねた。田口は愛嬌らしく笑って、高木は始めから候補者として打って出たのではないと告げた。けれども相当の身分と教育があって独身の男なら、誰でも候補者になり得る権利は有っているのだから、候補者でないとはけっして断言できないとも告げた。この曖昧な男の事を僕はなお委しく聞いて見て、彼が今上海にいる事を確かめた。上海にいるけれどもいつ帰るか分らないという事も確かめた。彼と千代子との間柄はその後何らの発展も見ないが、信書の往復はいまだに絶えない、そうしてその信書はきっと父母が眼を通した上で本人の手に落つるという条件つきの往復であるという事まで確めた。僕は一も二もなく、千代子には其男が好いじゃないかと云った。田口はまだどこかに慾があるのか、または別に考を有っているのか、そうするつもりだとは明言しなかった。高木のいかなる人物かをまるで解しない僕が、それ以上勧める権利もないから、僕はついそのままにして引き取った。
僕と市蔵はその後久しく会わなかった。久しくと云ったところでわずか一カ月半ばかりの時日に過ぎないのだが、僕には卒業試験を眼の前に控えながら、家庭問題に屈托しなければならない彼の事が非常に気にかかった。僕はそっと姉を訪ねてそれとなく彼の近況を探って見た。姉は平気で、何でもだいぶ忙がしそうだよ、卒業するんだからそのはずさねと云って澄ましていた。僕はそれでも不安心だったから、ある日一時間の夕を僕と会食するために割かせて、彼の家の近所の洋食店で共に晩餐を食いながら、ひそかに彼の様子を窺った。彼は平生の通り落ちついていた。なに試験なんかどうにかこうにかやっつけまさあと受合ったところに、満更の虚勢も見えなかった。大丈夫かいと念を押した時、彼は急に情なそうな顔をして、人間の頭は思ったより堅固にできているもんですね、実は僕自身も怖くってたまらないんですが、不思議にまだ壊れません、この様子ならまだ当分は使えるでしょうと云った。冗談らしくもあり、また真面目らしくもあるこの言葉が、妙に憐れ深い感じを僕に与えた。
八
若葉の時節が過ぎて、湯上りの単衣の胸に、団扇の風を入れたく思うある日、市蔵がまたふらりとやって来た。彼の顔を見るや否や僕が第一にかけた言葉は、試験はどうだったいという一語であった。彼は昨日ようやくすんだと答えた。そうして明日からちょっと旅行して来るつもりだから暇乞に来たと告げた。僕は成績もまだ分らないのに、遠く走る彼の心理状態を疑ってまた多少の不安を感じた。彼は京都附近から須磨明石を経て、ことに因ると、広島辺まで行きたいという希望を述べた。僕はその旅行の比較的大袈裟なのに驚ろいた。及第とさえきまっていればそれでも好かろうがと間接に不賛成の意を仄めかして見ると、彼は試験の結果などには存外冷淡な挨拶をした。そんな事に気を遣う叔父さんこそ平生にも似合わしからんじゃありませんかと云って、ほとんど相手にならなかった。話しているうちに、僕は彼の思い立が及落の成績に関係のない別方面の動機から萌しているという事を発見した。
「実はあの事件以来妙に頭を使うので、近頃では落ちついて書斎に坐っている事が困難になりましてね。どうしても旅行が必要なんですから、まあ試験を中途で已めなかったのが感心だぐらいに賞めて許して下さい」
「そりゃ御前の金で御前の行きたい所へ行くのだから少しも差支はないさ。考えて見れば少しは飛び歩いて気を換えるのも好かろう。行って来るがいい」
「ええ」と云って市蔵はやや満足らしい顔をしたが、「実は大きな声で話すのも気の毒でもったいないんですが、叔父さんにあの話を聞いてから以後は、母の顔を見るたんびに、変な心持になってたまらないんです」とつけ足した。
「不愉快になるのか」と僕はむしろ厳かに聞いた。
「いいえ、ただ気の毒なんです。始めは淋しくって仕方がなかったのが、だんだんだんだん気の毒に変化して来たのです。実はここだけの話ですけれども、近頃では母の顔を朝夕見るのが苦痛なんです。今度の旅行だって、かねてから卒業したら母に京大阪と宮島を見物させてやりたいと思っていたのだから、昔の僕なら供をする気で留守を叔父さんにでも頼みに出かけて来るところなんですが、今云ったような訳で、関係がまるで逆になったもんだから、少しでも母の傍を離れたらという気ばかりして」
「困るね、そう変になっちゃあ」
「僕は離れたらまたきっと母が恋しくなるだろうと思うんですが、どうでしょう。そう旨くはいかないもんでしょうか」
市蔵はさも懸念らしくこういう問をかけた。彼より経験に富んだ年長者をもって自任する僕にも、この点に関する彼の未来はほとんど想像できなかった。僕はただ自分に信念がなくって、わが心の事を他に尋ねて安心したいと願う彼の胸の裏を憐れに思った。上部はいかにも優しそうに見えて、実際は極めて意地の強くでき上った彼が、こんな弱い音を出すのは、ほとんど例のない事だったからである。僕は僕の力の及ぶ限り彼の心に保証を与えた。
「そんな心配はするだけ損だよ。おれが受合ってやる。大丈夫だから遊んで来るが好い。御前の御母さんはおれの姉だ。しかもおれよりも学問をしないだけに、よほど純良にできている、誰からも敬愛されべき婦人だ。あの姉と君のような情愛のある子がどうして離れっ切りに離れられるものか。大丈夫だから安心するが好い」
市蔵は僕の言葉を聞いて実際安心したらしく見えた。僕もやや安心した。けれども一方では、このくらい根のない慰藉の言葉が、明晰な頭脳を有った市蔵に、これほどの影響を与えたとすれば、それは彼の神経がどこか調子を失なっているためではなかろうかという疑も起った。僕は突然極端の出来事を予想して、一人身の旅行を危ぶみ始めた。
「おれもいっしょに行こうか」
「叔父さんといっしょじゃ」と市蔵が苦笑した。
「いけないかい」
「平生ならこっちから誘っても行って貰いたいんだが、何しろいつどこへ立つんだか分らない、云わば気の向きしだい予定の狂う旅行だから御気の毒でね。それに僕の方でもあなたがいると束縛があって面白くないから……」
「じゃ止そう」と僕はすぐ申し出を撤回した。
九
市蔵が帰った後でも、しばらくは彼の事が変に気にかかった。暗い秘密を彼の頭に判で押した以上、それから出る一切の責任は、当然僕が背負って立たなければならない気がしたからである。僕は姉に会って、彼女の様子を見もし、また市蔵の近況を聞きもしたくなった。茶の間にいた妻を呼んで、相談かたがた理由を話すと、存外物に驚ろかない妻は、あなたがあんまり余計なおしゃべりをなさるからですよと云って、始めはほとんど取り合わなかったが、しまいに、なんで市さんに間違があるもんですか、市さんは年こそ若いが、あなたよりよっぽど分別のある人ですものと、独りで受合っていた。
「すると市蔵の方で、かえっておれの事を心配している訳になるんだね」
「そうですとも、誰だってあなたの懐手ばかりして、舶来のパイプを銜えているところを見れば、心配になりますわ」
そのうち子供が学校から帰って来て、家の中が急に賑やかになったので、市蔵の事はつい忘れたぎり、夕方までとうとう思い出す暇がなかった。そこへ姉が自分の方から突然尋ねて来た時は、僕も覚えず冷りとした。
姉はいつもの通り、家族の集まっている真中に坐って、無沙汰の詫やら、時候の挨拶やらを長々しく妻と交換していた。僕もそこに座を占めたまま動く機会を失った。
「市蔵が明日から旅行するって云うじゃありませんか」と僕は好い加減な時分に聞き出した。
「それについてね……」と姉はやや真面目になって僕の顔を見た。僕は姉の言葉を皆まで聞かずに、「なに行きたいなら行かしておやんなさい。試験で頭をさんざん使った後だもの。少しは楽もさせないと身体の毒になるから」とあたかも市蔵の行動を弁護するように云った。姉は固より同じ意見だと答えた。ただ彼の健康状態が旅行に堪えるかどうかを気遣うだけだと告げた。最後に僕の見るところでは大丈夫なのかと聞いた。僕は大丈夫だと答えた。妻も大丈夫だと答えた。姉は安心というよりも、むしろ物足りない顔をした。僕は姉の使う健康という言葉が、身体に関係のない精神上の意味を有っているに違ないと考えて、腹の中で一種の苦痛を感じた。姉は僕の顔つきから直覚的に影響を受けたらしい心細さを額に刻んで、「恒さん、先刻市蔵がこちらへ上った時、何か様子の変ったところでもありゃしませんでしたかい」と聞いた。
「何そんな事があるもんですか。やっぱり普通の市蔵でさあ。ねえ御仙」
「ええちっとも違っておいでじゃありません」
「わたしもそうかと思うけれども、何だかこの間から調子が変でね」
「どんななんです」
「どんなだと云われるとまた話しようもないんだが」
「全く試験のためだよ」と僕はすぐ打ち消した。
「姉さんの神経ですよ」と妻も口を出した。
僕らは夫婦して姉を慰さめた。姉はしまいにやや納得したらしい顔つきをして、みんなと夕食を共にするまで話し込んだ。帰る時には散歩がてら、子供を連れて電車まで見送ったが、それでも気がすまないので、子供を先へ返して、断わる姉の傍に席を取ったなり、とうとう彼女の家まで来た。
僕は幸い二階にいた市蔵を姉の前に呼び出した。御母さんが御前の事を大層心配してわざわざ矢来まで来たから、今おれがいろいろに云ってようやく安心させたところだと告げた。したがって旅行に出すのは、つまり僕の責任なんだから、なるべく年寄に心配をかけないように、着いたら着いた所から、立つなら立つ所から、また逗留するなら逗留する所から、必ず音信を怠たらないようにして、いつでも用ができしだいこっちから呼び返す事のできる注意をしたら好かろうと云った。市蔵はそのくらいの面倒なら僕に注意されるまでもなくすでに心得ていると答えて、彼の母の顔を見ながら微笑した。
僕はこれで幾分か姉の心を柔らげ得たものと信じて十一時頃また電車で矢来へ帰って来た。
僕を迎に玄関に出た妻は、待ちかねたように、どうでしたと尋ねた。僕はまあ安心だろうよと答えた。実際僕は安心したような心持だったのである。で、明る日は新橋へ見送りにも行かなかった。
十
約束の音信は至る所からあった。勘定すると大抵日に一本ぐらいの割になっている。その代り多くは旅先の画端書に二三行の文句を書き込んだ簡略なものに過ぎなかった。僕はその端書が着くたびに、まず安心したという顔つきをして、妻からよく笑われた。一度僕がこの様子なら大丈夫らしいね、どうも御前の予言の方が適中したらしいと云った時、妻は愛想もなく、当り前ですわ、三面記事や小説見たような事が、滅多にあってたまるもんですかと答えた。僕の妻は小説と三面記事とを同じ物のごとく見傚す女であった。そうして両方とも嘘と信じて疑わないほど浪漫斯に縁の遠い女であった。
端書に満足した僕は、彼の封筒入の書翰に接し出した時さらに眉を開いた。というのは、僕の恐れを抱いていた彼の手が、陰欝な色に巻紙を染めた痕迹が、そのどこにも見出せなかったからである。彼の状袋の中に巻き納めた文句が、彼の端書よりもいかに鮮かに、彼の変化した気分を示しているかは、実際それを読んで見ないと分らない。ここに二三通取ってある。
彼の気分を変化するに与かって効力のあったものは京都の空気だの宇治の水だのいろいろある中に、上方地方の人の使う言葉が、東京に育った彼に取っては最も興味の多い刺戟になったらしい。何遍もあの辺を通過した経験のあるものから云うと馬鹿げているが、市蔵の当時の神経にはああ云う滑らかで静かな調子が、鎮経剤以上に優しい影響を与え得たのではなかろうかと思う。なに若い女の? それは知らない。無論若い女の口から出れば効目が多いだろう。市蔵も若い男の事だから、求めてそう云う所へ近づいたかも知れない。しかしここに書いてあるのは、不思議に御婆さんの例である。――
「僕はこの辺の人の言葉を聞くと微かな酔に身を任せたような気分になります。ある人はべたついて厭だと云いますが、僕はまるで反対です。厭なのは東京の言葉です。むやみに角度の多い金米糖のような調子を得意になって出します。そうして聴手の心を粗暴にして威張ります。僕は昨日京都から大阪へ来ました。今日朝日新聞にいる友達を尋ねたら、その友人が箕面という紅葉の名所へ案内してくれました。時節が時節ですから、紅葉は無論見られませんでしたが、渓川があって、山があって、山の行き当りに滝があって、大変好い所でした。友人は僕を休ませるために社の倶楽部とかいう二階建の建物の中へ案内しました。そこへ這入って見ると、幅の広い長い土間が、竪に家の間口を貫ぬいていました。そうしてそれがことごとく敷瓦で敷きつめられている模様が、何だか支那の御寺へでも行ったような沈んだ心持を僕に与えました。この家は何でも誰かが始め別荘に拵えたのを、朝日新聞で買い取って倶楽部用にしたのだとか聞きましたが、よし別荘にせよ、瓦を畳んで出来ている、この広々とした土間は何のためでしょう。僕はあまり妙だから友人に尋ねて見ました。ところが友人は知らんと云いました。もっともこれはどうでも構わない事です。ただ叔父さんがこう云う事に明らかだから、あるいは知っておいでかも知れないと思って、ちょっと蛇足に書き添えただけです。僕の御報知したいのは実はこの広い土間ではなかったのです。土間の上に下りていた御婆さんが問題だったのです。御婆さんは二人いました。一人は立って、一人は椅子に腰をかけていました。ただし両方ともくりくり坊主です。その立っている方が、僕らが這入るや否や、友人の顔を見て挨拶をしました。そうして『おや御免やす。今八十六の御婆さんの頭を剃っとるところだすよって。――御婆さんじっとしていなはれや、もう少しだけれ。――よう剃ったけれ毛は一本もありゃせんよって、何も恐ろしい事ありゃへん』と云いました。椅子に腰をかけた御婆さんは頭を撫でて『大きに』と礼を述べました。友人は僕を顧みて野趣があると笑いました。僕も笑いました。ただ笑っただけではありません。百年も昔の人に生れたような暢気した心持がしました。僕はこういう心持を御土産に東京へ持って帰りたいと思います」
僕も市蔵がこういう心持を、姉へ御土産として持って来てくれればいいがと思った。
十一
次のは明石から来たもので、前に比べると多少複雑なだけに、市蔵の性格をより鮮やかに現わしている。
「今夜ここに来ました。月が出て庭は明らかですが、僕の部屋は影になってかえって暗い心持がします。飯を食って煙草を呑んで海の方を眺めていると、――海はつい庭先にあるのです。漣さえ打たない静かな晩だから、河縁とも池の端とも片のつかない渚の景色なんですが、そこへ涼み船が一艘流れて来ました。その船の形好は夜でよく分らなかったけれども、幅の広い底の平たい、どうしても海に浮ぶものとは思えない穏やかな形を具えていました。屋根は確かあったように覚えます。その軒から画の具で染めた提灯がいくつもぶら下がっていました。薄い光の奥には無論人が坐っているようでした。三味線の音も聞こえました。けれども惣体がいかにも落ちついて、滑るように楽しんで僕の前を流れて行きました。僕は静かにその影を見送って、御祖父さんの若い時分の話というのを思い出しました。叔父さんは固より御存じでしょう、御祖父さんが昔の通人のした月見の舟遊を実際にやった話を。僕は母から二三度聞かされた事があります。屋根船を綾瀬川まで漕ぎ上せて、静かな月と静かな波の映り合う真中に立って、用意してある銀扇を開いたまま、夜の光の遠くへ投げるのだと云うじゃありませんか。扇の要がぐるぐる廻って、地紙に塗った銀泥をきらきらさせながら水に落ちる景色は定めてみごとだろうと思います。それもただの一本ならですが、船のものがそうがかりで、ひらひらする光を投げ競う光景は想像しても凄艶です。御祖父さんは銅壺の中に酒をいっぱい入れて、その酒で徳利の燗をした後をことごとく棄てさしたほどの豪奢な人だと云うから、銀扇の百本ぐらい一度に水に流しても平気なのでしょう。そう云えば、遺伝だか何だか、叔父さんにも貧乏な割にはと云っては失礼ですが、どこかに贅沢なところがあるようですし、あんな内気な母にも、妙に陽気な事の好きな方面が昔から見えていました。ただ僕だけは、――こういうとまたあの問題を持ち出したなと早合点なさるかも知れませんが、僕はもうあの事について叔父さんの心配なさるほど屈托していないつもりですから安心して下さい。ただ僕だけはと断るのはけっして苦い意味で云うのではありません。僕はこの点において、叔父さんとも母とも生れつき違っていると申したいのです。僕は比較的楽に育った、物質的に幸福な子だから、贅沢と知らずに贅沢をして平気でいました。着物などでも、母の注意で、人前へ出て恥かしくないようなものを身に着けながら、これが当然だと澄ましていました。けれどもそれは永く習慣に養われた結果、自分で知らない不明から出るので、一度そこに気がつくと、急に不安になります。着物や食事はまあどうでもいいとして、僕はこの間ある富豪のむやみに金を使う様子を聞いて恐ろしくなった事があります。その男は芸者は幇間を大勢集めて、鞄の中から出した札の束を、その前でずたずたに裂いて、それを御祝儀とか称えて、みんなにやるのだそうです。それから立派な着物を着た[#「着た」は底本では「来た」]まま湯に這入って、あとは三助にくれるのだそうです。彼の乱行はまだたくさんありましたが、いずれも天を恐れない暴慢極まるもののみでした。僕はその話を聞いた時無論彼を悪みました。けれども気概に乏しい僕は、悪むよりもむしろ恐れました。僕から彼の所行を見ると、強盗が白刃の抜身を畳に突き立てて良民を脅迫しているのと同じような感じになるのです。僕は実に天とか、人道とか、もしくは神仏とかに対して申し訳がないという、真正に宗教的な意味において恐れたのです。僕はこれほど臆病な人間なのです。驕奢に近づかない先から、驕奢の絶頂に達して躍り狂う人の、一転化の後を想像して、怖くてたまらないのであります。――僕はこんな事を考えて、静かな波の上を流れて行く涼み船を見送りながら、このくらいな程度の慰さみが人間としてちょうど手頃なんだろうと思いました。僕も叔父さんから注意されたように、だんだん浮気になって行きます。賞めて下さい。月の差す二階の客は、神戸から遊びに来たとかで、僕の厭な東京語ばかり使って、折々詩吟などをやります。その中に艶めかしい女の声も交っていましたが、二三十分前から急におとなしくなりました。下女に聞いたらもう神戸へ帰ったのだそうです。夜もだいぶ更けましたから、僕も休みます」
十二
「昨夕も手紙を書きましたが、今日もまた今朝以来の出来事を御報知します。こう続けて叔父さんにばかり手紙を上げたら、叔父さんはきっと皮肉な薄笑いをして、あいつどこへも文をやる所がないものだから、已を得ず姉と己に対してだけ、時間を費やして音信を怠らないんだと、腹の中で云うでしょう。僕も筆を執りながら、ちょっとそう云う考えを起しました。しかし僕にもしそんな愛人ができたら、叔父さんはたとい僕から手紙を貰わないでも、喜こんで下さるでしょう。僕も叔父さんに音信を怠っても、その方が幸福だと思います。実は今朝起きて二階へ上って海を見下していると、そういう幸福な二人連が、磯通いに西の方へ行きました。これはことによると僕と同じ宿に泊っている御客かも知れません。女がクリーム色の洋傘を翳して、素足に着物の裾を少し捲りながら、浅い波の中を、男と並んで行く後姿を、僕は羨ましそうに眺めたのです。波は非常に澄んでいるから高い所から見下すと、陸に近いあたりなどは、日の照る空気の中と変りなく何でも透いて見えます。泳いでいる海月さえ判切見えます。宿の客が二人出て来て泳ぎ廻っていますが、彼らの水中でやる所作が、一挙一動ことごとく手に取るように見えるので、芸としての水泳の価値が、だいぶ下落するようです。(午前七時半)」
「今度は西洋人が一人水に浸っています。あとから若い女が出て来ました。その女が波の中に立って、二階に残っているもう一人の西洋人を呼びます。『ユー、カム、ヒヤ』と云って英語を使います。『イット、イズ、ヴェリ、ナイス、イン、ウォーター』と云うような事をしきりに申します。その英語はなかなか達者で流暢で羨ましいくらい旨く出ます。僕はとても及ばないと思って感心して聞いていました。けれども英語の達者なこの女から呼ばれた西洋人はなかなか下りて来ませんでした。女は泳げないんだか、泳ぎたくないんだか、胸から下を水に浸けたまま波の中に立っていました。すると先へ下りた方の西洋人が女の手を執って、深い所へ連れて行こうとしました。女は身を竦めるようにして拒みました。西洋人はとうとう海の中で女を横に抱きました。女の跳ねて水を蹴る音と、その笑いながら、きゃっきゃっ騒ぐ声が、遠方まで響きました。(午前十時)」
「今度は下の座敷に芸者を二人連れて泊っていた客が端艇を漕ぎに出て来ました。この端艇はどこから持って来たか分りませんが、極めて小さいかつすこぶる危しいものです。客は漕いでやるからと云って、芸者を乗せようとしますが、芸者の方では怖いからと断ってなかなか乗りません。しかしとうとう客の意の通りになりました。その時年の若い方が、わざわざ喫驚して見せる科が、よほど馬鹿らしゅうございました。端艇がそこいらを漕ぎ廻って帰って来ると、年上の芸者が、宿屋のすぐ裏に繋いである和船に向って、船頭はん、その船空いていまっかと、大きな声で聞きました。今度は和船の中に、御馳走を入れて、また海の上に出る相談らしいのです。見ていると、芸者が宿の下女を使って、麦酒だの水菓子だの三味線だのを船の中へ運び込ましておいて、しまいに自分達も乗りました。ところが肝心の御客はよほど威勢のいい男で、遥か向うの方にまだ端艇を漕ぎ廻していました。誰も乗せ手がなかったと見えて、今度は黒裸の浦の子僧を一人生捕っていました。芸者はあきれた顔をして、しばらくその方を眺めていましたが、やがて根かぎりの大きな声で、阿呆と呼びました。すると阿呆と呼ばれた客が端艇をこっちへ漕ぎ戻して来ました。僕は面白い芸者でまた面白い客だと思いました。(午前十一時)」
「僕がこんなくだくだしい事を物珍らしそうに報道したら、叔父さんは物数奇だと云って定めし苦笑なさるでしょう。しかしこれは旅行の御蔭で僕が改良した証拠なのです。僕は自由な空気と共に往来する事を始めて覚えたのです。こんなつまらない話を一々書く面倒を厭わなくなったのも、つまりは考えずに観るからではないでしょうか。考えずに観るのが、今の僕には一番薬だと思います。わずかの旅行で、僕の神経だか性癖だかが直ったと云ったら、直り方があまり安っぽくって恥ずかしいくらいです。が、僕は今より十層倍も安っぽく母が僕を生んでくれた事を切望して已まないのです。白帆が雲のごとく簇って淡路島の前を通ります。反対の側の松山の上に人丸の社があるそうです。人丸という人はよく知りませんが、閑があったらついでだから行って見ようと思います」