2.魔法を使う現代の暮らしと子供たち
現代の人間には大体日に10キログラム程度の物質を生成できる魔力が備わっている。現在確認されている魔力の容量が少ない人でも日に5キログラム程度の物質を生成することが出来る。
この「物質生成」という魔法は非常に汎用性が高く、周りの空気などのあらゆる物質を原子構造から変換することが可能なものだ。
この魔法自体はプログラムの数十年にわたる研究で非常に効率よく、臓器コンピュータによる演算も少なく、短時間に結果が得られるようになっている。
物質生成を行うときは、このプログラムに欲しい物質の「名称」をパラメータとして渡し実行すれば数秒以内に魔法による演算が終了し結果が現実界に出力される。
たとえば、魔法を実行するものが物質生成魔法のプログラムに「カレーライス」というパラメータを渡し、実行すれば数秒以内にカレーライスが現れる。また、「カレーライスを器に盛った状態」というパラメータを指定すれば器ごとカレーライスが現れたりする(ただし、余計に魔力を使ってしまうが)。
このように便利な物質生成魔法であるが欠点がある。それは、人間が認識できていない状態の物質は普通のコンピュータ言語と同じように「定義されていない」という状態になってしまうので、物質生成魔法プログラムがエラーを吐いて魔法は異常終了してしまう。
しかし人間がはっきりと認識している物質であれば魔法は成功する。名前を知っているだけではダメということだ。
日本人が思う「カレー」とインド人が思う「カレー」では違うものなので、同じ物質生成魔法を使っても結果が異なってしまう。
こういう事情のため日本政府は将来の産業育成のために、子供たちの学校教育で世界各国の物産や名物を積極的に与えられたり、いろいろなモノ・コトに接する機会が与えられ、原子の構造や物理法則も叩き込まれる。知識があればあるほど物質生成魔法で作れるモノが増えるからだ。
魔法プログラム理論が開発され研究され、それに合わせた教育方法になったのが1970年代以降なので、それ以前の世代、いわゆる団塊の世代から40歳代までの人々は物質生成魔法自体は知っているが現代のようにいろいろなモノ・コトに接する機会が得られたわけではなかった。
なので、この世代の人々は今の子供たちを非常に羨んでいることが多い。幼い頃から世界中の美味しい食べ物、美しい美術工芸品をイヤと言うほど与えられ、それを認識している子供たちはそれを自由に作り出し楽しむことが出来る。しかし自らはアルコールの原子配列などは高校の物理で教わってはいてもそれで「高級で美味しいお酒を味わったことがない」だけで作り出すことが出来ないのである。
その状況を陳情で知った日本政府は、子供たちに「週末カルチャースクール」を開設してもらい、物質生成用の教育を受けられなかった世代にモノやコトを教育してもらうことにし補助金を出した。
カルチャースクールは設置当初から盛況で教師役の子供たちには補助金から「お小遣」として月数千円の給与が渡された。
カルチャースクールが全国に設置された頃から子供たちの物質生成魔法で出来るモノやコトが変化が現れるようになった。
それまで、子供たちは一度見たモノやコトを「再現」するのはうまく出来ていたがそれを「応用して別なものを作り出す」能力に欠けていた。
ある宝石デザイナーの60歳代の男性が、子供たちに「ダイヤモンドをまん丸にできるのかい?」と聞いたことがあった。子供たちは学校教育で「ダイヤモンド」は「ブリリアンカットされたモノ」と教えられる。つまり他に発想の飛躍が無く、アイディアが硬直化していたのだ。
ここでカルチャースクールが役に立った。通っているのはモノづくりをしている日本人の職人ばかりなのである。
いろいろな業種のいろいろな職人・技術者などが子供たちを訓練してゆき、ガンガン子供たちの作るものの幅が広がっていった。カルチャースクールはいつしか子供と大人双方向の教育の場として社会全体を巻き込んで発展していった。
日本政府はカルチャースクール自体、特定の大人世代に対するガス抜きの政策で苦し紛れのものだったが、1980年代になるとこの状況を見てカルチャースクールを五番目の学校(小、中、高、大が第四の学校)「文化大学校」として位置づけ教育基本法を改正した。義務教育を終えたら基本的に国民全員が「文化大学校」の学生となり週末にカルチャーセンターへ通いカルチャースクールをレジャーとして、教育を授けたり授けられたりするようになった。
こうして変態的な技術力を子供の頃から叩き込まれとんでもない品質のモノやコト、それにアニメ・マンガといったサブカルチャーをも生み出せてしまう次世代が養成されてしまった。