彼岸過迄 (作者:夏目漱石) - 須永の話 | 多賀城[たがのき] - 小説投稿サイト

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須永の話

作者:管理人



 敬太郎けいたろう須永すながの門前で後姿うしろすがたの女を見て以来、この二人を結びつけるえんの糸を常に想像した。その糸には一種夢のようなにおいがあるので、二人を眼の前に、須永としまた千代子としてながめる時には、かえってどこかへ消えてしまう事が多かった。けれども彼らが普通の人間として敬太郎の肉眼に現実の刺戟しげきを与えない折々には、失なわれた糸がまた二人の中を離すべからざる因果いんがのごとくにつないだ。田口のうち出入でいりするようになってからも、須永と千代子の関係については、一口ひとくちでさえ誰からも聞いた事はなし、また二人の様子をじかに観察しても尋常の従兄弟いとこ以上に何物もほのめいていなかったには違ないが、こういう当初からの聯想れんそうに支配されて、彼の頭のどこかに、二人を常に一対いっつい男女なんにょとして認める傾きをっていた。女の連添つれそわない若い男や、男の手を組まない若い女は、要するに敬太郎から見れば自然をそこなった片輪に過ぎないので、彼が自分の知る彼らを頭のうちでかように組み合わせたのは、まだ片輪の境遇にまごついている二人に、自然が生みつけた通りの資格を早く与えてやりたいという道義心の要求から起ったのかも知れなかった。
 それはこむずかしい理窟りくつだから、たといどんな要求から起ろうと敬太郎のために弁ずる必要はないが、この頃になって偶然千代子の結婚談を耳にした彼が、頭の中の世界と、頭の外にある社会との矛盾に、ちょっと首をひねったのは事実に相違なかった。彼はその話を書生の佐伯さえきから聞いたのである。もっとも佐伯のようなものが、まだ事のまとまらない先から、奥のくわしい話を知ろうはずがなかった。彼はただ漠然ばくぜんとした顔の筋肉をいつもより緊張させて、何でもそんな評判ですと云うだけであった。千代子を貰う人の名前も無論分らなかったが、身分の実業家である事はたしかに思われた。
「千代子さんは須永君の所へ行くのだとばかり思っていたが、そうじゃないのかね」
「そうも行かないでしょう」
「なぜ」
「なぜって聞かれると、僕にも明瞭めいりょうな答はできにくいんですが、ちょっと考えて見てもむずかしそうですね」
「そうかね、僕はまたちょうど好い夫婦だと思ってるがね。親類じゃあるし、年だって五つ六つ違ならおかしかなしさ」
「知らない人から見るとちょっとそう見えるでしょうがね。裏面にはいろいろ複雑な事情もあるようですから」
 敬太郎は佐伯の云わゆる「複雑な事情」なるものを根掘り葉掘り聞きたくなったが、何だか自分を門外漢扱いにするような彼の言葉がしゃくさわるのと、たかが玄関番の書生から家庭の内幕を聞き出したと云われては自分の品格にかかわるのと、最後には、口ほど詳しい事情を佐伯が知っている気遣きづかいがないのとで、それぎりその話はやめにした。そのおりついでながら奥へ行って細君に挨拶あいさつをしてしばらく話したが、別に平生と何の変る様子もないので、おめでとうございますと云う勇気も出なかった。
 これは敬太郎が須永のうち矢来やらいの叔父さんのうちにあった不幸を千代子から聞いたつい二三日前の事であった。その日彼が久しぶりに須永を訪問したのも、実はその結婚問題について須永の考えを確かめるつもりであった。須永がどこの何人なんびとと結婚しようと、千代子がどこの何人に片づこうと、それは敬太郎の関係するところではなかったが、この二人の運命が、それほど容易たやすく右左へ未練なく離れ離れになり得るものか、または自分の想像した通りまぼろしに似た糸のようなものが、二人にも見えない縁となって、彼らを冥々めいめいのうちにつなぎ合せているものか。それともこの夢で織った帯とでも形容してしかるべきちらちらするものが、ある時は二人の眼に明らかに見え、ある時は全たく切れて、彼らをばらばらに孤立させるものか、――そこいらが敬太郎には知りたかったのである。もとよりそれは単なる物数奇ものずきに過ぎなかった。彼は明らかにそうだと自覚していた。けれども須永に対してなら、この物数奇を満足させても無礼に当らない事も自覚していた。そればかりかこの物数奇を満足させる権利があるとまで信じていた。





 その日は生憎あいにく千代子に妨たげられた上、しまいには須永すながの母さえ出て来たので、だいぶ長く坐っていたにもかかわらず、立ち入った話はいっさい持ち出す機会がなかった。ただ敬太郎けいたろうは偶然にも自分の前に並んだ三人が、ありのままの今の姿で、現に似合わしい夫婦としゅうとめになりおおせているという事にふと思い及んだ時、彼らを世間並の形式でまとめるのは、最も容易い仕事のように考えて帰った。
 次の日曜がまた幸いな暖かい日和ひよりをすべてのつとにんに恵んだので、敬太郎は朝早くから須永を尋ねて、郊外にいざなおうとした。無精ぶしょうでわがままな彼は玄関先まで出て来ながら、なかなか応じそうにしなかったのを、母親が無理に勧めてようやく靴を穿かした。靴を穿いた以上彼は、敬太郎の意志通りどっちへでも動く人であった。その代りいくら相談をかけても、ある判切はっきりした方角へ是非共足を運ばなければならないと主張する男ではなかった。彼と矢来の松本といっしょに出ると、二人とも行先を考えずに歩くので、一致してとんでもない所へ到着する事がままあった。敬太郎は現にこの人の母の口からその例を聞かされたのである。
 この日彼らは両国から汽車に乗ってこうだいの下まで行って降りた。それから美くしい広い河に沿って土堤どての上をのそのそ歩いた。敬太郎は久しぶりに晴々はればれした好い気分になって、水だの岡だのかけぶねだのを見廻した。須永も景色けしきだけはめたが、まだこんな吹き晴らしの土堤などを歩く季節じゃないと云って、寒いのにれ出した敬太郎をうらんだ。早く歩けば暖たかくなると出張した敬太郎はさっさと歩き始めた。須永はあきれたような顔をしていて来た。二人は柴又しばまた帝釈天たいしゃくてんそばまで来て、川甚かわじんといううち這入はいって飯を食った。そこであつらえたうなぎ蒲焼かばやきあまたるくて食えないと云って、須永はまた苦い顔をした。先刻さっきから二人の気分が熟しないので、しんみりした話をする余地が出て来ないのを苦しがっていた敬太郎は、この時須永に「江戸っ子は贅沢ぜいたくなものだね。細君を貰うときにもそう贅沢を云うかね」と聞いた。
「云えれば誰だって云うさ。何も江戸っ子に限りぁしない。君みたような田舎いなかものだって云うだろう」
 須永はこう答えて澄ましていた。敬太郎は仕方なしに「江戸っ子は無愛嬌ぶあいきょうなものだね」と云って笑い出した。須永も突然おかしくなったと見えて笑い出した。それからあとは二人の気分と同じように、二人の会話も円満に進行した。敬太郎が須永から「君もこの頃はだいぶ落ちついて来たようだ」と評されても、彼は「少し真面目まじめになったかね」とおとなしく受けるし、彼が須永に「君はますます偏窟へんくつに傾くじゃないか」と調戯からかっても、須永は「どうも自分ながらいやになる事がある」と快よくおのれの弱点を承認するだけであった。
 こういう打ち解けた心持で、二人が差し向いに互の眼の奥を見透みとおして恥ずかしがらない時に、千代子の問題が持ち出されたのは、その真相を聞こうとする敬太郎に取って偶然の仕合せであった。彼はまず一週間ほど前耳にした彼女が近いうちに結婚するといううわさ皮切かわきりに須永をおそった。その時須永は少しも昂奮こうふんした様子を見せなかった。むしろいつもより沈んだ調子で、「また何か縁談が起りかけているようだね。今度はうままとまればいいが」と答えたが、急に口調くちょうえて、「なに君は知らない事だが、今までもそう云う話は何度もあったんだよ」とさも陳腐ちんぷらしそうに説明して聞かせた。
「君はもらう気はないのかい」
「僕が貰うように見えるかね」
 話しはこんな風に、御互で引きるようにしてだんだん先へ進んだが、いよいよきわどいところまで打ち明けるか、さもなければ題目をえるよりほかに仕方がないという点まで押しつめられた時、須永はとうとう敬太郎に「また洋杖ステッキを持って来たんだね」と云って苦笑した。敬太郎も笑いながら縁側えんがわへ出た。そこから例の洋杖を取ってまた這入って来たが、「この通りだ」とへびの頭を須永に見せた。





 須永すながの話は敬太郎けいたろうの予期したよりもはるかに長かった。――
 僕の父は早く死んだ。僕がまだ親子の情愛をよく解しない子供の頃に突然死んでしまった。僕は子がないから、自分の血を分けたあたたかい肉のかたまりに対するなさけは、今でも比較的薄いかも知れないが、自分を生んでくれた親をなつかしいと思う心はそのだいぶ発達した。今の心をその時分持っていたならと考える事もまれではない。一言いちごんでいうと、当時の僕は父にははなはだ冷淡だったのである。もっとも父もけっして甘い方ではなかった。今の僕の胸に映る彼の顔は、骨の高い血色のすぐれない、親しみの薄い、厳格な表情にちた肖像に過ぎない。僕は自分の顔を鏡のうちに見るたんびに、それが胸の中に収めた父の容貌ようぼうと大変似ているのを思い出しては不愉快になる。自分が父と同じいやな印象を、はたの人に与えはしまいかと苦に病んで、そこで気が引けるばかりではない。こんな陰欝いんうつまゆや額が代表するよりも、まだましな温たかい情愛を、血の中に流している今の自分から推して、あんなに冷酷に見えた父も、心の底には自分以上に熱い涙をたくわえていたのではなかろうかと考えると、父の記念かたみとして、彼の悪い上皮うわかわだけを覚えているのが、子としていかにも情ない心持がするからである。父は死ぬ二三日前僕を枕元に呼んで、「市蔵、おれが死ぬと御母さんの厄介やっかいにならなくっちゃならないぞ。知ってるか」と云った。僕は生れた時から母の厄介になっていたのだから、今更いまさら改ためて父からそれを聞かされるのを妙に思った。黙って坐っていると、父は骨ばかりになった顔の筋を無理に動かすようにして、「今のように腕白じゃ、御母さんも構ってくれないぞ。もう少しおとなしくしないと」と云った。僕は母が今まで構ってくれたんだからこのままの僕でたくさんだという気が充分あった。それで父の小言こごとをまるで必要のない余計な事のように考えて病室を出た。
 父が死んだ時母は非常に泣いた。葬式が出る間際まぎわになって、僕は着物を着換えさせられたまま、手持無沙汰てもちぶさただから、一人縁側えんがわへ出て、あおい空をのぞき込むようにながめていると、白無垢しろむくを着た母が何を思ったか不意にそこへ出て来た。田口や松本を始め、ともに立つものはみんなむこうの方で混雑ごたごたしていたので、はたには誰も見えなかった。母は突然いきなり自分の坊主頭へ手をせて、泣きらした眼を自分の上にえた。そうして小さい声で、「御父さんが御亡おなくなりになっても、御母さんが今まで通り可愛かわいがって上げるから安心なさいよ」と云った。僕は何とも答えなかった。涙も落さなかった。その時はそれですんだが、両親ふたおやに対する僕の記憶を、生長ののちに至って、遠くの方で曇らすものは、二人のこの時の言葉であるという感じがそののちしだいしだいに強く明らかになって来た。何の意味もつける必要のない彼らの言葉に、僕はなぜ厚い疑惑の裏打をしなければならないのか、それは僕自身に聞いて見てもまるで説明がつかなかった。時々は母に向ってじかに問いただして見たい気も起ったが、母の顔を見ると急に勇気がくじけてしまうのがつねであった。そうして心のうちのどこかで、それを打ち明けたが最後、親しい母子おやこが離れ離れになって、永久今のむつましさに戻る機会はないと僕に耳語ささやくものが出て来た。それでなくても、母は僕の真面目まじめな顔を見守って、そんな事があったっけかねと笑いにまぎらしそうなので、そうぐらかされた時の残酷な結果を予想すると、とても口へ出された義理じゃないと思い直しては黙っていた。
 僕は母に対してけっして柔順な息子むすこではなかった。父の死ぬ前に枕元へ呼びつけられて意見されただけあって、小さいうちからよく母にさからった。大きくなって、女親だけになおさら優しくしてやりたいという分別ができたあとでも、やっぱり彼女の云う通りにはならなかった。この二三年はことに心配ばかりかけていた。が、いくら勝手を云い合っても、母子おやこは生れて以来の母子で、このたっとい観念を傷つけられたおぼえは、重手おもでにしろ浅手あさでにしろ、まだ経験した試しがないという考えから、もしあの事を云い出して、二人共後悔の瘢痕はんこんのこさなければすまないきずを受けたなら、それこそ取返しのつかない不幸だと思っていた。この畏怖いふの念は神経質に生れた僕の頭でこしらえるのかも知れないともうたぐって見た。けれども僕にはそれが現在よりも明らかな未来として存在している事が多かった。だから僕はあの時の父と母の言葉を、それなり忘れてしまう事ができなかったのを、今でも情なく感ずるのである。





 父と母の間はどれほど円満であったか、僕には分らない。僕はまださいを貰った経験がないから、そう云う事を口にする資格はないかも知れないが、いかな仲のい夫婦でも、時々は気不味きまずい思をしあうのが人間の常だろうから、彼らだって永く添っているうちには面白くない汚点しみを双方の胸のうちに見出しつつ、世間も知らず互も口にしない不満を、自分一人にがく味わって我慢した場合もあったのだろうと思う。もっとも父は疳癖かんぺきの強い割に陰性な男だったし、母は長唄ながうたをうたう時よりほかに、大きな声の出せない性分たちなので、僕は二人の言い争そう現場を、父の死ぬまでいまだかつて目撃した事がなかった。要するに世間から云えば、僕らのうちほど静かにととのった家庭は滅多めったに見当らなかったのである。あのくらいひとの悪口を露骨にいう松本の叔父でさえ、今だにそう認めて間違まちがいないものと信じ切っている。
 母は僕に対して死んだ父を語るごとに、世間の夫のうちで最も完全に近いもののように説明してやまない。これは幾分か僕の腹の底に濁ったまま沈んでいる父の記憶を清めたいための弁護とも思われる。または彼女自身の記憶に時間の布巾ふきんをかけてだんだん光沢つやを出すつもりとも見られる。けれども慈愛にちた親としての父を僕に紹介する時には、彼女の態度が全く一変する。平生僕がのあたりに見ているあの柔和にゅうわな母が、どうしてこう真面目まじめになれるだろうと驚ろくくらい、厳粛な気象きしょうで僕を打ちえる事さえあった。が、それは僕が中学から高等学校へ移る時分の昔である。今はいくら母に強請せびって同じ話をくり返してもらっても、そんな気高けだかい気分にはとてもなれない。僕の情操はその頃から学校を卒業するまでの間に、近頃の小説に出る主人公のように、まるですさみ果てたのだろう。現代の空気に中毒した自分をのろいたくなると、僕は時々もう一遍で好いから、母の前でああ云う崇高な感じに触れて見たいというのぞみを起すが、同時にその望みがとてもげられない過去の夢であるという悲しみもいて来る。
 母の性格は吾々われわれが昔から用い慣れた慈母という言葉で形容さえすれば、それで尽きている。僕から見ると彼女はこの二字のために生れてこの二字のために死ぬと云っても差支さしつかえない。まことに気の毒であるが、それでも母は生活の満足をこの一点にのみ集注しているのだから、僕さえ充分の孝行ができれば、これに越した彼女のよろこびはないのである。が、もしその僕が彼女の意にそむく事が多かったら、これほどの不幸はまた彼女に取ってけっしてない訳になる。それを思うと僕は非常に心苦しい事がある。
 思い出したからここでちょっと云うが、僕は生れてからの一人息子ではない。子供の時分にたえちゃんといういもとと毎日遊んだ事を覚えている。その妹は大きな模様のある被布ひふ平生ふだん着て、人形のように髪を切り下げていた。そうして僕の事を常に市蔵ちゃん市蔵ちゃんと云って、兄さんとはけっして呼ばなかった。この妹は父のくなる何年前かに実扶的里亜ジフテリアで死んでしまった。その頃は血清注射がまだ発明されない時分だったので、治療も大変に困難だったのだろう。僕はもとより実扶的里亜と云う名前さえ知らなかった。うちへ見舞に来た松本に、御前も実扶的里亜かと調戯からかわれて、うんそうじゃないよ僕軍人だよと答えたのを今だに忘れずにいる。妹が死んでから当分はむずかしい父の顔がだいぶ優しく見えた。母に向って、まことに御前には気の毒な事をしたといった顔がことにおだやかだったので、小供ながら、ついその時の言葉までさい胸に刻みつけておいた。しかし母がそれに対してどう答えたかは全く知らない。いくら思い出そうとしても思い出せないところをもって見ると、はじめから覚えなかったのだろう。これほど鋭敏に父を観察する能力を、小供の時から持っていた僕が、母に対する注意に欠けていたのも不思議である。人間が自分よりも余計にひとを知りたがる癖のあるものだとすれば、僕の父は母よりもよほど他人らしく僕に見えていたのかも分らない。それを逆に云うと、母は観察にあたいしないほど僕に親しかったのである。――とにかく妹は死んだ。それからの僕は父に対しても母に対しても一人息子であった。父が死んで以後の今の僕は母に対しての一人息子である。





 だから僕は母をできるだけ大事にしなければすまない。が、実際は同じ源因がかえって僕をわがままにしている。僕は去年学校を卒業してから今日こんにちまで、まだ就職という問題についてただの一日も頭を使った事がない。出た時の成績はむしろ好い方であった。席次を目安めやすに人をる今の習慣を利用しようと思えば、随分友達をうらやましがらせる位置に坐り込む機会もないではなかった。現に一度はある方面から人選にんせん依託いたくを受けた某教授に呼ばれて意向を聞かれた記憶さえっている。それだのに僕は動かなかった。もとより自慢でこう云う話をするのではない。真底を打ち明ければむしろ自慢の反対で、全く信念の欠乏から来た引込ひっこ思案じあんなのだから不愉快である。が、朝から晩まで気骨を折って、世の中に持てはやされたところで、どこがどうしたんだという横着は、無論断わる時からつけまとっていた。僕は時めくために生れた男ではないと思う。法律などをおさめないで、植物学か天文学でもやったらまだしょうに合った仕事が天から授かるかも知れないと思う。僕は世間に対してははなはだ気の弱い癖に、自分に対しては大変辛抱の好い男だからそう思うのである。
 こういう僕のわがままをわがままなりに通してくれるものは、云うまでもなく父がのこして行ったわずかばかりの財産である。もしこの財産がなかったら、僕はどんな苦しい思をしても、法学士の肩書を利用して、世間と戦かわなければならないのだと考えると、僕は死んだ父に対して改ためて感謝の念を捧げたくなると同時に、自分のわがままはこの財産のためにやっと存在を許されているのだからよほど腰のすわらないあさはかなものに違ないと推断する。そうしてその犠牲にされている母が一層気の毒になる。
 母は昔堅気むかしかたぎの教育を受けた婦人の常として、家名を揚げるのが子たるものの第一のつとめだというような考えを、何より先にいだいている。しかし彼女の家名をげるというのは、名誉の意味か、財産の意味か、権力の意味か、または徳望の意味か、そこへ行くと全く何の分別もない。ただ漠然ばくぜんと、一つが頭の上に落ちて来れば、すべてその他があとを追って門前に輻湊ふくそうするぐらいに思っている。しかし僕はそういう問題について、何事も母に説明してやる勇気がない。説明して聞かせるには、まず僕の見識でもっともと認めた家名の揚げ方をした上でないと、僕にその資格ができないからである。僕はいかなる意味においても家名を揚げ得る男ではない。ただけがさないだけの見識を頭に入れておくばかりである。そうしてその見識は母に見せて喜こんでもらえるどころか、彼女とはまるでかけ離れた縁のないものなのだから、母も心細いだろう。僕も淋しい。
 僕が母にかける心配の数あるうちで、第一に挙げなければならないのは、今話した通りの僕の欠点である。しかしこの欠点をめずに母と不足なく暮らして行かれるほど、母は僕を愛していてくれるのだから、ただすまないと思う心を失なわずに、このままで押せば押せない事もないが、このわがままよりももっと鋭どい失望を母に与えそうなので、僕がひそかに胸を痛めているのは結婚問題である。結婚問題と云うより僕と千代子を取り巻く周囲の事情と云った方が適当かも知れない。それを説明するには話の順序としてまず千代子の生れない当時にさかのぼる必要がある。その頃の田口はけっして今ほどの幅利はばききでも資産家でもなかった。ただ将来見込のある男だからと云うので、父が母のいもとに当るあの叔母を嫁にやるように周旋したのである。田口はもとより僕の父を先輩として仰いでいた。なにかにつけて相談もしたり、世話にもなった。両家の間に新らしく成立したこの親しい関係が、月と共に加速度をもって円満に進行しつつある際に千代子が生れた。その時僕の母はどう思ったものか、大きくなったらこの子を市蔵の嫁にくれまいかと田口夫婦に頼んだのだそうである。母の語るところによると、彼らはそのおり快よく母の頼みを承諾したのだと云う。固より後から百代が生まれる、吾一ごいちという男の子もできる、千代子もやろうとすればどこへでもやられるのだが、きっと僕にやらなければならないほど確かに母に受合ったかどうか、そこは僕も知らない。





 とにかく僕と千代子の間には両方共物心のつかない当時からすでにこういうきずながあった。けれどもその絆は僕ら二人を結びつける上においてすこぶる怪しい絆であった。二人はもとより天にあが雲雀ひばりのごとく自由に生長した。絆をった人でさえしかとそのはしを握っている気ではなかったのだろう。僕は怪しい絆という文字を奇縁という意味でここに使う事のできないのを深く母のために悲しむのである。
 母は僕の高等学校に這入はいった時分それとなく千代子の事をほのめかした。その頃の僕に色気のあったのは無論である。けれども未来のさいという観念はまるで頭に無かった。そんな話に取り合う落ちつきさえ持っていなかった。ことに子供の時からいっしょに遊んだり喧嘩けんかをしたり、ほとんど同じ家に生長したと違わない親しみのある少女は、余り自分に近過ぎるためかはなはだ平凡に見えて、異性に対する普通の刺戟しげきを与えるに足りなかった。これは僕の方ばかりではあるまい、千代子もおそらく同感だろうと思う。その証拠しょうこには長い交際の前後を通じて、僕はいまだかつて男として彼女から取り扱かわれた経験を記憶する事ができない。彼女から見た僕は、おころうが泣こうが、しなをしようが色眼を使おうが、常に変らない従兄いとこに過ぎないのである。もっともこれは幾分か、純粋な気象きしょうを受けて生れた彼女の性情からも出るので、そこになるとまた僕ほど彼女を知り抜いているものはないのだが、単にそれだけでああ男女なんにょ牆壁しょうへきが取りけられる訳のものではあるまい。ただ一度……しかしこれは後で話す方がかろうと思う。
 母は自分のいう事に耳を借さなかった僕を羞恥家はにかみやと解釈して、再び時期を待つもののごとくに、この問題をふところに収めた。羞恥は僕といえども否定する勇気がない。しかし千代子に意があるから羞恥はにかんだのだと取った母は、全くの反対を事実と認めたと同じ事である。要するに母は未来に対する準備という考から、僕ら二人をなるべく仲善く育て上げよう育て上げようとつとめた結果、男女としての二人をしだいに遠ざからした。そうして自分では知らずにいた。それを知らなければならないようにした僕は全く残酷であった。
 その日の事を語るのが僕には実際の苦痛である。母は高等学校時代ににおわした千代子の問題を、僕が大学の二年になるまで、じっと懐にいたまま一人であたためていたと見えて、ある晩――春休みの頃の花の咲いたといううわさのあったある日の晩――そっと僕の前に出して見せた。その時は僕もだいぶ大人おとならしくなっていたので、静かにその問題を取り上げて、裏表から鄭寧ていねい吟味ぎんみする余裕よゆうができていた。母もその時にはただ遠くから匂わせるだけでなくて、自分の希望に正当の形式を与える事を忘れなかった。僕は何心なく従妹いとこは血属だからいやだと答えた。母は千代子の生れた時くれろと頼んでおいたのだから貰ったらいいだろうと云って僕を驚ろかした。なぜそんな事を頼んだのかと聞くと、なぜでもわたしの好きな子で、御前もきらうはずがないからだと、赤ん坊には応用のかないような挨拶あいさつをして僕を弱らせた。だんだんそこを押して見ると、しまいに涙ぐんで、実は御前のためではない、全く私のために頼むのだと云う。しかもどうしてそれが母のためになるのか、その理由はいくら聞いても語らない。最後に何でもかでも千代子はいやかと聞かれた。僕は厭でも何でもないと答えた。しかし当人も僕のところへ来る気はなし、田口の叔父も叔母も僕にくれたくはないのだから、そんな事を申し込むのは止した方が好い、先方で迷惑するだけだからと教えた。母は約束だから迷惑しても構わない、また迷惑するはずがないと主張して、むかし田口が父の世話になったり厄介やっかいになったりした例を数え挙げた。僕はやむを得ないからこの問題は卒業するまで解決を着けずにおこうと云い出した。母は不安のうち一縷いちるの望を現わした顔色をして、もう一遍とくと考えて見てくれと頼んだ。
 こういう事情で、今まで母一人でふところいていた問題を、そののちは僕も抱かなければならなくなった。田口はまた田口流に、同じ問題をかえしつつあるのではなかろうか。たとい千代子をほかへ縁づけるにしても、いざと云う場合には一応こちらの承諾を得る必要があるとすれば、叔父も気がかりに違いない。





 僕は不安になった。母の顔を見るたびに、彼女をあざむいてその日その日を姑息こそくに送っているような気がしてすまなかった。一頃ひところは思い直してでき得るならば母の希望通り千代子をもらってやりたいとも考えた。僕はそのためにわざわざ用もない田口の家へ遊びに行ってそれとなく叔父や叔母の様子を見た。彼らは僕の母の肉薄に応ずる準備としてまえもって僕をうとんずるような素振そぶりを口にも挙動にもけっして示さなかった。彼らはそれほど浅薄なまた不親切な人間ではなかったのである。けれども彼らの娘の未来の夫として、僕が彼らの眼にいかにあわれむべく映じていたかは、遠き前から僕の見抜いていたところと、ちっとも変化を来さないばかりか、近頃になってますますそのかたむきが著るしくなるように思われた。彼らは第一に僕の弱々しい体格と僕の蒼白あおしろい顔色とを婿むことしてうけがわないつもりらしかった。もっとも僕は神経の鋭どく動く性質たちだから、物を誇大に考え過したり、らぬひがみを起して見たりする弊がよくあるので、自分の胸に収めたくわしい叔父叔母の観察を遠慮なくここに述べる非礼ははばかりたい。ただ一言いちごんで云うと、彼らはその当時千代子を僕の嫁にしようと明言したのだろう。少なくともやってもいいぐらいには考えていたのだろう。が、その彼らの社会に占め得た地位と、彼らとは背中合せに進んで行く僕の性格が、二重に実行の便宜を奪って、ただけかかったむなしい義理の抜殻ぬけがらを、彼らの頭のどこかに置き去りにして行ったと思えば差支さしつかえないのである。
 僕と彼らとはあらゆる人の結婚問題についても多くを語る機会を持たなかった。ただある時叔母と僕との間にこんな会話が取り換わされた。
いっさんももうそろそろ奥さんを探さなくっちゃなりませんね。姉さんはとうから心配しているようですよ」
「好いのがあったら母に知らしてやって下さい」
「市さんにはおとなしくってやさしい、親切な看護婦みたような女がいいでしょう」
「看護婦みたような嫁はないかって探しても、誰も来手きてはあるまいな」
 僕が苦笑しながら、みずかあざけるごとくこう云った時、今まで向うのすみで何かしていた千代子が、不意に首を上げた。
「あたし行って上げましょうか」
 僕は彼女の眼を深く見た。彼女も僕の顔を見た。けれども両方共そこに意味のある何物をも認めなかった。叔母は千代子の方を振り向きもしなかった。そうして、「御前のようなむきだしのがらがらした者が、何で市さんの気に入るものかね」と云った。僕は低い叔母の声のうちに、たしなめるようなまたおそれるような一種の響を聞いた。千代子はただからからと面白そうに笑っただけであった。その時百代子もそばにいた。これは姉の言葉を聞いて微笑しながら席を立った。形式をそなえない断りを云われたと解釈した僕はしばらくしてまた席を立った。
 この事件後僕は同じ問題に関して母の満足を買うための努力をますますいさぎよしとしなくなった。自尊心の強い父の子として、僕の神経はこういう点において自分でも驚ろくくらい過敏なのである。もちろん僕はその折の叔母に対してけっして感情を害しはしなかった。こっちからまだ正式の申し込みを受けていない叔母としては、ああよりほかに意向のらし方も無かったのだろうと思う。千代子に至っては何を云おうが笑おうが、いつでもわだかまりのない彼女の胸の中を、そのまま外に表わしたに過ぎないと考えていた。僕はその時の千代子の言葉や様子から察して、彼女が僕のところへ来たがっていない事だけは、従前通りたしかに認めたが、同時に、もし差し向いで僕の母にしんみり話し込まれでもしたら、ええそういうわけなら御嫁に来て上げましょうと、その場ですぐ承知しないとも限るまいと思って、ひそかに掛念けねんいだいたくらいである。彼女はそう云う時に、平気で自分の利害や親の意思を犠牲に供し得るきわめて純粋の女だと僕は常から信じていたからである。





 意地の強い僕は母をうれしがらせるよりもなるべく自我をきずつけないようにと祈った。その結果千代子が僕の知らない間に、母から説き落されてはと掛念して、暗にそれを防ぐ分別をした。母は彼女の生れ落ちた当初すでに僕の嫁ときめただけあって、多くあるめいおいの中で、取り分け千代子を可愛かわいがった。千代子も子供の時分から僕の家を生家のごとく心得て遠慮なく寝泊ねとまりに来た。その縁故で、田口と僕の家が昔に比べると比較的うとくなった今日こんにちでも、千代子だけは叔母さん叔母さんと云って、うみの親にでも逢いに来るような朗らかな顔をして、しげしげ出入でいりをしていた。単純な彼女は、自分の身をまとに時々起る縁談をさえ、隠すところなく母に打ち明けた。人の好い母はまたそれを素直に聞いてやるだけで、うらめしい眼つき一つも見せ得なかった。僕の恐れる懇談は、こういう関係の深い二人の間に、いつ起らないとも限らなかったのである。
 僕の分別というのはまずこの点に関して、当分母の口をふさいでおこうとする用心に過ぎなかった。ところがいざ改たまって母にそれを切り出そうとすると、ただ自分のを通すために、弱い親の自由を奪うのは残酷な子に違ないという心持が、どこにかきざすので、ついそれなりにしてやめる事が多かった。もっとも年寄のまゆを曇らすのがただなさけないばかりでやめたとも云われない。これほど親しい間柄でさえ今まで思い切ったところを千代子に打ち明け得なかった母の事だから、たといこのままにしておいても、まあ当分は大丈夫だろうという考が、母に対する僕を多少おさえたのである。
 それで僕は千代子に関して何という明瞭めいりょうな所置も取らずに過ぎた。もっともこういう不安な状態で日を送った時期にも、まるで田口の家と打絶えた訳ではなかったので、たまには単に母の喜こぶ顔を見るだけの目的をもって内幸町まで電車を利用した覚さえあったのである。そういうある日の晩、僕は久しぶりに千代子から、習い立ての珍らしい手料理を御馳走ごちそうするからと引止められて、夕飯のぜんについた。いつも留守るすがちな叔父がその日はちょうど内にいて、食事中例の気作きさくな話をし続けにしたため、若い人の陽気な笑い声が障子しょうじに響くくらい家の中がにぎわった。飯が済んだあとで、叔父はどういう考か、突然僕に「いっさん久しぶりに一局やろうか」と云い出した。僕はさほど気が進まなかったけれどもせっかくだから、やりましょうと答えて、叔父と共に別室へ退しりぞいた。二人はそこで二三番打った。もとより下手と下手の勝負なので、時間のかかるはずもなく、碁石ごいしを片づけてもまだそれほど遅くはならなかった。二人は煙草たばこみながらまた話を始めた。その時僕は適当な機会を利用してわざと叔父に「千代子さんの縁談はまだまとまりませんか」と聞いた。それは固より僕が千代子に対して他意のないという事を示すためであった。がまた一方では、一日も早くこの問題の解決が着けば、自分も安心だし、千代子も幸福だと考えたからである。すると叔父はさすがに男だけあって、何の躊躇ちゅうちょもなくこう云った。――
「いやまだなかなかそう行きそうもない。だんだんそんな話を持って来てくれるものはあるが、何しろむずかしくって弱る。その上調べれば調べるほど面倒になるだけだし、まあ大抵のところで纏まるなら纏めてしまおうかと思ってる。――縁談なんてものは妙なものでね。今だから御前に話すが、実は千代子の生れたとき、御前の御母さんが、これを市蔵の嫁に欲しいってね――生れ立ての赤ん坊をだよ」
 叔父はこの時笑いながら僕の顔を見た。
「母は本気でそう云ったんだそうです」
「本気さ。姉さんはまた正直な人だからね。実に好い人だ。今でも時々真面目まじめになって叔母さんにその話をするそうだ」
 叔父は再び大きな声を出して笑った。僕ははたして叔父がこう軽くこの事件を解釈しているなら、母のために少し弁じてやろうかと考えた。が、もしこれが世慣よなれた人の巧妙なさとらせぶりだとすれば、一口でも云うだけがおろかだと思い直して黙った。叔父は親切な人でまた世慣よなれた人である。彼のこの時の言葉はどちらの眼で見ていいのか、僕には今もって解らない。ただ僕がその時以来千代子を貰わない方へいよいよ傾いたのは事実である。





 それから二カ月ばかりの間僕は田口の家へ近寄らなかった。母さえ心配しなければ、それぎり内幸町へは足を向けずにすましたかも知れなかった。たとい母が心配するにしても、単に彼女に対する掛念けねんだけが問題なら、あるいは僕の気随きずいをいざという極点まで押し通したかも知れなかった。僕はそんな[#「そんな」は底本では「そんに」]風に生みつけられた男なのである。ところが二カ月の末になって、僕は突然自分の片意地をひるがえさなければ不利だという事に気がついた。実を云うと、僕と田口と疎遠になればなるほど、母はあらゆる機会を求めて、ますます千代子と接触するようにつとめ出したのである。そうしていつなんどき僕の最も恐れる直接の談判を、千代子に向って開かないとも限らないように、漸々ぜんぜん形勢を切迫させて来たのである。僕は思い切って、この危機を一帳場ひとちょうば先へ繰り越そうとした。そうしてその決心と共にまた田口の敷居をまたぎ出した。
 彼らの僕を遇する態度にもとより変りはなかった。僕の彼らに対する様子もまた二カ月前の通りであった。僕と彼らとはもとのごとく笑ったり、ふざけたり、揚足あげあしの取りっくらをしたりした。要するに僕の田口でついやした時間は、騒がしいくらい陽気であった。本当のところをいうと、僕には少し陽気過ぎたのである。したがって腹の中が常に空虚な努力に疲れていた。鋭どい眼で注意したら、どこかにいつわりの影が射して、本来の自分を醜くいろどっていたろうと思う。そのうちで自分の気分と自分の言葉が、半紙の裏表のようにぴたりと合った愉快を感じたおぼえがただ一遍ある。それは家例として年に一度か二度田口の家族がそろって遊びに出る日の出来事であった。僕は知らずに奥へ通って、千代子一人が閑静に坐っているのを見て驚ろいた。彼女は風邪かぜを引いたと見えて、咽喉のどに湿布をしていた。常にも似ないあおい顔色もさびしく思われた。微笑しながら、「今日はあたし御留守居よ」と云った時、僕は始めてみんな出払った事に気がついた。
 その日彼女は病気のせいかいつもよりしんみり落ちついていた。僕の顔さえ見ると、きっと冷かし文句を並べて、どうしても悪口の云い合いをいどまなければやまない彼女が、一人ぼっちで妙に沈んでいる姿を見たとき、僕はふと可憐な心を起した。それで席に着くやいなや、優しい慰藉いしゃの言葉を口から出す気もなくおのずから出した。すると千代子は一種変な表情をして、「あなた今日は大変優しいわね。奥さんをもらったらそういう風に優しくしてあげなくっちゃいけないわね」と云った。遠慮がなくて親しみだけ持っていた僕は、今まで千代子に対していくら無愛嬌ぶあいきょうに振舞っても差支さしつかえないものとあんみずから許していたのだという事にこの時始めて気がついた。そうして千代子の眼のうちにどこか嬉しそうな色のかすかながら漂ようのを認めて、自分が悪かったと後悔した。
 二人はほとんどいっしょに生長したと同じような自分達の過去を振り返った。昔の記憶を語る言葉が互のくちびるから当時を蘇生よみがえらせる便たよりとしてれた。僕は千代子の記憶が、僕よりもはるかにすぐれて、細かいところまであざやかに行き渡っているのに驚ろいた。彼女は今から四年前、僕が玄関に立ったままはかまほころびを彼女に縫わせた事まで覚えていた。その時彼女の使ったのは木綿糸もめんいとでなくて絹糸であった事も知っていた。
「あたしあなたのいてくれたをまだ持っててよ」
 なるほどそう云われて見ると、千代子に画を描いてやったおぼえがあった。けれどもそれは彼女が十二三の時の事で、自分が田口に買って貰った絵具と紙を僕の前へ押しつけて無理矢理に描かせたものである。僕の画道における嗜好たしなみは、それから以後今日こんにちに至るまで、ついぞ画筆えふでを握った試しがないのでも分るのだから、赤や緑の単純な刺戟しげきが、一通り彼女の眼に映ってしまえば、興味はそこに尽きなければならないはずのものであった。それを保存していると聞いた僕は迷惑そうに苦笑せざるを得なかった。
「見せて上げましょうか」
 僕は見ないでもいいと断った。彼女は構わず立ち上がって、自分のへやから僕の画を納めた手文庫を持って来た。





 千代子はその中から僕の描いた画を五六枚出して見せた。それは赤い椿つばきだの、むらさき東菊あずまぎくだの、色変りのダリヤだので、いずれも単純な花卉かきの写生に過ぎなかったが、らない所にわざと手を掛けて、時間の浪費をいとわずに、細かく綺麗きれいに塗り上げた手際てぎわは、今の僕から見るとほとんど驚ろくべきものであった。僕はこれほど綿密であった自分の昔に感服した。
「あなたそれを描いて下すった時分は、今よりよっぽど親切だったわね」
 千代子は突然こう云った。僕にはその意味がまるで分らなかった。画から眼を上げて、彼女の顔を見ると、彼女も黒い大きなひとみを僕の上にじっとえていた。僕はどういう訳でそんな事を云うのかと尋ねた。彼女はそれでも答えずに僕の顔を見つめていた。やがていつもより小さな声で「でも近頃頼んだって、そんなに精出して描いては下さらないでしょう」と云った。僕は描くとも描かないとも答えられなかった。ただ腹の中で、彼女の言葉をもっともだと首肯うけがった。
「それでもよくこんな物を丹念にしまっておくね」
「あたし御嫁に行く時も持ってくつもりよ」
 僕はこの言葉を聞いて変に悲しくなった。そうしてその悲しい気分が、すぐ千代子の胸にこたえそうなのがなお恐ろしかった。僕はその刹那せつなすでに涙のあふれそうな黒い大きな眼を自分の前に想像したのである。
「そんな下らないものは持って行かないがいいよ」
「いいわ、持って行ったって、あたしのだから」
 彼女はこう云いつつ、赤い椿や紫の東菊を重ねて、また文庫の中へしまった。僕は自分の気分を変えるためわざと彼女にいつごろ嫁に行くつもりかと聞いた。彼女はもうじきに行くのだと答えた。
「しかしまだきまった訳じゃないんだろう」
「いいえ、もうきまったの」
 彼女は明らかに答えた。今まで自分の安心を得る最後の手段として、一日いちじつも早く彼女の縁談がまとまれば好いがと念じていた僕の心臓は、この答と共にどきんと音のするなみを打った。そうして毛穴からい出すような膏汗あぶらあせが、背中とわきの下を不意におそった。千代子は文庫をいて立ち上った。障子しょうじを開けるとき、上から僕を見下みおろして、「うそよ」と一口判切はっきり云い切ったまま、自分のへやの方へ出て行った。
 僕は動くかんがえもなくもとの席に坐っていた。僕の胸には忌々いまいましい何物も宿らなかった。千代子の嫁に行く行かないが、僕にどう影響するかを、この時始めて実際に自覚する事のできた僕は、それを自覚させてくれた彼女の翻弄ほんろうに対して感謝した。僕は今まで気がつかずに彼女を愛していたのかも知れなかった。あるいは彼女が気がつかないうちに僕を愛していたのかも知れなかった。――僕は自分という正体が、それほど解りにくこわいものなのだろうかと考えて、しばらく茫然ぼうぜんとしていた。するとあちらの方で電話がちりんちりんと鳴った。千代子が縁伝いに急ぎ足でやって来て、僕にいっしょに電話をかけてくれと頼んだ。僕にはいっしょにかけるという意味が呑み込めなかったが、すぐ立って彼女と共に電話口へ行った。
「もう呼び出してあるのよ。あたし声がれて、咽喉のどが痛くって話ができないからあなた代理をしてちょうだい。聞く方はあたしが聞くから」
 僕は相手の名前も分らない、また向うの話の通じない電話をかけるべく、前屈まえこごみになって用意をした。千代子はすでに受話器を耳にあてていた。それを通して彼女の頭へ送られる言葉は、ひとり彼女が占有するだけなので、僕はただ彼女の小声でいう挨拶あいさつを大きくして訳も解らず先方へ取次ぐに過ぎなかった。それでも始の内は滑稽こっけいも構わず暇がかかるのもいとわず平気でやっていたが、しだいに僕の好奇心を挑発ちょうはつするような返事や質問が千代子の口から出て来るので、僕はこごんだまま、おいちょいとそれを御貸おかしと声をかけて左手を真直まっすぐに千代子の方へ差し伸べた。千代子は笑いながら否々いやいやをして見せた。僕はさらに姿勢を正しくして、受話器を彼女の手から奪おうとした。彼女はけっしてそれを離さなかった。取ろうとする取らせまいとする争が二人の間に起った時、彼女は手早く電話を切った。そうして大きな声をあげて笑い出した。――



十一

 こういう光景がもし今より一年前に起ったならと僕はその何遍もくり返しくり返し思った。そう思うたびに、もう遅過ぎる、時機はすでに去ったと運命から宣告されるような気がした。今からでもこういう光景を二度三度と重ねる機会はつらまえられるではないかと、同じ運命が暗に僕をそそのかす日もあった。なるほど二人の情愛を互いに反射させ合うためにのみ眼の光を使う手段をはばからなかったなら、千代子と僕とはその日を基点として出立しても、今頃は人間の利害でく事のできない愛におちいっていたかも知れない。ただ僕はそれと反対の方針を取ったのである。
 田口夫婦の意向や僕の母の希望は、他人の入智慧いれぢえ同様に意味の少ないものとして、単に彼女と僕を裸にした生れつきだけを比較すると、僕らはとてもいっしょになる見込のないものと僕は平生から信じていた。これはなぜと聞かれても満足の行くように答弁ができないかも知れない。僕は人に説明するためにそう信じているのでないから。僕はかつて文学好のある友達からダヌンチオと一少女の話を聞いた事がある。ダヌンチオというのは今の以太利イタリアで一番有名な小説家だそうだから、僕の友達の主意は無論彼の勢力を僕に紹介するつもりだったのだろうが、僕にはそこへ引合に出された少女の方が彼よりもはるかに興味が多かった。その話はこうである。――
 ある時ダヌンチオが招待を受けてある会合の席へ出た。文学者を国家の装飾のようにもてはやす西洋の事だから、ダヌンチオはその席にむらがるすべての人から多大の尊敬と愛嬌あいきょうをもって偉人のごとく取扱かわれた。彼が満堂の注意を一身に集めて、衆人の間をあちこち徘徊はいかいしているうち、どういう機会はずみか自分の手巾ハンケチを足のもとへ落した。混雑の際と見えて、彼はもとより、はたのものもいっこうそれに気がつかずにいた。するとまだ年の若い美くしい女が一人その手巾をゆかの上から取り上げて、ダヌンチオの前へ持って来た。彼女はそれをダヌンチオに渡すつもりで、これはあなたのでしょうと聞いた。ダヌンチオはありがとうと答えたが、女の美くしい器量に対してちょっと愛嬌あいきょうが必要になったと見えて、「あなたのにして持っていらっしゃい、進上しますから」とあたかも少女の喜びを予想したような事を云った。女は一口の答もせず黙ってその手巾を指先でつまんだまま暖炉ストーヴそばまで行っていきなりそれを火の中へ投げ込んだ。ダヌンチオは別にしてその他の席に居合せたものはことごとく微笑をらした。
 僕はこの話を聞いた時、年の若い茶褐色の髪毛をった以太利生れの美人を思い浮べるよりも、その代りとしてすぐ千代子の眼とまゆを想像した。そうしてそれがもし千代子でなくって妹の百代子であったなら、たとい腹の中はどうあろうとも、その場は礼を云って快よく手巾を貰い受けたに違いあるまいと思った。ただ千代子にはそれができないのである。
 口の悪い松本の叔父はこの姉妹きょうだい渾名あだなをつけて常に大蝦蟆おおがま小蝦蟆ちいがまと呼んでいる。二人の口がくちびるの薄い割に長過ぎるところが銀貨入れの蟇口がまぐちだと云っては常に二人を笑わせたり怒らせたりする。これは性質に関係のない顔形の話であるが、同じ叔父が口癖のようにこの姉妹を評して、小蟇ちいがまはおとなしくって好いが、大蟇おおがまは少し猛烈過ぎると云うのを聞くたびに、僕はあの叔父がどう千代子を観察しているのだろうと考えて、必ず彼の眼識にうたがいさしはさみたくなる。千代子の言語なり挙動なりが時に猛烈に見えるのは、彼女が女らしくない粗野なところを内にかくしているからではなくって、余り女らしい優しい感情に前後を忘れて自分を投げかけるからだと僕は固く信じて疑がわないのである。彼女のっている善悪是非の分別はほとんど学問や経験と独立している。ただ直覚的に相手を目当に燃え出すだけである。それだから相手は時によると稲妻いなずまに打たれたような思いをする。当りの強くはげしく来るのは、彼女の胸から純粋なかたまりが一度に多量に飛んで出るという意味で、とげだの毒だの腐蝕剤ふしょくざいだのを吹きかけたり浴びせかけたりするのとはまるで訳が違う。その証拠にはたといどれほどはげしくおこられても、僕は彼女から清いもので自分のはらわたを洗われたような気持のした場合が今までに何遍もあった。気高けだかいものに出会ったという感じさえまれには起したくらいである。僕は天下の前にただ一人立って、彼女はあらゆる女のうちでもっとも女らしい女だと弁護したいくらいに思っている。



十二

 これほどく思っている千代子をさいとしてどこが不都合なのか。――実は僕も自分で自分の胸にこう聞いた事がある。その時理由わけも何もまだ考えない先に、僕はまず恐ろしくなった。そうして夫婦としての二人を長く眼前に想像するにたえなかった。こんな事を母に云ったら定めし驚ろくだろう、同年輩の友達に話してもあるいは通じないかも知れない。けれどもいて沈黙のなかに記憶をうずめる必要もないから、それを自分だけの感想にとどめないでここに自白するが、一口に云うと、千代子は恐ろしい事を知らない女なのである。そうして僕は恐ろしい事だけ知った男なのである。だからただ釣り合わないばかりでなく、夫婦となればまさに逆にでき上るよりほかに仕方がないのである。
 僕は常に考えている。「純粋な感情ほど美くしいものはない。美くしいものほど強いものはない」と。強いものが恐れないのは当り前である。僕がもし千代子を妻にするとしたら、妻の眼から出る強烈な光にえられないだろう。その光は必ずしもいかりを示すとは限らない。なさけの光でも、愛の光でも、もしくは渇仰かっこうの光でも同じ事である。僕はきっとその光のために射竦いすくめられるにきまっている。それと同程度あるいはより以上の輝くものを、返礼として彼女に与えるには、感情家として僕が余りに貧弱だからである。僕は芳烈な一樽の清酒を貰っても、それを味わい尽くす資格を持たない下戸げことして、今日こんにちまで世間から教育されて来たのである。
 千代子が僕のところへ嫁に来れば必ず残酷な失望を経験しなければならない。彼女は美くしい天賦てんぷの感情を、あるに任せて惜気おしげもなく夫の上にぎ込む代りに、それを受け入れる夫が、彼女から精神上の営養を得て、大いに世の中に活躍するのを唯一の報酬として夫から予期するに違いない。年のいかない、学問の乏しい、見識の狭い点から見ると気の毒と評してしかるべき彼女は、頭と腕を挙げて実世間に打ち込んで、肉眼です事のできる権力か財力をつかまなくっては男子でないと考えている。単純な彼女は、たとい僕のところへ嫁に来ても、やはりそう云う働きぶりを僕から要求し、また要求さえすれば僕にできるものとのみ思いつめている。二人の間に横たわる根本的の不幸はここに存在すると云っても差支さしつかえないのである。僕は今云った通り、さいとしての彼女の美くしい感情を、そう多量に受け入れる事のできない至ってくすぶった性質たちなのだが、よし焼石に水をそそいだ時のように、それをことごとく吸い込んだところで、彼女の望み通りに利用する訳にはとても行かない。もし純粋な彼女の影響が僕のどこかに表われるとすれば、それはいくら説明しても彼女には全く分らないところに、思いも寄らぬ形となって発現するだけである。万一彼女の眼にとまっても、彼女はそれをコスメチックで塗り堅めた僕の頭や羽二重はぶたえ足袋たびで包んだ僕の足よりもありがたがらないだろう。要するに彼女から云えば、美くしいものを僕の上に永久浪費して、しだいしだいに結婚の不幸を嘆くに過ぎないのである。
 僕は自分と千代子を比較するごとに、必ず恐れない女と恐れる男という言葉をくり返したくなる。しまいにはそれが自分の作った言葉でなくって、西洋人の小説にそのまま出ているような気を起す。この間講釈好きの松本の叔父から、詩と哲学の区別を聞かされて以来は、恐れない女と恐れる男というと、たちまち自分に縁の遠い詩と哲学をおもい出す。叔父は素人しろうと学問ながらこんな方面に興味をっているだけに、面白い事をいろいろ話して聞かしたが、僕をつらまえて「御前のような感情家は」とあんに詩人らしく僕を評したのは間違っている。僕に云わせると、恐れないのが詩人の特色で、恐れるのが哲人の運命である。僕の思い切った事のできずにぐずぐずしているのは、何より先に結果を考えて取越苦労とりこしぐろうをするからである。千代子が風のごとく自由に振舞うのは、先の見えないほど強い感情が一度に胸にき出るからである。彼女は僕の知っている人間のうちで、最も恐れない一人いちにんである。だから恐れる僕を軽蔑けいべつするのである。僕はまた感情という自分の重みでけつまずきそうな彼女を、運命のアイロニーを解せざる詩人として深くあわれむのである。いな時によると彼女のために戦慄せんりつするのである。



十三

 須永すながの話の末段は少し敬太郎けいたろうの理解力を苦しめた。事実を云えば彼はまた彼なりに詩人とも哲学者とも云い得る男なのかも知れなかった。しかしそれははたから彼を見た眼の評する言葉で、敬太郎自身はけっしてどっちとも思っていなかった。したがって詩とか哲学とかいう文字も、月の世界でなければ役に立たない夢のようなものとして、ほとんど一顧にあたいしないくらいに見限みかぎっていた。その上彼は理窟りくつ大嫌だいきらいであった。右か左へ自分の身体からだを動かし得ないただの理窟は、いくらうまくできても彼には用のない贋造紙幣がんぞうしへいと同じ物であった。したがって恐れる男とか恐れない女とかいう辻占つじうらに似た文句を、黙って聞いているはずはなかったのだが、しっとりとうるおった身の上話の続きとして、感想がそこへ流れ込んで来たものだから、敬太郎もよく解らないながら素直に耳を傾むけなければすまなかったのである。
 須永もそこに気がついた。
「話が理窟張りくつばってむずかしくなって来たね。あんまり一人で調子に乗って饒舌しゃべっているものだから」
「いや構わん。大変面白い」
洋杖ステッキ効果ききめがありゃしないか」
「どうも不思議にあるようだ。ついでにもう少し先まで話す事にしようじゃないか」
「もう無いよ」
 須永はそう云い切って、静かな水の上に眼を移した。敬太郎もしばらく黙っていた。不思議にも今聞かされた須永の詩だか哲学だか分らないものが、形の判然はっきりしない雲の峰のように、頭の中にそびえて容易に消えそうにしなかった。何事も語らないで彼の前にすわっている須永自身も、平生の紋切形もんきりがたを離れた怪しい一種の人物として彼の眼に映じた。どうしてもまだ話の続きがあるに違ないと思った敬太郎は、今の一番しまいの物語はいつごろの事かと須永に尋ねた。それは自分の三年生ぐらいの時の出来事だと須永は答えた。敬太郎は同じ関係が過去一年余りの間にどういう径路を取ってどう進んで、今はどんな解釈がついているかと聞き返した。須永は苦笑して、まず外へ出てからにしようと云った。二人は勘定かんじょうを済まして外へ出た。須永は先へ立つ敬太郎の得意に振り動かす洋杖の影を見てまた苦笑した。
 柴又しばまた帝釈天たいしゃくてん境内けいだいに来た時、彼らは平凡な堂宇どううを、義理に拝ませられたような顔をしてすぐ門を出た。そうして二人共汽車を利用してすぐ東京へ帰ろうという気を起した。停車場ステーションへ来ると、間怠まだるこい田舎いなか汽車の発車時間にはまだだいぶがあった。二人はすぐそこにある茶店に入って休息した。次の物語はその時敬太郎が前約をたてに須永から聞かして貰ったものである。――
 僕が大学の三年から四年に移る夏休みの出来事であった。うちの二階にこもってこの暑中をどう暮らしたらかろうと思案していると、母が下からあがって来て、ひまになったら鎌倉へちょっと行って来たらどうだと云った。鎌倉にはその一週間ほど前から田口のものが避暑に行っていた。元来叔父は余り海辺うみべを好まない性質たちなので、一家いっけのものは毎年軽井沢の別荘へ行くのを例にしていたのだが、その年は是非海水浴がしたいと云う娘達の希望をれて、材木座にある、ある人の邸宅やしきを借り入れたのである。移る前に千代子が暇乞いとまごいかたがた報知しらせに来て、まだ行っては見ないけれども、山陰の涼しいがけの上に、二段か三段に建てた割合手広な住居すまいだそうだから是非遊びに来いと母に勧めていたのを、僕はそばで聞いていた。それで僕は母にあなたこそ行って遊んで来たら気保養きぼようになってよかろうと忠告した。母はふところから千代子の手紙を出して見せた。それには千代子と百代子の連名で、母と僕にいっしょに来るようにと、彼らの女親の命令を伝えるごとく書いてあった。母が行くとすれば年寄一人を汽車に乗せるのは心配だから、是非共僕がついて行かなければならなかった。変窟へんくつな僕からいうと、そう混雑ごたごたした所へ二人で押しかけるのは、世話にならないにしても気の毒でいやだった。けれども母は行きたいような顔をした。そうしてそれが僕のために行きたいような顔に見えるので僕はますます厭になった。が、とどのつまりとうとう行く事にした。こう云っても人には通じないかも知れないが、僕は意地の強い男で、また意地の弱い男なのである。



十四

 母は内気な性分なので平生へいぜいから余り旅行を好まなかった。昔風に重きをおかなければ承知しない厳格な父の生きている頃は外へもそうたびたびは出られない様子であった。現に僕は父と母が娯楽の目的をもっていっしょに家を留守にした例を覚えていない。父が死んで自由がくようになってからも、そう勝手な時に好きな所へ行く機会は不幸にして僕の母には与えられなかった。一人で遠くへ行ったり、長くうちけたりする便宜べんぎたない彼女は、母子おやこ二人の家庭にこうして幾年を老いたのである。
 鎌倉へ行こうと思い立った日、僕は彼女のために一個のかばんたずさえて直行ちょっこうの汽車に乗った。母は車の動き出す時、隣に腰をかけた僕に、汽車も久しぶりだねと笑いながら云った。そう云われた僕にも実は余り頻繁ひんぱんな経験ではなかった。新らしい気分に誘われた二人の会話は平生ふだんよりは生々いきいきしていた。何を話したか自分にもいっこう覚えのない事を、聞いたり聞かれたりして断続に任せているうちに車は目的地に着いた。あらかじめ通知をしてないので停車場ステーションには誰もむかえに来ていなかったが、車を雇うときなにがしさんの別荘と注意したら、車夫はすぐ心得て引き出した。僕はしばらく見ないうちに、急に新らしい家の多くなった砂道を通りながら、松の間から遠くに見える畠中はたなかの黄色い花を美くしくながめた。それはちょっと見るとまるで菜種の花と同じおもむきそなえた目新らしいものであった。僕は車の上で、このちらちらする色は何だろうと考え抜いた揚句あげく、突然唐茄子とうなすだと気がついたのでひとりおかしがった。
 車が別荘の門に着いた時、戸障子としょうじを取りはずした座敷の中に動く人の影が往来からよく見えた。僕はそのうちに白い浴衣ゆかたを着た男のいるのを見て、多分叔父が昨日きのうあたり東京から来て泊ってるのだろうと思った。ところが奥にいるものがことごとく僕らを迎えるために玄関へ出て来たのに、その男だけは少しも顔を見せなかった。もちろん叔父ならそのくらいの事はあるべきはずだと思って、座敷へ通って見ると、そこにも彼の姿は見えなかった。僕はきょろきょろしているうちに、叔母と母が汽車の中はさぞ暑かったろうとか、見晴しの好い所が手にって結構だとか、年寄の女だけに口数くちかずの多い挨拶あいさつのやりとりを始めた。千代子と百代子は母のために浴衣を勧めたり、脱ぎ捨てた着物を晒干さぼしてくれたりした。僕は下女に風呂場へ案内して貰って、水で顔と頭を洗った。海岸からはだいぶ道程みちのりのある山手だけれども水は存外悪かった。手拭てぬぐいしぼって金盥かなだらいの底を見ていると、たちまち砂のようなおりおどんだ。
「これを御使いなさい」という千代子の声が突然うしろでした。振り返ると、乾いた白いタオルが肩の所に出ていた。僕はタオルを受取って立ち上った。千代子はまたそばにある鏡台の抽出ひきだしからくしを出してくれた。僕が鏡の前にすわって髪を解かしている間、彼女は風呂場の入口の柱に身体からだを持たして、僕のれた頭を眺めていたが、僕が何も云わないので、向うから「悪い水でしょう」と聞いた。僕は鏡の中を見たなり、どうしてこんな色が着いているのだろうと云った。水の問答が済んだとき、僕は櫛を鏡台の上に置いて、タオルを肩にかけたまま立ち上った。千代子は僕より先に柱を離れて座敷の方へ行こうとした。僕はやぶから棒にうしろから彼女の名を呼んで、叔父はどこにいるかと尋ねた。彼女は立ち止まって振り返った。
「御父さんは四五日前ちょっといらしったけど、一昨日おとといまた用が出来たって東京へ御帰りになったぎりよ」
「ここにゃいないのかい」
「ええ。なぜ。ことによると今日の夕方吾一ごいちさんを連れて、またいらっしゃるかも知れないけども」
 千代子は明日あしたもし天気が好ければみんなと魚をりに行くはずになっているのだから、田口が都合して今日の夕方までに来てくれなければ困るのだと話した。そうして僕にも是非いっしょに行けと勧めた。僕は魚の事よりも先刻さっき見た浴衣ゆかたがけの男の居所が知りたかった。



十五

「先刻誰だか男の人が一人座敷にいたじゃないか」
「あれ高木さんよ。ほら秋子さんの兄さんよ。知ってるでしょう」
 僕は知っているともいないとも答えなかった。しかし腹の中では、この高木と呼ばれる人の何者かをすぐ了解した。百代子の学校朋輩ほうばいに高木秋子という女のある事は前から承知していた。その人の顔も、百代子といっしょにった写真で知っていた。手蹟しゅせき絵端書えはがきで見た。一人の兄が亜米利加アメリカへ行っているのだとか、今帰って来たばかりだとかいう話もその頃耳にした。困らない家庭なのだろうから、その人が鎌倉へ遊びに来ているぐらいは怪しむに足らなかった。よしここに別荘を持っていたところで不思議はなかった。が、僕はその高木という男の住んでいる家を千代子から聞きたくなった。
「ついこの下よ」と彼女は云ったぎりであった。
「別荘かい」と僕は重ねて聞いた。
「ええ」
 二人はそれ以外を語らずに座敷へ帰った。座敷では母と叔母がまだ海の色がどうだとか、大仏がどっちの見当にあたるとかいうさほどでもない事を、問題らしく聞いたり教えたりしていた。百代子は千代子に彼らの父がその日の夕方までに来ると云って、わざわざ知らせて来た事を告げた。二人は明日あす魚をりに行く時の楽みを、今の当りにえがき出して、すでに手の内に握った人のごとく語り合った。
「高木さんもいらっしゃるんでしょう」
いっさんもいらっしゃい」
 僕は行かないと答えた。その理由として、少しうちに用があって、今夜東京へ帰えらなければならないからという説明を加えた。しかし腹の中ではただでさえこう混雑ごたごたしているところへ、もし田口が吾一でも連れて来たら、それこそ自分の寝る場所さえ無くなるだろうと心配したのである。その上僕は姉妹きょうだいの知っている高木という男に会うのがいやだった。彼は先刻さっきまで二人と僕の評判をしていたが、僕の来たのを見て、遠慮して裏から帰ったのだと百代子から聞いた時、僕はまず窮屈な思いをのがれて好かったと喜こんだ。僕はそれほど知らない人をこわがる性分なのである。
 僕の帰ると云うのを聞いた二人は、驚ろいたような顔をしてとめにかかった。ことに千代子は躍起やっきになった。彼女は僕をつらまえて変人だと云った。母を一人残してすぐ帰る法はないと云った。帰ると云っても帰さないと云った。彼女は自分の妹や弟に対してよりも、僕に対してははるかに自由な言葉を使い得る特権をっていた。僕は平生から彼女が僕に対して振舞うごとく大胆に率直に(ある時は善意ではあるが)威圧的に、他人に向って振舞う事ができたなら、僕のような他に欠点の多いものでも、さぞ愉快に世の中を渡って行かれるだろうと想像して、大いにこの小さな暴君タイラントうらやましがっていた。
「えらい権幕けんまくだね」
「あなたは親不孝よ」
「じゃ叔母さんに聞いて来るから、もし叔母さんが泊って行く方がいいって、おっしゃったら、泊っていらっしゃい。ね」
 百代子は仲裁を試みるような口調でこう云いながら、すぐ年寄の話している座敷の方へ立って行った。僕の母の意向は無論聞くまでもなかった。したがって百代子の年寄二人からもたらした返事もここに述べるのは蛇足だそくに過ぎない。要するに僕は千代子の捕虜になったのである。
 僕はやがてちょっと町へ出て来るという口実いいまえもとに、午後の暑い日を洋傘こうもりさえぎりながら別荘の附近を順序なく徘徊はいかいした。久しく見ない土地の昔をしのぶためと云えば云えない事もないが、僕にそんなびた心持をうれしがる風流があったにしたところで、今はそれにふける落ちつきも余裕よゆうも与えられなかった。僕はただうろうろとそこらの標札を読んで歩いた。そうして比較的立派な平屋建ひらやだての門の柱に、高木の二字を認めた時、これだろうと思って、しばらく門前にたたずんだ。それからあとは全く何の目的もなしになお緩漫かんまんな歩行を約十五分ばかり続けた。しかしこれは僕が自分の心に、高木の家を見るためにわざわざ表へ出たのではないと申し渡したと同じようなものであった。僕はさっさと引き返した。



十六

 実を云うと、僕はこの高木という男について、ほとんど何も知らなかった。ただ一遍百代子から彼が適当な配偶を求めつつある由を聞いただけである。その時百代子が、御姉さんにはどうかしらと、ちょうど相談でもするように僕の顔色を見たのを覚えている。僕はいつもの通り冷淡な調子で、好いかも知れない、御父さんか御母さんに話して御覧と云ったと記憶する。それから以後僕の田口のうちに足を入れた度数は何遍あるか分らないが、高木の名前は少くとも僕のいる席ではついぞ誰の口にものぼらなかったのである。それほど親しみの薄い、顔さえ見た事のない男の住居すまいに何の興味があって、僕はわざわざ砂の焼ける暑さをおかして外出したのだろう。僕は今日こんにちまでその理由を誰にも話さずにいた。自分自身にもその時にはよく説明ができなかった。ただ遠くの方にある一種の不安が、僕の身体からだを動かしに来たというばくたる感じが胸にしたばかりであった。それが鎌倉で暮らした二日の間に、まぎれもないある形を取って発展した結果を見て、僕を散歩に誘い出したのもやはり同じ力に違いないと今から思うのである。
 僕が別荘へ帰って一時間つか経たないうちに、僕の注意した門札と同じ名前の男がたちまち僕の前に現われた。田口の叔母は、高木さんですと云って叮嚀ていねいにその男を僕に紹介した。彼は見るからに肉のしまった血色の好い青年であった。年から云うと、あるいは僕より上かも知れないと思ったが、そのきびきびした顔つきを形容するには、是非共青年という文字が必要になったくらい彼は生気にちていた。僕はこの男を始めて見た時、これは自然が反対を比較するために、わざと二人を同じ座敷に並べて見せるのではなかろうかと疑ぐった。無論その不利益な方面を代表するのが僕なのだから、こう改たまって引き合わされるのが、僕にはただ悪い洒落しゃれとしか受取られなかった。
 二人の容貌ようぼうがすでに意地の好くない対照を与えた。しかし様子とか応対おうたいぶりとかになると僕はさらにはなはだしい相違を自覚しない訳に行かなかった。僕の前にいるものは、母とか叔母とか従妹いとことか、皆親しみの深い血属ばかりであるのに、それらに取りかれている僕が、この高木に比べると、かえってどこからか客にでも来たように見えたくらい、彼は自由に遠慮なく、しかもある程度の品格を落す危険なしにおのれを取扱かうすべを心得ていたのである。知らない人をおそれる僕に云わせると、この男は生れるや否や交際場裏にてられて、そのまま今日まで同じ所で人と成ったのだと評したかった。彼は十分と経たないうちに、すべての会話を僕の手から奪った。そうしてそれをことごとく一身に集めてしまった。その代り僕をものにしないための注意を払って、時々僕に一句か二句の言葉を与えた。それがまた生憎あいにく僕には興味の乗らない話題ばかりなので、僕はみんなを相手にする事もできず、高木一人を相手にする訳にも行かなかった。彼は田口の叔母を親しげに御母さん御母さんと呼んだ。千代子に対しては、僕と同じように、千代ちゃんという幼馴染おさななじみに用いる名を、自然に命ぜられたかのごとく使った。そうして僕に、先ほど御着になった時は、ちょうど千代ちゃんとあなたの御噂おうわさをしていたところでしたと云った。
 僕は初めて彼の容貌を見た時からすでにうらやましかった。話をするところを聞いて、すぐ及ばないと思った。それだけでもこの場合に僕を不愉快にするには充分だったかも知れない。けれどもだんだん彼を観察しているうちに、彼は自分の得意な点を、劣者の僕に見せつけるような態度で、誇り顔に発揮するのではなかろうかという疑が起った。その時僕は急に彼をにくみ出した。そうして僕の口をくべき機会が廻って来てもわざと沈黙を守った。
 落ちついた今の気分でその時の事を回顧して見ると、こう解釈したのはあるいは僕のひがみだったかも分らない。僕はよく人を疑ぐる代りに、疑ぐる自分も同時に疑がわずにはいられない性質たちだから、結局ひとに話をする時にもどっちと判然はっきりしたところが云いにくくなるが、もしそれが本当に僕のひが根性こんじょうだとすれば、その裏面にはまだ凝結した形にならない嫉※(「女+戸の旧字」、第3水準1-15-76)しっとひそんでいたのである。



十七

 僕は男として嫉※(「女+戸の旧字」、第3水準1-15-76)の強い方か弱い方か自分にもよく解らない。競争者のない一人息子としてむしろ大事に育てられた僕は、少なくとも家庭のうちで嫉※(「女+戸の旧字」、第3水準1-15-76)を起す機会をたなかった。小学や中学は自分より成績の好い生徒が幸いにしてそう無かったためか、至極しごく太平に通り抜けたように思う。高等学校から大学へかけては、席次にさほど重きをおかないのが、一般の習慣であった上、年ごとに自分を高く見積る見識というものが加わって来るので、点数の多少は大した苦にならなかった。これらをほかにして、僕はまだ痛切な恋に落ちた経験がない。一人の女を二人で争ったおぼえはなおさらない。自白すると僕は若い女ことに美くしい若い女に対しては、普通以上に精密な注意を払い得る男なのである。往来を歩いて綺麗きれいな顔と綺麗な着物を見ると、雲間から明らかな日が射した時のように晴やかな心持になる。たまにはその所有者になって見たいと云うかんがえも起る。しかしその顔とその着物がどうはかなく変化し得るかをすぐ予想して、よいが去って急にぞっとする人のあさましさを覚える。僕をして執念しゅうねく美くしい人に附纏つけまつわらせないものは、まさにこの酒にてられた淋しみの障害に過ぎない。僕はこの気分に乗り移られるたびに、若い時分が突然老人としよりか坊主に変ったのではあるまいかと思って、非常な不愉快におちいる。が、あるいはそれがために恋の嫉※(「女+戸の旧字」、第3水準1-15-76)というものを知らずにすます事が出来たかも知れない。
 僕は普通の人間でありたいという希望をっているから、嫉※(「女+戸の旧字」、第3水準1-15-76)心のないのを自慢にしたくも何ともないけれども、今話したような訳で、の当りにこの高木という男を見るまでは、そういう名のつく感情に強く心を奪われたためしがなかったのである。僕はその時高木から受けた名状しがたい不快を明らかに覚えている。そうして自分の所有でもない、また所有する気もない千代子が源因で、この嫉※(「女+戸の旧字」、第3水準1-15-76)心が燃え出したのだと思った時、僕はどうしても僕の嫉※(「女+戸の旧字」、第3水準1-15-76)心をおさえつけなければ自分の人格に対して申し訳がないような気がした。僕は存在の権利を失った嫉※(「女+戸の旧字」、第3水準1-15-76)心をいだいて、誰にも見えない腹の中で苦悶くもんし始めた。幸い千代子と百代子が日が薄くなったから海へ行くと云い出したので、高木が必ず彼らにいて行くに違ないと思った僕は、早く跡に一人残りたいと願った。彼らははたして高木を誘った。ところが意外にも彼は何とか言訳をこしらえて容易に立とうとしなかった。僕はそれを僕に対する遠慮だろうと推察して、ますますまゆを暗くした。彼らは次に僕を誘った。僕はもとより応じなかった。高木の面前から一刻も早くのがれる機会は、与えられないでも手を出して奪いたいくらいに思っていたのだが、今の気分では二人と浜辺まで行く努力がすでにいやであった。母は失望したような顔をして、いっしょに行っておいでなと云った。僕は黙って遠くの海の上をながめていた。姉妹きょうだいは笑いながら立ち上った。
「相変らず偏窟へんくつねあなたは。まるで腕白小僧見たいだわ」
 千代子にこうののしられた僕は、実際誰の目にも立派な腕白小僧として見えたろう。僕自身も腕白小僧らしい思いをした。調子の好い高木は縁側えんがわへ出て、二人のために菅笠すげがさのように大きな麦藁帽むぎわらぼうを取ってやって、行っていらっしゃいと挨拶あいさつをした。
 二人の後姿が別荘の門を出た後で、高木はなおしばらく年寄を相手に話していた。こうやって避暑に来ていると気楽で好いが、どうして日を送るかが大問題になってかえって苦痛になるなどと、実際活気にちた身体からだを暑さと退屈さに持ち扱かっている風に見えた。やがて、これから晩まで何をして暮らそうかしらと独言ひとりごとのように云って、不意に思い出したごとく、たまはどうですと僕に聞いた。幸いにして僕は生れてからまだ玉突という遊戯を試みた事がなかったのですぐ断った。高木はちょうど好い相手ができたと思ったのに残念だと云いながら帰って行った。僕は活溌かっぱつに動く彼の後影を見送って、彼はこれから姉妹きょうだいのいる浜辺の方へ行くに違いないという気がした。けれども僕はすわっている席を動かなかった。



十八

 高木の去ったあと、母と叔母はしばらく彼のうわさをした。初対面の人だけに母の印象はことに深かったように見えた。気のおけない、至って行き届いた人らしいと云ってめていた。叔母はまた母の批評を一々実例に照らして確かめる風に見えた。この時僕は高木について知り得たきわめて乏しい知識のほとんど全部を訂正しなければならない事を発見した。僕が百代子から聞いたのでは、亜米利加アメリカ帰りという話であった彼は、叔母の語るところによると、そうではなくって全く英吉利イギリスで教育された男であった。叔母は英国流の紳士という言葉を誰かから聞いたと見えて、二三度それを使って、何の心得もない母を驚ろかしたのみか、だからどことなくひんの善いところがあるんですよと母に説明して聞かせたりした。母はただへえと感心するのみであった。
 二人がこんな話をしている内、僕はほとんど一口も口をかなかった。ただ上部うわべから見て平生の調子と何の変るところもない母が、この際高木と僕を比較して、腹の中でどう思っているだろうと考えると、僕は母に対して気の毒でもありまたうらめしくもあった。同じ母が、千代子対僕と云う古い関係を一方に置いて、さらに千代子対高木という新らしい関係を一方に想像するなら、はたしてどんな心持になるだろうと思うと、たとい少しの不安でも、避け得られるところをわざと与えるために彼女を連れ出したも同じ事になるので、僕はただでさえ不愉快な上に、年寄にすまないという苦痛をもう一つ重ねた。
 前後の模様からすだけで、実際には事実となって現われて来なかったから何とも云い兼ねるが、叔母はこの場合を利用して、もし縁があったら千代子を高木にやるつもりでいるぐらいの打明話うちあけばなしを、僕ら母子おやこに向って、相談とも宣告とも片づかない形式のもとに、する気だったかも知れない。すべてに気がつく癖に、こうなるとかえって僕よりも迂遠うとい母はどうだか、僕はその場で叔母の口から、僕と千代子と永久に手を別つべき談判の第一節を予期していたのである。幸か不幸か、叔母がまだ何も云い出さないうちに、姉妹きょうだいは浜から広い麦藁帽むぎわらぼうふちをひらひらさして帰って来た。僕が僕の占いの的中しなかったのを、母のために喜こんだのは事実である。同時に同じ出来事が僕を焦躁もどかしがらせたのもうそではない。
 夕方になって、僕は姉妹と共に東京から来るはずの叔父を停車場ステーションに迎えるべく母に命ぜられていえを出た。彼らはそろい浴衣ゆかたを着て白い足袋たび穿いていた。それをうしろから見送った彼らの母の眼に彼らがいかなる誇として映じたろう。千代子と並んで歩く僕の姿がまた僕の母にはとして普通以上にどんなにあたいが高かったろう。僕は母をあざむく材料に自然から使われる自分を心苦しく思って、門を出る時振り返って見たら、母も叔母もまだこっちを見ていた。
 途中まで来た頃、千代子は思い出したように突然とまって、「あっ高木さんを誘うのを忘れた」と云った。百代子はすぐ僕の顔を見た。僕は足の運びをめたが、口は開かなかった。「もう好いじゃないの、ここまで来たんだから」と百代子が云った。「だってあたし先刻さっき誘ってくれって頼まれたのよ」と千代子が云った。百代子はまた僕の顔を見て逡巡ためらった。
いっさんあなた時計持っていらしって。今何時」
 僕は時計を出して百代子に見せた。
「まだ間に合わない事はない。誘って来るなら来ると好い。僕は先へ行って待っているから」
「もう遅いわよあなた。高木さん、もしいらっしゃるつもりならきっと一人でもいらしってよ。後から忘れましたってあやまったらそれでかないの」
 姉妹は二三度押問答の末ついに後戻りをしない事にした。高木は百代子の予言通りまだ汽車の着かないうちに急ぎ足で構内へ這入はいって来て、姉妹に、どうも非道ひどい、あれほど頼んでおくのにと云った。それから御母さんはと聞いた。最後に僕の方を向いて、先ほどはと愛想あいその好い挨拶あいさつをした。



十九

 その晩は叔父と従弟いとこを待ち合わした上に、僕ら母子おやこが新たに食卓に加わったので、食事の時間がいつもより、だいぶおくれたばかりでなく、ひそかに恐れた通りはなはだしい混雑のうちはしと茶椀の動く光景を見せられた。叔父は笑いながら、いっさんまるで火事場のようだろう、しかしたまにはこんな騒ぎをして飯を食うのも面白いものだよと云って、間接の言訳をした。閑静なぜんに慣れた母は、このにぎやかさの中に実際叔父の言葉通り愉快らしい顔をしていた。母は内気な癖にこういう陽気な席が好きなのである。彼女はその時偶然口にのぼった一塩ひとしおにした小鰺こあじの焼いたのを美味うまいと云ってしきりにめた。
漁師りょうしに頼んどくといくらでもこしらえて来てくれますよ。何なら、帰りに持っていらっしゃいな。姉さんが好きだから上げたいと思ってたんですが、ついついでが無かったもんだから、それにすぐわるくなるんでね」
「わたしもいつか大磯おおいそあつらえてわざわざ東京まで持って帰った事があるが、よっぽど気をつけないと途中でね」
「腐るの」千代子が聞いた。
「叔母さん興津鯛おきつだい御嫌おきらい。あたしこれよか興津鯛の方が美味おいしいわ」と百代子が云った。
「興津鯛はまた興津鯛で結構ですよ」と母はおとなしい答をした。
 こんなくだくだしい会話を、僕がなぜ覚えているかと云うと、僕はその時母の顔に表われた、さも満足らしい気持をよく注意して見ていたからであるが、もう一つは僕が母と同じように一塩ひとしお小鰺こあじを好いていたからでもある。
 ついでだからここで云う。僕は自分の嗜好しこうや性質の上において、母に大変よく似たところと、全く違ったところと両方っている。これはまだ誰にも話さない秘密だが、実は単に自分の心得として、過去幾年かの間、僕は母と自分とどこがどう違って、どこがどう似ているかの詳しい研究を人知れず重ねたのである。なぜそんな真似まねをしたかと母に聞かれては云い兼ねる。たとい僕が自分に聞きただして見ても判切はっきり云えなかったのだから、理由わけは話せない。しかし結果からいうとこうである。――欠点でも母と共にそなえているなら僕は大変うれしかった。長所でも母になくって僕だけっているとはなはだ不愉快になった。そのうちで僕の最も気になるのは、僕の顔が父にだけ似て、母とはまるで縁のない眼鼻立にでき上っている事であった。僕は今でも鏡を見るたびに、器量が落ちても構わないから、もっと母の人相を多量に受けいでおいたら、母の子らしくってさぞ心持が好いだろうと思う。
 食事のおくれたごとく、寝る時間も順繰じゅんぐりに延びてだいぶ遅くなった。その上急に人数にんずが増えたので、床の位置やら部屋割をきめるだけが叔母に取っての一骨折ひとほねおりであった。男三人はいっしょに固められて、同じ蚊帳かやに寝た。叔父はふとった身体からだを持ち扱かって、団扇うちわをしきりにばたばた云わした。
いっさんどうだい、暑いじゃないか。これじゃ東京の方がよっぽど楽だね」
 僕も僕の隣にいる吾一も東京の方が楽だと云った。それでは何を苦しんでわざわざ鎌倉くだりまで出かけて来て、狭い蚊帳へ押し合うように寝るんだか、叔父にも吾一にも僕にも説明のしようがなかった。
「これも一興いっきょうだ」
 疑問は叔父の一句でたちまちおさまりがついたが、暑さの方はなかなか去らないので誰もすぐは寝つかれなかった。吾一は若いだけに、明日あした魚捕さかなとりの事を叔父に向ってしきりに質問した。叔父はまた真面目まじめだか冗談じょうだんだか、船に乗りさえすれば、魚の方でふうのぞんでくだるようなうまい話をして聞かせた。それがただ自分のせがれを相手にするばかりでなく、時々はねえ市さんと、そんな事にまるで冷淡の僕まで聴手ききてにするのだから少し変であった。しかし僕の方はそれに対して相当な挨拶あいさつをする必要があるので、話の済む前には、僕は当然同行者の一人いちにんとして受答うけこたえをするようになっていた。僕はもとより行くつもりでも何でもなかったのだから、この変化は僕に取って少し意外の感があった。気楽そうに見える叔父はそのうち大きな鼾声いびきをかき始めた。吾一もすやすや寝入ねいった。ただ僕だけはいている眼をわざと閉じて、けるまでいろいろな事を考えた。



二十

 翌日あくるひ眼がめると、隣に寝ていた吾一の姿がいつの間にかもう見えなくなっていた。僕は寝足らない頭を枕の上に着けて、夢とも思索とも名のつかないみち辿たどりながら、時々別種の人間をぬすみ見るような好奇心をもって、叔父の寝顔をながめた。そうして僕も寝ている時は、はたから見ると、やはりこうがない顔をしているのだろうかと考えなどした。そこへ吾一が這入はいって来て、いっさんどうだろう天気はと相談した。ちょっと起きて見ろとうながすので、起き上って縁側えんがわへ出ると、海の方には一面に柔かいもやの幕がかかって、近いみさきの木立さえ常の色には見えなかった。降ってるのかねと僕は聞いた。吾一はすぐ庭先へ飛び下りて、空をながめ出したが、少し降ってると答えた。
 彼は今日の船遊びの中止を深く気遣きづかうもののごとく、二人の姉まで縁側へ引張出して、しきりにどうだろうどうだろうをくり返した。しまいに最後の審判者たる彼の父の意見を必要と認めたものか、まだ寝ている叔父をとうとう呼び起した。叔父は天気などはどうでも好いと云ったような眠たい眼をして、空と海を一応見渡した上、なにこの模様なら今にきっと晴れるよと云った。吾一はそれで安心したらしかったが、千代子はあてにならない無責任な天気予報だから心配だと云って僕の顔を見た。僕は何とも云えなかった。叔父は、なに大丈夫大丈夫と受合って風呂場ふろばの方へ行った。
 食事を済ます頃から霧のような雨が降り出した。それでも風がないので、海の上は平生よりもかえっておだやかに見えた。あいにくな天気なので人の好い母はみんなに気の毒がった。叔母は今にきっと本降になるから今日は止したが好かろうと注意した。けれども若いものはことごとく行く方を主張した。叔父はじゃ御婆おばあさんだけ残して、若いものがそろって出かける事にしようと云った。すると叔母が、では御爺おじいさんはどっちになさるのとわざと叔父に聞いて、みんなを笑わした。
「今日はこれでも若いものの部だよ」
 叔父はこの言葉を証拠立しょうこだてるためだか何だか、さっそく立って浴衣ゆかたの尻を端折はしょって下へ降りた。姉弟きょうだい三人もそのままの姿で縁から降りた。
「御前達も尻をまくるが好い」
いやな事」
 僕は山賊のような毛脛けずね露出むきだしにした叔父と、静御前しずかごぜんかさに似た恰好かっこう麦藁帽むぎわらぼうかぶった女二人と、黒い兵児帯へこおびをこま結びにした弟を、縁の上から見下して、全く都離れのした不思議な団体のごとくながめた。
いっさんがまた何か悪口を云おうと思って見ている」と百代子が薄笑いをしながら僕の顔を見た。
「早く降りていらっしゃい」と千代子が叱るように云った。
「市さんに悪い下駄げたを貸して上げるが好い」と叔父が注意した。
 僕は一も二もなく降りたが、約束のある高木が来ないので、それがまた一つの問題になった。おおかたこの天気だから見合わしているのだろうと云うのが、みんなの意見なので、僕らがそろそろ歩いて行く間に、吾一が馳足かけあしむかえに行って連れて来る事にした。
 叔父は例の調子でしきりに僕に話しかけた。僕も相手になって歩調を合せた。そのうちに、男の足だものだから、いつの間にか姉妹きょうだいを乗り越した。僕は一度振り返って見たが、二人はおくれた事にいっこう頓着とんじゃくしない様子で、ごうも追いつこうとする努力を示さなかった。僕にはそれがわざとあとから来る高木を待ち合せるためのようにしか取れなかった。それは誘った人に対する礼儀として、彼らの取るべき当然の所作しょさだったのだろう。しかしその時の僕にはそう思えなかった。そう思う余地があっても、そうは感ぜられなかった。早く来いという合図をしようという考で振り向いた僕は、合図をめてまた叔父と歩き出した。そうしてそのまま小坪こつぼ這入はいる入口のみさきの所まで来た。そこは海へ出張でばった山のすそを、人の通れるだけの狭いはばけずって、ぐるりと向う側へ廻り込まれるようにした坂道であった。叔父は一番高い坂の角まで来てとまった。



二十一

 彼は突然彼の体格に相応した大きな声を出して姉妹を呼んだ。自白するが、僕はそれまでに何度もうしろを振り返って見ようとしたのである。けれども気がとがめると云うのか、自尊心が許さないと云うのか、振り向こうとするごとに、首がいのししのように堅くなって後へ回らなかったのである。
 見ると二人の姿はまだ一町ほど下にあった。そうしてそのすぐ後に高木と吾一が続いていた。叔父が遠慮のない大きな声を出して、おおいと呼んだ時、姉妹は同時に僕らを見上げたが、千代子はすぐ後にいる高木の方を向いた。すると高木はかぶっていた麦藁帽むぎわらぼうを右の手に取って、僕らを目当にしきりに振って見せた。けれども四人のうちで声を出して叔父に応じたのはただ吾一だけであった。彼はまた学校で号令の稽古けいこでもしたものと見えて、海とがけに反響するような答と共に両手を一度に頭の上に差し上げた。
 叔父と僕は崖の鼻に立って彼らの近寄るのを待った。彼らは叔父に呼ばれたのちも呼ばれない前と同じ遅い歩調で、何か話しながらあがって来た。僕にはそれが尋常でなくって、大いにふざけているように見えた。高木は茶色のだぶだぶした外套がいとうのようなものを着て時々隠袋ポッケットへ手を入れた。この暑いのにまさか外套は着られまいと思って、最初は不思議にながめていたが、だんだん近くなるに従がって、それが薄い雨除レインコートである事に気がついた。その時叔父が突然、いっさんヨットに乗ってそこいらを遊んで歩くのも面白いだろうねと云ったので、僕は急に気がついたように高木から眼を転じてあしの下を見た。するといそに近い所に、真白に塗った空船からぶねが一そう、静かな波の上に浮いていた。糠雨ぬかあめとまでも[#「糠雨とまでも」は底本では「糖雨とまでも」]行かない細かいものがなお降りやまないので、海は一面にぼかされて、平生いつもなら手に取るように見える向う側の絶壁の樹も岩も、ほとんど一色ひといろながめられた。そのうち四人よつたりはようやく僕らのそばまで来た。
「どうも御待たせ申しまして、実はひげっていたものだから、途中でやめる訳にも行かず……」と高木は叔父の顔を見るや否や云訳いいわけをした。
「えらい物を着込んで暑かありませんか」と叔父が聞いた。
「暑くったって脱ぐ訳に行かないのよ。上はハイカラでも下は蛮殻ばんからなんだから」と千代子が笑った。高木は雨外套レインコートの下に、じか半袖はんそでの薄い襯衣シャツを着て、変な半洋袴はんズボンから余ったすねを丸出しにして、黒足袋くろたび俎下駄まないたげたを引っかけていた。彼はこの通りと雨外套の下を僕らに示した上、日本へ帰ると服装が自由で貴女レデーの前でも気兼きがねがなくって好いと云っていた。
 一同がぞろぞろそろって道幅の六尺ばかりな汚苦むさくるしい漁村に這入はいると、一種不快なにおいがみんなの鼻をった。高木は隠袋ポッケットから白い手巾ハンケチを出して短かい髭の上をおおった。叔父は突然そこに立って僕らを見ていた子供に、西の者で南の方から養子に来たもののうちはどこだと奇体な質問を掛けた。子供は知らないと云った。僕は千代子に何でそんな妙な聞き方をするのかと尋ねた。昨夕ゆうべ聞き合せに人をやったうちの主人が云うには、名前は忘れたからこれこれの男と云って探して歩けば分ると教えたからだと千代子が話して聞かした時、僕はこの呑気のんきな教え方と、同じく呑気な聞き方を、いかにも余裕なくこせついている自分と比べて見て、妙にうらやましく思った。
「それで分るんでしょうか」と高木が不思議な顔をした。
「分ったらよっぽど奇体だわね」と千代子が笑った。
「何大丈夫分るよ」と叔父が受合った。
 吾一は面白半分人の顔さえ見れば、西のもので南の方から養子に来たものの宅はどこだと聞いては、そのたびにみんなを笑わした。一番しまいに、編笠あみがさかぶって白い手甲てっこう脚袢きゃはんを着けた月琴弾げっきんひきの若い女の休んでいる汚ない茶店の婆さんに同じといをかけたら、婆さんは案外にもすぐそこだと容易たやすく教えてくれたので、みんながまた手をって笑った。それは往来から山手の方へ三級ばかりに仕切られた石段を登り切った小高い所にある小さい藁葺わらぶきの家であった。



二十二

 この細い石段を思い思いの服装なりをした六人が前後してぞろぞろ登る姿は、はたで見ていたら定めし変なものだったろうと思う。その上六人のうちで、これから何をするか明瞭はっきりした考をっていたものは誰もないのだからはなはだ気楽である。肝心かんじんの叔父さえただ船に乗る事を知っているだけで、後は網だか釣だか、またどこまでいで出るのかいっこう弁別わきまえないらしかった。百代子のあとから足の力でらされて凹みの多くなった石段を踏んで行く僕はこんな無意味な行動に、おのれをゆだねて悔いないところを、避暑のおもむきとでも云うのかと思いつつのぼった。同時にこの無意味な行動のうちに、意味ある劇の大切な一幕が、ある男とある女の間にあんに演ぜられつつあるのでは無かろうかと疑ぐった。そうしてその一幕の中で、自分のつとめなければならない役割がもしあるとすれば、おだやかな顔をした運命に、軽く翻弄ほんろうされる役割よりほかにあるまいと考えた。最後に何事も打算しないでただ無雑作むぞうさにやってける叔父が、人に気のつかないうちに、この幕を完成するとしたら、彼こそ比類のない巧妙な手際てぎわった作者と云わなければなるまいという気を起した。僕の頭にこういう影が射した時、すぐあとからいてあがって来る高木が、これじゃ暑くってたまらない、御免蒙ごめんこうむって雨防衣レインコートを脱ごうと云い出した。
 家は下から見たよりもなお小さくて汚なかった。戸口に杓子しゃくしが一つ打ちつけてあって、それに百日風邪ひゃくにちかぜ吉野平吉一家一同と書いてあるので、主人の名がようやく分った。それを見つけ出して、みんなに聞こえるように読んだのは、目敬めざとい吾一の手柄であった。中をのぞくと天井も壁もことごとく黒く光っていた。人間としては婆さんが一人いたぎりである。その婆さんが、今日は天気がよくないので、おおかたおいでじゃあるまいと云って早く海へ出ましたから、今浜へ下りて呼んできましょうと断わりを述べた。舟へ乗って出たのかねと叔父が聞くと、婆さんは多分あの船だろうと答えて、手で海の上をした。もやはまだ晴れなかったけれども、先刻さっきよりは空がだいぶ明るくなったので、沖の方は比較的判切はっきり見える中に、指された船は遠くの向うに小さくよこたわっていた。
「あれじゃ大変だ」
 高木はたずさえて来た双眼鏡をのぞきながらこう云った。
「随分呑気のんきね、むかいに行くって、どうしてあんな所へ迎に行けるんでしょう」と千代子は笑いながら、高木の手から双眼鏡を受取った。
 婆さんは何じきですと答えて、草履ぞうり穿いたまま、石段をけ下りて行った。叔父は田舎者いなかものは気楽だなと笑っていた。吾一は婆さんのあとを追かけた。百代子はぼんやりして汚ない縁へ腰をおろした。僕は庭を見廻した。庭という名のもったいなく聞こえる縁先は五坪いつつぼにも足りなかった。すみ無花果いちじくが一本あって、なまぐさい空気の中に、青い葉を少しばかり茂らしていた。枝にはまだ熟しない云訳いいわけほどって、その一本のまたの所に、から虫籠むしかごがかかっていた。その下にはせた鶏が二三羽むやみに爪を立てた地面の中をえたくちばしでつついていた。僕はそのそばに伏せてある鉄網かなあみ鳥籠とりかごらしいものをながめて、その恰好かっこうがちょうど仏手柑ぶしゅかんのごとく不規則にゆがんでいるのに一種滑稽こっけいな思いをした。すると叔父が突然、何分くさいねと云い出した。百代子は、あたしもう御魚なんかどうでも好いから、早く帰りたくなったわと心細そうな声を出した。この時まで双眼鏡で海の方を見ながら、えず千代子と話していた高木はすぐうしろを振り返った。
「何をしているだろう。ちょっと行って様子を見て来ましょう」
 彼はそう云いながら、手に持った雨外套レインコートと双眼鏡を置くためにうしろの縁をかえりみた。そばに立った千代子は高木の動かない前に手を出した。
「こっちへ御出しなさい。持ってるから」
 そうして高木から二つの品を受け取った時、彼女は改めてまた彼の半袖姿はんそですがたを見て笑いながら、「とうとう蛮殻ばんからになったのね」と評した。高木はただ苦笑しただけで、すぐ浜の方へ下りて行った。僕はさも運動家らしく発達した彼の肩の肉が、急いで石段を下りるために手を振るごとに動く様を後から無言のまま注意してながめた。



二十三

 船に乗るためにみんながそろって浜に下り立ったのはそれから約一時間ののちであった。浜には何の祭の前かすぎか、深く砂の中にめられた高いのぼりの棒が二本僕の眼をいた。吾一はどこからかいそへ打ち上げた枯枝を拾って来て、広い砂の上に大きな字と大きな顔をいくつも並べた。
「さあ御乗り」と坊主頭の船頭が云ったので、六人は順序なくごたごたに船縁ふなべりからい上った。偶然の結果千代子と僕はあとのものに押されて、仕切りの付いたへさきの方に二人ひざを突き合せて坐った。叔父は一番先に、どうというのか、真中の広い所に、家長かちょうらしく胡坐あぐらをかいてしまった。そうして高木をその日の客として取り扱うつもりか、さあどうぞと案内したので、彼は否応いやおうなしに叔父のそばに座を占めた。百代子と吾一は彼らの次のと云ったような仕切の中に船頭といっしょに這入った。
「どうですこっちがいてますからいらっしゃいませんか」と高木はすぐうしろの百代子をかえりみた。百代子はありがとうといったきり席を移さなかった。僕は始めから千代子と一つ薄縁うすべりの上に坐るのを快く思わなかった。僕の高木に対して嫉妬しっとを起した事はすでに明かに自白しておいた。その嫉妬は程度において昨日きのう今日きょうも同じだったかも知れないが、それと共に競争心はいまだかつて微塵みじんも僕の胸にきざさなかったのである。僕も男だからこれから先いつどんな女をまとに劇烈な恋におちいらないとも限らない。しかし僕は断言する。もしその恋と同じ度合の劇烈な競争をあえてしなければ思う人が手に入らないなら、僕はどんな苦痛と犠牲を忍んでも、超然と手をふところにして恋人を見棄ててしまうつもりでいる。男らしくないとも勇気に乏しいとも、意志が薄弱だとも、ひとから評したらどうにでも評されるだろう。けれどもそれほど切ない競争をしなければわがものにできにくいほど、どっちへ動いても好い女なら、それほど切ない競争にあたいしない女だとしか僕には認められないのである。僕には自分になびかない女を無理にく喜こびよりは、相手の恋を自由の野に放ってやった時の男らしい気分で、わが失恋の瘡痕きずあとさみしく見つめている方が、どのくらい良心に対して満足が多いか分らないのである。
 僕は千代子にこう云った。――
「千代ちゃん行っちゃどうだ。あっちの方が広くってらくなようだから」
「なぜ、ここにいちゃ邪魔なの」
 千代子はそう云ったまま動こうとしなかった。僕には高木がいるからあっちへ行けというのだというような説明は、露骨と聞こえるにしろ、厭味いやみと受取られるにしろ、全く口にする勇気は出なかった。ただ彼女からこう云われた僕の胸に、一種のうれしさがひらめいたのは、口と腹とどう裏表になっているかを曝露ばくろする好い証拠しょうこで、自分で自分の薄弱な性情を自覚しない僕には痛い打撃であった。
 昨日きのう会った時よりは気のせいか少し控目になったように見える高木は、千代子と僕の間に起ったこの問答を聞きながら知らぬふりをしていた。船がいそを離れたとき、彼は「好い案排あんばいに空模様が直って来ました。これじゃ日がかんかん照るよりかえって結構です。船遊びには持って来いという御天気で」というような事を叔父と話し合ったりした。叔父は突然大きな声を出して、「船頭、いったい何をるんだ」と聞いた。叔父もその他のものも、この時まで何を捕るんだかいっこう知らずにいたのである。坊主頭の船頭は、粗末ぞんざい[#ルビの「ぞんざい」は底本では「そんざい」]な言葉で、たこを捕るんだと答えた。この奇抜な返事には千代子も百代子も驚ろくよりもおかしかったと見えて、たちまち声を出して笑った。
「蛸はどこにいるんだ」と叔父がまた聞いた。
「ここいらにいるんだ」と船頭はまた答えた。
 そうして湯屋の留桶とめおけを少し深くしたような小判形こばんなりの桶の底に、硝子ガラスを張ったものを水に伏せて、その中に顔を突込つっこむように押し込みながら、海の底をのぞき出した。船頭はこの妙な道具をかがみとなえて、二つ三つ余分に持ち合わせたのを、すぐ僕らに貸してくれた。第一にそれを利用したのは船頭のそばに座を取った吾一と百代子であった。



二十四

 鏡がそれからそれへと順々に回った時、叔父はこりゃあざやかだね、何でも見えると非道ひどく感心していた。叔父は人間社会の事に大抵通じているせいか、よろずたかくくる癖に、こういう自然界の現象におそわれるとじき驚ろく性質たちなのである。自分は千代子から渡された鏡を受け取って、最後に一枚の硝子越に海の底を眺めたが、かねて想像したと少しも異なるところのないきわめて平凡な海の底が眼にっただけである。そこにはさい岩が多少の凸凹とつおうを描いて一面につらなる間に、蒼黒あおぐろ藻草もくさが限りなく蔓延はびこっていた。その藻草があたかも生温なまぬるい風になぶられるように、波のうねりで静かにまた永久に細長い茎を前後にうごかした。
いっさん蛸が見えて」
「見えない」
 僕は顔を上げた。千代子はまた首を突込つっこんだ。彼女のかぶっていたへなへなの麦藁帽子むぎわらぼうしふちが水につかって、船頭にあやつられる船の勢にさからうたびに、可憐な波をちょろちょろ起した。僕はそのうしろに見える彼女の黒い髪と白い頸筋くびすじを、その顔よりも美くしく眺めていた。
「千代ちゃんには、目付めっかったかい」
「駄目よ。たこなんかどこにも泳いでいやしないわ」
「よっぽど慣れないとなかなか目付めっける訳に行かないんだそうです」
 これは高木が千代子のために説明してくれた言葉であった。彼女は両手でおけおさえたまま、船縁ふなべりから乗り出した身体からだを高木の方へじ曲げて、「道理どうれで見えないのね」といったが、そのまま水にたわむれるように、両手で抑えた桶をぶくぶく動かしていた。百代子が向うの方から御姉さんと呼んだ。吾一は居所も分らない蛸をむやみに突き廻した。突くには二間ばかりの細長い女竹めだけの先に一種の穂先を着けた変なものを用いるのである。船頭は桶を歯でくわえて、片手にさおを使いながら、船の動いて行くうちに、蛸の居所を探しあてるやいなや、その長い竹で巧みにぐにゃぐにゃした怪物を突き刺した。
 蛸は船頭一人の手で、何疋なんびきも船の中に上がったが、いずれも同じくらいな大きさで、これはと驚ろくほどのものはなかった。始めのうちこそみんな珍らしがって、れるたびに騒いで見たが、しまいにはさすが元気な叔父も少しきて来たと見えて、「こう蛸ばかり捕っても仕方がないね」と云い出した。高木は煙草たばこを吹かしながら、舟底ふなぞこにかたまった獲物えものを眺め始めた。
「千代ちゃん、蛸の泳いでるところを見た事がありますか。ちょっと来て御覧なさい、よっぽど妙ですよ」
 高木はこう云って千代子を招いたが、そばに坐っている僕の顔を見た時、「須永すながさんどうです、蛸が泳いでいますよ」とつけ加えた。僕は「そうですか。面白いでしょう」と答えたなりすぐ席を立とうともしなかった。千代子はどれと云いながら高木の傍へ行って新らしい座を占めた。僕はもとの所から彼女にまだ泳いでるかと尋ねた。
「ええ面白いわ、早く来て御覧なさい」
 蛸は八本の足を真直にそろえて、細長い身体を一気にすっすっと区切りつつ、水の中を一直線に船板に突き当るまで進んで行くのであった。中には烏賊いかのように黒い墨をくのもまじっていた。僕は中腰になってちょっとその光景を覗いたなり故の席に戻ったが、千代子はそれぎり高木の傍を離れなかった。
 叔父は船頭に向って蛸はもうたくさんだと云った。船頭は帰るのかと聞いた。向うの方に大きな竹籃たけかごのようなものが二つ三つ浮いていたので、蛸ばかりでさむしいと思った叔父は、船をその一つのわきぎ寄せさした。申し合せたように、舟中ふねじゅう立ち上ってかごの内を覗くと、七八寸もあろうと云う魚が、縦横に狭い水の中をけ廻っていた。その或ものは水の色を離れないあおい光をうろこに帯びて、自分の勢で前後左右に作る波を肉の裏にとおすように輝やいた。
「一つすくって御覧なさい」
 高木は大きな掬網たまを千代子に握らした。千代子は面白半分それを受取って水の中で動かそうとしたが、動きそうにもしないので、高木はおのれの手を添えて二人いっしょにかごの中を覚束おぼつかなくき廻した。しかし魚はすくえるどころではなかったので、千代子はすぐそれを船頭に返した。船頭は同じ掬網たまで叔父の命ずるままに何疋でも水から上へり出した。僕らは危怪きかいな蛸の単調を破るべく、鶏魚いさきすずき黒鯛くろだいの変化を喜こんでまた岸にのぼった。



二十五

 僕はその晩一人東京へ帰った。母はみんなに引きとめられて、帰るときには吾一か誰か送って行くという条件のもとに、なお二三日鎌倉にとどまる事をがえんじた。僕はなぜ母が彼らの勧めるままに、人をく落ちついているのだろうと、鋭どくがれた自分の神経から推して、悠長ゆうちょう過ぎる彼女をはがゆく思った。
 高木にはそれから以後ついぞ顔を合せた事がなかった。千代子と僕に高木を加えてともえを描いた一種の関係が、それぎり発展しないで、そのうちの劣敗者に当る僕が、あたかも運命の先途せんどを予知したごとき態度で、中途から渦巻うずまきの外にのがれたのは、この話を聞くものにとって、定めし不本意であろう。僕自身も幾分か火の手のまだ収まらないうちに、取り急いでまといを撤したような心持がする。と云うと、僕に始からある目論見もくろみがあって、わざわざ鎌倉へ出かけたとも取れるが、嫉妬心しっとしんだけあって競争心をたない僕にも相応の己惚うぬぼれは陰気な暗い胸のどこかで時々ちらちら陽炎かげろったのである。僕は自分の矛盾をよく研究した。そうして千代子に対する己惚うぬぼれをあくまで積極的に利用し切らせないために、他の思想やら感情やらが、入れ代り立ち替り雑然として吾心を奪いにくるわずらわしさに悩んだのである。
 彼女は時によると、天下に只一人ただいちにんの僕を愛しているように見えた。僕はそれでも進む訳に行かないのである。しかし未来に眼をふさいで、思い切った態度に出ようかと思案しているうちに、彼女はたちまち僕の手から逃れて、全くの他人と違わない顔になってしまうのが常であった。僕が鎌倉で暮した二日の間に、こういうしお満干みちひはすでに二三度あった。或時は自分の意志でこの変化を支配しつつ、わざと近寄ったり、わざと遠退とおのいたりするのでなかろうかというかすかな疑惑をさえ、僕の胸に煙らせた。そればかりではない。僕は彼女の言行を、いつの意味に解釈し終ったすぐあとから、まるで反対の意味に同じものをまた解釈して、そのじつどっちが正しいのか分らないいたずらな忌々いまいましさを感じたためしも少なくはなかった。
 僕はこの二日間にめとるつもりのない女に釣られそうになった。そうして高木という男がいやしくも眼の前に出没する限りは、いやでもしまいまで釣られて行きそうな心持がした。僕は高木に対して競争心を有たないと先に断ったが、誤解を防ぐために、もう一度同じ言葉をくり返したい。もし千代子と高木と僕と三人が巴になって恋か愛か人情かの旋風つむじかぜの中に狂うならば、その時僕を動かす力は高木に勝とうという競争心でない事を僕は断言する。それは高い塔の上から下を見た時、恐ろしくなると共に、飛び下りなければいられない神経作用と同じ物だと断言する。結果が高木に対して勝つか負けるかに帰着する上部うわべから云えば、競争と見えるかも知れないが、動力は全く独立した一種の働きである。しかもその動力は高木がいさえしなければけっして僕をおそって来ないのである。僕はその二日間に、この怪しい力のきらめき物凄ものすごく感じた。そうして強い決心と共にすぐ鎌倉を去った。
 僕は強い刺戟しげきちた小説を読むにえないほど弱い男である。強い刺戟に充ちた小説を実行する事はなおさらできない男である。僕は自分の気分が小説になりかけた刹那せつなに驚ろいて、東京へ引き返したのである。だから汽車の中の僕は、半分は優者で半分は劣者であった。比較的乗客の少ない中等列車のうちで、僕は自分と書き出して自分と裂きてたようなこの小説の続きをいろいろに想像した。そこには海があり、月があり、いそがあった。若い男の影と若い女の影があった。始めは男がげきして女が泣いた。あとでは女が激して男がなだめた。ついには二人手を引き合って音のしない砂の上を歩いた。あるいはがくがあり、畳があり、涼しい風が吹いた。二人の若い男がそこで意味のない口論をした。それがだんだん熱い血を頬に呼び寄せて、ついには二人共自分の人格にかかわるような言葉使いをしなければすまなくなった。はては立ち上ってこぶしふるい合った。あるいは……。芝居に似た光景は幾幕となく眼の前にえがかれた。僕はそのいずれをもめ試ろみる機会を失ってかえって自分のために喜んだ。人は僕を老人みたようだと云ってあざけるだろう。もし詩に訴えてのみ世の中を渡らないのが老人なら、僕は嘲けられても満足である。けれどももし詩にれてからびたのが老人なら、僕はこの品評に甘んじたくない。僕は始終詩を求めてもがいているのである。



二十六

 僕は東京へ帰ってからの気分を想像して、あるいは刺戟しげきを眼の前に控えた鎌倉にいるよりもかえって焦躁いらつきはしまいかと心配した。そうして相手もなく一人焦躁つく事のはなはだしい苦痛をいたずらに胸のうちに描いて見た。偶然にも結果は他の一方にれた。僕は僕の希望した通り、平生に近い落ちつきと冷静と無頓着むとんじゃくとを、比較的容易に、さみしいわが二階の上にもたらし帰る事ができた。僕は新らしいにおいのする蚊帳かやを座敷いっぱいに釣って、軒に鳴る風鈴ふうりんの音を楽しんで寝た。よいには町へ出て草花のはちかかえながら格子こうしを開ける事もあった。母がいないので、すべての世話はさくという小間使がした。鎌倉から帰って、始めてわが家のぜんに向った時、給仕のために黒い丸盆をひざの上に置いて、僕の前にかしこまった作の姿を見た僕は今更いまさらのように彼女と鎌倉にいる姉妹きょうだいとの相違を感じた。作はもとより好い器量の女でも何でもなかった。けれども僕の前に出て畏こまる事よりほかに何も知っていない彼女の姿が、僕にはいかにつつましやかにいかに控目に、いかに女としてあわれ深く見えたろう。彼女は恋の何物であるかを考えるさえ、自分の身分ではすでに生意気過ぎると思い定めた様子で、おとなしくすわっていたのである。僕は珍らしく彼女に優しい言葉を掛けた。そうして彼女に年はいくつだと聞いた。彼女は十九だと答えた。僕はまた突然嫁に行きたくはないかと尋ねた。彼女はあかい顔をして下を向いたなり、露骨な問をかけた僕を気の毒がらせた。僕と作とはそれまでほとんど用の口よりほかにいた事がなかったのである。僕は鎌倉から新らしい記憶を持って帰った反動として、その時始めて、自分の家に使っている下婢かひの女らしいところに気がついた。愛とはもとより彼女と僕の間に云い得べき言葉でない。僕はただ彼女の身の周囲まわりから出る落ちついた、気安い、おとなしやかな空気を愛したのである。
 僕が作のために安慰を得たと云っては、自分ながらおかしく聞こえる。けれども今考えて見てもそれよりほかの源因は全く考えつかないようだから、やっぱり作が――作がというより、その時の作が代表して僕に見せてくれた女性にょしょうのある方面の性質が、想像の刺戟しげきにすら焦躁立いらだちたがっていた僕の頭を静めてくれたのだろうと思う。白状すれば鎌倉の景色けしきは折々眼に浮かんだ。その景色のうちには無論人間が活動していた。ただそれが僕の遠くにいる、僕とはとても利害をいつにし得ない人間の活動らしく見えたのは幸福であった。
 僕は二階にのぼって書架の整理を始めた。綺麗好きれいずきな母が始終しじゅう気をつけて掃除をおこたらなかったにかかわらず、一々書物を並べ直すとなると、思わぬほこりの色を、目の届かない陰に見つけるので、残らずそろえるまでには、なかなか手間取った。僕は暑中に似合わしい閑事業として、なるべく時間のかかるように、気が向けば手にした本をいつまでも読みふけってみようという気楽な方針で蝸牛かたつむりのごとく進行した。作は時ならない払塵はたきの音を聞きつけて、梯子段はしごだんから銀杏返いちょうがえしの頭を出した。僕は彼女に書架の一部を雑巾ぞうきんで拭いてもらった。しかしいつまでかかるか分らない仕事の手伝を、済むまでさせるのも気の毒だと思って、すぐ階下したへ下げた。僕は一時間ほど書物を伏せたり立てたりして少し草臥くたびれたから煙草たばこを吹かして休んでいると、作がまた梯子段から顔を出した。そうして、私でよろしければ何ぞ致しましょうかと尋ねた。僕は作に何かさせてやりたかった。不幸にして西洋文字の読めない彼女には手の出せない書物の整理なので、僕は気の毒だけれども、なに好いよと断ってまた下へ追いやった。
 作の事をそう一々云う必要もないが、つい前からの関係で、彼女のその時の行動を覚えていたから話したのである。僕は一本の巻煙草まきたばこを呑み切ったあとでまた整理にかかった。今度は作のためにわれ一人いちにんの世界をさまたげられるおそれなしに、書架の二段目を一気に片づけた。その時僕は久しく友達に借りて、つい返すのを忘れていた妙な書物を、偶然たなうしろから発見した。それはむしろ薄い小形の本だったので、ついほかのものの向側むこうがわへ落ちたなり埃だらけになって、今日きょうまで僕の眼をかすめていたのである。



二十七

 僕にこの本を貸してくれたものはある文学ずきの友達であった。僕はかつてこの男と小説の話をして、思慮の勝ったものは、万事に考え込むだけで、いっこうはなやかな行動を仕切る勇気がないから、小説に書いてもつまらないだろうと云った。僕の平生からあまり小説を愛読しないのは、僕に小説中の人物になる資格が乏しいので、資格が乏しいのは、考え考えしてぐずつくせいだろうとかねがね思っていたから、僕はついこういう質問がかけて見たくなったのである。その時彼は机上にあったこの本をして、ここに書いてある主人公は、非常に目覚めざましい思慮と、恐ろしくすさまじい思い切った行動をそなえていると告げた。僕はいったいどんな事が書いてあるのかと聞いた。彼はまあ読んで見ろと云って、その本を取って僕に渡した。標題にはゲダンケという独乙字ドイツじが書いてあった。彼は露西亜物ロシアものの翻訳だと教えてくれた。僕は薄い書物を手にしながら、重ねてその梗※(「(漑-さんずい)/木」、第3水準1-86-3)こうがいを彼に尋ねた。彼は梗※(「(漑-さんずい)/木」、第3水準1-86-3)などはどうでも好いと答えた。そうして中に書いてある事が嫉妬しっとなのだか、復讐ふくしゅうなのだか、深刻な悪戯いたずらなのだか、酔興すいきょうな計略なのだか、真面目まじめな所作なのだか、気狂きちがいの推理なのだか、常人の打算なのだか、ほとんど分らないが、何しろ華々はなばなしい行動と同じく華々しい思慮が伴なっているから、ともかくも読んで見ろと云った。僕は書物を借りて帰った。しかし読む気はしなかった。僕は読みふけらない癖に、小説家というものをいっさい馬鹿にしていた上に、友達のいうような事にはちっとも心を動かすべき興味をたなかったからである。
 この出来事をすっかり忘れていた僕は、何の気もつかずにそのゲダンケを今たなうしろから引き出して厚いちりを払った。そうして見覚みおぼえのある例の独乙字の標題に眼をつけると共に、かの文学好の友達と彼のその時の言葉とを思い出した。すると突然どこから起ったか分らない好奇心にられて、すぐその一ページを開いて初めから読み始めた。中には恐るべき話が書いてあった。
 ある女にのあったある男が、その婦人から相手にされないのみか、かえってわが知り合の人の所へ嫁入られたのを根に、新婚の夫を殺そうと企てた。ただしただ殺すのではない。女房が見ている前で殺さなければ面白くない。しかもその見ている女房が彼を下手人と知っていながら、いつまでも指をくわえて、彼を見ているだけで、それよりほかにどうにも手のつけようのないという複雑な殺し方をしなければ気がすまない。彼はその手段てだてとして一種の方法を案出した。ある晩餐ばんさんの席へ招待された好機を利用して、彼は急にはげしい発作ほっさおそわれたふりをし始めた。はたから見るとまるで狂人としか思えない挙動をその場であえてした彼は、同席の一人残らずから、全くの狂人と信じられたのを見すまして、心の内で図に当った策略を祝賀した。彼は人目に触れやすい社交場で、同じ所作しょさをなお二三度くり返した後、発作のために精神にくるいの出る危険な人という評判を一般に博し得た。彼はこの手数てかずのかかった準備の上に、手のつけようのない殺人罪を築き上げるつもりでいたのである。しばしば起る彼の発作が、はなやかな交際の色を暗くそこない出してから、今まで懇意に往来ゆききしていた誰彼の門戸が、彼に対して急に固くとざされるようになった。けれどもそれは彼の苦にするところではなかった。彼はなお自由に出入でいりのできる一軒の家を持っていた。それが取りも直さず彼のまさに死の国に蹴落けおとそうとしつつある友とその細君の家だったのである。彼はある日何気ない顔をして友の住居すまいたたいた。そこで世間話に時を移すと見せて、暗に目の前の人に飛びかかる機をうかがった。彼は机の上にあった重い文鎮ぶんちんを取って、突然これで人が殺せるだろうかと尋ねた。友はもとより彼の問をに受けなかった。彼は構わずできるだけの力を文鎮に込めて、細君の見ている前で、最愛の夫を打ち殺した。そうして狂人の名のもとに、瘋癲院ふうてんいんに送られた。彼は驚ろくべき思慮と分別と推理の力とをもって、以上の顛末てんまつを基礎に、自分のけっして狂人でない訳をひたすら弁解している。かと思うと、その弁解をまた疑っている。のみならず、その疑いをまた弁解しようとしている。彼は必竟ひっきょう正気なのだろうか、狂人なのだろうか、――僕は書物を手にしたまま慄然りつぜんとして恐れた。



二十八

 僕のヘッドは僕のハートおさえるためにできていた。行動の結果から見て、はなはだしいくいのこさない過去をかえりみると、これが人間の常体かとも思う。けれども胸が熱しかけるたびに、厳粛な頭の威力を無理に加えられるのは、普通誰でも経験する通り、はなはだしい苦痛である。僕は意地張いじばりという点において、どっちかというとむしろ陰性の癇癪持かんしゃくもちだから、発作ほっさに心をおそわれた人が急に理性のために喰い留められて、はげしい自動車の速力を即時に殺すような苦痛は滅多めっためた事がない。それですらある場合には命の心棒を無理に曲げられるとでも云わなければ形容しようのない活力の燃焼を内に感じた。二つの争いが起るたびに、常に頭の命令に屈従して来た僕は、ある時は僕の頭が強いから屈従させ得るのだと思い、ある時は僕の胸が弱いから屈従するのだとも思ったが、どうしてもこの争いは生活のための争いでありながら、人知れず、わが命をけずる争いだという畏怖いふの念から解脱げだつする事ができなかった。
 それだから僕はゲダンケの主人公を見て驚ろいたのである。親友の命を虫の息のようにかろく見る彼は、理とじょうとの間に何らの矛盾をも扞格かんかくをも認めなかった。彼の有するすべての知力は、ことごとく復讐ふくしゅうの燃料となって、残忍な兇行を手際てぎわよく仕遂げる方便に供せられながら、ごうも悔ゆる事を知らなかった。彼は周密なる思慮をひきいて、満腔まんこうの毒血を相手の頭から浴びせかけ得る偉大なる俳優であった。もしくは尋常以上の頭脳と情熱を兼ねた狂人であった。僕は平生の自分と比較して、こう顧慮なく一心にふるまえるゲダンケの主人公が大いにうらやましかった。同時にあせしたたるほど恐ろしかった。できたらさぞ痛快だろうと思った。でかしたあとは定めしえがたい良心の拷問ごうもんに逢うだろうと思った。
 けれどももし僕の高木に対する嫉妬しっとがある不可思議の径路を取って、向後こうご今の数十倍にはげしく身を焼くならどうだろうと僕は考えた。しかし僕はその時の自分を自分で想像する事ができなかった。始めは人間の元来からの作りが違うんだから、とてもこんな真似まねはしえまいという見地から、すぐこの問題を棄却ききゃくしようとした。次には、僕でも同じ程度の復讐ふくしゅうが充分やってけられるに違いないという気がし出した。最後には、僕のように平生は頭と胸の争いに悩んでぐずついているものにして始めてこんな猛烈な兇行を、冷静に打算的に、かつ組織的に、たくましゅうするのだと思い出した。僕は最後になぜこう思ったのか自分にも分らない。ただこう思った時急に変な心持に襲われた。その心持は純然たる恐怖でも不安でも不快でもなく、それらよりははるかに複雑なものに見えた。が、まとまって心に現われた状態から云えば、ちょうどおとなしい人が酒のために大胆になって、これなら何でもやれるという満足を感じつつ、同時に酔に打ち勝たれた自分は、品性の上において平生の自分より遥に堕落したのだと気がついて、そうして堕落は酒の影響だからどこへどう避けても人間としてとてものがれる事はできないのだと沈痛にあきらめをつけたと同じような変な心持であった。僕はこの変な心持と共に、千代子の見ている前で、高木の脳天に重い文鎮ぶんちんを骨の底まで打ち込んだ夢を、大きな眼をきながら見て、驚ろいて立ち上った。
 下へ降りるやいなや、いきなり風呂場ふろばへ行って、水をざあざあ頭へかけた。茶の間の時計を見ると、もう午過ひるすぎなので、それを好い機会しおに、そこへわって飯を片づける事にした。給仕には例の通りさくが出た。僕はくち三口みくち無言で飯のかたまりを頬張ったが、突然彼女に、おい作僕の顔色はどうかあるかいと聞いた。作は吃驚びっくりした眼を大きくして、いいえと答えた。それで問答が切れると、今度は作の方がどうか遊ばしましたかと尋ねた
「いいや、大してどうもしない」
「急に御暑うございますから」
 僕は黙って二杯の飯を食い終った。茶をがして飲みかけた時、僕はまた突然作に、鎌倉などへ行って混雑ごたごたするよりうちにいる方がしずかで好いねと云った。作は、でもあちらの方が御涼しゅうございましょうと云った。僕はいやかえって東京より暑いくらいだ、あんな所にいると気ばかりいらいらしていけないと説明してやった。作は御隠居さまはまだ当分あちらにおいででございますかと尋ねた。僕はもう帰るだろうと答えた。



二十九

 僕は僕の前にすわっているさくの姿を見て、一筆ひとふでがきの朝貌あさがおのような気がした。ただたっとい名家の手にならないのが遺憾いかんであるが、心の中はそう云う種類のと同じく簡略にでき上っているとしか僕には受取れなかった。作の人柄ひとがらを画にたとえて何のためになると聞かれるかも知れない。深い意味もなかろうが、実は彼女の給仕を受けて飯を食う間に、今しがたゲダンケを読んだ自分と、今黒塗の盆を持ってかしこまっている彼女とを比較して、自分の腹はなぜこうしつこい油絵のように複雑なのだろうとあきれたからである。白状すると僕は高等教育を受けた証拠しょうことして、今日こんにちまで自分の頭がひとより複雑に働らくのを自慢にしていた。ところがいつかその働らきに疲れていた。何の因果いんがでこうまで事を細かに刻まなければ生きて行かれないのかと考えて情なかった。僕は茶碗ちゃわんぜんの上に置きながら、作の顔を見てたっとい感じを起した。
「作御前でもいろいろ物を考える事があるかね」
「私なんぞ別に何も考えるほどの事がございませんから」
「考えないかね。それが好いね。考える事がないのが一番だ」
「あっても智慧ちえがございませんから、筋道が立ちません。全く駄目でございます」
「仕合せだ」
 僕は思わずこう云って作を驚ろかした。作は突然僕から冷かされたとでも思ったろう。気の毒な事をした。
 その夕暮に思いがけない母が出し抜けに鎌倉から帰って来た。僕はその時の限りかけた二階の縁に籐椅子といすを持ち出して、作が跣足はだしで庭先へ水を打つ音を聞いていた。下へりて玄関へ出た時、僕は母を送って来るべきはずの吾一の代りに、千代子が彼女のあといて沓脱くつぬぎからあがったのを見て非常に驚ろいた。僕は籐椅子の上で千代子の事を全く考えずにいたのである。考えても彼女と高木とを離す事はできなかったのである。そうして二人は当分鎌倉の舞台を動き得ないものと信じていたのである。僕は日に焼けて心持色の黒くなったと思われる母と顔を見合わして挨拶あいさつを取りかわす前に、まず千代子に向ってどうして来たのだと聞きたかった。実際僕はその通りの言葉を第一に用いたのである。
「叔母さんを送って来たのよ。なぜ。驚ろいて」
「そりゃありがとう」と僕は答えた。僕の千代子に対する感情は鎌倉へ行く前と、行ってからとでだいぶ違っていた。行ってからと帰って来てからとでもまただいぶ違っていた。高木といっしょにつかねられた彼女に対するのと、こう一人に切り離された彼女に対するのとでもまただいぶ違っていた。彼女は年を取った母を吾一に托するのが不安心だったから、自分でいて来たのだと云って、作が足を洗っているに、母の単衣ひとえ箪笥たんすから出したり、それを旅行着と着換えさせたりなどして、元の千代子の通りまめやかにふるまった。僕は母にあれから何か面白い事がありましたかと尋ねた。母は満足らしい顔をしながら、別にこれという珍らしい事も無かったと答えたが、「でもね久しぶりに気保養きほようをしました。御蔭で」と云った。僕にはそれがそばにいる千代子に対しての礼の言葉と聞こえた。僕は千代子に今日これからまた鎌倉へ帰るのかと尋ねた。
「泊って行くわ」
「どこへ」
「そうね。内幸町へ行っても好いけど、あんまり広過ぎてさむしいから。――久しぶりにここへ泊ろうかしら、ねえ叔母さん」
 僕には千代子が始めから僕の家に寝るつもりで出て来たように見えた。自白すれば僕はそこへ坐って十分と経たないうちに、また眼の前にいる彼女の言語動作を一種の立場から観察したり、評価したり、解釈したりしなければならないようになったのである。僕はそこに気がついた時、非常な不愉快を感じた。またそういう努力には自分の神経が疲れ切っている事も感じた。僕は自分が自分にさからって余儀なくこう心を働かすのか。あるいは千代子がいやがる僕を無理に強いて動くようにするのか。どっちにしても僕は腹立たしかった。
「千代ちゃんが来ないでも吾一さんでたくさんだのに」
「だってあたし責任があるじゃありませんか。叔母さんを招待したのはあたしでしょう」



三十

「じゃ僕も招待を受けたんだから、送って来てもらえば好かった」
「だからひとの云う事を聞いて、もっといらっしゃればいのに」
「いいえあの時にさ。僕の帰った時にさ」
「そうするとまるで看護婦みたようね。好いわ看護婦でも、ついて来て上げるわ。なぜそう云わなかったの」
「云っても断られそうだったから」
「あたしこそ断られそうだったわ、ねえ叔母さん。たまに招待に応じて来ておきながら、いやにむずかしい顔ばかりしているんですもの。本当にあなたは少し病気よ」
「だから千代子について来て貰いたかったのだろう」と母が笑いながら云った。
 僕は母の帰るつい一時間前まで千代子の来る事を予想し得なかった。それは今改めてくり返す必要もないが、それと共に僕は母が高木についてもたらす報道をほとんど確実な未来として予期していた。おだやかな母の顔が不安と失望で曇る時の気の毒さも予想していた。僕は今この予期と全く反対の結果を眼の前に見た。彼らは二人とも常に変らない親しげな叔母めいであった。彼らの各自おのおのは各自に特有なあたた清々すがすがしさを、いつもの通り互いの上に、また僕の上に、心持よく加えた。
 その晩は散歩に出る時間を倹約して、女二人と共に二階にあがって涼みながら話をした。僕は母の命ずるまま軒端のきば七草ななくさいた岐阜提灯ぎふぢょうちんをかけて、その中に細い蝋燭ろうそくけた。熱いから電灯を消そうと発議ほつぎした千代子は、遠慮なく畳の上を暗くした。風のない月が高くのぼった。柱にもたれていた母が鎌倉を思い出すと云った。電車の音のする所で月をるのは何だかおかしい気がすると、この間から海辺に馴染なずんだ千代子が評した。僕は先刻さっき籐椅子といすの上に腰をおろして団扇うちわを使っていた。さくが下から二度ばかり上って来た。一度は煙草盆たばこぼんの火を入れえて、僕の足の下に置いて行った。二返目には近所から取り寄せた氷菓子アイスクリームを盆にせて持って来た。僕はそのたびごと階級制度の厳重な封建のに生れたように、卑しい召使の位置を生涯しょうがいの分と心得ているこの作と、どんな人の前へ出ても貴女レデーとしてふるまって通るべき気位をそなえた千代子とを比較しない訳に行かなかった。千代子は作が出て来ても、作でないほかの女が出て来たと同じように、なんにも気に留めなかった。作の方ではいったんって梯子段はしごだんそばまで行って、もう降りようとする間際まぎわにきっと振り返って、千代子の後姿うしろすがたを見た。僕は自分が鎌倉で高木をそばに見て暮した二日間を思い出して、材料がないから何も考えないと明言した作に、千代子というハイカラな有毒の材料が与えられたのをあわれにながめた。
「高木はどうしたろう」という問が僕の口元までしばしば出た。けれども単なる消息の興味以外に、何かためにする不純なものが自分を前に押し出すので、その都度つど卑怯だと遠くでののしられるためか、つい聞くのをいさぎよしとしなくなった。それに千代子が帰って母だけになりさえすれば、彼の話は遠慮なくできるのだからとも考えた。しかし実を云うと、僕は千代子の口から直下じかに高木の事を聞きたかったのである。そうして彼女が彼をどう思っているか、それを判切はっきり胸に畳み込んでおきたかったのである。これは嫉妬しっとの作用なのだろうか。もしこの話を聞くものが、嫉妬だというなら、僕には少しも異存がない。今の料簡りょうけんで考えて見ても、どうもほかの名はつけにくいようである。それなら僕がそれほど千代子に恋していたのだろうか。問題がそう推移すると、僕も返事にきゅうするよりほかに仕方がなくなる。僕は実際彼女に対して、そんなに熱烈な愛を脈搏みゃくはくの上に感じていなかったからである。すると僕は人より二倍も三倍も嫉妬深しっとぶかい訳になるが、あるいはそうかも知れない。しかしもっと適当に評したら、おそらく僕本来のわがままが源因なのだろうと思う。ただ僕は一言いちごんそれにつけ加えておきたい。僕から云わせると、すでに鎌倉を去ったあとなお高木に対しての嫉妬心がこう燃えるなら、それは僕の性情に欠陥があったばかりでなく、千代子自身に重い責任があったのである。相手が千代子だから、僕の弱点がこれほどに濃く胸を染めたのだと僕は明言してはばからない。では千代子のどの部分が僕の人格を堕落させるだろうか。それはとても分らない。あるいは彼女の親切じゃないかとも考えている。



三十一

 千代子の様子はいつもの通りあけぱなしなものであった。彼女はどんな問題が出ても苦もなく口をいた。それは必竟ひっきょう腹の中に何も考えていない証拠しょうこだとしか取れなかった。彼女は鎌倉へ行ってから水泳を自習し始めて、今では背の立たない所まで行くのが楽みだと云った。それを用心深い百代子が剣呑けんのんがって、あやまるように悲しい声を出してめるのが面白いと云った。その時母はなかば心配で半ばあきれたような顔をして、「何ですね女の癖にそんな軽機かるはずみな真似をして。これからは後生ごしょうだから叔母さんに免じて、あぶない悪ふざけはしておくれよ」と頼んでいた。千代子はただ笑いながら、大丈夫よと答えただけであったが、ふと縁側えんがわの椅子に腰を掛けている僕をかえりみて、いっさんもそう云う御転婆おてんばきらいでしょうと聞いた。僕はただ、あんまり好きじゃないと云って、月の光のくまなく落ちる表をながめていた。もし僕が自分の品格に対して尊敬を払う事を忘れたなら、「しかし高木さんには気に入るんだろう」という言葉をそのあとにきっとつけ加えたに違ない。そこまで引きられなかったのは、僕の体面上まだ仕合せであった。
 千代子はかくのごとく明けっ放しであった。けれども夜がけて、母がもう寝ようと云い出すまで、彼女は高木の事をとうとう一口も話頭にのぼせなかった。そこに僕ははなはだしい故意こいを認めた。白い紙の上に一点の暗い印気インキが落ちたような気がした。鎌倉へ行くまで千代子を天下の女性にょしょうのうちで、最も純粋な一人いちにんと信じていた僕は、鎌倉で暮したわずか二日の間に、始めて彼女の技巧アートを疑い出したのである。そのうたがいが今ようやく僕の胸に根をおろそうとした。
「なぜ高木の話をしないのだろう」
 僕は寝ながらこう考えて苦しんだ。同時にこんな問題に睡眠の時間を奪われるおろかさを自分でよく承知していた。だから苦しむのが馬鹿馬鹿しくてなおかんが起った。僕は例の通り二階に一人寝ていた。母と千代子は下座敷に蒲団ふとんを並べて、一つ蚊帳かやの中に身を横たえた。僕はすやすや寝ている千代子を自分のすぐ下に想像して、必竟ひっきょうのつそつ苦しがる僕は負けているのだと考えない訳に行かなくなった。僕は寝返りを打つ事さえいやになった。自分がまだ眠られないという弱味を階下したへ響かせるのが、勝利の報知として千代子の胸に伝わるのを恥辱と思ったからである。
 僕がこうして同じ問題をいろいろに考えているうちに、同じ問題が僕にはいろいろに見えた。高木の名前を口へ出さないのは、全く彼女の僕に対する好意に過ぎない。僕に気を悪くさせまいと思う親切から彼女はわざとそれだけを遠慮したのである。こう解釈すると鎌倉にいた時の僕は、あれほど単純な彼女をして、僕の前に高木の二字をおおやけにする勇気を失わしめたほど、不合理に機嫌を悪くふるまったのだろう。もしそうだとすれば、自分は人の気を悪くするために、人の中へ出る、不愉快な動物である。うち引込ひっこんで交際つきあいさえしなければそれでい。けれどももし親切をかむらない技巧アートが彼女の本義なら……。僕は技巧という二字を細かに割って考えた。高木を媒鳥おとりに僕を釣るつもりか。釣るのは、最後の目的もない癖に、ただ僕の彼女に対する愛情を一時的に刺戟しげきして楽しむつもりか。あるいは僕にある意味で高木のようになれというつもりか。そうすれば僕を愛しても好いというつもりか。あるいは高木と僕と戦うところをながめて面白かったというつもりか。または高木を僕の眼の前に出して、こういう人がいるのだから、早く思い切れというつもりか。――僕は技巧の二字をどこまでも割って考えた。そうして技巧なら戦争だと考えた。戦争ならどうしても勝負に終るべきだと考えた。
 僕は寝つかれないで負けている自分を口惜くやしく思った。電灯は蚊帳を釣るとき消してしまったので、へやの中に隙間すきまもなく蔓延はびこ暗闇くらやみが窒息するほど重苦しく感ぜられた。僕は眼の見えないところに眼を明けて頭だけ働らかす苦痛にえなくなった。寝返りさえ慎んで我慢していた僕は、急にってへやを明るくした。ついでに縁側えんがわへ出て雨戸を一枚細目に開けた。月の傾むいた空の下には動く風もなかった。僕はただ比較的冷かな空気を肌と咽喉のどに受けただけであった。



三十二

 翌日あくるひはいつも一人で寝ている時より一時間半も早く眼がめた。すぐ起きて下へ降りると、銀杏返いちょうがえしの上へ白地の手拭てぬぐいかぶって、長火鉢ながひばちの灰をふるっていたさくが、おやもう御目覚おめざめでと云いながら、すぐ顔を洗う道具を風呂場へ並べてくれた。僕は帰りにほこりだらけの茶の間を爪先つまさきで通り抜けて玄関へ出た。その時ついでに二人の寝ている座敷を蚊帳越かやごしにのぞいて見たら、目敏めざとい母も昨日きのうの汽車の疲が出たせいか、まだ静かなねむりむさぼっていた。千代子はもとより夢の底にうずまっているように正体なく枕の上に首を落していた。僕は目的あてもなく表へ出た。朝の散歩のおもむきを久しく忘れていた僕には、常に変わらない町の色が、暑さと雑沓ざっとうとに染めつけられない安息日のごとくおだやかに見えた。電車の線路がぎ澄まされた光を真直まっすぐに地面の上に伸ばすのも落ちついた感じであった。けれども僕は散歩がしたくって出たのではなかった。ただ眼が早くめ過ぎて、中有はしたに延びた命の断片を、運動でめるつもりで歩くのだから、それほどの興味は空にも地にも乃至ないし町にも見出す事ができなかった。
 一時間ばかりして僕はむしろ疲れた顔を母からも千代子からも怪しまれに戻って来た。母はどこへ行ったのと聞いたが、あとから、色沢いろつやが好くないよ、どうかおしかいと尋ねた。
昨夕ゆうべく寝られなかったんでしょう」
 僕は千代子のこの言葉に対して答うべきすべを知らなかった。実を云うと、昂然こうぜんとしてなに好く寝られたよと云いたかったのである。不幸にして僕はそれほどの技巧家アーチストでなかった。と云って、正直に寝られなかったと自白するには余り自尊心が強過ぎた。僕はついに何も答えなかった。
 三人が同じ食卓で朝飯あさめしを済ますやいなや、母が昨日涼しいうちにと頼んでおいた髪結かみいが来た。あらたての白い胸掛をかけて、敷居越しきいごしに手を突いた彼女は、御帰りなさいましと親しい挨拶あいさつをした。彼女はこの職業に共通なめでたい口ぶりをっていた。それを得意に使って、内気な母に避暑を誇の種に話させる機会を一句ごとに作った。母は満足らしくも見えたが、そう蝶蝶ちょうちょうしくは饒舌しゃべり得なかった。髪結はより効目ききめのある相手として、すぐ年の若い千代子を選んだ。千代子はもとより誰彼の容赦なく一様に気易きやすく応対のできる女だったので、御嬢様と呼びかけられるたびに相当の受答うけこたえをして話をはずました。千代子の泳のうわさが出た時、髪結は活溌かっぱつよろしゅうございます、近頃の御嬢様方はみんな水泳の稽古けいこをなさいますと誰が聞いてもこしらえたような御世辞を云った。
 妙な事を吹聴ふいちょうするようでおかしいが、実をいうと僕は女の髪を上げるところを見ているのが好きであった。母がともしい髪を工面して、どうかこうかまげい上げる様子は、いくら上手じょうずまとめるにしても、それほど見栄みばえのあるではないが、それでも退屈をしのぐには恰好かっこうな慰みであった。僕は髪結の手の動くに、自然とでき上って行く小さな母の丸髷まるまげながめていた。そうして腹の中で、千代子の髪を日本流にくしを入れたらさぞみごとだろうと思った。千代子は色の美くしい、癖のない、長くて多過ぎる髪の所有者だったからである。この場合いつもの僕なら、千代ちゃんもついでにって御貰いなときっと勧めるところであった。しかし今の僕にはそんな親しげな要求を彼女に向って投げかける気が出悪でにくかった。すると偶然にも千代子の方で、何だかあたしも一つ結って見たくなったと云い出した。母は御結おいいよ久しぶりにといざなった。髪結かみいは是非御上げ遊ばせな、私始めて御髪おぐしを拝見した時から束髪そくはつにしていらっしゃるのはもったいないと思っとりましたとさもいたそうな口ぶりを見せた。千代子はとうとう鏡台の前に坐った。
「何に結おうかしら」
 髪結は島田を勧めた。母も同じ意見であった。千代子は長い髪を背中に垂れたまま突然いっさんと呼んだ。
「あなた何が好き」
旦那様だんなさまも島田が好きだときっとおっしゃいますよ」
 僕はぎくりとした。千代子はまるで平気のように見えた。わざと僕の方をふり返って、「じゃ島田に結って見せたげましょうか」と笑った。「好いだろう」と答えた僕の声はいかにもどんに聞こえた。



三十三

 僕は千代子の髪のでき上らない先に二階へあがった。僕のような神経質なものがこだわって来ると、無関係の人の眼にはほとんど小供らしいと思われるような所作しょさをあえてする。僕は中途で鏡台のそばを離れて、美くしい島田髷しまだまげをいただく女が男から強奪ごうだつする嘆賞の租税をまぬかれたつもりでいた。その時の僕はそれほどこの女の虚栄心にびる好意をたなかったのである。
 僕は自分で自分の事をかれこれ取りつくろって好く聞えるように話したくない。しかし僕ごときものでも長火鉢ながひばちはたで起るこんな戦術よりはもう少し高尚な問題に頭を使い得るつもりでいる。ただそこまで引きり落された時、僕の弱点としてどうしても脱線する気になれないのである。僕は自分でそのつまらなさ加減をよく心得ていただけに、それをあえてする僕を自分でにくみ自分でむちうった。
 僕は空威張からいばりを卑劣と同じくきらう人間であるから、低くてもさくても、自分らしい自分を話すのを名誉と信じてなるべく隠さない。けれども、世の中で認めている偉い人とか高い人とかいうものは、ことごとく長火鉢や台所の卑しい人生の葛藤かっとうを超越しているのだろうか。僕はまだ学校を卒業したばかりの経験しかたない青二才に過ぎないが、僕の知力と想像に訴えて考えたところでは、おそらくそんな偉い人高い人はいつの世にも存在していないのではなかろうか。僕は松本の叔父を尊敬している。けれども露骨なことを云えば、あの叔父のようなのは偉く見える人、高く見せる人と評すればそれで足りていると思う。僕は僕の敬愛する叔父に対しては偽物贋物きぶつがんぶつの名を加える非礼と僻見へきけんとをはばかりたい。が、事実上彼は世俗に拘泥こうでいしない顔をして、腹の中で拘泥しているのである。小事に齷齪あくそくしない手をこまぬいで、頭の奥で齷齪しているのである。外へ出さないだけが、普通よりひんが好いと云って僕は讃辞を呈したく思っている。そうしてその外へ出さないのは財産の御蔭おかげ年齢としの御蔭、学問と見識と修養の御蔭である。が、最後に彼と彼の家庭の調子が程好く取れているからでもあり、彼と社会の関係がぎゃくなようで実はじゅんに行くからでもある。――話がつい横道へれた。僕は僕のこせこせしたところを余り長く弁護し過ぎたかも知れない。
 僕は今いう通り早く二階へあがってしまった。二階は日が近いので、階下したよりはよほどしのにくいのだけれども、平生いつけたせいで、僕は一日の大部分をここで暮らす事にしていたのである。僕はいつもの通り机の前にすわったなりただ頬杖ほおづえを突いてぼんやりしていた。今朝煙草たばこの灰をてたマジョリカの灰皿が綺麗きれい掃除そうじされて僕のひじの前にせてあったのに気がついて、僕はその中に現わされた二羽の鵞鳥がちょうを[#「鵞鳥を」は底本では「鷲鳥を」]ながめながら、その灰をけたさくの手を想像にえがいた。すると下から梯子段はしごだんを踏む音がして誰か上って来た。僕はその足音を聞くや否や、すぐそれが作でない事を知った。僕はこうぼんやり屈托しているところを千代子に見られるのを屈辱のように感じた。同時にそばにあった書物を開けて、先刻さっきから読んでいたふりをするほど器用な機転を用いるのを好まなかった。
えたから見てちょうだい」
 僕は僕の前にすぐこう云いながら坐る彼女を見た。
「おかしいでしょう。久しく結わないから」
「大変美くしくできたよ。これからいつでも島田にうといい」
「二三度こわしちゃ結い、壊しちゃ結いしないといけないのよ。毛が馴染なずまなくって」
 こんな事を聞いたり答えたり三四へんしているうちに、僕はいつの間にか昔と同じように美くしい素直な邪気のない千代子を眼の前に見る気がし出した。僕の心持が何かの調子でやわらげられたのか、千代子の僕に対する態度がどこかで角度を改ためたのか、それは判然はんぜんと云いにくい。こうだと説明のできるとらえどころは両方になかったらしく記憶している。もしこの気易きやすい状態が一二時間も長く続いたなら、あるいは僕の彼女に対していだいた変な疑惑を、過去にさかのぼって当初から真直まっすぐに黒い棒で誤解という名のもとに消し去る事ができたかも知れない。ところが僕はつい不味まずい事をしたのである。



三十四

 それはほかでもない。しばらく千代子と話しているうちに、彼女が単に頭を見せにあがって来たばかりでなく、今日これから鎌倉へ帰るので、そのさようならを云いにちょっと顔を出したのだと云う事を知った時、僕はつい用意の足りないつまずき方をしたのである。
「早いね。もう帰るのかい」と僕が云った。
「早かないわ、もう一晩泊ったんだから。だけどこんな頭をして帰ると何だかおかしいわね、御嫁にでも行くようで」と千代子が云った。
「まだみんな鎌倉にいるのかい」と僕が聞いた。
「ええ。なぜ」と千代子が聞き返した。
「高木さんも」と僕がまた聞いた。
 高木という名前は今まで千代子も口にせず、僕も話頭にのぼすのをわざとはばかっていたのである。が、何かの機会はずみで、平生いつも通りの打ち解けた遠慮のない気分が復活したので、その中に引き込まれた矢先、つい何の気もつかずに使ってしまったのである。僕はふらふらとこの問をかけて彼女の顔を見た時たちまち後悔した。
 僕が煮え切らないまたさばけない男として彼女から一種の軽蔑けいべつを受けている事は、僕のとうに話した通りで、実を云えば二人の交際はこの黙許を認め合った上の親しみに過ぎなかった。その代り千代子が常におそれる点を、さいわいにして僕はただ一つっていた。それは僕の無口である。彼女のように万事明けっ放しに腹を見せなければ気のすまない者から云うと、いつでも、しんねりむっつりと構えている僕などの態度は、けっして気に入るはずがないのだが、そこにまた妙な見透みすかせない心の存在がほのめくので、彼女は昔から僕を全然知り抜く事のできない、したがって軽蔑しながらもどこかに恐ろしいところを有った男として、ある意味の尊敬を払っていたのである。これはおおやけにこそ明言しないが、向うでも腹の底で正式に認めるし、僕も冥々めいめいのうちに彼女から僕の権利として要求していた事実である。
 ところが偶然高木の名前を口にした時、僕はたちまちこの尊敬を永久千代子に奪い返されたような心持がした。と云うのは、「高木さんも」という僕の問を聞いた千代子の表情が急に変化したのである。僕はそれをあながちに勝利の表情とは認めたくない。けれども彼女の眼のうちに、今まで僕がいまだかつて彼女に見出した試しのない、一種の侮蔑ぶべつが輝やいたのは疑いもない事実であった。僕は予期しない瞬間に、平手ひらて横面よこつらを力任せに打たれた人のごとくにぴたりとまった。
「あなたそれほど高木さんの事が気になるの」
 彼女はこう云って、僕が両手で耳をおさえたいくらいな高笑いをした。僕はその時鋭どい侮辱を感じた。けれどもとっさの場合何という返事も出し得なかった。
「あなたは卑怯ひきょうだ」と彼女が次に云った。この突然な形容詞にも僕は全く驚ろかされた。僕は、御前こそ卑怯だ、呼ばないでもの所へわざわざ人を呼びつけて、と云ってやりたかった。けれども年弱な女に対して、向うと同じ程度の激語を使うのはまだ早過ぎると思って我慢した。千代子もそれなり黙った。僕はようやくにして「なぜ」というわずか二字の問をかけた。すると千代子の濃いまゆが動いた。彼女は、僕自身で僕の卑怯な意味を充分自覚していながら、たまたまひとの指摘を受けると、自分の弱点を相手に隠すために、つくろってそらっとぼけるものとこの問を解釈したらしい。
「なぜって、あなた自分でよく解ってるじゃありませんか」
「解らないから聞かしておくれ」と僕が云った。僕は階下したに母を控えているし、感情に訴える若い女の気質もよくみ込んだつもりでいたから、できるだけ相手の気を抜いて話を落ちつかせるために、その時の僕としては、ほとんど無理なほどの、低いかつゆるい調子を取ったのであるが、それがかえって千代子の気に入らなかったと見える。
「それが解らなければあなた馬鹿よ」
 僕はおそらく平生いつもよりあおい顔をしたろうと思う。自分ではただ眼を千代子の上にじっとえた事だけを記憶している。その時何物も恐れない千代子の眼が、僕の視線と無言のうちに行き合って、両方共しばらくそこにまっていた事も記憶している。



三十五

「千代ちゃんのような活溌かっぱつな人から見たら、僕見たいに引込思案ひっこみじあんなものは無論卑怯ひきょうなんだろう。僕は思った事をすぐ口へ出したり、またはそのまま所作しょさにあらわしたりする勇気のない、きわめて因循いんじゅんな男なんだから。その点で卑怯だと云うなら云われても仕方がないが……」
「そんな事を誰が卑怯だと云うもんですか」
「しかし軽蔑けいべつはしているだろう。僕はちゃんと知ってる」
「あなたこそあたしを軽蔑しているじゃありませんか。あたしの方がよっぽどよく知ってるわ」
 僕はことさらに彼女のこの言葉を肯定する必要を認めなかったから、わざと返事を控えた。
「あなたはあたしを学問のない、理窟りくつの解らない、取るに足らない女だと思って、腹の中で馬鹿にし切ってるんです」
「それは御前が僕をぐずと見縊みくびってるのと同じ事だよ。僕は御前から卑怯と云われても構わないつもりだが、いやしくも徳義上の意味で卑怯というなら、そりゃ御前の方が間違っている。僕は少なくとも千代ちゃんに関係ある事柄について、道徳上卑怯なふるまいをしたおぼえはないはずだ。ぐずとか煮え切らないとかいうべきところに、卑怯という言葉を使われては、何だか道義的勇気を欠いた――というより、徳義を解しない下劣な人物のように聞えてはなはだ心持が悪いから訂正して貰いたい。それとも今いった意味で、僕が何か千代ちゃんに対してすまない事でもしたのなら遠慮なく話して貰おう」
「じゃ卑怯の意味を話して上げます」と云って千代子は泣き出した。僕はこれまで千代子を自分より強い女と認めていた。けれども彼女の強さは単にやさしい一図から出た女気おんなぎかたまりとのみ解釈していた。ところが今僕の前に現われた彼女は、ただ勝気に充ちただけの、世間にありふれた、俗っぽい婦人としか見えなかった。僕は心を動かすところなく、彼女の涙の間からいかなる説明が出るだろうと待ち設けた。彼女のくちびるれるものは、自己の体面を飾る強弁よりほかに何もあるはずがないと、僕は固く信じていたからである。彼女はれた睫毛まつげを二三度繁叩しばたたいた。
「あなたはあたしを御転婆おてんばの馬鹿だと思って始終しじゅう冷笑しているんです。あなたはあたしを……愛していないんです。つまりあなたはあたしと結婚なさる気が……」
「そりゃ千代ちゃんの方だって……」
「まあ御聞きなさい。そんな事は御互だと云うんでしょう。そんならそれでうござんす。何ももらって下さいとは云やしません。ただなぜ愛してもいず、細君にもしようと思っていないあたしに対して……」
 彼女はここへ来て急に口籠くちごもった。不敏な僕はその後へ何が出て来るのか、まださとれなかった。「御前に対して」となかば彼女をうながすように問をかけた。彼女は突然物をき破った風に、「なぜ嫉妬しっとなさるんです」と云い切って、前よりははげしく泣き出した。僕はさっと血が顔にのぼる時のほてりを両方のほおに感じた。彼女はほとんどそれを注意しないかのごとくに見えた。
「あなたは卑怯ひきょうです、徳義的に卑怯です。あたしが叔母さんとあなたを鎌倉へ招待した料簡りょうけんさえあなたはすでにうたぐっていらっしゃる。それがすでに卑怯です。が、それは問題じゃありません。あなたはひとの招待に応じておきながら、なぜ平生ふだんのように愉快にして下さる事ができないんです。あたしはあなたを招待したために恥をいたも同じ事です。あなたはあたしのうちの客に侮辱を与えた結果、あたしにも侮辱を与えています」
「侮辱を与えた覚はない」
「あります。言葉や仕打はどうでも構わないんです。あなたの態度が侮辱を与えているんです。態度が与えていないでも、あなたの心が与えているんです」
「そんな立ち入った批評を受ける義務は僕にないよ」
「男は卑怯だから、そう云う下らない挨拶あいさつができるんです。高木さんは紳士だからあなたをれる雅量がいくらでもあるのに、あなたは高木さんを容れる事がけっしてできない。卑怯だからです」






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