第一章 序
わたしは阿Qの正伝を作ろうとしたのは一年や二年のことではなかった。けれども作ろうとしながらまた考えなおした。これを見てもわたしは立言の人でないことが分る。従来不朽の筆は不朽の人を伝えるもので、人は文に依って伝えらる。つまり誰某は誰某に靠って伝えられるのであるから、次第にハッキリしなくなってくる。そうして阿Qを伝えることになると、思想の上に何か幽霊のようなものがあって結末があやふやになる。
それはそうとこの一篇の朽ち易い文章を作るために、わたしは筆を下すが早いか、いろいろの困難を感じた。第一は文章の名目であった。孔子様の被仰るには「名前が正しくないと話が脱線する」と。これは本来極めて注意すべきことで、伝記の名前は列伝、自伝、内伝、外伝、別伝、家伝、小伝などとずいぶん蒼蝿いほどたくさんあるが、惜しいかな皆合わない。
列伝としてみたらどうだろう。この一篇はいろんな偉い人と共に正史の中に排列すべきものではない。自伝とすればどうだろう。わたしは決して阿Qその物でない。外伝とすれば、内伝が無し、また内伝とすれば阿Qは決して神仙ではない。しからば別伝としたらどうだろう。阿Qは大総統の上諭に依って国史館に宣付して本伝を立てたことがまだ一度もない。――英国の正史にも博徒列伝というものは決して無いが、文豪ヂッケンスは博徒別伝という本を出した。しかしこれは文豪のやることでわれわれのやることではない。そのほか家伝という言葉もあるが、わたしは阿Qと同じ流れを汲んでいるか、どうかしらん。彼の子孫にお辞儀されたこともない。小伝とすればあるいはいいかもしれないが、阿Qは別に大伝というものがない。煎じ詰めるとこの一篇は本伝というべきものだが、わたしの文章の著想からいうと文体が下卑ていて「車を引いて漿を売る人達」が使う言葉を用いているから、そんな僭越な名目はつかえない。そこで三教九流の数に入らない小説家のいわゆる「閑話休題、言帰正伝」という紋切型の中から「正伝」という二字を取出して名目とした。すなわち古人が撰した書法正伝のそれに、文字の上から見るとはなはだ紛らしいが、もうどうでもいい。
第二、伝記を書くには通例、しょっぱなに「何某、あざなは何、どこそこの人也」とするのが当りまえだが、わたしは阿Qの姓が何というか少しも知らない。一度彼は趙と名乗っていたようであったが、それも二日目にはあいまいになった。
それは趙太爺の息子が秀才になった時の事であった。阿Qはちょうど二碗の黄酒を飲み干して足踏み手振りして言った。これで彼も非常な面目を施した、というのは彼と趙太爺はもともと一家の分れで、こまかく穿鑿すると、彼は秀才よりも目上だと語った。この時そばに聴いていた人達は粛然としていささか敬意を払った。ところが二日目には村役人が阿Qを喚びに来て趙家に連れて行った。趙太爺は彼を一目見ると顔じゅう真赤にして怒鳴った。
「阿Q! キサマは何とぬかした。お前が乃公の御本家か。たわけめ」
阿Qは黙っていた。
趙太爺は見れば見るほど癪に障って二三歩前に押し出し「出鱈目もいい加減にしろ。お前のような奴が一家にあるわけがない。お前の姓は趙というのか」
阿Qは黙って身を後ろに引こうとした時、趙太爺は早くも飛びかかって、ぴしゃりと一つ呉れた。
「お前は、どうして趙という姓がわかった。どこからその姓を分けた」
阿Qは彼が趙姓である確証を弁解もせずに、ただ手を以て左の頬を撫でながら村役人と一緒に退出した。外へ出るとまた村役人から一通りお小言をきいて、二百文の酒手を出して村役人にお詫びをした。この話を聴いた者は皆言った。阿Qは実に出鱈目な奴だ。自分で擲られるようなことを仕出かしたんだ。彼は趙だか何だか知れたもんじゃない。よし本当に趙であっても、趙太爺がここにいる以上は、そんなたわごとを言ってはけしからん。それからというものは彼の名氏を持ち出す者が無くなって、阿Qは遂に何姓であるか、突きとめることが出来なかった。
第三、わたしはまた、阿Qの名前をどう書いていいか知らない。彼が生きている間は、人は皆阿 Quei と呼んだ。死んだあとではもう誰一人阿 Quei の噂をする者がないので、どうして「これを竹帛に著す」ことが出来よう。「これ竹帛に著す」ことから言えば、この一篇の文章が皮切であるから、まず、第一の難関にぶつかるのである。わたしはつくづく考えてみると、阿 Quei は、阿桂あるいは阿貴かもしれない。もし彼に月亭という号があってあるいは生れた月日が八月の中頃であったなら、それこそ阿桂に違いない。しかし彼には号がない。――号があったかもしれないが、それを知っている人は無い。――そうして生年月日を書いた手帖などどこにも残っていないのだから、阿桂ときめてしまうのはあんまり乱暴だ。
もしまた彼に一人の兄弟があって阿富と名乗っていたら、それこそきっと阿貴に違いない。しかし彼は全くの独り者であってみると、阿貴とすべき左証がない。その他 Quei と発音する文字は皆変槓な意味が含まれいっそう嵌りが悪い。以前わたしは趙太爺の倅の茂才先生に訊いてみたが、あれほど物に詳しい人でも遂に返答が出来なかった。しかし結論から言えば、陳獨秀が雑誌「新青年」を発行して羅馬字を提唱したので国粋が亡びて考えようが無くなったんだ。そこでわたしの最後の手段はある同郷生に頼んで、阿Q事件の判決文を調べてもらうより外はなかった。そうして一個月たってようやく返辞が来たのを見ると、判決文の中に阿 Quei の音に近い者は決して無いという事だった。わたし自身としては本当にそれが無いということは言えないが、もうこの上は調べようがない。そこで、注音字母では一般に解るまいと思って拠所なく洋字を用い、英国流行の方法で彼を阿 Quei と書し、更に省略して阿Qとした。これは近頃「新青年」に盲従したことで我ながら遺憾に思うが、しかし茂才先生でさえ知らないものを、わたしどもに何のいい智慧が出よう?
第四は阿Qの原籍だ。もし彼が趙姓であったなら、現在よく用いらるる郡望の旧例に拠り、郡名百家姓に書いてある注解通りにすればいい。「隴西天水の人也」といえば済む。しかし惜しいかな、その姓がはなはだ信用が出来ないので、したがって原籍も決定することが出来ない。彼は未荘に住んだことが多いがときどき他処へ住むこともある。もしこれを「未荘の人也」といえばやはり史伝の法則に乖く。
わたしが幾分自分で慰められることは、たった一つの阿の字が非常に正確であった。こればかりはこじつけやかこつけではない。誰が見てもかなり正しいものである。その他のことになると学問の低いわたしには何もかも突き止めることが出来ない。ただ一つの希望は「歴史癖と考証好」で有名な胡適之先生の門人等が、ひょっとすると将来幾多の新端緒を尋ね出すかもしれない。しかしその時にはもう阿Q正伝は消滅しているかもしれない。
第二章 優勝記略
阿Qは姓名も原籍も少々あいまいであった。のみならず彼の前半生の「行状」もまたあいまいであった。それというのも未荘の人達はただ阿Qをコキ使い、ただ彼をおもちゃにして、もとより彼の「行状」などに興味を持つ者がない。そして阿Q自身も身の上話などしたことはない。ときたま人と喧嘩をした時、何かのはずみに目を瞠って
「乃公達だって以前は――てめえよりゃよッぽど豪勢なもんだぞ。人をなんだと思っていやがるんだえ」というくらいが勢一杯だ。
阿Qは家が無い。未荘の土穀祠の中に住んでいて一定の職業もないが、人に頼まれると日傭取になって、麦をひけと言われれば麦をひき、米を搗けと言われれば米を搗き、船を漕げと言われれば船を漕ぐ。仕事が余る時には、臨時に主人の家に寝泊りして、済んでしまえばすぐに出て行く。だから人は忙しない時には阿Qを想い出すが、それも仕事のことであって「行状」のことでは決して無い。いったん暇になれば阿Qも糸瓜もないのだから、彼の行状のことなどなおさら言い出す者がない。しかし一度こんなことがあった。あるお爺さんが阿Qをもちゃげて「お前は何をさせてもソツが無いね」と言った。この時、阿Qは臂を丸出しにして(支那チョッキをじかに一枚著ている)無性臭い見すぼらしい風体で、お爺さんの前に立っていた。はたの者はこの話を本気にせず、やっぱりひやかしだと思っていたが、阿Qは大層喜んだ。
阿Qはまた大層己惚れが強く、未荘の人などはてんで彼の眼中にない。ひどいことには二人の「文童」に対しても、一笑の価値さえ認めていなかった。そもそも「文童」なる者は、将来秀才となる可能性があるもので、趙太爺や錢太爺が居民の尊敬を受けているのは、お金がある事の外に、いずれも文童の父であるからだ。しかし阿Qの精神には格別の尊念が起らない。彼は想った。乃公だって倅があればもっと偉くなっているぞ! 城内に幾度も行った彼は自然己惚れが強くなっていたが、それでいながらまた城内の人をさげすんでいた。たとえば長さ三尺幅三寸の木の板で作った腰掛は、未荘では「長登」といい、彼もまたそう言っているが、城内の人が「条登」というと、これは間違いだ。おかしなことだ、と彼は思っている。鱈の煮浸しは未荘では五分切の葱の葉を入れるのであるが、城内では葱を糸切りにして入れる。これも間違いだ、おかしなことだ、と彼は思っている。ところが未荘の人はまったくの世間見ずで笑うべき田舎者だ。彼等は城内の煮魚さえ見たことがない。
阿Qは「以前は豪勢なもん」で見識が高く、そのうえ「何をさせてもソツがない」のだから、ほとんど一ぱしの人物と言ってもいいくらいのものだが、惜しいことに、彼は体質上少々欠点があった。とりわけ人に嫌らわれるのは、彼の頭の皮の表面にいつ出来たものかずいぶん幾個所も瘡だらけの禿があった。これは彼の持物であるが、彼のおもわくを見るとあんまりいいものでもないらしく、彼は「癩」という言葉を嫌って一切「頼」に近い音までも嫌った。あとではそれを推しひろめて「亮」もいけない。「光」もいけない。その後また「燈」も「燭」も皆いけなくなった。そういう言葉をちょっとでも洩そうものなら、それが故意であろうと無かろうと、阿Qはたちまち頭じゅうの禿を真赤にして怒り出し、相手を見積って、無口の奴は言い負かし、弱そうな奴は擲りつけた。しかしどういうものかしらん、結局阿Qがやられてしまうことが多く、彼はだんだん方針を変更し、大抵の場合は目を怒らして睨んだ。
ところがこの怒目主義を採用してから、未荘のひま人はいよいよ附け上がって彼を嬲り物にした。ちょっと彼の顔を見ると彼等はわざとおッたまげて
「おや、明るくなって来たよ」
阿Qはいつもの通り目を怒らして睨むと、彼等は一向平気で
「と思ったら、空気ランプがここにある」
アハハハハハと皆は一緒になって笑った。阿Qは仕方なしに他の復讎の話をして
「てめえ達は、やっぱり相手にならねえ」
この時こそ、彼の頭の上には一種高尚なる光栄ある禿があるのだ。ふだんの斑ら禿とは違う。だが前にも言ったとおり阿Qは見識がある。彼はすぐに規則違犯を感づいて、もうその先きは言わない。
閑人達はまだやめないで彼をあしらっていると、遂にに打ち合いになる。阿Qは形式上負かされて黄いろい辮子を引張られ、壁に対して四つ五つ鉢合せを頂戴し、閑人はようやく胸をすかして勝ち慢って立去る。
阿Qはしばらく佇んでいたが、心の中で思った。「乃公は[#「「乃公は」は底本では「 乃公は」]つまり子供に打たれたんだ。今の世の中は全く成っていない……」そこで彼も満足し勝ち慢って立去る。
阿Qは最初この事を心の中で思っていたが、遂にはいつも口へ出して言った。だから阿Qとふざける者は、彼に精神上の勝利法があることをほとんど皆知ってしまった。そこで今度彼の黄いろい辮子を引掴む機会が来るとその人はまず彼に言った。
「阿Q、これでも子供が親爺を打つのか。さあどうだ。人が畜生を打つんだぞ。自分で言え、人が畜生を打つと」
阿Qは自分の辮子で自分の両手を縛られながら、頭を歪めて言った。
「虫ケラを打つを言えばいいだろう。わしは虫ケラだ。――まだ放さないのか」
だが虫ケラと言っても閑人は決して放さなかった。いつもの通り、ごく近くのどこかの壁に彼の頭を五つ六つぶっつけて、そこで初めてせいせいして勝ち慢って立去る。彼はそう思った。今度こそ阿Qは凹垂れたと。
ところが十秒もたたないうちに阿Qも満足して勝ち慢って立去る。阿Qは悟った。乃公は自ら軽んじ自ら賤しむことの出来る第一の人間だ。そういうことが解らない者は別として、その外の者に対しては「第一」だ。状元もまた第一人じゃないか。「人を何だと思っていやがるんだえ」
阿Qはこういう種々の妙法を以て怨敵を退散せしめたあとでは、いっそ愉快になって酒屋に馳けつけ、何杯か酒を飲むうちに、また別の人と一通り冗談を言って一通り喧嘩をして、また勝ち慢って愉快になって、土穀祠に帰り、頭を横にするが早いか、ぐうぐう睡ってしまうのである。
もしお金があれば彼は博奕を打ちに行く。一かたまりの人が地面にしゃがんでいる。阿Qはその中に割込んで一番威勢のいい声を出している。
「青竜四百!」
「よし……あける……ぞ」
堂元は蓋を取って顔じゅう汗だらけになって唱い始める。
「天門当り――隅返し、人と、中張張手無し――阿Qの銭はお取上げ――」
「中張百文――よし百五十文張ったぞ」
阿Qの銭はこのような吟詠のもとに、だんだん顔じゅう汗だらけの人の腰の辺に行ってしまう。彼は遂にやむをえず、かたまりの外へ出て、後ろの方に立って人の事で心配しているうちに、博奕はずんずん進行してお終いになる。それから彼は未練らしく土穀祠に帰り、翌日は眼のふちを腫らしながら仕事に出る。
けれど「塞翁が馬を無くしても、災難と極まったものではない」。阿Qは不幸にして一度勝ったが、かえってそれがためにほとんど大きな失敗をした。
それは未荘の祭の晩だった。その晩例に依って芝居があった。例に依ってたくさんの博奕場が舞台の左側に出た。囃の声などは阿Qの耳から十里の外へ去っていた。彼はただ堂元の歌の節だけ聴いていた。彼は勝った。また勝った。銅貨は小銀貨となり、小銀貨は大洋になり、大洋は遂に積みかさなった。彼は素敵な勢いで「天門両塊」と叫んだ。
誰と誰が何で喧嘩を始めたんだか、サッパリ解らなかった。怒鳴るやら殴るやら、バタバタ馳け出す音などがしてしばらくの間眼が眩んでしまった。彼が起き上った時には博奕場も無ければ人も無かった。身中にかなりの痛みを覚えて幾つも拳骨を食い、幾つも蹶飛ばされたようであった。彼はぼんやりしながら歩き出して土穀祠に入った。気がついてみると、あれほどあった彼のお金は一枚も無かった。博奕場にいた者はたいていこの村の者では無かった。どこへ行って訊き出すにも訊き出しようがなかった。
まっ白なピカピカした銀貨! しかもそれが彼の物なんだが今は無い。子供に盗られたことにしておけばいいが、それじゃどうも気が済まない。自分を虫ケラ同様に思えばいいが、それじゃどうも気が済まない。彼は今度こそいささか失敗の苦痛を感じた。けれど彼は失敗を転じて遂に勝ちとした。彼は右手を挙げて自分の面を力任せに引ッぱたいた。すると顔がカッとして火照り出しかなりの痛みを感じたが、心はかえって落ち著いて来た。打ったのはまさに自分に違いないが、打たれたのはもう一人の自分のようでもあった。そうこうするうちに自分が人を打ってるような気持になった。――やっぱり幾らか火照るには違いないが――心は十分満足して勝ち慢って横になった。
彼は睡ってしまった。
第三章 続優勝記略
それはそうと、阿Qはいつも勝っていたが、名前が売れ出したのは、趙太爺の御ちょうちゃくを受けてからのことだ。
彼は二百文の酒手を村役人に渡してしまうと、ぷんぷん腹を立てて寝転んだ。あとで思いついた。
「今の世界は話にならん。倅が親爺を打つ……」
そこでふと趙太爺の威風を想い出し、それが現在自分の倅だと思うと我れながら嬉しくなった。彼が急に起き上って「若寡婦の墓参り」という歌を唱いながら酒屋へ行った。この時こそ彼は趙太爺よりも一段うわ手の人物に成り済ましていたのだ。
変槓なこったがそれからというものは、果してみんなが殊の外彼を尊敬するようになった。これは阿Qとしては自分が趙太爺の父親になりすましているのだから当然のことであるが、本当の処はそうでなかった。未荘の仕来りでは、阿七が阿八を打つような事があっても、あるいは李四が張三を打っても、そんなことは元より問題にならない。ぜひともある名の知れた人、たとえば趙太爺のような人と交渉があってこそ、初めて彼等の口に端に掛るのだ。一遍口の端に掛れば、打っても評判になるし、打たれてもそのお蔭様で評判になるのだ。阿Qの思い違いなどもちろんどうでもいいのだ。そのわけは? つまり趙太爺に間違いのあるはずはなく、阿Qに間違いがあるのに、なぜみんなは殊の外彼を尊敬するようになったか? これは箆棒な話だが、よく考えてみると、阿Qは趙太爺の本家だと言って打たれたのだから、ひょっとしてそれが本当だったら、彼を尊敬するのは至極穏当な話で、全くそれに越したことはない。でなければまた左のような意味があるかもしれない。聖廟の中のお供物のように、阿Qは豬羊と同様の畜生であるが、いったん聖人のお手がつくと、学者先生、なかなかそれを粗末にしない。
阿Qはそれからというものはずいぶん長いこと偉張っていた。
ある年の春であった。彼はほろ酔い機嫌で町なかを歩いていると、垣根の下の日当りに王※[#「髟/胡」、133-4]がもろ肌ぬいで虱を取っているのを見た。たちまち感じて彼も身体がむず痒くなった。この王※[#「髟/胡」、133-5]は禿瘡でもある上に、※[#「髟/胡」、133-6]をじじむさく伸ばしていた。阿Qは禿瘡の一点は度外に置いているが、とにかく彼を非常に馬鹿にしていた。阿Qの考では、外に格別変ったところもないが、その顋に絡まる※[#「髟/胡」、133-7]は実にすこぶる珍妙なもので見られたざまじゃないと思った。そこで彼は側へ行って並んで坐った。これがもしほかの人なら阿Qはもちろん滅多に坐るはずはないが、王※[#「髟/胡」、133-9]の前では何の遠慮が要るものか、正直のところ阿Qが坐ったのは、つまり彼を持上げ奉ったのだ。
阿Qは破れ袷を脱ぎおろして一度引ッくらかえして調べてみた。洗ったばかりなんだがやはりぞんざいなのかもしれない。長いことかかって三つ四つ捉まえた。彼は王※[#「髟/胡」、133-12]を見ると、一つまた一つ、二つ三つと口の中に抛り込んでピチピチパチパチと噛み潰した。
阿Qは最初失望してあとでは不平を起した。王※[#「髟/胡」、133-14]なんて取るに足らねえ奴でも、あんなにどっさり持っていやがる。乃公を見ろ、あるかねえか解りゃしねえ。こりゃどうも大に面目のねえこった。彼はぜひとも大きな奴を捫り出そうと思ってあちこち捜した。しばらく経ってやっと一つ捉まえたのは中くらいの奴で、彼は恨めしそうに厚い脣の中に押込みヤケに噛み潰すと、パチリと音がしたが王※[#「髟/胡」、134-4]の響には及ばなかった。
彼は禿瘡の一つ一つを皆赤くして著物を地上に突放し、ペッと唾を吐いた。
「この毛虫め」
「やい、瘡ッかき。てめえは誰の悪口を言うのだ」王※[#「髟/胡」、134-7]は眼を挙げてさげすみながら言った。
阿Qは近頃割合に人の尊敬を受け、自分もいささか高慢稚気になっているが、いつもやり合う人達の面を見ると、やはり心が怯れてしまう。ところが今度に限って非常な勢だ。何だ、こんな※[#「髟/胡」、134-9]だらけの代物が生意気言やがるとばかりで
「誰のこったか、おらあ知らねえ」阿Qは立ち上って、両手を腰の間に支えた。
「この野郎、骨が痒くなったな」王※[#「髟/胡」、134-12]も立ち上がって著物を著た。
相手が逃げ出すかと思ったら、掴み掛って来たので、阿Qは拳骨を固めて一突き呉れた。その拳骨がまだ向うの身体に届かぬうちに、腕を抑えられ、阿Qはよろよろと腰を浮かした。※(「てへん+丑」、第4水準2-12-93)じつけられた辮子は墻の方へと引張られて行って、いつもの通りそこで鉢合せが始まるのだ。
「君子は口を動かして手を動かさず」と阿Qは首を歪めながら言った。
王※[#「髟/胡」、135-3]は君子でないと見え、遠慮会釈もなく彼の頭を五つほど壁にぶっつけて力任せに突放すと、阿Qはふらふらと六尺余り遠ざかった。そこで※[#「髟/胡」、135-4]は大に満足して立去った。
阿Qの記憶ではおおかたこれは生れて初めての屈辱といってもいい、王※[#「髟/胡」、135-5]は顋に絡まる※[#「髟/胡」、135-5]の欠点で前から阿Qに侮られていたが、阿Qを侮ったことは無かった。むろん手出しなど出来るはずの者ではなかったが、ところが現在遂に手出しをしたから妙だ。まさか世間の噂のように皇帝が登用試験をやめて秀才も挙人も不用になり、それで趙家の威風が減じ、それで彼等も阿Qに対して見下すようになったのか。そんなことはありそうにも思われない。
阿Qは拠所なく彳んだ。
遠くの方から歩いて来た一人は彼の真正面に向っていた。これも阿Qの大嫌いの一人で、すなわち錢太爺の総領息子だ。彼は以前城内の耶蘇学校に通学していたが、なぜかしらんまた日本へ行った。半年あとで彼が家に帰って来た時には膝が真直ぐになり、頭の上の辮子が無くなっていた。彼の母親は大泣きに泣いて十幾幕も愁歎場を見せた。彼の祖母は三度井戸に飛び込んで三度引上げらた。あとで彼の母親は到処で説明した。
「あの辮子は悪い人から酒に盛りつぶされて剪り取られたんです。本来あれがあればこそ大官になれるんですが、今となっては仕方がありません。長く伸びるのを待つばかりです」
さはいえ阿Qは承知せず、一途に彼を「偽毛唐」「外国人の犬」と思い込み、彼を見るたんびに肚の中で罵り悪んだ。
阿Qが最も忌み嫌ったのは、彼の一本のまがい辮子だ。擬い物と来てはそれこそ人間の資格がない。彼の祖母が四度目の投身をしなかったのは善良の女でないと阿Qは思った。
その「偽毛唐」が今近づいて来た。「禿げ、驢……」阿Qは今まで肚の中で罵るだけで口へ出して言ったことはなかったが、今度は正義の憤りでもあるし、復讎の観念もあったかた、思わず知らず出てしまった。
ところがこの禿の奴、一本のニス塗りのステッキを持っていて――それこそ阿Qに言わせると葬式の泣き杖だ――大跨に歩いて来た。この一刹那に阿Qは打たれるような気がして、筋骨を引締め肩を聳かして待っていると果して
ピシャリ。
確かに自分の頭に違いない。
「あいつのことを言ったんです」と阿Qは、側に遊んでいる一人の子供を指さした。
ピシャリ、ピシャリ。
阿Qの記憶ではおおかたこれが今まであった第二の屈辱といってもいい。幸いピシャリ、ピシャリの響のあとは、彼に関する一事件が完了したように、かえって非常に気楽になった。それにまた「すぐ忘れてしまう」という先祖伝来の宝物が利き目をあらわし、ぶらぶら歩いて酒屋の門口まで来た時にはもうすこぶる元気なものであった。
折柄向うから来たのは、靜修庵の若い尼であった。阿Qはふだんでも彼女を見るときっと悪態を吐くのだ。ましてや屈辱のあとだったから、いつものことを想い出すと共に敵愾心を喚起した。
「きょうはなぜこんなに運が悪いかと思ったら、さてこそてめえを見たからだ」と彼は独りでそう極めて、わざと彼女にきこえるように大唾を吐いた。
「ペッ、プッ」
若い尼は皆目眼も呉れず頭をさげてひたすら歩いた。すれちがいに阿Qは突然手を伸ばして彼女の剃り立ての頭を撫でた。
「から坊主! 早く帰れ。和尚が待っているぞ」
「お前は何だって手出しをするの」
尼は顔じゅう真赤にして早足で歩き出した。
酒屋の中の人は大笑いした。己れの手柄を認めた阿Qはますますいい気になってハシャギ出した。
「和尚はやるかもしれねえが、おらあやらねえ」彼は、彼女の頬ぺたを摘んだ。
酒屋の中の人はまた大笑いした。阿Qはいっそう得意になり、見物人を満足させるために力任せに一捻りして彼女を突放した。
彼はこの一戦で王※[#「髟/胡」、138-9]のことも偽毛唐のことも皆忘れてしまって、きょうの一切の不運が報いられたように見えた。不思議なことにはピシャリ、ピシャリのあの時よりも全身が軽く爽やかになって、ふらふらと今にも飛び出しそうに見えた。
「阿Qの罰当りめ。お前の世継ぎは断えてしまうぞ」遠くの方で尼の泣声がきこえた。
「ハハハ」阿Qは十分得意になった。
「ハハハ」酒屋の中の人も九分通り得意になって笑った。
第四章 恋愛の悲劇
こういう人があった。勝利者というものは、相手が虎のような鷹のようなものであれかしと願い、それでこそ彼は初めて勝利の歓喜を感じるのだ。もし相手が羊のようなものだったら、彼はかえって勝利の無聊を感じる。また勝利者というものは、一切を征服したあとで死ぬものは死に、降るものは降って、「臣誠惶誠恐死罪死罪」というような状態になると、彼は敵が無くなり相手が無くなり友達が無くなり、たった一人上にいる自分だけが別物になって、凄じく淋しくかえって勝利者の悲哀を感じる。ところが我が阿Qにおいてはこのような欠乏はなかった。ひょっとするとこれは支那の精神文明が全球第一である一つの証拠かもしれない。
見たまえ。彼はふらりふらりと今にも飛び出しそうな様子だ。
しかしながらこの一囘の勝利がいささか異様な変化を彼に与えた。彼はしばらくの間ふらりふらりと飛んでいたが、やがてまたふらりと土穀祠に入った。常例に拠るとそこですぐ横になって鼾をかくんだが、どうしたものかその晩に限って少しも睡れない。彼は自分の親指と人差指がいつもよりも大層脂漲って変な感じがした。若い尼の顔の上の脂が彼の指先に粘りついたのかもしれない。それともまた彼の指先が尼の面の皮にこすられてすべっこくなったのかもしれない。
「阿Qの罰当りめ。お前の世嗣ぎは断えてしまうぞ」
阿Qの耳朶の中にはこの声が確かに聞えていた。彼はそう想った。
「ちげえねえ。一人の女があればこそだ。子が断え孫が断えてしまったら、死んだあとで一碗の御飯を供える者がない。……一人の女があればこそだ」
一体「不孝には三つの種類があって後嗣ぎが無いのが一番悪い」、そのうえ「若敖之鬼餒而」これもまた人生の一大悲哀だ。だから彼もそう考えて、実際どれもこれも聖賢の教に合致していることをやったんだが、ただ惜しいことに、後になってから「心の駒を引き締めることが出来なかった」
「女、女……」と彼は想った。
「……和尚(陽器)は動く。女、女!……女!」と彼は想った。
われわれはその晩いつ時分になって、阿Qがようやく鼾をかいたかを知ることが出来ないが、とにかくそれからというものは彼の指先に女の脂がこびりついて、どうしても「女!」を思わずにはいられなかった。
たったこれだけでも、女というものは人に害を与える代物だと知ればいい。
支那の男は本来、大抵皆聖賢となる資格があるが、惜しいかな大抵皆女のために壊されてしまう。商は妲己[#「妲己」は底本では「姐己」]のために騒動がもちあがった。周は褒※(「女+以」、第3水準1-15-79)のために破壊された? 秦……公然歴史に出ていないが、女のために秦は破壊されたといっても大して間違いはあるまい。そうして董卓は貂蝉のために確実に殺された。
阿Qは本来正しい人だ。われわれは彼がどんな師匠に就いて教を受けたか知らないが、彼はふだん「男女の区別」を厳守し、かつまた異端を排斥する正気があった。たとえば尼、偽毛唐の類。――彼の学説では凡ての尼は和尚と私通している。女が外へ出れば必ず男を誘惑しようと思う。男と女と話をすればきっと碌なことはない。彼は彼等を懲しめる考で、おりおり目を怒らせて眺め、あるいは大声をあげて彼等の迷いを醒し、あるいは密会所に小石を投げ込むこともある。
ところが彼は三十になって竟に若い尼になやまされて、ふらふらになった。このふらふらの精神は礼教上から言うと決してよくないものである。――だから女は真に悪むべきものだ。もし尼の顔が脂漲っていなかったら阿Qは魅せられずに済んだろう。もし尼の顔に覆面が掛っていたら阿Qは魅せられずに済んだろう――彼は五六年前、舞台の下の人混みの中で一度ある女の股倉に足を挟まれたが、幸いズボンを隔てていたので、ふらふらになるようなことはなかった。ところが今度の若い尼は決してそうではなかった。これを見てもいかに異端の悪むべきかを知るべし。
彼は「こいつはきっと男を連れ出すわえ」と思うような女に対していつも注意してみていたが、彼女は決して彼に向って笑いもしなかった。彼は自分と話をする女の言葉をいつも注意して聴いていたが、彼女は決して艶ッぽい話を持ち出さなかった。おおこれが女の悪むべき点だ。彼等は皆「偽道徳」を著ていた。そう思いながら阿Qは
「女、女!……」と想った。
その日阿Qは趙太爺の家で一日米を搗いた。晩飯が済んでしまうと台所で煙草を吸った。これがもしほかの家なら晩飯が済んでしまうとすぐに帰るのだが趙家は晩飯が早い。定例に拠るとこの場合点燈を許さず、飯が済むとすぐ寝てしまうのだが、端無くもまた二三の例外があった。
その一は趙太爺が、まだ秀才に入らぬ頃、燈を点じて文章を読むことを許された。その二は阿Qが日雇いに来る時は燈を点じて米搗くことを許された。この例外の第二に依って、阿Qが米搗きに著手する前に台所で煙草を吸っていたのだ。
呉媽は、趙家の中でたった一人の女僕であった。皿小鉢を洗ってしまうと彼女もまた腰掛の上に坐して阿Qと無駄話をした。
「奥さんはきょうで二日御飯をあがらないのですよ。だから旦那は小妾のを一人買おうと思っているんです」
「女……呉媽……このチビごけ」と阿Qは思った。
「うちの若奥さんは八月になると、赤ちゃんが生れるの」
「女……」と阿Qは想った。
阿Qは煙管を置いて立上った。
「内の若奥さんは……」と呉媽はまだ喋舌っていた。
「乃公とお前と寝よう。乃公とお前と寝よう」
阿Qはたちまち強要と出掛け、彼女に対してひざまずいた。
一刹那、極めて森閑としていた。
呉媽はしばらく神威に打たれていたが、やがてガタガタ顫え出した。
「あれーッ」
彼女は大声上げて外へ馳け出し、馳け出しながら怒鳴っていたが、だんだんそれが泣声に変って来た。
阿Qは壁に対って跪坐し、これも神威に打たれていたが、この時両手をついて無性らしく腰を上げ、いささか沫を食ったような体でドギマギしながら、帯の間に煙管を挿し込み、これから米搗きに行こうかどうしようかとまごまごしているところへ、ポカリと一つ、太い物が頭の上から落ちて来た。彼はハッとして身を転じると、秀才は竹の棒キレをもって行手を塞いだ。
「キサマは謀叛を起したな。これ、こん畜生………」
竹の棒はまた彼に向って振り下された。彼は両手を挙げて頭をかかえた。当ったところはちょうど指の節の真上で、それこそ本当に痛く、夢中になって台所を飛び出し、門を出る時また一つ背中の上をどやされた。
「忘八蛋」
後ろの方で秀才が官話を用いて罵る声が聞えた。
阿Qは米搗場に駈込んで独り突立っていると、指先の痛みはまだやまず、それにまた「忘八蛋」という言葉が妙に頭に残って薄気味悪く感じた。この言葉は未荘の田舎者はかつて使ったことがなく、専らお役所のお歴々が用ゆるもので印象が殊の外深く、彼の「女」という思想など、急にどこへか吹っ飛んでしまった。しかし、ぶっ叩かれてしまえば事件が落著して何の障りがないのだから、すぐに手を動かして米を搗き始め、しばらく搗いていると身内が熱くなって来たので、手をやすめて著物をぬいだ。
著物を脱ぎおろした時、外の方が大変騒々しくなって来た。阿Qは自体賑やかなことが好きで、声を聞くとすぐに声のある方へ馳け出して行った。だんだん側へ行ってみると、趙太爺の庭内でたそがれの中ではあるが、大勢集っている人の顔の見分けも出来た。まず目につくのは趙家のうちじゅうの者と二日も御飯を食べないでいる若奥さんの顔も見えた。他に隣の鄒七嫂や本当の本家の趙白眼、趙司晨などもいた。
若奥さんは下部屋からちょうど呉媽を引張り出して来たところで
「お前はよそから来た者だ……自分の部屋に引込んでいてはいけない……」
鄒七嫂も側から口を出し
「誰だってお前の潔白を知らない者はありません……決して気短なことをしてはいけません」といった。
呉媽はひた泣きに泣いて、何か言っていたが聞き取れなかった。
阿Qは想った。「ふん、面白い。このチビごけが、どんな悪戯をするかしらんて?」
彼は立聴きしようと思って趙司晨の側までゆくと、趙太爺は大きな竹の棒を手に持って彼を目蒐けて跳び出して来た。
阿Qは竹の棒を見ると、この騒動が自分が前に打たれた事と関係があるんだと感づいて、急に米搗場に逃げ帰ろうとしたが、竹の棒は意地悪く彼の行手を遮った。そこで自然の成行きに任せて裏門から逃げ出し、ちょっとの間に彼はもう土穀祠の宮の中にいた。阿Qは坐っていると肌が粟立って来た。彼は冷たく感じたのだ。春とはいえ夜になると残りの寒さが身に沁み、裸でいられるものではない。彼は趙家に置いて来た上衣がつくづく欲しくなったが、取りに行けば秀才の恐ろしい竹の棒がある。そうこうしているうちに村役人が入って来た。
「阿Q、お前のお袋のようなものだぜ。趙家の者にお前がふざけたのは、つまり目上を犯したんだ。お蔭で乃公はゆうべ寝ることが出来なかった。お前のお袋のようなものだぜ」
こんな風に一通り教訓されたが、阿Qはもちろん黙っていた。挙句の果てに、夜だから役人の酒手を倍増しにして四百文出すのが当前だということになった。阿Qは今持合せがないから一つの帽子を質に入れて、五つの条件を契約した。
一、明日紅蝋燭一対(目方一斤の物に限る)線香一封を趙家に持参して謝罪する事。二、趙家では道士を喚んで首縊りの幽霊を祓う事(首縊幽霊は最も獰猛なる悪鬼で、阿Qが女を口説いたのもその祟りだと仮想する)。費用は阿Qの負担とす。三、阿Qは今後決して趙家の閾を越えぬ事。四、呉媽に今後意外の変事があった時には、阿Qの責任とす。五、阿Qは手間賃と袷を要求することを得ず。
阿Qはもちろん皆承諾したが、困ったことにはお金が無い。幸い春でもあるし、要らなくなった棉入れを二千文に質入れして契約を履行した。そうして裸になってお辞儀をしたあとは、確かに幾文か残ったが、彼はもう帽子を請け出そうとも思わず、あるだけのものは皆酒にして思い切りよく飲んでしまった。
一方趙家では、蝋燭も線香もつかわずに、大奥さんが仏参の日まで蔵っておいた。そうしてあの破れ上衣の大半は若奥さんが八月生んだ赤坊のおしめになって、その切屑は呉媽の鞋底に使われた。
第五章 生計問題
阿Qはお礼を済ましてもとのお廟に帰って来ると、太陽は下りてしまい、だんだん世の中が変になって来た。彼は一々想い廻した結果ついに悟るところがあった。その原因はつまり自分の裸にあるので、彼は破れ袷がまだ一枚残っていることを想い出し、それを引掛けて横になって眼を開けてみると太陽はまだ西の墻を照しているのだ。彼は起き上りながら「お袋のようなものだ」と言ってみた。
彼はそれからまたいつものように街に出て遊んだ。裸者の身を切るようなつらさはないが、だんだん世の中が変に感じて来た。何か知らんが未荘の女はその日から彼を気味悪がった。彼等は阿Qを見ると皆門の中へ逃げ込んだ。極端なことには五十に近い鄒七嫂まで人のあとに跟いて潜り込み、その上十一になる女の児を喚び入れた。阿Qは不思議でたまらない。「こいつ等はどれもこれもお嬢さんのようなしなしていやがる。なんだ、売淫め」
阿Qはこらえ切れなくなってお馴染の家に行って探りを入れた。――ただし趙家の閾だけは跨ぐことが出来ない――何しろ様子がすこぶる変なので、どこでもきっと男が出て来て、蒼蝿そうな顔付を見せ、まるで乞食を追払うような体裁で
「無いよ無いよ。向うへ行ってくれ」と手を振った。
阿Qはいよいよ不思議に感じた。
この辺の家は前から手伝が要るはずなんだが、今急に暇になるわけがない。こりゃあきっと何か曰くがあるはずだ、と気をつけてみると、彼等は用のある時には小DONをよんでいた。この小Dはごくごくみすぼらしい奴で痩せ衰えていた。阿Qの眼から見ると王※[#「髟/胡」、149-6]よりも劣っている。ところがこの小わッぱめが遂に阿Qの飯碗を取ってしまったんだから、阿Qの怒尋常一様のものではない。彼はぷんぷんしながら歩き出した。そうしてたちまち手をあげて呻った。
「鉄の鞭で手前を引ッぱたくぞ」
幾日かのあとで、彼は遂に錢府の照壁(衝立の壁)の前で小Dにめぐり逢った。「讎の出会いは格別ハッキリ見える」もので、彼はずかずか小Dの前に行くと小Dも立止った。
「畜生!」阿Qは眼に稜を立て口の端へ沫を吹き出した。
「俺は虫ケラだよ。いいじゃねぇか……」と小Dは言った。
したでに出られて阿Qはかえって腹を立てた。彼の手には鉄の鞭が無かった。そこでただ殴るより仕様がなかった。彼は手を伸して小Dの辮子を引掴むと、小Dは片ッぽの手で自分の辮根を守り、片ッぽの手で阿Qの辮子を掴んだ。阿Qもまた空いている方の手で自分の辮根を守った。
以前の阿Qの勢を見ると小Dなど問題にもならないが、近頃彼は飢餓のため痩せ衰えているので五分々々の取組となった。四つの手は二つの頭を引掴んで双方腰を曲げ、半時間の久しきに渡って、錢府の白壁の上に一組の藍色の虹形を映出した。
「いいよ。いいよ」見ていた人達はおおかた仲裁する積りで言ったのであろう。
「よし、よし」見ている人達は、仲裁するのか、ほめるのか、それとも煽てるのかしらん。
それはそうと二人は人のことなど耳にも入らなかった。阿Qが三歩進むと小Dは三歩退き、遂に二人とも突立った。小Dが三歩進むと阿Qは三歩退き、遂にまた二人とも突立った。およそ半時間……未荘には時計がないからハッキリしたことは言えない。あるいは二十分かもしれない……彼等の頭はいずれも埃がかかって、額の上には汗が流れていた。そうして阿Qが手を放した間際に小Dも手を放した。同じ時に立上って同じ時に身を引いてどちらも人ごみの中に入った。
「覚えていろ、馬鹿野郎」阿Qは言った。
「馬鹿野郎、覚えていろ」小Dもまた振向いて言った。
この一幕の「竜虎図」は全く勝敗がないと言っていいくらいのものだが、見物人は満足したかしらん、誰も何とも批評するものもない。そうして阿Qは依然として仕事に頼まれなかった。
ある日非常に暖かで風がそよそよと吹いてだいぶ夏らしくなって来たが、阿Qはかえって寒さを感じた。しかしこれにはいろいろのわけがある。第一腹が耗って蒲団も帽子も上衣もないのだ。今度棉入れを売ってしまうと、褌子は残っているが、こればかりは脱ぐわけには行かない。破れ袷が一枚あるが、これも人にやれば鞋底の資料になっても、決してお金にはならない。彼は往来でお金を拾う予定で、とうから心掛けていたが、まだめっからない。家の中を見廻したところで何一つない。彼は遂におもてへ出て食を求めた。
彼は往来を歩きながら「食を求め」なければならない。見馴れた酒屋を見て、見馴れた饅頭を見て、ずんずん通り越した。立ちどまりもしなければ欲しいとも思わなかった。彼の求むるものはこの様なものではなかった。彼の求むるものは何だろう。彼自身も知らなかった。
未荘はもとより大きな村でもないから、まもなく行き尽してしまった。村端れは大抵水田であった[#「水田であった」は底本では「水あ田でった」]。見渡す限りの新稲の若葉の中に幾つか丸形の活動の黒点が挟まれているのは、田を耕す農夫であった。阿Qはこの田家の楽しみを鑑賞せずにひたすら歩いた。彼は直覚的に彼の「食を求める」道はこんなまだるっこいことではいけない思ったから、彼は遂に靜修庵の垣根の外へ行った。
庵のまわりは水田であった。白壁が新緑の中に突き出していた。後ろの低い垣の中に菜畑があった。
阿Qはしばらくためらっていたが、あたりを見ると誰も見えない。そこで低い垣を這い上って何首烏の蔓を引張るとザラザラと泥が落ちた。阿Qは顫える足を踏みしめて桑の樹に攀じ昇り、畑中へ飛び下りると、そこは繁りに繁っていたが、老酒も饅頭も食べられそうなものは一つもない。西の垣根の方は竹藪で、下にたくさん筍が生えていたが生憎ナマで役に立たない。そのほか菜種があったが実を結び、芥子菜は花が咲いて、青菜は伸び過ぎていた。
阿Qは試験に落第した文童のような謂れなき屈辱を感じて、ぶらぶら園門の側まで来ると、たちまち非常な喜びとなった。これは明かに大根畑だ。彼がしゃがんで抜き取ったのは、一つごく丸いものであったが、すぐに身をかがめて帰って来た。これは確かに尼ッちょのものだ。尼ッちょなんてものは阿Qとしては若草の屑のように思っているが、世の中の事は「一歩退いて考え」なければならん。だから彼はそそくさに四つの大根を引抜いて葉をむしり捨て著物の下まえの中に蔵い込んだが、その時もう婆の尼は見つけていた。
「おみどふ(阿弥陀仏)、お前はなんだってここへ入って来たの、大根を盗んだね……まあ呆れた。罪作りの男だね。おみどふ……」
「俺はいつお前の大根を盗んだえ」阿Qは歩きながら言った。
「それ、それ、それで盗まないというのかえ」と尼は阿Qの懐ろをさした。
「これはお前の物かえ。大根に返辞をさせることが出来るかえ。お前……」
阿Qは言いも完らぬうちに足をもちゃげて馳け出した。追っ馳けて来たのは、一つのすこぶる肥大の黒狗で、これはいつも表門の番をしているのだが、なぜかしらんきょうは裏門に来ていた。黒狗はわんわん追いついて来て、あわや阿Qの腿に噛みつきそうになったが、幸い著物の中から一つの大根がころげ落ちたので、狗は驚いて飛びしさった。阿Qは早くも桑の樹にかじりつき土塀を跨いだ。人も大根も皆垣の外へころげ出した。狗は取残されて桑の樹に向って吠えた。尼は念仏を申した。
尼が狗をけしかけやせぬかと思ったから、阿Qは大根を拾う序に小石を掻き集めたが、狗は追いかけても来なかった。そこで彼は石を投げ捨て、歩きながら大根を噛って、この村もいよいよ駄目だ、城内に行く方がいいと想った。
大根を三本食ってしまうと彼は已に城内行を決行した。
第六章 中興から末路へ
阿Qが再び未荘に現われた時はその年の中秋節が過ぎ去ったばかりの時だ。人々は皆おッたまげて、阿Qが帰って来たと言った。そこで前の事を囘想してみると、彼はいつも城内から帰って来ると非常な元気で人に向って吹聴したもんだが、今度は決してそんなことはなかった。ひょっとすると、彼はお廟の番人に話したかもしれない、未荘のしきたりでは趙太爺と錢太爺ともう一人秀才太爺が城内に行けば問題になるだけで、偽毛唐でさえも物の数にされないのだから、いわんや阿Qにおいてをやだ。だから番人の親爺も彼のために宣伝するはずもないのに、未荘の人達がどうして知っていたのだろう。
だが阿Qの今度の帰りは前とは大に違っていた。確かにはなはだ驚異の値打があった。
空の色が黒くなって来た時、彼は酔眼朦朧として、酒屋の門前に現われた。彼は櫃台の側へ行って、腰の辺から伸した手に一杯握っていたのは銀と銅。櫃台の上にざらりと置き、「現金だぞ、酒を持って来い」と言った。見ると新しい袷を著て、腰の辺には大搭連がどっしりと重みを見せ、帯紐が下へさがって弓状の弧線をなしている。
未荘の仕来りとして誰でもちょっと目覚ましい人物を見出した時、侮るよりもまず敬うのである。現在これが明かに阿Qであると知りながら破れ袷の阿Qとは別々である。古人の言葉に「たとい三日の間でも別れた人に逢った時には目を見張ってその特徴を見出さなければならん」といっている。そういうわけで、ボーイも番頭も見ず知らずのそこらの人も、一種の疑いを持ちながら自然と敬いの態度を現わした。
番頭はまず合点して話しかけた。
「ほう阿Q、お前さん、帰っておいでだね」
「帰って来たよ」
「景気がいいねえ。お前さんは――にいたの……」
「城内に行っていた……」この一つのニウスは二日目に未荘じゅうに伝わった。人々はみな、現金と新しい袷を持っている阿Qの中興史を聴きたく思った。そういうわけで、酒屋の中でも茶館の中でも廟の軒下でも、皆だんだんに探りを入れて聴き出した。その結果阿Qは新奇の畏敬を得た。
阿Qの話では、彼は挙人太爺の家のお手伝をしていた。この一節を聴いた者は皆かしこまった。この老爺は姓を白といい城内切っての挙人であるから改めて姓をいう必要がない。挙人という話が出ればつまり彼である。これは未荘だけでそう言っているのではない、この辺百里の区域の内は皆そうであった。人々はほとんど大抵彼の姓名を挙人老爺だと思っていた。そのお方のお屋敷でお手伝していたのはもちろん敬うべきことである。けれど阿Qの言うとこにゃ、彼はもう行ってやる気はない。この挙人老爺は実に非常な「馬鹿者」だ。この話を聴いた者はみな歎息して嬉しがった。阿Qは挙人老爺の家で働くような人ではないが、働かないのも惜しいこった。
阿Qの話でみると、彼が帰って来たのは城内の人が気に入らぬからであるらしい。これはつまり、長※(「登/几」、第4水準2-3-19)(長床几)を条※(「登/几」、第4水準2-3-19)ということや、葱の糸切を魚の中に入れたり、そのうえ近頃見つけ出した欠点は、女の歩き方がいやにねじれてはなはだよくない。しかしまた大に敬服すべき方面もある。早い話が未荘の田舎者は三十二枚の竹牌(牌の目の二面を以て成立った牌)を打つだけのことで、麻将を知っている者は偽毛唐だけであるが、城内では小さな餓鬼までが皆よく知っている。なんだって偽毛唐が、城内の十歳そこそこの子供の手の中に入ってしまうのか。これこそ「小鬼が閻魔様と同資格で会見する」様なもので、聴けば赤面の到りだ。「てめえ達は、首斬を見たことがあるめえ」と阿Qは言った。「ふん、見てくれ、革命党を殺すなんておもしれえもんだぜ」
彼は首をふると、ちょうどまん中にいた趙司晨の顔の上に唾がはねかかった。この一言に皆の者はぞっとした。だが阿Qは一向平気であたりを見廻し、たちまち右手をあげて、折柄頸を延して聴き惚れている王※[#「髟/胡」、157-4]のぼんのくぼを目蒐けて、打ちおろした。
「ぴしゃり!」
王※[#「髟/胡」、157-6]は驚いて跳び上り稲妻のような速力で頸を縮めた。見ていた人達は気味悪くもあり、おかしくもあった。それからというものは王※[#「髟/胡」、157-7]の馬鹿野郎、ずいぶん長い間、阿Qの側へは近寄らなかった。ほかの人達もまた同じようであった。
阿Qはこの時、未荘の人の眼の中の見当では、趙太爺以上には見えないが、たいていおつかつの偉さくらいに思われていたといっても、さしたる語弊はなかろう。
そうこうする中にこの阿Qの評判は、たちまち未荘の女部屋の奥に伝わった。未荘では錢趙両家だけが大家で、その他はたいてい奥行が浅かった。けれども女部屋はつまり女部屋であるから一つの不思議と言ってもいい。女どもは寄るとさわるときっとその話をした。鄒七嫂が阿Qの処から買った一枚のお納戸絹の袴は古いには違いないが、たった九十仙だった。趙白眼の母親も――一説には趙司晨の母親だということだが、それはどうかしらん――彼女もまた一枚の子供用の真赤な瓦斯織の単衣物を買ったが、まだちょっと手を通したばかりの物がたった三百大銭の九二串であった。
そこで彼等は眼を皿のようにして阿Qを見た。絹袴が無い時には、絹袴の出物は無いかと彼に訊ねてみたく思った。瓦斯織の単衣がほしい時には、瓦斯織の単衣の出物は無いかと彼に訊ねてみたく思った。今度は阿Qを見ても逃げ込まないで、かえって阿Qのあとを追馳けて、袖を引止めた。
「阿Q、お前はもっと外に絹袴を持っているだろう。え、無いって。わたしは単衣物もほしいんだよ。あるだろう」
あとではこの様なことが、端近い女部屋から終に奥深い女部屋に伝わった。鄒七嫂は嬉しさの余り彼の絹袴を趙太太の処へ持って行ってお目利きをねがった。趙太太はまたこれを趙太爺に告げて一時すこぶる真面目になって話をしたので、趙太爺は晩餐の卓上秀才太爺(息子)と討論した。阿Qは全くどうも少し怪しい。われわれの戸締もこれから注意しなければならんが、しかし彼の品物で、まだ買ってやっていいようなものがあるかもしれないと想った。殊に趙太太は直段が安くて品物がいい皮の袖無しが欲しいと思っていた時だから、遂に家族は決議して鄒七嫂にたのんで阿Qをすぐに喚んで来いと言った。かつこれがために第三の例外をひらいてこの晩特にしばらく燈をつけることを許された。
油は残り少くなったが阿Qはまだ到著しなかった。趙家の内の者は皆待ち焦れて、欠伸をして阿Qの気紛れを恨み、鄒七嫂のぐうたらを怨んだ。趙太太は春の一件があるので来ないかもしれないと心配したが、趙太爺は、そんなことはない、乃公がよべばきっと来ると思った。果して趙太爺の見識は高かった。阿Qは結局鄒七嫂のあとへ跟いて来た。
「この人はただ無い無いとばかし言っているんですが、そんならじかに話してくれとわたしは言ったんです。彼は何とかいうにちがいありません。わたしも言います――」鄒七嫂は息をはずませていた。
「太爺!」阿Qは薄笑いしながら簷下に立っていた。
「阿Q、お前、だいぶんお金を儲けて来たという話だが」と趙太爺はそろそろ近寄って阿Qの全身を目分量した。
「何しろ結構なこった。そこで……噂によるとお前は古著をたくさん持っているそうだが、ここへ持って来て見せるがいい……外でもない、乃公も欲しいと思っているんだ……」
「鄒七嫂にも話した通りですが、皆売切れました」
「売切れた!」趙太爺の声は調子が脱れた。「どうしてそんなに早く売切れたのだ!」
「あれは友達の物で、品数もあんまり多くは無いのですが、少しばかり分けてやったんです」
「そんなことを言っても、まだいくらかあるに違いない」
「たった一枚幕が残っております」
「幕でもいいかた持って来てお見せ」と趙太太は慌てて言った。
「そんな物はあしたでもいいや」趙太爺はさほど熱心でもなかった。「阿Q、これからなんでも品物がある時には、まず、乃公の処へ持って来て見せるんだぞ」
「値段は決してほかの家よりすくなく出すことはない」秀才は言った。
秀才の奥さんはチラリと阿Qの顔を見て彼が感動したかどうかを窺った。
「わたしは皮の袖無しが一枚欲しいのだが」と趙太太は言った。
阿Qは応諾しながらも不承々々に出て行ったから、気にとめているかどうかしらん。これは趙太爺を非常に失望させ、腹が立って気掛りで欠伸がとまってしまうくらいであった。秀才太爺も阿Qの態度に非常な不平を抱き、この「忘八蛋」警戒する必要がある。いっそ村役人に吩咐けてこの村に置かないことにしてやろうと言ったが、趙太爺は、そりゃ好くないことだと思った。そうすれば怨みを受けることになる。ましてああいうことをする奴は大概「老いたる鷹は、巣の下の物を食わない」のだから、この村ではさほど心配するには及ぶまい。ただ自分の家だけ夜の戸締を少々厳重にしておけばいい。
秀才もこの「庭訓」には非常に感心してすぐに阿Q追放の提議を撤囘し、また鄒七嫂にも言い含めて、決してこのようなことを人に洩らしてくれるな、と言った。
けれど鄒七嫂は次の日あの藍袴を黒色に染め替えて阿Qの疑うべき節を言い布らして歩いた。確かに彼女は秀才の阿Q駆逐の一節を持ち出さなかったが、これだけでも阿Qに取っては非常に不利益であった。最先きに村役人が尋ねて来て、彼の幕を奪った。阿Qは趙太太に見せる約束をしたと言ったが、村役人はそれを返しもせずになお毎月何ほどかの附届けをしろと言った。それから村の人も彼に対してたちまち顔付を改めた。疎略なことはするわけもないがかえってはなはだ遠ざかる気分があった。この気分は前に彼が酒屋の中で「ぴしゃり」と言った時の警戒とは別種のものであった。「敬して遠ざかる」ような分子がずいぶん多まじっていた。
閑人の中には阿Qの奥底を根掘り葉掘り探究する者があった。阿Qは包まず隠さず自慢らしく彼の経験談をはなした。
阿Qは小さな馬の脚に過ぎなかった。彼は垣の上にあがることも出来なければ、洞の中に潜ることも出来なかった。ただ外に立って品物を受取った。ある晩彼は一つの包を受取って相棒がもう一度入ると、まもなく中で大騒ぎが始まった。彼はおぞけをふるって逃げ出し、夜どおし歩いて終に城壁を乗り越え未荘に帰って来た。彼はこんなことは二度とするものでないと誓った。この弁明は阿Qに取ってはいっそう不利益であった。村の人の阿Qに対して「敬して遠ざかる」ものは仕返しがこわいからだ、ところが彼はこれから二度と泥棒をしない泥棒に過ぎないのだ。してみると「これもまた畏るるに足らない」ものだった。
第七章 革命
宣統三年九月十四日――すなわち阿Qが搭連を趙白眼に売ってやったその日――真夜中過ぎに一つの大きな黒苫の船が趙屋敷の河添いの埠頭に著いた。この船は黒暗の中に揺られて来た。村人はぐっすり寝込んでいたので、皆知らなかった。出て行く時は明け方近かったがそれがかえって人目を引いた。こっそり調べ出した結果に拠ると、船は結局挙人老爺の船であると知れた。
この船はとりもなおさず大不安を未荘に運んでくれて、昼にもならぬうちに全村の人心は非常に動揺した。船の使命はもとより趙家の極秘であったが、茶館や酒屋の中では、革命党が入城するので、挙人老爺がわれわれの田舎に避難して来たと、皆言った。ただ鄒七嫂だけはそうとは言わず、あれは詰らぬガラクタ道具や襤褸著物を入れた箱で挙人老爺が保管を頼んで来たが、趙太爺が突返してしまったんですと言った。実際挙人老爺と趙秀才はもとからあんまり仲のいい方ではないので「しん身の泣き寄り」などするはずがない。まして鄒七嫂は趙家の隣にいるので見聞が割合に確実だ。だから大概彼女の言うことには間違いがない。
そういうものの、謡言はなかなか盛んだ。挙人老爺は自身来たわけではないが長い手紙を寄越して趙家と「仲直り」をしたらしい。趙太爺は腹の中が一変して、どうしても彼に悪い処がないと感じたので箱を預り、現に趙太太の床の下を塞いでいる。革命党のことについては、彼等はその晩城に入って、どれもこれも白鉢巻、白兜で、崇正皇帝の白装束を著ていたという。
阿Qの耳朶の中にも、とうから革命党という話を聞き及んで、今年また眼ぢかに殺された革命党を見た。彼はどこから来たかしらん、[#「、」は底本では「。」]一種の意見を持っていた。革命党は謀反人だ、謀反人は俺はいやだ、悪むべき者だ、断絶すべき者だ、と一途にこう思っていた。ところが百里の間に名の響いた挙人老爺がこの様に懼れたときいては、彼もまたいささか感心させられずにはいられない。まして村鳥のような未荘の男女が慌て惑う有様は、彼をしていっそう痛快ならしめた。
「革命も好かろう」と阿Qは想った。
「ここらにいる馬鹿野郎どもの運命を革めてやれ。恨むべき奴等だ。憎むべき奴等だ……そうだ、乃公も革命党に入ってやろう」
阿Qは近来生活の費用に窘しみ内々かなりの不平があった。おまけに昼間飲んだ空き腹の二杯の酒が、廻れば廻るほど愉快になった。そう思いながら歩いていると、身体がふらりふらりと宙に浮いて来た。どうした機か、ふと革命党が自分であるように思われた。未荘の人は皆彼の俘虜となった。彼は得意のあまり叫ばずにはいられなかった。
「謀反だぞ、謀反だぞ」
未荘の人は皆恐懼の眼付で彼を見た。こういう風な可憐な眼付は、阿Qは今まで見たことがなかった。ちょっと見たばかりで彼は六月氷を飲んだようにせいせいした。彼はいっそう元気づいて歩きながら怒鳴った。
「よし、……乃公がやろうと思えばやるだけの事だ。乃公が気に入った奴は気に入った奴だ。
タッタ、ヂャンヂャン。
後悔するには及ばねえ。酔うて錯り斬る鄭賢弟。
後悔するには及ばねえ。ヤーヤーヤー………
タッタ、ヂャンヂャン、ドン、ヂャラン、ヂャン。
乃公は鉄の鞭でてめえ達を叩きのめすぞ……」
趙家の二人の旦那と本家の二人の男は、表門の入口に立って革命のことで大論判していた。阿Qはそれに目も呉れず頭をもちゃげてまっすぐに過ぎ去った。
「ドンドン……」
「Qさま」と趙太爺はおずおずしながら小声で彼を喚びとめた。
「ヂャンヂャン」阿Qは彼の名前の下に、「さま」という字が繋がって来ようとは、まさか思いも依らなかった[#「依らなかった」は底本では「依ら「なかった」]。これは外の話で自分と関係がないと思ったから、ただ「ドンチャン、ドンチャン、ヂャラン、ヂャンヂャン」と言っていた。
「Qさん」
「思切ってやっつけろ……」
「阿Q!」秀才は仕方なしにもとの通りにその名を喚んだ。
阿Qはようやく立ちどまって首をかしげて訊いた。「なんだね」
「Qさま……当節は……」と趙太爺は口を切ったが、言い出す言葉もなかった。「当節は……素晴らしいもんだね」
「素晴らしいと? あたりまえよ。何をしようが乃公の勝手だ」
「……Q、わしのような貧乏仲間は大丈夫だろうな」と趙白眼はこわごわ訊いた。革命党の口振りを探るつもりであったらしい。
「貧乏仲間? てめえは乃公より金があるぞ」阿Qはそう言いながらすぐに立去った。
みんな萎れ返って物も言わない。趙家の親子は家に入って灯ともしごろまで相談した。趙白眼も家に帰るとすぐに腰のまわりの搭連をほどいて女房に渡し、[#「渡し、」は底本では「渡し」]箱の中に蔵めた。
阿Qは一通りぶらぶら飛び廻って土穀祠に帰って来ると、もう酔は醒めてしまった。
その晩、廟祝の親父も意外の親しみを見せて阿Qにお茶を薦めた。阿Qは彼に二枚の煎餅をねだり、食べてしまうと四十匁蝋燭の剰り物を求めて燭台を借りて火を移し、自分の小部屋へ持って行ってひとり寝た。彼は言い知れぬ新しみと元気があった。蝋燭の火は元宵(正月)の晩のようにパチパチと撥ね迸ったが、彼の思想も火のように撥ね迸った。
「謀反? 面白いな……来たぞ来たぞ。一陣の白鉢巻、白兜、革命党は皆ダンビラをひっさげて鋼鉄の鞭、爆弾、大砲、菱形に[#「菱形に」は底本では「萎形に」]尖った両刃の劒、鎖鎌。土穀祠の前を通り過ぎて『阿Q、一緒に来い』と叫んだ。そこで乃公は一緒に行く、この時未荘の村烏、一群の男女こそは、いかにも気の毒千万だぜ。『阿Q、命だけはどうぞお赦し下さいまし』誰が赦してやるもんか。まず第一に死ぬべき奴は小Dと趙太爺だ。その外秀才もある。偽毛唐もある。……残る奴ばらは何本ある? 王なんて奴は残してやるべき筋合の者だが、まあどうでもいいや……」
「品物は……すぐに入り込んで箱を開けるんだ。元宝、銀貨、[#「銀貨、」は底本では「銀貨」]モスリンの著物……秀才婦人の寝台をまずこの廟の中へ移して、そのほか錢家の卓と椅子。あるいは趙家の物でもいい。自分は懐ろ手して小Dなどは顎でつかい、おい、早くやれ。愚図々々するとぶんなぐるぞ」
「趙司晨の妹はまずい。鄒七嫂の小娘は二三年たってから話をしよう。偽毛唐の女房は辮子の無い男と寝てやがる、はッ、こいつはたちが好くねえぞ。秀才の女房は眼蓋の上に疵がある――しばらく逢わないが呉媽はどこへ行ったかしらんて……惜しいことにあいつ少し脚が太過ぎる」
阿Qは彼の胸算用がすっかり片づかぬうちにもう鼾をかいた。四十匁蝋燭は燃え残って五分ほどになり、赤々と燃え上る火光は、彼の開け放しの口を照した。
「すまねえ、すまねえ」阿Qはたちまち大声上げて起き上った。頭を挙げてきょろきょろあたりを見廻して四十匁蝋燭に目をつけると、すぐにまた頭をおろして睡ってしまった。
次の日彼は遅く起きて往来に出てみたが、何もかも元の通りであった。彼はやっぱり肚が耗っていた。彼は何か想っていながら想い出すことが出来なかった。たちまち何かきまりがついたような風で、のそりのそりと大跨に歩き出した。そうして有耶無耶のうちに靜修庵についた。
庵は春の時と同じような静けさであった。白壁と黒門、彼はちょっと思案して前へ行って門を叩いた。一疋の狗が中で吠えた。彼は急いで瓦のカケラを拾い上げ、もう一度前へ行って、今度は力任せにぶっ叩いて黒門の上に幾つも痘瘡が出来た時、ようやく人の出て来る足音がした。
阿Qは慌てて瓦を持ちなおし馬のように足をふんばって、黒狗と開戦の準備をした。だが庵門はただ一すじの透間をあけたのみで、黒狗が飛び出すことはないと見たので、近寄って行くと、そこに一人の老いたる尼がいた。
「お前はまた来たのか。何の用だえ」と尼は呆れ返っていた。
「革命だぞ。てめえ知っているか」と阿Qは口籠った。
「革命、革命とお言いだが、革命は一遍済んだよ。……お前達は何だってそんな騒ぎをするんだえ」尼は眼のふちを赤くしながら言った。
「何だと?」阿Qは訝った。
「お前はまだ知らないのだね。あの人達はもう革命を済ましたよ」
「誰だ?」阿Qは更に訝った。
「秀才と偽毛唐さ」
阿Qは意外のことにぶっつかってわけもなく面喰った。尼は彼の出鼻をへし折って隙さず門を閉めた。阿Qはすぐに押し返したが固く締っていた。もう一度叩いてみたが返辞もしない。
これもやっぱりその日の午前中の出来事だった。機を見るに敏なる趙秀才は革命党が城内に入ったと聞いて、すぐに辮子を頭の上に巻き込み、今までずっと仲悪で通したあの錢毛唐の処へ御機嫌伺いに行った。これは「みなともに維れ新たなり」の時であるから、彼等は話が弾んで立ちどころに情意投合の同志となり、互に相約して革命に投じた。
彼等はいろいろ想い廻して、やっと想い出したのは靜修庵の中の「皇帝万歳万、万歳!」の一つの竜牌だ。これこそすぐにも革擲すべきものだと思ったから、二人は時を移さず靜修庵に行くと、老いたる尼が邪魔をしたので、彼等は尼を満州政府と見做し、頭の上に少からざる棍棒と鉄拳を加えた。尼は彼等が帰ったあとで気を静めてよく見ると、竜牌はすでに已に砕けて地上に横たわっているのはもっともだが、観音様の前にあった一つの宣徳炉が見当らないのが不思議だ。
阿Qはあとでこの事を聞いてすこぶる自分の朝寝坊を悔んだ。それにしても彼等が阿Qを誘わなかったのは奇ッ怪千万である。阿Qは一歩退いて考えた。
「彼等が、今まで知らずにいるはずはない。阿Qは已に革命党に投じているのじゃないか」
第八章 革命を許さず
未荘の人心は日々に安静になり、噂に拠れば革命党は城内に入ったが、何も格別変ったことがない。知県様はやっぱり元の位置にいて何か名目が変っただけだ。挙人老爺は何になったか――これ等の名目は未荘の人には皆わからなかった。――お上が兵隊を連れて来ることは、これも前からいつもあることで、格別不思議なことでもないが、ただ一つ恐ろしいのは、ほかに幾らか不良分子が交っていて内部の擾乱を計っていることだ。そうして二言目には手を動かして辮子を剪った。聴けば隣村の通い船を出す七斤は途中で引掴まって、人間らしくないような体裁にされてしまったが、それさえ大した恐怖の数に入らない。未荘の人は本来城内に行くことは少いのに、たまたま行く用事があっても差控えてしまうから、この危険にぶつかる者も少い。阿Qも城内に行って友達に逢いたいと思っていたが、この話を聞くとやめなければならない。
だが未荘の人も改革なしでは済まされなかった。幾日の後、辮子を頭に巻込む者が逐漸増加した。手ッ取り早く言うと一番最初が茂才公だ。その次が趙司晨と趙白眼だ。後では阿Qだ。これがもし夏ならば、辮子を頭の上に巻込み、あるいは一つのかたまりにするのはもとより何も珍らしい事ではないが、今は秋の暮で、この特別の歳時記が行われたのは、辮子を巻込んだ連中に取っては非常な英断と言わなければならない。未荘としてはこれもまた改革の一つでないということは出来ない。
趙司晨は頭の後ろを空坊主にして歩いた。これを見た人は大きな声を出して言った。
「ほう、革命党が来たぞ」
阿Qは非常に羨しく思った。彼はとうから秀才が辮子をわがねたというニウスを聞いていたが、自分がその様な事をしていいかという事について少しも思い及ばなかった。現在趙司晨がこうなってみると、急に真似てみたくなって実行の決心をきめた。彼は一本の竹箸に辮子を頭の上にわがね、しばらくためらっていたが、思切って外へ出た。
彼が往来に出ると、人は皆彼を見るには見るが何にも言わない。阿Qは初め不快に感じてあとになるとだんだん不平が高じて来た。彼は近頃怒りッぽくなった。実際彼の生活は謀叛前よりはよほど増しだ。人は彼を見ると遠慮して、どこの店でも現金は要らないという、だが阿Qは結局少からざる失望を感じた。もう革命を済ましたのに、こんなわけはないはずだ。そうして一度小Dを見るといよいよ彼の肚の皮が爆発した。
小Dもまた頭の上に辮子をわがねた。しかもかつあきらかに一本の竹箸を挿していた。阿Qはこんなことを彼が仕出かそうとは全く思いも依らぬことだった。自分としてもまた彼がこのような事するのは決して許されない。小Dは何者だろう? 阿Qはすぐにも小Dに引掴んで、彼の竹箸を捻じ折り、彼の辮子をほかして、うんと横面を引ッぱたいて、彼が生年月日時の八字を忘れ、図々しくも革命党に入って来た罪を懲らしめてやりたくなって溜らなくなったが、結局それも大目に見て、ベッと唾を吐き出し、ただ睨みつけていた。
この幾日の間、城内に入ったのは偽毛唐一人だけであった。趙秀才は箱を預ったことから、自身挙人老爺を訪問したくは思っていたが、辮子を剪られる危険があるので中止した。彼は一封の「黄傘格」の手紙(柿渋引の方罫紙?)を書いて、偽毛唐に託して城内に届けてもらい、自分を自由党に紹介してくれと頼んだ。偽毛唐が帰って来た時には、秀才は四元の銀を払って胸の上に銀のメダルを掛けた。未荘の人は皆驚嘆した。これこそ柿油党(自由と同音、柿渋は防水のため雨傘に引く、前の黄傘格に対す)の徽章で翰林を抑えつけたんだと思っていた。趙太爺は俄に肩身が広くなり倅が秀才に中った時にも増して目障りの者が無い。阿Qを見ても知らん顔をしている。
阿Qは不平の真最中に時々零落を感じた。銀メダルの話を聴くと彼はすぐに零落の真因を悟った。革命党になるのには、投降すればいいと思っていたが、それが出来ない。辮子を環ねればいいと思ったがそれも駄目だ。第一、革命党に知合がなければいけないのだが、彼の知っている革命党はたった二つしか無かった。その一つは城内でバサリとやられてしまった。今はただ偽毛唐一人を知っているだけで、その毛唐の処へ、相談に行くより外は無かった。
錢家の大門は開け拡げてあった。阿Qは、おっかなびっくり入って行った。彼は中へ入りかけて非常に驚いたのは、偽毛唐がちょうど広場のまん中に突立って、真黒な洋服を著て、銀メダルを附けて、手にはかつて阿Qを懲らしめたステッキを持って、一尺余りの辮子を披いて方の上に振り下げ、まるで蓬々髪の劉海仙人のような恰好で立っていたのだ。向き合って立っていたのは、趙白眼の外三人の閑人で、ちょうど今恭々しくお話を伺っているところだ。
阿Qはこっそり近寄って趙白眼の後ろに立ち、心の中ではお引立に預かろうと思っているんだが、さて何と言ったらいいものか、言い出す言葉を知らなかった。
彼を偽毛唐というのはもとより好くないことだ。西洋人も穏かでない。革命党も穏かでない。洋先生といえばあるいはいいかもしれない。
洋先生は眼を白黒して、ちょうど講義の真最中であったから、阿Qに眼も呉れない。
「乃公はせっかちだから顔を見るとすぐに言った。洪君! われわれは著手しよう。しかし彼は結局 No と言った。これは洋語だからお前達には分らない。そうでなければもっと早く成功したんだぞ。とにかく、これは彼が大事を取って仕事をした方面なんだ。彼等は再三再四湖北に行ってくれと乃公に頼んだが、乃公はそれでも承知しないくらいだ。誰がこんな小っぽけな県城の中で事を起そうと願う奴があるもんか……」
「えーと、こーつ」阿Qは彼の話が途切れたひまに精一杯の勇気を振起して口をひらいた。だが、どうしたわけか洋先生と、彼を喚ぶことが出来なかった。
話を聴いていた四人の者は喫驚して阿Qの方を見た。洋先生もようやく彼に目をとめた。
「何だ」
「わたし……」
「出て行け」
「わたしも……に入りたい」
「生意気いうな。ころがり出ろ」と洋先生は人泣かせ棒を振上げた。
趙白眼と閑人は口を揃えて怒鳴った。
「先生がころがり出ろと被仰るのに、てめえは肯かねえのか」
阿Qは頭の上に手を翳して、覚えず知らず門外に逃げ出した。洋先生は追い馳けても来なかった。阿Qは六十歩余りも馳け出してようやく歩みを弛め心の中で憂愁を感じた。洋先生が彼に革命を許さないとすると、外に仕様がない。これから決して白鉢巻、白兜の人が彼を迎えに来るという望を起すことが出来ない。彼が持っていた抱負、志向、希望、前途がただ一筆で棒引されてしまった。閑人のお布れが行届いて、小D、王※[#「髟/胡」、175-12]などに話の種を呉れたのは、やっぱり今度の事であった。
彼はこのような所在なさを感じたことは今まで無いように覚えた。彼は自分の辮子を環ねたことについて[#「ことについて」は底本では「ことついて」]無意味に感じたらしく、侮蔑をしたくなって復讎の考から、立ちどころに辮子を解きおろそうとしたが、それもまた遂にそのままにしておいた。彼は夜になって遊びに出掛け、二杯の酒を借りて肚の中に飲みおろすと、だんだん元気がついて来て、思想の中に白鉢巻、白兜のカケラが出現した。
ある日のことであった。彼は常例に依り夜更けまでうろつき廻って、酒屋が戸締をする頃になってようやく土穀祠に帰って来た。
「パン、パン」
彼はたちまち一種異様な音声をきいたが爆竹では無かった。一たい彼は賑やかな事が好きで、下らぬことに手出しをしたがる質だから、すぐに暗の中を探って行くと、前の方にいささか足音がするようであった。彼は聴耳立てていると、いきなり一人の男が向うから逃げて来た。彼はそれを見るとすぐに跡に跟いて馳け出した。その人が曲ると阿Qも曲った。曲ってしまうとその人は立ちどまった。阿Qもまた立ちどまった。阿Qは後ろを見ると何も無かった。そこで前へ向って人を見ると小Dであった。
「何だ」阿Qは不平を起した。
「趙……趙家がやられた。[#「。」は底本では「。。」]掠奪……」小Dは息をはずませていた。
阿Qも胸がドキドキした。小Dはそう言ってしまうと歩き出した。阿Qはいったん逃げ出したものの、結局「その道の仕事をやった」事のある人だから殊の外度胸が据った。彼は路角に躄り出て、じっと耳を澄まして聴いていると何だかざわざわしているようだ。そこでまたじっと見澄ましていると白鉢巻、白兜の人が大勢いて、次から次へと箱を持出し、器物を持出し、秀才夫人の寧波寝台をもち出したようでもあったがハッキリしなかった。
彼はもう少し前へ出ようとしたが両脚が動かなかった。
その夜は月が無かった。未荘は暗黒の中に包まれてはなはだしんとしていた。しんとしていて羲皇の頃のような太平であった。阿Qは立っているうちにじれったくなって来たが、向うではやはり前と同じように、往ったり来たりしているらしく、箱を持ち出したり器物を持ち出したり、秀才夫人の寧波寝台を持ち出したり……
持ち出したと言っても、彼は自分でいささか自分の眼を信じなかった。それでも一歩前へ出ようとはせず、結局自分の廟の中に帰って来た。
土穀祠の中は、いっそうまっ闇だった。彼は大門をしっかり締めて、手探りで自分の部屋に入り、横になって考えた。こうして気を静めて自分の思想の出どころを考えてみると、白鉢巻、白兜の人は確かに著いたが、決して自分を呼び出しには来なかった。いろんないい品物は運び出されたが、自分の分け前はない。これは全く偽毛唐が悪いのだ。彼は乃公に謀叛を許さない。謀叛を許せば、今度乃公の分け前がないことはないじゃないか? 阿Qは思えば思うほど、イライラして来て耐え切れず、おもうさま怨んで毒々しく罵った。
「乃公には謀叛を許さないで、自分だけが謀叛するんだな。馬鹿、偽毛唐! よし、てめえが謀叛する。謀叛すれば首が無いぞ。乃公はどうしても訴え出てやる。てめえが県内に引廻されて首の無くなるのを見てやるから覚えていろ。一家一族皆殺しだ。すぱり、すぱり」
第九章 大団円
趙家が掠奪に遭ってから、未荘の人は大抵みな小気味よく思いながら恐慌を来した。阿Qもまたいい気味だと思いながら内々恐れていると、四日過ぎての真夜中に彼はたちまち城内につまみ出された。その時はしんの闇夜で、一隊の兵士と一隊の自衛団と一隊の警官と五人の探偵がこっそり未荘に到著して闇に乗じて土穀祠を囲み、門の真正面に機関銃を据えつけたが、阿Qは出て来なかった。
しばらくの間、様子が皆目知れないので、彼等は焦らずにはいられなかった。そこで二万銭の賞金を懸けて二人の自衛団が危険を冒してやっとこさと垣根を越えて、内外相応じて一斉に闖入し、阿Qを抓み出して廟の外の機関銃の左側に引据えた。その時彼はようやくハッキリ眼が醒めた。
城内に著いた時には已に正午であった。阿Qは自分で自分を見ると、壊れかかったお役所の中に引廻され、五六遍曲ると一つの小屋があって、彼はその中へ押し込められた。彼はちょっとよろけたばかりで、丸太を整列した門が彼の後ろを閉じた。その他の三方はキッタテの壁で、よく見ると室の隅にもう二人いた。
阿Qはずいぶんどぎまぎしたが、決して非常な苦悶ではなかった。それは土穀祠の彼の部屋はこの部屋よりも決してまさることは無かったからだ。そこにいた二人は田舎者らしく、だんだん懇意になって話してみると、一人は挙人老爺の先々代に滞っていた古い地租の追徴であった。もう一人は何のこったか好く解らなかった。彼等は阿Qにわけを訊くと、阿Qは臆面なく答えた。「乃公は謀叛を起そうと思ったからだ」
阿Qは午後から丸太の門の外へ引きずり出され大広間に行った。正面の高いところにくりくり坊主の親爺が一人坐していた。阿Qはこの人は坊さんかもしれないと思って、下の方を見ると、兵隊が整列して、両側に長い著物を著た人が十幾人も立っていた。その中にはイガ栗坊主の親爺もいるし、一尺ばかり髪を残して後ろの方に披いていた偽毛唐によく似た奴もあった。彼等は皆同じような仏頂面で目を怒らして阿Qを見た。阿Qはこりゃあきっとお歴々に違いないと思ったから、膝の関節が自然と弛んでべたりと地べたに膝をついた。
「立って物を言え、膝を突くな」と長い著物の人は一斉に怒鳴った。
阿Qは承知はしているが、どうしても立っていることが出来ない。我れ知らず身体が縮こまってその勢に押されて揚句の果ては膝を突いてしまう。
「奴隷根性!……」と長い著物を著た人はさげすんでいたようだが、その上立てとも言わなかった。
「お前は本当にやったんだろうな。ひどい目に遭わぬうちに言ってしまえ。乃公はもうみんな知っているぞ。やったならそれでいい。放してやる。」とくりくり坊主の親爺は、阿Qの顔を見詰めて物柔かにハッキリ言った。
「やったんだろう」と長い著物を著た人も大声で言った。
「わたしはとうから……来ようと思っていたんです……」阿Qはわけも分らず一通り想い廻して、やっとこんな言葉をキレギレに言った。
「そんならなぜ来なかったの」と親爺はしんみりと訊いた。
「偽毛唐が許さなかったんです」
「※(「言+虚」、第4水準2-88-74)を吐け。この場になってもう遅い。お前の仲間は今どこにいる」
「何でげす?」
「あの晩、趙家を襲った仲間だ」
「あの人達は、わたしを喚びに来ません。あの人達は、自分で運び出しました」阿Qはその話が出ると憤々した。
「持ち出してどこへ行ったんだ。話せば赦してやるよ」親爺はまたしんみりとなった。
「わたしは知りません。……あの人達はわたしを呼びに来ません」
そこで親爺は目遣いをした。阿Qはまた丸太格子の中に抛り込まれた。彼が二度目に同じ格子の中から引きずり出されたのは二日目の午前であった。
大広間の模様は皆もとの通りで、上座には、やはりくりくり坊主の親爺が坐して、阿Qは相変らず膝を突いていた。
親爺はしんみりときいた。「お前はほかに何か言うことがあるか」
阿Qはちょっと考えてみたが、別に言う事もないので「ありません」と答えた。
そこで一人の長い著物を著た人は、一枚の紙と一本の筆を持って、阿Qの前に行き、彼の手の中に筆を挿し込もうとすると、阿Qは非常におったまげて魂も身に添わぬくらいに狼狽した。彼の手が筆と関係したのは今度が初めてで、どう持っていいか全くわからない。するとその人は一箇所を指して花押の書き方を教えた。
「わたし、……わたしは……字を知りません」阿Qは筆をむんずと掴んで愧かしそうに、恐る恐る言った。
「ではお前のやりいいように丸でも一つ書くんだね」
阿Qは丸を書こうとしたが筆を持つ手が顫えた。そこでその人は彼のために紙を地上に敷いてやり、阿Qはうつぶしになって一生懸命に丸を書いた。彼は人に笑われちゃ大変だと思って正確に丸を書こうとしたが、悪むべき筆は重く、ガタガタ顫えて、丸の合せ目まで漕ぎつけると、ピンと外へ脱れて瓜のような恰好になった。
阿Qは自分の不出来を愧かしく思っていると、その人は一向平気で紙と筆を持ち去り、大勢の人は阿Qを引いて、もとの丸太格子の中に抛り込んだ。
彼は丸太格子の中に入れられても格別大して苦にもしなかった。彼はそう思った。人間の世の中は大抵もとから時に依ると、抓み込まれたり抓み出されたりすることもある。時に依ると紙の上に丸を書かなければならぬこともある。だが丸というものがあって丸くないことは、彼の行いの一つの汚点だ。しかしそれもまもなく解ってしまった、孫子であればこそ丸い輪が本当に書けるんだ。そう思って彼は睡りに就いた。
ところがその晩挙人老爺はなかなか睡れなかった。彼は少尉殿と仲たがいをした。挙人老爺は贓品の追徴が何よりも肝腎だと言った、少尉殿はまず第一に見せしめをすべしと言った。少尉殿は近頃一向挙人老爺を眼中に置かなかった。卓を叩き腰掛を打って彼は説いた。
「一人を槍玉に上げれば百人が注意する。ねえ君! わたしが革命党を組織してからまだ二十日にもならないのに、掠奪事件が十何件もあってまるきり挙らない。わたしの顔がどこに立つ? 罪人が挙っても君はまだ愚図々々している。これが旨く行かんと乃公の責任になるんだよ」
挙人老爺は大に窮したが、なお頑固に前説を固持して贓品の追徴をしなければ、彼は即刻民政の職務を辞任すると言った。けれど少尉殿はびくともせず、「どうぞ御随意になさいませ」と言った。
そこで挙人老爺はその晩とうとうまんじりともしなかったが、翌日は幸い辞職もしなかった。
阿Qが三度目に丸太格子から抓み出された時には、すなわち挙人老爺が寝つかれない晩の翌日の午前であった。彼が大広間に来ると上席にはいつもの通り、くりくり坊主の親爺が坐っていた。阿Qもまたいつもの通り膝を突いて下にいた。親爺はいとも懇ろに尋ねた。「お前はまだほかに何か言うことがあるかね」
阿Qはちょっと考えたが別に言うこともないので、「ありません」と答えた。
長い著物を著た人と短い著物を著た人が大勢いて、たちまち彼に白金巾の袖無しを著せた。上に字が書いてあった。阿Qははなはだ心苦しく思った。それは葬式の著物のようで、葬式の著物を著るのは縁喜が好くないからだ。しかしそう思うまもなく彼は両手を縛られて、ずんずんお役所の外へ引きずり出された。
阿Qは屋根無しの車の上に舁ぎあげられ、短い著物の人が幾人も彼と同座して一緒にいた。
この車は立ちどころに動き始めた。前には鉄砲をかついだ兵隊と自衛団が歩いていた。両側には大勢の見物人が口を開け放して見ていた。後ろはどうなっているか、阿Qには見えなかった。しかし突然感じたのは、こいつはいけねえ、首を斬られるんじゃねえか。
彼はそう思うと心が顛倒して二つの眼が暗くなり、耳朶の中がガーンとした。気絶をしたようでもあったが、しかし全く気を失ったわけではない。ある時は慌てたが、ある時はまたかえって落著いた。彼は考えているうちに、人間の世の中はもともとこんなもんで、時に依ると首を斬られなければならないこともあるかもしれない、と感じたらしかった。
彼はまた見覚えのある路を見た。そこで少々変に思った。なぜお仕置に行かないのか。彼は自分が引廻しになって皆に見せしめられているのを知らなかった。しかし知らしめたも同然だった。彼はただ人間世界はもともと大抵こんなもんで、時に依ると引廻しになって皆に見せしめなければならないものであるかもしれない、と思ったかもしれない。
彼は覚醒した。これはまわり道してお仕置場にゆく路だ。これはきっとずばりと首を刎ねられるんだ。彼はガッカリしてあたりを見ると、まるで蟻のように人が附いて来た。そうして図らずも人ごみの中に一人の呉媽を発見した。ずいぶんしばらくだった。彼女は城内で仕事をしていたのだ。彼はたちまち非常な羞恥を感じて我れながら気が滅入ってしまった。つまりあの芝居の歌を唱う勇気がないのだ。彼の思想はさながら旋風のように、頭の中を一まわりした。「若寡婦の墓参り」も立派な歌ではない。「竜虎図」の「後悔するには及ばぬ」も余りつまらな過ぎた。やっぱり「手に鉄鞭を執ってキサマを打つぞ」なんだろう。そう思うと彼は手を挙げたくなったが、考えてみるとその手は縛られていたのだ。そこで「手に鉄鞭を執り」さえも唱えなかった。
「二十年過ぎればこれもまた一つのものだ……」阿Qはゴタゴタの中で、今まで言ったことのないこの言葉を「師匠も無しに」半分ほどひり出した。
「好※[#感嘆符三つ、186-6]」と人ごみの中から狼の吠声のような声が出た。
車は停まらずに進んだ。阿Qは喝采の中に眼玉を動して呉媽を見ると、彼女は一向彼に眼を止めた様子もなくただ熱心に兵隊の背の上にある鉄砲を見ていた。
そこで、阿Qはもう一度喝采の人を見た。
この刹那、彼の思想はさながら旋風のように脳裏を一廻りした。四年前に彼は一度山下で狼に出遇った。狼は附かず離れず跟いて来て彼の肉を食おうと思った。彼はその時全く生きている空は無かった。幸い一つの薪割を持っていたので、ようやく元気を引起し、未荘まで持ちこたえて来た。これこそ永久に忘られぬ狼の眼だ。臆病でいながら鋭く、鬼火のようにキラめく二つの眼は、遠くの方から彼の皮肉を刺し通すようでもあった。ところが彼は今まで見た事もない恐ろしい眼付を更に発見した。鈍くもあるが鋭くもあった。すでに彼の話を咀嚼したのみならず、彼の皮肉以上の代物を噛みしめて、附かず離れずとこしえに彼の跡にくっついて来る。これ等の眼玉は一つに繋がって、もうどこかそこらで彼の霊魂に咬みついているようでもあった。
「助けてくれ」
阿Qは口に出して言わないが、その時もう二つの眼が暗くなって、耳朶の中がガアンとして、全身が木端微塵に飛び散ったように覚えた。
当時の影響からいうと最も大影響を受けたのは、かえって挙人老爺であった。それは盗られた物を取返すことが出来ないで、家じゅうの者が泣き叫んだからだ。その次に影響を受けたのは趙家であった。秀才は城内へ行って訴え出ると、革命党の不良分子に辮子を剪られた上、二万文の懸賞金を損したので家じゅうで泣き叫んだ。その日から彼等の間にだんだん遺老気質が発生した。
輿論の方面からいうと未荘では異議が無かった。むろん阿Qが悪いと皆言った。ぴしゃりと殺されたのは阿Qが悪い証拠だ。悪くなければ銃殺されるはずが無い! しかし城内の輿論はかえって好くなかった。彼等の大多数は不満足であった。銃殺するのは首を斬るより見ごたえがない。その上なぜあんなに意気地のない死刑犯人だったろう。あんなに長い引廻しの中に歌の一つも唱わないで、せっかく跡に跟いて見たことが無駄骨になった。
(一九二一年十二月)