其一
木理美しき槻胴、縁にはわざと赤樫を用いたる岩畳作りの長火鉢に対いて話し敵もなくただ一人、少しは淋しそうに坐り居る三十前後の女、男のように立派な眉をいつ掃いしか剃ったる痕の青々と、見る眼も覚むべき雨後の山の色をとどめて翠の匂いひとしお床しく、鼻筋つんと通り眼尻キリリと上り、洗い髪をぐるぐると酷く丸めて引裂紙をあしらいに一本簪でぐいと留めを刺した色気なしの様はつくれど、憎いほど烏黒にて艶ある髪の毛の一ト綜二綜後れ乱れて、浅黒いながら渋気の抜けたる顔にかかれる趣きは、年増嫌いでも褒めずにはおかれまじき風体、わがものならば着せてやりたい好みのあるにと好色漢が随分頼まれもせぬ詮議を蔭ではすべきに、さりとは外見を捨てて堅義を自慢にした身の装り方、柄の選択こそ野暮ならね高が二子の綿入れに繻子襟かけたを着てどこに紅くさいところもなく、引っ掛けたねんねこばかりは往時何なりしやら疎い縞の糸織なれど、これとて幾たびか水を潜って来た奴なるべし。
今しも台所にては下婢が器物洗う音ばかりして家内静かに、ほかには人ある様子もなく、何心なくいたずらに黒文字を舌端で嬲り躍らせなどしていし女、ぷつりとそれを噛み切ってぷいと吹き飛ばし、火鉢の灰かきならし炭火体よく埋け、芋籠より小巾とり出し、銀ほど光れる長五徳を磨きおとしを拭き銅壺の蓋まで奇麗にして、さて南部霰地の大鉄瓶をちゃんとかけし後、石尊様詣りのついでに箱根へ寄って来しものが姉御へ御土産とくれたらしき寄木細工の小繊麗なる煙草箱を、右の手に持った鼈甲管の煙管で引き寄せ、長閑に一服吸うて線香の煙るように緩々と煙りを噴き出し、思わず知らず太息吐いて、多分は良人の手に入るであろうが憎いのっそりめが対うへ廻り、去年使うてやった恩も忘れ上人様に胡麻摺り込んで、たってこん度の仕事をしょうと身の分も知らずに願いを上げたとやら、清吉の話しでは上人様に依怙贔屓のお情はあっても、名さえ響かぬのっそりに大切の仕事を任せらるることは檀家方の手前寄進者方の手前もむつかしかろうなれば、大丈夫此方に命けらるるにきまったこと、よしまたのっそりに命けらるればとて彼奴にできる仕事でもなく、彼奴の下に立って働く者もあるまいなれば見事でかし損ずるは眼に見えたこととのよしなれど、早く良人がいよいよ御用命かったと笑い顔して帰って来られればよい、類の少い仕事だけに是非して見たい受け合って見たい、欲徳はどうでも関わぬ、谷中感応寺の五重塔は川越の源太が作りおった、ああよくでかした感心なと云われて見たいと面白がって、いつになく職業に気のはずみを打って居らるるに、もしこの仕事を他に奪られたらどのように腹を立てらるるか肝癪を起さるるか知れず、それも道理であって見れば傍から妾の慰めようもないわけ、ああなんにせよめでとう早く帰って来られればよいと、口には出さねど女房気質、今朝背面からわが縫いし羽織打ち掛け着せて出したる男の上を気遣うところへ、表の骨太格子手あらく開けて、姉御、兄貴は、なに感応寺へ、仕方がない、それでは姉御に、済みませんがお頼み申します、つい昨晩酔まして、と後は云わず異な手つきをして話せば、眉頭に皺をよせて笑いながら、仕方のないもないもの、少し締まるがよい、と云い云い立って幾らかの金を渡せば、それをもって門口に出で何やらくどくど押し問答せし末こなたに来たりて、拳骨で額を抑え、どうも済みませんでした、ありがとうござりまする、と無骨な礼をしたるもおかし。
其二
火は別にとらぬから此方へ寄るがよい、と云いながら重げに鉄瓶を取り下して、属輩にも如才なく愛嬌を汲んでやる桜湯一杯、心に花のある待遇は口に言葉の仇繁きより懐かしきに、悪い請求をさえすらりと聴いてくれし上、胸にわだかまりなくさっぱりと平日のごとく仕做されては、清吉かえって心羞かしく、どうやら魂魄の底の方がむず痒いように覚えられ、茶碗取る手もおずおずとして進みかぬるばかり、済みませぬという辞誼を二度ほど繰り返せし後、ようやく乾ききったる舌を湿す間もあらせず、今ごろの帰りとはあまり可愛がられ過ぎたの、ホホ、遊ぶはよけれど職業の間を欠いて母親に心配さするようでは、男振りが悪いではないか清吉、汝はこのごろ仲町の甲州屋様の御本宅の仕事が済むとすぐに根岸の御別荘のお茶席の方へ廻らせられて居るではないか、良人のも遊ぶは随分好きで汝たちの先に立って騒ぐは毎々なれど、職業を粗略にするは大の嫌い、今もし汝の顔でも見たらばまた例の青筋を立つるに定まって居るを知らぬでもあるまいに、さあ少し遅くはなったれど母親の持病が起ったとか何とか方便は幾らでもつくべし、早う根岸へ行くがよい、五三様もわかった人なれば一日をふてて怠惰ぬに免じて、見透かしても旦那の前は庇護うてくるるであろう、おお朝飯がまだらしい、三や何でもよいほどに御膳を其方へこしらえよ、湯豆腐に蛤鍋とは行かぬが新漬に煮豆でも構わぬわのう、二三杯かっこんですぐと仕事に走りゃれ走りゃれ、ホホ睡くても昨夜をおもえば堪忍のなろうに精を惜しむな辛防せよ、よいは[#「よいは」はママ]弁当も松に持たせてやるわ、と苦くはなけれど効験ある薬の行きとどいた意見に、汗を出して身の不始末を慚ずる正直者の清吉。
姉御、では御厄介になってすぐに仕事に突っ走ります、と鷲掴みにした手拭で額拭き拭き勝手の方に立ったかとおもえば、もうざらざらざらっと口の中へ打ち込むごとく茶漬飯五六杯、早くも食うてしまって出て来たり、さようなら行ってまいります、と肩ぐるみに頭をついと一ツ下げて煙草管を収め、壺屋の煙草入三尺帯に、さすがは気早き江戸ッ子気質、草履つっかけ門口出づる、途端に今まで黙っていたりし女は急に呼びとめて、この二三日にのっそりめに逢うたか、と石から飛んで火の出しごとく声を迸らし問いかくれば、清吉ふりむいて、逢いました逢いました、しかも昨日御殿坂で例ののっそりがひとしおのっそりと、往生した鶏のようにぐたりと首を垂れながら歩行いて居るを見かけましたが、今度こっちの棟梁の対岸に立ってのっそりの癖に及びもない望みをかけ、大丈夫ではあるものの幾らか棟梁にも姉御にも心配をさせるその面が憎くって面が憎くって堪りませねば、やいのっそりめと頭から毒を浴びせてくれましたに、あいつのことゆえ気がつかず、やいのっそりめ、のっそりめと三度めには傍へ行って大声で怒鳴ってやりましたればようやくびっくりして梟に似た眼で我の顔を見つめ、ああ清吉あーにーいかと寝惚声の挨拶、やい、汝は大分好い男児になったの、紺屋の干場へ夢にでも上ったか大層高いものを立てたがって感応寺の和尚様に胡麻を摺り込むという話しだが、それは正気の沙汰か寝惚けてかと冷語をまっ向からやったところ、ハハハ姉御、愚鈍い奴というものは正直ではありませんか、なんと返事をするかとおもえば、我も随分骨を折って胡麻は摺って居るが、源太親方を対岸に立てて居るのでどうも胡麻が摺りづらくて困る、親方がのっそり汝やって見ろよと譲ってくれればいいけれどものうとの馬鹿に虫のいい答え、ハハハ憶い出しても、心配そうに大真面目くさく云ったその面がおかしくて堪りませぬ、あまりおかしいので憎っ気もなくなり、箆棒めと云い捨てに別れましたが。それぎりか。へい。そうかえ、さあ遅くなる、関わずに行くがよい。さようならと清吉は自己が仕事におもむきける、後はひとりで物思い、戸外では無心の児童たちが独楽戦の遊びに声々喧しく、一人殺しじゃ二人殺しじゃ、醜態を見よ讐をとったぞと号きちらす。おもえばこれも順々競争の世の状なり。
其三
世に栄え富める人々は初霜月の更衣も何の苦慮なく、紬に糸織に自己が好き好きの衣着て寒さに向う貧者の心配も知らず、やれ炉開きじゃ、やれ口切りじゃ、それに間に合うよう是非とも取り急いで茶室成就よ待合の庇廂繕えよ、夜半のむら時雨も一服やりながらでのうては面白く窓撲つ音を聞きがたしとの贅沢いうて、木枯凄まじく鐘の音氷るようなって来る辛き冬をば愉快いものかなんぞに心得らるれど、その茶室の床板削りに鉋礪ぐ手の冷えわたり、その庇廂の大和がき結いに吹きさらされて疝癪も起すことある職人風情は、どれほどの悪い業を前の世になしおきて、同じ時候に他とは違い悩め困しませらるるものぞや、取り分け職人仲間の中でも世才に疎く心好き吾夫、腕は源太親方さえ去年いろいろ世話して下されし節に、立派なものじゃと賞められしほど確実なれど、寛濶の気質ゆえに仕事も取り脱りがちで、好いことはいつも他に奪られ年中嬉しからぬ生活かたに日を送り月を迎うる味気なさ、膝頭の抜けたを辛くも埋め綴[#ルビの「つづ」は底本では「つつ」]った股引ばかりわが夫にはかせおくこと、婦女の身としては他人の見る眼も羞ずかしけれど、何にもかも貧がさする不如意に是非のなく、いま縫う猪之が綿入れも洗い曝した松坂縞、丹誠一つで着させても着させ栄えなきばかりでなく見ともないほど針目がち、それを先刻は頑是ない幼な心といいながら、母様其衣は誰がのじゃ、小さいからは我の衣服か、嬉しいのうと悦んでそのまま戸外へ駈け出し、珍らしゅう暖かい天気に浮かれて小竿持ち、空に飛び交う赤蜻※(「虫+廷」、第4水準2-87-52)を撲いて取ろうとどこの町まで行ったやら、ああ考え込めば裁縫も厭気になって来る、せめて腕の半分も吾夫の気心が働いてくれたならばこうも貧乏はしまいに、技倆はあっても宝の持ち腐れの俗諺の通り、いつその手腕の顕われて万人の眼に止まるということの目的もない、たたき大工穴鑿り大工、のっそりという忌々しい諢名さえ負わせられて同業中にも軽しめらるる歯痒さ恨めしさ、蔭でやきもきと妾が思うには似ず平気なが憎らしいほどなりしが、今度はまたどうしたことか感応寺に五重塔の建つということ聞くや否や、急にむらむらとその仕事を是非する気になって、恩のある親方様が望まるるをも関わず胴欲に、このような身代の身に引き受きょうとは、ちとえら過ぎると連れ添う妾でさえ思うものを、他人はなんと噂さするであろう、ましてや親方様は定めし憎いのっそりめと怒ってござろう、お吉様はなおさら義理知らずの奴めと恨んでござろう、今日は大抵どちらにか任すと一言上人様のお定めなさるはずとて、今朝出て行かれしがまだ帰られず、どうか今度の仕事だけはあれほど吾夫は望んで居らるるとも此方は分に応ぜず、親方には義理もありかたがた親方の方に上人様の任さるればよいと思うような気持もするし、また親方様の大気にて別段怒りもなさらずば、吾夫にさせて見事成就させたいような気持もする、ええ気の揉める、どうなることか、とても良人にはお任せなさるまいがもしもいよいよ吾夫のすることになったら、どのようにまあ親方様お吉様の腹立てらるるか知れぬ、ああ心配に頭脳の痛む、またこれが知れたらば女の要らぬ無益心配、それゆえいつも身体の弱いと、有情くて無理な叱言を受くるであろう、もう止めましょ止めましょ、ああ痛、と薄痘痕のある蒼い顔を蹙めながら即効紙の貼ってある左右の顳※(「需+頁」、第3水準1-94-6)を、縫い物捨てて両手で圧える女の、齢は二十五六、眼鼻立ちも醜からねど美味きもの食わぬに膩気少く肌理荒れたる態あわれにて、襤褸衣服にそそけ髪ますます悲しき風情なるが、つくづく独り歎ずる時しも、台所の劃りの破れ障子がらりと開けて、母様これを見てくれ、と猪之が云うにびっくりして、汝はいつからそこにいた、と云いながら見れば、四分板六分板の切れ端を積んで現然と真似び建てたる五重塔、思わず母親涙になって、おお好い児ぞと声曇らし、いきなり猪之に抱きつきぬ。
其四
当時に有名の番匠川越の源太が受け負いて作りなしたる谷中感応寺の、どこに一つ批点を打つべきところあろうはずなく、五十畳敷格天井の本堂、橋をあざむく長き廻廊、幾部かの客殿、大和尚が居室、茶室、学徒所化の居るべきところ、庫裡、浴室、玄関まで、あるは荘厳を尽しあるは堅固を極め、あるは清らかにあるは寂びておのおのそのよろしきに適い、結構少しも申し分なし。そもそも微々たる旧基を振るいてかほどの大寺を成せるは誰ぞ。法諱を聞けばそのころの三歳児も合掌礼拝すべきほど世に知られたる宇陀の朗円上人とて、早くより身延の山に螢雪の苦学を積まれ、中ごろ六十余州に雲水の修行をかさね、毘婆舎那の三行に寂静の慧剣を礪ぎ、四種の悉檀に済度の法音を響かせられたる七十有余の老和尚、骨は俗界の葷羶を避くるによって鶴のごとくに痩せ、眼は人世の紛紜に厭きて半ば睡れるがごとく、もとより壊空の理を諦して意欲の火炎を胸に揚げらるることもなく、涅槃の真を会して執着の彩色に心を染まさるることもなければ、堂塔を興し伽藍を立てんと望まれしにもあらざれど、徳を慕い風を仰いで寄り来る学徒のいと多くて、それらのものが雨露凌がん便宜も旧のままにてはなくなりしまま、なお少し堂の広くもあれかしなんど独語かれしが根となりて、道徳高き上人の新たに規模を大きゅうして寺を建てんと云いたまうぞと、このこと八方に伝播れば、中には徒弟の怜悧なるがみずから奮って四方に馳せ感応寺建立に寄附を勧めて行くもあり、働き顔に上人の高徳を演べ説き聞かし富豪を慫慂めて喜捨せしむる信徒もあり、さなきだに平素より随喜渇仰の思いを運べるもの雲霞のごときにこの勢いをもってしたれば、上諸侯より下町人まで先を争い財を投じて、我一番に福田へ種子を投じて後の世を安楽くせんと、富者は黄金白銀を貧者は百銅二百銅を分に応じて寄進せしにぞ、百川海に入るごとく瞬く間に金銭の驚かるるほど集まりけるが、それより世才に長けたるものの世話人となり用人となり、万事万端執り行うてやがて立派に成就しけるとは、聞いてさえ小気味のよき話なり。
しかるに悉皆成就の暁、用人頭の為右衛門普請諸入用諸雑費一切しめくくり、手脱ることなく決算したるになお大金の剰れるあり。これをばいかになすべきと役僧の円道もろとも、髪ある頭に髪なき頭突き合わせて相談したれど別に殊勝なる分別も出でず、田地を買わんか畠買わんか、田も畠も余るほど寄附のあれば今さらまたこの浄財をそのようなことに費すにも及ばじと思案にあまして、面倒なりよきに計らえと皺枯れたる御声にて云いたまわんは知れてあれど、恐る恐る円道ある時、思さるる用途もやと伺いしに、塔を建てよとただ一言云われしぎり振り向きもしたまわず、鼈甲縁の大きなる眼鏡の中より微かなる眼の光りを放たれて、何の経やら論やらを黙々と読み続けられけるが、いよいよ塔の建つに定まって例の源太に、積り書出せと円道が命令けしを、知ってか知らずにか上人様にお目通り願いたしと、のっそりが来しは今より二月ほど前なりし。
其五
紺とはいえど汗に褪め風に化りて異な色になりし上、幾たびか洗い濯がれたるためそれとしも見えず、襟の記印の字さえ朧げとなりし絆纏を着て、補綴のあたりし古股引をはきたる男の、髪は塵埃に塗れて白け、面は日に焼けて品格なき風采のなおさら品格なきが、うろうろのそのそと感応寺の大門を入りにかかるを、門番尖り声で何者ぞと怪しみ誰何せば、びっくりしてしばらく眼を見張り、ようやく腰を屈めて馬鹿丁寧に、大工の十兵衛と申しまする、御普請につきましてお願いに出ました、とおずおず云う風態の何となく腑には落ちねど、大工とあるに多方源太が弟子かなんぞの使いに来たりしものならんと推察して、通れと一言押柄に許しける。
十兵衛これに力を得て、四方を見廻わしながら森厳しき玄関前にさしかかり、お頼申すと二三度いえば鼠衣の青黛頭、可愛らしき小坊主の、おおと答えて障子引き開けしが、応接に慣れたるものの眼捷く人を見て、敷台までも下りず突っ立ちながら、用事なら庫裡の方へ廻れ、と情なく云い捨てて障子ぴっしゃり、後はどこやらの樹頭に啼く鵯の声ばかりして音もなく響きもなし。なるほどと独り言しつつ十兵衛庫裡にまわりてまた案内を請えば、用人為右衛門仔細らしき理屈顔して立ち出で、見なれぬ棟梁殿、いずくより何の用事で見えられた、と衣服の粗末なるにはや侮り軽しめた言葉遣い、十兵衛さらに気にもとめず、野生は大工の十兵衛と申すもの、上人様の御眼にかかりお願いをいたしたいことのあってまいりました、どうぞお取次ぎ下されまし、と首を低くして頼み入るに、為右衛門じろりと十兵衛が垢臭き頭上より白の鼻緒の鼠色になった草履はき居る足先まで睨め下し、ならぬ、ならぬ、上人様は俗用にお関わりはなされぬわ、願いというは何か知らねど云うて見よ、次第によりては我が取り計ろうてやる、とさもさも万事心得た用人めかせる才物ぶり。それを無頓着の男の質朴にも突き放して、いえ、ありがとうはござりますれど上人様に直々でのうては、申しても役に立ちませぬこと、どうぞただお取次ぎを願いまする、と此方の心が醇粋なれば先方の気に触る言葉とも斟酌せず推し返し言えば、為右衛門腹には我を頼まぬが憎くて慍りを含み、理のわからぬ男じゃの、上人様は汝ごとき職人らに耳は仮したまわぬというに、取り次いでも無益なれば我が計ろうて得させんと、甘く遇えばつけ上る言い分、もはや何もかも聞いてやらぬ、帰れ帰れ、と小人の常態とて語気たちまち粗暴くなり、膠なく言い捨て立たんとするにあわてし十兵衛、ではござりましょうなれど、と半分いう間なく、うるさい、喧しいと打ち消され、奥の方に入られてしもうて茫然と土間に突っ立ったまま掌の裏の螢に脱去られしごとき思いをなしけるが、是非なく声をあげてまた案内を乞うに、口ある人のありやなしや薄寒き大寺の岑閑と、反響のみはわが耳に堕ち来れど咳声一つ聞えず、玄関にまわりてまた頼むといえば、先刻見たる憎げな怜悧小僧のちょっと顔出して、庫裡へ行けと教えたるに、と独語きて早くも障子ぴしゃり。
また庫裡に廻りまた玄関に行き、また玄関に行き庫裡に廻り、ついには遠慮を忘れて本堂にまで響く大声をあげ、頼む頼むお頼申すと叫べば、其声より大き声を発して馬鹿めと罵りながら為右衛門ずかずかと立ち出で、僮僕どもこの狂漢を門外に引き出せ、騒々しきを嫌いたまう上人様に知れなば、我らがこやつのために叱らるべしとの下知、心得ましたと先刻より僕人部屋に転がりいし寺僕ら立ちかかり引き出さんとする、土間に坐り込んで出されじとする十兵衛。それ手を取れ足を持ち上げよと多勢口々に罵り騒ぐところへ、後園の花二枝三枝剪んで床の眺めにせんと、境内あちこち逍遙されし朗円上人、木蘭色の無垢を着て左の手に女郎花桔梗、右の手に朱塗の把りの鋏持たせられしまま、図らずここに来かかりたまいぬ。
其六
何事に罵り騒ぐぞ、と上人が下したまう鶴の一声のお言葉に群雀の輩鳴りを歇めて、振り上げし拳を蔵すに地なく、禅僧の問答にありやありやと云いかけしまま一喝されて腰の折けたるごとき風情なるもあり、捲り縮めたる袖を体裁悪げに下してこそこそと人の後ろに隠るるもあり。天を仰げる鼻の孔より火煙も噴くべき驕慢の怒りに意気昂ぶりし為右衛門も、少しは慚じてや首をたれ掌を揉みながら、自己が発頭人なるに是非なく、ありし次第をわが田に水引き水引き申し出づれば、痩せ皺びたる顔に深く長く痕いたる法令の皺溝をひとしお深めて、にったりと徐やかに笑いたまい、婦女のように軽く軟らかな声小さく、それならば騒がずともよいこと、為右衛門汝がただ従順に取り次ぎさえすれば仔細はのうてあろうものを、さあ十兵衛殿とやら老衲について此方へおいで、とんだ気の毒な目に遇わせました、と万人に尊敬い慕わるる人はまた格別の心の行き方、未学を軽んぜず下司をも侮らず、親切に温和しく先に立って静かに導きたまう後について、迂濶な根性にも慈悲の浸み透れば感涙とどめあえぬ十兵衛、だんだんと赤土のしっとりとしたるところ、飛石の画趣に布かれあるところ、梧桐の影深く四方竹の色ゆかしく茂れるところなど※(「螢」の「虫」に代えて「糸」、第3水準1-90-16)り繞り過ぎて、小やかなる折戸を入れば、花もこれというはなき小庭のただものさびて、有楽形の燈籠に松の落葉の散りかかり、方星宿の手水鉢に苔の蒸せるが見る眼の塵をも洗うばかりなり。
上人庭下駄脱ぎすてて上にあがり、さあ汝も此方へ、と云いさして掌に持たれし花を早速に釣花活に投げこまるるにぞ、十兵衛なかなか怯めず臆せず、手拭で足はたくほどのことも気のつかぬ男とてなすことなく、草履脱いでのっそりと三畳台目の茶室に入りこみ、鼻突き合わすまで上人に近づき坐りて黙々と一礼する態は、礼儀に嫻わねど充分に偽飾なき情の真実をあらわし、幾たびかすぐにも云い出でんとしてなお開きかぬる口をようやくに開きて、舌の動きもたどたどしく、五重の塔の、御願いに出ましたは五重の塔のためでござります、と藪から棒を突き出したように尻もったてて声の調子も不揃いに、辛くも胸にあることを額やら腋の下の汗とともに絞り出せば、上人おもわず笑いを催され、何か知らねど老衲をば怖いものなぞと思わず、遠慮を忘れてゆるりと話をするがよい、庫裡の土間に坐り込うで動かずにいた様子では、何か深う思い詰めて来たことであろう、さあ遠慮を捨てて急かずに、老衲をば朋友同様におもうて話すがよい、とあくまで慈しき注意。十兵衛脆くも梟と常々悪口受くる銅鈴眼にはや涙を浮めて、はい、はい、はいありがとうござりまする、思い詰めて参上りました、その五重の塔を、こういう野郎でござります、御覧の通り、のっそり十兵衛と口惜しい諢名をつけられて居る奴でござりまする、しかしお上人様、真実でござりまする、工事は下手ではござりませぬ、知っております私しは馬鹿でござります、馬鹿にされております、意気地のない奴でござります、虚誕はなかなか申しませぬ、お上人様、大工はできます、大隅流は童児の時から、後藤立川二ツの流義も合点致しておりまする、させて、五重塔の仕事を私にさせていただきたい、それで参上りました、川越の源太様が積りをしたとは五六日前聞きました、それから私は寝ませぬわ、お上人様、五重塔は百年に一度一生に一度建つものではござりませぬ、恩を受けております源太様の仕事を奪りたくはおもいませぬが、ああ賢い人は羨ましい、一生一度百年一度の好い仕事を源太様はさるる、死んでも立派に名を残さるる、ああ羨ましい羨ましい、大工となって生きている生き甲斐もあらるるというもの、それに引き代えこの十兵衛は、鑿手斧もっては源太様にだとて誰にだとて、打つ墨縄の曲ることはあれ万が一にも後れを取るようなことは必ず必ずないと思えど、年が年中長屋の羽目板の繕いやら馬小屋箱溝の数仕事、天道様が知恵というものを我には賜さらないゆえ仕方がないと諦めて諦めても、拙い奴らが宮を作り堂を受け負い、見るものの眼から見れば建てさせた人が気の毒なほどのものを築造えたを見るたびごとに、内々自分の不運を泣きますわ、お上人様、時々は口惜しくて技倆もない癖に知恵ばかり達者な奴が憎くもなりまするわ、お上人様、源太様は羨ましい、知恵も達者なれば手腕も達者、ああ羨ましい仕事をなさるか、我はよ、源太様はよ、情ないこの我はよと、羨ましいがつい高じて女房にも口きかず泣きながら寝ましたその夜のこと、五重塔を汝作れ今すぐつくれと怖ろしい人にいいつけられ、狼狽えて飛び起きさまに道具箱へ手を突っ込んだは半分夢で半分現、眼が全く覚めて見ますれば指の先を鐔鑿につっかけて怪我をしながら道具箱につかまって、いつの間にか夜具の中から出ていたつまらなさ、行燈の前につくねんと坐ってああ情ない、つまらないと思いました時のその心持、お上人様、わかりまするか、ええ、わかりまするか、これだけが誰にでも分ってくれれば塔も建てなくてもよいのです、どうせ馬鹿なのっそり十兵衛は死んでもよいのでござりまする、腰抜鋸のように生きていたくもないのですわ、其夜からというものは真実、真実でござりまする上人様、晴れて居る空を見ても燈光の達かぬ室の隅の暗いところを見ても、白木造りの五重の塔がぬっと突っ立って私を見下しておりまするわ、とうとう自分が造りたい気になって、とても及ばぬとは知りながら毎日仕事を終るとすぐに夜を籠めて五十分一の雛形をつくり、昨夜でちょうど仕上げました、見に来て下されお上人様、頼まれもせぬ仕事はできてしたい仕事はできない口惜しさ、ええ不運ほど情ないものはないと私が歎けばお上人様、なまじできずば不運も知るまいと女房めが其雛形をば揺り動かしての述懐、無理とは聞えぬだけによけい泣きました、お上人様お慈悲に今度の五重塔は私に建てさせて下され、拝みます、こここの通り、と両手を合わせて頭を畳に、涙は塵を浮べたり。
其七
木彫りの羅漢のように黙々と坐りて、菩提樹の実の珠数繰りながら十兵衛が埒なき述懐に耳を傾け居られし上人、十兵衛が頭を下ぐるを制しとどめて、わかりました、よく合点が行きました、ああ殊勝な心がけを持って居らるる、立派な考えを蓄えていらるる、学徒どもの示しにもしたいような、老衲も思わず涙のこぼれました、五十分一の雛形とやらも是非見にまいりましょう、しかし汝に感服したればとて今すぐに五重の塔の工事を汝に任するわと、軽忽なことを老衲の独断で言うわけにもならねば、これだけは明瞭とことわっておきまする、いずれ頼むとも頼まぬともそれは表立って、老衲からではなく感応寺から沙汰をしましょう、ともかくも幸い今日は閑暇のあれば汝が作った雛形を見たし、案内してこれよりすぐに汝が家へ老衲を連れて行てはくれぬか、とすこしも辺幅を飾らぬ人の、義理明らかに言葉渋滞なく云いたまえば、十兵衛満面に笑みを含みつつ米舂くごとくむやみに頭を下げて、はい、はい、はいと答えおりしが、願いをお取り上げ下されましたか、ああありがとうござりまする、野生の宅へおいで下さりますると、ああもったいない、雛形はじきに野生めが持ってまいりまする、御免下され、と云いさまさすがののっそりも喜悦に狂して平素には似ず、大げさに一つぽっくりと礼をばするや否や、飛石に蹴躓きながら駈け出してわが家に帰り、帰ったと一言女房にも云わず、いきなりに雛形持ち出して人を頼み、二人して息せき急ぎ感応寺へと持ち込み、上人が前にさし置きて帰りけるが、上人これを熟視たまうに、初重より五重までの配合、屋根庇廂の勾配、腰の高さ、椽木の割賦、九輪請花露盤宝珠の体裁までどこに可厭なるところもなく、水際立ったる細工ぶり、これがあの不器用らしき男の手にてできたるものかと疑わるるほど巧緻なれば、独りひそかに歎じたまいて、かほどの技倆をもちながら空しく埋もれ、名を発せず世を経るものもあることか、傍眼にさえも気の毒なるを当人の身となりてはいかに口惜しきことならん、あわれかかるものに成るべきならば功名を得させて、多年抱ける心願に負かざらしめたし、草木とともに朽ちて行く人の身はもとより因縁仮和合、よしや惜しむとも惜しみて甲斐なく止めて止まらねど、たとえば木匠の道は小なるにせよそれに一心の誠を委ね生命をかけて、欲も大概は忘れ卑劣き念も起さず、ただただ鑿をもってはよく穿らんことを思い、鉋を持ってはよく削らんことを思う心の尊さは金にも銀にも比えがたきを、わずかに残す便宜もなくていたずらに北※(「氓のへん+おおざと」、第3水準1-92-61)の土に没め、冥途の苞と齎し去らしめんこと思えば憫然至極なり、良馬主を得ざるの悲しみ、高士世に容れられざるの恨みも詮ずるところは異ることなし、よしよし、我図らずも十兵衛が胸に懐ける無価の宝珠の微光を認めしこそ縁なれ、こたびの工事を彼に命け、せめては少しの報酬をば彼が誠実の心に得させんと思われけるが、ふと思いよりたまえば川越の源太もこの工事をことのほかに望める上、彼には本堂庫裏客殿作らせし因みもあり、しかも設計予算まではや做し出してわが眼に入れしも四五日前なり、手腕は彼とて鈍きにあらず、人の信用ははるかに十兵衛に超えたり。一ツの工事に二人の番匠、これにもさせたし彼にもさせたし、いずれにせんと上人もさすがこれには迷われける。
其八
明日辰の刻ごろまでに自身当寺へ来たるべし、かねてその方工事仰せつけられたきむね願いたる五重塔の儀につき、上人直接にお話示あるべきよしなれば、衣服等失礼なきよう心得て出頭せよと、厳格に口上を演ぶるは弁舌自慢の円珍とて、唐辛子をむざと嗜み食える祟り鼻の頭にあらわれたる滑稽納所。平日ならば南蛮和尚といえる諢名を呼びて戯談口きき合うべき間なれど、本堂建立中朝夕顔を見しよりおのずと狎れし馴染みも今は薄くなりたる上、使僧らしゅう威儀をつくろいて、人さし指中指の二本でややもすれば兜背形の頭顱の頂上を掻く癖ある手をも法衣の袖に殊勝くさく隠蔽し居るに、源太も敬い謹んで承知の旨を頭下げつつ答えけるが、如才なきお吉はわが夫をかかる俗僧にまでよく評わせんとてか帰り際に、出したままにして行く茶菓子とともに幾干銭か包み込み、是非にというて取らせけるは、思えばけしからぬ布施のしようなり。円珍十兵衛が家にも詣りて同じことを演べ帰りけるが、さてその翌日となれば源太は鬚剃り月代して衣服をあらため、今日こそは上人のみずから我に御用仰せつけらるるなるべけれと勢い込んで、庫裏より通り、とある一ト間に待たされて坐を正しくし扣えける。
態こそ異れ十兵衛も心は同じ張りをもち、導かるるまま打ち通りて、人気のなきに寒さ湧く一室の中にただ一人兀然として、今や上人の招びたまうか、五重の塔の工事一切汝に任すと命令たまうか、もしまた我には命じたまわず源太に任すと定めたまいしを我にことわるため招ばれしか、そうにもあらば何とせん、浮むよしなき埋れ木のわが身の末に花咲かん頼みも永くなくなるべし、ただ願わくは上人のわが愚かしきを憐れみて我に命令たまわんことをと、九尺二枚の唐襖に金鳳銀凰翔り舞うその箔模様の美しきも眼に止めずして、茫々と暗路に物を探るごとく念想を空に漂わすことやや久しきところへ、例の怜悧げな小僧いで来たりて、方丈さまの召しますほどにこちらへおいでなされまし、と先に立って案内すれば、すわや願望のかなうともかなわざるとも定まる時ぞと魯鈍の男も胸を騒がせ、導かるるまま随いて一室の中へずっと入る、途端にこなたをぎろりっと見る眼鋭く怒りを含んで斜めに睨むは思いがけなき源太にて、座に上人の影もなし。事の意外に十兵衛も足踏みとめて突っ立ったるまま一言もなく白眼合いしが、是非なく畳二ひらばかりを隔てしところにようやく坐り、力なげ首悄然と己れが膝に気勢のなきたそうなる眼を注ぎ居るに引き替え、源太郎は小狗を瞰下す猛鷲の風に臨んで千尺の巌の上に立つ風情、腹に十分の強みを抱きて、背をも屈げねば肩をも歪めず、すっきり端然と構えたる風姿といい面貌といい水際立ったる男振り、万人が万人とも好かずには居られまじき天晴れ小気味のよき好漢なり。
されども世俗の見解には堕ちぬ心の明鏡に照らしてかれこれともに愛し、表面の美醜に露泥まれざる上人のかえっていずれをとも昨日までは択びかねられしが、思いつかるることのありてか今日はわざわざ二人を招び出されて一室に待たせおかれしが、今しも静々居間を出でられ、畳踏まるる足も軽く、先に立ったる小僧が襖明くる後より、すっと入りて座につきたまえば、二人は恭い敬みてともに斉しく頭を下げ、しばらく上げも得せざりしが、ああいじらしや十兵衛が辛くも上げし面には、まだ世馴れざる里の子の貴人の前に出でしように羞を含みて紅潮し、額の皺の幾条の溝には沁出し熱汗を湛え、鼻の頭にも珠を湧かせば腋の下には雨なるべし。膝におきたる骨太の掌指は枯れたる松が枝ごとき岩畳作りにありながら、一本ごとにそれさえもわなわな顫えて一心にただ上人の一言を一期の大事と待つ笑止さ。
源太も黙して言葉なく耳を澄まして命を待つ、どちらをどちらと判けかぬる、二人の情を汲みて知る上人もまたなかなかに口を開かん便宜なく、しばしは静まりかえられしが、源太十兵衛ともに聞け、今度建つべき五重塔はただ一ツにて建てんというは汝たち二人、二人の願いを双方とも聞き届けてはやりたけれど、それはもとよりかないがたく、一人に任さば一人の歎き、誰に定めて命けんという標準のあるではなし、役僧用人らの分別にも及ばねば老僧が分別にも及ばぬほどに、この分別は汝たちの相談に任す、老僧は関わぬ、汝たちの相談の纏まりたる通り取り上げてやるべければ、よく家に帰って相談して来よ、老僧が云うべきことはこれぎりじゃによってそう心得て帰るがよいぞ、さあしかと云い渡したぞ、もはや帰ってもよい、しかし今日は老僧も閑暇で退屈なれば茶話しの相手になってしばらくいてくれ、浮世の噂なんど老衲に聞かせてくれぬか、その代り老僧も古い話しのおかしなを二ツ三ツ昨日見出したを話して聞かそう、と笑顔やさしく、朋友かなんぞのように二人をあしろうて、さて何事を云い出さるるやら。
其九
小僧がもって来し茶を上人みずから汲みたまいてすすめらるれば、二人とももったいながりて恐れ入りながら頂戴するを、そう遠慮されては言葉に角が取れいで話が丸う行かぬわ、さあ菓子も挾んではやらぬから勝手に摘んでくれ、と高坏推しやりてみずからも天目取り上げ喉を湿したまい、面白い話というも桑門の老僧らにはそうたくさんないものながら、このごろ読んだお経の中につくづくなるほどと感心したことのある、聞いてくれこういう話しじゃ、むかしある国の長者が二人の子を引きつれてうららかな天気の節に、香りのする花の咲き軟らかな草の滋って居る広野を愉快げに遊行したところ、水は大分に夏の初めゆえ涸れたれどなお清らかに流れて岸を洗うて居る大きな川に出で逢うた、その川の中には珠のような小磧やら銀のような砂でできて居る美しい洲のあったれば、長者は興に乗じて一尋ばかりの流れを無造作に飛び越え、あなたこなたを見廻せば、洲の後面の方もまた一尋ほどの流れで陸と隔てられたる別世界、まるで浮世のなまぐさい土地とは懸絶れた清浄の地であったまま独り歓び喜んで踊躍したが、渉ろうとしても渉り得ない二人の児童が羨ましがって喚び叫ぶを可憐に思い、汝たちには来ることのできぬ清浄の地であるが、さほどに来たくば渡らしてやるほどに待っていよ、見よ見よわが足下のこの磧は一々蓮華の形状をなし居る世に珍しき磧なり、わが眼の前のこの砂は一々五金の光をもてる比類まれなる砂なるぞと説き示せば、二人は遠眼にそれを見ていよいよ焦躁り渡ろうとするを、長者は徐かに制しながら、洪水の時にても根こぎになったるらしき棕櫚の樹の一尋余りなを架け渡して橋としてやったに、我が先へ汝は後にと兄弟争い鬩いだ末、兄は兄だけ力強く弟をついに投げ伏せて我意の勝を得たに誇り高ぶり、急ぎその橋を渡りかけ半途にようやく到りし時、弟は起き上りさま口惜しさに力を籠めて橋をうごかせば兄はたちまち水に落ち、苦しみ※(「足へん+宛」、第3水準1-92-36)いて洲に達せしが、この時弟ははやその橋を難なく渡り超えかくるを見るより兄もその橋の端を一揺り揺り動かせば、もとより丸木の橋なるゆえ弟も堪らず水に落ち、わずかに長者の立ったるところへ濡れ滴りて這い上った、その時長者は歎息して、汝たちには何と見ゆる、今汝らが足踏みかけしよりこの洲はたちまち前と異なり、磧は黒く醜くなり沙は黄ばめる普通の沙となれり、見よ見よいかにと告げ知らするに二人は驚き、眼を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)りて見れば全く父の言葉に少しも違わぬ沙磧、ああかかるもの取らんとて可愛き弟を悩ませしか、尊き兄を溺らせしかと兄弟ともに慚じ悲しみて、弟の袂を兄は絞り兄の衣裾を弟は絞りて互いにいたわり慰めけるが、かの橋をまた引き来たりて洲の後面なる流れに打ちかけ、はやこの洲には用なければなおもあなたに遊び歩かん、汝たちまずこれを渡れと、長者の言葉に兄弟は顔を見合いて先刻には似ず、兄上先にお渡りなされ、弟よ先に渡るがよいと譲り合いしが、年順なれば兄まず渡るその時に、転びやすきを気遣いて弟は端を揺がぬようしかと抑ゆる、その次に弟渡れば兄もまた揺がぬように抑えやり、長者は苦なく飛び越えて、三人ともにいと長閑くそぞろに歩むそのうちに、兄が図らず拾いし石を弟が見れば美しき蓮華の形をなせる石、弟が摘み上げたる砂を兄が覗けば眼も眩く五金の光を放ちていたるに、兄弟ともども歓喜び楽しみ、互いに得たる幸福を互いに深く讃歎し合う、その時長者は懐中より真実の璧の蓮華を取り出し兄に与えて、弟にも真実の砂金を袖より出して大切にせよと与えたという、話してしまえば小供欺しのようじゃが仏説に虚言はない、小児欺しでは決してない、噛みしめて見よ味のある話しではないか、どうじゃ汝たちにも面白いか、老僧には大層面白いが、と軽く云われて深く浸む、譬喩方便も御胸の中にもたるる真実から。源太十兵衛二人とも顔見合わせて茫然たり。
其十
感応寺よりの帰り道、半分は死んだようになって十兵衛、どんつく布子の袖組み合わせ、腕拱きつつうかうか歩き、お上人様のああおっしゃったはどちらか一方おとなしく譲れと諭しの謎々とは、何ほど愚鈍な我にも知れたが、ああ譲りたくないものじゃ、せっかく丹誠に丹誠凝らして、定めし冷えて寒かろうにお寝みなされと親切でしてくるる女房の世話までを、黙っていよよけいなと叱り飛ばして夜の眼も合わさず、工夫に工夫を積み重ね、今度という今度は一世一代、腕一杯の物を建てたら死んでも恨みはないとまで思い込んだに、悲しや上人様の今日のお諭し、道理には違いないそうもなければならぬことじゃが、これを譲っていつまた五重塔の建つという的のあるではなし、一生とてもこの十兵衛は世に出ることのならぬ身か、ああ情ない恨めしい、天道様が恨めしい、尊い上人様のお慈悲は充分わかっていて露ばかりもありがとうなくは思わぬが、ああどうにもこうにもならぬことじゃ、相手は恩のある源太親方、それに恨みの向けようもなし、どうしてもこうしても温順に此方の身を退くよりほかに思案も何もないか、ああないか、というて今さら残念な、なまじこのようなことおもいたたずに、のっそりだけで済ましていたらばこのように残念な苦悩もすまいものを、分際忘れた我が悪かった、ああ我が悪い、我が悪い、けれども、ええ、けれども、ええ、思うまい思うまい、十兵衛がのっそりで浮世の怜悧な人たちの物笑いになってしまえばそれで済むのじゃ、連れ添う女房にまでも内々活用の利かぬ夫じゃと喞たれながら、夢のように生きて夢のように死んでしまえばそれで済むこと、あきらめて見れば情ない、つくづく世間がつまらない、あんまり世間が酷過ぎる、と思うのもやっぱり愚痴か、愚痴か知らねど情な過ぎるが、言わず語らず諭された上人様のあのお言葉の真実のところを味わえば、あくまでお慈悲の深いのが五臓六腑に浸み透って未練な愚痴の出端もないわけ、争う二人をどちらにも傷つかぬよう捌きたまい、末の末までともによかれと兄弟の子に事寄せて尚いお経を解きほぐして、噛んで含めて下さったあのお話に比べて見ればもとより我は弟の身、ひとしお他に譲らねば人間らしくもないものになる、ああ弟とは辛いものじゃと、路も見分かで屈托の眼は涙に曇りつつ、とぼとぼとして何一ツ愉快もなきわが家の方に、糸で曳かるる木偶のように我を忘れて行く途中、この馬鹿野郎発狂漢め、我のせっかく洗ったものに何する、馬鹿めとだしぬけに噛みつくごとく罵られ、癇張声に胆を冷やしてハッと思えばぐゎらり顛倒、手桶枕に立てかけありし張物板に、我知らず一足二足踏みかけて踏み覆したる不体裁さ。
尻餅ついて驚くところを、狐憑[#ルビの「きつねつ」は底本では「きつねつつ」]きめ忌々しい、と駄力ばかりは近江のお兼、顔は子供の福笑戯に眼をつけ歪めた多福面のごとき房州出らしき下婢の憤怒、拳を挙げて丁と打ち猿臂を伸ばして突き飛ばせば、十兵衛堪らず汚塵に塗れ、はいはい、狐に誑まれました御免なされ、と云いながら悪口雑言聞き捨てに痛さを忍びて逃げ走り、ようやくわが家に帰りつけば、おおお帰りか、遅いのでどういうことかと案じていました、まあ塵埃まぶれになってどうなされました、と払いにかかるを、構うなと一言、気のなさそうな声で打ち消す。その顔を覗き込む女房の真実心配そうなを見て、何か知らず無性に悲しくなってじっと湿みのさしくる眼、自分で自分を叱るように、ええと図らず声を出し、煙草を捻って何気なくもてなすことはもてなすものの言葉もなし。平時に変れる状態を大方それと推察してさて慰むる便もなく、問うてよきやら問わぬがよきやら心にかかる今日の首尾をも、口には出して尋ね得ぬ女房は胸を痛めつつ、その一本は杉箸で辛くも用を足す火箸に挾んで添える消炭の、あわれ甲斐なき火力を頼り土瓶の茶をば温むるところへ、遊びに出たる猪之の戻りて、やあ父様帰って来たな、父様も建てるか坊も建てたぞ、これ見てくれ、とさも勇ましく障子を明けて褒められたさが一杯に罪なくにこりと笑いながら、指さし示す塔の模形。母は襦袢の袖を噛み声も得たてず泣き出せば、十兵衛涙に浮くばかりの円の眼を剥き出し、まじろぎもせでぐいと睨めしが、おおでかしたでかした、よくできた、褒美をやろう、ハッハハハと咽び笑いの声高く屋の棟にまで響かせしが、そのまま頭を天に対わし、ああ、弟とは辛いなあ。
其十一
格子開くる響き爽やかなること常のごとく、お吉、今帰った、と元気よげに上り来たる夫の声を聞くより、心配を輪に吹き吹き吸うていし煙草管を邪見至極に抛り出して忙わしく立ち迎え、大層遅かったではないか、と云いつつ背面へ廻って羽織を脱がせ、立ちながら腮に手伝わせての袖畳み小早く室隅の方にそのままさし置き、火鉢の傍へすぐまた戻ってたちまち鉄瓶に松虫の音を発させ、むずと大胡坐かき込み居る男の顔をちょっと見しなに、日は暖かでも風が冷たく途中は随分寒ましたろ、一瓶煖酒ましょか、と痒いところへよく届かす手は口をきくその間に、がたぴしさせず膳ごしらえ、三輪漬は柚の香ゆかしく、大根卸で食わする※(「魚+生」、第3水準1-94-39)卵は無造作にして気が利きたり。
源太胸には苦慮あれども幾らかこれに慰められて、猪口把りさまに二三杯、後一杯を漫く飲んで、汝も飲れと与うれば、お吉一口、つけて、置き、焼きかけの海苔畳み折って、追っつけ三子の来そうなもの、と魚屋の名を独り語しつ、猪口を返して酌せし後、上々吉と腹に思えば動かす舌も滑らかに、それはそうと今日の首尾は、大丈夫此方のものとは極めていても、知らせて下さらぬうちは無益な苦労を妾はします、お上人様は何と仰せか、またのっそりめはどうなったか、そう真面目顔でむっつりとして居られては心配で心配でなりませぬ、と云われて源太は高笑い。案じてもらうことはない、お慈悲の深い上人様はどの道我を好漢にして下さるのよ、ハハハ、なあお吉、弟を可愛がればいい兄きではないか、腹の饑ったものには自分が少しは辛くても飯を分けてやらねばならぬ場合もある、他の怖いことは一厘ないが強いばかりが男児ではないなあ、ハハハ、じっと堪忍して無理に弱くなるのも男児だ、ああ立派な男児だ、五重塔は名誉の工事、ただ我一人でものの見事に千年壊れぬ名物を万人の眼に残したいが、他の手も知恵も寸分交ぜず川越の源太が手腕だけで遺したいが、ああ癇癪を堪忍するのが、ええ、男児だ、男児だ、なるほどいい男児だ、上人様に虚言はない、せっかく望みをかけた工事を半分他にくれるのはつくづく忌々しけれど、ああ、辛いが、ええ兄きだ、ハハハ、お吉、我はのっそりに半口やって二人で塔を建てようとおもうわ、立派な弱い男児か、賞めてくれ賞めてくれ、汝にでも賞めてもらわなくてはあまり張合いのない話しだ、ハハハと嬉しそうな顔もせで意味のない声ばかりはずませて笑えば、お吉は夫の気を量りかね、上人様が何とおっしゃったか知らぬが妾にはさっぱり分らずちっとも面白くない話し、唐偏朴のあののっそりめに半口やるとはどういうわけ、日ごろの気性にも似合わない、やるものならば未練気なしにすっかりやってしまうが好いし、もとより此方で取るはずなれば要りもせぬ助太刀頼んで、一人の首を二人で切るような卑劣なことをするにも当らないではありませぬか、冷水で洗ったような清潔な腹をもって居ると他にも云われ自分でも常々云うていた汝が、今日に限って何という煮えきれない分別、女の妾から見ても意地の足らないぐずぐず思案、賞めませぬ賞めませぬ、どうしてなかなか賞められませぬ、高が相手は此方の恩を受けて居るのっそりめ、一体ならば此方の仕事を先潜りする太い奴と高飛車に叱りつけて、ぐうの音も出させぬようにすればなるのっそりめを、そう甘やかして胸の焼ける連名工事をなんでするに当るはずのあろうぞ、甘いばかりが立派のことか、弱いばかりが好い男児か、妾の虫には受け取れませぬ、なんなら妾が一ト走りのっそりめのところに行って、重々恐れ入りましたと思い切らせて謝罪らせて両手を突かせて来ましょうか、と女賢しき夫思い。源太は聞いて冷笑い、何が汝にわかるものか、我のすることを好いとおもうていてさえくるればそれでよいのよ。
其十二
色も香もなく一言に黙っていよとやり込められて、聴かぬ気のお吉顔ふり上げ何か云い出したげなりしが、自己よりは一倍きかぬ気の夫の制するものを、押し返して何ほど云うとも機嫌を損ずることこそはあれ、口答えの甲斐は露なきを経験あって知り居れば、連れ添うものに心の奥を語り明かして相談かけざる夫を恨めしくはおもいながら、そこは怜悧の女の分別早く、何も妾が遮って女の癖に要らざる嘴を出すではなけれど、つい気にかかる仕事の話しゆえ思わず様子の聞きたくて、よけいなことも胸の狭いだけに饒舌ったわけ、と自分が真実籠めし言葉をわざとごくごく軽うしてしもうて、どこまでも夫の分別に従うよう表面を粧うも、幾らか夫の腹の底にある煩悶を殺いでやりたさよりの真実。源太もこれに角張りかかった顔をやわらげ、何ごとも皆天運じゃ、此方の了見さえ温順に和しくもっていたならまた好いことの廻って来ようと、こうおもって見ればのっそりに半口やるもかえって好い心持、世間は気次第で忌々しくも面白くもなるものゆえ、できるだけは卑劣な※(「金+肅」、第3水準1-93-39)を根性に着けず瀟洒と世を奇麗に渡りさえすればそれで好いわ、と云いさしてぐいと仰飲ぎ、後は芝居の噂やら弟子どもが行状の噂、真に罪なき雑話を下物に酒も過ぎぬほど心よく飲んで、下卑た体裁ではあれどとり膳睦まじく飯を喫了り、多方もう十兵衛が来そうなものと何事もせず待ちかくるに、時は空しく経過て障子の日※(「日/咎」、第3水準1-85-32)一尺動けどなお見えず、二尺も移れどなお見えず。
是非先方より頭を低くし身を縮めて此方へ相談に来たり、何とぞ半分なりと仕事をわけて下されと、今日の上人様のお慈愛深きお言葉を頼りに泣きついても頼みをかけべきに、何としてこうは遅きや、思いあきらめて望みを捨て、もはや相談にも及ばずとて独りわが家に燻り居るか、それともまた此方より行くを待って居るか、もしも此方の行くを待って居るということならばあまり増長した了見なれど、まさかにそのような高慢気も出すまじ、例ののっそりで悠長に構えて居るだけのことならんが、さても気の長い男め迂濶にもほどのあれと、煙草ばかりいたずらに喫かしいて、待つには短き日も随分長かりしに、それさえ暮れて群烏塒に帰るころとなれば、さすがに心おもしろからずようやく癇癪の起り起りて耐えきれずなりし潮先、据えられし晩食の膳に対うとそのまま云いわけばかりに箸をつけて茶さえゆるりとは飲まず、お吉、十兵衛めがところにちょっと行て来る、行違いになって不在へ来ば待たしておけ、と云う言葉さえとげとげしく怒りを含んで立ち出でかかれば、気にはかかれど何とせん方もなく、女房は送って出したる後にて、ただ溜息をするのみなり。
其十三
渋って開きかぬる雨戸にひとしお源太は癇癪の火の手を亢らせつつ、力まかせにがちがち引き退け、十兵衛家にか、と云いさまにつとはいれば、声色知ったるお浪早くもそれと悟って、恩あるその人の敵に今は立ち居る十兵衛に連れ添える身の面を対すこと辛く、女気の繊弱くも胸をどきつかせながら、まあ親方様、とただ一言我知らず云い出したるぎり挨拶さえどぎまぎして急には二の句の出ざるうち、煤けし紙に針の孔、油染みなんど多き行燈の小蔭に悄然と坐り込める十兵衛を見かけて源太にずっと通られ、あわてて火鉢の前に請ずる機転の遅鈍も、正直ばかりで世態を知悉まぬ姿なるべし。
十兵衛は不束に一礼して重げに口を開き、明日の朝参上ろうとおもうておりました、といえばじろりとその顔下眼に睨み、わざと泰然たる源太、おお、そういう其方のつもりであったか、こっちは例の気短ゆえ今しがたまで待っていたが、いつになって汝の来るか知れたことではないとして出かけて来ただけ馬鹿であったか、ハハハ、しかし十兵衛、汝は今日の上人様のあのお言葉をなんと聞いたか、両人でよくよく相談して来よと云われた揚句に長者の二人の児のお話し、それでわざわざ相談に来たが汝も大抵分別はもう定めて居るであろう、我も随分虫持ちだが悟って見ればあの譬諭の通り、尖りあうのは互いにつまらぬこと、まんざら敵同士でもないに身勝手ばかりは我も云わぬ、つまりは和熟した決定のところが欲しいゆえに、我欲は充分折って摧いて思案を凝らして来たものの、なお汝の了見も腹蔵のないところを聞きたく、その上にまたどうともしようと、我も男児なりゃ汚い謀計を腹には持たぬ、真実にこうおもうて来たわ、と言葉をしばしとどめて十兵衛が顔を見るに、俯伏いたままただはい、はいと答うるのみにて、乱鬢の中に五六本の白髪が瞬く燈火の光を受けてちらりちらりと見ゆるばかり。お浪ははや寝し猪の助が枕の方につい坐って、呼吸さえせぬようこれもまた静まりかえり居る淋しさ。かえって遠くに売りあるく鍋焼饂飩の呼び声の、幽かに外方より家の中に浸みこみ来たるほどなりけり。
源太はいよいよ気を静め、語気なだらかに説き出すは、まあ遠慮もなく外見もつくらず我の方から打ち明けようが、なんと十兵衛こうしてはくれぬか、せっかく汝も望みをかけ天晴れ名誉の仕事をして持ったる腕の光をあらわし、欲徳ではない職人の本望を見事に遂げて、末代に十兵衛という男が意匠ぶり細工ぶりこれ視て知れと残そうつもりであろうが、察しもつこう我とてもそれは同じこと、さらにあるべき普請ではなし、取り外っては一生にまた出逢うことはおぼつかないなれば、源太は源太で我が意匠ぶり細工ぶりを是非遺したいは、理屈を自分のためにつけて云えば我はまあ感応寺の出入り、汝はなんの縁もないなり、我は先口、汝は後なり、我は頼まれて設計までしたに汝は頼まれはせず、他の口から云うたらばまた我は受け負うても相応、汝が身柄では不相応と誰しも難をするであろう、だとて我が今理屈を味方にするでもない、世間を味方にするでもない、汝が手腕のありながら不幸せで居るというも知って居る、汝が平素薄命を口へこそ出さね、腹の底ではどのくらい泣いて居るというも知って居る、我を汝の身にしては堪忍のできぬほど悲しい一生というも知って居る、それゆえにこそ去年一昨年なんにもならぬことではあるが、まあできるだけの世話はしたつもり、しかし恩に被せるとおもうてくれるな、上人様だとて汝の清潔な腹の中をお洞察になったればこそ、汝の薄命を気の毒とおもわれたればこそ今日のようなお諭し、我も汝が欲かなんぞで対岸にまわる奴ならば、我の仕事に邪魔を入れる猪口才な死節野郎と一釿に脳天打っ欠かずにはおかぬが、つくづく汝の身を察すればいっそ仕事もくれたいような気のするほど、というて我も欲は捨て断れぬ、仕事は真実どうあってもしたいわ、そこで十兵衛、聞いてももらいにくく云うても退けにくい相談じゃが、まあこうじゃ、堪忍して承知してくれ、五重塔は二人で建ちょう、我を主にして汝不足でもあろうが副になって力を仮してはくれまいか、不足ではあろうが、まあ厭でもあろうが源太が頼む、聴いてはくれまいか、頼む頼む、頼むのじゃ、黙って居るのは聴いてくれぬか、お浪さんも我の云うことのわかったならどうぞ口を副えて聴いてもらっては下さらぬか、と脆くも涙になりいる女房にまで頼めば、お、お、親方様、ええありがとうござりまする、どこにこのような御親切の相談かけて下さる方のまたあろうか、なぜお礼をば云われぬか、と左の袖は露時雨、涙に重くなしながら、夫の膝を右の手で揺り動かしつ掻き口説けど、先刻より無言の仏となりし十兵衛何ともなお言わず、再度三度かきくどけど黙黙として[#「黙黙として」はママ]なお言わざりしが、やがて垂れたる首を抬げ、どうも十兵衛それは厭でござりまする、と無愛想に放つ一言、吐胸をついて驚く女房。なんと、と一声烈しく鋭く、頸首反らす一二寸、眼に角たててのっそりをまっ向よりして瞰下す源太。
其十四
人情の花も失くさず義理の幹もしっかり立てて、普通のものにはできざるべき親切の相談を、一方ならぬ実意のあればこそ源太のかけてくれしに、いかに伐って抛げ出したような性質がさする返答なればとて、十兵衛厭でござりまするとはあまりなる挨拶、他の情愛のまるでわからぬ土人形でもこうは云うまじきを、さりとては恨めしいほど没義道な、口惜しいほど無分別な、どうすればそのように無茶なる夫の了見と、お浪は呆れもし驚きもしわが身の急に絞木にかけて絞めらるるごとき心地のして、思わず知らず夫にすり寄り、それはまあなんということ、親方様があれほどにあなたこなたのためを計って、見るかげもないこの方連れ、云わば一ト足に蹴落しておしまいなさるることもなさらばできるこの方連れに、大抵ではないお情をかけて下され、御自分一人でなさりたい仕事をも分けてやろう半口乗せてくりょうと、身に浸みるほどありがたい御親切の御相談、しかもお招喚にでもなってでのことか、坐蒲団さえあげることのならぬこのようなところへわざわざおいでになってのお話し、それを無にしてもったいない、十兵衛厭でござりまするとは冥利の尽きた我儘勝手、親方様の御親切の分らぬはずはなかろうに胴欲なも無遠慮なも大方程度のあったもの、これこの妾の今着て居るのも去年の冬の取りつきに袷姿の寒げなを気の毒がられてお吉様の、縫直して着よと下されたのとは汝の眼には暎らぬか、一方ならぬ御恩を受けていながら親方様の対岸へ廻るさえあるに、それを小癪なとも恩知らずなともおっしゃらず、どこまでも弱い者を愛護うて下さるお仁慈深い御分別にも頼り縋らいで一概に厭じゃとは、たとえば真底から厭にせよ記臆のある人間の口から出せた言葉でござりまするか、親方様の手前お吉様の所思をもよくとっくりと考えて見て下され、妾はもはやこれから先どの顔さげてあつかましくお吉様のお眼にかかることのなるものぞ、親方様はお胸の広うて、ああ十兵衛夫婦はわけの分らぬ愚か者なりゃ是も非もないと、そのまま何とも思しめされずただ打ち捨てて下さるか知らねど、世間は汝を何と云おう、恩知らずめ義理知らずめ、人情解せぬ畜生め、あれ奴は犬じゃ烏じゃと万人の指甲に弾かれものとなるは必定、犬や烏と身をなして仕事をしたとて何の功名、欲をかわくな齷齪するなと常々妾に諭された自分の言葉に対しても恥かしゅうはおもわれぬか、どうぞ柔順に親方様の御異見について下さりませ、天に聳ゆる生雲塔は誰々二人で作ったと、親方様ともろともに肩を並べて世に称わるれば、汝の苦労の甲斐も立ち親方様のありがたいお芳志も知るる道理、妾もどのように嬉しかろか喜ばしかろか、もしそうなれば不足というは薬にしたくもないはずなるに、汝は天魔に魅られてそれをまだまだ不足じゃとおもわるるのか、ああ情ない、妾が云わずと知れている汝自身の身のほどを、身の分際を忘れてか、と泣き声になり掻き口説く女房の頭は低く垂れて、髷にさされし縫針の孔が啣えし一条の糸ゆらゆらと振うにも、千々に砕くる心の態の知られていとどいじらしきに、眼を瞑ぎいし十兵衛は、その時例の濁声出し、喧しいわお浪、黙っていよ、我の話しの邪魔になる、親方様聞いて下され。
其十五
思いの中に激すればや、じたじたと慄い出す膝の頭をしっかと寄せ合わせて、その上に両手突っ張り、身を固くして十兵衛は、情ない親方様、二人でしょうとは情ない、十兵衛に半分仕事を譲って下さりょうとはお慈悲のようで情ない、厭でござります、厭でござります、塔の建てたいは山々でももう十兵衛は断念めておりまする、お上人様のお諭しを聞いてからの帰り道すっぱり思いあきらめました、身のほどにもない考えを持ったが間違い、ああ私が馬鹿でござりました、のっそりはどこまでものっそりで馬鹿にさえなって居ればそれでよいわけ、溝板でもたたいて一生を終りましょう、親方様堪忍して下され我が悪い、塔を建ちょうとはもう申しませぬ、見ず知らずの他の人ではなし御恩になった親方様の、一人で立派に建てらるるをよそながら視て喜びましょう、と元気なげに云い出づるを走り気の源太ゆるりとは聴いていず、ずいと身を進めて、馬鹿を云え十兵衛、あまり道理が分らな過ぎる、上人様のお諭しは汝一人に聴けというてなされたではない我が耳にも入れられたは、汝の腹でも聞いたらば我の胸でも受け取った、汝一人に重石を背負ってそう沈まれてしもうては源太が男になれるかやい、つまらぬ思案に身を退いて馬鹿にさえなって居ればよいとは、分別が摯実過ぎて至当とは云われまいぞ、おおそうならば我がすると得たりかしこで引き受けては、上人様にも恥かしく第一源太がせっかく磨いた侠気もそこで廃ってしまうし、汝はもとより虻蜂取らず、知恵のないにもほどのあるもの、そしては二人が何よかろう、さあそれゆえに美しく二人で仕事をしょうというに、少しは気まずいところがあってもそれはお互い、汝が不足なほどにこっちにも面白くないのあるは知れきったことなれば、双方忍耐しあうとして忍耐のできぬわけはないはず、何もわざわざ骨を折って汝が馬鹿になってしまい、幾日の心配を煙と消やし天晴れな手腕を寝せ殺しにするにも当らない、のう十兵衛、我の云うのが腑に落ちたら思案をがらりとし変えてくれ、源太は無理は云わぬつもりだ、これさなぜ黙って居る、不足か不承知か、承知してはくれないか、ええ我の了見をまだ呑み込んではくれないか、十兵衛、あんまり情ないではないか、何とか云うてくれ、不承知か不承知か、ええ情ない、黙って居られてはわからない、我の云うのが不道理か、それとも不足で腹立ててか、と義には強くて情には弱く意地も立つれば親切も飽くまで徹す江戸ッ子腹の、源太は柔和く問いかくれば、聞き居るお浪は嬉しさの骨身に浸みて、親方様ああありがとうござりますると口には出さねど、舌よりも真実を語る涙をば溢らす眼に、返辞せぬ夫の方を気遣いて、見れば男は露一厘身動きなさず無言にて思案の頭重く低れ、ぽろりぽろりと膝の上に散らす涙珠の零ちて声あり。
源太も今は無言となりしばらくひとり考えしが、十兵衛汝はまだわからぬか、それとも不足とおもうのか、なるほどせっかく望んだことを二人でするは口惜しかろ、しかも源太を心にして副になるのは口惜しかろ、ええ負けてやれこうしてやろう、源太は副になってもよい汝を心に立てるほどに、さあさあ清く承知して二人でしょうと合点せい、と己が望みは無理に折り、思いきってぞ云い放つ。とッとんでもない親方様、たとえ十兵衛気が狂えばとてどうしてそうはできますものぞ、もったいない、とあわてて云うに、そうなら我の異見につくか、とただ一言に返されて、それは、と窮るをまた追っかけ、汝を心に立てようか乃至それでも不足か、と烈しく突かれて度を失う傍にて女房が気もわくせき、親方様の御異見になぜまあ早く付かれぬ、と責むるがごとく恨みわび、言葉そぞろに勧むれば十兵衛ついに絶体絶命、下げたる頭を徐かに上げ円の眼を剥き出して、一ツの仕事を二人でするは、よしや十兵衛心になっても副になっても、厭なりゃどうしてもできませぬ、親方一人でお建てなされ、私は馬鹿で終りまする、と皆まで云わせず源太は怒って、これほど事を分けて云う我の親切を無にしてもか。はい、ありがとうはござりまするが、虚言は申せず、厭なりゃできませぬ。汝よく云った、源太の言葉にどうでもつかぬか。是非ないことでござります。やあ覚えていよこののっそりめ、他の情の分らぬ奴、そのようのこと云えた義理か、よしよし汝に口は利かぬ、一生溝でもいじって暮せ、五重塔は気の毒ながら汝に指もささせまい、源太一人で立派に建てる、ならば手柄に批点でも打て。
其十六
えい、ありがとうござります、滅法界に酔いました、もう飲やせぬ、と空辞誼はうるさいほどしながら、猪口もつ手を後へは退かぬがおかしき上戸の常態、清吉はや馳走酒に十分酔ったれど遠慮に三分の真面目をとどめて殊勝らしく坐り込み、親方の不在にこう爛酔では済みませぬ、姉御と対酌では夕暮を躍るようになってもなりませんからな、アハハむやみに嬉しくなって来ました、もう行きましょう、はめを外すと親方のお眼玉だ、だがしかし姉御、内の親方には眼玉を貰っても私は嬉しいとおもっています、なにも姉御の前だからとて軽薄を云うではありませぬが、真実に内の親方は茶袋よりもありがたいとおもっています、いつぞやの凌雲院の仕事の時も鉄や慶を対うにしてつまらぬことから喧嘩を初め、鉄が肩先へ大怪我をさしたその後で鉄が親から泣き込まれ、ああ悪かった気の毒なことをしたと後悔してもこっちも貧的、どうしてやるにもやりようなく、困りきって逃亡とまで思ったところを、黙って親方から療治手当もしてやって下された上、かけら半分叱言らしいことを私に云われず、ただ物和しく、清や汝喧嘩は時のはずみで仕方はないが気の毒とおもったら謝罪っておけ、鉄が親の気持もよかろし汝の寝覚めもよいというものだと心づけて下すったその時は、ああどうしてこんなに仁慈深かろとありがたくてありがたくて私は泣きました、鉄に謝罪るわけはないが親方の一言に堪忍して私も謝罪りに行きましたが、それから異なものでいつとなく鉄とは仲好しになり、今ではどっちにでもひょっとしたことのあれば骨を拾ってやろうかもらおうかというぐらいの交際になったも皆親方のお蔭、それに引き変え茶袋なんぞはむやみに叱言を云うばかりで、やれ喧嘩をするな遊興をするなとくだらぬことを小うるさく耳の傍で口説きます、ハハハいやはや話になったものではありませぬ、え、茶袋とは母親のことです、なに酷くはありませぬ茶袋でたくさんです、しかも渋をひいた番茶の方です、あッハハハ、ありがとうござります、もう行きましょう、え、また一本燗けたから飲んで行けとおっしゃるのですか、ああありがたい、茶袋だと此方で一本というところを反対にもう廃せと云いますわ、ああ好い心持になりました、歌いたくなりましたな、歌えるかとは情ない、松づくしなぞはあいつに賞められたほどで、と罪のないことを云えばお吉も笑いを含んで、そろそろ惚気は恐ろしい、などと調戯い居るところへ帰って来たりし源太、おおちょうどよい清吉いたか、お吉飲もうぞ、支度させい、清吉今夜は酔い潰れろ、胴魔声の松づくしでも聞いてやろ。や、親方立聞きして居られたな。
其十七
清吉酔うてはしまりなくなり、砕けた源太が談話ぶり捌けたお吉が接待ぶりにいつしか遠慮も打ち忘れ、擬されて辞まず受けてはつと干し酒盞の数重ぬるままに、平常から可愛らしき紅ら顔を一層みずみずと、実の熟った丹波王母珠ほど紅うして、罪もなき高笑いやら相手もなしの空示威、朋輩の誰の噂彼の噂、自己が仮声のどこそこで喝采を獲たる自慢、奪られぬ奪られるの云い争いの末何楼の獅顔火鉢を盗り出さんとして朋友の仙の野郎が大失策をした話、五十間で地廻りを擲ったことなど、縁に引かれ図に乗ってそれからそれへと饒舌り散らすうち、ふとのっそりの噂に火が飛べば、とろりとなりし眼を急に見張って、ぐにゃりとしていし肩を聳だて、冷とうなった飲みかけの酒を異しく唇まげながら吸い干し、一体あんな馬鹿野郎を親方の可愛がるというが私には頭からわかりませぬ、仕事といえば馬鹿丁寧で捗びは一向つきはせず、柱一本鴫居一ツで嘘をいえば鉋を三度も礪ぐような緩慢な奴、何を一ツ頼んでも間に合った例がなく、赤松の炉縁一ツに三日の手間を取るというのは、多方ああいう手合だろうと仙が笑ったも無理はありませぬ、それを親方が贔屓にしたので一時は正直のところ、済みませんが私も金も仙も六も、あんまり親方の腹が大きすぎてそれほどでもないものを買い込み過ぎて居るではないか、念入りばかりで気に入るなら我たちもこれから羽目板にも仕上げ鉋、のろりのろりとしたたか清めて碁盤肌にでも削ろうかと僻みを云ったこともありました、第一あいつは交際知らずで女郎買い一度一所にせず、好闘鶏鍋つつき合ったこともない唐偏朴、いつか大師へ一同が行く時も、まあ親方の身辺について居るものを一人ばかり仲間はずれにするでもないと私が親切に誘ってやったに、我は貧乏で行かれないと云ったきりの挨拶は、なんと愛想も義理も知らな過ぎるではありませんか、銭がなければ女房の一枚着を曲げ込んでも交際は交際で立てるが朋友ずく、それもわからない白痴の癖に段々親方の恩を被て、私や金と同じことに今ではどうか一人立ち、しかも憚りながら青っ涕垂らして弁当箱の持運び、木片を担いでひょろひょろ帰る餓鬼のころから親方の手についていた私や仙とは違って奴は渡り者、次第を云えば私らより一倍深く親方をありがたい忝ないと思っていなけりゃならぬはず、親方、姉御、私は悲しくなって来ました、私はもしものことがあれば親方や姉御のためと云や黒煙の煽りを食っても飛び込むぐらいの了見は持って居るに、畜生ッ、ああ人情ない野郎め、のっそりめ、あいつは火の中へは恩を背負っても入りきるまい、ろくな根性はもっていまい、ああ人情ない畜生めだ、と酔いが図らず云い出せし不平の中に潜り込んで、めそめそめそめそ泣き出せば、お吉は夫の顔を見て、例の癖が出て来たかと困った風情はしながらも自己の胸にものっそりの憎さがあれば、幾らかは清が言葉を道理と聞く傾きもあるなるべし。
源太は腹に戸締りのなきほど愚かならざれば、猪口を擬しつけ高笑いし、何を云い出した清吉、寝ぼけるな我の前だわ、三の切を出しても初まらぬぞ、その手で女でも口説きやれ、随分ころりと来るであろう、汝が惚けた小蝶さまのお部屋ではない、アッハハハと戯言を云えばなお真面目に、木※(「木+患」、第3水準1-86-5)珠ほどの涙を払うその手をぺたりと刺身皿の中につっこみ、しゃくり上げ歔欷して泣き出し、ああ情ない親方、私を酔漢あしらいは情ない、酔ってはいませぬ、小蝶なんぞは飲べませぬ、そういえばあいつの面がどこかのっそりに似て居るようで口惜しくて情ない、のっそりは憎い奴、親方の対うを張って大それた、五重の塔を生意気にも建てようなんとは憎い奴憎い奴、親方が和し過ぎるので増長した謀反人め、謀反人も明智のようなは道理だと伯龍が講釈しましたがあいつのようなは大悪無道、親方はいつのっそりの頭を鉄扇で打ちました、いつ蘭丸にのっそりの領地を与ると云いました、私は今にもしもあいつが親方の言葉に甘えて名を列べて塔を建てれば打捨ってはおけませぬ、擲き殺して狗にくれますこういうように擲き殺して、と明徳利の横面いきなり打き飛ばせば、砕片は散って皿小鉢跳り出すやちんからり。馬鹿野郎め、と親方に大喝されてそのままにぐずりと坐りおとなしく居るかと思えば、散らかりし還原海苔の上に額おしつけはや鼾声なり。源太はこれに打ち笑い、愛嬌のある阿呆めに掻巻かけてやれ、と云いつつ手酌にぐいと引っかけて酒気を吹くことやや久しく、怒って帰って来はしたもののああでは高が清吉同然、さて分別がまだ要るわ。
其十八
源太が怒って帰りし後、腕拱きて茫然たる夫の顔をさし覗きて、吐息つくづくお浪は歎じ、親方様は怒らする仕事はつまり手に入らず、夜の眼も合わさず雛形まで製造えた幾日の骨折りも苦労も無益にした揚句の果てに他の気持を悪うして、恩知らず人情なしと人の口端にかかるのはあまりといえば情ない、女の差し出たことをいうとただ一口に云わるるか知らねど、正直律義もほどのあるもの、親方様があれほどに云うて下さる異見について一緒にしたとて恥辱にはなるまいに、偏僻張ってなんのつまらぬ意気地立て、それを誰が感心なと褒めましょう、親方様の御料簡につけば第一御恩ある親方のお心持もよいわけ、またお前の名も上り苦労骨折りの甲斐も立つわけ、三方四方みな好いになぜその気にはなられぬか、少しもお前の料簡が妾の腹には合点ぬ、よくまあ思案し直して親方様の御異見につい従うては下されぬか、お前が分別さえ更えれば妾がすぐにも親方様のところへ行き、どうにかこうにか謝罪云うて一生懸命精一杯、打たれても擲かれても動くまいほど覚悟をきめ、謝罪って謝罪って謝罪り貫いたらお情深い親方様が、まさかにいつまで怒ってばかりも居られまい、一時の料簡違いは堪忍して下さることもあろう、分別しかえて意地張らずに、親方様の云われた通りして見る気にはなられぬか、と夫思いの一筋に口説くも女の道理なれど、十兵衛はなお眼も動かさず、ああもう云うてくれるな、ああ、五重塔とも云うてくれるな、よしないことを思いたってなるほど恩知らずとも云わりょう人情なしとも云わりょう、それも十兵衛の分別が足らいででかしたこと、今さらなんとも是非がない、しかし汝の云うように思案しかえるはどうしても厭、十兵衛が仕事に手下は使おうが助言は頼むまい、人の仕事の手下になって使われはしょうが助言はすまい、桝組も椽配りも我がする日には我の勝手、どこからどこまで一寸たりとも人の指揮は決して受けぬ、善いも悪いも一人で背負って立つ、他の仕事に使われればただ正直の手間取りとなって渡されただけのことするばかり、生意気な差し出口は夢にもすまい、自分が主でもない癖に自己が葉色を際立てて異った風を誇り顔の寄生木は十兵衛の虫が好かぬ、人の仕事に寄生木となるも厭ならわが仕事に寄生木を容るるも虫が嫌えば是非がない、和しい源太親方が義理人情を噛み砕いてわざわざ慫慂て下さるは我にもわかってありがたいが、なまじい我の心を生かして寄生木あしらいは情ない、十兵衛は馬鹿でものっそりでもよい、寄生木になって栄えるは嫌いじゃ、矮小な下草になって枯れもしょう大樹を頼まば肥料にもなろうが、ただ寄生木になって高く止まる奴らを日ごろいくらも見ては卑しい奴めと心中で蔑視げていたに、今我が自然親方の情に甘えてそれになるのはどうあっても小恥かしゅうてなりきれぬわ、いっそのことに親方の指揮のとおりこれを削れあれを挽き割れと使わるるなら嬉しけれど、なまじ情がかえって悲しい、汝も定めてわからぬ奴と恨みもしょうが堪忍してくれ、ええ是非がない、わからぬところが十兵衛だ、ここがのっそりだ、馬鹿だ、白痴漢だ、何と云われても仕方はないわ、ああッ火も小さくなって寒うなった、もうもう寝てでもしまおうよ、と聴けば一々道理の述懐。お浪もかえす言葉なく無言となれば、なお寒き一室を照らせる行燈も灯花に暗うなりにけり。
其十九
その夜は源太床に入りてもなかなか眠らず、一番鶏二番鶏を耳たしかに聞いて朝も平日よりははよう起き、含嗽手水に見ぬ夢を洗って熱茶一杯に酒の残り香を払う折しも、むくむくと起き上ったる清吉寝惚眼をこすりこすり怪訝顔してまごつくに、お吉ともども噴飯して笑い、清吉昨夜はどうしたか、と嬲れば急にかしこまって無茶苦茶に頭を下げ、つい御馳走になり過ぎていつか知らず寝てしまいました、姉御、昨夜私は何か悪いことでもしはしませぬか、と心配そうに尋ぬるもおかしく、まあ何でも好いわ、飯でも食って仕事に行きやれ、と和しく云われてますます畏れ、恍然として腕を組みしきりに考え込む風情、正直なるが可愛らし。
清吉を出しやりたる後、源太はなおも考えにひとり沈みて日ごろの快活とした調子に似もやらず、ろくろくお吉に口さえきかで思案に思案を凝らせしが、ああわかったと独り言するかと思えば、愍然なと溜息つき、ええ抛げようかと云うかとおもえば、どうしてくりょうと腹立つ様子を傍にてお吉の見る辛さ、問い慰めんと口を出せば黙っていよとやりこめられ、詮方なさに胸の中にて空しく心をいたむるばかり。源太はそれらに関いもせず夕暮方まで考え考え、ようやく思い定めやしけんつと身を起して衣服をあらため、感応寺に行き上人に見えて昨夜の始終をば隠すことなく物語りし末、一旦は私もあまりわからぬ十兵衛の答えに腹を立てしものの帰ってよくよく考うれば、たとえば私一人して立派に塔は建つるにせよ、それではせっかくお諭しを受けた甲斐なく源太がまた我欲にばかり強いようで男児らしゅうもない話し、というて十兵衛は十兵衛の思わくを滅多に捨てはすまじき様子、あれも全く自己を押えて譲れば源太も自己を押えてあれに仕事をさせ下されと譲らねばならぬ義理人情、いろいろ愚かな考えを使ってようやく案じ出したことにも十兵衛が乗らねば仕方なく、それを怒っても恨んでも是非のないわけ、はやこの上には変った分別も私には出ませぬ、ただ願うはお上人様、たとえば十兵衛一人に仰せつけられますればとて私かならず何とも思いますまいほどに、十兵衛になり私になり二人ともどもになりどうとも仰せつけられて下さりませ、御口ずからのことなれば十兵衛も私も互いに争う心は捨てておりまするほどに露さら故障はござりませぬ、我ら二人の相談には余って願いにまいりました、と実意を面に現わしつつ願えば上人ほくほく笑われ、そうじゃろそうじゃろ、さすがに汝も見上げた男じゃ、よいよい、その心がけ一つでもう生雲塔見事に建てたより立派に汝はなっておる、十兵衛も先刻に来て同じことを云うて帰ったわ、あれも可愛い男ではないか、のう源太、可愛がってやれ可愛がってやれ、と心ありげに云わるる言葉を源太早くも合点して、ええ可愛がってやりますとも、といと清しげに答うれば、上人満面皺にして悦びたまいつ、よいわよいわ、ああ気味のよい男児じゃな、と真から底からほめられて、もったいなさはありながら源太おもわず頭をあげ、お蔭で男児になれましたか、と一語に無限の感慨を含めて喜ぶ男泣き。はやこの時に十兵衛が仕事に助力せん心の、世に美しくも湧きたるなるべし。
其二十
十兵衛感応寺にいたりて朗円上人に見え、涙ながらに辞退の旨云うて帰りしその日の味気なさ、煙草のむだけの気も動かすに力なく、茫然としてつくづくわが身の薄命、浮世の渡りぐるしきことなど思い廻らせば思い廻らすほど嬉しからず、時刻になりて食う飯の味が今さら異れるではなけれど、箸持つ手さえ躊躇いがちにて舌が美味うは受けとらぬに、平常は六碗七碗を快う喫いしもわずかに一碗二碗で終え、茶ばかりかえって多く飲むも、心に不悦のある人の免れがたき慣例なり。
主人が浮かねば女房も、何の罪なきやんちゃざかりの猪之まで自然と浮き立たず、淋しき貧家のいとど淋しく、希望もなければ快楽も一点あらで日を暮らし、暖か味のない夢に物寂びた夜を明かしけるが、お浪暁天の鐘に眼覚めて猪之と一所に寝たる床よりそっと出づるも、朝風の寒いに火のないうちから起すまじ、も少し睡させておこうとの慈しき親の心なるに、何もかも知らいでたわいなく寝ていし平生とは違い、どうせしことやらたちまち飛び起き、襦袢一つで夜具の上跳ね廻り跳ね廻り、厭じゃい厭じゃい、父様を打っちゃ厭じゃい、と蕨のような手を眼にあてて何かは知らず泣き出せば、ええこれ猪之はどうしたものぞ、とびっくりしながら抱き止むるに抱かれながらもなお泣き止まず。誰も父様を打ちはしませぬ、夢でも見たか、それそこに父様はまだ寝て居らるる、と顔を押し向け知らすれば不思議そうに覗き込んで、ようやく安心しはしてもまだ疑惑の晴れぬ様子。
猪之やなんにもありはしないわ、夢を見たのじゃ、さあ寒いに風邪をひいてはなりませぬ、床にはいって寝て居るがよい、と引き倒すようにして横にならせ、掻巻かけて隙間なきよう上から押しつけやる母の顔を見ながら眼をぱっちり、ああ怖かった、今よその怖い人が。おゝおゝ、どうかしましたか。大きな、大きな鉄槌で、黙って坐って居る父様の、頭を打って幾つも打って、頭が半分砕れたので坊は大変びっくりした。ええ鶴亀鶴亀、厭なこと、延喜でもないことを云う、と眉を皺むる折も折、戸外を通る納豆売りの戦え声に覚えある奴が、ちェッ忌々しい草鞋が切れた、と打ち独語きて行き過ぐるに女房ますます気色を悪しくし、台所に出て釜の下を焚きつくれば思うごとく燃えざる薪も腹立たしく、引窓の滑りよく明かぬも今さらのように焦れったく、ああ何となく厭な日と思うも心からぞとは知りながら、なお気になることのみ気にすればにや多けれど、また云い出さば笑われんと自分で呵って平日よりは笑顔をつくり言葉にも活気をもたせ、いきいきとして夫をあしらい子をあしらえど、根がわざとせし偽飾なればかえって笑いの尻声が憂愁の響きを遺して去る光景の悲しげなるところへ、十兵衛殿お宅か、と押柄に大人びた口ききながらはいり来る小坊主、高慢にちょこんと上り込み、御用あるにつきすぐと来たられべしと前後なしの棒口上。
お浪も不審、十兵衛も分らぬことに思えども辞みもならねば、はや感応寺の門くぐるさえ無益しくは考えつつも、何御用ぞと行って問えば、天地顛倒こりゃどうじゃ、夢か現か真実か、円道右に為右衛門左に朗円上人中央に坐したもうて、円道言葉おごそかに、このたび建立なるところの生雲塔の一切工事川越源太に任せられべきはずのところ、方丈思しめし寄らるることあり格別の御詮議例外の御慈悲をもって、十兵衛その方にしかとお任せ相成る、辞退の儀は決して無用なり、早々ありがたく御受け申せ、と云い渡さるるそれさえあるに、上人皺枯れたる御声にて、これ十兵衛よ、思う存分し遂げて見い、よう仕上らば嬉しいぞよ、と荷担うに余る冥加のお言葉。のっそりハッと俯伏せしまま五体を濤と動がして、十兵衛めが生命はさ、さ、さし出しまする、と云いしぎり咽塞がりて言語絶え、岑閑とせし広座敷に何をか語る呼吸の響き幽かにしてまた人の耳に徹しぬ。
其二十一
紅蓮白蓮の香ゆかしく衣袂に裾に薫り来て、浮葉に露の玉動ぎ立葉に風のそよ吹ける面白の夏の眺望は、赤蜻蛉菱藻を嬲り初霜向うが岡の樹梢を染めてより全然となくなったれど、赭色になりて荷の茎ばかり情のう立てる間に、世を忍びげの白鷺がそろりと歩む姿もおかしく、紺青色に暮れて行く天にようやく輝り出す星を背中に擦って飛ぶ雁の、鳴き渡る音も趣味ある不忍の池の景色を下物のほかの下物にして、客に酒をば亀の子ほど飲まする蓬莱屋の裏二階に、気持のよさそうな顔して欣然と人を待つ男一人。唐桟揃いの淡泊づくりに住吉張りの銀煙管おとなしきは、職人らしき侠気の風の言語挙動に見えながら毫末も下卑ぬ上品質、いずれ親方親方と多くのものに立てらるる棟梁株とは、かねてから知り居る馴染のお伝という女が、さぞお待ち遠でござりましょう、と膳を置きつつ云う世辞を、待つ退屈さに捕えて、待ち遠で待ち遠で堪りきれぬ、ほんとに人の気も知らないで何をして居るであろう、と云えば、それでもお化粧に手間の取れまするが無理はないはず、と云いさしてホホと笑う慣れきった返しの太刀筋。アハハハそれも道理じゃ、今に来たらばよく見てくれ、まあ恐らくここらに類はなかろう、というものだ。おや恐ろしい、何を散財って下さります、そして親方、というものは御師匠さまですか。いいや。娘さんですか。いいや。後家様。いいや。お婆さんですか。馬鹿を云え可愛そうに。では赤ん坊。こいつめ人をからかうな、ハハハハハ。ホホホホホとくだらなく笑うところへ襖の外から、お伝さんと名を呼んでお連れ様と知らすれば、立ち上って唐紙明けにかかりながらちょっと後ろ向いて人の顔へ異に眼をくれ無言で笑うは、お嬉しかろと調戯って焦らして底悦喜さする冗談なれど、源太はかえって心からおかしく思うとも知らずにお伝はすいと明くれば、のろりと入り来る客は色ある新造どころか香も艶もなき無骨男、ぼうぼう頭髪のごりごり腮髯、面は汚れて衣服は垢づき破れたる見るから厭気のぞっとたつほどな様子に、さすがあきれて挨拶さえどぎまぎせしまま急には出ず。
源太は笑みを含みながら、さあ十兵衛ここへ来てくれ、関うことはない大胡坐で楽にいてくれ、とおずおずし居るを無理に坐に居え、やがて膳部も具備りし後、さてあらためて飲み干したる酒盃とって源太は擬し、沈黙で居る十兵衛に対い、十兵衛、先刻に富松をわざわざ遣ってこんなところに来てもらったは、何でもない、実は仲直りしてもらいたくてだ、どうか汝とわっさり飲んで互いの胸を和熟させ、過日の夜の我が云うたあの云い過ぎも忘れてもらいたいとおもうからのこと、聞いてくれこういうわけだ、過日の夜は実は我もあまり汝をわからぬ奴と一途に思って腹も立った、恥かしいが肝癪も起し業も沸し汝の頭を打砕いてやりたいほどにまでも思うたが、しかし幸福に源太の頭が悪玉にばかりは乗っ取られず、清吉めが家へ来て酔った揚句に云いちらした無茶苦茶を、ああ了見の小い奴はつまらぬことを理屈らしく恥かしくもなく云うものだと、聞いているさえおかしくて堪らなさにふとそう思ったその途端、その夜汝の家で陳べ立って来た我の云い草に気がついて見れば清吉が言葉と似たり寄ったり、ええ間違った一時の腹立ちに捲き込まれたか残念、源太男が廃る、意地が立たぬ、上人の蔑視も恐ろしい、十兵衛が何もかも捨てて辞退するものを斜に取って逆意地たてれば大間違い、とは思ってもあまり汝のわからな過ぎるが腹立たしく、四方八方どこからどこまで考えて、ここを推せばそこに襞※(「ころもへん+責」、第3水準1-91-87)が出る、あすこを立てればここに無理があると、まあ我の知恵分別ありたけ尽して我のためばかり籌るではなく云うたことを、むげに云い消されたが忌々しくて忌々しくて随分堪忍もしかねたが、さていよいよ了見を定めて上人様のお眼にかかり所存を申し上げて見れば、よいよいと仰せられたただの一言に雲霧はもうなくなって、清しい風が大空を吹いて居るような心持になったわ、昨日はまた上人様からわざわざのお招きで、行って見たれば我を御賞美のお言葉数々のその上、いよいよ十兵衛に普請一切申しつけたが蔭になって助けてやれ、皆汝の善根福種になるのじゃ、十兵衛が手には職人もあるまい、彼がいよいよ取りかかる日には何人も傭うその中に汝が手下の者も交じろう、必ず猜忌邪曲など起さぬようにそれらには汝からよく云い含めてやるがよいとの細かいお諭し、何から何まで見透しでお慈悲深い上人様のありがたさにつくづく我折って帰って来たが、十兵衛、過日の云い過ごしは堪忍してくれ、こうした我の心意気がわかってくれたら従来通り浄く睦まじく交際ってもらおう、一切がこう定まって見れば何と思った彼と思ったは皆夢の中の物詮議、後に遺して面倒こそあれ益ないこと、この不忍の池水にさらりと流して我も忘りょう、十兵衛汝も忘れてくれ、木材の引合い、鳶人足への渡りなんど、まだ顔を売り込んでいぬ汝にはちょっとしにくかろうが、それらには我の顔も貸そうし手も貸そう、丸丁、山六、遠州屋、いい問屋は皆馴染でのうては先方がこっちを呑んでならねば、万事歯痒いことのないよう我を自由に出しに使え、め組の頭の鋭次というは短気なは汝も知って居るであろうが、骨は黒鉄、性根玉は憚りながら火の玉だと平常云うだけ、さてじっくり頼めばぐっと引き受け一寸退かぬ頼もしい男、塔は何より地行が大事、空風火水の四ツを受ける地盤の固めをあれにさせれば、火の玉鋭次が根性だけでも不動が台座の岩より堅く基礎しかと据えさすると諸肌ぬいでしてくるるは必定、あれにもやがて紹介しょう、もうこうなった暁には源太が望みはただ一ツ、天晴れ十兵衛汝がよくしでかしさえすりゃそれでよいのじゃ、ただただ塔さえよくできればそれに越した嬉しいことはない、かりそめにも百年千年末世に残って云わば我たちの弟子筋の奴らが眼にも入るものに、へまがあっては悲しかろうではないか、情ないではなかろうか、源太十兵衛時代にはこんなくだらぬ建物に泣いたり笑ったりしたそうなと云われる日には、なあ十兵衛、二人が舎利も魂魄も粉灰にされて消し飛ばさるるわ、拙な細工で世に出ぬは恥もかえって少ないが、遺したものを弟子めらに笑わる日には馬鹿親父が息子に異見さるると同じく、親に異見を食う子より何段増して恥かしかろ、生き磔刑より死んだ後塩漬の上磔刑になるような目にあってはならぬ、初めは我もこれほどに深くも思い寄らなんだが、汝が我の対面にたったその意気張りから、十兵衛に塔建てさせ見よ源太に劣りはすまいというか、源太が建てて見せくりょう何十兵衛に劣ろうぞと、腹の底には木を鑚って出した火で観る先の先、我意はなんにもなくなったただよくできてくれさえすれば汝も名誉我も悦び、今日はこれだけ云いたいばかり、ああ十兵衛その大きな眼を湿ませて聴いてくれたか嬉しいやい、と磨いて礪いで礪ぎ出した純粋江戸ッ子粘り気なし、一でなければ六と出る、忿怒の裏の温和さもあくまで強き源太が言葉に、身動ぎさえせで聞きいし十兵衛、何も云わず畳に食いつき、親方、堪忍して下され口がきけませぬ、十兵衛には口がきけませぬ、こ、こ、この通り、ああありがとうござりまする、と愚かしくもまた真実にただ平伏して泣きいたり。
其二十二
言葉はなくても真情は見ゆる十兵衛が挙動に源太は悦び、春風湖を渡って霞日に蒸すともいうべき温和の景色を面にあらわし、なおもやさしき語気円暢に、こう打ち解けてしもうた上は互いにまずいこともなく、上人様の思召しにもかない我たちの一分も皆立つというもの、ああなんにせよ好い心持、十兵衛汝も過してくれ、我も充分今日こそ酔おう、と云いつつ立って違い棚に載せて置いたる風呂敷包みとりおろし、結び目といて二束にせし書類いだし、十兵衛が前に置き、我にあっては要なき此品の、一ツは面倒な材木の委細しい当りを調べたのやら、人足軽子そのほかさまざまの入目を幾晩かかかってようやく調べあげた積り書、また一ツはあすこをどうしてここをこうしてと工夫に工夫した下絵図、腰屋根の地割りだけなもあり、平地割りだけなのもあり、初重の仕形だけのもあり、二手先または三手先、出し組ばかりなるもあり、雲形波形唐草生類彫物のみを書きしもあり、何よりかより面倒なる真柱から内法長押腰長押切目長押に半長押、縁板縁かつら亀腹柱高欄垂木桝肘木、貫やら角木の割合算法、墨縄の引きよう規尺の取りよう余さず洩らさず記せしもあり、中には我のせしならで家に秘めたる先祖の遺品、外へは出せぬ絵図もあり、京都やら奈良の堂塔を写しとりたるものもあり、これらはみんな汝に預くる、見たらば何かの足しにもなろ、と自己が精神を籠めたるものを惜しげもなしに譲りあたうる、胸の広さの頼もしきを解せぬというにはあらざれど、のっそりもまた一ト気性、他の巾着でわが口濡らすようなことは好まず、親方まことにありがとうはござりまするが、御親切は頂戴いたも同然、これはそちらにお納めを、と心はさほどになけれども言葉に膠のなさ過ぎる返辞をすれば、源太大きに悦ばず。此品をば汝は要らぬと云うのか、と慍りを底に匿して問うに、のっそりそうとは気もつかねば、別段拝借いたしても、と一句うっかり答うる途端、鋭き気性の源太は堪らず、親切の上親切を尽してわが知恵思案を凝らせし絵図までやらんというものを、むげに返すか慮外なり、何ほど自己が手腕のよくて他の好情を無にするか、そもそも最初に汝めがわが対岸へ廻わりし時にも腹は立ちしが、じっと堪えて争わず、普通大体のものならばわが庇蔭被たる身をもって一つ仕事に手を入るるか、打ち擲いても飽かぬ奴と、怒って怒ってどうにもすべきを、可愛きものにおもえばこそ一言半句の厭味も云わず、ただただ自然の成行きに任せおきしを忘れしか、上人様のお諭しを受けての後も分別に分別渇らしてわざわざ出かけ、汝のために相談をかけてやりしも勝手の意地張り、大体ならぬものとても堪忍なるべきところならぬを、よくよく汝をいとしがればぞ踏み耐えたるとも知らざるか、汝が運のよきのみにて汝が手腕のよきのみにて汝が心の正直のみにて、上人様より今度の工事命けられしと思い居るか、此品をばやってこの源太が恩がましくでも思うと思うか、乃至はもはや慢気の萌して頭からなんのつまらぬものと人の絵図をも易く思うか、取らぬとあるに強いはせじ、あまりといえば人情なき奴、ああありがとうござりますると喜び受けてこの中の仕様を一所二所は用いし上に、あの箇所はお蔭でうもう行きましたと後で挨拶するほどのことはあっても当然なるに、開けて見もせず覗きもせず、知れきったると云わぬばかりに愛想も菅もなく要らぬとは、汝十兵衛よくも撥ねたの、この源太がした図の中に汝の知ったもののみあろうや、汝らが工風の輪の外に源太が跳り出ずにあろうか、見るに足らぬとそちで思わば汝が手筋も知れてある、大方高の知れた塔建たぬ前から眼に暎って気の毒ながら批難もある、もう堪忍の緒も断れたり、卑劣い返報はすまいなれど源太が烈しい意趣返報は、する時なさでおくべきか、酸くなるほどに今までは口もきいたがもうきかぬ、一旦思い捨つる上は口きくほどの未練ももたぬ、三年なりとも十年なりとも返報するに充分なことのあるまで、物蔭から眼を光らして睨みつめ無言でじっと待っててくりょうと、気性が違えば思わくも一二度ついに三度めで無残至極に齟齬い、いと物静かに言葉を低めて、十兵衛殿、と殿の字を急につけ出し叮嚀に、要らぬという図はしまいましょ、汝一人で建つる塔定めて立派にできようが、地震か風のあろう時壊るることはあるまいな、と軽くは云えど深く嘲ける語に十兵衛も快よからず、のっそりでも恥辱は知っております、と底力味ある楔を打てば、なかなか見事な一言じゃ、忘れぬように記臆えていようと、釘をさしつつ恐ろしく睥みて後は物云わず、やがてたちまち立ち上って、ああとんでもないことを忘れた、十兵衛殿ゆるりと遊んでいてくれ、我は帰らねばならぬこと思い出した、と風のごとくにその座を去り、あれという間に推量勘定、幾金か遺してふいと出つ、すぐその足で同じ町のある家が閾またぐや否、厭だ厭だ、厭だ厭だ、つまらぬくだらぬ馬鹿馬鹿しい、ぐずぐずせずと酒もて来い、蝋燭いじってそれが食えるか、鈍痴め肴で酒が飲めるか、小兼春吉お房蝶子四の五の云わせず掴んで来い、臑の達者な若い衆頼も、我家へ行て清、仙、鉄、政、誰でも彼でもすぐに遊びによこすよう、という片手間にぐいぐい仰飲る間もなく入り来る女どもに、今晩なぞとは手ぬるいぞ、とまっ向から焦躁を吹っかけて、飲め、酒は車懸り、猪口は巴と廻せ廻せ、お房外見をするな、春婆大人ぶるな、ええお蝶めそれでも血が循環って居るのか頭上に鼬花火載せて火をつくるぞ、さあ歌え、じゃんじゃんとやれ、小兼め気持のいい声を出す、あぐり踊るか、かぐりもっと跳ねろ、やあ清吉来たか鉄も来たか、なんでもいい滅茶滅茶に騒げ、我に嬉しいことがあるのだ、無礼講にやれやれ、と大将無法の元気なれば、後れて来たる仙も政も煙に巻かれて浮かれたち、天井抜きょうが根太抜きょうが抜けたら此方のお手のものと、飛ぶやら舞うやら唸るやら、潮来出島もしおらしからず、甚句に鬨の声を湧かし、かっぽれに滑って転倒び、手品の太鼓を杯洗で鉄がたたけば、清吉はお房が傍に寝転んで銀釵にお前そのよに酢ばかり飲んでを稽古する馬鹿騒ぎの中で、一了簡あり顔の政が木遣を丸めたような声しながら、北に峨々たる青山をと異なことを吐き出す勝手三昧、やっちゃもっちゃの末は拳も下卑て、乳房の脹れた奴が臍の下に紙幕張るほどになれば、さあもうここは切り上げてと源太が一言、それから先はどこへやら。
其二十三
蒼※(「顫のへん+鳥」、第3水準1-94-72)の飛ぶ時よそ視はなさず、鶴なら鶴の一点張りに雲をも穿ち風にも逆って目ざす獲物の、咽喉仏把攫までは合点せざるものなり。十兵衛いよいよ五重塔の工事するに定まってより寝ても起きてもそれ三昧、朝の飯喫うにも心の中では塔を噬み、夜の夢結ぶにも魂魄は九輪の頂を繞るほどなれば、まして仕事にかかっては妻あることも忘れ果て児のあることも忘れ果て、昨日の我を念頭に浮べもせず明日の我を想いもなさず、ただ一ト釿ふりあげて木を伐るときは満身の力をそれに籠め、一枚の図をひく時には一心の誠をそれに注ぎ、五尺の身体こそ犬鳴き鶏歌い権兵衛が家に吉慶あれば木工右衛門がところに悲哀ある俗世に在りもすれ、精神は紛たる因縁に奪られで必死とばかり勤め励めば、前の夜源太に面白からず思われしことの気にかからぬにはあらざれど、日ごろののっそりますます長じて、はやいずくにか風吹きたりしぐらいに自然軽う取り做し、やがてはとんと打ち忘れ、ただただ仕事にのみかかりしは愚かなるだけ情に鈍くて、一条道より外へは駈けぬ老牛の痴に似たりけり。
金箔銀箔瑠璃真珠水精以上合わせて五宝、丁子沈香白膠薫陸白檀以上合わせて五香、そのほか五薬五穀まで備えて大土祖神埴山彦神埴山媛神あらゆる鎮護の神々を祭る地鎮の式もすみ、地曳き土取り故障なく、さて竜伏はその月の生気の方より右旋りに次第据え行き五星を祭り、釿初めの大礼には鍛冶の道をば創められし天の目一箇の命、番匠の道闢かれし手置帆負の命彦狭知の命より思兼の命天児屋根の命太玉の命、木の神という句々廼馳の神まで七神祭りて、その次の清鉋の礼も首尾よく済み、東方提頭頼※(「咤-宀」、第3水準1-14-85)持国天王、西方尾※(「口+魯」、第4水準2-4-45)叉広目天王、南方毘留勒叉増長天、北方毘沙門多聞天王、四天にかたどる四方の柱千年万年動ぐなと祈り定むる柱立式、天星色星多願の玉女三神、貪狼巨門等北斗の七星を祭りて願う永久安護、順に柱の仮轄を三ッずつ打って脇司に打ち緊めさする十兵衛は、幾干の苦心もここまで運べば垢穢顔にも光の出るほど喜悦に気の勇み立ち、動きなき下津盤根の太柱と式にて唱うる古歌さえも、何とはなしにつくづく嬉しく、身を立つる世のためしぞとその下の句を吟ずるにも莞爾しつつ二たびし、壇に向うて礼拝恭み、拍手の音清く響かし一切成就の祓を終るここの光景には引きかえて、源太が家の物淋しさ。
主人は男の心強く思いを外には現わさねど、お吉は何ほどさばけたりとてさすが女の胸小さく、出入るものに感応寺の塔の地曳きの今日済みたり柱立式昨日済みしと聞くたびごとに忌々しく、嫉妬の火炎衝き上がりて、汝十兵衛恩知らずめ、良人の心の広いのをよいことにしてつけ上り、うまうま名を揚げ身を立つるか、よし名の揚り身の立たばさしずめ礼にも来べきはずを、知らぬ顔して鼻高々とその日その日を送りくさるか、あまりに性質のよ過ぎたる良人も良人なら面憎きのっそりめもまたのっそりめと、折にふれては八重縦横に癇癪の虫跳ね廻らし、自己が小鬢の後れ毛上げても、ええ焦れったいと罪のなき髪を掻きむしり、一文貰いに乞食が来ても甲張り声に酷く謝絶りなどしけるが、ある日源太が不在のところへ心易き医者道益という饒舌坊主遊びに来たりて、四方八方の話の末、ある人に連れられてこのあいだ蓬莱屋へまいりましたが、お伝という女からききました一分始終、いやどうも此方の棟梁は違ったもの、えらいもの、男児はそうありたいと感服いたしました、とお世辞半分何の気なしに云い出でし詞を、手繰ってその夜の仔細をきけば、知らずにいてさえ口惜しきに知っては重々憎き十兵衛、お吉いよいよ腹を立ちぬ。
其二十四
清吉汝は腑甲斐ない、意地も察しもない男、なぜ私には打ち明けてこないだの夜の始末をば今まで話してくれなかった、私に聞かして気の毒と異に遠慮をしたものか、あまりといえば狭隘な根性、よしや仔細を聴いたとてまさか私が狼狽えまわり動転するようなことはせぬに、女と軽しめて何事も知らせずにおき隠し立てしておく良人の了簡はともかくも、汝たちまで私を聾に盲目にして済まして居るとはあまりな仕打ち、また親方の腹の中がみすみす知れていながらに平気の平左で酒に浮かれ、女郎買いの供するばかりが男の能でもあるまいに、長閑気でこうして遊びに来るとは、清吉汝もおめでたいの、平生は不在でも飲ませるところだが今日は私は関えない、海苔一枚焼いてやるも厭ならくだらぬ世間咄しの相手するも虫が嫌う、飲みたくば勝手に台所へ行って呑み口ひねりや、談話がしたくば猫でも相手にするがよい、と何も知らぬ清吉、道益が帰りし跡へ偶然行き合わせてさんざんにお吉が不機嫌を浴びせかけられ、わけもわからず驚きあきれて、へどもどなしつつだんだんと様子を問えば、自己も知らずに今の今までいしことなれど、聞けばなるほどどうあっても堪忍のならぬのっそりの憎さ、生命と頼むわが親方に重々恩を被た身をもって無遠慮過ぎた十兵衛めが処置振り、あくまで親切真実の親方の顔踏みつけたる憎さも憎しどうしてくりょう。
ムム親方と十兵衛とは相撲にならぬ身分の差い、のっそり相手に争っては夜光の璧を小礫に擲つけるようなものなれば、腹は十分立たれても分別強く堪えて堪えて、誰にも彼にも欝憤を洩らさず知らさず居らるるなるべし、ええ親方は情ない、ほかの奴はともかく清吉だけには知らしてもよさそうなものを、親方と十兵衛では此方が損、我とのっそりなら損はない、よし、十兵衛め、ただ置こうやと逸りきったる鼻先思案。姉御、知らぬ中は是非がない、堪忍して下され、様子知っては憚りながらもう叱られてはおりますまい、この清吉が女郎買いの供するばかりを能の野郎か野郎でないか見ていて下され、さようならば、と後声烈しく云い捨てて格子戸がらり明けっ放し、草履もはかず後も見ず風より疾く駆け去れば、お吉今さら気遣わしくつづいて追っかけ呼びとむる二タ声三声、四声めにははや影さえも見えずなったり。
其二十五
材を釿る斧の音、板削る鉋の音、孔を鑿るやら釘打つやら丁々かちかち響き忙しく、木片は飛んで疾風に木の葉の翻えるがごとく、鋸屑舞って晴天に雪の降る感応寺境内普請場の景況賑やかに、紺の腹掛け頸筋に喰い込むようなをかけて小胯の切り上がった股引いなせに、つっかけ草履の勇み姿、さも怜悧げに働くもあり、汚れ手拭肩にして日当りのよき場所に蹲踞み、悠々然と鑿を※(「石+刑」、第3水準1-89-2)ぐ衣服の垢穢き爺もあり、道具捜しにまごつく小童、しきりに木を挽く日傭取り、人さまざまの骨折り気遣い、汗かき息張るその中に、総棟梁ののっそり十兵衛、皆の仕事を監督りかたがた、墨壺墨さし矩尺もって胸三寸にある切組を実物にする指図命令。こう截れああ穿れ、ここをどうしてどうやってそこにこれだけ勾配もたせよ、孕みが何寸凹みが何分と口でも知らせ墨縄でも云わせ、面倒なるは板片に矩尺の仕様を書いても示し、鵜の目鷹の目油断なく必死となりてみずから励み、今しも一人の若佼に彫物の画を描きやらんと余念もなしにいしところへ、野猪よりもなお疾く塵土を蹴立てて飛び来し清吉。
忿怒の面火玉のごとくし逆釣ったる目を一段視開き、畜生、のっそり、くたばれ、と大喝すれば十兵衛驚き、振り向く途端にまっ向より岩も裂けよと打ち下すは、ぎらぎらするまで※(「石+刑」、第3水準1-89-2)ぎ澄ませし釿を縦にその柄にすげたる大工に取っての刀なれば、何かは堪らん避くる間足らず左の耳を殺ぎ落され肩先少し切り割かれしが、し損じたりとまた踏ん込んで打つを逃げつつ、抛げつくる釘箱才槌墨壺矩尺、利器のなさに防ぐ術なく、身を翻えして退く機に足を突っ込む道具箱、ぐざと踏み貫く五寸釘、思わず転ぶを得たりやと笠にかかって清吉が振り冠ったる釿の刃先に夕日の光の閃りと宿って空に知られぬ電光の、疾しや遅しやその時この時、背面の方に乳虎一声、馬鹿め、と叫ぶ男あって二間丸太に論もなく両臑脆く薙ぎ倒せば、倒れてますます怒る清吉、たちまち勃然と起きんとする襟元把って、やい我だわ、血迷うなこの馬鹿め、と何の苦もなく釿もぎ取り捨てながら上からぬっと出す顔は、八方睨みの大眼、一文字口怒り鼻、渦巻縮れの両鬢は不動を欺くばかりの相形。
やあ火の玉の親分か、わけがある、打捨っておいてくれ、と力を限り払い除けんと※(「足へん+宛」、第3水準1-92-36)き焦燥るを、栄螺のごとき拳固で鎮圧め、ええ、じたばたすれば拳り殺すぞ、馬鹿め。親分、情ない、ここをここを放してくれ。馬鹿め。ええ分らねえ、親分、あいつを活かしてはおかれねえのだ。馬鹿野郎め、べそをかくのか、おとなしくしなければまだ打つぞ。親分酷い。馬鹿め、やかましいわ、拳り殺すぞ。あんまり分らねえ、親分。馬鹿め、それ打つぞ。親分。馬鹿め。放して。馬鹿め。親分。馬鹿め。放して。馬鹿め。親。馬鹿め。放。馬鹿め。お。馬鹿め馬鹿め馬鹿め馬鹿め、醜態を見ろ、おとなしくなったろう、野郎我の家へ来い、やいどうした、野郎、やあこいつは死んだな、つまらなく弱い奴だな、やあい、どいつか来い、肝心の時は逃げ出して今ごろ十兵衛が周囲に蟻のように群って何の役に立つ、馬鹿ども、こっちには亡者ができかかって居るのだ、鈍遅め、水でも汲んで来て打っ注けてやれい、落ちた耳を拾って居る奴があるものか、白痴め、汲んで来たか、関うことはない、一時に手桶の水みんな面へ打つけろ、こんな野郎は脆く生きるものだ、それ占めた、清吉ッ、しっかりしろ、意地のねえ、どれどれこいつは我が背負って行ってやろう、十兵衛が肩の疵は浅かろうな、むむ、よしよし、馬鹿どもさようなら。
其二十六
源太居るかとはいり来たる鋭次を、お吉立ち上って、おお親分さま、まあまあ此方へと誘えば、ずっと通って火鉢の前に無遠慮の大胡坐かき、汲んで出さるる桜湯を半分ばかり飲み干してお吉の顔を視、面色が悪いがどうかしたか、源太はどこぞへ行ったのか、定めしもう聴いたであろうが清吉めがつまらぬことをしでかしての、それゆえちょっと話があって来たが、むむそうか、もう十兵衛がところへ行ったと、ハハハ、敏捷い敏捷い、さすがに源太だわ、我の思案より先に身体がとっくに動いて居るなぞは頼もしい、なあにお吉心配することはない、十兵衛と御上人様に源太が謝罪をしてな、自分の示しが足らなかったで手下の奴がとんだ心得違いをしました。幾重にも勘弁して下されと三ツ四ツ頭を下げれば済んでしまうことだわ、案じ過しはいらぬもの、それでも先方がぐずぐずいえば正面に源太が喧嘩を買って破裂の始末をつければよいさ、薄々聴いた噂では十兵衛も耳朶の一ツや半分斫り奪られても恨まれぬはず、随分清吉の軽躁行為もちょいとおかしないい洒落か知れぬ、ハハハ、しかし憫然に我の拳固を大分食ってうんうん苦しがって居るばかりか、十兵衛を殺した後はどう始末が着くと我に云われてようやく悟ったかして、ああ悪かった、逸り過ぎた間違ったことをした、親方に頭を下げさするようなことをしたかああ済まないと、自分の身体の痛いのより後悔にぼろぼろ涙をこぼしている愍然さは、なんと可愛い奴ではないか、のうお吉、源太は酷く清吉を叱って叱って十兵衛がとこへ謝罪に行けとまで云うか知らぬが、それは表向きの義理なりゃ是非はないが、ここは汝の儲け役、あいつをどうか、なあそれ、よしか、そこは源太を抱き寝するほどのお吉様にわからぬことはない寸法か、アハハハハ、源太がいないで話も要らぬ、どれ帰ろうかい御馳走は預けておこう、用があったらいつでもおいで、とぼつぼつ語って帰りし後、思えば済まぬことばかり。女の浅き心から分別もなく清吉に毒づきしが、逸りきったる若き男の間違いし出して可憫や清吉は自己の世を狭め、わが身は大切の所天をまで憎うてならぬのっそりに謝罪らするようなり行きしは、時の拍子の出来事ながらつまりはわが口より出し過失、兎せん角せん何とすべきと、火鉢の縁に凭する肘のついがっくりと滑るまで、我を忘れて思案に思案凝らせしが、思い定めて、おおそうじゃと、立って箪笥の大抽匣、明けて麝香の気とともに投げ出し取り出すたしなみの、帯はそもそも此家へ来し嬉し恥かし恐ろしのその時締めし、ええそれよ。ねだって買ってもろうたる博多に繻子に未練もなし、三枚重ねに忍ばるる往時は罪のない夢なり、今は苦労の山繭縞、ひらりと飛ばす飛八丈このごろ好みし毛万筋、千筋百筋気は乱るとも夫おもうはただ一筋、ただ一筋の唐七糸帯は、お屋敷奉公せし叔母が紀念と大切に秘蔵たれど何か厭わん手放すを、と何やらかやらありたけ出して婢に包ませ、夫の帰らぬそのうちと櫛笄も手ばしこく小箱に纏めて、さてそれを無残や余所の蔵に籠らせ、幾らかの金懐中に浅黄の頭巾小提灯、闇夜も恐れず鋭次が家に。
其二十七
池の端の行き違いより翻然と変りし源太が腹の底、初めは可愛う思いしも今は小癪に障ってならぬその十兵衛に、頭を下げ両手をついて謝罪らねばならぬ忌々しさ。さりとて打ち捨ておかば清吉の乱暴も我が命令けてさせしかのよう疑がわれて、何も知らぬ身に心地快からぬ濡衣被せられんことの口惜しく、たださえおもしろからぬこのごろよけいな魔がさして下らぬ心労いを、馬鹿馬鹿しき清吉めが挙動のためにせねばならぬ苦々しさにますます心平穏ならねど、処弁く道の処弁かで済むべきわけもなければ、これも皆自然に湧きしこと、なんとも是非なしと諦めて厭々ながら十兵衛が家音問れ、不慮の難をば訪い慰め、かつは清吉を戒むること足らざりしを謝び、のっそり夫婦が様子を視るに十兵衛は例の無言三昧、お浪は女の物やさしく、幸い傷も肩のは浅く大したことではござりませねばどうぞお案じ下されますな、わざわざお見舞い下されては実に恐れ入りまする、と如才なく口はきけど言葉遣いのあらたまりて、自然とどこかに稜角あるは問わずと知れし胸の中、もしや源太が清吉に内々含めてさせしかと疑い居るに極まったり。
ええ業腹な、十兵衛も大方我をそう視て居るべし、とく時機の来よこの源太が返報仕様を見せてくれん、清吉ごとき卑劣な野郎のしたことに何似るべきか、釿で片耳殺ぎ取るごときくだらぬことを我がしょうや、わが腹立ちは木片の火のぱっと燃え立ちすぐ消ゆる、堪えも意地もなきようなることでは済まさじ承知せじ、今日の変事は今日の変事、わが癇癪はわが癇癪、まるで別なり関係なし、源太がしようは知るとき知れ悟らする時悟らせくれんと、裏にいよいよ不平は懐けど露塵ほども外には出さず、義理の挨拶見事に済ましてすぐその足を感応寺に向け、上人のお目通り願い、一応自己が隷属の者の不埒をお謝罪し、わが家に帰りて、いざこれよりは鋭次に会い、その時清を押えくれたる礼をも演べつその時の景状をも聞きつ、また一ツにはさんざん清を罵り叱って以後わが家に出入り無用と云いつけくれんと立ち出でかけ、お吉のいぬを不審してどこへと問えば、どちらへかちょと行て来るとてお出でになりました、と何食わぬ顔で婢の答え、口禁めされてなりとは知らねば、おおそうか、よしよし、我は火の玉の兄きがところへ遊びに行たとお吉帰らば云うておけ、と草履つっかけ出合いがしら、胡麻竹の杖とぼとぼと焼痕のある提灯片手、老いの歩みの見る目笑止にへの字なりして此方へ来る婆。おお清の母親ではないか。あ、親方様でしたか、
其二十八
ああ好いところでお眼にかかりましたがどちらへかお出かけでござりまするか、と忙しげに老婆が問うに源太軽く会釈して、まあよいわ、遠慮せずと此方へはいりゃれ、わざわざ夜道を拾うて来たは何ぞ急の用か、聴いてあげよう、と立ち戻れば、ハイハイ、ありがとうござります、お出かけのところを済みません、御免下さいまし、ハイハイ、と云いながら後に随いて格子戸くぐり、寒かったろうによう出て来たの、あいにくお吉もいないで関うこともできぬが、縮こまっていずとずっと前へ進て火にでもあたるがよい、と親切に云うてくるる源太が言葉にいよいよ身を堅くして縮こまり、お構い下さいましては恐れ入りまする、ハイハイ、懐炉を入れておりますればこれで恰好でござりまする、と意久地なく落ちかかる水涕を洲の立った半天の袖で拭きながらはるか下って入口近きところに蹲まり、何やら云い出したそうな素振り、源太早くも大方察して老婆の心の中さぞかしと気の毒さ堪らず、よけいなことし出して我に肝煎らせし清吉のお先走りを罵り懲らして、当分出入りならぬ由云いに鋭次がところへ行かんとせし矢先であれど、視ればわが子を除いては阿弥陀様よりほかに親しい者もなかるべきか弱き婆のあわれにて、我清吉を突き放さば身は腰弱弓の弦に断れられし心地して、在るに甲斐なき生命ながらえんに張りもなく的もなくなり、どれほどか悲しみ歎いて多くもあらぬ余生を愚痴の涙の時雨に暮らし、晴れ晴れとした気持のする日もなくて終ることならんと、思いやれば思いやるだけ憫然さの増し、煙草捻ってつい居るに、婆は少しくにじり出で、夜分まいりましてまことに済みませんが、あの少しお願い申したいわけのござりまして、ハイハイ、もう御存知でもござりましょうがあの清吉めがとんだことをいたしましたそうで、ハイハイ、鉄五郎様から大概は聞きましたが、平常からして気の逸い奴で、じきに打つの斫るのと騒ぎましてそのたびにひやひやさせまする、お蔭さまで一人前にはなっておりましてもまだ児童のような真一酷、悪いことや曲ったことは決してしませぬが取り上せては分別のなくなる困った奴で、ハイハイ、悪気は夢さらない奴でござります、ハイハイそれは御存知で、ハイありがとうござります、どういう筋で喧嘩をいたしましたか知りませぬが大それた手斧なんぞを振り舞わしましたそうで、そうききました時は私が手斧で斫られたような心持がいたしました、め組の親分とやらが幸い抱き留めて下されましたとか、まあせめてもでござります、相手が死にでもしましたら彼めは下手人、わたくしは彼を亡くして生きて居る瀬はござりませぬ、ハイありがとうござります、彼めが幼少ときはひどい虫持で苦労をさせられましたも大抵ではござりませぬ、ようやく中山の鬼子母神様の御利益で満足には育ちましたが、癒りましたら七歳までにお庭の土を踏ませましょうと申しておきながら、ついなにかにかまけてお礼参りもいたさせなかったその御罰か、丈夫にはなりましたがあの通りの無鉄砲、毎々お世話をかけまする、今日も今日とて鉄五郎様がこれこれと掻い摘んで話されました時の私のびっくり、刃物を準備までしてと聞いた時には、ええまたかと思わずどっきり胸も裂けそうになりました、め組の親分様とかが預かって下されたとあれば安心のようなものの、清めは怪我はいたしませぬかと聞けば鉄様の曖昧な返辞、別条はない案じるなと云わるるだけになお案ぜられ、その親分の家を尋ぬれば、そこへ汝が行ったがよいか行かぬがよいか我には分らぬ、ともかくも親方様のところへ伺って見ろと云いっ放しで帰ってしまわれ、なおなお胸がしくしく痛んでいても起っても居られませねば、留守を隣家の傘張りに頼んでようやく参りました、どうかめ組の親分とやらの家を教えて下さいまし、ハイハイすぐにまいりまするつもりで、どんな態しておりまするか、もしやかえって大怪我などして居るのではござりますまいか、よいものならば早う逢って安堵しとうござりまするし喧嘩の模様も聞きとうござりまする、大丈夫曲ったことはよもやいたすまいと思うておりまするが若い者のこと、ひょっと筋の違った意趣ででもしたわけなら、相手の十兵衛様にまずこの婆が一生懸命で謝罪り、婆はたといどうされても惜しくない老耄、生先の長い彼めが人様に恨まれるようなことのないようにせねばなりませぬ、とおろおろ涙になっての話し。始終を知らで一ト筋にわが子をおもう老いの繰言、この返答には源太こまりぬ。
其二十九
八五郎そこに居るか、誰か来たようだ明けてやれ、と云われて、なんだ不思議な、女らしいぞと口の中で独語ながら、誰だ女嫌いの親分のところへ今ごろ来るのは、さあはいりな、とがらりと戸を引き退くれば、八ッさんお世話、と軽い挨拶、提灯吹き滅して頭巾を脱ぎにかかるは、この盆にもこの正月にも心付けしてくれたお吉と気がついて八五郎めんくらい、素肌に一枚どてらの袵広がって鼠色になりしふんどしの見ゆるを急に押し隠しなどしつ、親分、なんの、あの、なんの姉御だ、と忙しく奥へ声をかくるに、なんの尽しで分る江戸ッ児。おおそうか、お吉来たの、よく来た、まあそこらの塵埃のなさそうなところへ坐ってくれ、油虫が這って行くから用心しな、野郎ばかりの家は不潔のが粧飾だから仕方がない、我も汝のような好い嚊でも持ったら清潔にしようよ、アハハハと笑えばお吉も笑いながら、そうしたらまた不潔不潔と厳しくお叱めなさるか知れぬ、と互いに二ツ三ツ冗話しして後、お吉少しく改まり、清吉は眠ておりまするか、どういう様子か見てもやりたし、心にかかれば参りました、と云えば鋭次も打ち頷き、清は今がたすやすや睡ついて起きそうにもない容態じゃが、疵というて別にあるでもなし頭の顱骨を打ち破ったわけでもなければ、整骨医師の先刻云うには、ひどく逆上したところを滅茶滅茶に撲たれたため一時は気絶までもしたれ、保証大したことはない由、見たくばちょっと覗いて見よ、と先に立って導く後につき行くお吉、三畳ばかりの部屋の中に一切夢で眠り居る清吉を見るに、顔も頭も膨れ上りて、このように撲ってなしたる鋭次の酷さが恨めしきまで可憫なる態なれど、済んだことの是非もなく、座に戻って鋭次に対い、我夫では必ず清吉がよけいな手出しに腹を立ち、お上人様やら十兵衛への義理をかねて酷く叱るか出入りを禁むるか何とかするでござりましょうが、元はといえば清吉が自分の意恨でしたではなし、つまりは此方のことのため、筋の違った腹立ちをついむらむらとしたのみなれば、妾はどうも我夫のするばかりを見て居るわけには行かず、ことさら少しわけあって妾がどうとかしてやらねばこの胸の済まぬ仕誼もあり、それやこれやをいろいろと案じた末に浮んだは一年か半年ほど清吉に此地退かすること、人の噂も遠のいて我夫の機嫌も治ったら取り成しようは幾らもあり、まずそれまでは上方あたりに遊んで居るようしてやりたく、路用の金も調えて来ましたれば少しなれどもお預け申しまする、どうぞよろしく云い含めて清吉めに与って下さりませ、我夫はあの通り表裏のない人、腹の底にはどう思っても必ず辛く清吉に一旦あたるに違いなく、未練げなしに叱りましょうが、その時何と清吉がたとい云うても取り上げぬは知れたこと、傍から妾が口を出しても義理は義理なりゃしようはなし、さりとて欲でしでかした咎でもないに男一人の寄りつく島もないようにして知らぬ顔ではどうしても妾が居られませぬ、彼が一人の母のことは彼さえいねば我夫にも話して扶助るに厭は云わせまじく、また厭というような分らぬことを云いもしますまいなれば掛念はなけれど、妾が今夜来たことやら蔭で清をばいたわることは、我夫へは当分秘密にして。わかった、えらい、もう用はなかろう、お帰りお帰り、源太が大抵来るかも知れぬ、撞見しては拙かろう、と愛想はなけれど真実はある言葉に、お吉嬉しく頼みおきて帰れば、その後へ引きちがえて来る源太、はたして清吉に、出入りを禁むる師弟の縁断るとの言い渡し。鋭次は笑って黙り、清吉は泣いて詫びしが、その夜源太の帰りしあと、清吉鋭次にまた泣かせられて、狗になっても我ゃ姉御夫婦の門辺は去らぬと唸りける。
四五日過ぎて清吉は八五郎に送られ、箱根の温泉を志して江戸を出でしが、それよりたどる東海道いたるは京か大阪の、夢はいつでも東都なるべし。
其三十
十兵衛傷を負うて帰ったる翌朝、平生のごとく夙く起き出づればお浪驚いて急にとどめ、まあ滅相な、ゆるりと臥んでおいでなされおいでなされ、今日は取りわけ朝風の冷たいに破傷風にでもなったら何となさる、どうか臥んでいて下され、お湯ももうじき沸きましょうほどに含嗽手水もそこで妾がさせてあげましょう、と破れ土竈にかけたる羽虧け釜の下焚きつけながら気を揉んで云えど、一向平気の十兵衛笑って、病人あしらいにされるまでのことはない、手拭だけを絞ってもらえば顔も一人で洗うたが好い気持じゃ、と箍の緩みし小盥にみずから水を汲み取りて、別段悩める容態もなく平日のごとく振舞えば、お浪は呆れかつ案ずるに、のっそり少しも頓着せず朝食終うて立ち上り、いきなり衣物を脱ぎ捨てて股引腹掛け着けにかかるを、とんでもないことどこへ行かるる、何ほど仕事の大事じゃとて昨日の今日は疵口の合いもすまいし痛みも去るまじ、じっとしていよ身体を使うな、仔細はなけれど治癒るまでは万般要慎第一と云われたお医者様の言葉さえあるに、無理圧しして感応寺に行かるる心か、強過ぎる、たとい行ったとて働きはなるまじ、行かいでも誰が咎みょう、行かで済まぬと思わるるなら妾がちょと一ト走り、お上人様のお目にかかって三日四日の養生を直々に願うて来ましょ、お慈悲深いお上人様の御承知なされぬ気遣いない、かならず大切にせい軽挙すなとおっしゃるは知れたこと、さあ此衣を着て家に引っ籠み、せめて疵口のすっかり密着くまで沈静いていて下され、とひたすらとどめ宥め慰め、脱ぎしをとってまた被すれば、よけいな世話を焼かずとよし、腹掛け着せい、これは要らぬ、と利く右の手にて撥ね退くる。まあそう云わずと家にいて、とまた打ち被する、撥ね退くる、男は意気地女は情、言葉あらそい果てしなければさすがにのっそり少し怒って、わけの分らぬ女の分で邪魔立てするか忌々しい奴、よしよし頼まぬ一人で着る、高の知れたる蚯蚓膨れに一日なりとも仕事を休んで職人どもの上に立てるか、汝はちっとも知るまいがの、この十兵衛はおろかしくて馬鹿と常々云わるる身ゆえに職人どもが軽う見て、眼の前ではわが指揮に従い働くようなれど、蔭では勝手に怠惰るやら譏るやらさんざんに茶にしていて、表面こそ粧え誰一人真実仕事をよくしょうという意気組持ってしてくるるものはないわ、ええ情ない、どうかして虚飾でなしに骨を折ってもらいたい、仕事に膏を乗せてもらいたいと、諭せば頭は下げながら横向いて鼻で笑われ、叱れば口に謝罪られて顔色に怒られ、つくづく我折って下手に出ればすぐと増長さるる口惜しさ悲しさ辛さ、毎日毎日棟梁棟梁と大勢に立てられるは立派でよけれど腹の中では泣きたいようなことばかり、いっそ穴鑿りで引っ使われたほうが苦しゅうないと思うくらい、その中でどうかこうか此日まで運ばして来たに今日休んでは大事の躓き、胸が痛いから早帰りします、頭痛がするで遅くなりましたと皆に怠惰られるは必定、その時自分が休んで居れば何と一言云いようなく、仕事が雨垂れ拍子になってできべきものも仕損う道理、万が一にも仕損じてはお上人様源太親方に十兵衛の顔が向けらりょうか、これ、生きても塔ができねばな、この十兵衛は死んだ同然、死んでも業をし遂げれば汝が夫は生きて居るわい、二寸三寸の手斧傷に臥て居られるか居られぬか、破傷風が怖ろしいか仕事のできぬが怖ろしいか、よしや片腕奪られたとて一切成就の暁までは駕籠に乗っても行かではいぬ、ましてやこれしきの蚯蚓膨れに、と云いつつお浪が手中より奪いとったる腹掛けに、左の手を通さんとして顰むる顔、見るに女房の争えず、争いまけて傷をいたわり、ついに半天股引まで着せて出しける心の中、何とも口には云いがたかるべし。
十兵衛よもや来はせじと思い合うたる職人ども、ちらりほらりと辰の刻ころより来て見てびっくりする途端、精出してくるる嬉しいぞ、との一言を十兵衛から受けて皆冷汗をかきけるが、これより一同励み勤め昨日に変る身のこなし、一をきいては三まで働き、二と云われしには四まで動けば、のっそり片腕の用を欠いてかえって多くの腕を得つ日々工事捗取り、肩疵治るころには大抵塔もできあがりぬ。
其三十一
時は一月の末つ方、のっそり十兵衛が辛苦経営むなしからで、感応寺生雲塔いよいよものの見事に出来上り、だんだん足場を取り除けば次第次第に露わるる一階一階また一階、五重巍然と聳えしさま、金剛力士が魔軍を睥睨んで十六丈の姿を現じ坤軸動がす足ぶみして巌上に突っ立ちたるごとく、天晴れ立派に建ったるかな、あら快よき細工振りかな、希有じゃ未曽有じゃまたあるまじと為右衛門より門番までも、初手のっそりを軽しめたることは忘れて讃歎すれば、円道はじめ一山の僧徒も躍りあがって歓喜び、これでこそ感応寺の五重塔なれ、あら嬉しや、我らが頼む師は当世に肩を比すべき人もなく、八宗九宗の碩徳たち虎豹鶴鷺と勝ぐれたまえる中にも絶類抜群にて、譬えば獅子王孔雀王、我らが頼むこの寺の塔も絶類抜群にて、奈良や京都はいざ知らず上野浅草芝山内、江戸にて此塔に勝るものなし、ことさら塵土に埋もれて光も放たず終るべかりし男を拾いあげられて、心の宝珠の輝きを世に発出されし師の美徳、困苦に撓まず知己に酬いてついにし遂げし十兵衛が頼もしさ、おもしろくまた美わしき奇因縁なり妙因縁なり、天のなせしか人のなせしかはたまた諸天善神の蔭にて操りたまいしか、屋を造るに巧妙なりし達膩伽尊者の噂はあれど世尊在世の御時にもかく快きことありしをいまだきかねば漢土にもきかず、いで落成の式あらば我偈を作らん文を作らん、我歌をよみ詩を作して頌せん讃せん詠ぜん記せんと、おのおの互いに語り合いしは欲のみならぬ人間の情の、やさしくもまた殊勝なるに引き替えて、測りがたきは天の心、円道為右衛門二人が計らいとしていと盛んなる落成式執行の日もほぼ定まり、その日は貴賤男女の見物をゆるし貧者に剰れる金を施し、十兵衛その他を犒らい賞する一方には、また伎楽を奏して世に珍しき塔供養あるべきはずに支度とりどりなりし最中、夜半の鐘の音の曇って平日には似つかず耳にきたなく聞えしがそもそも、漸々あやしき風吹き出して、眠れる児童も我知らず夜具踏み脱ぐほど時候生暖かくなるにつれ、雨戸のがたつく響き烈しくなりまさり、闇に揉まるる松柏の梢に天魔の号びものすごくも、人の心の平和を奪え平和を奪え、浮世の栄華に誇れる奴らの胆を破れや睡りを攪せや、愚物の胸に血の濤打たせよ、偽物の面の紅き色奪れ、斧持てる者斧を揮え、矛もてるもの矛を揮え、汝らが鋭き剣は餓えたり汝ら剣に食をあたえよ、人の膏血はよき食なり汝ら剣にあくまで喰わせよ、あくまで人の膏膩を餌えと、号令きびしく発するや否、猛風一陣どっと起って、斧をもつ夜叉矛もてる夜叉餓えたる剣もてる夜叉、皆一斉に暴れ出しぬ。
其三十二
長夜の夢を覚まされて江戸四里四方の老若男女、悪風来たりと驚き騒ぎ、雨戸の横柄子しっかと※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)せ、辛張り棒を強く張れと家々ごとに狼狽ゆるを、可愍とも見ぬ飛天夜叉王、怒号の声音たけだけしく、汝ら人を憚るな、汝ら人間に憚られよ、人間は我らを軽んじたり、久しく我らを賤しみたり、我らに捧ぐべきはずの定めの牲を忘れたり、這う代りとして立って行く狗、驕奢の塒巣作れる禽、尻尾なき猿、物言う蛇、露誠実なき狐の子、汚穢を知らざる豕の女、彼らに長く侮られてついにいつまで忍び得ん、我らを長く侮らせて彼らをいつまで誇らすべき、忍ぶべきだけ忍びたり誇らすべきだけ誇らしたり、六十四年はすでに過ぎたり、我らを縛せし機運の鉄鎖、我らを囚えし慈忍の岩窟はわが神力にてちぎり棄てたり崩潰さしたり、汝ら暴れよ今こそ暴れよ、何十年の恨みの毒気を彼らに返せ一時に返せ、彼らが驕慢の気の臭さを鉄囲山外に攫んで捨てよ、彼らの頭を地につかしめよ、無慈悲の斧の刃味のよさを彼らが胸に試みよ、惨酷の矛、瞋恚の剣の刃糞と彼らをなしくれよ、彼らが喉に氷を与えて苦寒に怖れ顫かしめよ、彼らが胆に針を与えて秘密の痛みに堪えざらしめよ、彼らが眼前に彼らが生したる多数の奢侈の子孫を殺して、玩物の念を嗟歎の灰の河に埋めよ、彼らは蚕児の家を奪いぬ汝ら彼らの家を奪えや、彼らは蚕児の知恵を笑いぬ汝ら彼らの知恵を讃せよ、すべて彼らの巧みとおもえる知恵を讃せよ、大とおもえる意を讃せよ、美わしとみずからおもえる情を讃せよ、協えりとなす理を讃せよ、剛しとなせる力を讃せよ、すべては我らの矛の餌なれば、剣の餌なれば斧の餌なれば、讃して後に利器に餌い、よき餌をつくりし彼らを笑え、嬲らるるだけ彼らを嬲れ、急に屠るな嬲り殺せ、活かしながらに一枚一枚皮を剥ぎ取れ、肉を剥ぎとれ、彼らが心臓を鞠として蹴よ、枳棘をもて背を鞭てよ、歎息の呼吸涙の水、動悸の血の音悲鳴の声、それらをすべて人間より取れ、残忍のほか快楽なし、酷烈ならずば汝ら疾く死ね、暴れよ進めよ、無法に住して放逸無慚無理無体に暴れ立て暴れ立て進め進め、神とも戦え仏をも擲け、道理を壊って壊りすてなば天下は我らがものなるぞと、叱※(「口+它」、第3水準1-14-88)するたび土石を飛ばして丑の刻より寅の刻、卯となり辰となるまでもちっとも止まず励ましたつれば、数万の眷属勇みをなし、水を渡るは波を蹴かえし、陸を走るは沙を蹴かえし、天地を塵埃に黄ばまして日の光をもほとほと掩い、斧を揮って数寄者が手入れ怠りなき松を冷笑いつつほっきと斫るあり、矛を舞わして板屋根にたちまち穴を穿つもあり、ゆさゆさゆさと怪力もてさも堅固なる家を動かし橋を揺がすものもあり。手ぬるし手ぬるし酷さが足らぬ、我に続けと憤怒の牙噛み鳴らしつつ夜叉王の躍り上って焦躁てば、虚空に充ち満ちたる眷属、おたけび鋭くおめき叫んで遮に無に暴威を揮うほどに、神前寺内に立てる樹も富家の庭に養われし樹も、声振り絞って泣き悲しみ、見る見る大地の髪の毛は恐怖に一々竪立なし、柳は倒れ竹は割るる折しも、黒雲空に流れて樫の実よりも大きなる雨ばらりばらりと降り出せば、得たりとますます暴るる夜叉、垣を引き捨て塀を蹴倒し、門をも破し屋根をもめくり軒端の瓦を踏み砕き、ただ一ト揉みに屑屋を飛ばし二タ揉み揉んでは二階を捻じ取り、三たび揉んでは某寺をものの見事に潰し崩し、どうどうどっと鬨をあぐるそのたびごとに心を冷やし胸を騒がす人々の、あれに気づかいこれに案ずる笑止の様を見ては喜び、居所さえもなくされて悲しむものを見ては喜び、いよいよ図に乗り狼藉のあらん限りを逞しゅうすれば、八百八町百万の人みな生ける心地せず顔色さらにあらばこそ。
中にもわけて驚きしは円道為右衛門、せっかくわずかに出来上りし五重塔は揉まれ揉まれて九輪は動ぎ、頂上の宝珠は空に得読めぬ字を書き、岩をも転ばすべき風の突っかけ来たり、楯をも貫くべき雨のぶつかり来るたび撓む姿、木の軋る音、復る姿、また撓む姿、軋る音、今にも傾覆らんず様子に、あれあれ危し仕様はなきか、傾覆られては大事なり、止むる術もなきことか、雨さえ加わり来たりし上周囲に樹木もあらざれば、未曽有の風に基礎狭くて丈のみ高きこの塔の堪えんことのおぼつかなし、本堂さえもこれほどに動けば塔はいかばかりぞ、風を止むる呪文はきかぬか、かく恐ろしき大暴風雨に見舞いに来べき源太は見えぬか、まだ新しき出入りなりとて重々来ではかなわざる十兵衛見えぬか寛怠なり、他さえかほど気づかうに己がせし塔気にかけぬか、あれあれ危しまた撓んだわ、誰か十兵衛招びに行け、といえども天に瓦飛び板飛び、地上に砂利の舞う中を行かんというものなく、ようやく賞美の金に飽かして掃除人の七蔵爺を出しやりぬ。
其三十三
耄碌頭巾に首をつつみてその上に雨を凌がん準備の竹の皮笠引き被り、鳶子合羽に胴締めして手ごろの杖持ち、恐怖ながら烈風強雨の中を駈け抜けたる七蔵爺、ようやく十兵衛が家にいたれば、これはまた酷いこと、屋根半分はもうとうに風に奪られて見るさえ気の毒な親子三人の有様、隅の方にかたまり合うて天井より落ち来る点滴の飛沫を古筵でわずかに避け居る始末に、さてものっそりは気に働らきのない男と呆れ果てつつ、これ棟梁殿、この暴風雨にそうして居られては済むまい、瓦が飛ぶ樹が折れる、戸外はまるで戦争のような騒ぎの中に、汝の建てられたあの塔はどうあろうと思わるる、丈は高し周囲に物はなし基礎は狭し、どの方角から吹く風をも正面に受けて揺れるわ揺れるわ、旗竿ほどに撓んではきちきちと材の軋る音の物凄さ、今にも倒れるか壊れるかと、円道様も為右衛門様も胆を冷やしたり縮ましたりして気が気ではなく心配して居らるるに、一体ならば迎いなど受けずともこの天変を知らず顔では済まぬ汝が出ても来ぬとはあんまりな大勇、汝のお蔭で険難な使いをいいつかり、忌々しいこの瘤を見てくれ、笠は吹き攫われるずぶ濡れにはなる、おまけに木片が飛んで来て額にぶつかりくさったぞ、いい面の皮とは我がこと、さあさあ一所に来てくれ来てくれ、為右衛門様円道様が連れて来いとの御命令だわ、ええびっくりした、雨戸が飛んで行てしもうたのか、これだもの塔が堪るものか、話しする間にももう倒れたか折れたか知れぬ、ぐずぐずせずと身支度せい、はやくはやくと急り立つれば、傍から女房も心配げに、出て行かるるなら途中が危険い、腐ってもあの火事頭巾、あれを出しましょ冠っておいでなされ、何が飛んで来るか知れたものではなし、外見よりは身が大切、いくら襤褸でも仕方ない刺子絆纏も上に被ておいでなされ、と戸棚がたがた明けにかかるを、十兵衛不興げの眼でじっと見ながら、ああ構うてくれずともよい、出ては行かぬわ、風が吹いたとて騒ぐには及ばぬ、七蔵殿御苦労でござりましたが塔は大丈夫倒れませぬ、なんのこれほどの暴風雨で倒れたり折れたりするような脆いものではござりませねば、十兵衛が出かけてまいるにも及びませぬ、円道様にも為右衛門様にもそう云うて下され、大丈夫、大丈夫でござります、と泰然はらって身動きもせず答うれば、七蔵少し膨れ面して、まあともかくも我と一緒に来てくれ、来て見るがよい、あの塔のゆさゆさきちきちと動くさまを、ここにいて目に見ねばこそ威張って居らるれ、御開帳の幟のように頭を振って居るさまを見られたらなんぼ十兵衛殿寛濶な気性でも、お気の毒ながら魂魄がふわりふわりとならるるであろう、蔭で強いのが役にはたたぬ、さあさあ一所に来たり来たり、それまた吹くわ、ああ恐ろしい、なかなか止みそうにもない風の景色、円道様も為右衛門様も定めし肝を煎っておらるるじゃろ、さっさと頭巾なり絆纏なり冠るとも被るともして出かけさっしゃれ、とやり返す。大丈夫でござりまする、御安心なさってお帰り、と突っぱねる。その安心がそう手易くはできぬわい、とうるさく云う。大丈夫でござりまする、と同じことをいう。末には七蔵焦れこんで、なんでもかでも来いというたら来い、我の言葉とおもうたら違うぞ円道様為右衛門様の御命令じゃ、と語気あらくなれば十兵衛も少し勃然として、我は円道様為右衛門様から五重塔建ていとは命令かりませぬ、お上人様は定めし風が吹いたからとて十兵衛よべとはおっしゃりますまい、そのような情ないことを云うては下さりますまい、もしもお上人様までが塔危いぞ十兵衛呼べと云わるるようにならば、十兵衛一期の大事、死ぬか生きるかの瀬門に乗っかかる時、天命を覚悟して駈けつけましょうなれど、お上人様が一言半句十兵衛の細工をお疑いなさらぬ以上は何心配のこともなし、余の人たちが何を云わりょうと、紙を材にして仕事もせず魔術も手抜きもしていぬ十兵衛、天気のよい日と同じことに雨の降る日も風の夜も楽々としておりまする、暴風雨が怖いものでもなければ地震が怖うもござりませぬと円道様にいうて下され、と愛想なく云い切るにぞ、七蔵仕方なく風雨の中を駈け抜けて感応寺に帰りつき円道為右衛門にこのよし云えば、さてもその場に臨んでの知恵のない奴め、なぜその時に上人様が十兵衛来いとの仰せじゃとは云わぬ、あれあれあの揺るる態を見よ、汝までがのっそりに同化れて寛怠過ぎた了見じゃ、是非はない、も一度行って上人様のお言葉じゃと欺誑り、文句いわせず連れて来い、と円道に烈しく叱られ、忌々しさに独語きつつ七蔵ふたたび寺門を出でぬ。
其三十四
さあ十兵衛、今度は是非に来よ四の五のは云わせぬ、上人様のお召しじゃぞ、と七蔵爺いきりきって門口から我鳴れば、十兵衛聞くより身を起して、なにあの、上人様のお召しなさるとか、七蔵殿それは真実でござりまするか、ああなさけない、何ほど風の強ければとて頼みきったる上人様までが、この十兵衛の一心かけて建てたものを脆くも破壊るるかのように思し召されたか口惜しい、世界に我を慈悲の眼で見て下さるるただ一つの神とも仏ともおもうていた上人様にも、真底からはわが手腕たしかと思われざりしか、つくづく頼もしげなき世間、もう十兵衛の生き甲斐なし、たまたま当時に双びなき尊き智識に知られしを、これ一生の面目とおもうて空に悦びしも真にはかなきしばしの夢、嵐の風のそよと吹けば丹誠凝らせしあの塔も倒れやせんと疑わるるとは、ええ腹の立つ、泣きたいような、それほど我は腑のない奴か、恥をも知らぬ奴と見ゆるか、自己がしたる仕事が恥辱を受けてものめのめ面押し拭うて自己は生きて居るような男と我は見らるるか、たとえばあの塔倒れた時生きていようか生きたかろうか、ええ口惜しい、腹の立つ、お浪、それほど我が鄙しかろうか、あゝあゝ生命ももういらぬ、わが身体にも愛想の尽きた、この世の中から見放された十兵衛は生きて居るだけ恥辱をかく苦悩を受ける、ええいっそのこと塔も倒れよ暴風雨もこの上烈しくなれ、少しなりともあの塔に損じのできてくれよかし、空吹く風も地打つ雨も人間ほど我には情なからねば、塔破壊されても倒されても悦びこそせめ恨みはせじ、板一枚の吹きめくられ釘一本の抜かるるとも、味気なき世に未練はもたねばものの見事に死んで退けて、十兵衛という愚魯漢は自己が業の粗漏より恥辱を受けても、生命惜しさに生存えて居るような鄙劣な奴ではなかりしか、かかる心をもっていしかと責めては後にて弔われん、一度はどうせ捨つる身の捨て処よし捨て時よし、仏寺を汚すは恐れあれどわが建てしもの壊れしならばその場を一歩立ち去り得べきや、諸仏菩薩もお許しあれ、生雲塔の頂上より直ちに飛んで身を捨てん、投ぐる五尺の皮嚢は潰れて醜かるべきも、きたなきものを盛ってはおらず、あわれ男児の醇粋、清浄の血を流さんなれば愍然ともこそ照覧あれと、おもいしことやら思わざりしや十兵衛自身も半分知らで、夢路をいつの間にかたどりし、七蔵にさえどこでか分れて、ここは、おお、それ、その塔なり。
上りつめたる第五層の戸を押し明けて今しもぬっと十兵衛半身あらわせば、礫を投ぐるがごとき暴雨の眼も明けさせず面を打ち、一ツ残りし耳までもちぎらんばかりに猛風の呼吸さえさせず吹きかくるに、思わず一足退きしが屈せず奮って立ち出でつ、欄を握んできっと睥めば天は五月の闇より黒く、ただ囂々たる風の音のみ宇宙に充ちて物騒がしく、さしも堅固の塔なれど虚空に高く聳えたれば、どうどうどっと風の来るたびゆらめき動きて、荒浪の上に揉まるる棚なし小舟のあわや傾覆らん風情、さすが覚悟を極めたりしもまた今さらにおもわれて、一期の大事死生の岐路と八万四千の身の毛よだたせ牙咬みしめて眼を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)り、いざその時はと手にして来し六分鑿の柄忘るるばかり引っ握んでぞ、天命を静かに待つとも知るや知らずや、風雨いとわず塔の周囲を幾たびとなく徘徊する、怪しの男一人ありけり。
其三十五
去る日の暴風雨は我ら生まれてから以来第一の騒ぎなりしと、常は何事に逢うても二十年前三十年前にありし例をひき出して古きを大げさに、新しきをわけもなく云い消す気質の老人さえ、真底我折って噂し合えば、まして天変地異をおもしろずくで談話の種子にするようの剽軽な若い人は分別もなく、後腹の疾まぬを幸い、どこの火の見が壊れたりかしこの二階が吹き飛ばされたりと、他の憂い災難をわが茶受けとし、醜態を見よ馬鹿欲から芝居の金主して何某め痛い目に逢うたるなるべし、さても笑止あの小屋の潰れ方はよ、また日ごろより小面憎かりし横町の生花の宗匠が二階、お神楽だけのことはありしも気味よし、それよりは江戸で一二といわるる大寺の脆く倒れたも仔細こそあれ、実は檀徒から多分の寄附金集めながら役僧の私曲、受負師の手品、そこにはそこのありし由、察するに本堂のあの太い柱も桶でがなあったろうなんどとさまざまの沙汰に及びけるが、いずれも感応寺生雲塔の釘一本ゆるまず板一枚剥がれざりしには舌を巻きて讃歎し、いや彼塔を作った十兵衛というはなんとえらいものではござらぬか、あの塔倒れたら生きてはいぬ覚悟であったそうな、すでのことに鑿啣んで十六間真逆しまに飛ぶところ、欄干をこう踏み、風雨を睨んであれほどの大揉めの中にじっと構えていたというが、その一念でも破壊るまい、風の神も大方血眼で睨まれては遠慮が出たであろうか、甚五郎このかたの名人じゃ真の棟梁じゃ、浅草のも芝のもそれぞれ損じのあったに一寸一分歪みもせず退りもせぬとはよう造ったことの。いやそれについて話しのある、その十兵衛という男の親分がまた滅法えらいもので、もしもちとなり破壊れでもしたら同職の恥辱知合いの面汚し、汝はそれでも生きて居らりょうかと、とても再び鉄槌も手斧も握ることのできぬほど引っ叱って、武士で云わば詰腹同様の目に逢わしょうと、ぐるぐるぐる大雨を浴びながら塔の周囲を巡っていたそうな。いやいや、それは間違い、親分ではない商売上敵じゃそうな、と我れ知り顔に語り伝えぬ。
暴風雨のために準備狂いし落成式もいよいよ済みし日、上人わざわざ源太を召びたまいて十兵衛とともに塔に上られ、心あって雛僧に持たせられしお筆に墨汁したたか含ませ、我この塔に銘じて得させん、十兵衛も見よ源太も見よと宣いつつ、江都の住人十兵衛これを造り川越源太郎これを成す、年月日とぞ筆太に記しおわられ、満面に笑みを湛えて振り顧りたまえば、両人ともに言葉なくただ平伏して拝謝みけるが、それより宝塔長えに天に聳えて、西より瞻れば飛檐ある時素月を吐き、東より望めば勾欄夕べに紅日を呑んで、百有余年の今になるまで、譚は活きて遺りける。