一
山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。
住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるは音楽と彫刻である。こまかに云えば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧く。着想を紙に落さぬとも※(「王+膠のつくり」、第3水準1-88-22)鏘の音は胸裏に起る。丹青は画架に向って塗抹せんでも五彩の絢爛は自から心眼に映る。ただおのが住む世を、かく観じ得て、霊台方寸のカメラに澆季溷濁の俗界を清くうららかに収め得れば足る。この故に無声の詩人には一句なく、無色の画家には尺※(「糸+賺のつくり」、第3水準1-90-17)なきも、かく人世を観じ得るの点において、かく煩悩を解脱するの点において、かく清浄界に出入し得るの点において、またこの不同不二の乾坤を建立し得るの点において、我利私慾の覊絆を掃蕩するの点において、――千金の子よりも、万乗の君よりも、あらゆる俗界の寵児よりも幸福である。
世に住むこと二十年にして、住むに甲斐ある世と知った。二十五年にして明暗は表裏のごとく、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。三十の今日はこう思うている。――喜びの深きとき憂いよいよ深く、楽みの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。片づけようとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものが殖えれば寝る間も心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。閣僚の肩は数百万人の足を支えている。背中には重い天下がおぶさっている。うまい物も食わねば惜しい。少し食えば飽き足らぬ。存分食えばあとが不愉快だ。……
余の考がここまで漂流して来た時に、余の右足は突然坐りのわるい角石の端を踏み損くなった。平衡を保つために、すわやと前に飛び出した左足が、仕損じの埋め合せをすると共に、余の腰は具合よく方三尺ほどな岩の上に卸りた。肩にかけた絵の具箱が腋の下から躍り出しただけで、幸いと何の事もなかった。
立ち上がる時に向うを見ると、路から左の方にバケツを伏せたような峰が聳えている。杉か檜か分からないが根元から頂きまでことごとく蒼黒い中に、山桜が薄赤くだんだらに棚引いて、続ぎ目が確と見えぬくらい靄が濃い。少し手前に禿山が一つ、群をぬきんでて眉に逼る。禿げた側面は巨人の斧で削り去ったか、鋭どき平面をやけに谷の底に埋めている。天辺に一本見えるのは赤松だろう。枝の間の空さえ判然している。行く手は二丁ほどで切れているが、高い所から赤い毛布が動いて来るのを見ると、登ればあすこへ出るのだろう。路はすこぶる難義だ。
土をならすだけならさほど手間も入るまいが、土の中には大きな石がある。土は平らにしても石は平らにならぬ。石は切り砕いても、岩は始末がつかぬ。掘崩した土の上に悠然と峙って、吾らのために道を譲る景色はない。向うで聞かぬ上は乗り越すか、廻らなければならん。巌のない所でさえ歩るきよくはない。左右が高くって、中心が窪んで、まるで一間幅を三角に穿って、その頂点が真中を貫いていると評してもよい。路を行くと云わんより川底を渉ると云う方が適当だ。固より急ぐ旅でないから、ぶらぶらと七曲りへかかる。
たちまち足の下で雲雀の声がし出した。谷を見下したが、どこで鳴いてるか影も形も見えぬ。ただ声だけが明らかに聞える。せっせと忙しく、絶間なく鳴いている。方幾里の空気が一面に蚤に刺されていたたまれないような気がする。あの鳥の鳴く音には瞬時の余裕もない。のどかな春の日を鳴き尽くし、鳴きあかし、また鳴き暮らさなければ気が済まんと見える。その上どこまでも登って行く、いつまでも登って行く。雲雀はきっと雲の中で死ぬに相違ない。登り詰めた揚句は、流れて雲に入って、漂うているうちに形は消えてなくなって、ただ声だけが空の裡に残るのかも知れない。
巌角を鋭どく廻って、按摩なら真逆様に落つるところを、際どく右へ切れて、横に見下すと、菜の花が一面に見える。雲雀はあすこへ落ちるのかと思った。いいや、あの黄金の原から飛び上がってくるのかと思った。次には落ちる雲雀と、上る雲雀が十文字にすれ違うのかと思った。最後に、落ちる時も、上る時も、また十文字に擦れ違うときにも元気よく鳴きつづけるだろうと思った。
春は眠くなる。猫は鼠を捕る事を忘れ、人間は借金のある事を忘れる。時には自分の魂の居所さえ忘れて正体なくなる。ただ菜の花を遠く望んだときに眼が醒める。雲雀の声を聞いたときに魂のありかが判然する。雲雀の鳴くのは口で鳴くのではない、魂全体が鳴くのだ。魂の活動が声にあらわれたもののうちで、あれほど元気のあるものはない。ああ愉快だ。こう思って、こう愉快になるのが詩である。
たちまちシェレーの雲雀の詩を思い出して、口のうちで覚えたところだけ暗誦して見たが、覚えているところは二三句しかなかった。その二三句のなかにこんなのがある。
We look before and after
And pine for what is not:
Our sincerest laughter
With some pain is fraught;
Our sweetest songs are those that tell of saddest thought.
「前をみては、後えを見ては、物欲しと、あこがるるかなわれ。腹からの、笑といえど、苦しみの、そこにあるべし。うつくしき、極みの歌に、悲しさの、極みの想、籠るとぞ知れ」
なるほどいくら詩人が幸福でも、あの雲雀のように思い切って、一心不乱に、前後を忘却して、わが喜びを歌う訳には行くまい。西洋の詩は無論の事、支那の詩にも、よく万斛の愁などと云う字がある。詩人だから万斛で素人なら一合で済むかも知れぬ。して見ると詩人は常の人よりも苦労性で、凡骨の倍以上に神経が鋭敏なのかも知れん。超俗の喜びもあろうが、無量の悲も多かろう。そんならば詩人になるのも考え物だ。
しばらくは路が平で、右は雑木山、左は菜の花の見つづけである。足の下に時々蒲公英を踏みつける。鋸のような葉が遠慮なく四方へのして真中に黄色な珠を擁護している。菜の花に気をとられて、踏みつけたあとで、気の毒な事をしたと、振り向いて見ると、黄色な珠は依然として鋸のなかに鎮座している。呑気なものだ。また考えをつづける。
詩人に憂はつきものかも知れないが、あの雲雀を聞く心持になれば微塵の苦もない。菜の花を見ても、ただうれしくて胸が躍るばかりだ。蒲公英もその通り、桜も――桜はいつか見えなくなった。こう山の中へ来て自然の景物に接すれば、見るものも聞くものも面白い。面白いだけで別段の苦しみも起らぬ。起るとすれば足が草臥れて、旨いものが食べられぬくらいの事だろう。
しかし苦しみのないのはなぜだろう。ただこの景色を一幅の画として観、一巻の詩として読むからである。画であり詩である以上は地面を貰って、開拓する気にもならねば、鉄道をかけて一儲けする了見も起らぬ。ただこの景色が――腹の足しにもならぬ、月給の補いにもならぬこの景色が景色としてのみ、余が心を楽ませつつあるから苦労も心配も伴わぬのだろう。自然の力はここにおいて尊とい。吾人の性情を瞬刻に陶冶して醇乎として醇なる詩境に入らしむるのは自然である。
恋はうつくしかろ、孝もうつくしかろ、忠君愛国も結構だろう。しかし自身がその局に当れば利害の旋風に捲き込まれて、うつくしき事にも、結構な事にも、目は眩んでしまう。したがってどこに詩があるか自身には解しかねる。
これがわかるためには、わかるだけの余裕のある第三者の地位に立たねばならぬ。三者の地位に立てばこそ芝居は観て面白い。小説も見て面白い。芝居を見て面白い人も、小説を読んで面白い人も、自己の利害は棚へ上げている。見たり読んだりする間だけは詩人である。
それすら、普通の芝居や小説では人情を免かれぬ。苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりする。見るものもいつかその中に同化して苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりする。取柄は利慾が交らぬと云う点に存するかも知れぬが、交らぬだけにその他の情緒は常よりは余計に活動するだろう。それが嫌だ。
苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりは人の世につきものだ。余も三十年の間それを仕通して、飽々した。飽き飽きした上に芝居や小説で同じ刺激を繰り返しては大変だ。余が欲する詩はそんな世間的の人情を鼓舞するようなものではない。俗念を放棄して、しばらくでも塵界を離れた心持ちになれる詩である。いくら傑作でも人情を離れた芝居はない、理非を絶した小説は少かろう。どこまでも世間を出る事が出来ぬのが彼らの特色である。ことに西洋の詩になると、人事が根本になるからいわゆる詩歌の純粋なるものもこの境を解脱する事を知らぬ。どこまでも同情だとか、愛だとか、正義だとか、自由だとか、浮世の勧工場にあるものだけで用を弁じている。いくら詩的になっても地面の上を馳けてあるいて、銭の勘定を忘れるひまがない。シェレーが雲雀を聞いて嘆息したのも無理はない。
うれしい事に東洋の詩歌はそこを解脱したのがある。採菊東籬下、悠然見南山。ただそれぎりの裏に暑苦しい世の中をまるで忘れた光景が出てくる。垣の向うに隣りの娘が覗いてる訳でもなければ、南山に親友が奉職している次第でもない。超然と出世間的に利害損得の汗を流し去った心持ちになれる。独坐幽篁裏、弾琴復長嘯、深林人不知、明月来相照。ただ二十字のうちに優に別乾坤を建立している。この乾坤の功徳は「不如帰」や「金色夜叉」の功徳ではない。汽船、汽車、権利、義務、道徳、礼義で疲れ果てた後に、すべてを忘却してぐっすり寝込むような功徳である。
二十世紀に睡眠が必要ならば、二十世紀にこの出世間的の詩味は大切である。惜しい事に今の詩を作る人も、詩を読む人もみんな、西洋人にかぶれているから、わざわざ呑気な扁舟を泛べてこの桃源に溯るものはないようだ。余は固より詩人を職業にしておらんから、王維や淵明の境界を今の世に布教して広げようと云う心掛も何もない。ただ自分にはこう云う感興が演芸会よりも舞踏会よりも薬になるように思われる。ファウストよりも、ハムレットよりもありがたく考えられる。こうやって、ただ一人絵の具箱と三脚几を担いで春の山路をのそのそあるくのも全くこれがためである。淵明、王維の詩境を直接に自然から吸収して、すこしの間でも非人情の天地に逍遥したいからの願。一つの酔興だ。
もちろん人間の一分子だから、いくら好きでも、非人情はそう長く続く訳には行かぬ。淵明だって年が年中南山を見詰めていたのでもあるまいし、王維も好んで竹藪の中に蚊帳を釣らずに寝た男でもなかろう。やはり余った菊は花屋へ売りこかして、生えた筍は八百屋へ払い下げたものと思う。こう云う余もその通り。いくら雲雀と菜の花が気に入ったって、山のなかへ野宿するほど非人情が募ってはおらん。こんな所でも人間に逢う。じんじん端折りの頬冠りや、赤い腰巻の姉さんや、時には人間より顔の長い馬にまで逢う。百万本の檜に取り囲まれて、海面を抜く何百尺かの空気を呑んだり吐いたりしても、人の臭いはなかなか取れない。それどころか、山を越えて落ちつく先の、今宵の宿は那古井の温泉場だ。
ただ、物は見様でどうでもなる。レオナルド・ダ・ヴィンチが弟子に告げた言に、あの鐘の音を聞け、鐘は一つだが、音はどうとも聞かれるとある。一人の男、一人の女も見様次第でいかようとも見立てがつく。どうせ非人情をしに出掛けた旅だから、そのつもりで人間を見たら、浮世小路の何軒目に狭苦しく暮した時とは違うだろう。よし全く人情を離れる事が出来んでも、せめて御能拝見の時くらいは淡い心持ちにはなれそうなものだ。能にも人情はある。七騎落でも、墨田川でも泣かぬとは保証が出来ん。しかしあれは情三分芸七分で見せるわざだ。我らが能から享けるありがた味は下界の人情をよくそのままに写す手際から出てくるのではない。そのままの上へ芸術という着物を何枚も着せて、世の中にあるまじき悠長な振舞をするからである。
しばらくこの旅中に起る出来事と、旅中に出逢う人間を能の仕組と能役者の所作に見立てたらどうだろう。まるで人情を棄てる訳には行くまいが、根が詩的に出来た旅だから、非人情のやりついでに、なるべく節倹してそこまでは漕ぎつけたいものだ。南山や幽篁とは性の違ったものに相違ないし、また雲雀や菜の花といっしょにする事も出来まいが、なるべくこれに近づけて、近づけ得る限りは同じ観察点から人間を視てみたい。芭蕉と云う男は枕元へ馬が尿するのをさえ雅な事と見立てて発句にした。余もこれから逢う人物を――百姓も、町人も、村役場の書記も、爺さんも婆さんも――ことごとく大自然の点景として描き出されたものと仮定して取こなして見よう。もっとも画中の人物と違って、彼らはおのがじし勝手な真似をするだろう。しかし普通の小説家のようにその勝手な真似の根本を探ぐって、心理作用に立ち入ったり、人事葛藤の詮議立てをしては俗になる。動いても構わない。画中の人間が動くと見れば差し支ない。画中の人物はどう動いても平面以外に出られるものではない。平面以外に飛び出して、立方的に働くと思えばこそ、こっちと衝突したり、利害の交渉が起ったりして面倒になる。面倒になればなるほど美的に見ている訳に行かなくなる。これから逢う人間には超然と遠き上から見物する気で、人情の電気がむやみに双方で起らないようにする。そうすれば相手がいくら働いても、こちらの懐には容易に飛び込めない訳だから、つまりは画の前へ立って、画中の人物が画面の中をあちらこちらと騒ぎ廻るのを見るのと同じ訳になる。間三尺も隔てていれば落ちついて見られる。あぶな気なしに見られる。言を換えて云えば、利害に気を奪われないから、全力を挙げて彼らの動作を芸術の方面から観察する事が出来る。余念もなく美か美でないかと鑒識する事が出来る。
ここまで決心をした時、空があやしくなって来た。煮え切れない雲が、頭の上へ靠垂れ懸っていたと思ったが、いつのまにか、崩れ出して、四方はただ雲の海かと怪しまれる中から、しとしとと春の雨が降り出した。菜の花は疾くに通り過して、今は山と山の間を行くのだが、雨の糸が濃かでほとんど霧を欺くくらいだから、隔たりはどれほどかわからぬ。時々風が来て、高い雲を吹き払うとき、薄黒い山の背が右手に見える事がある。何でも谷一つ隔てて向うが脈の走っている所らしい。左はすぐ山の裾と見える。深く罩める雨の奥から松らしいものが、ちょくちょく顔を出す。出すかと思うと、隠れる。雨が動くのか、木が動くのか、夢が動くのか、何となく不思議な心持ちだ。
路は存外広くなって、かつ平だから、あるくに骨は折れんが、雨具の用意がないので急ぐ。帽子から雨垂れがぽたりぽたりと落つる頃、五六間先きから、鈴の音がして、黒い中から、馬子がふうとあらわれた。
「ここらに休む所はないかね」
「もう十五丁行くと茶屋がありますよ。だいぶ濡れたね」
まだ十五丁かと、振り向いているうちに、馬子の姿は影画のように雨につつまれて、またふうと消えた。
糠のように見えた粒は次第に太く長くなって、今は一筋ごとに風に捲かれる様までが目に入る。羽織はとくに濡れ尽して肌着に浸み込んだ水が、身体の温度で生暖く感ぜられる。気持がわるいから、帽を傾けて、すたすた歩行く。
茫々たる薄墨色の世界を、幾条の銀箭が斜めに走るなかを、ひたぶるに濡れて行くわれを、われならぬ人の姿と思えば、詩にもなる、句にも咏まれる。有体なる己れを忘れ尽して純客観に眼をつくる時、始めてわれは画中の人物として、自然の景物と美しき調和を保つ。ただ降る雨の心苦しくて、踏む足の疲れたるを気に掛ける瞬間に、われはすでに詩中の人にもあらず、画裡の人にもあらず。依然として市井の一豎子に過ぎぬ。雲煙飛動の趣も眼に入らぬ。落花啼鳥の情けも心に浮ばぬ。蕭々として独り春山を行く吾の、いかに美しきかはなおさらに解せぬ。初めは帽を傾けて歩行た。後にはただ足の甲のみを見詰めてあるいた。終りには肩をすぼめて、恐る恐る歩行た。雨は満目の樹梢を揺かして四方より孤客に逼る。非人情がちと強過ぎたようだ。
二
「おい」と声を掛けたが返事がない。
軒下から奥を覗くと煤けた障子が立て切ってある。向う側は見えない。五六足の草鞋が淋しそうに庇から吊されて、屈托気にふらりふらりと揺れる。下に駄菓子の箱が三つばかり並んで、そばに五厘銭と文久銭が散らばっている。
「おい」とまた声をかける。土間の隅に片寄せてある臼の上に、ふくれていた鶏が、驚ろいて眼をさます。ククク、クククと騒ぎ出す。敷居の外に土竈が、今しがたの雨に濡れて、半分ほど色が変ってる上に、真黒な茶釜がかけてあるが、土の茶釜か、銀の茶釜かわからない。幸い下は焚きつけてある。
返事がないから、無断でずっと這入って、床几の上へ腰を卸した。鶏は羽摶きをして臼から飛び下りる。今度は畳の上へあがった。障子がしめてなければ奥まで馳けぬける気かも知れない。雄が太い声でこけっこっこと云うと、雌が細い声でけけっこっこと云う。まるで余を狐か狗のように考えているらしい。床几の上には一升枡ほどな煙草盆が閑静に控えて、中にはとぐろを捲いた線香が、日の移るのを知らぬ顔で、すこぶる悠長に燻っている。雨はしだいに収まる。
しばらくすると、奥の方から足音がして、煤けた障子がさらりと開く。なかから一人の婆さんが出る。
どうせ誰か出るだろうとは思っていた。竈に火は燃えている。菓子箱の上に銭が散らばっている。線香は呑気に燻っている。どうせ出るにはきまっている。しかし自分の見世を明け放しても苦にならないと見えるところが、少し都とは違っている。返事がないのに床几に腰をかけて、いつまでも待ってるのも少し二十世紀とは受け取れない。ここらが非人情で面白い。その上出て来た婆さんの顔が気に入った。
二三年前宝生の舞台で高砂を見た事がある。その時これはうつくしい活人画だと思った。箒を担いだ爺さんが橋懸りを五六歩来て、そろりと後向になって、婆さんと向い合う。その向い合うた姿勢が今でも眼につく。余の席からは婆さんの顔がほとんど真むきに見えたから、ああうつくしいと思った時に、その表情はぴしゃりと心のカメラへ焼き付いてしまった。茶店の婆さんの顔はこの写真に血を通わしたほど似ている。
「御婆さん、ここをちょっと借りたよ」
「はい、これは、いっこう存じませんで」
「だいぶ降ったね」
「あいにくな御天気で、さぞ御困りで御座んしょ。おおおおだいぶお濡れなさった。今火を焚いて乾かして上げましょ」
「そこをもう少し燃しつけてくれれば、あたりながら乾かすよ。どうも少し休んだら寒くなった」
「へえ、ただいま焚いて上げます。まあ御茶を一つ」
と立ち上がりながら、しっしっと二声で鶏を追い下げる。ここここと馳け出した夫婦は、焦茶色の畳から、駄菓子箱の中を踏みつけて、往来へ飛び出す。雄の方が逃げるとき駄菓子の上へ糞を垂れた。
「まあ一つ」と婆さんはいつの間にか刳り抜き盆の上に茶碗をのせて出す。茶の色の黒く焦げている底に、一筆がきの梅の花が三輪無雑作に焼き付けられている。
「御菓子を」と今度は鶏の踏みつけた胡麻ねじと微塵棒を持ってくる。糞はどこぞに着いておらぬかと眺めて見たが、それは箱のなかに取り残されていた。
婆さんは袖無しの上から、襷をかけて、竈の前へうずくまる。余は懐から写生帖を取り出して、婆さんの横顔を写しながら、話しをしかける。
「閑静でいいね」
「へえ、御覧の通りの山里で」
「鶯は鳴くかね」
「ええ毎日のように鳴きます。此辺は夏も鳴きます」
「聞きたいな。ちっとも聞えないとなお聞きたい」
「あいにく今日は――先刻の雨でどこぞへ逃げました」
折りから、竈のうちが、ぱちぱちと鳴って、赤い火が颯と風を起して一尺あまり吹き出す。
「さあ、御あたり。さぞ御寒かろ」と云う。軒端を見ると青い煙りが、突き当って崩れながらに、微かな痕をまだ板庇にからんでいる。
「ああ、好い心持ちだ、御蔭で生き返った」
「いい具合に雨も晴れました。そら天狗巌が見え出しました」
逡巡として曇り勝ちなる春の空を、もどかしとばかりに吹き払う山嵐の、思い切りよく通り抜けた前山の一角は、未練もなく晴れ尽して、老嫗の指さす方に※(「山/贊」、第4水準2-8-72)※(「山+元」、第3水準1-47-69)と、あら削りの柱のごとく聳えるのが天狗岩だそうだ。
余はまず天狗巌を眺めて、次に婆さんを眺めて、三度目には半々に両方を見比べた。画家として余が頭のなかに存在する婆さんの顔は高砂の媼と、蘆雪のかいた山姥のみである。蘆雪の図を見たとき、理想の婆さんは物凄いものだと感じた。紅葉のなかか、寒い月の下に置くべきものと考えた。宝生の別会能を観るに及んで、なるほど老女にもこんな優しい表情があり得るものかと驚ろいた。あの面は定めて名人の刻んだものだろう。惜しい事に作者の名は聞き落したが、老人もこうあらわせば、豊かに、穏やかに、あたたかに見える。金屏にも、春風にも、あるは桜にもあしらって差し支ない道具である。余は天狗岩よりは、腰をのして、手を翳して、遠く向うを指している、袖無し姿の婆さんを、春の山路の景物として恰好なものだと考えた。余が写生帖を取り上げて、今しばらくという途端に、婆さんの姿勢は崩れた。
手持無沙汰に写生帖を、火にあてて乾かしながら、
「御婆さん、丈夫そうだね」と訊ねた。
「はい。ありがたい事に達者で――針も持ちます、苧もうみます、御団子の粉も磨きます」
この御婆さんに石臼を挽かして見たくなった。しかしそんな注文も出来ぬから、
「ここから那古井までは一里足らずだったね」と別な事を聞いて見る。
「はい、二十八丁と申します。旦那は湯治に御越しで……」
「込み合わなければ、少し逗留しようかと思うが、まあ気が向けばさ」
「いえ、戦争が始まりましてから、頓と参るものは御座いません。まるで締め切り同様で御座います」
「妙な事だね。それじゃ泊めてくれないかも知れんね」
「いえ、御頼みになればいつでも宿めます」
「宿屋はたった一軒だったね」
「へえ、志保田さんと御聞きになればすぐわかります。村のものもちで、湯治場だか、隠居所だかわかりません」
「じゃ御客がなくても平気な訳だ」
「旦那は始めてで」
「いや、久しい以前ちょっと行った事がある」
会話はちょっと途切れる。帳面をあけて先刻の鶏を静かに写生していると、落ちついた耳の底へじゃらんじゃらんと云う馬の鈴が聴え出した。この声がおのずと、拍子をとって頭の中に一種の調子が出来る。眠りながら、夢に隣りの臼の音に誘われるような心持ちである。余は鶏の写生をやめて、同じページの端に、
春風や惟然が耳に馬の鈴
と書いて見た。山を登ってから、馬には五六匹逢った。逢った五六匹は皆腹掛をかけて、鈴を鳴らしている。今の世の馬とは思われない。
やがて長閑な馬子唄が、春に更けた空山一路の夢を破る。憐れの底に気楽な響がこもって、どう考えても画にかいた声だ。
馬子唄の鈴鹿越ゆるや春の雨
と、今度は斜に書きつけたが、書いて見て、これは自分の句でないと気がついた。
「また誰ぞ来ました」と婆さんが半ば独り言のように云う。
ただ一条の春の路だから、行くも帰るも皆近づきと見える。最前逢うた五六匹のじゃらんじゃらんもことごとくこの婆さんの腹の中でまた誰ぞ来たと思われては山を下り、思われては山を登ったのだろう。路寂寞と古今の春を貫いて、花を厭えば足を着くるに地なき小村に、婆さんは幾年の昔からじゃらん、じゃらんを数え尽くして、今日の白頭に至ったのだろう。
馬子唄や白髪も染めで暮るる春
と次のページへ認めたが、これでは自分の感じを云い終せない、もう少し工夫のありそうなものだと、鉛筆の先を見詰めながら考えた。何でも白髪という字を入れて、幾代の節と云う句を入れて、馬子唄という題も入れて、春の季も加えて、それを十七字に纏めたいと工夫しているうちに、
「はい、今日は」と実物の馬子が店先に留って大きな声をかける。
「おや源さんか。また城下へ行くかい」
「何か買物があるなら頼まれて上げよ」
「そうさ、鍛冶町を通ったら、娘に霊厳寺の御札を一枚もらってきておくれなさい」
「はい、貰ってきよ。一枚か。――御秋さんは善い所へ片づいて仕合せだ。な、御叔母さん」
「ありがたい事に今日には困りません。まあ仕合せと云うのだろか」
「仕合せとも、御前。あの那古井の嬢さまと比べて御覧」
「本当に御気の毒な。あんな器量を持って。近頃はちっとは具合がいいかい」
「なあに、相変らずさ」
「困るなあ」と婆さんが大きな息をつく。
「困るよう」と源さんが馬の鼻を撫でる。
枝繁き山桜の葉も花も、深い空から落ちたままなる雨の塊まりを、しっぽりと宿していたが、この時わたる風に足をすくわれて、いたたまれずに、仮りの住居を、さらさらと転げ落ちる。馬は驚ろいて、長い鬣を上下に振る。
「コーラッ」と叱りつける源さんの声が、じゃらん、じゃらんと共に余の冥想を破る。
御婆さんが云う。「源さん、わたしゃ、お嫁入りのときの姿が、まだ眼前に散らついている。裾模様の振袖に、高島田で、馬に乗って……」
「そうさ、船ではなかった。馬であった。やはりここで休んで行ったな、御叔母さん」
「あい、その桜の下で嬢様の馬がとまったとき、桜の花がほろほろと落ちて、せっかくの島田に斑が出来ました」
余はまた写生帖をあける。この景色は画にもなる、詩にもなる。心のうちに花嫁の姿を浮べて、当時の様を想像して見てしたり顔に、
花の頃を越えてかしこし馬に嫁
と書きつける。不思議な事には衣装も髪も馬も桜もはっきりと目に映じたが、花嫁の顔だけは、どうしても思いつけなかった。しばらくあの顔か、この顔か、と思案しているうちに、ミレーのかいた、オフェリヤの面影が忽然と出て来て、高島田の下へすぽりとはまった。これは駄目だと、せっかくの図面を早速取り崩す。衣装も髪も馬も桜も一瞬間に心の道具立から奇麗に立ち退いたが、オフェリヤの合掌して水の上を流れて行く姿だけは、朦朧と胸の底に残って、棕梠箒で煙を払うように、さっぱりしなかった。空に尾を曳く彗星の何となく妙な気になる。
「それじゃ、まあ御免」と源さんが挨拶する。
「帰りにまた御寄り。あいにくの降りで七曲りは難義だろ」
「はい、少し骨が折れよ」と源さんは歩行出す。源さんの馬も歩行出す。じゃらんじゃらん。
「あれは那古井の男かい」
「はい、那古井の源兵衛で御座んす」
「あの男がどこぞの嫁さんを馬へ乗せて、峠を越したのかい」
「志保田の嬢様が城下へ御輿入のときに、嬢様を青馬に乗せて、源兵衛が覊絏を牽いて通りました。――月日の立つのは早いもので、もう今年で五年になります」
鏡に対うときのみ、わが頭の白きを喞つものは幸の部に属する人である。指を折って始めて、五年の流光に、転輪の疾き趣を解し得たる婆さんは、人間としてはむしろ仙に近づける方だろう。余はこう答えた。
「さぞ美くしかったろう。見にくればよかった」
「ハハハ今でも御覧になれます。湯治場へ御越しなされば、きっと出て御挨拶をなされましょう」
「はあ、今では里にいるのかい。やはり裾模様の振袖を着て、高島田に結っていればいいが」
「たのんで御覧なされ。着て見せましょ」
余はまさかと思ったが、婆さんの様子は存外真面目である。非人情の旅にはこんなのが出なくては面白くない。婆さんが云う。
「嬢様と長良の乙女とはよく似ております」
「顔がかい」
「いいえ。身の成り行きがで御座んす」
「へえ、その長良の乙女と云うのは何者かい」
「昔しこの村に長良の乙女と云う、美くしい長者の娘が御座りましたそうな」
「へえ」
「ところがその娘に二人の男が一度に懸想して、あなた」
「なるほど」
「ささだ男に靡こうか、ささべ男に靡こうかと、娘はあけくれ思い煩ったが、どちらへも靡きかねて、とうとう
あきづけばをばなが上に置く露の、けぬべくもわは、おもほゆるかも
と云う歌を咏んで、淵川へ身を投げて果てました」
余はこんな山里へ来て、こんな婆さんから、こんな古雅な言葉で、こんな古雅な話をきこうとは思いがけなかった。
「これから五丁東へ下ると、道端に五輪塔が御座んす。ついでに長良の乙女の墓を見て御行きなされ」
余は心のうちに是非見て行こうと決心した。婆さんは、そのあとを語りつづける。
「那古井の嬢様にも二人の男が祟りました。一人は嬢様が京都へ修行に出て御出での頃御逢いなさったので、一人はここの城下で随一の物持ちで御座んす」
「はあ、御嬢さんはどっちへ靡いたかい」
「御自身は是非京都の方へと御望みなさったのを、そこには色々な理由もありましたろが、親ご様が無理にこちらへ取りきめて……」
「めでたく、淵川へ身を投げんでも済んだ訳だね」
「ところが――先方でも器量望みで御貰いなさったのだから、随分大事にはなさったかも知れませぬが、もともと強いられて御出なさったのだから、どうも折合がわるくて、御親類でもだいぶ御心配の様子で御座んした。ところへ今度の戦争で、旦那様の勤めて御出の銀行がつぶれました。それから嬢様はまた那古井の方へ御帰りになります。世間では嬢様の事を不人情だとか、薄情だとか色々申します。もとは極々内気の優しいかたが、この頃ではだいぶ気が荒くなって、何だか心配だと源兵衛が来るたびに申します。……」
これからさきを聞くと、せっかくの趣向が壊れる。ようやく仙人になりかけたところを、誰か来て羽衣を帰せ帰せと催促するような気がする。七曲りの険を冒して、やっとの思で、ここまで来たものを、そうむやみに俗界に引きずり下されては、飄然と家を出た甲斐がない。世間話しもある程度以上に立ち入ると、浮世の臭いが毛孔から染込んで、垢で身体が重くなる。
「御婆さん、那古井へは一筋道だね」と十銭銀貨を一枚床几の上へかちりと投げ出して立ち上がる。
「長良の五輪塔から右へ御下りなさると、六丁ほどの近道になります。路はわるいが、御若い方にはその方がよろしかろ。――これは多分に御茶代を――気をつけて御越しなされ」
三
昨夕は妙な気持ちがした。
宿へ着いたのは夜の八時頃であったから、家の具合庭の作り方は無論、東西の区別さえわからなかった。何だか廻廊のような所をしきりに引き廻されて、しまいに六畳ほどの小さな座敷へ入れられた。昔し来た時とはまるで見当が違う。晩餐を済まして、湯に入って、室へ帰って茶を飲んでいると、小女が来て床を延べよかと云う。
不思議に思ったのは、宿へ着いた時の取次も、晩食の給仕も、湯壺への案内も、床を敷く面倒も、ことごとくこの小女一人で弁じている。それで口は滅多にきかぬ。と云うて、田舎染みてもおらぬ。赤い帯を色気なく結んで、古風な紙燭をつけて、廊下のような、梯子段のような所をぐるぐる廻わらされた時、同じ帯の同じ紙燭で、同じ廊下とも階段ともつかぬ所を、何度も降りて、湯壺へ連れて行かれた時は、すでに自分ながら、カンヴァスの中を往来しているような気がした。
給仕の時には、近頃は客がないので、ほかの座敷は掃除がしてないから、普段使っている部屋で我慢してくれと云った。床を延べる時にはゆるりと御休みと人間らしい、言葉を述べて、出て行ったが、その足音が、例の曲りくねった廊下を、次第に下の方へ遠かった時に、あとがひっそりとして、人の気がしないのが気になった。
生れてから、こんな経験はただ一度しかない。昔し房州を館山から向うへ突き抜けて、上総から銚子まで浜伝いに歩行た事がある。その時ある晩、ある所へ宿た。ある所と云うよりほかに言いようがない。今では土地の名も宿の名も、まるで忘れてしまった。第一宿屋へとまったのかが問題である。棟の高い大きな家に女がたった二人いた。余がとめるかと聞いたとき、年を取った方がはいと云って、若い方がこちらへと案内をするから、ついて行くと、荒れ果てた、広い間をいくつも通り越して一番奥の、中二階へ案内をした。三段登って廊下から部屋へ這入ろうとすると、板庇の下に傾きかけていた一叢の修竹が、そよりと夕風を受けて、余の肩から頭を撫でたので、すでにひやりとした。椽板はすでに朽ちかかっている。来年は筍が椽を突き抜いて座敷のなかは竹だらけになろうと云ったら、若い女が何にも云わずににやにやと笑って、出て行った。
その晩は例の竹が、枕元で婆娑ついて、寝られない。障子をあけたら、庭は一面の草原で、夏の夜の月明かなるに、眼を走しらせると、垣も塀もあらばこそ、まともに大きな草山に続いている。草山の向うはすぐ大海原でどどんどどんと大きな濤が人の世を威嚇しに来る。余はとうとう夜の明けるまで一睡もせずに、怪し気な蚊帳のうちに辛防しながら、まるで草双紙にでもありそうな事だと考えた。
その後旅もいろいろしたが、こんな気持になった事は、今夜この那古井へ宿るまではかつて無かった。
仰向に寝ながら、偶然目を開けて見ると欄間に、朱塗りの縁をとった額がかかっている。文字は寝ながらも竹影払階塵不動と明らかに読まれる。大徹という落款もたしかに見える。余は書においては皆無鑒識のない男だが、平生から、黄檗の高泉和尚の筆致を愛している。隠元も即非も木庵もそれぞれに面白味はあるが、高泉の字が一番蒼勁でしかも雅馴である。今この七字を見ると、筆のあたりから手の運び具合、どうしても高泉としか思われない。しかし現に大徹とあるからには別人だろう。ことによると黄檗に大徹という坊主がいたかも知れぬ。それにしては紙の色が非常に新しい。どうしても昨今のものとしか受け取れない。
横を向く。床にかかっている若冲の鶴の図が目につく。これは商売柄だけに、部屋に這入った時、すでに逸品と認めた。若冲の図は大抵精緻な彩色ものが多いが、この鶴は世間に気兼なしの一筆がきで、一本足ですらりと立った上に、卵形の胴がふわっと乗かっている様子は、はなはだ吾意を得て、飄逸の趣は、長い嘴のさきまで籠っている。床の隣りは違い棚を略して、普通の戸棚につづく。戸棚の中には何があるか分らない。
すやすやと寝入る。夢に。
長良の乙女が振袖を着て、青馬に乗って、峠を越すと、いきなり、ささだ男と、ささべ男が飛び出して両方から引っ張る。女が急にオフェリヤになって、柳の枝へ上って、河の中を流れながら、うつくしい声で歌をうたう。救ってやろうと思って、長い竿を持って、向島を追懸けて行く。女は苦しい様子もなく、笑いながら、うたいながら、行末も知らず流れを下る。余は竿をかついで、おおいおおいと呼ぶ。
そこで眼が醒めた。腋の下から汗が出ている。妙に雅俗混淆な夢を見たものだと思った。昔し宋の大慧禅師と云う人は、悟道の後、何事も意のごとくに出来ん事はないが、ただ夢の中では俗念が出て困ると、長い間これを苦にされたそうだが、なるほどもっともだ。文芸を性命にするものは今少しうつくしい夢を見なければ幅が利かない。こんな夢では大部分画にも詩にもならんと思いながら、寝返りを打つと、いつの間にか障子に月がさして、木の枝が二三本斜めに影をひたしている。冴えるほどの春の夜だ。
気のせいか、誰か小声で歌をうたってるような気がする。夢のなかの歌が、この世へ抜け出したのか、あるいはこの世の声が遠き夢の国へ、うつつながらに紛れ込んだのかと耳を峙てる。たしかに誰かうたっている。細くかつ低い声には相違ないが、眠らんとする春の夜に一縷の脈をかすかに搏たせつつある。不思議な事に、その調子はとにかく、文句をきくと――枕元でやってるのでないから、文句のわかりようはない。――その聞えぬはずのものが、よく聞える。あきづけば、をばなが上に、おく露の、けぬべくもわは、おもほゆるかもと長良の乙女の歌を、繰り返し繰り返すように思われる。
初めのうちは椽に近く聞えた声が、しだいしだいに細く遠退いて行く。突然とやむものには、突然の感はあるが、憐れはうすい。ふっつりと思い切ったる声をきく人の心には、やはりふっつりと思い切ったる感じが起る。これと云う句切りもなく自然に細りて、いつの間にか消えるべき現象には、われもまた秒を縮め、分を割いて、心細さの細さが細る。死なんとしては、死なんとする病夫のごとく、消えんとしては、消えんとする灯火のごとく、今やむか、やむかとのみ心を乱すこの歌の奥には、天下の春の恨みをことごとく萃めたる調べがある。
今までは床の中に我慢して聞いていたが、聞く声の遠ざかるに連れて、わが耳は、釣り出さるると知りつつも、その声を追いかけたくなる。細くなればなるほど、耳だけになっても、あとを慕って飛んで行きたい気がする。もうどう焦慮ても鼓膜に応えはあるまいと思う一刹那の前、余はたまらなくなって、われ知らず布団をすり抜けると共にさらりと障子を開けた。途端に自分の膝から下が斜めに月の光りを浴びる。寝巻の上にも木の影が揺れながら落ちた。
障子をあけた時にはそんな事には気がつかなかった。あの声はと、耳の走る見当を見破ると――向うにいた。花ならば海棠かと思わるる幹を背に、よそよそしくも月の光りを忍んで朦朧たる影法師がいた。あれかと思う意識さえ、確とは心にうつらぬ間に、黒いものは花の影を踏み砕いて右へ切れた。わがいる部屋つづきの棟の角が、すらりと動く、背の高い女姿を、すぐに遮ってしまう。
借着の浴衣一枚で、障子へつらまったまま、しばらく茫然としていたが、やがて我に帰ると、山里の春はなかなか寒いものと悟った。ともかくもと抜け出でた布団の穴に、再び帰参して考え出した。括り枕のしたから、袂時計を出して見ると、一時十分過ぎである。再び枕の下へ押し込んで考え出した。よもや化物ではあるまい。化物でなければ人間で、人間とすれば女だ。あるいは此家の御嬢さんかも知れない。しかし出帰りの御嬢さんとしては夜なかに山つづきの庭へ出るのがちと不穏当だ。何にしてもなかなか寝られない。枕の下にある時計までがちくちく口をきく。今まで懐中時計の音の気になった事はないが、今夜に限って、さあ考えろ、さあ考えろと催促するごとく、寝るな寝るなと忠告するごとく口をきく。怪しからん。
怖いものもただ怖いものそのままの姿と見れば詩になる。凄い事も、己れを離れて、ただ単独に凄いのだと思えば画になる。失恋が芸術の題目となるのも全くその通りである。失恋の苦しみを忘れて、そのやさしいところやら、同情の宿るところやら、憂のこもるところやら、一歩進めて云えば失恋の苦しみそのものの溢るるところやらを、単に客観的に眼前に思い浮べるから文学美術の材料になる。世には有りもせぬ失恋を製造して、自から強いて煩悶して、愉快を貪ぼるものがある。常人はこれを評して愚だと云う、気違だと云う。しかし自から不幸の輪廓を描いて好んでその中に起臥するのは、自から烏有の山水を刻画して壺中の天地に歓喜すると、その芸術的の立脚地を得たる点において全く等しいと云わねばならぬ。この点において世上幾多の芸術家は(日常の人としてはいざ知らず)芸術家として常人よりも愚である、気違である。われわれは草鞋旅行をする間、朝から晩まで苦しい、苦しいと不平を鳴らしつづけているが、人に向って曾遊を説く時分には、不平らしい様子は少しも見せぬ。面白かった事、愉快であった事は無論、昔の不平をさえ得意に喋々して、したり顔である。これはあえて自ら欺くの、人を偽わるのと云う了見ではない。旅行をする間は常人の心持ちで、曾遊を語るときはすでに詩人の態度にあるから、こんな矛盾が起る。して見ると四角な世界から常識と名のつく、一角を磨滅して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう。
この故に天然にあれ、人事にあれ、衆俗の辟易して近づきがたしとなすところにおいて、芸術家は無数の琳琅を見、無上の宝※(「王+路」、第3水準1-88-29)を知る。俗にこれを名けて美化と云う。その実は美化でも何でもない。燦爛たる彩光は、炳乎として昔から現象世界に実在している。ただ一翳眼に在って空花乱墜するが故に、俗累の覊絏牢として絶ちがたきが故に、栄辱得喪のわれに逼る事、念々切なるが故に、ターナーが汽車を写すまでは汽車の美を解せず、応挙が幽霊を描くまでは幽霊の美を知らずに打ち過ぎるのである。
余が今見た影法師も、ただそれきりの現象とすれば、誰れが見ても、誰に聞かしても饒に詩趣を帯びている。――孤村の温泉、――春宵の花影、――月前の低誦、――朧夜の姿――どれもこれも芸術家の好題目である。この好題目が眼前にありながら、余は入らざる詮義立てをして、余計な探ぐりを投げ込んでいる。せっかくの雅境に理窟の筋が立って、願ってもない風流を、気味の悪るさが踏みつけにしてしまった。こんな事なら、非人情も標榜する価値がない。もう少し修行をしなければ詩人とも画家とも人に向って吹聴する資格はつかぬ。昔し以太利亜の画家サルヴァトル・ロザは泥棒が研究して見たい一心から、おのれの危険を賭にして、山賊の群に這入り込んだと聞いた事がある。飄然と画帖を懐にして家を出でたからには、余にもそのくらいの覚悟がなくては恥ずかしい事だ。
こんな時にどうすれば詩的な立脚地に帰れるかと云えば、おのれの感じ、そのものを、おのが前に据えつけて、その感じから一歩退いて有体に落ちついて、他人らしくこれを検査する余地さえ作ればいいのである。詩人とは自分の屍骸を、自分で解剖して、その病状を天下に発表する義務を有している。その方便は色々あるが一番手近なのは何でも蚊でも手当り次第十七字にまとめて見るのが一番いい。十七字は詩形としてもっとも軽便であるから、顔を洗う時にも、厠に上った時にも、電車に乗った時にも、容易に出来る。十七字が容易に出来ると云う意味は安直に詩人になれると云う意味であって、詩人になると云うのは一種の悟りであるから軽便だと云って侮蔑する必要はない。軽便であればあるほど功徳になるからかえって尊重すべきものと思う。まあちょっと腹が立つと仮定する。腹が立ったところをすぐ十七字にする。十七字にするときは自分の腹立ちがすでに他人に変じている。腹を立ったり、俳句を作ったり、そう一人が同時に働けるものではない。ちょっと涙をこぼす。この涙を十七字にする。するや否やうれしくなる。涙を十七字に纏めた時には、苦しみの涙は自分から遊離して、おれは泣く事の出来る男だと云う嬉しさだけの自分になる。
これが平生から余の主張である。今夜も一つこの主張を実行して見ようと、夜具の中で例の事件を色々と句に仕立てる。出来たら書きつけないと散漫になっていかぬと、念入りの修業だから、例の写生帖をあけて枕元へ置く。
「海棠の露をふるふや物狂ひ」と真先に書き付けて読んで見ると、別に面白くもないが、さりとて気味のわるい事もない。次に「花の影、女の影の朧かな」とやったが、これは季が重なっている。しかし何でも構わない、気が落ちついて呑気になればいい。それから「正一位、女に化けて朧月」と作ったが、狂句めいて、自分ながらおかしくなった。
この調子なら大丈夫と乗気になって出るだけの句をみなかき付ける。
春の星を落して夜半のかざしかな
春の夜の雲に濡らすや洗ひ髪
春や今宵歌つかまつる御姿
海棠の精が出てくる月夜かな
うた折々月下の春ををちこちす
思ひ切つて更け行く春の独りかな
などと、試みているうち、いつしか、うとうと眠くなる。
恍惚と云うのが、こんな場合に用いるべき形容詞かと思う。熟睡のうちには何人も我を認め得ぬ。明覚の際には誰あって外界を忘るるものはなかろう。ただ両域の間に縷のごとき幻境が横わる。醒めたりと云うには余り朧にて、眠ると評せんには少しく生気を剰す。起臥の二界を同瓶裏に盛りて、詩歌の彩管をもって、ひたすらに攪き雑ぜたるがごとき状態を云うのである。自然の色を夢の手前までぼかして、ありのままの宇宙を一段、霞の国へ押し流す。睡魔の妖腕をかりて、ありとある実相の角度を滑かにすると共に、かく和らげられたる乾坤に、われからと微かに鈍き脈を通わせる。地を這う煙の飛ばんとして飛び得ざるごとく、わが魂の、わが殻を離れんとして離るるに忍びざる態である。抜け出でんとして逡巡い、逡巡いては抜け出でんとし、果ては魂と云う個体を、もぎどうに保ちかねて、氤※(「气<慍のつくり」、第3水準1-86-48)たる瞑氛が散るともなしに四肢五体に纏綿して、依々たり恋々たる心持ちである。
余が寤寐の境にかく逍遥していると、入口の唐紙がすうと開いた。あいた所へまぼろしのごとく女の影がふうと現われた。余は驚きもせぬ。恐れもせぬ。ただ心地よく眺めている。眺めると云うてはちと言葉が強過ぎる。余が閉じている瞼の裏に幻影の女が断りもなく滑り込んで来たのである。まぼろしはそろりそろりと部屋のなかに這入る。仙女の波をわたるがごとく、畳の上には人らしい音も立たぬ。閉ずる眼のなかから見る世の中だから確とは解らぬが、色の白い、髪の濃い、襟足の長い女である。近頃はやる、ぼかした写真を灯影にすかすような気がする。
まぼろしは戸棚の前でとまる。戸棚があく。白い腕が袖をすべって暗闇のなかにほのめいた。戸棚がまたしまる。畳の波がおのずから幻影を渡し返す。入口の唐紙がひとりでに閉たる。余が眠りはしだいに濃やかになる。人に死して、まだ牛にも馬にも生れ変らない途中はこんなであろう。
いつまで人と馬の相中に寝ていたかわれは知らぬ。耳元にききっと女の笑い声がしたと思ったら眼がさめた。見れば夜の幕はとくに切り落されて、天下は隅から隅まで明るい。うららかな春日が丸窓の竹格子を黒く染め抜いた様子を見ると、世の中に不思議と云うものの潜む余地はなさそうだ。神秘は十万億土へ帰って、三途の川の向側へ渡ったのだろう。
浴衣のまま、風呂場へ下りて、五分ばかり偶然と湯壺のなかで顔を浮かしていた。洗う気にも、出る気にもならない。第一昨夕はどうしてあんな心持ちになったのだろう。昼と夜を界にこう天地が、でんぐり返るのは妙だ。
身体を拭くさえ退儀だから、いい加減にして、濡れたまま上って、風呂場の戸を内から開けると、また驚かされた。
「御早う。昨夕はよく寝られましたか」
戸を開けるのと、この言葉とはほとんど同時にきた。人のいるさえ予期しておらぬ出合頭の挨拶だから、さそくの返事も出る遑さえないうちに、
「さ、御召しなさい」
と後ろへ廻って、ふわりと余の背中へ柔かい着物をかけた。ようやくの事「これはありがとう……」だけ出して、向き直る、途端に女は二三歩退いた。
昔から小説家は必ず主人公の容貌を極力描写することに相場がきまってる。古今東西の言語で、佳人の品評に使用せられたるものを列挙したならば、大蔵経とその量を争うかも知れぬ。この辟易すべき多量の形容詞中から、余と三歩の隔りに立つ、体を斜めに捩って、後目に余が驚愕と狼狽を心地よげに眺めている女を、もっとも適当に叙すべき用語を拾い来ったなら、どれほどの数になるか知れない。しかし生れて三十余年の今日に至るまで未だかつて、かかる表情を見た事がない。美術家の評によると、希臘の彫刻の理想は、端粛の二字に帰するそうである。端粛とは人間の活力の動かんとして、未だ動かざる姿と思う。動けばどう変化するか、風雲か雷霆か、見わけのつかぬところに余韻が縹緲と存するから含蓄の趣を百世の後に伝うるのであろう。世上幾多の尊厳と威儀とはこの湛然たる可能力の裏面に伏在している。動けばあらわれる。あらわるれば一か二か三か必ず始末がつく。一も二も三も必ず特殊の能力には相違なかろうが、すでに一となり、二となり、三となった暁には、※(「てへん+施のつくり」、第3水準1-84-74)泥帯水の陋を遺憾なく示して、本来円満の相に戻る訳には行かぬ。この故に動と名のつくものは必ず卑しい。運慶の仁王も、北斎の漫画も全くこの動の一字で失敗している。動か静か。これがわれら画工の運命を支配する大問題である。古来美人の形容も大抵この二大範疇のいずれにか打ち込む事が出来べきはずだ。
ところがこの女の表情を見ると、余はいずれとも判断に迷った。口は一文字を結んで静である。眼は五分のすきさえ見出すべく動いている。顔は下膨の瓜実形で、豊かに落ちつきを見せているに引き易えて、額は狭苦しくも、こせついて、いわゆる富士額の俗臭を帯びている。のみならず眉は両方から逼って、中間に数滴の薄荷を点じたるごとく、ぴくぴく焦慮ている。鼻ばかりは軽薄に鋭どくもない、遅鈍に丸くもない。画にしたら美しかろう。かように別れ別れの道具が皆一癖あって、乱調にどやどやと余の双眼に飛び込んだのだから迷うのも無理はない。
元来は静であるべき大地の一角に陥欠が起って、全体が思わず動いたが、動くは本来の性に背くと悟って、力めて往昔の姿にもどろうとしたのを、平衡を失った機勢に制せられて、心ならずも動きつづけた今日は、やけだから無理でも動いて見せると云わぬばかりの有様が――そんな有様がもしあるとすればちょうどこの女を形容する事が出来る。
それだから軽侮の裏に、何となく人に縋りたい景色が見える。人を馬鹿にした様子の底に慎み深い分別がほのめいている。才に任せ、気を負えば百人の男子を物の数とも思わぬ勢の下から温和しい情けが吾知らず湧いて出る。どうしても表情に一致がない。悟りと迷が一軒の家に喧嘩をしながらも同居している体だ。この女の顔に統一の感じのないのは、心に統一のない証拠で、心に統一がないのは、この女の世界に統一がなかったのだろう。不幸に圧しつけられながら、その不幸に打ち勝とうとしている顔だ。不仕合な女に違ない。
「ありがとう」と繰り返しながら、ちょっと会釈した。
「ほほほほ御部屋は掃除がしてあります。往って御覧なさい。いずれ後ほど」
と云うや否や、ひらりと、腰をひねって、廊下を軽気に馳けて行った。頭は銀杏返に結っている。白い襟がたぼの下から見える。帯の黒繻子は片側だけだろう。
四
ぽかんと部屋へ帰ると、なるほど奇麗に掃除がしてある。ちょっと気がかりだから、念のため戸棚をあけて見る。下には小さな用箪笥が見える。上から友禅の扱帯が半分垂れかかって、いるのは、誰か衣類でも取り出して急いで、出て行ったものと解釈が出来る。扱帯の上部はなまめかしい衣裳の間にかくれて先は見えない。片側には書物が少々詰めてある。一番上に白隠和尚の遠良天釜と、伊勢物語の一巻が並んでる。昨夕のうつつは事実かも知れないと思った。
何気なく座布団の上へ坐ると、唐木の机の上に例の写生帖が、鉛筆を挟んだまま、大事そうにあけてある。夢中に書き流した句を、朝見たらどんな具合だろうと手に取る。
「海棠の露をふるふや物狂」の下にだれだか「海棠の露をふるふや朝烏」とかいたものがある。鉛筆だから、書体はしかと解らんが、女にしては硬過ぎる、男にしては柔か過ぎる。おやとまた吃驚する。次を見ると「花の影、女の影の朧かな」の下に「花の影女の影を重ねけり」とつけてある。「正一位女に化けて朧月」の下には「御曹子女に化けて朧月」とある。真似をしたつもりか、添削した気か、風流の交わりか、馬鹿か、馬鹿にしたのか、余は思わず首を傾けた。
後ほどと云ったから、今に飯の時にでも出て来るかも知れない。出て来たら様子が少しは解るだろう。ときに何時だなと時計を見ると、もう十一時過ぎである。よく寝たものだ。これでは午飯だけで間に合せる方が胃のためによかろう。
右側の障子をあけて、昨夜の名残はどの辺かなと眺める。海棠と鑑定したのははたして、海棠であるが、思ったよりも庭は狭い。五六枚の飛石を一面の青苔が埋めて、素足で踏みつけたら、さも心持ちがよさそうだ。左は山つづきの崖に赤松が斜めに岩の間から庭の上へさし出している。海棠の後ろにはちょっとした茂みがあって、奥は大竹藪が十丈の翠りを春の日に曝している。右手は屋の棟で遮ぎられて、見えぬけれども、地勢から察すると、だらだら下りに風呂場の方へ落ちているに相違ない。
山が尽きて、岡となり、岡が尽きて、幅三丁ほどの平地となり、その平地が尽きて、海の底へもぐり込んで、十七里向うへ行ってまた隆然と起き上って、周囲六里の摩耶島となる。これが那古井の地勢である。温泉場は岡の麓を出来るだけ崖へさしかけて、岨の景色を半分庭へ囲い込んだ一構であるから、前面は二階でも、後ろは平屋になる。椽から足をぶらさげれば、すぐと踵は苔に着く。道理こそ昨夕は楷子段をむやみに上ったり、下ったり、異な仕掛の家と思ったはずだ。
今度は左り側の窓をあける。自然と凹む二畳ばかりの岩のなかに春の水がいつともなく、たまって静かに山桜の影を※(「くさかんむり/(酉+隹)/れんが」、第3水準1-91-44)している。二株三株の熊笹が岩の角を彩どる、向うに枸杞とも見える生垣があって、外は浜から、岡へ上る岨道か時々人声が聞える。往来の向うはだらだらと南下がりに蜜柑を植えて、谷の窮まる所にまた大きな竹藪が、白く光る。竹の葉が遠くから見ると、白く光るとはこの時初めて知った。藪から上は、松の多い山で、赤い幹の間から石磴が五六段手にとるように見える。大方御寺だろう。
入口の襖をあけて椽へ出ると、欄干が四角に曲って、方角から云えば海の見ゆべきはずの所に、中庭を隔てて、表二階の一間がある。わが住む部屋も、欄干に倚ればやはり同じ高さの二階なのには興が催おされる。湯壺は地の下にあるのだから、入湯と云う点から云えば、余は三層楼上に起臥する訳になる。
家は随分広いが、向う二階の一間と、余が欄干に添うて、右へ折れた一間のほかは、居室台所は知らず、客間と名がつきそうなのは大抵立て切ってある。客は、余をのぞくのほかほとんど皆無なのだろう。〆た部屋は昼も雨戸をあけず、あけた以上は夜も閉てぬらしい。これでは表の戸締りさえ、するかしないか解らん。非人情の旅にはもって来いと云う屈強な場所だ。
時計は十二時近くなったが飯を食わせる景色はさらにない。ようやく空腹を覚えて来たが、空山不見人と云う詩中にあると思うと、一とかたげぐらい倹約しても遺憾はない。画をかくのも面倒だ、俳句は作らんでもすでに俳三昧に入っているから、作るだけ野暮だ。読もうと思って三脚几に括りつけて来た二三冊の書籍もほどく気にならん。こうやって、煦々たる春日に背中をあぶって、椽側に花の影と共に寝ころんでいるのが、天下の至楽である。考えれば外道に堕ちる。動くと危ない。出来るならば鼻から呼吸もしたくない。畳から根の生えた植物のようにじっとして二週間ばかり暮して見たい。
やがて、廊下に足音がして、段々下から誰か上ってくる。近づくのを聞いていると、二人らしい。それが部屋の前でとまったなと思ったら、一人は何にも云わず、元の方へ引き返す。襖があいたから、今朝の人と思ったら、やはり昨夜の小女郎である。何だか物足らぬ。
「遅くなりました」と膳を据える。朝食の言訳も何にも言わぬ。焼肴に青いものをあしらって、椀の蓋をとれば早蕨の中に、紅白に染め抜かれた、海老を沈ませてある。ああ好い色だと思って、椀の中を眺めていた。
「御嫌いか」と下女が聞く。
「いいや、今に食う」と云ったが実際食うのは惜しい気がした。ターナーがある晩餐の席で、皿に盛るサラドを見詰めながら、涼しい色だ、これがわしの用いる色だと傍の人に話したと云う逸事をある書物で読んだ事があるが、この海老と蕨の色をちょっとターナーに見せてやりたい。いったい西洋の食物で色のいいものは一つもない。あればサラドと赤大根ぐらいなものだ。滋養の点から云ったらどうか知らんが、画家から見るとすこぶる発達せん料理である。そこへ行くと日本の献立は、吸物でも、口取でも、刺身でも物奇麗に出来る。会席膳を前へ置いて、一箸も着けずに、眺めたまま帰っても、目の保養から云えば、御茶屋へ上がった甲斐は充分ある。
「うちに若い女の人がいるだろう」と椀を置きながら、質問をかけた。
「へえ」
「ありゃ何だい」
「若い奥様でござんす」
「あのほかにまだ年寄の奥様がいるのかい」
「去年御亡くなりました」
「旦那さんは」
「おります。旦那さんの娘さんでござんす」
「あの若い人がかい」
「へえ」
「御客はいるかい」
「おりません」
「わたし一人かい」
「へえ」
「若い奥さんは毎日何をしているかい」
「針仕事を……」
「それから」
「三味を弾きます」
これは意外であった。面白いからまた
「それから」と聞いて見た。
「御寺へ行きます」と小女郎が云う。
これはまた意外である。御寺と三味線は妙だ。
「御寺詣りをするのかい」
「いいえ、和尚様の所へ行きます」
「和尚さんが三味線でも習うのかい」
「いいえ」
「じゃ何をしに行くのだい」
「大徹様の所へ行きます」
なあるほど、大徹と云うのはこの額を書いた男に相違ない。この句から察すると何でも禅坊主らしい。戸棚に遠良天釜があったのは、全くあの女の所持品だろう。
「この部屋は普段誰か這入っている所かね」
「普段は奥様がおります」
「それじゃ、昨夕、わたしが来る時までここにいたのだね」
「へえ」
「それは御気の毒な事をした。それで大徹さんの所へ何をしに行くのだい」
「知りません」
「それから」
「何でござんす」
「それから、まだほかに何かするのだろう」
「それから、いろいろ……」
「いろいろって、どんな事を」
「知りません」
会話はこれで切れる。飯はようやく了る。膳を引くとき、小女郎が入口の襖を開たら、中庭の栽込みを隔てて、向う二階の欄干に銀杏返しが頬杖を突いて、開化した楊柳観音のように下を見詰めていた。今朝に引き替えて、はなはだ静かな姿である。俯向いて、瞳の働きが、こちらへ通わないから、相好にかほどな変化を来たしたものであろうか。昔の人は人に存するもの眸子より良きはなしと云ったそうだが、なるほど人焉んぞ※(「广+溲のつくり」、第3水準1-84-15)さんや、人間のうちで眼ほど活きている道具はない。寂然と倚る亜字欄の下から、蝶々が二羽寄りつ離れつ舞い上がる。途端にわが部屋の襖はあいたのである。襖の音に、女は卒然と蝶から眼を余の方に転じた。視線は毒矢のごとく空を貫いて、会釈もなく余が眉間に落ちる。はっと思う間に、小女郎が、またはたと襖を立て切った。あとは至極呑気な春となる。
余はまたごろりと寝ころんだ。たちまち心に浮んだのは、
Sadder than is the moon's lost light,
Lost ere the kindling of dawn,
To travellers journeying on,
The shutting of thy fair face from my sight.
と云う句であった。もし余があの銀杏返しに懸想して、身を砕いても逢わんと思う矢先に、今のような一瞥の別れを、魂消るまでに、嬉しとも、口惜しとも感じたら、余は必ずこんな意味をこんな詩に作るだろう。その上に
Might I look on thee in death,
With bliss I would yield my breath.
と云う二句さえ、付け加えたかも知れぬ。幸い、普通ありふれた、恋とか愛とか云う境界はすでに通り越して、そんな苦しみは感じたくても感じられない。しかし今の刹那に起った出来事の詩趣はゆたかにこの五六行にあらわれている。余と銀杏返しの間柄にこんな切ない思はないとしても、二人の今の関係を、この詩の中に適用て見るのは面白い。あるいはこの詩の意味をわれらの身の上に引きつけて解釈しても愉快だ。二人の間には、ある因果の細い糸で、この詩にあらわれた境遇の一部分が、事実となって、括りつけられている。因果もこのくらい糸が細いと苦にはならぬ。その上、ただの糸ではない。空を横切る虹の糸、野辺に棚引く霞の糸、露にかがやく蜘蛛の糸。切ろうとすれば、すぐ切れて、見ているうちは勝れてうつくしい。万一この糸が見る間に太くなって井戸縄のようにかたくなったら? そんな危険はない。余は画工である。先はただの女とは違う。
突然襖があいた。寝返りを打って入口を見ると、因果の相手のその銀杏返しが敷居の上に立って青磁の鉢を盆に乗せたまま佇んでいる。
「また寝ていらっしゃるか、昨夕は御迷惑で御座んしたろう。何返も御邪魔をして、ほほほほ」と笑う。臆した景色も、隠す景色も――恥ずる景色は無論ない。ただこちらが先を越されたのみである。
「今朝はありがとう」とまた礼を云った。考えると、丹前の礼をこれで三返云った。しかも、三返ながら、ただ難有うと云う三字である。
女は余が起き返ろうとする枕元へ、早くも坐って
「まあ寝ていらっしゃい。寝ていても話は出来ましょう」と、さも気作に云う。余は全くだと考えたから、ひとまず腹這になって、両手で顎を支え、しばし畳の上へ肘壺の柱を立てる。
「御退屈だろうと思って、御茶を入れに来ました」
「ありがとう」またありがとうが出た。菓子皿のなかを見ると、立派な羊羹が並んでいる。余はすべての菓子のうちでもっとも羊羹が好だ。別段食いたくはないが、あの肌合が滑らかに、緻密に、しかも半透明に光線を受ける具合は、どう見ても一個の美術品だ。ことに青味を帯びた煉上げ方は、玉と蝋石の雑種のようで、はなはだ見て心持ちがいい。のみならず青磁の皿に盛られた青い煉羊羹は、青磁のなかから今生れたようにつやつやして、思わず手を出して撫でて見たくなる。西洋の菓子で、これほど快感を与えるものは一つもない。クリームの色はちょっと柔かだが、少し重苦しい。ジェリは、一目宝石のように見えるが、ぶるぶる顫えて、羊羹ほどの重味がない。白砂糖と牛乳で五重の塔を作るに至っては、言語道断の沙汰である。
「うん、なかなか美事だ」
「今しがた、源兵衛が買って帰りました。これならあなたに召し上がられるでしょう」
源兵衛は昨夕城下へ留ったと見える。余は別段の返事もせず羊羹を見ていた。どこで誰れが買って来ても構う事はない。ただ美くしければ、美くしいと思うだけで充分満足である。
「この青磁の形は大変いい。色も美事だ。ほとんど羊羹に対して遜色がない」
女はふふんと笑った。口元に侮どりの波が微かに揺れた。余の言葉を洒落と解したのだろう。なるほど洒落とすれば、軽蔑される価はたしかにある。智慧の足りない男が無理に洒落れた時には、よくこんな事を云うものだ。
「これは支那ですか」
「何ですか」と相手はまるで青磁を眼中に置いていない。
「どうも支那らしい」と皿を上げて底を眺めて見た。
「そんなものが、御好きなら、見せましょうか」
「ええ、見せて下さい」
「父が骨董が大好きですから、だいぶいろいろなものがあります。父にそう云って、いつか御茶でも上げましょう」
茶と聞いて少し辟易した。世間に茶人ほどもったいぶった風流人はない。広い詩界をわざとらしく窮屈に縄張りをして、極めて自尊的に、極めてことさらに、極めてせせこましく、必要もないのに鞠躬如として、あぶくを飲んで結構がるものはいわゆる茶人である。あんな煩瑣な規則のうちに雅味があるなら、麻布の聯隊のなかは雅味で鼻がつかえるだろう。廻れ右、前への連中はことごとく大茶人でなくてはならぬ。あれは商人とか町人とか、まるで趣味の教育のない連中が、どうするのが風流か見当がつかぬところから、器械的に利休以後の規則を鵜呑みにして、これでおおかた風流なんだろう、とかえって真の風流人を馬鹿にするための芸である。
「御茶って、あの流儀のある茶ですかな」
「いいえ、流儀も何もありゃしません。御厭なら飲まなくってもいい御茶です」
「そんなら、ついでに飲んでもいいですよ」
「ほほほほ。父は道具を人に見ていただくのが大好きなんですから……」
「褒めなくっちゃあ、いけませんか」
「年寄りだから、褒めてやれば、嬉しがりますよ」
「へえ、少しなら褒めて置きましょう」
「負けて、たくさん御褒めなさい」
「はははは、時にあなたの言葉は田舎じゃない」
「人間は田舎なんですか」
「人間は田舎の方がいいのです」
「それじゃ幅が利きます」
「しかし東京にいた事がありましょう」
「ええ、いました、京都にもいました。渡りものですから、方々にいました」
「ここと都と、どっちがいいですか」
「同じ事ですわ」
「こう云う静かな所が、かえって気楽でしょう」
「気楽も、気楽でないも、世の中は気の持ちよう一つでどうでもなります。蚤の国が厭になったって、蚊の国へ引越しちゃ、何にもなりません」
「蚤も蚊もいない国へ行ったら、いいでしょう」
「そんな国があるなら、ここへ出して御覧なさい。さあ出してちょうだい」と女は詰め寄せる。
「御望みなら、出して上げましょう」と例の写生帖をとって、女が馬へ乗って、山桜を見ている心持ち――無論とっさの筆使いだから、画にはならない。ただ心持ちだけをさらさらと書いて、
「さあ、この中へ御這入りなさい。蚤も蚊もいません」と鼻の前へ突きつけた。驚くか、恥ずかしがるか、この様子では、よもや、苦しがる事はなかろうと思って、ちょっと景色を伺うと、
「まあ、窮屈な世界だこと、横幅ばかりじゃありませんか。そんな所が御好きなの、まるで蟹ね」と云って退けた。余は
「わはははは」と笑う。軒端に近く、啼きかけた鶯が、中途で声を崩して、遠き方へ枝移りをやる。両人はわざと対話をやめて、しばらく耳を峙てたが、いったん鳴き損ねた咽喉は容易に開けぬ。
「昨日は山で源兵衛に御逢いでしたろう」
「ええ」
「長良の乙女の五輪塔を見ていらしったか」
「ええ」
「あきづけば、をばなが上に置く露の、けぬべくもわは、おもほゆるかも」と説明もなく、女はすらりと節もつけずに歌だけ述べた。何のためか知らぬ。
「その歌はね、茶店で聞きましたよ」
「婆さんが教えましたか。あれはもと私のうちへ奉公したもので、私がまだ嫁に……」と云いかけて、これはと余の顔を見たから、余は知らぬ風をしていた。
「私がまだ若い時分でしたが、あれが来るたびに長良の話をして聞かせてやりました。うただけはなかなか覚えなかったのですが、何遍も聴くうちに、とうとう何もかも諳誦してしまいました」
「どうれで、むずかしい事を知ってると思った。――しかしあの歌は憐れな歌ですね」
「憐れでしょうか。私ならあんな歌は咏みませんね。第一、淵川へ身を投げるなんて、つまらないじゃありませんか」
「なるほどつまらないですね。あなたならどうしますか」
「どうするって、訳ないじゃありませんか。ささだ男もささべ男も、男妾にするばかりですわ」
「両方ともですか」
「ええ」
「えらいな」
「えらかあない、当り前ですわ」
「なるほどそれじゃ蚊の国へも、蚤の国へも、飛び込まずに済む訳だ」
「蟹のような思いをしなくっても、生きていられるでしょう」
ほーう、ほけきょうと忘れかけた鶯が、いつ勢を盛り返してか、時ならぬ高音を不意に張った。一度立て直すと、あとは自然に出ると見える。身を逆まにして、ふくらむ咽喉の底を震わして、小さき口の張り裂くるばかりに、
ほーう、ほけきょーう。ほーー、ほけっーきょうーと、つづけ様に囀ずる。
「あれが本当の歌です」と女が余に教えた。
五
「失礼ですが旦那は、やっぱり東京ですか」
「東京と見えるかい」
「見えるかいって、一目見りゃあ、――第一言葉でわかりまさあ」
「東京はどこだか知れるかい」
「そうさね。東京は馬鹿に広いからね。――何でも下町じゃねえようだ。山の手だね。山の手は麹町かね。え? それじゃ、小石川? でなければ牛込か四谷でしょう」
「まあそんな見当だろう。よく知ってるな」
「こう見えて、私も江戸っ子だからね」
「道理で生粋だと思ったよ」
「えへへへへ。からっきし、どうも、人間もこうなっちゃ、みじめですぜ」
「何でまたこんな田舎へ流れ込んで来たのだい」
「ちげえねえ、旦那のおっしゃる通りだ。全く流れ込んだんだからね。すっかり食い詰めっちまって……」
「もとから髪結床の親方かね」
「親方じゃねえ、職人さ。え? 所かね。所は神田松永町でさあ。なあに猫の額見たような小さな汚ねえ町でさあ。旦那なんか知らねえはずさ。あすこに竜閑橋てえ橋がありましょう。え? そいつも知らねえかね。竜閑橋ゃ、名代な橋だがね」
「おい、もう少し、石鹸を塗けてくれないか、痛くって、いけない」
「痛うがすかい。私ゃ癇性でね、どうも、こうやって、逆剃をかけて、一本一本髭の穴を掘らなくっちゃ、気が済まねえんだから、――なあに今時の職人なあ、剃るんじゃねえ、撫でるんだ。もう少しだ我慢おしなせえ」
「我慢は先から、もうだいぶしたよ。御願だから、もう少し湯か石鹸をつけとくれ」
「我慢しきれねえかね。そんなに痛かあねえはずだが。全体、髭があんまり、延び過ぎてるんだ」
やけに頬の肉をつまみ上げた手を、残念そうに放した親方は、棚の上から、薄っ片な赤い石鹸を取り卸ろして、水のなかにちょっと浸したと思ったら、それなり余の顔をまんべんなく一応撫で廻わした。裸石鹸を顔へ塗りつけられた事はあまりない。しかもそれを濡らした水は、幾日前に汲んだ、溜め置きかと考えると、余りぞっとしない。
すでに髪結床である以上は、御客の権利として、余は鏡に向わなければならん。しかし余はさっきからこの権利を放棄したく考えている。鏡と云う道具は平らに出来て、なだらかに人の顔を写さなくては義理が立たぬ。もしこの性質が具わらない鏡を懸けて、これに向えと強いるならば、強いるものは下手な写真師と同じく、向うものの器量を故意に損害したと云わなければならぬ。虚栄心を挫くのは修養上一種の方便かも知れぬが、何も己れの真価以下の顔を見せて、これがあなたですよと、こちらを侮辱するには及ぶまい。今余が辛抱して向き合うべく余儀なくされている鏡はたしかに最前から余を侮辱している。右を向くと顔中鼻になる。左を出すと口が耳元まで裂ける。仰向くと蟇蛙を前から見たように真平に圧し潰され、少しこごむと福禄寿の祈誓児のように頭がせり出してくる。いやしくもこの鏡に対する間は一人でいろいろな化物を兼勤しなくてはならぬ。写るわが顔の美術的ならぬはまず我慢するとしても、鏡の構造やら、色合や、銀紙の剥げ落ちて、光線が通り抜ける模様などを総合して考えると、この道具その物からが醜体を極めている。小人から罵詈されるとき、罵詈それ自身は別に痛痒を感ぜぬが、その小人の面前に起臥しなければならぬとすれば、誰しも不愉快だろう。
その上この親方がただの親方ではない。そとから覗いたときは、胡坐をかいて、長煙管で、おもちゃの日英同盟国旗の上へ、しきりに煙草を吹きつけて、さも退屈気に見えたが、這入って、わが首の所置を托する段になって驚ろいた。髭を剃る間は首の所有権は全く親方の手にあるのか、はた幾分かは余の上にも存するのか、一人で疑がい出したくらい、容赦なく取り扱われる。余の首が肩の上に釘付けにされているにしてもこれでは永く持たない。
彼は髪剃を揮うに当って、毫も文明の法則を解しておらん。頬にあたる時はがりりと音がした。揉み上の所ではぞきりと動脈が鳴った。顋のあたりに利刃がひらめく時分にはごりごり、ごりごりと霜柱を踏みつけるような怪しい声が出た。しかも本人は日本一の手腕を有する親方をもって自任している。
最後に彼は酔っ払っている。旦那えと云うたんびに妙な臭いがする。時々は異な瓦斯を余が鼻柱へ吹き掛ける。これではいつ何時、髪剃がどう間違って、どこへ飛んで行くか解らない。使う当人にさえ判然たる計画がない以上は、顔を貸した余に推察のできようはずがない。得心ずくで任せた顔だから、少しの怪我なら苦情は云わないつもりだが、急に気が変って咽喉笛でも掻き切られては事だ。
「石鹸なんぞを、つけて、剃るなあ、腕が生なんだが、旦那のは、髭が髭だから仕方があるめえ」と云いながら親方は裸石鹸を、裸のまま棚の上へ放り出すと、石鹸は親方の命令に背いて地面の上へ転がり落ちた。
「旦那あ、あんまり見受けねえようだが、何ですかい、近頃来なすったのかい」
「二三日前来たばかりさ」
「へえ、どこにいるんですい」
「志保田に逗ってるよ」
「うん、あすこの御客さんですか。おおかたそんな事たろうと思ってた。実あ、私もあの隠居さんを頼て来たんですよ。――なにね、あの隠居が東京にいた時分、わっしが近所にいて、――それで知ってるのさ。いい人でさあ。ものの解ったね。去年御新造が死んじまって、今じゃ道具ばかり捻くってるんだが――何でも素晴らしいものが、有るてえますよ。売ったらよっぽどな金目だろうって話さ」
「奇麗な御嬢さんがいるじゃないか」
「あぶねえね」
「何が?」
「何がって。旦那の前だが、あれで出返りですぜ」
「そうかい」
「そうかいどころの騒じゃねえんだね。全体なら出て来なくってもいいところをさ。――銀行が潰れて贅沢が出来ねえって、出ちまったんだから、義理が悪るいやね。隠居さんがああしているうちはいいが、もしもの事があった日にゃ、法返しがつかねえ訳になりまさあ」
「そうかな」
「当り前でさあ。本家の兄たあ、仲がわるしさ」
「本家があるのかい」
「本家は岡の上にありまさあ。遊びに行って御覧なさい。景色のいい所ですよ」
「おい、もう一遍石鹸をつけてくれないか。また痛くなって来た」
「よく痛くなる髭だね。髭が硬過ぎるからだ。旦那の髭じゃ、三日に一度は是非剃を当てなくっちゃ駄目ですぜ。わっしの剃で痛けりゃ、どこへ行ったって、我慢出来っこねえ」
「これから、そうしよう。何なら毎日来てもいい」
「そんなに長く逗留する気なんですか。あぶねえ。およしなせえ。益もねえ事った。碌でもねえものに引っかかって、どんな目に逢うか解りませんぜ」
「どうして」
「旦那あの娘は面はいいようだが、本当はき印しですぜ」
「なぜ」
「なぜって、旦那。村のものは、みんな気狂だって云ってるんでさあ」
「そりゃ何かの間違だろう」
「だって、現に証拠があるんだから、御よしなせえ。けんのんだ」
「おれは大丈夫だが、どんな証拠があるんだい」
「おかしな話しさね。まあゆっくり、煙草でも呑んで御出なせえ話すから。――頭あ洗いましょうか」
「頭はよそう」
「頭垢だけ落して置くかね」
親方は垢の溜った十本の爪を、遠慮なく、余が頭蓋骨の上に並べて、断わりもなく、前後に猛烈なる運動を開始した。この爪が、黒髪の根を一本ごとに押し分けて、不毛の境を巨人の熊手が疾風の速度で通るごとくに往来する。余が頭に何十万本の髪の毛が生えているか知らんが、ありとある毛がことごとく根こぎにされて、残る地面がべた一面に蚯蚓腫にふくれ上った上、余勢が地磐を通して、骨から脳味噌まで震盪を感じたくらい烈しく、親方は余の頭を掻き廻わした。
「どうです、好い心持でしょう」
「非常な辣腕だ」
「え? こうやると誰でもさっぱりするからね」
「首が抜けそうだよ」
「そんなに倦怠うがすかい。全く陽気の加減だね。どうも春てえ奴あ、やに身体がなまけやがって――まあ一ぷく御上がんなさい。一人で志保田にいちゃ、退屈でしょう。ちと話しに御出なせえ。どうも江戸っ子は江戸っ子同志でなくっちゃ、話しが合わねえものだから。何ですかい、やっぱりあの御嬢さんが、御愛想に出てきますかい。どうもさっぱし、見境のねえ女だから困っちまわあ」
「御嬢さんが、どうとか、したところで頭垢が飛んで、首が抜けそうになったっけ」
「違ねえ、がんがらがんだから、からっきし、話に締りがねえったらねえ。――そこでその坊主が逆せちまって……」
「その坊主たあ、どの坊主だい」
「観海寺の納所坊主がさ……」
「納所にも住持にも、坊主はまだ一人も出て来ないんだ」
「そうか、急勝だから、いけねえ。苦味走った、色の出来そうな坊主だったが、そいつが御前さん、レコに参っちまって、とうとう文をつけたんだ。――おや待てよ。口説たんだっけかな。いんにゃ文だ。文に違えねえ。すると――こうっと――何だか、行きさつが少し変だぜ。うん、そうか、やっぱりそうか。するてえと奴さん、驚ろいちまってからに……」
「誰が驚ろいたんだい」
「女がさ」
「女が文を受け取って驚ろいたんだね」
「ところが驚ろくような女なら、殊勝らしいんだが、驚ろくどころじゃねえ」
「じゃ誰が驚ろいたんだい」
「口説た方がさ」
「口説ないのじゃないか」
「ええ、じれってえ。間違ってらあ。文をもらってさ」
「それじゃやっぱり女だろう」
「なあに男がさ」
「男なら、その坊主だろう」
「ええ、その坊主がさ」
「坊主がどうして驚ろいたのかい」
「どうしてって、本堂で和尚さんと御経を上げてると、突然あの女が飛び込んで来て――ウフフフフ。どうしても狂印だね」
「どうかしたのかい」
「そんなに可愛いなら、仏様の前で、いっしょに寝ようって、出し抜けに、泰安さんの頸っ玉へかじりついたんでさあ」
「へええ」
「面喰ったなあ、泰安さ。気狂に文をつけて、飛んだ恥を掻かせられて、とうとう、その晩こっそり姿を隠して死んじまって……」
「死んだ?」
「死んだろうと思うのさ。生きちゃいられめえ」
「何とも云えない」
「そうさ、相手が気狂じゃ、死んだって冴えねえから、ことによると生きてるかも知れねえね」
「なかなか面白い話だ」
「面白いの、面白くないのって、村中大笑いでさあ。ところが当人だけは、根が気が違ってるんだから、洒唖洒唖して平気なもんで――なあに旦那のようにしっかりしていりゃ大丈夫ですがね、相手が相手だから、滅多にからかったり何かすると、大変な目に逢いますよ」
「ちっと気をつけるかね。ははははは」
生温い磯から、塩気のある春風がふわりふわりと来て、親方の暖簾を眠たそうに煽る。身を斜にしてその下をくぐり抜ける燕の姿が、ひらりと、鏡の裡に落ちて行く。向うの家では六十ばかりの爺さんが、軒下に蹲踞まりながら、だまって貝をむいている。かちゃりと、小刀があたるたびに、赤い味が笊のなかに隠れる。殻はきらりと光りを放って、二尺あまりの陽炎を向へ横切る。丘のごとくに堆かく、積み上げられた、貝殻は牡蠣か、馬鹿か、馬刀貝か。崩れた、幾分は砂川の底に落ちて、浮世の表から、暗らい国へ葬られる。葬られるあとから、すぐ新しい貝が、柳の下へたまる。爺さんは貝の行末を考うる暇さえなく、ただ空しき殻を陽炎の上へ放り出す。彼れの笊には支うべき底なくして、彼れの春の日は無尽蔵に長閑かと見える。
砂川は二間に足らぬ小橋の下を流れて、浜の方へ春の水をそそぐ。春の水が春の海と出合うあたりには、参差として幾尋の干網が、網の目を抜けて村へ吹く軟風に、腥き微温を与えつつあるかと怪しまれる。その間から、鈍刀を溶かして、気長にのたくらせたように見えるのが海の色だ。
この景色とこの親方とはとうてい調和しない。もしこの親方の人格が強烈で四辺の風光と拮抗するほどの影響を余の頭脳に与えたならば、余は両者の間に立ってすこぶる円※(「木+吶のつくり」、第3水準1-85-54)方鑿の感に打たれただろう。幸にして親方はさほど偉大な豪傑ではなかった。いくら江戸っ子でも、どれほどたんかを切っても、この渾然として駘蕩たる天地の大気象には叶わない。満腹の饒舌を弄して、あくまでこの調子を破ろうとする親方は、早く一微塵となって、怡々たる春光の裏に浮遊している。矛盾とは、力において、量において、もしくは意気体躯において氷炭相容るる能わずして、しかも同程度に位する物もしくは人の間に在って始めて、見出し得べき現象である。両者の間隔がはなはだしく懸絶するときは、この矛盾はようやく※(「さんずい+斯」、第3水準1-87-16)※(「龍/石」、第3水準1-89-17)磨して、かえって大勢力の一部となって活動するに至るかも知れぬ。大人の手足となって才子が活動し、才子の股肱となって昧者が活動し、昧者の心腹となって牛馬が活動し得るのはこれがためである。今わが親方は限りなき春の景色を背景として、一種の滑稽を演じている。長閑な春の感じを壊すべきはずの彼は、かえって長閑な春の感じを刻意に添えつつある。余は思わず弥生半ばに呑気な弥次と近づきになったような気持ちになった。この極めて安価なる気※(「陷のつくり+炎」、第3水準1-87-64)家は、太平の象を具したる春の日にもっとも調和せる一彩色である。
こう考えると、この親方もなかなか画にも、詩にもなる男だから、とうに帰るべきところを、わざと尻を据えて四方八方の話をしていた。ところへ暖簾を滑って小さな坊主頭が
「御免、一つ剃って貰おうか」
と這入って来る。白木綿の着物に同じ丸絎の帯をしめて、上から蚊帳のように粗い法衣を羽織って、すこぶる気楽に見える小坊主であった。
「了念さん。どうだい、こないだあ道草あ、食って、和尚さんに叱られたろう」
「いんにゃ、褒められた」
「使に出て、途中で魚なんか、とっていて、了念は感心だって、褒められたのかい」
「若いに似ず了念は、よく遊んで来て感心じゃ云うて、老師が褒められたのよ」
「道理で頭に瘤が出来てらあ。そんな不作法な頭あ、剃るなあ骨が折れていけねえ。今日は勘弁するから、この次から、捏ね直して来ねえ」
「捏ね直すくらいなら、ますこし上手な床屋へ行きます」
「はははは頭は凹凸だが、口だけは達者なもんだ」
「腕は鈍いが、酒だけ強いのは御前だろ」
「箆棒め、腕が鈍いって……」
「わしが云うたのじゃない。老師が云われたのじゃ。そう怒るまい。年甲斐もない」
「ヘン、面白くもねえ。――ねえ、旦那」
「ええ?」
「全体坊主なんてえものは、高い石段の上に住んでやがって、屈托がねえから、自然に口が達者になる訳ですかね。こんな小坊主までなかなか口幅ってえ事を云いますぜ――おっと、もう少し頭を寝かして――寝かすんだてえのに、――言う事を聴かなけりゃ、切るよ、いいか、血が出るぜ」
「痛いがな。そう無茶をしては」
「このくらいな辛抱が出来なくって坊主になれるもんか」
「坊主にはもうなっとるがな」
「まだ一人前じゃねえ。――時にあの泰安さんは、どうして死んだっけな、御小僧さん」
「泰安さんは死にはせんがな」
「死なねえ? はてな。死んだはずだが」
「泰安さんは、その後発憤して、陸前の大梅寺へ行って、修業三昧じゃ。今に智識になられよう。結構な事よ」
「何が結構だい。いくら坊主だって、夜逃をして結構な法はあるめえ。御前なんざ、よく気をつけなくっちゃいけねえぜ。とかく、しくじるなあ女だから――女ってえば、あの狂印はやっぱり和尚さんの所へ行くかい」
「狂印と云う女は聞いた事がない」
「通じねえ、味噌擂だ。行くのか、行かねえのか」
「狂印は来んが、志保田の娘さんなら来る」
「いくら、和尚さんの御祈祷でもあればかりゃ、癒るめえ。全く先の旦那が祟ってるんだ」
「あの娘さんはえらい女だ。老師がよう褒めておられる」
「石段をあがると、何でも逆様だから叶わねえ。和尚さんが、何て云ったって、気狂は気狂だろう。――さあ剃れたよ。早く行って和尚さんに叱られて来めえ」
「いやもう少し遊んで行って賞められよう」
「勝手にしろ、口の減らねえ餓鬼だ」
「咄この乾屎※(「木+厥」、第3水準1-86-15)」
「何だと?」
青い頭はすでに暖簾をくぐって、春風に吹かれている。
六
夕暮の机に向う。障子も襖も開け放つ。宿の人は多くもあらぬ上に、家は割合に広い。余が住む部屋は、多くもあらぬ人の、人らしく振舞う境を、幾曲の廊下に隔てたれば、物の音さえ思索の煩にはならぬ。今日は一層静かである。主人も、娘も、下女も下男も、知らぬ間に、われを残して、立ち退いたかと思われる。立ち退いたとすればただの所へ立ち退きはせぬ。霞の国か、雲の国かであろう。あるいは雲と水が自然に近づいて、舵をとるさえ懶き海の上を、いつ流れたとも心づかぬ間に、白い帆が雲とも水とも見分け難き境に漂い来て、果ては帆みずからが、いずこに己れを雲と水より差別すべきかを苦しむあたりへ――そんな遥かな所へ立ち退いたと思われる。それでなければ卒然と春のなかに消え失せて、これまでの四大が、今頃は目に見えぬ霊氛となって、広い天地の間に、顕微鏡の力を藉るとも、些の名残を留めぬようになったのであろう。あるいは雲雀に化して、菜の花の黄を鳴き尽したる後、夕暮深き紫のたなびくほとりへ行ったかも知れぬ。または永き日を、かつ永くする虻のつとめを果したる後、蕋に凝る甘き露を吸い損ねて、落椿の下に、伏せられながら、世を香ばしく眠っているかも知れぬ。とにかく静かなものだ。
空しき家を、空しく抜ける春風の、抜けて行くは迎える人への義理でもない。拒むものへの面当でもない。自から来りて、自から去る、公平なる宇宙の意である。掌に顎を支えたる余の心も、わが住む部屋のごとく空しければ、春風は招かぬに、遠慮もなく行き抜けるであろう。
踏むは地と思えばこそ、裂けはせぬかとの気遣も起る。戴くは天と知る故に、稲妻の米噛に震う怖も出来る。人と争わねば一分が立たぬと浮世が催促するから、火宅の苦は免かれぬ。東西のある乾坤に住んで、利害の綱を渡らねばならぬ身には、事実の恋は讎である。目に見る富は土である。握る名と奪える誉とは、小賢かしき蜂が甘く醸すと見せて、針を棄て去る蜜のごときものであろう。いわゆる楽は物に着するより起るが故に、あらゆる苦しみを含む。ただ詩人と画客なるものあって、飽くまでこの待対世界の精華を嚼んで、徹骨徹髄の清きを知る。霞を餐し、露を嚥み、紫を品し、紅を評して、死に至って悔いぬ。彼らの楽は物に着するのではない。同化してその物になるのである。その物になり済ました時に、我を樹立すべき余地は茫々たる大地を極めても見出し得ぬ。自在に泥団を放下して、破笠裏に無限の青嵐を盛る。いたずらにこの境遇を拈出するのは、敢て市井の銅臭児の鬼嚇して、好んで高く標置するがためではない。ただ這裏の福音を述べて、縁ある衆生を麾くのみである。有体に云えば詩境と云い、画界と云うも皆人々具足の道である。春秋に指を折り尽して、白頭に呻吟するの徒といえども、一生を回顧して、閲歴の波動を順次に点検し来るとき、かつては微光の臭骸に洩れて、吾を忘れし、拍手の興を喚び起す事が出来よう。出来ぬと云わば生甲斐のない男である。
されど一事に即し、一物に化するのみが詩人の感興とは云わぬ。ある時は一弁の花に化し、あるときは一双の蝶に化し、あるはウォーヅウォースのごとく、一団の水仙に化して、心を沢風の裏に撩乱せしむる事もあろうが、何とも知れぬ四辺の風光にわが心を奪われて、わが心を奪えるは那物ぞとも明瞭に意識せぬ場合がある。ある人は天地の耿気に触るると云うだろう。ある人は無絃の琴を霊台に聴くと云うだろう。またある人は知りがたく、解しがたき故に無限の域に※(「にんべん+亶」、第3水準1-14-43)※(「にんべん+回」、第3水準1-14-18)して、縹緲のちまたに彷徨すると形容するかも知れぬ。何と云うも皆その人の自由である。わが、唐木の机に憑りてぽかんとした心裡の状態は正にこれである。
余は明かに何事をも考えておらぬ。またはたしかに何物をも見ておらぬ。わが意識の舞台に著るしき色彩をもって動くものがないから、われはいかなる事物に同化したとも云えぬ。されども吾は動いている。世の中に動いてもおらぬ、世の外にも動いておらぬ。ただ何となく動いている。花に動くにもあらず、鳥に動くにもあらず、人間に対して動くにもあらず、ただ恍惚と動いている。
強いて説明せよと云わるるならば、余が心はただ春と共に動いていると云いたい。あらゆる春の色、春の風、春の物、春の声を打って、固めて、仙丹に練り上げて、それを蓬莱の霊液に溶いて、桃源の日で蒸発せしめた精気が、知らぬ間に毛孔から染み込んで、心が知覚せぬうちに飽和されてしまったと云いたい。普通の同化には刺激がある。刺激があればこそ、愉快であろう。余の同化には、何と同化したか不分明であるから、毫も刺激がない。刺激がないから、窈然として名状しがたい楽がある。風に揉まれて上の空なる波を起す、軽薄で騒々しい趣とは違う。目に見えぬ幾尋の底を、大陸から大陸まで動いている※(「さんずい+(廣-广)」、第3水準1-87-13)洋たる蒼海の有様と形容する事が出来る。ただそれほどに活力がないばかりだ。しかしそこにかえって幸福がある。偉大なる活力の発現は、この活力がいつか尽き果てるだろうとの懸念が籠る。常の姿にはそう云う心配は伴わぬ。常よりは淡きわが心の、今の状態には、わが烈しき力の銷磨しはせぬかとの憂を離れたるのみならず、常の心の可もなく不可もなき凡境をも脱却している。淡しとは単に捕え難しと云う意味で、弱きに過ぎる虞を含んではおらぬ。冲融とか澹蕩とか云う詩人の語はもっともこの境を切実に言い了せたものだろう。
この境界を画にして見たらどうだろうと考えた。しかし普通の画にはならないにきまっている。われらが俗に画と称するものは、ただ眼前の人事風光をありのままなる姿として、もしくはこれをわが審美眼に漉過して、絵絹の上に移したものに過ぎぬ。花が花と見え、水が水と映り、人物が人物として活動すれば、画の能事は終ったものと考えられている。もしこの上に一頭地を抜けば、わが感じたる物象を、わが感じたるままの趣を添えて、画布の上に淋漓として生動させる。ある特別の感興を、己が捕えたる森羅の裡に寓するのがこの種の技術家の主意であるから、彼らの見たる物象観が明瞭に筆端に迸しっておらねば、画を製作したとは云わぬ。己れはしかじかの事を、しかじかに観、しかじかに感じたり、その観方も感じ方も、前人の籬下に立ちて、古来の伝説に支配せられたるにあらず、しかももっとも正しくして、もっとも美くしきものなりとの主張を示す作品にあらざれば、わが作と云うをあえてせぬ。
この二種の製作家に主客深浅の区別はあるかも知れぬが、明瞭なる外界の刺激を待って、始めて手を下すのは双方共同一である。されど今、わが描かんとする題目は、さほどに分明なものではない。あらん限りの感覚を鼓舞して、これを心外に物色したところで、方円の形、紅緑の色は無論、濃淡の陰、洪繊の線を見出しかねる。わが感じは外から来たのではない、たとい来たとしても、わが視界に横わる、一定の景物でないから、これが源因だと指を挙げて明らかに人に示す訳に行かぬ。あるものはただ心持ちである。この心持ちを、どうあらわしたら画になるだろう――否この心持ちをいかなる具体を藉りて、人の合点するように髣髴せしめ得るかが問題である。
普通の画は感じはなくても物さえあれば出来る。第二の画は物と感じと両立すればできる。第三に至っては存するものはただ心持ちだけであるから、画にするには是非共この心持ちに恰好なる対象を択ばなければならん。しかるにこの対象は容易に出て来ない。出て来ても容易に纏らない。纏っても自然界に存するものとは丸で趣を異にする場合がある。したがって普通の人から見れば画とは受け取れない。描いた当人も自然界の局部が再現したものとは認めておらん、ただ感興の上した刻下の心持ちを幾分でも伝えて、多少の生命を※(「りっしんべん+淌のつくり」、第3水準1-84-54)※(「りっしんべん+兄」、第3水準1-84-45)しがたきムードに与うれば大成功と心得ている。古来からこの難事業に全然の績を収め得たる画工があるかないか知らぬ。ある点までこの流派に指を染め得たるものを挙ぐれば、文与可の竹である。雲谷門下の山水である。下って大雅堂の景色である。蕪村の人物である。泰西の画家に至っては、多く眼を具象世界に馳せて、神往の気韻に傾倒せぬ者が大多数を占めているから、この種の筆墨に物外の神韻を伝え得るものははたして幾人あるか知らぬ。
惜しい事に雪舟、蕪村らの力めて描出した一種の気韻は、あまりに単純でかつあまりに変化に乏しい。筆力の点から云えばとうていこれらの大家に及ぶ訳はないが、今わが画にして見ようと思う心持ちはもう少し複雑である。複雑であるだけにどうも一枚のなかへは感じが収まりかねる。頬杖をやめて、両腕を机の上に組んで考えたがやはり出て来ない。色、形、調子が出来て、自分の心が、ああここにいたなと、たちまち自己を認識するようにかかなければならない。生き別れをした吾子を尋ね当てるため、六十余州を回国して、寝ても寤めても、忘れる間がなかったある日、十字街頭にふと邂逅して、稲妻の遮ぎるひまもなきうちに、あっ、ここにいた、と思うようにかかなければならない。それがむずかしい。この調子さえ出れば、人が見て何と云っても構わない。画でないと罵られても恨はない。いやしくも色の配合がこの心持ちの一部を代表して、線の曲直がこの気合の幾分を表現して、全体の配置がこの風韻のどれほどかを伝えるならば、形にあらわれたものは、牛であれ馬であれ、ないしは牛でも馬でも、何でもないものであれ、厭わない。厭わないがどうも出来ない。写生帖を机の上へ置いて、両眼が帖のなかへ落ち込むまで、工夫したが、とても物にならん。
鉛筆を置いて考えた。こんな抽象的な興趣を画にしようとするのが、そもそもの間違である。人間にそう変りはないから、多くの人のうちにはきっと自分と同じ感興に触れたものがあって、この感興を何らの手段かで、永久化せんと試みたに相違ない。試みたとすればその手段は何だろう。
たちまち音楽の二字がぴかりと眼に映った。なるほど音楽はかかる時、かかる必要に逼られて生まれた自然の声であろう。楽は聴くべきもの、習うべきものであると、始めて気がついたが、不幸にして、その辺の消息はまるで不案内である。
次に詩にはなるまいかと、第三の領分に踏み込んで見る。レッシングと云う男は、時間の経過を条件として起る出来事を、詩の本領であるごとく論じて、詩画は不一にして両様なりとの根本義を立てたように記憶するが、そう詩を見ると、今余の発表しようとあせっている境界もとうてい物になりそうにない。余が嬉しいと感ずる心裏の状況には時間はあるかも知れないが、時間の流れに沿うて、逓次に展開すべき出来事の内容がない。一が去り、二が来り、二が消えて三が生まるるがために嬉しいのではない。初から窈然として同所に把住する趣きで嬉しいのである。すでに同所に把住する以上は、よしこれを普通の言語に翻訳したところで、必ずしも時間的に材料を按排する必要はあるまい。やはり絵画と同じく空間的に景物を配置したのみで出来るだろう。ただいかなる景情を詩中に持ち来って、この曠然として倚托なき有様を写すかが問題で、すでにこれを捕え得た以上はレッシングの説に従わんでも詩として成功する訳だ。ホーマーがどうでも、ヴァージルがどうでも構わない。もし詩が一種のムードをあらわすに適しているとすれば、このムードは時間の制限を受けて、順次に進捗する出来事の助けを藉らずとも、単純に空間的なる絵画上の要件を充たしさえすれば、言語をもって描き得るものと思う。
議論はどうでもよい。ラオコーンなどは大概忘れているのだから、よく調べたら、こっちが怪しくなるかも知れない。とにかく、画にしそくなったから、一つ詩にして見よう、と写生帖の上へ、鉛筆を押しつけて、前後に身をゆすぶって見た。しばらくは、筆の先の尖がった所を、どうにか運動させたいばかりで、毫も運動させる訳に行かなかった。急に朋友の名を失念して、咽喉まで出かかっているのに、出てくれないような気がする。そこで諦めると、出損なった名は、ついに腹の底へ収まってしまう。
葛湯を練るとき、最初のうちは、さらさらして、箸に手応がないものだ。そこを辛抱すると、ようやく粘着が出て、攪き淆ぜる手が少し重くなる。それでも構わず、箸を休ませずに廻すと、今度は廻し切れなくなる。しまいには鍋の中の葛が、求めぬに、先方から、争って箸に附着してくる。詩を作るのはまさにこれだ。
手掛りのない鉛筆が少しずつ動くようになるのに勢を得て、かれこれ二三十分したら、
青春二三月。愁随芳草長。閑花落空庭。素琴横虚堂。※(「虫+蕭」、第4水準2-87-94)蛸掛不動。篆煙繞竹梁。
と云う六句だけ出来た。読み返して見ると、みな画になりそうな句ばかりである。これなら始めから、画にすればよかったと思う。なぜ画よりも詩の方が作り易かったかと思う。ここまで出たら、あとは大した苦もなく出そうだ。しかし画に出来ない情を、次には咏って見たい。あれか、これかと思い煩った末とうとう、
独坐無隻語。方寸認微光。人間徒多事。此境孰可忘。会得一日静。正知百年忙。遐懐寄何処。緬※(「二点しんにょう+貌」、第3水準1-92-58)白雲郷。
と出来た。もう一返最初から読み直して見ると、ちょっと面白く読まれるが、どうも、自分が今しがた入った神境を写したものとすると、索然として物足りない。ついでだから、もう一首作って見ようかと、鉛筆を握ったまま、何の気もなしに、入口の方を見ると、襖を引いて、開け放った幅三尺の空間をちらりと、奇麗な影が通った。はてな。
余が眼を転じて、入口を見たときは、奇麗なものが、すでに引き開けた襖の影に半分かくれかけていた。しかもその姿は余が見ぬ前から、動いていたものらしく、はっと思う間に通り越した。余は詩をすてて入口を見守る。
一分と立たぬ間に、影は反対の方から、逆にあらわれて来た。振袖姿のすらりとした女が、音もせず、向う二階の椽側を寂然として歩行て行く。余は覚えず鉛筆を落して、鼻から吸いかけた息をぴたりと留めた。
花曇りの空が、刻一刻に天から、ずり落ちて、今や降ると待たれたる夕暮の欄干に、しとやかに行き、しとやかに帰る振袖の影は、余が座敷から六間の中庭を隔てて、重き空気のなかに蕭寥と見えつ、隠れつする。
女はもとより口も聞かぬ。傍目も触らぬ。椽に引く裾の音さえおのが耳に入らぬくらい静かに歩行いている。腰から下にぱっと色づく、裾模様は何を染め抜いたものか、遠くて解からぬ。ただ無地と模様のつながる中が、おのずから暈されて、夜と昼との境のごとき心地である。女はもとより夜と昼との境をあるいている。
この長い振袖を着て、長い廊下を何度往き何度戻る気か、余には解からぬ。いつ頃からこの不思議な装をして、この不思議な歩行をつづけつつあるかも、余には解らぬ。その主意に至ってはもとより解らぬ。もとより解るべきはずならぬ事を、かくまでも端正に、かくまでも静粛に、かくまでも度を重ねて繰り返す人の姿の、入口にあらわれては消え、消えてはあらわるる時の余の感じは一種異様である。逝く春の恨を訴うる所作ならば何が故にかくは無頓着なる。無頓着なる所作ならば何が故にかくは綺羅を飾れる。
暮れんとする春の色の、嬋媛として、しばらくは冥※(「二点しんにょう+貌」、第3水準1-92-58)の戸口をまぼろしに彩どる中に、眼も醒むるほどの帯地は金襴か。あざやかなる織物は往きつ、戻りつ蒼然たる夕べのなかにつつまれて、幽闃のあなた、遼遠のかしこへ一分ごとに消えて去る。燦めき渡る春の星の、暁近くに、紫深き空の底に陥いる趣である。
太玄の※(「門<昏」、第3水準1-93-52)おのずから開けて、この華やかなる姿を、幽冥の府に吸い込まんとするとき、余はこう感じた。金屏を背に、銀燭を前に、春の宵の一刻を千金と、さざめき暮らしてこそしかるべきこの装の、厭う景色もなく、争う様子も見えず、色相世界から薄れて行くのは、ある点において超自然の情景である。刻々と逼る黒き影を、すかして見ると女は粛然として、焦きもせず、狼狽もせず、同じほどの歩調をもって、同じ所を徘徊しているらしい。身に落ちかかる災を知らぬとすれば無邪気の極である。知って、災と思わぬならば物凄い。黒い所が本来の住居で、しばらくの幻影を、元のままなる冥漠の裏に収めればこそ、かように間※(「靜のへん+見」、第3水準1-93-75)の態度で、有と無の間に逍遥しているのだろう。女のつけた振袖に、紛たる模様の尽きて、是非もなき磨墨に流れ込むあたりに、おのが身の素性をほのめかしている。
またこう感じた。うつくしき人が、うつくしき眠りについて、その眠りから、さめる暇もなく、幻覚のままで、この世の呼吸を引き取るときに、枕元に病を護るわれらの心はさぞつらいだろう。四苦八苦を百苦に重ねて死ぬならば、生甲斐のない本人はもとより、傍に見ている親しい人も殺すが慈悲と諦らめられるかも知れない。しかしすやすやと寝入る児に死ぬべき何の科があろう。眠りながら冥府に連れて行かれるのは、死ぬ覚悟をせぬうちに、だまし打ちに惜しき一命を果すと同様である。どうせ殺すものなら、とても逃れぬ定業と得心もさせ、断念もして、念仏を唱えたい。死ぬべき条件が具わらぬ先に、死ぬる事実のみが、ありありと、確かめらるるときに、南無阿弥陀仏と回向をする声が出るくらいなら、その声でおういおういと、半ばあの世へ足を踏み込んだものを、無理にも呼び返したくなる。仮りの眠りから、いつの間とも心づかぬうちに、永い眠りに移る本人には、呼び返される方が、切れかかった煩悩の綱をむやみに引かるるようで苦しいかも知れぬ。慈悲だから、呼んでくれるな、穏かに寝かしてくれと思うかも知れぬ。それでも、われわれは呼び返したくなる。余は今度女の姿が入口にあらわれたなら、呼びかけて、うつつの裡から救ってやろうかと思った。しかし夢のように、三尺の幅を、すうと抜ける影を見るや否や、何だか口が聴けなくなる。今度はと心を定めているうちに、すうと苦もなく通ってしまう。なぜ何とも云えぬかと考うる途端に、女はまた通る。こちらに窺う人があって、その人が自分のためにどれほどやきもき思うているか、微塵も気に掛からぬ有様で通る。面倒にも気の毒にも、初手から、余のごときものに、気をかねておらぬ有様で通る。今度は今度はと思うているうちに、こらえかねた、雲の層が、持ち切れぬ雨の糸を、しめやかに落し出して、女の影を、蕭々と封じ了る。
七
寒い。手拭を下げて、湯壺へ下る。
三畳へ着物を脱いで、段々を、四つ下りると、八畳ほどな風呂場へ出る。石に不自由せぬ国と見えて、下は御影で敷き詰めた、真中を四尺ばかりの深さに掘り抜いて、豆腐屋ほどな湯槽を据える。槽とは云うもののやはり石で畳んである。鉱泉と名のつく以上は、色々な成分を含んでいるのだろうが、色が純透明だから、入り心地がよい。折々は口にさえふくんで見るが別段の味も臭もない。病気にも利くそうだが、聞いて見ぬから、どんな病に利くのか知らぬ。もとより別段の持病もないから、実用上の価値はかつて頭のなかに浮んだ事がない。ただ這入る度に考え出すのは、白楽天の温泉水滑洗凝脂と云う句だけである。温泉と云う名を聞けば必ずこの句にあらわれたような愉快な気持になる。またこの気持を出し得ぬ温泉は、温泉として全く価値がないと思ってる。この理想以外に温泉についての注文はまるでない。
すぽりと浸かると、乳のあたりまで這入る。湯はどこから湧いて出るか知らぬが、常でも槽の縁を奇麗に越している。春の石は乾くひまなく濡れて、あたたかに、踏む足の、心は穏やかに嬉しい。降る雨は、夜の目を掠めて、ひそかに春を潤おすほどのしめやかさであるが、軒のしずくは、ようやく繁く、ぽたり、ぽたりと耳に聞える。立て籠められた湯気は、床から天井を隈なく埋めて、隙間さえあれば、節穴の細きを厭わず洩れ出でんとする景色である。
秋の霧は冷やかに、たなびく靄は長閑に、夕餉炊く、人の煙は青く立って、大いなる空に、わがはかなき姿を托す。様々の憐れはあるが、春の夜の温泉の曇りばかりは、浴するものの肌を、柔らかにつつんで、古き世の男かと、われを疑わしむる。眼に写るものの見えぬほど、濃くまつわりはせぬが、薄絹を一重破れば、何の苦もなく、下界の人と、己れを見出すように、浅きものではない。一重破り、二重破り、幾重を破り尽すともこの煙りから出す事はならぬ顔に、四方よりわれ一人を、温かき虹の中に埋め去る。酒に酔うと云う言葉はあるが、煙りに酔うと云う語句を耳にした事がない。あるとすれば、霧には無論使えぬ、霞には少し強過ぎる。ただこの靄に、春宵の二字を冠したるとき、始めて妥当なるを覚える。
余は湯槽のふちに仰向の頭を支えて、透き徹る湯のなかの軽き身体を、出来るだけ抵抗力なきあたりへ漂わして見た。ふわり、ふわりと魂がくらげのように浮いている。世の中もこんな気になれば楽なものだ。分別の錠前を開けて、執着の栓張をはずす。どうともせよと、湯泉のなかで、湯泉と同化してしまう。流れるものほど生きるに苦は入らぬ。流れるもののなかに、魂まで流していれば、基督の御弟子となったよりありがたい。なるほどこの調子で考えると、土左衛門は風流である。スウィンバーンの何とか云う詩に、女が水の底で往生して嬉しがっている感じを書いてあったと思う。余が平生から苦にしていた、ミレーのオフェリヤも、こう観察するとだいぶ美しくなる。何であんな不愉快な所を択んだものかと今まで不審に思っていたが、あれはやはり画になるのだ。水に浮んだまま、あるいは水に沈んだまま、あるいは沈んだり浮んだりしたまま、ただそのままの姿で苦なしに流れる有様は美的に相違ない。それで両岸にいろいろな草花をあしらって、水の色と流れて行く人の顔の色と、衣服の色に、落ちついた調和をとったなら、きっと画になるに相違ない。しかし流れて行く人の表情が、まるで平和ではほとんど神話か比喩になってしまう。痙攣的な苦悶はもとより、全幅の精神をうち壊わすが、全然色気のない平気な顔では人情が写らない。どんな顔をかいたら成功するだろう。ミレーのオフェリヤは成功かも知れないが、彼の精神は余と同じところに存するか疑わしい。ミレーはミレー、余は余であるから、余は余の興味を以て、一つ風流な土左衛門をかいて見たい。しかし思うような顔はそうたやすく心に浮んで来そうもない。
湯のなかに浮いたまま、今度は土左衛門の賛を作って見る。
雨が降ったら濡れるだろう。
霜が下りたら冷たかろ。
土のしたでは暗かろう。
浮かば波の上、
沈まば波の底、
春の水なら苦はなかろ。
と口のうちで小声に誦しつつ漫然と浮いていると、どこかで弾く三味線の音が聞える。美術家だのにと云われると恐縮するが、実のところ、余がこの楽器における智識はすこぶる怪しいもので二が上がろうが、三が下がろうが、耳には余り影響を受けた試しがない。しかし、静かな春の夜に、雨さえ興を添える、山里の湯壺の中で、魂まで春の温泉に浮かしながら、遠くの三味を無責任に聞くのははなはだ嬉しい。遠いから何を唄って、何を弾いているか無論わからない。そこに何だか趣がある。音色の落ちついているところから察すると、上方の検校さんの地唄にでも聴かれそうな太棹かとも思う。
小供の時分、門前に万屋と云う酒屋があって、そこに御倉さんと云う娘がいた。この御倉さんが、静かな春の昼過ぎになると、必ず長唄の御浚いをする。御浚が始まると、余は庭へ出る。茶畠の十坪余りを前に控えて、三本の松が、客間の東側に並んでいる。この松は周り一尺もある大きな樹で、面白い事に、三本寄って、始めて趣のある恰好を形つくっていた。小供心にこの松を見ると好い心持になる。松の下に黒くさびた鉄灯籠が名の知れぬ赤石の上に、いつ見ても、わからず屋の頑固爺のようにかたく坐っている。余はこの灯籠を見詰めるのが大好きであった。灯籠の前後には、苔深き地を抽いて、名も知らぬ春の草が、浮世の風を知らぬ顔に、独り匂うて独り楽しんでいる。余はこの草のなかに、わずかに膝を容るるの席を見出して、じっと、しゃがむのがこの時分の癖であった。この三本の松の下に、この灯籠を睨めて、この草の香を臭いで、そうして御倉さんの長唄を遠くから聞くのが、当時の日課であった。
御倉さんはもう赤い手絡の時代さえ通り越して、だいぶんと世帯じみた顔を、帳場へ曝してるだろう。聟とは折合がいいか知らん。燕は年々帰って来て、泥を啣んだ嘴を、いそがしげに働かしているか知らん。燕と酒の香とはどうしても想像から切り離せない。
三本の松はいまだに好い恰好で残っているかしらん。鉄灯籠はもう壊れたに相違ない。春の草は、昔し、しゃがんだ人を覚えているだろうか。その時ですら、口もきかずに過ぎたものを、今に見知ろうはずがない。御倉さんの旅の衣は鈴懸のと云う、日ごとの声もよも聞き覚えがあるとは云うまい。
三味の音が思わぬパノラマを余の眼前に展開するにつけ、余は床しい過去の面のあたりに立って、二十年の昔に住む、頑是なき小僧と、成り済ましたとき、突然風呂場の戸がさらりと開いた。
誰か来たなと、身を浮かしたまま、視線だけを入口に注ぐ。湯槽の縁の最も入口から、隔たりたるに頭を乗せているから、槽に下る段々は、間二丈を隔てて斜めに余が眼に入る。しかし見上げたる余の瞳にはまだ何物も映らぬ。しばらくは軒を遶る雨垂の音のみが聞える。三味線はいつの間にかやんでいた。
やがて階段の上に何物かあらわれた。広い風呂場を照すものは、ただ一つの小さき釣り洋灯のみであるから、この隔りでは澄切った空気を控えてさえ、確と物色はむずかしい。まして立ち上がる湯気の、濃かなる雨に抑えられて、逃場を失いたる今宵の風呂に、立つを誰とはもとより定めにくい。一段を下り、二段を踏んで、まともに、照らす灯影を浴びたる時でなくては、男とも女とも声は掛けられぬ。
黒いものが一歩を下へ移した。踏む石は天鵞※(「毬」の「求」に代えて「戎」、第4水準2-78-11)のごとく柔かと見えて、足音を証にこれを律すれば、動かぬと評しても差支ない。が輪廓は少しく浮き上がる。余は画工だけあって人体の骨格については、存外視覚が鋭敏である。何とも知れぬものの一段動いた時、余は女と二人、この風呂場の中に在る事を覚った。
注意をしたものか、せぬものかと、浮きながら考える間に、女の影は遺憾なく、余が前に、早くもあらわれた。漲ぎり渡る湯煙りの、やわらかな光線を一分子ごとに含んで、薄紅の暖かに見える奥に、漾わす黒髪を雲とながして、あらん限りの背丈を、すらりと伸した女の姿を見た時は、礼儀の、作法の、風紀のと云う感じはことごとく、わが脳裏を去って、ただひたすらに、うつくしい画題を見出し得たとのみ思った。
古代希臘の彫刻はいざ知らず、今世仏国の画家が命と頼む裸体画を見るたびに、あまりに露骨な肉の美を、極端まで描がき尽そうとする痕迹が、ありありと見えるので、どことなく気韻に乏しい心持が、今までわれを苦しめてならなかった。しかしその折々はただどことなく下品だと評するまでで、なぜ下品であるかが、解らぬ故、吾知らず、答えを得るに煩悶して今日に至ったのだろう。肉を蔽えば、うつくしきものが隠れる。かくさねば卑しくなる。今の世の裸体画と云うはただかくさぬと云う卑しさに、技巧を留めておらぬ。衣を奪いたる姿を、そのままに写すだけにては、物足らぬと見えて、飽くまでも裸体を、衣冠の世に押し出そうとする。服をつけたるが、人間の常態なるを忘れて、赤裸にすべての権能を附与せんと試みる。十分で事足るべきを、十二分にも、十五分にも、どこまでも進んで、ひたすらに、裸体であるぞと云う感じを強く描出しようとする。技巧がこの極端に達したる時、人はその観者を強うるを陋とする。うつくしきものを、いやが上に、うつくしくせんと焦せるとき、うつくしきものはかえってその度を減ずるが例である。人事についても満は損を招くとの諺はこれがためである。
放心と無邪気とは余裕を示す。余裕は画において、詩において、もしくは文章において、必須の条件である。今代芸術の一大弊竇は、いわゆる文明の潮流が、いたずらに芸術の士を駆って、拘々として随処に齷齪たらしむるにある。裸体画はその好例であろう。都会に芸妓と云うものがある。色を売りて、人に媚びるを商売にしている。彼らは嫖客に対する時、わが容姿のいかに相手の瞳子に映ずるかを顧慮するのほか、何らの表情をも発揮し得ぬ。年々に見るサロンの目録はこの芸妓に似たる裸体美人を以て充満している。彼らは一秒時も、わが裸体なるを忘るる能わざるのみならず、全身の筋肉をむずつかして、わが裸体なるを観者に示さんと力めている。
今余が面前に娉※(「女+亭」、第3水準1-15-85)と現われたる姿には、一塵もこの俗埃の眼に遮ぎるものを帯びておらぬ。常の人の纏える衣装を脱ぎ捨てたる様と云えばすでに人界に堕在する。始めより着るべき服も、振るべき袖も、あるものと知らざる神代の姿を雲のなかに呼び起したるがごとく自然である。
室を埋むる湯煙は、埋めつくしたる後から、絶えず湧き上がる。春の夜の灯を半透明に崩し拡げて、部屋一面の虹霓の世界が濃かに揺れるなかに、朦朧と、黒きかとも思わるるほどの髪を暈して、真白な姿が雲の底から次第に浮き上がって来る。その輪廓を見よ。
頸筋を軽く内輪に、双方から責めて、苦もなく肩の方へなだれ落ちた線が、豊かに、丸く折れて、流るる末は五本の指と分れるのであろう。ふっくらと浮く二つの乳の下には、しばし引く波が、また滑らかに盛り返して下腹の張りを安らかに見せる。張る勢を後ろへ抜いて、勢の尽くるあたりから、分れた肉が平衡を保つために少しく前に傾く。逆に受くる膝頭のこのたびは、立て直して、長きうねりの踵につく頃、平たき足が、すべての葛藤を、二枚の蹠に安々と始末する。世の中にこれほど錯雑した配合はない、これほど統一のある配合もない。これほど自然で、これほど柔らかで、これほど抵抗の少い、これほど苦にならぬ輪廓は決して見出せぬ。
しかもこの姿は普通の裸体のごとく露骨に、余が眼の前に突きつけられてはおらぬ。すべてのものを幽玄に化する一種の霊氛のなかに髣髴として、十分の美を奥床しくもほのめかしているに過ぎぬ。片鱗を溌墨淋漓の間に点じて、※(「虫+礼のつくり」、第3水準1-91-50)竜の怪を、楮毫のほかに想像せしむるがごとく、芸術的に観じて申し分のない、空気と、あたたかみと、冥※(「二点しんにょう+貌」、第3水準1-92-58)なる調子とを具えている。六々三十六鱗を丁寧に描きたる竜の、滑稽に落つるが事実ならば、赤裸々の肉を浄洒々に眺めぬうちに神往の余韻はある。余はこの輪廓の眼に落ちた時、桂の都を逃れた月界の嫦娥が、彩虹の追手に取り囲まれて、しばらく躊躇する姿と眺めた。
輪廓は次第に白く浮きあがる。今一歩を踏み出せば、せっかくの嫦娥が、あわれ、俗界に堕落するよと思う刹那に、緑の髪は、波を切る霊亀の尾のごとくに風を起して、莽と靡いた。渦捲く煙りを劈いて、白い姿は階段を飛び上がる。ホホホホと鋭どく笑う女の声が、廊下に響いて、静かなる風呂場を次第に向へ遠退く。余はがぶりと湯を呑んだまま槽の中に突立つ。驚いた波が、胸へあたる。縁を越す湯泉の音がさあさあと鳴る。
八
御茶の御馳走になる。相客は僧一人、観海寺の和尚で名は大徹と云うそうだ。俗一人、二十四五の若い男である。
老人の部屋は、余が室の廊下を右へ突き当って、左へ折れた行き留りにある。大さは六畳もあろう。大きな紫檀の机を真中に据えてあるから、思ったより狭苦しい。それへと云う席を見ると、布団の代りに花毯が敷いてある。無論支那製だろう。真中を六角に仕切って、妙な家と、妙な柳が織り出してある。周囲は鉄色に近い藍で、四隅に唐草の模様を飾った茶の輪を染め抜いてある。支那ではこれを座敷に用いたものか疑わしいが、こうやって布団に代用して見るとすこぶる面白い。印度の更紗とか、ペルシャの壁掛とか号するものが、ちょっと間が抜けているところに価値があるごとく、この花毯もこせつかないところに趣がある。花毯ばかりではない、すべて支那の器具は皆抜けている。どうしても馬鹿で気の長い人種の発明したものとほか取れない。見ているうちに、ぼおっとするところが尊とい。日本は巾着切りの態度で美術品を作る。西洋は大きくて細かくて、そうしてどこまでも娑婆気がとれない。まずこう考えながら席に着く。若い男は余とならんで、花毯の半を占領した。
和尚は虎の皮の上へ坐った。虎の皮の尻尾が余の膝の傍を通り越して、頭は老人の臀の下に敷かれている。老人は頭の毛をことごとく抜いて、頬と顎へ移植したように、白い髯をむしゃむしゃと生やして、茶托へ載せた茶碗を丁寧に机の上へならべる。
「今日は久し振りで、うちへ御客が見えたから、御茶を上げようと思って、……」と坊さんの方を向くと、
「いや、御使をありがとう。わしも、だいぶ御無沙汰をしたから、今日ぐらい来て見ようかと思っとったところじゃ」と云う。この僧は六十近い、丸顔の、達磨を草書に崩したような容貌を有している。老人とは平常からの昵懇と見える。
「この方が御客さんかな」
老人は首肯ながら、朱泥の急須から、緑を含む琥珀色の玉液を、二三滴ずつ、茶碗の底へしたたらす。清い香りがかすかに鼻を襲う気分がした。
「こんな田舎に一人では御淋しかろ」と和尚はすぐ余に話しかけた。
「はああ」となんともかとも要領を得ぬ返事をする。淋しいと云えば、偽りである。淋しからずと云えば、長い説明が入る。
「なんの、和尚さん。このかたは画を書かれるために来られたのじゃから、御忙がしいくらいじゃ」
「おお左様か、それは結構だ。やはり南宗派かな」
「いいえ」と今度は答えた。西洋画だなどと云っても、この和尚にはわかるまい。
「いや、例の西洋画じゃ」と老人は、主人役に、また半分引き受けてくれる。
「ははあ、洋画か。すると、あの久一さんのやられるようなものかな。あれは、わしこの間始めて見たが、随分奇麗にかけたのう」
「いえ、詰らんものです」と若い男がこの時ようやく口を開いた。
「御前何ぞ和尚さんに見ていただいたか」と老人が若い男に聞く。言葉から云うても、様子から云うても、どうも親類らしい。
「なあに、見ていただいたんじゃないですが、鏡が池で写生しているところを和尚さんに見つかったのです」
「ふん、そうか――さあ御茶が注げたから、一杯」と老人は茶碗を各自の前に置く。茶の量は三四滴に過ぎぬが、茶碗はすこぶる大きい。生壁色の地へ、焦げた丹と、薄い黄で、絵だか、模様だか、鬼の面の模様になりかかったところか、ちょっと見当のつかないものが、べたに描いてある。
「杢兵衛です」と老人が簡単に説明した。
「これは面白い」と余も簡単に賞めた。
「杢兵衛はどうも偽物が多くて、――その糸底を見て御覧なさい。銘があるから」と云う。
取り上げて、障子の方へ向けて見る。障子には植木鉢の葉蘭の影が暖かそうに写っている。首を曲げて、覗き込むと、杢の字が小さく見える。銘は観賞の上において、さのみ大切のものとは思わないが、好事者はよほどこれが気にかかるそうだ。茶碗を下へ置かないで、そのまま口へつけた。濃く甘く、湯加減に出た、重い露を、舌の先へ一しずくずつ落して味って見るのは閑人適意の韻事である。普通の人は茶を飲むものと心得ているが、あれは間違だ。舌頭へぽたりと載せて、清いものが四方へ散れば咽喉へ下るべき液はほとんどない。ただ馥郁たる匂が食道から胃のなかへ沁み渡るのみである。歯を用いるは卑しい。水はあまりに軽い。玉露に至っては濃かなる事、淡水の境を脱して、顎を疲らすほどの硬さを知らず。結構な飲料である。眠られぬと訴うるものあらば、眠らぬも、茶を用いよと勧めたい。
老人はいつの間にやら、青玉の菓子皿を出した。大きな塊を、かくまで薄く、かくまで規則正しく、刳りぬいた匠人の手際は驚ろくべきものと思う。すかして見ると春の日影は一面に射し込んで、射し込んだまま、逃がれ出ずる路を失ったような感じである。中には何も盛らぬがいい。
「御客さんが、青磁を賞められたから、今日はちとばかり見せようと思うて、出して置きました」
「どの青磁を――うん、あの菓子鉢かな。あれは、わしも好じゃ。時にあなた、西洋画では襖などはかけんものかな。かけるなら一つ頼みたいがな」
かいてくれなら、かかぬ事もないが、この和尚の気に入るか入らぬかわからない。せっかく骨を折って、西洋画は駄目だなどと云われては、骨の折栄がない。
「襖には向かないでしょう」
「向かんかな。そうさな、この間の久一さんの画のようじゃ、少し派手過ぎるかも知れん」
「私のは駄目です。あれはまるでいたずらです」と若い男はしきりに、恥かしがって謙遜する。
「その何とか云う池はどこにあるんですか」と余は若い男に念のため尋ねて置く。
「ちょっと観海寺の裏の谷の所で、幽邃な所です。――なあに学校にいる時分、習ったから、退屈まぎれに、やって見ただけです」
「観海寺と云うと……」
「観海寺と云うと、わしのいる所じゃ。いい所じゃ、海を一目に見下しての――まあ逗留中にちょっと来て御覧。なに、ここからはつい五六丁よ。あの廊下から、そら、寺の石段が見えるじゃろうが」
「いつか御邪魔に上ってもいいですか」
「ああいいとも、いつでもいる。ここの御嬢さんも、よう、来られる。――御嬢さんと云えば今日は御那美さんが見えんようだが――どうかされたかな、隠居さん」
「どこぞへ出ましたかな、久一、御前の方へ行きはせんかな」
「いいや、見えません」
「また独り散歩かな、ハハハハ。御那美さんはなかなか足が強い。この間法用で礪並まで行ったら、姿見橋の所で――どうも、善く似とると思ったら、御那美さんよ。尻を端折って、草履を穿いて、和尚さん、何をぐずぐず、どこへ行きなさると、いきなり、驚ろかされたて、ハハハハ。御前はそんな形姿で地体どこへ、行ったのぞいと聴くと、今芹摘みに行った戻りじゃ、和尚さん少しやろうかと云うて、いきなりわしの袂へ泥だらけの芹を押し込んで、ハハハハハ」
「どうも、……」と老人は苦笑いをしたが、急に立って「実はこれを御覧に入れるつもりで」と話をまた道具の方へそらした。
老人が紫檀の書架から、恭しく取り下した紋緞子の古い袋は、何だか重そうなものである。
「和尚さん、あなたには、御目に懸けた事があったかな」
「なんじゃ、一体」
「硯よ」
「へえ、どんな硯かい」
「山陽の愛蔵したと云う……」
「いいえ、そりゃまだ見ん」
「春水の替え蓋がついて……」
「そりゃ、まだのようだ。どれどれ」
老人は大事そうに緞子の袋の口を解くと、小豆色の四角な石が、ちらりと角を見せる。
「いい色合じゃのう。端渓かい」
「端渓で※(「句+鳥」、第3水準1-94-56)※(「谷+鳥」、第3水準1-94-60)眼が九つある」
「九つ?」と和尚大に感じた様子である。
「これが春水の替え蓋」と老人は綸子で張った薄い蓋を見せる。上に春水の字で七言絶句が書いてある。
「なるほど。春水はようかく。ようかくが、書は杏坪の方が上手じゃて」
「やはり杏坪の方がいいかな」
「山陽が一番まずいようだ。どうも才子肌で俗気があって、いっこう面白うない」
「ハハハハ。和尚さんは、山陽が嫌いだから、今日は山陽の幅を懸け替えて置いた」
「ほんに」と和尚さんは後ろを振り向く。床は平床を鏡のようにふき込んで、※(「金+粛」、第3水準1-93-39)気を吹いた古銅瓶には、木蘭を二尺の高さに、活けてある。軸は底光りのある古錦襴に、装幀の工夫を籠めた物徂徠の大幅である。絹地ではないが、多少の時代がついているから、字の巧拙に論なく、紙の色が周囲のきれ地とよく調和して見える。あの錦襴も織りたては、あれほどのゆかしさも無かったろうに、彩色が褪せて、金糸が沈んで、華麗なところが滅り込んで、渋いところがせり出して、あんないい調子になったのだと思う。焦茶の砂壁に、白い象牙の軸が際立って、両方に突張っている、手前に例の木蘭がふわりと浮き出されているほかは、床全体の趣は落ちつき過ぎてむしろ陰気である。
「徂徠かな」と和尚が、首を向けたまま云う。
「徂徠もあまり、御好きでないかも知れんが、山陽よりは善かろうと思うて」
「それは徂徠の方が遥かにいい。享保頃の学者の字はまずくても、どこぞに品がある」
「広沢をして日本の能書ならしめば、われはすなわち漢人の拙なるものと云うたのは、徂徠だったかな、和尚さん」
「わしは知らん。そう威張るほどの字でもないて、ワハハハハ」
「時に和尚さんは、誰を習われたのかな」
「わしか。禅坊主は本も読まず、手習もせんから、のう」
「しかし、誰ぞ習われたろう」
「若い時に高泉の字を、少し稽古した事がある。それぎりじゃ。それでも人に頼まれればいつでも、書きます。ワハハハハ。時にその端渓を一つ御見せ」と和尚が催促する。
とうとう緞子の袋を取り除ける。一座の視線はことごとく硯の上に落ちる。厚さはほとんど二寸に近いから、通例のものの倍はあろう。四寸に六寸の幅も長さもまず並と云ってよろしい。蓋には、鱗のかたに研きをかけた松の皮をそのまま用いて、上には朱漆で、わからぬ書体が二字ばかり書いてある。
「この蓋が」と老人が云う。「この蓋が、ただの蓋ではないので、御覧の通り、松の皮には相違ないが……」
老人の眼は余の方を見ている。しかし松の皮の蓋にいかなる因縁があろうと、画工として余はあまり感服は出来んから、
「松の蓋は少し俗ですな」
と云った。老人はまあと云わぬばかりに手を挙げて、
「ただ松の蓋と云うばかりでは、俗でもあるが、これはその何ですよ。山陽が広島におった時に庭に生えていた松の皮を剥いで山陽が手ずから製したのですよ」
なるほど山陽は俗な男だと思ったから、
「どうせ、自分で作るなら、もっと不器用に作れそうなものですな。わざとこの鱗のかたなどをぴかぴか研ぎ出さなくっても、よさそうに思われますが」と遠慮のないところを云って退けた。
「ワハハハハ。そうよ、この蓋はあまり安っぽいようだな」と和尚はたちまち余に賛成した。
若い男は気の毒そうに、老人の顔を見る。老人は少々不機嫌の体に蓋を払いのけた。下からいよいよ硯が正体をあらわす。
もしこの硯について人の眼を峙つべき特異の点があるとすれば、その表面にあらわれたる匠人の刻である。真中に袂時計ほどな丸い肉が、縁とすれすれの高さに彫り残されて、これを蜘蛛の背に象どる。中央から四方に向って、八本の足が彎曲して走ると見れば、先には各※(「句+鳥」、第3水準1-94-56)※(「谷+鳥」、第3水準1-94-60)眼を抱えている。残る一個は背の真中に、黄な汁をしたたらしたごとく煮染んで見える。背と足と縁を残して余る部分はほとんど一寸余の深さに掘り下げてある。墨を湛える所は、よもやこの塹壕の底ではあるまい。たとい一合の水を注ぐともこの深さを充たすには足らぬ。思うに水盂の中から、一滴の水を銀杓にて、蜘蛛の背に落したるを、貴き墨に磨り去るのだろう。それでなければ、名は硯でも、その実は純然たる文房用の装飾品に過ぎぬ。
老人は涎の出そうな口をして云う。
「この肌合と、この眼を見て下さい」
なるほど見れば見るほどいい色だ。寒く潤沢を帯びたる肌の上に、はっと、一息懸けたなら、直ちに凝って、一朶の雲を起すだろうと思われる。ことに驚くべきは眼の色である。眼の色と云わんより、眼と地の相交わる所が、次第に色を取り替えて、いつ取り替えたか、ほとんど吾眼の欺かれたるを見出し得ぬ事である。形容して見ると紫色の蒸羊羹の奥に、隠元豆を、透いて見えるほどの深さに嵌め込んだようなものである。眼と云えば一個二個でも大変に珍重される。九個と云ったら、ほとんど類はあるまい。しかもその九個が整然と同距離に按排されて、あたかも人造のねりものと見違えらるるに至ってはもとより天下の逸品をもって許さざるを得ない。
「なるほど結構です。観て心持がいいばかりじゃありません。こうして触っても愉快です」と云いながら、余は隣りの若い男に硯を渡した。
「久一に、そんなものが解るかい」と老人が笑いながら聞いて見る。久一君は、少々自棄の気味で、
「分りゃしません」と打ち遣ったように云い放ったが、わからん硯を、自分の前へ置いて、眺めていては、もったいないと気がついたものか、また取り上げて、余に返した。余はもう一遍丁寧に撫で廻わした後、とうとうこれを恭しく禅師に返却した。禅師はとくと掌の上で見済ました末、それでは飽き足らぬと考えたと見えて、鼠木綿の着物の袖を容赦なく蜘蛛の背へこすりつけて、光沢の出た所をしきりに賞翫している。
「隠居さん、どうもこの色が実に善いな。使うた事があるかの」
「いいや、滅多には使いとう、ないから、まだ買うたなりじゃ」
「そうじゃろ。こないなのは支那でも珍らしかろうな、隠居さん」
「左様」
「わしも一つ欲しいものじゃ。何なら久一さんに頼もうか。どうかな、買うて来ておくれかな」
「へへへへ。硯を見つけないうちに、死んでしまいそうです」
「本当に硯どころではないな。時にいつ御立ちか」
「二三日うちに立ちます」
「隠居さん。吉田まで送って御やり」
「普段なら、年は取っとるし、まあ見合すところじゃが、ことによると、もう逢えんかも、知れんから、送ってやろうと思うております」
「御伯父さんは送ってくれんでもいいです」
若い男はこの老人の甥と見える。なるほどどこか似ている。
「なあに、送って貰うがいい。川船で行けば訳はない。なあ隠居さん」
「はい、山越では難義だが、廻り路でも船なら……」
若い男は今度は別に辞退もしない。ただ黙っている。
「支那の方へおいでですか」と余はちょっと聞いて見た。
「ええ」
ええの二字では少し物足らなかったが、その上掘って聞く必要もないから控えた。障子を見ると、蘭の影が少し位置を変えている。
「なあに、あなた。やはり今度の戦争で――これがもと志願兵をやったものだから、それで召集されたので」
老人は当人に代って、満洲の野に日ならず出征すべきこの青年の運命を余に語げた。この夢のような詩のような春の里に、啼くは鳥、落つるは花、湧くは温泉のみと思い詰めていたのは間違である。現実世界は山を越え、海を越えて、平家の後裔のみ住み古るしたる孤村にまで逼る。朔北の曠野を染むる血潮の何万分の一かは、この青年の動脈から迸る時が来るかも知れない。この青年の腰に吊る長き剣の先から煙りとなって吹くかも知れない。しかしてその青年は、夢みる事よりほかに、何らの価値を、人生に認め得ざる一画工の隣りに坐っている。耳をそばだつれば彼が胸に打つ心臓の鼓動さえ聞き得るほど近くに坐っている。その鼓動のうちには、百里の平野を捲く高き潮が今すでに響いているかも知れぬ。運命は卒然としてこの二人を一堂のうちに会したるのみにて、その他には何事をも語らぬ。
九
「御勉強ですか」と女が云う。部屋に帰った余は、三脚几に縛りつけた、書物の一冊を抽いて読んでいた。
「御這入りなさい。ちっとも構いません」
女は遠慮する景色もなく、つかつかと這入る。くすんだ半襟の中から、恰好のいい頸の色が、あざやかに、抽き出ている。女が余の前に坐った時、この頸とこの半襟の対照が第一番に眼についた。
「西洋の本ですか、むずかしい事が書いてあるでしょうね」
「なあに」
「じゃ何が書いてあるんです」
「そうですね。実はわたしにも、よく分らないんです」
「ホホホホ。それで御勉強なの」
「勉強じゃありません。ただ机の上へ、こう開けて、開いた所をいい加減に読んでるんです」
「それで面白いんですか」
「それが面白いんです」
「なぜ?」
「なぜって、小説なんか、そうして読む方が面白いです」
「よっぽど変っていらっしゃるのね」
「ええ、ちっと変ってます」
「初から読んじゃ、どうして悪るいでしょう」
「初から読まなけりゃならないとすると、しまいまで読まなけりゃならない訳になりましょう」
「妙な理窟だ事。しまいまで読んだっていいじゃありませんか」
「無論わるくは、ありませんよ。筋を読む気なら、わたしだって、そうします」
「筋を読まなけりゃ何を読むんです。筋のほかに何か読むものがありますか」
余は、やはり女だなと思った。多少試験してやる気になる。
「あなたは小説が好きですか」
「私が?」と句を切った女は、あとから「そうですねえ」と判然しない返事をした。あまり好きでもなさそうだ。
「好きだか、嫌だか自分にも解らないんじゃないですか」
「小説なんか読んだって、読まなくったって……」
と眼中にはまるで小説の存在を認めていない。
「それじゃ、初から読んだって、しまいから読んだって、いい加減な所をいい加減に読んだって、いい訳じゃありませんか。あなたのようにそう不思議がらないでもいいでしょう」
「だって、あなたと私とは違いますもの」
「どこが?」と余は女の眼の中を見詰めた。試験をするのはここだと思ったが、女の眸は少しも動かない。
「ホホホホ解りませんか」
「しかし若いうちは随分御読みなすったろう」余は一本道で押し合うのをやめにして、ちょっと裏へ廻った。
「今でも若いつもりですよ。可哀想に」放した鷹はまたそれかかる。すこしも油断がならん。
「そんな事が男の前で云えれば、もう年寄のうちですよ」と、やっと引き戻した。
「そう云うあなたも随分の御年じゃあ、ありませんか。そんなに年をとっても、やっぱり、惚れたの、腫れたの、にきびが出来たのってえ事が面白いんですか」
「ええ、面白いんです、死ぬまで面白いんです」
「おやそう。それだから画工なんぞになれるんですね」
「全くです。画工だから、小説なんか初からしまいまで読む必要はないんです。けれども、どこを読んでも面白いのです。あなたと話をするのも面白い。ここへ逗留しているうちは毎日話をしたいくらいです。何ならあなたに惚れ込んでもいい。そうなるとなお面白い。しかしいくら惚れてもあなたと夫婦になる必要はないんです。惚れて夫婦になる必要があるうちは、小説を初からしまいまで読む必要があるんです」
「すると不人情な惚れ方をするのが画工なんですね」
「不人情じゃありません。非人情な惚れ方をするんです。小説も非人情で読むから、筋なんかどうでもいいんです。こうして、御籤を引くように、ぱっと開けて、開いた所を、漫然と読んでるのが面白いんです」
「なるほど面白そうね。じゃ、今あなたが読んでいらっしゃる所を、少し話してちょうだい。どんな面白い事が出てくるか伺いたいから」
「話しちゃ駄目です。画だって話にしちゃ一文の価値もなくなるじゃありませんか」
「ホホホそれじゃ読んで下さい」
「英語でですか」
「いいえ日本語で」
「英語を日本語で読むのはつらいな」
「いいじゃありませんか、非人情で」
これも一興だろうと思ったから、余は女の乞に応じて、例の書物をぽつりぽつりと日本語で読み出した。もし世界に非人情な読み方があるとすればまさにこれである。聴く女ももとより非人情で聴いている。
「情けの風が女から吹く。声から、眼から、肌から吹く。男に扶けられて舳に行く女は、夕暮のヴェニスを眺むるためか、扶くる男はわが脈に稲妻の血を走らすためか。――非人情だから、いい加減ですよ。ところどころ脱けるかも知れません」
「よござんすとも。御都合次第で、御足しなすっても構いません」
「女は男とならんで舷に倚る。二人の隔りは、風に吹かるるリボンの幅よりも狭い。女は男と共にヴェニスに去らばと云う。ヴェニスなるドウジの殿楼は今第二の日没のごとく、薄赤く消えて行く。……」
「ドージとは何です」
「何だって構やしません。昔しヴェニスを支配した人間の名ですよ。何代つづいたものですかね。その御殿が今でもヴェニスに残ってるんです」
「それでその男と女と云うのは誰の事なんでしょう」
「誰だか、わたしにも分らないんだ。それだから面白いのですよ。今までの関係なんかどうでもいいでさあ。ただあなたとわたしのように、こういっしょにいるところなんで、その場限りで面白味があるでしょう」
「そんなものですかね。何だか船の中のようですね」
「船でも岡でも、かいてある通りでいいんです。なぜと聞き出すと探偵になってしまうです」
「ホホホホじゃ聴きますまい」
「普通の小説はみんな探偵が発明したものですよ。非人情なところがないから、ちっとも趣がない」
「じゃ非人情の続きを伺いましょう。それから?」
「ヴェニスは沈みつつ、沈みつつ、ただ空に引く一抹の淡き線となる。線は切れる。切れて点となる。蛋白石の空のなかに円き柱が、ここ、かしこと立つ。ついには最も高く聳えたる鐘楼が沈む。沈んだと女が云う。ヴェニスを去る女の心は空行く風のごとく自由である。されど隠れたるヴェニスは、再び帰らねばならぬ女の心に覊絏の苦しみを与う。男と女は暗き湾の方に眼を注ぐ。星は次第に増す。柔らかに揺ぐ海は泡を濺がず。男は女の手を把る。鳴りやまぬ弦を握った心地である。……」
「あんまり非人情でもないようですね」
「なにこれが非人情的に聞けるのですよ。しかし厭なら少々略しましょうか」
「なに私は大丈夫ですよ」
「わたしは、あなたよりなお大丈夫です。――それからと、ええと、少しく六ずかしくなって来たな。どうも訳し――いや読みにくい」
「読みにくければ、御略しなさい」
「ええ、いい加減にやりましょう。――この一夜と女が云う。一夜? と男がきく。一と限るはつれなし、幾夜を重ねてこそと云う」
「女が云うんですか、男が云うんですか」
「男が云うんですよ。何でも女がヴェニスへ帰りたくないのでしょう。それで男が慰める語なんです。――真夜中の甲板に帆綱を枕にして横わりたる、男の記憶には、かの瞬時、熱き一滴の血に似たる瞬時、女の手を確と把りたる瞬時が大濤のごとくに揺れる。男は黒き夜を見上げながら、強いられたる結婚の淵より、是非に女を救い出さんと思い定めた。かく思い定めて男は眼を閉ずる。――」
「女は?」
「女は路に迷いながら、いずこに迷えるかを知らぬ様である。攫われて空行く人のごとく、ただ不可思議の千万無量――あとがちょっと読みにくいですよ。どうも句にならない。――ただ不可思議の千万無量――何か動詞はないでしょうか」
「動詞なんぞいるものですか、それで沢山です」
「え?」
轟と音がして山の樹がことごとく鳴る。思わず顔を見合わす途端に、机の上の一輪挿に活けた、椿がふらふらと揺れる。「地震!」と小声で叫んだ女は、膝を崩して余の机に靠りかかる。御互の身躯がすれすれに動く。キキーと鋭どい羽摶をして一羽の雉子が藪の中から飛び出す。
「雉子が」と余は窓の外を見て云う。
「どこに」と女は崩した、からだを擦寄せる。余の顔と女の顔が触れぬばかりに近づく。細い鼻の穴から出る女の呼吸が余の髭にさわった。
「非人情ですよ」と女はたちまち坐住居を正しながら屹と云う。
「無論」と言下に余は答えた。
岩の凹みに湛えた春の水が、驚ろいて、のたりのたりと鈍く揺いている。地盤の響きに、満泓の波が底から動くのだから、表面が不規則に曲線を描くのみで、砕けた部分はどこにもない。円満に動くと云う語があるとすれば、こんな場合に用いられるのだろう。落ちついて影を※(「くさかんむり/(酉+隹)/れんが」、第3水準1-91-44)していた山桜が、水と共に、延びたり縮んだり、曲がったり、くねったりする。しかしどう変化してもやはり明らかに桜の姿を保っているところが非常に面白い。
「こいつは愉快だ。奇麗で、変化があって。こう云う風に動かなくっちゃ面白くない」
「人間もそう云う風にさえ動いていれば、いくら動いても大丈夫ですね」
「非人情でなくっちゃ、こうは動けませんよ」
「ホホホホ大変非人情が御好きだこと」
「あなた、だって嫌な方じゃありますまい。昨日の振袖なんか……」と言いかけると、
「何か御褒美をちょうだい」と女は急に甘えるように云った。
「なぜです」
「見たいとおっしゃったから、わざわざ、見せて上げたんじゃありませんか」
「わたしがですか」
「山越をなさった画の先生が、茶店の婆さんにわざわざ御頼みになったそうで御座います」
余は何と答えてよいやらちょっと挨拶が出なかった。女はすかさず、
「そんな忘れっぽい人に、いくら実をつくしても駄目ですわねえ」と嘲けるごとく、恨むがごとく、また真向から切りつけるがごとく二の矢をついだ。だんだん旗色がわるくなるが、どこで盛り返したものか、いったん機先を制せられると、なかなか隙を見出しにくい。
「じゃ昨夕の風呂場も、全く御親切からなんですね」と際どいところでようやく立て直す。
女は黙っている。
「どうも済みません。御礼に何を上げましょう」と出来るだけ先へ出て置く。いくら出ても何の利目もなかった。女は何喰わぬ顔で大徹和尚の額を眺めている。やがて、
「竹影払階塵不動」
と口のうちで静かに読み了って、また余の方へ向き直ったが、急に思い出したように、
「何ですって」
と、わざと大きな声で聞いた。その手は喰わない。
「その坊主にさっき逢いましたよ」と地震に揺れた池の水のように円満な動き方をして見せる。
「観海寺の和尚ですか。肥ってるでしょう」
「西洋画で唐紙をかいてくれって、云いましたよ。禅坊さんなんてものは随分訳のわからない事を云いますね」
「それだから、あんなに肥れるんでしょう」
「それから、もう一人若い人に逢いましたよ。……」
「久一でしょう」
「ええ久一君です」
「よく御存じです事」
「なに久一君だけ知ってるんです。そのほかには何にも知りゃしません。口を聞くのが嫌な人ですね」
「なに、遠慮しているんです。まだ小供ですから……」
「小供って、あなたと同じくらいじゃありませんか」
「ホホホホそうですか。あれは私しの従弟ですが、今度戦地へ行くので、暇乞に来たのです」
「ここに留って、いるんですか」
「いいえ、兄の家におります」
「じゃ、わざわざ御茶を飲みに来た訳ですね」
「御茶より御白湯の方が好なんですよ。父がよせばいいのに、呼ぶものですから。麻痺が切れて困ったでしょう。私がおれば中途から帰してやったんですが……」
「あなたはどこへいらしったんです。和尚が聞いていましたぜ、また一人散歩かって」
「ええ鏡の池の方を廻って来ました」
「その鏡の池へ、わたしも行きたいんだが……」
「行って御覧なさい」
「画にかくに好い所ですか」
「身を投げるに好い所です」
「身はまだなかなか投げないつもりです」
「私は近々投げるかも知れません」
余りに女としては思い切った冗談だから、余はふと顔を上げた。女は存外たしかである。
「私が身を投げて浮いているところを――苦しんで浮いてるところじゃないんです――やすやすと往生して浮いているところを――奇麗な画にかいて下さい」
「え?」
「驚ろいた、驚ろいた、驚ろいたでしょう」
女はすらりと立ち上る。三歩にして尽くる部屋の入口を出るとき、顧みてにこりと笑った。茫然たる事多時。
十
鏡が池へ来て見る。観海寺の裏道の、杉の間から谷へ降りて、向うの山へ登らぬうちに、路は二股に岐れて、おのずから鏡が池の周囲となる。池の縁には熊笹が多い。ある所は、左右から生い重なって、ほとんど音を立てずには通れない。木の間から見ると、池の水は見えるが、どこで始まって、どこで終るか一応廻った上でないと見当がつかぬ。あるいて見ると存外小さい。三丁ほどよりあるまい。ただ非常に不規則な形ちで、ところどころに岩が自然のまま水際に横わっている。縁の高さも、池の形の名状しがたいように、波を打って、色々な起伏を不規則に連ねている。
池をめぐりては雑木が多い。何百本あるか勘定がし切れぬ。中には、まだ春の芽を吹いておらんのがある。割合に枝の繁まない所は、依然として、うららかな春の日を受けて、萌え出でた下草さえある。壺菫の淡き影が、ちらりちらりとその間に見える。
日本の菫は眠っている感じである。「天来の奇想のように」、と形容した西人の句はとうていあてはまるまい。こう思う途端に余の足はとまった。足がとまれば、厭になるまでそこにいる。いられるのは、幸福な人である。東京でそんな事をすれば、すぐ電車に引き殺される。電車が殺さなければ巡査が追い立てる。都会は太平の民を乞食と間違えて、掏摸の親分たる探偵に高い月俸を払う所である。
余は草を茵に太平の尻をそろりと卸した。ここならば、五六日こうしたなり動かないでも、誰も苦情を持ち出す気遣はない。自然のありがたいところはここにある。いざとなると容赦も未練もない代りには、人に因って取り扱をかえるような軽薄な態度はすこしも見せない。岩崎や三井を眼中に置かぬものは、いくらでもいる。冷然として古今帝王の権威を風馬牛し得るものは自然のみであろう。自然の徳は高く塵界を超越して、対絶の平等観を無辺際に樹立している。天下の羣小を麾いで、いたずらにタイモンの憤りを招くよりは、蘭を九※(「田+宛」、第3水準1-88-43)に滋き、※(「くさかんむり/惠」、第3水準1-91-24)を百畦に樹えて、独りその裏に起臥する方が遥かに得策である。余は公平と云い無私と云う。さほど大事なものならば、日に千人の小賊を戮して、満圃の草花を彼らの屍に培養うがよかろう。
何だか考が理に落ちていっこうつまらなくなった。こんな中学程度の観想を練りにわざわざ、鏡が池まで来はせぬ。袂から煙草を出して、寸燐をシュッと擦る。手応はあったが火は見えない。敷島のさきに付けて吸ってみると、鼻から煙が出た。なるほど、吸ったんだなとようやく気がついた。寸燐は短かい草のなかで、しばらく雨竜のような細い煙りを吐いて、すぐ寂滅した。席をずらせてだんだん水際まで出て見る。余が茵は天然に池のなかに、ながれ込んで、足を浸せば生温い水につくかも知れぬと云う間際で、とまる。水を覗いて見る。
眼の届く所はさまで深そうにもない。底には細長い水草が、往生して沈んでいる。余は往生と云うよりほかに形容すべき言葉を知らぬ。岡の薄なら靡く事を知っている。藻の草ならば誘う波の情けを待つ。百年待っても動きそうもない、水の底に沈められたこの水草は、動くべきすべての姿勢を調えて、朝な夕なに、弄らるる期を、待ち暮らし、待ち明かし、幾代の思を茎の先に籠めながら、今に至るまでついに動き得ずに、また死に切れずに、生きているらしい。
余は立ち上がって、草の中から、手頃の石を二つ拾って来る。功徳になると思ったから、眼の先へ、一つ抛り込んでやる。ぶくぶくと泡が二つ浮いて、すぐ消えた。すぐ消えた、すぐ消えたと、余は心のうちで繰り返す。すかして見ると、三茎ほどの長い髪が、慵に揺れかかっている。見つかってはと云わぬばかりに、濁った水が底の方から隠しに来る。南無阿弥陀仏。
今度は思い切って、懸命に真中へなげる。ぽかんと幽かに音がした。静かなるものは決して取り合わない。もう抛げる気も無くなった。絵の具箱と帽子を置いたまま右手へ廻る。
二間余りを爪先上がりに登る。頭の上には大きな樹がかぶさって、身体が急に寒くなる。向う岸の暗い所に椿が咲いている。椿の葉は緑が深すぎて、昼見ても、日向で見ても、軽快な感じはない。ことにこの椿は岩角を、奥へ二三間遠退いて、花がなければ、何があるか気のつかない所に森閑として、かたまっている。その花が! 一日勘定しても無論勘定し切れぬほど多い。しかし眼がつけば是非勘定したくなるほど鮮かである。ただ鮮かと云うばかりで、いっこう陽気な感じがない。ぱっと燃え立つようで、思わず、気を奪られた、後は何だか凄くなる。あれほど人を欺す花はない。余は深山椿を見るたびにいつでも妖女の姿を連想する。黒い眼で人を釣り寄せて、しらぬ間に、嫣然たる毒を血管に吹く。欺かれたと悟った頃はすでに遅い。向う側の椿が眼に入った時、余は、ええ、見なければよかったと思った。あの花の色はただの赤ではない。眼を醒すほどの派出やかさの奥に、言うに言われぬ沈んだ調子を持っている。悄然として萎れる雨中の梨花には、ただ憐れな感じがする。冷やかに艶なる月下の海棠には、ただ愛らしい気持ちがする。椿の沈んでいるのは全く違う。黒ずんだ、毒気のある、恐ろし味を帯びた調子である。この調子を底に持って、上部はどこまでも派出に装っている。しかも人に媚ぶる態もなければ、ことさらに人を招く様子も見えぬ。ぱっと咲き、ぽたりと落ち、ぽたりと落ち、ぱっと咲いて、幾百年の星霜を、人目にかからぬ山陰に落ちつき払って暮らしている。ただ一眼見たが最後! 見た人は彼女の魔力から金輪際、免るる事は出来ない。あの色はただの赤ではない。屠られたる囚人の血が、自ずから人の眼を惹いて、自から人の心を不快にするごとく一種異様な赤である。
見ていると、ぽたり赤い奴が水の上に落ちた。静かな春に動いたものはただこの一輪である。しばらくするとまたぽたり落ちた。あの花は決して散らない。崩れるよりも、かたまったまま枝を離れる。枝を離れるときは一度に離れるから、未練のないように見えるが、落ちてもかたまっているところは、何となく毒々しい。またぽたり落ちる。ああやって落ちているうちに、池の水が赤くなるだろうと考えた。花が静かに浮いている辺は今でも少々赤いような気がする。また落ちた。地の上へ落ちたのか、水の上へ落ちたのか、区別がつかぬくらい静かに浮く。また落ちる。あれが沈む事があるだろうかと思う。年々落ち尽す幾万輪の椿は、水につかって、色が溶け出して、腐って泥になって、ようやく底に沈むのかしらん。幾千年の後にはこの古池が、人の知らぬ間に、落ちた椿のために、埋もれて、元の平地に戻るかも知れぬ。また一つ大きいのが血を塗った、人魂のように落ちる。また落ちる。ぽたりぽたりと落ちる。際限なく落ちる。
こんな所へ美しい女の浮いているところをかいたら、どうだろうと思いながら、元の所へ帰って、また煙草を呑んで、ぼんやり考え込む。温泉場の御那美さんが昨日冗談に云った言葉が、うねりを打って、記憶のうちに寄せてくる。心は大浪にのる一枚の板子のように揺れる。あの顔を種にして、あの椿の下に浮かせて、上から椿を幾輪も落とす。椿が長えに落ちて、女が長えに水に浮いている感じをあらわしたいが、それが画でかけるだろうか。かのラオコーンには――ラオコーンなどはどうでも構わない。原理に背いても、背かなくっても、そう云う心持ちさえ出ればいい。しかし人間を離れないで人間以上の永久と云う感じを出すのは容易な事ではない。第一顔に困る。あの顔を借りるにしても、あの表情では駄目だ。苦痛が勝ってはすべてを打ち壊わしてしまう。と云ってむやみに気楽ではなお困る。一層ほかの顔にしては、どうだろう。あれか、これかと指を折って見るが、どうも思しくない。やはり御那美さんの顔が一番似合うようだ。しかし何だか物足らない。物足らないとまでは気がつくが、どこが物足らないかが、吾ながら不明である。したがって自己の想像でいい加減に作り易える訳に行かない。あれに嫉※(「女+戸の旧字」、第3水準1-15-76)を加えたら、どうだろう。嫉※(「女+戸の旧字」、第3水準1-15-76)では不安の感が多過ぎる。憎悪はどうだろう。憎悪は烈げし過ぎる。怒? 怒では全然調和を破る。恨? 恨でも春恨とか云う、詩的のものならば格別、ただの恨では余り俗である。いろいろに考えた末、しまいにようやくこれだと気がついた。多くある情緒のうちで、憐れと云う字のあるのを忘れていた。憐れは神の知らぬ情で、しかも神にもっとも近き人間の情である。御那美さんの表情のうちにはこの憐れの念が少しもあらわれておらぬ。そこが物足らぬのである。ある咄嗟の衝動で、この情があの女の眉宇にひらめいた瞬時に、わが画は成就するであろう。しかし――いつそれが見られるか解らない。あの女の顔に普段充満しているものは、人を馬鹿にする微笑と、勝とう、勝とうと焦る八の字のみである。あれだけでは、とても物にならない。
がさりがさりと足音がする。胸裏の図案は三分二で崩れた。見ると、筒袖を着た男が、背へ薪を載せて、熊笹のなかを観海寺の方へわたってくる。隣りの山からおりて来たのだろう。
「よい御天気で」と手拭をとって挨拶する。腰を屈める途端に、三尺帯に落した鉈の刃がぴかりと光った。四十恰好の逞しい男である。どこかで見たようだ。男は旧知のように馴々しい。
「旦那も画を御描きなさるか」余の絵の具箱は開けてあった。
「ああ。この池でも画こうと思って来て見たが、淋しい所だね。誰も通らない」
「はあい。まことに山の中で……旦那あ、峠で御降られなさって、さぞ御困りでござんしたろ」
「え? うん御前はあの時の馬子さんだね」
「はあい。こうやって薪を切っては城下へ持って出ます」と源兵衛は荷を卸して、その上へ腰をかける。煙草入を出す。古いものだ。紙だか革だか分らない。余は寸燐を借してやる。
「あんな所を毎日越すなあ大変だね」
「なあに、馴れていますから――それに毎日は越しません。三日に一返、ことによると四日目くらいになります」
「四日に一返でも御免だ」
「アハハハハ。馬が不憫ですから四日目くらいにして置きます」
「そりゃあ、どうも。自分より馬の方が大事なんだね。ハハハハ」
「それほどでもないんで……」
「時にこの池はよほど古いもんだね。全体いつ頃からあるんだい」
「昔からありますよ」
「昔から? どのくらい昔から?」
「なんでもよっぽど古い昔から」
「よっぽど古い昔しからか。なるほど」
「なんでも昔し、志保田の嬢様が、身を投げた時分からありますよ」
「志保田って、あの温泉場のかい」
「はあい」
「御嬢さんが身を投げたって、現に達者でいるじゃないか」
「いんにえ。あの嬢さまじゃない。ずっと昔の嬢様が」
「ずっと昔の嬢様。いつ頃かね、それは」
「なんでも、よほど昔しの嬢様で……」
「その昔の嬢様が、どうしてまた身を投げたんだい」
「その嬢様は、やはり今の嬢様のように美しい嬢様であったそうながな、旦那様」
「うん」
「すると、ある日、一人の梵論字が来て……」
「梵論字と云うと虚無僧の事かい」
「はあい。あの尺八を吹く梵論字の事でござんす。その梵論字が志保田の庄屋へ逗留しているうちに、その美くしい嬢様が、その梵論字を見染めて――因果と申しますか、どうしてもいっしょになりたいと云うて、泣きました」
「泣きました。ふうん」
「ところが庄屋どのが、聞き入れません。梵論字は聟にはならんと云うて。とうとう追い出しました」
「その虚無僧[#ルビの「こもそう」は底本では「こむそう」]をかい」
「はあい。そこで嬢様が、梵論字のあとを追うてここまで来て、――あの向うに見える松の所から、身を投げて、――とうとう、えらい騒ぎになりました。その時何でも一枚の鏡を持っていたとか申し伝えておりますよ。それでこの池を今でも鏡が池と申しまする」
「へええ。じゃ、もう身を投げたものがあるんだね」
「まことに怪しからん事でござんす」
「何代くらい前の事かい。それは」
「なんでもよっぽど昔の事でござんすそうな。それから――これはここ限りの話だが、旦那さん」
「何だい」
「あの志保田の家には、代々気狂が出来ます」
「へええ」
「全く祟りでござんす。今の嬢様も、近頃は少し変だ云うて、皆が囃します」
「ハハハハそんな事はなかろう」
「ござんせんかな。しかしあの御袋様がやはり少し変でな」
「うちにいるのかい」
「いいえ、去年亡くなりました」
「ふん」と余は煙草の吸殻から細い煙の立つのを見て、口を閉じた。源兵衛は薪を背にして去る。
画をかきに来て、こんな事を考えたり、こんな話しを聴くばかりでは、何日かかっても一枚も出来っこない。せっかく絵の具箱まで持ち出した以上、今日は義理にも下絵をとって行こう。幸、向側の景色は、あれなりで略纏まっている。あすこでも申し訳にちょっと描こう。
一丈余りの蒼黒い岩が、真直に池の底から突き出して、濃き水の折れ曲る角に、嵯々と構える右側には、例の熊笹が断崖の上から水際まで、一寸の隙間なく叢生している。上には三抱ほどの大きな松が、若蔦にからまれた幹を、斜めに捩って、半分以上水の面へ乗り出している。鏡を懐にした女は、あの岩の上からでも飛んだものだろう。
三脚几に尻を据えて、面画に入るべき材料を見渡す。松と、笹と、岩と水であるが、さて水はどこでとめてよいか分らぬ。岩の高さが一丈あれば、影も一丈ある。熊笹は、水際でとまらずに、水の中まで茂り込んでいるかと怪まるるくらい、鮮やかに水底まで写っている。松に至っては空に聳ゆる高さが、見上げらるるだけ、影もまたすこぶる細長い。眼に写っただけの寸法ではとうてい収りがつかない。一層の事、実物をやめて影だけ描くのも一興だろう。水をかいて、水の中の影をかいて、そうして、これが画だと人に見せたら驚ろくだろう。しかしただ驚ろかせるだけではつまらない。なるほど画になっていると驚かせなければつまらない。どう工夫をしたものだろうと、一心に池の面を見詰める。
奇体なもので、影だけ眺めていてはいっこう画にならん。実物と見比べて工夫がして見たくなる。余は水面から眸を転じて、そろりそろりと上の方へ視線を移して行く。一丈の巌を、影の先から、水際の継目まで眺めて、継目から次第に水の上に出る。潤沢の気合から、皴皺の模様を逐一吟味してだんだんと登って行く。ようやく登り詰めて、余の双眼が今危巌の頂きに達したるとき、余は蛇に睨まれた蟇のごとく、はたりと画筆を取り落した。
緑りの枝を通す夕日を背に、暮れんとする晩春の蒼黒く巌頭を彩どる中に、楚然として織り出されたる女の顔は、――花下に余を驚かし、まぼろしに余を驚ろかし、振袖に余を驚かし、風呂場に余を驚かしたる女の顔である。
余が視線は、蒼白き女の顔の真中にぐさと釘付けにされたぎり動かない。女もしなやかなる体躯を伸せるだけ伸して、高い巌の上に一指も動かさずに立っている。この一刹那!
余は覚えず飛び上った。女はひらりと身をひねる。帯の間に椿の花の如く赤いものが、ちらついたと思ったら、すでに向うへ飛び下りた。夕日は樹梢を掠めて、幽かに松の幹を染むる。熊笹はいよいよ青い。
また驚かされた。
十一
山里の朧に乗じてそぞろ歩く。観海寺の石段を登りながら仰数春星一二三と云う句を得た。余は別に和尚に逢う用事もない。逢うて雑話をする気もない。偶然と宿を出でて足の向くところに任せてぶらぶらするうち、ついこの石磴の下に出た。しばらく不許葷酒入山門と云う石を撫でて立っていたが、急にうれしくなって、登り出したのである。
トリストラム・シャンデーと云う書物のなかに、この書物ほど神の御覚召に叶うた書き方はないとある。最初の一句はともかくも自力で綴る。あとはひたすらに神を念じて、筆の動くに任せる。何をかくか自分には無論見当がつかぬ。かく者は自己であるが、かく事は神の事である。したがって責任は著者にはないそうだ。余が散歩もまたこの流儀を汲んだ、無責任の散歩である。ただ神を頼まぬだけが一層の無責任である。スターンは自分の責任を免れると同時にこれを在天の神に嫁した。引き受けてくれる神を持たぬ余はついにこれを泥溝の中に棄てた。
石段を登るにも骨を折っては登らない。骨が折れるくらいなら、すぐ引き返す。一段登って佇むとき何となく愉快だ。それだから二段登る。二段目に詩が作りたくなる。黙然として、吾影を見る。角石に遮られて三段に切れているのは妙だ。妙だからまた登る。仰いで天を望む。寝ぼけた奥から、小さい星がしきりに瞬きをする。句になると思って、また登る。かくして、余はとうとう、上まで登り詰めた。
石段の上で思い出す。昔し鎌倉へ遊びに行って、いわゆる五山なるものを、ぐるぐる尋ねて廻った時、たしか円覚寺の塔頭であったろう、やはりこんな風に石段をのそりのそりと登って行くと、門内から、黄な法衣を着た、頭の鉢の開いた坊主が出て来た。余は上る、坊主は下る。すれ違った時、坊主が鋭どい声でどこへ御出なさると問うた。余はただ境内を拝見にと答えて、同時に足を停めたら、坊主は直ちに、何もありませんぞと言い捨てて、すたすた下りて行った。あまり洒落だから、余は少しく先を越された気味で、段上に立って、坊主を見送ると、坊主は、かの鉢の開いた頭を、振り立て振り立て、ついに姿を杉の木の間に隠した。その間かつて一度も振り返った事はない。なるほど禅僧は面白い。きびきびしているなと、のっそり山門を這入って、見ると、広い庫裏も本堂も、がらんとして、人影はまるでない。余はその時に心からうれしく感じた。世の中にこんな洒落な人があって、こんな洒落に、人を取り扱ってくれたかと思うと、何となく気分が晴々した。禅を心得ていたからと云う訳ではない。禅のぜの字もいまだに知らぬ。ただあの鉢の開いた坊主の所作が気に入ったのである。
世の中はしつこい、毒々しい、こせこせした、その上ずうずうしい、いやな奴で埋っている。元来何しに世の中へ面を曝しているんだか、解しかねる奴さえいる。しかもそんな面に限って大きいものだ。浮世の風にあたる面積の多いのをもって、さも名誉のごとく心得ている。五年も十年も人の臀に探偵をつけて、人のひる屁の勘定をして、それが人世だと思ってる。そうして人の前へ出て来て、御前は屁をいくつ、ひった、いくつ、ひったと頼みもせぬ事を教える。前へ出て云うなら、それも参考にして、やらんでもないが、後ろの方から、御前は屁をいくつ、ひった、いくつ、ひったと云う。うるさいと云えばなおなお云う。よせと云えばますます云う。分ったと云っても、屁をいくつ、ひった、ひったと云う。そうしてそれが処世の方針だと云う。方針は人々勝手である。ただひったひったと云わずに黙って方針を立てるがいい。人の邪魔になる方針は差し控えるのが礼儀だ。邪魔にならなければ方針が立たぬと云うなら、こっちも屁をひるのをもって、こっちの方針とするばかりだ。そうなったら日本も運の尽きだろう。
こうやって、美しい春の夜に、何らの方針も立てずに、あるいてるのは実際高尚だ。興来れば興来るをもって方針とする。興去れば興去るをもって方針とする。句を得れば、得たところに方針が立つ。得なければ、得ないところに方針が立つ。しかも誰の迷惑にもならない。これが真正の方針である。屁を勘定するのは人身攻撃の方針で、屁をひるのは正当防禦の方針で、こうやって観海寺の石段を登るのは随縁放曠の方針である。
仰数春星一二三の句を得て、石磴を登りつくしたる時、朧にひかる春の海が帯のごとくに見えた。山門を入る。絶句は纏める気にならなくなった。即座にやめにする方針を立てる。
石を甃んで庫裡に通ずる一筋道の右側は、岡つつじの生垣で、垣の向は墓場であろう。左は本堂だ。屋根瓦が高い所で、幽かに光る。数万の甍に、数万の月が落ちたようだと見上る。どこやらで鳩の声がしきりにする。棟の下にでも住んでいるらしい。気のせいか、廂のあたりに白いものが、点々見える。糞かも知れぬ。
雨垂れ落ちの所に、妙な影が一列に並んでいる。木とも見えぬ、草では無論ない。感じから云うと岩佐又兵衛のかいた、鬼の念仏が、念仏をやめて、踊りを踊っている姿である。本堂の端から端まで、一列に行儀よく並んで躍っている。その影がまた本堂の端から端まで一列に行儀よく並んで躍っている。朧夜にそそのかされて、鉦も撞木も、奉加帳も打ちすてて、誘い合せるや否やこの山寺へ踊りに来たのだろう。
近寄って見ると大きな覇王樹である。高さは七八尺もあろう、糸瓜ほどな青い黄瓜を、杓子のように圧しひしゃげて、柄の方を下に、上へ上へと継ぎ合せたように見える。あの杓子がいくつ継がったら、おしまいになるのか分らない。今夜のうちにも廂を突き破って、屋根瓦の上まで出そうだ。あの杓子が出来る時には、何でも不意に、どこからか出て来て、ぴしゃりと飛びつくに違いない。古い杓子が新しい小杓子を生んで、その小杓子が長い年月のうちにだんだん大きくなるようには思われない。杓子と杓子の連続がいかにも突飛である。こんな滑稽な樹はたんとあるまい。しかも澄ましたものだ。いかなるこれ仏と問われて、庭前の柏樹子と答えた僧があるよしだが、もし同様の問に接した場合には、余は一も二もなく、月下の覇王樹と応えるであろう。
少時、晁補之と云う人の記行文を読んで、いまだに暗誦している句がある。「時に九月天高く露清く、山空しく、月明かに、仰いで星斗を視れば皆光大、たまたま人の上にあるがごとし、窓間の竹数十竿、相摩戞して声切々やまず。竹間の梅棕森然として鬼魅の離立笑※(「髟/眄のつくり」、第4水準2-93-21)の状のごとし。二三子相顧み、魄動いて寝るを得ず。遅明皆去る」とまた口の内で繰り返して見て、思わず笑った。この覇王樹も時と場合によれば、余の魄を動かして、見るや否や山を追い下げたであろう。刺に手を触れて見ると、いらいらと指をさす。
石甃を行き尽くして左へ折れると庫裏へ出る。庫裏の前に大きな木蓮がある。ほとんど一と抱もあろう。高さは庫裏の屋根を抜いている。見上げると頭の上は枝である。枝の上も、また枝である。そうして枝の重なり合った上が月である。普通、枝がああ重なると、下から空は見えぬ。花があればなお見えぬ。木蓮の枝はいくら重なっても、枝と枝の間はほがらかに隙いている。木蓮は樹下に立つ人の眼を乱すほどの細い枝をいたずらには張らぬ。花さえ明かである。この遥かなる下から見上げても一輪の花は、はっきりと一輪に見える。その一輪がどこまで簇がって、どこまで咲いているか分らぬ。それにもかかわらず一輪はついに一輪で、一輪と一輪の間から、薄青い空が判然と望まれる。花の色は無論純白ではない。いたずらに白いのは寒過ぎる。専らに白いのは、ことさらに人の眼を奪う巧みが見える。木蓮の色はそれではない。極度の白きをわざと避けて、あたたかみのある淡黄に、奥床しくも自らを卑下している。余は石甃の上に立って、このおとなしい花が累々とどこまでも空裏に蔓る様を見上げて、しばらく茫然としていた。眼に落つるのは花ばかりである。葉は一枚もない。
木蓮の花ばかりなる空を瞻る
と云う句を得た。どこやらで、鳩がやさしく鳴き合うている。
庫裏に入る。庫裏は明け放してある。盗人はおらぬ国と見える。狗はもとより吠えぬ。
「御免」
と訪問れる。森として返事がない。
「頼む」
と案内を乞う。鳩の声がくううくううと聞える。
「頼みまああす」と大きな声を出す。
「おおおおおおお」と遥かの向で答えたものがある。人の家を訪うて、こんな返事を聞かされた事は決してない。やがて足音が廊下へ響くと、紙燭の影が、衝立の向側にさした。小坊主がひょこりとあらわれる。了念であった。
「和尚さんはおいでかい」
「おられる。何しにござった」
「温泉にいる画工が来たと、取次でおくれ」
「画工さんか。それじゃ御上り」
「断わらないでもいいのかい」
「よろしかろ」
余は下駄を脱いで上がる。
「行儀がわるい画工さんじゃな」
「なぜ」
「下駄を、よう御揃えなさい。そらここを御覧」と紙燭を差しつける。黒い柱の真中に、土間から五尺ばかりの高さを見計って、半紙を四つ切りにした上へ、何か認めてある。
「そおら。読めたろ。脚下を見よ、と書いてあるが」
「なるほど」と余は自分の下駄を丁寧に揃える。
和尚の室は廊下を鍵の手に曲って、本堂の横手にある。障子を恭しくあけて、恭しく敷居越しにつくばった了念が、
「あのう、志保田から、画工さんが来られました」と云う。はなはだ恐縮の体である。余はちょっとおかしくなった。
「そうか、これへ」
余は了念と入れ代る。室がすこぶる狭い。中に囲炉裏を切って、鉄瓶が鳴る。和尚は向側に書見をしていた。
「さあこれへ」と眼鏡をはずして、書物を傍へおしやる。
「了念。りょううねええん」
「ははははい」
「座布団を上げんか」
「はははははい」と了念は遠くで、長い返事をする。
「よう、来られた。さぞ退屈だろ」
「あまり月がいいから、ぶらぶら来ました」
「いい月じゃな」と障子をあける。飛び石が二つ、松一本のほかには何もない、平庭の向うは、すぐ懸崖と見えて、眼の下に朧夜の海がたちまちに開ける。急に気が大きくなったような心持である。漁火がここ、かしこに、ちらついて、遥かの末は空に入って、星に化けるつもりだろう。
「これはいい景色。和尚さん、障子をしめているのはもったいないじゃありませんか」
「そうよ。しかし毎晩見ているからな」
「何晩見てもいいですよ、この景色は。私なら寝ずに見ています」
「ハハハハ。もっともあなたは画工だから、わしとは少し違うて」
「和尚さんだって、うつくしいと思ってるうちは画工でさあ」
「なるほどそれもそうじゃろ。わしも達磨の画ぐらいはこれで、かくがの。そら、ここに掛けてある、この軸は先代がかかれたのじゃが、なかなかようかいとる」
なるほど達磨の画が小さい床に掛っている。しかし画としてはすこぶるまずいものだ。ただ俗気がない。拙を蔽おうと力めているところが一つもない。無邪気な画だ。この先代もやはりこの画のような構わない人であったんだろう。
「無邪気な画ですね」
「わしらのかく画はそれで沢山じゃ。気象さえあらわれておれば……」
「上手で俗気があるのより、いいです」
「ははははまあ、そうでも、賞めて置いてもらおう。時に近頃は画工にも博士があるかの」
「画工の博士はありませんよ」
「あ、そうか。この間、何でも博士に一人逢うた」
「へええ」
「博士と云うとえらいものじゃろな」
「ええ。えらいんでしょう」
「画工にも博士がありそうなものじゃがな。なぜ無いだろう」
「そういえば、和尚さんの方にも博士がなけりゃならないでしょう」
「ハハハハまあ、そんなものかな。――何とか云う人じゃったて、この間逢うた人は――どこぞに名刺があるはずだが……」
「どこで御逢いです、東京ですか」
「いやここで、東京へは、も二十年も出ん。近頃は電車とか云うものが出来たそうじゃが、ちょっと乗って見たいような気がする」
「つまらんものですよ。やかましくって」
「そうかな。蜀犬日に吠え、呉牛月に喘ぐと云うから、わしのような田舎者は、かえって困るかも知れんてのう」
「困りゃしませんがね。つまらんですよ」
「そうかな」
鉄瓶の口から煙が盛に出る。和尚は茶箪笥から茶器を取り出して、茶を注いでくれる。
「番茶を一つ御上り。志保田の隠居さんのような甘い茶じゃない」
「いえ結構です」
「あなたは、そうやって、方々あるくように見受けるがやはり画をかくためかの」
「ええ。道具だけは持ってあるきますが、画はかかないでも構わないんです」
「はあ、それじゃ遊び半分かの」
「そうですね。そう云っても善いでしょう。屁の勘定をされるのが、いやですからね」
さすがの禅僧も、この語だけは解しかねたと見える。
「屁の勘定た何かな」
「東京に永くいると屁の勘定をされますよ」
「どうして」
「ハハハハハ勘定だけならいいですが。人の屁を分析して、臀の穴が三角だの、四角だのって余計な事をやりますよ」
「はあ、やはり衛生の方かな」
「衛生じゃありません。探偵の方です」
「探偵? なるほど、それじゃ警察じゃの。いったい警察の、巡査のて、何の役に立つかの。なけりゃならんかいの」
「そうですね、画工には入りませんね」
「わしにも入らんがな。わしはまだ巡査の厄介になった事がない」
「そうでしょう」
「しかし、いくら警察が屁の勘定をしたてて、構わんがな。澄ましていたら。自分にわるい事がなけりゃ、なんぼ警察じゃて、どうもなるまいがな」
「屁くらいで、どうかされちゃたまりません」
「わしが小坊主のとき、先代がよう云われた。人間は日本橋の真中に臓腑をさらけ出して、恥ずかしくないようにしなければ修業を積んだとは云われんてな。あなたもそれまで修業をしたらよかろ。旅などはせんでも済むようになる」
「画工になり澄ませば、いつでもそうなれます」
「それじゃ画工になり澄したらよかろ」
「屁の勘定をされちゃ、なり切れませんよ」
「ハハハハ。それ御覧。あの、あなたの泊っている、志保田の御那美さんも、嫁に入って帰ってきてから、どうもいろいろな事が気になってならん、ならんと云うてしまいにとうとう、わしの所へ法を問いに来たじゃて。ところが近頃はだいぶ出来てきて、そら、御覧。あのような訳のわかった女になったじゃて」
「へええ、どうもただの女じゃないと思いました」
「いやなかなか機鋒の鋭どい女で――わしの所へ修業に来ていた泰安と云う若僧も、あの女のために、ふとした事から大事を窮明せんならん因縁に逢着して――今によい智識になるようじゃ」
静かな庭に、松の影が落ちる、遠くの海は、空の光りに応うるがごとく、応えざるがごとく、有耶無耶のうちに微かなる、耀きを放つ。漁火は明滅す。
「あの松の影を御覧」
「奇麗ですな」
「ただ奇麗かな」
「ええ」
「奇麗な上に、風が吹いても苦にしない」
茶碗に余った渋茶を飲み干して、糸底を上に、茶托へ伏せて、立ち上る。
「門まで送ってあげよう。りょううねええん。御客が御帰だぞよ」
送られて、庫裏を出ると、鳩がくううくううと鳴く。
「鳩ほど可愛いものはない、わしが、手をたたくと、みな飛んでくる。呼んで見よか」
月はいよいよ明るい。しんしんとして、木蓮は幾朶の雲華を空裏に※(「敬/手」、第3水準1-84-92)げている。※(「さんずい+鴪のへん」、第4水準2-78-39)寥たる春夜の真中に、和尚ははたと掌を拍つ。声は風中に死して一羽の鳩も下りぬ。
「下りんかいな。下りそうなものじゃが」
了念は余の顔を見て、ちょっと笑った。和尚は鳩の眼が夜でも見えると思うているらしい。気楽なものだ。
山門の所で、余は二人に別れる。見返えると、大きな丸い影と、小さな丸い影が、石甃の上に落ちて、前後して庫裏の方に消えて行く。
十二
基督は最高度に芸術家の態度を具足したるものなりとは、オスカー・ワイルドの説と記憶している。基督は知らず。観海寺の和尚のごときは、まさしくこの資格を有していると思う。趣味があると云う意味ではない。時勢に通じていると云う訳でもない。彼は画と云う名のほとんど下すべからざる達磨の幅を掛けて、ようできたなどと得意である。彼は画工に博士があるものと心得ている。彼は鳩の眼を夜でも利くものと思っている。それにも関わらず、芸術家の資格があると云う。彼の心は底のない嚢のように行き抜けである。何にも停滞しておらん。随処に動き去り、任意に作し去って、些の塵滓の腹部に沈澱する景色がない。もし彼の脳裏に一点の趣味を貼し得たならば、彼は之く所に同化して、行屎走尿の際にも、完全たる芸術家として存在し得るだろう。余のごときは、探偵に屁の数を勘定される間は、とうてい画家にはなれない。画架に向う事は出来る。小手板を握る事は出来る。しかし画工にはなれない。こうやって、名も知らぬ山里へ来て、暮れんとする春色のなかに五尺の痩躯を埋めつくして、始めて、真の芸術家たるべき態度に吾身を置き得るのである。一たびこの境界に入れば美の天下はわが有に帰する。尺素を染めず、寸※(「糸+賺のつくり」、第3水準1-90-17)を塗らざるも、われは第一流の大画工である。技において、ミケルアンゼロに及ばず、巧みなる事ラフハエルに譲る事ありとも、芸術家たるの人格において、古今の大家と歩武を斉ゅうして、毫も遜るところを見出し得ない。余はこの温泉場へ来てから、まだ一枚の画もかかない。絵の具箱は酔興に、担いできたかの感さえある。人はあれでも画家かと嗤うかもしれぬ。いくら嗤われても、今の余は真の画家である。立派な画家である。こう云う境を得たものが、名画をかくとは限らん。しかし名画をかき得る人は必ずこの境を知らねばならん。
朝飯をすまして、一本の敷島をゆたかに吹かしたるときの余の観想は以上のごとくである。日は霞を離れて高く上っている。障子をあけて、後ろの山を眺めたら、蒼い樹が非常にすき通って、例になく鮮やかに見えた。
余は常に空気と、物象と、彩色の関係を宇宙でもっとも興味ある研究の一と考えている。色を主にして空気を出すか、物を主にして、空気をかくか。または空気を主にしてそのうちに色と物とを織り出すか。画は少しの気合一つでいろいろな調子が出る。この調子は画家自身の嗜好で異なってくる。それは無論であるが、時と場所とで、自ずから制限されるのもまた当前である。英国人のかいた山水に明るいものは一つもない。明るい画が嫌なのかも知れぬが、よし好きであっても、あの空気では、どうする事も出来ない。同じ英人でもグーダルなどは色の調子がまるで違う。違うはずである。彼は英人でありながら、かつて英国の景色をかいた事がない。彼の画題は彼の郷土にはない。彼の本国に比すると、空気の透明の度の非常に勝っている、埃及または波斯辺の光景のみを択んでいる。したがって彼のかいた画を、始めて見ると誰も驚ろく。英人にもこんな明かな色を出すものがあるかと疑うくらい判然出来上っている。
個人の嗜好はどうする事も出来ん。しかし日本の山水を描くのが主意であるならば、吾々もまた日本固有の空気と色を出さなければならん。いくら仏蘭西の絵がうまいと云って、その色をそのままに写して、これが日本の景色だとは云われない。やはり面のあたり自然に接して、朝な夕なに雲容煙態を研究したあげく、あの色こそと思ったとき、すぐ三脚几を担いで飛び出さなければならん。色は刹那に移る。一たび機を失すれば、同じ色は容易に眼には落ちぬ。余が今見上げた山の端には、滅多にこの辺で見る事の出来ないほどな好い色が充ちている。せっかく来て、あれを逃すのは惜しいものだ。ちょっと写してきよう。
襖をあけて、椽側へ出ると、向う二階の障子に身を倚たして、那美さんが立っている。顋を襟のなかへ埋めて、横顔だけしか見えぬ。余が挨拶をしようと思う途端に、女は、左の手を落としたまま、右の手を風のごとく動かした。閃くは稲妻か、二折れ三折れ胸のあたりを、するりと走るや否や、かちりと音がして、閃めきはすぐ消えた。女の左り手には九寸五分の白鞘がある。姿はたちまち障子の影に隠れた。余は朝っぱらから歌舞伎座を覗いた気で宿を出る。
門を出て、左へ切れると、すぐ岨道つづきの、爪上りになる。鶯が所々で鳴く。左り手がなだらかな谷へ落ちて、蜜柑が一面に植えてある。右には高からぬ岡が二つほど並んで、ここにもあるは蜜柑のみと思われる。何年前か一度この地に来た。指を折るのも面倒だ。何でも寒い師走の頃であった。その時蜜柑山に蜜柑がべた生りに生る景色を始めて見た。蜜柑取りに一枝売ってくれと云ったら、幾顆でも上げますよ、持っていらっしゃいと答えて、樹の上で妙な節の唄をうたい出した。東京では蜜柑の皮でさえ薬種屋へ買いに行かねばならぬのにと思った。夜になると、しきりに銃の音がする。何だと聞いたら、猟師が鴨をとるんだと教えてくれた。その時は那美さんの、なの字も知らずに済んだ。
あの女を役者にしたら、立派な女形が出来る。普通の役者は、舞台へ出ると、よそ行きの芸をする。あの女は家のなかで、常住芝居をしている。しかも芝居をしているとは気がつかん。自然天然に芝居をしている。あんなのを美的生活とでも云うのだろう。あの女の御蔭で画の修業がだいぶ出来た。
あの女の所作を芝居と見なければ、薄気味がわるくて一日もいたたまれん。義理とか人情とか云う、尋常の道具立を背景にして、普通の小説家のような観察点からあの女を研究したら、刺激が強過ぎて、すぐいやになる。現実世界に在って、余とあの女の間に纏綿した一種の関係が成り立ったとするならば、余の苦痛は恐らく言語に絶するだろう。余のこのたびの旅行は俗情を離れて、あくまで画工になり切るのが主意であるから、眼に入るものはことごとく画として見なければならん。能、芝居、もしくは詩中の人物としてのみ観察しなければならん。この覚悟の眼鏡から、あの女を覗いて見ると、あの女は、今まで見た女のうちでもっともうつくしい所作をする。自分でうつくしい芸をして見せると云う気がないだけに役者の所作よりもなおうつくしい。
こんな考をもつ余を、誤解してはならん。社会の公民として不適当だなどと評してはもっとも不届きである。善は行い難い、徳は施こしにくい、節操は守り安からぬ、義のために命を捨てるのは惜しい。これらをあえてするのは何人に取っても苦痛である。その苦痛を冒すためには、苦痛に打ち勝つだけの愉快がどこかに潜んでおらねばならん。画と云うも、詩と云うも、あるは芝居と云うも、この悲酸のうちに籠る快感の別号に過ぎん。この趣きを解し得て、始めて吾人の所作は壮烈にもなる、閑雅にもなる、すべての困苦に打ち勝って、胸中の一点の無上趣味を満足せしめたくなる。肉体の苦しみを度外に置いて、物質上の不便を物とも思わず、勇猛精進の心を駆って、人道のために、鼎※(「金+護のつくり」、第3水準1-93-41)に烹らるるを面白く思う。もし人情なる狭き立脚地に立って、芸術の定義を下し得るとすれば、芸術は、われら教育ある士人の胸裏に潜んで、邪を避け正に就き、曲を斥け直にくみし、弱を扶け強を挫かねば、どうしても堪えられぬと云う一念の結晶して、燦として白日を射返すものである。
芝居気があると人の行為を笑う事がある。うつくしき趣味を貫かんがために、不必要なる犠牲をあえてするの人情に遠きを嗤うのである。自然にうつくしき性格を発揮するの機会を待たずして、無理矢理に自己の趣味観を衒うの愚を笑うのである。真に個中の消息を解し得たるものの嗤うはその意を得ている。趣味の何物たるをも心得ぬ下司下郎の、わが卑しき心根に比較して他を賤しむに至っては許しがたい。昔し巌頭の吟を遺して、五十丈の飛瀑を直下して急湍に赴いた青年がある。余の視るところにては、彼の青年は美の一字のために、捨つべからざる命を捨てたるものと思う。死そのものは洵に壮烈である、ただその死を促がすの動機に至っては解しがたい。されども死そのものの壮烈をだに体し得ざるものが、いかにして藤村子の所作を嗤い得べき。彼らは壮烈の最後を遂ぐるの情趣を味い得ざるが故に、たとい正当の事情のもとにも、とうてい壮烈の最後を遂げ得べからざる制限ある点において、藤村子よりは人格として劣等であるから、嗤う権利がないものと余は主張する。
余は画工である。画工であればこそ趣味専門の男として、たとい人情世界に堕在するも、東西両隣りの没風流漢よりも高尚である。社会の一員として優に他を教育すべき地位に立っている。詩なきもの、画なきもの、芸術のたしなみなきものよりは、美くしき所作が出来る。人情世界にあって、美くしき所作は正である、義である、直である。正と義と直を行為の上において示すものは天下の公民の模範である。
しばらく人情界を離れたる余は、少なくともこの旅中に人情界に帰る必要はない。あってはせっかくの旅が無駄になる。人情世界から、じゃりじゃりする砂をふるって、底にあまる、うつくしい金のみを眺めて暮さなければならぬ。余自らも社会の一員をもって任じてはおらぬ。純粋なる専門画家として、己れさえ、纏綿たる利害の累索を絶って、優に画布裏に往来している。いわんや山をや水をや他人をや。那美さんの行為動作といえどもただそのままの姿と見るよりほかに致し方がない。
三丁ほど上ると、向うに白壁の一構が見える。蜜柑のなかの住居だなと思う。道は間もなく二筋に切れる。白壁を横に見て左りへ折れる時、振り返ったら、下から赤い腰巻をした娘が上ってくる。腰巻がしだいに尽きて、下から茶色の脛が出る。脛が出切ったら、藁草履になって、その藁草履がだんだん動いて来る。頭の上に山桜が落ちかかる。背中には光る海を負ている。
岨道を登り切ると、山の出鼻の平な所へ出た。北側は翠りを畳む春の峰で、今朝椽から仰いだあたりかも知れない。南側には焼野とも云うべき地勢が幅半丁ほど広がって、末は崩れた崖となる。崖の下は今過ぎた蜜柑山で、村を跨いで向を見れば、眼に入るものは言わずも知れた青海である。
路は幾筋もあるが、合うては別れ、別れては合うから、どれが本筋とも認められぬ。どれも路である代りに、どれも路でない。草のなかに、黒赤い地が、見えたり隠れたりして、どの筋につながるか見分のつかぬところに変化があって面白い。
どこへ腰を据えたものかと、草のなかを遠近と徘徊する。椽から見たときは画になると思った景色も、いざとなると存外纏まらない。色もしだいに変ってくる。草原をのそつくうちに、いつしか描く気がなくなった。描かぬとすれば、地位は構わん、どこへでも坐った所がわが住居である。染み込んだ春の日が、深く草の根に籠って、どっかと尻を卸すと、眼に入らぬ陽炎を踏み潰したような心持ちがする。
海は足の下に光る。遮ぎる雲の一片さえ持たぬ春の日影は、普ねく水の上を照らして、いつの間にかほとぼりは波の底まで浸み渡ったと思わるるほど暖かに見える。色は一刷毛の紺青を平らに流したる所々に、しろかねの細鱗を畳んで濃やかに動いている。春の日は限り無き天が下を照らして、天が下は限りなき水を湛えたる間には、白き帆が小指の爪ほどに見えるのみである。しかもその帆は全く動かない。往昔入貢の高麗船が遠くから渡ってくるときには、あんなに見えたであろう。そのほかは大千世界を極めて、照らす日の世、照らさるる海の世のみである。
ごろりと寝る。帽子が額をすべって、やけに阿弥陀となる。所々の草を一二尺抽いて、木瓜の小株が茂っている。余が顔はちょうどその一つの前に落ちた。木瓜は面白い花である。枝は頑固で、かつて曲った事がない。そんなら真直かと云うと、けっして真直でもない。ただ真直な短かい枝に、真直な短かい枝が、ある角度で衝突して、斜に構えつつ全体が出来上っている。そこへ、紅だか白だか要領を得ぬ花が安閑と咲く。柔かい葉さえちらちら着ける。評して見ると木瓜は花のうちで、愚かにして悟ったものであろう。世間には拙を守ると云う人がある。この人が来世に生れ変るときっと木瓜になる。余も木瓜になりたい。
小供のうち花の咲いた、葉のついた木瓜を切って、面白く枝振を作って、筆架をこしらえた事がある。それへ二銭五厘の水筆を立てかけて、白い穂が花と葉の間から、隠見するのを机へ載せて楽んだ。その日は木瓜の筆架ばかり気にして寝た。あくる日、眼が覚めるや否や、飛び起きて、机の前へ行って見ると、花は萎え葉は枯れて、白い穂だけが元のごとく光っている。あんなに奇麗なものが、どうして、こう一晩のうちに、枯れるだろうと、その時は不審の念に堪えなかった。今思うとその時分の方がよほど出世間的である。
寝るや否や眼についた木瓜は二十年来の旧知己である。見詰めているとしだいに気が遠くなって、いい心持ちになる。また詩興が浮ぶ。
寝ながら考える。一句を得るごとに写生帖に記して行く。しばらくして出来上ったようだ。始めから読み直して見る。
出門多所思。春風吹吾衣。芳草生車轍。廃道入霞微。停※(「筑」の「凡」に代えて「卩」、第3水準1-89-60)而矚目。万象帯晴暉。聴黄鳥宛転。観落英紛霏。行尽平蕪遠。題詩古寺扉。孤愁高雲際。大空断鴻帰。寸心何窈窕。縹緲忘是非。三十我欲老。韶光猶依々。逍遥随物化。悠然対芬菲。
ああ出来た、出来た。これで出来た。寝ながら木瓜を観て、世の中を忘れている感じがよく出た。木瓜が出なくっても、海が出なくっても、感じさえ出ればそれで結構である。と唸りながら、喜んでいると、エヘンと云う人間の咳払が聞えた。こいつは驚いた。
寝返りをして、声の響いた方を見ると、山の出鼻を回って、雑木の間から、一人の男があらわれた。
茶の中折れを被っている。中折れの形は崩れて、傾く縁の下から眼が見える。眼の恰好はわからんが、たしかにきょろきょろときょろつくようだ。藍の縞物の尻を端折って、素足に下駄がけの出で立ちは、何だか鑑定がつかない。野生の髯だけで判断するとまさに野武士の価値はある。
男は岨道を下りるかと思いのほか、曲り角からまた引き返した。もと来た路へ姿をかくすかと思うと、そうでもない。またあるき直してくる。この草原を、散歩する人のほかに、こんなに行きつ戻りつするものはないはずだ。しかしあれが散歩の姿であろうか。またあんな男がこの近辺に住んでいるとも考えられない。男は時々立ち留る。首を傾ける。または四方を見廻わす。大に考え込むようにもある。人を待ち合せる風にも取られる。何だかわからない。
余はこの物騒な男から、ついに吾眼をはなす事ができなかった。別に恐しいでもない、また画にしようと云う気も出ない。ただ眼をはなす事ができなかった。右から左、左りから右と、男に添うて、眼を働かせているうちに、男ははたと留った。留ると共に、またひとりの人物が、余が視界に点出された。
二人は双方で互に認識したように、しだいに双方から近づいて来る。余が視界はだんだん縮まって、原の真中で一点の狭き間に畳まれてしまう。二人は春の山を背に、春の海を前に、ぴたりと向き合った。
男は無論例の野武士である。相手は? 相手は女である。那美さんである。
余は那美さんの姿を見た時、すぐ今朝の短刀を連想した。もしや懐に呑んでおりはせぬかと思ったら、さすが非人情の余もただ、ひやりとした。
男女は向き合うたまま、しばらくは、同じ態度で立っている。動く景色は見えぬ。口は動かしているかも知れんが、言葉はまるで聞えぬ。男はやがて首を垂れた。女は山の方を向く。顔は余の眼に入らぬ。
山では鶯が啼く。女は鶯に耳を借して、いるとも見える。しばらくすると、男は屹と、垂れた首を挙げて、半ば踵を回らしかける。尋常の様ではない。女は颯と体を開いて、海の方へ向き直る。帯の間から頭を出しているのは懐剣らしい。男は昂然として、行きかかる。女は二歩ばかり、男の踵を縫うて進む。女は草履ばきである。男の留ったのは、呼び留められたのか。振り向く瞬間に女の右手は帯の間へ落ちた。あぶない!
するりと抜け出たのは、九寸五分かと思いのほか、財布のような包み物である。差し出した白い手の下から、長い紐がふらふらと春風に揺れる。
片足を前に、腰から上を少しそらして、差し出した、白い手頸に、紫の包。これだけの姿勢で充分画にはなろう。
紫でちょっと切れた図面が、二三寸の間隔をとって、振り返る男の体のこなし具合で、うまい按排につながれている。不即不離とはこの刹那の有様を形容すべき言葉と思う。女は前を引く態度で、男は後えに引かれた様子だ。しかもそれが実際に引いてもひかれてもおらん。両者の縁は紫の財布の尽くる所で、ふつりと切れている。
二人の姿勢がかくのごとく美妙な調和を保っていると同時に、両者の顔と、衣服にはあくまで、対照が認められるから、画として見ると一層の興味が深い。
背のずんぐりした、色黒の、髯づらと、くっきり締った細面に、襟の長い、撫肩の、華奢姿。ぶっきらぼうに身をひねった下駄がけの野武士と、不断着の銘仙さえしなやかに着こなした上、腰から上を、おとなしく反り身に控えたる痩形。はげた茶の帽子に、藍縞の尻切り出立ちと、陽炎さえ燃やすべき櫛目の通った鬢の色に、黒繻子のひかる奥から、ちらりと見せた帯上の、なまめかしさ。すべてが好画題である。
男は手を出して財布を受け取る。引きつ引かれつ巧みに平均を保ちつつあった二人の位置はたちまち崩れる。女はもう引かぬ、男は引かりょうともせぬ。心的状態が絵を構成する上に、かほどの影響を与えようとは、画家ながら、今まで気がつかなかった。
二人は左右へ分かれる。双方に気合がないから、もう画としては、支離滅裂である。雑木林の入口で男は一度振り返った。女は後をも見ぬ。すらすらと、こちらへ歩行てくる。やがて余の真正面まで来て、
「先生、先生」
と二声掛けた。これはしたり、いつ目付かったろう。
「何です」
と余は木瓜の上へ顔を出す。帽子は草原へ落ちた。
「何をそんな所でしていらっしゃる」
「詩を作って寝ていました」
「うそをおっしゃい。今のを御覧でしょう」
「今の? 今の、あれですか。ええ。少々拝見しました」
「ホホホホ少々でなくても、たくさん御覧なさればいいのに」
「実のところはたくさん拝見しました」
「それ御覧なさい。まあちょっと、こっちへ出ていらっしゃい。木瓜の中から出ていらっしゃい」
余は唯々として木瓜の中から出て行く。
「まだ木瓜の中に御用があるんですか」
「もう無いんです。帰ろうかとも思うんです」
「それじゃごいっしょに参りましょうか」
「ええ」
余は再び唯々として、木瓜の中に退いて、帽子を被り、絵の道具を纏めて、那美さんといっしょにあるき出す。
「画を御描きになったの」
「やめました」
「ここへいらしって、まだ一枚も御描きなさらないじゃありませんか」
「ええ」
「でもせっかく画をかきにいらしって、ちっとも御かきなさらなくっちゃ、つまりませんわね」
「なにつまってるんです」
「おやそう。なぜ?」
「なぜでも、ちゃんとつまるんです。画なんぞ描いたって、描かなくったって、つまるところは同じ事でさあ」
「そりゃ洒落なの、ホホホホ随分呑気ですねえ」
「こんな所へくるからには、呑気にでもしなくっちゃ、来た甲斐がないじゃありませんか」
「なあにどこにいても、呑気にしなくっちゃ、生きている甲斐はありませんよ。私なんぞは、今のようなところを人に見られても恥かしくも何とも思いません」
「思わんでもいいでしょう」
「そうですかね。あなたは今の男をいったい何だと御思いです」
「そうさな。どうもあまり、金持ちじゃありませんね」
「ホホホ善くあたりました。あなたは占いの名人ですよ。あの男は、貧乏して、日本にいられないからって、私に御金を貰いに来たのです」
「へえ、どこから来たのです」
「城下から来ました」
「随分遠方から来たもんですね。それで、どこへ行くんですか」
「何でも満洲へ行くそうです」
「何しに行くんですか」
「何しに行くんですか。御金を拾いに行くんだか、死にに行くんだか、分りません」
この時余は眼をあげて、ちょと女の顔を見た。今結んだ口元には、微かなる笑の影が消えかかりつつある。意味は解せぬ。
「あれは、わたくしの亭主です」
迅雷を掩うに遑あらず、女は突然として一太刀浴びせかけた。余は全く不意撃を喰った。無論そんな事を聞く気はなし、女も、よもや、ここまで曝け出そうとは考えていなかった。
「どうです、驚ろいたでしょう」と女が云う。
「ええ、少々驚ろいた」
「今の亭主じゃありません、離縁された亭主です」
「なるほど、それで……」
「それぎりです」
「そうですか。――あの蜜柑山に立派な白壁の家がありますね。ありゃ、いい地位にあるが、誰の家なんですか」
「あれが兄の家です。帰り路にちょっと寄って、行きましょう」
「用でもあるんですか」
「ええちっと頼まれものがあります」
「いっしょに行きましょう」
岨道の登り口へ出て、村へ下りずに、すぐ、右に折れて、また一丁ほどを登ると、門がある。門から玄関へかからずに、すぐ庭口へ廻る。女が無遠慮につかつか行くから、余も無遠慮につかつか行く。南向きの庭に、棕梠が三四本あって、土塀の下はすぐ蜜柑畠である。
女はすぐ、椽鼻へ腰をかけて、云う。
「いい景色だ。御覧なさい」
「なるほど、いいですな」
障子のうちは、静かに人の気合もせぬ。女は音のう景色もない。ただ腰をかけて、蜜柑畠を見下して平気でいる。余は不思議に思った。元来何の用があるのかしら。
しまいには話もないから、両方共無言のままで蜜柑畠を見下している。午に逼る太陽は、まともに暖かい光線を、山一面にあびせて、眼に余る蜜柑の葉は、葉裏まで、蒸し返されて耀やいている。やがて、裏の納屋の方で、鶏が大きな声を出して、こけこっこううと鳴く。
「おやもう。御午ですね。用事を忘れていた。――久一さん、久一さん」
女は及び腰になって、立て切った障子を、からりと開ける。内は空しき十畳敷に、狩野派の双幅が空しく春の床を飾っている。
「久一さん」
納屋の方でようやく返事がする。足音が襖の向でとまって、からりと、開くが早いか、白鞘の短刀が畳の上へ転がり出す。
「そら御伯父さんの餞別だよ」
帯の間に、いつ手が這入ったか、余は少しも知らなかった。短刀は二三度とんぼ返りを打って、静かな畳の上を、久一さんの足下へ走る。作りがゆる過ぎたと見えて、ぴかりと、寒いものが一寸ばかり光った。
十三
川舟で久一さんを吉田の停車場まで見送る。舟のなかに坐ったものは、送られる久一さんと、送る老人と、那美さんと、那美さんの兄さんと、荷物の世話をする源兵衛と、それから余である。余は無論御招伴に過ぎん。
御招伴でも呼ばれれば行く。何の意味だか分らなくても行く。非人情の旅に思慮は入らぬ。舟は筏に縁をつけたように、底が平たい。老人を中に、余と那美さんが艫、久一さんと、兄さんが、舳に座をとった。源兵衛は荷物と共に独り離れている。
「久一さん、軍さは好きか嫌いかい」と那美さんが聞く。
「出て見なければ分らんさ。苦しい事もあるだろうが、愉快な事も出て来るんだろう」と戦争を知らぬ久一さんが云う。
「いくら苦しくっても、国家のためだから」と老人が云う。
「短刀なんぞ貰うと、ちょっと戦争に出て見たくなりゃしないか」と女がまた妙な事を聞く。久一さんは、
「そうさね」
と軽く首肯う。老人は髯を掀げて笑う。兄さんは知らぬ顔をしている。
「そんな平気な事で、軍さが出来るかい」と女は、委細構わず、白い顔を久一さんの前へ突き出す。久一さんと、兄さんがちょっと眼を見合せた。
「那美さんが軍人になったらさぞ強かろう」兄さんが妹に話しかけた第一の言葉はこれである。語調から察すると、ただの冗談とも見えない。
「わたしが? わたしが軍人? わたしが軍人になれりゃとうになっています。今頃は死んでいます。久一さん。御前も死ぬがいい。生きて帰っちゃ外聞がわるい」
「そんな乱暴な事を――まあまあ、めでたく凱旋をして帰って来てくれ。死ぬばかりが国家のためではない。わしもまだ二三年は生きるつもりじゃ。まだ逢える」
老人の言葉の尾を長く手繰と、尻が細くなって、末は涙の糸になる。ただ男だけにそこまではだまを出さない。久一さんは何も云わずに、横を向いて、岸の方を見た。
岸には大きな柳がある。下に小さな舟を繋いで、一人の男がしきりに垂綸を見詰めている。一行の舟が、ゆるく波足を引いて、その前を通った時、この男はふと顔をあげて、久一さんと眼を見合せた。眼を見合せた両人の間には何らの電気も通わぬ。男は魚の事ばかり考えている。久一さんの頭の中には一尾の鮒も宿る余地がない。一行の舟は静かに太公望の前を通り越す。
日本橋を通る人の数は、一分に何百か知らぬ。もし橋畔に立って、行く人の心に蟠まる葛藤を一々に聞き得たならば、浮世は目眩しくて生きづらかろう。ただ知らぬ人で逢い、知らぬ人でわかれるから結句日本橋に立って、電車の旗を振る志願者も出て来る。太公望が、久一さんの泣きそうな顔に、何らの説明をも求めなかったのは幸である。顧り見ると、安心して浮標を見詰めている。おおかた日露戦争が済むまで見詰める気だろう。
川幅はあまり広くない。底は浅い。流れはゆるやかである。舷に倚って、水の上を滑って、どこまで行くか、春が尽きて、人が騒いで、鉢ち合せをしたがるところまで行かねばやまぬ。腥き一点の血を眉間に印したるこの青年は、余ら一行を容赦なく引いて行く。運命の縄はこの青年を遠き、暗き、物凄き北の国まで引くが故に、ある日、ある月、ある年の因果に、この青年と絡みつけられたる吾らは、その因果の尽くるところまでこの青年に引かれて行かねばならぬ。因果の尽くるとき、彼と吾らの間にふっと音がして、彼一人は否応なしに運命の手元まで手繰り寄せらるる。残る吾らも否応なしに残らねばならぬ。頼んでも、もがいても、引いていて貰う訳には行かぬ。
舟は面白いほどやすらかに流れる。左右の岸には土筆でも生えておりそうな。土堤の上には柳が多く見える。まばらに、低い家がその間から藁屋根を出し。煤けた窓を出し。時によると白い家鴨を出す。家鴨はがあがあと鳴いて川の中まで出て来る。
柳と柳の間に的※(「白+樂」、第3水準1-88-69)と光るのは白桃らしい。とんかたんと機を織る音が聞える。とんかたんの絶間から女の唄が、はああい、いようう――と水の上まで響く。何を唄うのやらいっこう分らぬ。
「先生、わたくしの画をかいて下さいな」と那美さんが注文する。久一さんは兄さんと、しきりに軍隊の話をしている。老人はいつか居眠りをはじめた。
「書いてあげましょう」と写生帖を取り出して、
春風にそら解け繻子の銘は何
と書いて見せる。女は笑いながら、
「こんな一筆がきでは、いけません。もっと私の気象の出るように、丁寧にかいて下さい」
「わたしもかきたいのだが。どうも、あなたの顔はそれだけじゃ画にならない」
「御挨拶です事。それじゃ、どうすれば画になるんです」
「なに今でも画に出来ますがね。ただ少し足りないところがある。それが出ないところをかくと、惜しいですよ」
「足りないたって、持って生れた顔だから仕方がありませんわ」
「持って生れた顔はいろいろになるものです」
「自分の勝手にですか」
「ええ」
「女だと思って、人をたんと馬鹿になさい」
「あなたが女だから、そんな馬鹿を云うのですよ」
「それじゃ、あなたの顔をいろいろにして見せてちょうだい」
「これほど毎日いろいろになってればたくさんだ」
女は黙って向をむく。川縁はいつか、水とすれすれに低く着いて、見渡す田のもは、一面のげんげんで埋っている。鮮やかな紅の滴々が、いつの雨に流されてか、半分溶けた花の海は霞のなかに果しなく広がって、見上げる半空には崢※(「山+榮」、第3水準1-47-92)たる一峰が半腹から微かに春の雲を吐いている。
「あの山の向うを、あなたは越していらしった」と女が白い手を舷から外へ出して、夢のような春の山を指す。
「天狗岩はあの辺ですか」
「あの翠の濃い下の、紫に見える所がありましょう」
「あの日影の所ですか」
「日影ですかしら。禿げてるんでしょう」
「なあに凹んでるんですよ。禿げていりゃ、もっと茶に見えます」
「そうでしょうか。ともかく、あの裏あたりになるそうです」
「そうすると、七曲りはもう少し左りになりますね」
「七曲りは、向うへ、ずっと外れます。あの山のまた一つ先きの山ですよ」
「なるほどそうだった。しかし見当から云うと、あのうすい雲が懸ってるあたりでしょう」
「ええ、方角はあの辺です」
居眠をしていた老人は、舷から、肘を落して、ほいと眼をさます。
「まだ着かんかな」
胸膈を前へ出して、右の肘を後ろへ張って、左り手を真直に伸して、ううんと欠伸をするついでに、弓を攣く真似をして見せる。女はホホホと笑う。
「どうもこれが癖で、……」
「弓が御好と見えますね」と余も笑いながら尋ねる。
「若いうちは七分五厘まで引きました。押しは存外今でもたしかです」と左の肩を叩いて見せる。舳では戦争談が酣である。
舟はようやく町らしいなかへ這入る。腰障子に御肴と書いた居酒屋が見える。古風な縄暖簾が見える。材木の置場が見える。人力車の音さえ時々聞える。乙鳥がちちと腹を返して飛ぶ。家鴨ががあがあ鳴く。一行は舟を捨てて停車場に向う。
いよいよ現実世界へ引きずり出された。汽車の見える所を現実世界と云う。汽車ほど二十世紀の文明を代表するものはあるまい。何百と云う人間を同じ箱へ詰めて轟と通る。情け容赦はない。詰め込まれた人間は皆同程度の速力で、同一の停車場へとまってそうして、同様に蒸※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)の恩沢に浴さねばならぬ。人は汽車へ乗ると云う。余は積み込まれると云う。人は汽車で行くと云う。余は運搬されると云う。汽車ほど個性を軽蔑したものはない。文明はあらゆる限りの手段をつくして、個性を発達せしめたる後、あらゆる限りの方法によってこの個性を踏み付けようとする。一人前何坪何合かの地面を与えて、この地面のうちでは寝るとも起きるとも勝手にせよと云うのが現今の文明である。同時にこの何坪何合の周囲に鉄柵を設けて、これよりさきへは一歩も出てはならぬぞと威嚇かすのが現今の文明である。何坪何合のうちで自由を擅にしたものが、この鉄柵外にも自由を擅にしたくなるのは自然の勢である。憐むべき文明の国民は日夜にこの鉄柵に噛みついて咆哮している。文明は個人に自由を与えて虎のごとく猛からしめたる後、これを檻穽の内に投げ込んで、天下の平和を維持しつつある。この平和は真の平和ではない。動物園の虎が見物人を睨めて、寝転んでいると同様な平和である。檻の鉄棒が一本でも抜けたら――世はめちゃめちゃになる。第二の仏蘭西革命はこの時に起るのであろう。個人の革命は今すでに日夜に起りつつある。北欧の偉人イブセンはこの革命の起るべき状態についてつぶさにその例証を吾人に与えた。余は汽車の猛烈に、見界なく、すべての人を貨物同様に心得て走る様を見るたびに、客車のうちに閉じ籠められたる個人と、個人の個性に寸毫の注意をだに払わざるこの鉄車とを比較して、――あぶない、あぶない。気をつけねばあぶないと思う。現代の文明はこのあぶないで鼻を衝かれるくらい充満している。おさき真闇に盲動する汽車はあぶない標本の一つである。
停車場前の茶店に腰を下ろして、蓬餅を眺めながら汽車論を考えた。これは写生帖へかく訳にも行かず、人に話す必要もないから、だまって、餅を食いながら茶を飲む。
向うの床几には二人かけている。等しく草鞋穿きで、一人は赤毛布、一人は千草色の股引の膝頭に継布をあてて、継布のあたった所を手で抑えている。
「やっぱり駄目かね」
「駄目さあ」
「牛のように胃袋が二つあると、いいなあ」
「二つあれば申し分はなえさ、一つが悪るくなりゃ、切ってしまえば済むから」
この田舎者は胃病と見える。彼らは満洲の野に吹く風の臭いも知らぬ。現代文明の弊をも見認めぬ。革命とはいかなるものか、文字さえ聞いた事もあるまい。あるいは自己の胃袋が一つあるか二つあるかそれすら弁じ得んだろう。余は写生帖を出して、二人の姿を描き取った。
じゃらんじゃらんと号鈴が鳴る。切符はすでに買うてある。
「さあ、行きましょ」と那美さんが立つ。
「どうれ」と老人も立つ。一行は揃って改札場を通り抜けて、プラットフォームへ出る。号鈴がしきりに鳴る。
轟と音がして、白く光る鉄路の上を、文明の長蛇が蜿蜒て来る。文明の長蛇は口から黒い煙を吐く。
「いよいよ御別かれか」と老人が云う。
「それでは御機嫌よう」と久一さんが頭を下げる。
「死んで御出で」と那美さんが再び云う。
「荷物は来たかい」と兄さんが聞く。
蛇は吾々の前でとまる。横腹の戸がいくつもあく。人が出たり、這入ったりする。久一さんは乗った。老人も兄さんも、那美さんも、余もそとに立っている。
車輪が一つ廻れば久一さんはすでに吾らが世の人ではない。遠い、遠い世界へ行ってしまう。その世界では煙硝の臭いの中で、人が働いている。そうして赤いものに滑って、むやみに転ぶ。空では大きな音がどどんどどんと云う。これからそう云う所へ行く久一さんは車のなかに立って無言のまま、吾々を眺めている。吾々を山の中から引き出した久一さんと、引き出された吾々の因果はここで切れる。もうすでに切れかかっている。車の戸と窓があいているだけで、御互の顔が見えるだけで、行く人と留まる人の間が六尺ばかり隔っているだけで、因果はもう切れかかっている。
車掌が、ぴしゃりぴしゃりと戸を閉てながら、こちらへ走って来る。一つ閉てるごとに、行く人と、送る人の距離はますます遠くなる。やがて久一さんの車室の戸もぴしゃりとしまった。世界はもう二つに為った。老人は思わず窓側へ寄る。青年は窓から首を出す。
「あぶない。出ますよ」と云う声の下から、未練のない鉄車の音がごっとりごっとりと調子を取って動き出す。窓は一つ一つ、余等の前を通る。久一さんの顔が小さくなって、最後の三等列車が、余の前を通るとき、窓の中から、また一つ顔が出た。
茶色のはげた中折帽の下から、髯だらけな野武士が名残り惜気に首を出した。そのとき、那美さんと野武士は思わず顔を見合せた。鉄車はごとりごとりと運転する。野武士の顔はすぐ消えた。那美さんは茫然として、行く汽車を見送る。その茫然のうちには不思議にも今までかつて見た事のない「憐れ」が一面に浮いている。
「それだ! それだ! それが出れば画になりますよ」と余は那美さんの肩を叩きながら小声に云った。余が胸中の画面はこの咄嗟の際に成就したのである。