五重塔 (作者:幸田露伴) - 五重塔 | 多賀城[たがのき] - 小説投稿サイト

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五重塔

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作者:管理人



其一
 木理もくめうるわしき槻胴けやきどう、縁にはわざと赤樫あかがしを用いたる岩畳作りの長火鉢ながひばちむかいて話しがたきもなくただ一人、少しはさびしそうにすわり居る三十前後の女、男のように立派なまゆをいつはらいしかったるあとの青々と、見る眼もむべき雨後の山の色をとどめてみどりにおいひとしお床しく、鼻筋つんと通り眼尻めじりキリリと上り、洗い髪をぐるぐるとむごまろめて引裂紙ひっさきがみをあしらいに一本簪いっぽんざしでぐいととどめを刺した色気なしの様はつくれど、憎いほど烏黒まっくろにて艶ある髪の毛の一ふさ二綜おくれ乱れて、浅黒いながら渋気の抜けたる顔にかかれる趣きは、年増嫌としまぎらいでもめずにはおかれまじき風体、わがものならば着せてやりたい好みのあるにと好色漢しれものが随分頼まれもせぬ詮議せんぎかげではすべきに、さりとは外見みえを捨てて堅義を自慢にした身のつくり方、柄の選択えらみこそ野暮ならね高が二子の綿入れに繻子襟しゅすえりかけたを着てどこにべにくさいところもなく、引っ掛けたねんねこばかりは往時むかし何なりしやらあらしまの糸織なれど、これとて幾たびか水を潜って来たやつなるべし。
 今しも台所にては下婢おさん器物もの洗う音ばかりして家内静かに、ほかには人ある様子もなく、何心なくいたずらに黒文字を舌端したさきなぶおどらせなどしていし女、ぷつりとそれをみ切ってぷいと吹き飛ばし、火鉢の灰かきならし炭火ていよくけ、芋籠いもかごより小巾こぎれとりいだし、銀ほど光れる長五徳ながごとくみがきおとしを銅壺どうこふたまで奇麗にして、さて南部霰地なんぶあられ大鉄瓶おおてつびんをちゃんとかけし後、石尊様詣りのついでに箱根へ寄って来しものが姉御あねご御土産おみやとくれたらしき寄木細工の小繊麗こぎようなる煙草箱たばこばこを、右の手に持った鼈甲管べっこうらお煙管きせるで引き寄せ、長閑のどかに一服吸うて線香の煙るように緩々ゆるゆると煙りをいだし、思わず知らず太息ためいきいて、多分は良人うちの手に入るであろうが憎いのっそりめがむこうへまわり、去年使うてやった恩も忘れ上人様に胡麻摺ごますり込んで、たってこん度の仕事をしょうと身の分も知らずに願いを上げたとやら、清吉せいきちの話しでは上人様に依怙贔屓えこひいきのおこころはあっても、名さえ響かぬのっそりに大切だいじの仕事を任せらるることは檀家方の手前寄進者方の手前もむつかしかろうなれば、大丈夫此方こちいいつけらるるにきまったこと、よしまたのっそりに命けらるればとて彼奴あれめにできる仕事でもなく、彼奴の下に立って働く者もあるまいなれば見事でかし損ずるは眼に見えたこととのよしなれど、早く良人うちのひとがいよいよ御用いいつかったと笑い顔して帰って来られればよい、類の少い仕事だけに是非して見たい受け合って見たい、欲徳はどうでもかまわぬ、谷中感応寺やなかかんおうじの五重塔は川越かわごえ源太げんたが作りおった、ああよくでかした感心なと云われて見たいと面白がって、いつになく職業しょうばいに気のはずみを打って居らるるに、もしこの仕事をひとられたらどのように腹を立てらるるか肝癪かんしゃくを起さるるか知れず、それも道理であって見ればわきからわたしの慰めようもないわけ、ああなんにせよめでとう早く帰って来られればよいと、口には出さねど女房気質、今朝背面うしろからわが縫いし羽織打ち掛け着せて出したる男の上を気遣うところへ、表の骨太格子ほねぶとごうし手あらくけて、姉御、兄貴は、なに感応寺へ、仕方がない、それでは姉御に、済みませんがお頼み申します、つい昨晩ゆうべへべまして、と後は云わず異な手つきをして話せば、眉頭まゆがしらしわをよせて笑いながら、仕方のないもないもの、少し締まるがよい、と云い云い立って幾らかの金を渡せば、それをもって門口かどぐちに出で何やらくどくど押し問答せし末こなたに来たりて、拳骨げんこつで額を抑え、どうも済みませんでした、ありがとうござりまする、と無骨な礼をしたるもおかし。


其二
 火は別にとらぬから此方こちへ寄るがよい、と云いながら重げに鉄瓶を取り下して、属輩めしたにも如才なく愛嬌あいきょうんでやる桜湯一杯、心に花のある待遇あしらいは口に言葉のあだしげきより懐かしきに、悪い請求たのみをさえすらりといてくれし上、胸にわだかまりなくさっぱりと平日つねのごとく仕做しなされては、清吉かえって心羞うらはずかしく、どうやら魂魄たましいの底の方がむずがゆいように覚えられ、茶碗ちゃわん取る手もおずおずとして進みかぬるばかり、済みませぬという辞誼じぎを二度ほど繰り返せし後、ようやくかわききったる舌を湿うるおす間もあらせず、今ごろの帰りとはあまり可愛がられ過ぎたの、ホホ、遊ぶはよけれど職業しごとの間を欠いて母親おふくろに心配さするようでは、男振りが悪いではないか清吉、そなたはこのごろ仲町なかちょうの甲州屋様の御本宅の仕事が済むとすぐに根岸の御別荘のお茶席の方へ廻らせられて居るではないか、良人うちのも遊ぶは随分好きで汝たちの先に立って騒ぐは毎々なれど、職業を粗略おろそかにするは大の嫌い、今もし汝の顔でも見たらばまた例の青筋を立つるにまって居るを知らぬでもあるまいに、さあ少し遅くはなったれど母親の持病が起ったとか何とか方便は幾らでもつくべし、早う根岸へ行くがよい、五三ごさ様もわかった人なれば一日をふてて怠惰なまけぬに免じて、見透みすかしても旦那の前は庇護かぼうてくるるであろう、おお朝飯がまだらしい、三や何でもよいほどに御膳ごぜん其方そちへこしらえよ、湯豆腐に蛤鍋はまなべとは行かぬが新漬に煮豆でも構わぬわのう、二三杯かっこんですぐと仕事に走りゃれ走りゃれ、ホホねむくても昨夜ゆうべをおもえば堪忍がまんのなろうに精を惜しむな辛防しんぼうせよ、よいは[#「よいは」はママ]弁当も松に持たせてやるわ、とにがくはなけれど効験ききめある薬の行きとどいた意見に、汗を出して身の不始末をずる正直者の清吉。
 姉御、では御厄介ごやっかいになってすぐに仕事に突っ走ります、と鷲掴わしづかみにした手拭てぬぐいで額き拭き勝手の方に立ったかとおもえば、もうざらざらざらっと口の中へち込むごとく茶漬飯五六杯、早くも食うてしまって出て来たり、さようなら行ってまいります、と肩ぐるみに頭をついと一ツげて煙草管きせるを収め、壺屋つぼや煙草入りょうさげ三尺帯に、さすがは気早き江戸ッ子気質かたぎ草履ぞうりつっかけ門口出づる、途端に今まで黙っていたりし女は急に呼びとめて、この二三日にのっそりめにうたか、と石から飛んで火の出しごとく声をはしらし問いかくれば、清吉ふりむいて、逢いました逢いました、しかも昨日御殿坂で例ののっそりがひとしおのっそりと、往生したとりのようにぐたりと首をれながら歩行あるいて居るを見かけましたが、今度こっちの棟梁とうりょう対岸むこうに立ってのっそりの癖に及びもない望みをかけ、大丈夫ではあるものの幾らか棟梁にも姉御にも心配をさせるそのつらが憎くって面が憎くってたまりませねば、やいのっそりめと頭から毒を浴びせてくれましたに、あいつのことゆえ気がつかず、やいのっそりめ、のっそりめと三度めには傍へ行って大声で怒鳴ってやりましたればようやくびっくりしてふくろに似た眼でひとの顔を見つめ、ああ清吉あーにーいかと寝惚声ねぼけごえ挨拶あいさつ、やい、きさまは大分好い男児おとこになったの、紺屋こうやの干場へ夢にでものぼったか大層高いものを立てたがって感応寺の和尚様に胡麻をり込むという話しだが、それは正気の沙汰か寝惚けてかと冷語ひやかしをまっ向からやったところ、ハハハ姉御、愚鈍うすのろい奴というものは正直ではありませんか、なんと返事をするかとおもえば、わしも随分骨を折って胡麻は摺って居るが、源太親方を対岸に立てて居るのでどうも胡麻が摺りづらくて困る、親方がのっそりきさまやって見ろよと譲ってくれればいいけれどものうとの馬鹿に虫のいい答え、ハハハおもい出しても、心配そうに大真面目くさく云ったその面がおかしくて堪りませぬ、あまりおかしいので憎っ気もなくなり、箆棒べらぼうめと云い捨てに別れましたが。それぎりか。へい。そうかえ、さあ遅くなる、関わずに行くがよい。さようならと清吉は自己おのが仕事におもむきける、後はひとりで物思い、戸外おもてでは無心の児童こどもたちが独楽戦こまあての遊びに声々かしましく、一人殺しじゃ二人殺しじゃ、醜態ざまを見よかたきをとったぞとわめきちらす。おもえばこれも順々競争がたきの世のさまなり。


其三
 世に栄え富める人々は初霜月の更衣うつりかえも何の苦慮くるしみなく、つむぎに糸織に自己おのが好き好きのきぬ着て寒さに向う貧者の心配も知らず、やれ炉開きじゃ、やれ口切りじゃ、それに間に合うよう是非とも取り急いで茶室成就しあげよ待合の庇廂ひさし繕えよ、夜半よわのむら時雨しぐれも一服やりながらでのうては面白く窓つ音を聞きがたしとの贅沢ぜいたくいうて、木枯こがらしすさまじく鐘の氷るようなって来る辛き冬をば愉快こころよいものかなんぞに心得らるれど、その茶室の床板とこいた削りにかんなぐ手の冷えわたり、その庇廂の大和やまとがき結いに吹きさらされて疝癪せんしゃくも起すことある職人風情ふぜいは、どれほどの悪いごうを前の世になしおきて、同じ時候にひととは違い悩めくるしませらるるものぞや、取り分け職人仲間の中でも世才にうとく心好き吾夫うちのひと、腕は源太親方さえ去年いろいろ世話して下されしおりに、立派なものじゃとめられしほど確実たしかなれど、寛濶おうよう気質きだてゆえに仕事も取りはぐりがちで、好いことはいつもひとられ年中嬉しからぬ生活くらしかたに日を送り月を迎うる味気なさ、膝頭ひざがしらの抜けたを辛くも埋めつづ[#ルビの「つづ」は底本では「つつ」]った股引ももひきばかりわが夫にはかせおくこと、婦女おんなの身としては他人よその見る眼も羞ずかしけれど、何にもかも貧がさする不如意に是非のなく、いま縫う猪之いのが綿入れも洗いざらした松坂縞まつざかじま、丹誠一つで着させても着させえなきばかりでなく見ともないほど針目がち、それを先刻さっき頑是がんぜない幼な心といいながら、母様其衣それは誰がのじゃ、小さいからはおれ衣服べべか、嬉しいのうとよろこんでそのまま戸外おもてへ駈けいだし、珍らしゅう暖かい天気に浮かれて小竿こざお持ち、空に飛び交う赤蜻※(「虫+廷」、第4水準2-87-52)あかとんぼはたいて取ろうとどこの町まで行ったやら、ああ考え込めば裁縫しごとも厭気になって来る、せめて腕の半分も吾夫の気心が働いてくれたならばこうも貧乏はしまいに、技倆わざはあっても宝の持ち腐れの俗諺たとえの通り、いつその手腕うであらわれて万人の眼に止まるということの目的あてもない、たたき大工穴鑿あなほり大工、のっそりという忌々いまいましい諢名あだなさえ負わせられて同業中なかまうちにもかろしめらるる歯痒はがゆさ恨めしさ、かげでやきもきとわたしが思うには似ず平気なが憎らしいほどなりしが、今度はまたどうしたことか感応寺に五重塔の建つということ聞くや否や、急にむらむらとその仕事を是非する気になって、恩のある親方様が望まるるをも関わず胴欲に、このような身代の身に引き受きょうとは、ちとえら過ぎると連れ添うわたしでさえ思うものを、他人はなんとうわさするであろう、ましてや親方様は定めし憎いのっそりめと怒ってござろう、お吉様はなおさら義理知らずの奴めと恨んでござろう、今日は大抵どちらにか任すと一言上人様のおめなさるはずとて、今朝出て行かれしがまだ帰られず、どうか今度の仕事だけはあれほど吾夫は望んで居らるるとも此方こちは分に応ぜず、親方には義理もありかたがた親方の方に上人様の任さるればよいと思うような気持もするし、また親方様の大気にて別段怒りもなさらずば、吾夫にさせて見事成就させたいような気持もする、ええ気のめる、どうなることか、とても良人うちにはお任せなさるまいがもしもいよいよ吾夫のすることになったら、どのようにまあ親方様お吉様の腹立てらるるか知れぬ、ああ心配に頭脳あたまの痛む、またこれが知れたらば女のらぬ無益むだ心配、それゆえいつも身体の弱いと、有情やさしくて無理な叱言こごとを受くるであろう、もう止めましょ止めましょ、ああ痛、と薄痘痕うすいものあるあおい顔をしかめながら即効紙のってある左右の顳※(「需+頁」、第3水準1-94-6)こめかみを、縫い物捨てて両手でおさえる女の、齢は二十五六、眼鼻立ちも醜からねど美味うまきもの食わぬに膩気あぶらけ少く肌理きめ荒れたるさまあわれにて、襤褸衣服ぼろぎものにそそけ髪ますます悲しき風情なるが、つくづくひとり歎ずる時しも、台所のしきりの破れ障子がらりと開けて、母様これを見てくれ、と猪之が云うにびっくりして、そなたはいつからそこにいた、と云いながら見れば、四分板六分板の切れ端を積んで現然ありありと真似び建てたる五重塔、思わず母親涙になって、おお好い児ぞと声曇らし、いきなり猪之にいだきつきぬ。


其四
 当時に有名なうての番匠川越の源太が受け負いて作りなしたる谷中感応寺の、どこに一つ批点を打つべきところあろうはずなく、五十畳敷格天井ごうてんじょうの本堂、橋をあざむく長き廻廊、幾部いくつかの客殿、大和尚が居室いま、茶室、学徒所化しょけの居るべきところ、庫裡くり、浴室、玄関まで、あるは荘厳を尽しあるは堅固をきわめ、あるは清らかにあるはびておのおのそのよろしきにかない、結構少しも申し分なし。そもそも微々たる旧基を振るいてかほどの大寺を成せるは誰ぞ。法諱おんなを聞けばそのころの三歳児みつごも合掌礼拝すべきほど世に知られたる宇陀うだ朗円上人ろうえんしょうにんとて、早くより身延みのぶの山に螢雪けいせつの苦学を積まれ、中ごろ六十余州に雲水の修行をかさね、毘婆舎那びばしゃな三行さんぎょう寂静じゃくじょう慧剣えけんぎ、四種の悉檀しったんに済度の法音を響かせられたる七十有余の老和尚、骨は俗界の葷羶くんせんを避くるによってつるのごとくにせ、まなこ人世じんせい紛紜ふんうんきて半ばねむれるがごとく、もとより壊空えくうの理をたいして意欲の火炎ほのおを胸に揚げらるることもなく、涅槃ねはんの真をして執着しゅうじゃく彩色いろに心を染まさるることもなければ、堂塔をおこ伽藍がらんを立てんと望まれしにもあらざれど、徳を慕い風を仰いで寄り来る学徒のいと多くて、それらのものが雨露しのがん便宜たよりもとのままにてはなくなりしまま、なお少し堂の広くもあれかしなんど独語つぶやかれしが根となりて、道徳高き上人の新たに規模を大きゅうして寺を建てんと云いたまうぞと、このこと八方に伝播ひろまれば、中には徒弟の怜悧りこうなるがみずから奮って四方にせ感応寺建立に寄附を勧めてあるくもあり、働き顔に上人の高徳をべ説き聞かし富豪を慫慂すすめて喜捨せしむる信徒もあり、さなきだに平素ひごろより随喜渇仰かつごうの思いを運べるもの雲霞のごときにこの勢いをもってしたれば、上諸侯より下町人まで先を争い財を投じて、我一番に福田ふくでんへ種子を投じて後の世を安楽やすくせんと、富者は黄金白銀を貧者は百銅二百銅を分に応じて寄進せしにぞ、百川海に入るごとくまたたひまに金銭の驚かるるほど集まりけるが、それより世才にけたるものの世話人となり用人となり、万事万端り行うてやがて立派に成就しけるとは、聞いてさえ小気味のよき話なり。
 しかるに悉皆しっかい成就の暁、用人頭の為右衛門普請諸入用諸雑費一切しめくくり、手脱てぬかることなく決算したるになお大金のあまれるあり。これをばいかになすべきと役僧の円道えんどうもろとも、髪ある頭に髪なき頭突き合わせて相談したれど別に殊勝なる分別も出でず、田地を買わんかはた買わんか、田も畠も余るほど寄附のあれば今さらまたこの浄財をそのようなことに費すにも及ばじと思案にあまして、面倒なりよきに計らえと皺枯しわがれたる御声にて云いたまわんは知れてあれど、恐る恐る円道ある時、おぼさるる用途みちもやと伺いしに、塔を建てよとただ一言云われしぎり振り向きもしたまわず、鼈甲縁べっこうぶちの大きなる眼鏡めがねうちよりかすかなる眼の光りを放たれて、何の経やら論やらを黙々と読み続けられけるが、いよいよ塔の建つに定まって例の源太に、積り書いだせと円道が命令いいつけしを、知ってか知らずにか上人様にお目通り願いたしと、のっそりが来しは今より二月ほど前なりし。


其五
 紺とはいえど汗にめ風にかわりて異な色になりし上、幾たびか洗いすすがれたるためそれとしも見えず、えり記印しるしの字さえおぼろげとなりし絆纏はんてんを着て、補綴つぎのあたりし古股引ふるももひきをはきたる男の、髪は塵埃ほこりまみれてしらけ、面は日に焼けて品格ひんなき風采ようすのなおさら品格なきが、うろうろのそのそと感応寺の大門を入りにかかるを、門番とがり声で何者ぞと怪しみ誰何ただせば、びっくりしてしばらく眼を見張り、ようやく腰をかがめて馬鹿丁寧に、大工の十兵衛と申しまする、御普請につきましてお願いに出ました、とおずおず云う風態そぶりの何となくには落ちねど、大工とあるに多方源太が弟子かなんぞの使いに来たりしものならんと推察すいして、通れと一言押柄おうへいに許しける。
 十兵衛これに力を得て、四方あたりを見廻わしながら森厳こうごうしき玄関前にさしかかり、お頼申たのもうすと二三度いえば鼠衣ねずみごろも青黛頭せいたいあたま可愛かわゆらしき小坊主の、おおと答えて障子引きけしが、応接に慣れたるものの眼捷めばやく人を見て、敷台までも下りず突っ立ちながら、用事なら庫裡くりの方へ廻れ、とつれなく云い捨てて障子ぴっしゃり、後はどこやらの樹頭ひよの声ばかりして音もなく響きもなし。なるほどとひとごとしつつ十兵衛庫裡にまわりてまた案内を請えば、用人為右衛門仔細しさいらしき理屈顔して立ち出で、見なれぬ棟梁殿、いずくより何の用事で見えられた、と衣服みなりの粗末なるにはやあなどかろしめた言葉づかい、十兵衛さらに気にもとめず、野生わたくしは大工の十兵衛と申すもの、上人様の御眼にかかりお願いをいたしたいことのあってまいりました、どうぞお取次ぎ下されまし、とこうべを低くして頼み入るに、為右衛門じろりと十兵衛が垢臭あかくさ頭上あたまより白の鼻緒の鼠色になった草履はき居る足先までめ下し、ならぬ、ならぬ、上人様は俗用におかかわりはなされぬわ、願いというは何か知らねど云うて見よ、次第によりては我が取り計ろうてやる、とさもさも万事心得た用人めかせる才物ぶり。それを無頓着むとんじゃくの男の質朴ぶきようにも突き放して、いえ、ありがとうはござりますれど上人様に直々じきじきでのうては、申しても役に立ちませぬこと、どうぞただお取次ぎを願いまする、と此方こちの心が醇粋いっぽんぎなれば先方さきの気にさわる言葉とも斟酌しんしゃくせず推し返し言えば、為右衛門腹には我を頼まぬが憎くていかりを含み、わけのわからぬ男じゃの、上人様はきさまごとき職人らに耳はしたまわぬというに、取り次いでも無益むやくなれば我が計ろうて得させんと、甘くあしらえばつけ上る言い分、もはや何もかも聞いてやらぬ、帰れ帰れ、と小人の常態つねとて語気たちまち粗暴あらくなり、にべなく言い捨て立たんとするにあわてし十兵衛、ではござりましょうなれど、と半分いう間なく、うるさい、やかましいと打ち消され、奥の方に入られてしもうて茫然ぼんやりと土間に突っ立ったままうちほたる脱去ぬけられしごとき思いをなしけるが、是非なく声をあげてまた案内を乞うに、口ある人のありやなしや薄寒き大寺の岑閑しんかんと、反響ひびきのみはわが耳にち来れど咳声しわぶき一つ聞えず、玄関にまわりてまた頼むといえば、先刻さき見たる憎げな怜悧小僧りこうこぼうずのちょっと顔出して、庫裡へ行けと教えたるに、と独語つぶやきて早くも障子ぴしゃり。
 また庫裡に廻りまた玄関に行き、また玄関に行き庫裡に廻り、ついには遠慮を忘れて本堂にまで響く大声をあげ、頼む頼むお頼申すと叫べば、其声それよりでかき声をいだして馬鹿めとののしりながら為右衛門ずかずかと立ち出で、僮僕おとこどもこの狂漢きちがいを門外に引きいだせ、騒々しきを嫌いたまう上人様に知れなば、我らがこやつのために叱らるべしとの下知げじ、心得ましたと先刻さきより僕人部屋おとこべやころがりいし寺僕おとこら立ちかかり引き出さんとする、土間に坐り込んでいだされじとする十兵衛。それ手を取れ足を持ち上げよと多勢おおぜい口々に罵り騒ぐところへ、後園の花二枝にし三枝はさんで床の眺めにせんと、境内けいだいあちこち逍遙しょうようされし朗円上人、木蘭色もくらんじき無垢むくを着て左の手に女郎花おみなえし桔梗ききょう、右の手に朱塗しゅにぎりのはさみ持たせられしまま、図らずここに来かかりたまいぬ。


其六
 何事に罵り騒ぐぞ、と上人が下したまうつるの一声のお言葉に群雀のともがら鳴りをとどめて、振り上げしこぶしかくすにところなく、禅僧の問答にありやありやと云いかけしまま一喝されて腰のくだけたるごとき風情なるもあり、まくり縮めたる袖を体裁きまり悪げに下してこそこそと人の後ろに隠るるもあり。天を仰げる鼻のあなより火煙もくべき驕慢きょうまんの怒りに意気たかぶりし為右衛門も、少しはじてや首をたれみながら、自己おのれが発頭人なるに是非なく、ありし次第をわが田に水引き水引き申し出づれば、痩せ皺びたる顔に深く長くいたる法令の皺溝すじをひとしお深めて、にったりとゆるやかに笑いたまい、婦女おんなのようにかろやわらかな声小さく、それならば騒がずともよいこと、為右衛門そなたがただ従順すなおに取り次ぎさえすれば仔細はのうてあろうものを、さあ十兵衛殿とやら老衲わしについて此方こちへおいで、とんだ気の毒な目にわせました、と万人に尊敬うやまい慕わるる人はまた格別の心の行き方、未学を軽んぜず下司をも侮らず、親切に温和ものやさしく先に立って静かに導きたまう後について、迂濶うかつな根性にも慈悲の浸み透れば感涙とどめあえぬ十兵衛、だんだんと赤土のしっとりとしたるところ、飛石の画趣えごころかれあるところ、梧桐あおぎりの影深く四方竹の色ゆかしく茂れるところなど※(「螢」の「虫」に代えて「糸」、第3水準1-90-16)めぐめぐり過ぎて、ささやかなる折戸を入れば、花もこれというはなき小庭のただものさびて、有楽形うらくがた燈籠とうろうに松の落葉の散りかかり、方星宿ほうせいしゅく手水鉢ちょうずばちこけの蒸せるが見る眼のちりをも洗うばかりなり。
 上人庭下駄脱ぎすてて上にあがり、さあそなた此方こちへ、と云いさしてに持たれし花を早速さそく釣花活つりはないけに投げこまるるにぞ、十兵衛なかなかめずおくせず、手拭てぬぐいで足はたくほどのことも気のつかぬ男とてなすことなく、草履脱いでのっそりと三畳台目の茶室に入りこみ、鼻突き合わすまで上人に近づき坐りて黙々と一礼するさまは、礼儀にならわねど充分に偽飾いつわりなきこころ真実まことをあらわし、幾たびかすぐにも云い出でんとしてなお開きかぬる口をようやくに開きて、舌の動きもたどたどしく、五重の塔の、御願いに出ましたは五重の塔のためでござります、とやぶから棒を突き出したようにしりもったてて声の調子も不揃ふぞろいに、辛くも胸にあることを額やらわきの下の汗とともに絞り出せば、上人おもわず笑いを催され、何か知らねど老衲わしをばこわいものなぞと思わず、遠慮を忘れてゆるりと話をするがよい、庫裡の土間に坐りうで動かずにいた様子では、何か深う思い詰めて来たことであろう、さあ遠慮を捨ててかずに、老衲をば朋友ともだち同様におもうて話すがよい、とあくまでやさしき注意こころぞえ。十兵衛もろくもふくろと常々悪口受くる銅鈴眼すずまなこにはや涙を浮めて、はい、はい、はいありがとうござりまする、思い詰めて参上まいりました、その五重の塔を、こういう野郎でござります、御覧の通り、のっそり十兵衛と口惜くやしい諢名あだなをつけられて居るやっこでござりまする、しかしお上人様、真実ほんとでござりまする、工事しごとは下手ではござりませぬ、知っておりますわたくしは馬鹿でござります、馬鹿にされております、意気地のないやつでござります、虚誕うそはなかなか申しませぬ、お上人様、大工はできます、大隅流おおすみりゅう童児こどもの時から、後藤ごとう立川たてかわ二ツの流義も合点がてん致しておりまする、させて、五重塔の仕事を私にさせていただきたい、それで参上まいりました、川越の源太様が積りをしたとは五六日前聞きました、それから私は寝ませぬわ、お上人様、五重塔は百年に一度一生に一度建つものではござりませぬ、恩を受けております源太様の仕事をりたくはおもいませぬが、ああ賢い人は羨ましい、一生一度百年一度の好い仕事を源太様はさるる、死んでも立派に名を残さるる、ああ羨ましい羨ましい、大工となって生きている生き甲斐もあらるるというもの、それに引き代えこの十兵衛は、のみ手斧ちょうなもっては源太様にだとて誰にだとて、打つ墨縄の曲ることはあれ万が一にも後れを取るようなことは必ず必ずないと思えど、年が年中長屋の羽目板はめの繕いやら馬小屋箱溝はこどぶの数仕事、天道様が知恵というものをおれにはくださらないゆえ仕方がないとあきらめて諦めても、まずい奴らが宮を作り堂を受け負い、見るものの眼から見れば建てさせた人が気の毒なほどのものを築造こしらえたを見るたびごとに、内々自分の不運を泣きますわ、お上人様、時々は口惜しくて技倆うでもない癖に知恵ばかり達者な奴が憎くもなりまするわ、お上人様、源太様は羨ましい、知恵も達者なれば手腕うでも達者、ああ羨ましい仕事をなさるか、おれはよ、源太様はよ、情ないこのおれはよと、羨ましいがつい高じて女房かかにも口きかず泣きながら寝ましたその夜のこと、五重塔をきさま作れ今すぐつくれとおそろしい人にいいつけられ、狼狽うろたえて飛び起きさまに道具箱へ手を突っ込んだは半分夢で半分うつつ、眼が全く覚めて見ますれば指の先を鐔鑿つばのみにつっかけて怪我をしながら道具箱につかまって、いつの間にか夜具の中から出ていたつまらなさ、行燈あんどんの前につくねんと坐ってああ情ない、つまらないと思いました時のその心持、お上人様、わかりまするか、ええ、わかりまするか、これだけが誰にでも分ってくれれば塔も建てなくてもよいのです、どうせ馬鹿なのっそり十兵衛は死んでもよいのでござりまする、腰抜鋸こしぬけのこのように生きていたくもないのですわ、其夜それからというものは真実ほんと、真実でござりまする上人様、晴れて居る空を見ても燈光あかりとどかぬへやすみの暗いところを見ても、白木造りの五重の塔がぬっと突っ立って私を見下しておりまするわ、とうとう自分が造りたい気になって、とても及ばぬとは知りながら毎日仕事を終るとすぐに夜をめて五十分一の雛形ひながたをつくり、昨夜ゆうべでちょうど仕上げました、見に来て下されお上人様、頼まれもせぬ仕事はできてしたい仕事はできない口惜しさ、ええ不運ほど情ないものはないとわしが歎けばお上人様、なまじできずば不運も知るまいと女房めが其雛形それをば揺り動かしての述懐、無理とは聞えぬだけによけい泣きました、お上人様お慈悲に今度の五重塔は私に建てさせて下され、拝みます、こここの通り、と両手を合わせてかしらを畳に、涙は塵を浮べたり。


其七
 木彫りの羅漢らかんのように黙々と坐りて、菩提樹ぼだいじゅの実の珠数ずず繰りながら十兵衛がらちなき述懐に耳を傾け居られし上人、十兵衛がかしらを下ぐるを制しとどめて、わかりました、よく合点が行きました、ああ殊勝な心がけを持って居らるる、立派な考えをたくわえていらるる、学徒どもの示しにもしたいような、老衲わしも思わず涙のこぼれました、五十分一の雛形とやらも是非見にまいりましょう、しかしそなたに感服したればとて今すぐに五重の塔の工事しごとを汝に任するわと、軽忽かるはずみなことを老衲の独断ひとりぎめで言うわけにもならねば、これだけは明瞭はっきりとことわっておきまする、いずれ頼むとも頼まぬともそれは表立って、老衲からではなく感応寺から沙汰をしましょう、ともかくも幸い今日は閑暇ひまのあれば汝が作った雛形を見たし、案内してこれよりすぐに汝が家へ老衲を連れて行てはくれぬか、とすこしも辺幅ようだいを飾らぬ人の、義理すじみち明らかに言葉渋滞しぶりなく云いたまえば、十兵衛満面に笑みを含みつつ米くごとくむやみに頭を下げて、はい、はい、はいと答えおりしが、願いをお取り上げ下されましたか、ああありがとうござりまする、野生わたくしうちへおいで下さりますると、ああもったいない、雛形はじきに野生めが持ってまいりまする、御免下され、と云いさまさすがののっそりも喜悦に狂して平素つねには似ず、大げさに一つぽっくりと礼をばするや否や、飛石に蹴躓けつまずきながら駈け出してわが家に帰り、帰ったと一言女房にも云わず、いきなりに雛形持ち出して人を頼み、二人して息せき急ぎ感応寺へと持ち込み、上人が前にさし置きて帰りけるが、上人これをよくたまうに、初重より五重までの配合つりあい、屋根庇廂ひさし勾配こうばい、腰の高さ、椽木たるき割賦わりふり九輪請花露盤宝珠くりんうけばなろばんほうじゅの体裁までどこに可厭いやなるところもなく、水際みずぎわ立ったる細工ぶり、これがあの不器用らしき男の手にてできたるものかと疑わるるほど巧緻たくみなれば、独りひそかに歎じたまいて、かほどの技倆うでをもちながらむなしくうずもれ、名を発せず世を経るものもあることか、傍眼わきめにさえも気の毒なるを当人の身となりてはいかに口惜しきことならん、あわれかかるものに成るべきならば功名てがらを得させて、多年いだける心願こころだのみそむかざらしめたし、草木とともに朽ちて行く人の身はもとより因縁仮和合いんねんけわごう、よしや惜しむとも惜しみて甲斐なくとどめて止まらねど、たとえば木匠こだくみの道は小なるにせよそれに一心の誠をゆだ生命いのちをかけて、欲も大概あらましは忘れ卑劣きたなおもいも起さず、ただただのみをもってはよく穿らんことを思い、かんなを持ってはよく削らんことを思う心のたっとさは金にも銀にもたぐえがたきを、わずかに残す便宜よすがもなくていたずらに北※(「氓のへん+おおざと」、第3水準1-92-61)ほくぼうの土にうずめ、冥途よみじつともたらし去らしめんこと思えば憫然あわれ至極なり、良馬りょうめしゅうを得ざるの悲しみ、高士世にれられざるの恨みもせんずるところはかわることなし、よしよし、我図らずも十兵衛が胸にいだける無価の宝珠の微光を認めしこそ縁なれ、こたびの工事しごとを彼にいいつけ、せめては少しの報酬むくいをば彼が誠実まことの心に得させんと思われけるが、ふと思いよりたまえば川越の源太もこの工事をことのほかに望める上、彼には本堂庫裏くり客殿作らせしちなみもあり、しかも設計予算つもりがきまではやいだしてわが眼に入れしも四五日前なり、手腕うでは彼とて鈍きにあらず、人の信用うけははるかに十兵衛に超えたり。一ツの工事に二人の番匠、これにもさせたし彼にもさせたし、いずれにせんと上人もさすがこれには迷われける。


其八
 明日たつの刻ごろまでに自身当寺へ来たるべし、かねてその方工事仰せつけられたきむね願いたる五重塔の儀につき、上人直接じきにお話示はなしあるべきよしなれば、衣服等失礼なきよう心得て出頭せよと、厳格おごそかに口上をぶるは弁舌自慢の円珍えんちんとて、唐辛子をむざとたしなくらえるたたり鼻のさきにあらわれたる滑稽納所おどけなっしょ平日ふだんならば南蛮なんばん和尚といえる諢名あだなを呼びて戯談口じょうだんぐちきき合うべき間なれど、本堂建立中朝夕ちょうせき顔を見しよりおのずとれし馴染なじみも今は薄くなりたる上、使僧らしゅう威儀をつくろいて、人さし指中指の二本でややもすれば兜背形とっぱいなり頭顱あたま頂上てっぺんく癖ある手をも法衣ころもの袖に殊勝くさく隠蔽かくし居るに、源太もうやまつつしんで承知の旨を頭下げつつ答えけるが、如才なきお吉はわが夫をかかる俗僧ずくにゅうにまでよくわせんとてか帰り際に、出したままにして行く茶菓子とともに幾干銭いくらか包み込み、是非にというて取らせけるは、思えばけしからぬ布施のしようなり。円珍十兵衛が家にもいたりて同じことをべ帰りけるが、さてその翌日となれば源太は鬚剃ひげそ月代さかやきして衣服をあらため、今日こそは上人のみずから我に御用仰せつけらるるなるべけれと勢い込んで、庫裏より通り、とある一間に待たされてを正しくしひかえける。
 さまこそかわれ十兵衛も心は同じ張りをもち、導かるるまま打ち通りて、人気のなきに寒さ一室ひとまうちにただ一人兀然つくねんとして、今や上人のびたまうか、五重の塔の工事一切そなたに任すと命令いいつけたまうか、もしまた我には命じたまわず源太に任すとめたまいしを我にことわるため招ばれしか、そうにもあらば何とせん、浮むよしなき埋れ木のわが身の末に花咲かん頼みも永くなくなるべし、ただ願わくは上人のわが愚かしきをあわれみて我に命令たまわんことをと、九尺二枚の唐襖からかみ金鳳銀凰きんほうぎんおうかけり舞うそのはく模様の美しきも眼に止めずして、茫々ぼうぼう暗路やみじに物をさぐるごとく念想おもいを空に漂わすことやや久しきところへ、例の怜悧りこうげな小僧こぼうずいで来たりて、方丈さまの召しますほどにこちらへおいでなされまし、と先に立って案内すれば、すわや願望のぞみのかなうともかなわざるとも定まる時ぞと魯鈍おろかの男も胸を騒がせ、導かるるまま随いて一室ひとまうちへずっと入る、途端にこなたをぎろりっと見る眼鋭く怒りを含んで斜めににらむは思いがけなき源太にて、座に上人の影もなし。事の意外に十兵衛も足踏みとめて突っ立ったるまま一言もなく白眼にらみ合いしが、是非なく畳二ひらばかりを隔てしところにようやく坐り、力なげ首悄然しおしおおのれがひざ気勢いきおいのなきたそうなる眼をそそぎ居るに引き替え、源太郎は小狗こいぬ瞰下みおろ猛鷲あらわしの風に臨んで千尺のいわおの上に立つ風情、腹に十分じゅうぶの強みを抱きて、背をもげねば肩をもゆがめず、すっきり端然しゃんと構えたる風姿ようだいといい面貌きりょうといい水際立ったる男振り、万人が万人とも好かずには居られまじき天晴あっぱれ小気味のよき好漢おとこなり。
 されども世俗の見解けんげにはちぬ心の明鏡に照らしてかれこれともに愛し、表面うわべの美醜に露なずまれざる上人のかえっていずれをとも昨日まではえらびかねられしが、思いつかるることのありてか今日はわざわざ二人を招び出されて一室に待たせおかれしが、今しも静々居間を出でられ、畳踏まるる足もかろく、先に立ったる小僧が襖明くる後より、すっと入りて座につきたまえば、二人はうやまつつしみてともにひとしくこうべを下げ、しばらく上げも得せざりしが、ああいじらしや十兵衛が辛くも上げし面には、まだ世馴れざる里の子の貴人きにんの前に出でしようにはじを含みてくれないし、額の皺の幾条いくすじみぞには沁出にじみ熱汗あせたたえ、鼻のさきにもたまを湧かせばわきの下には雨なるべし。膝におきたる骨太の掌指ゆびは枯れたる松が枝ごとき岩畳作りにありながら、一本ごとにそれさえもわなわなふるえて一心にただ上人の一言を一期の大事と待つ笑止さ。
 源太も黙して言葉なく耳を澄まして命を待つ、どちらをどちらとけかぬる、二人のこころを汲みて知る上人もまたなかなかに口を開かん便宜よすがなく、しばしは静まりかえられしが、源太十兵衛ともに聞け、今度建つべき五重塔はただ一ツにて建てんというはそなたたち二人、二人の願いを双方とも聞き届けてはやりたけれど、それはもとよりかないがたく、一人に任さば一人の歎き、誰に定めていいつけんという標準きめどころのあるではなし、役僧用人らの分別にも及ばねば老僧わしが分別にも及ばぬほどに、この分別は汝たちの相談に任す、老僧はかまわぬ、汝たちの相談のまとまりたる通り取り上げてやるべければ、よく家に帰って相談して来よ、老僧が云うべきことはこれぎりじゃによってそう心得て帰るがよいぞ、さあしかと云い渡したぞ、もはや帰ってもよい、しかし今日は老僧も閑暇ひまで退屈なれば茶話しの相手になってしばらくいてくれ、浮世の噂なんど老衲わしに聞かせてくれぬか、その代り老僧も古い話しのおかしなを二ツ三ツ昨日見出したを話して聞かそう、と笑顔やさしく、朋友ともだちかなんぞのように二人をあしろうて、さて何事を云い出さるるやら。


其九
 小僧こぼうずがもって来し茶を上人みずから汲みたまいてすすめらるれば、二人とももったいながりて恐れ入りながら頂戴するを、そう遠慮されては言葉に角が取れいで話が丸う行かぬわ、さあ菓子もはさんではやらぬから勝手につまんでくれ、と高坏たかつき推しやりてみずからも天目取り上げのど湿うるおしたまい、面白い話というも桑門よすてびと老僧わしらにはそうたくさんないものながら、このごろ読んだお経のうちにつくづくなるほどと感心したことのある、聞いてくれこういう話しじゃ、むかしある国の長者が二人の子を引きつれてうららかな天気のおりに、かおりのする花の咲き軟らかな草のしげって居る広野ひろの愉快たのしげに遊行ゆぎょうしたところ、水は大分に夏の初めゆえれたれどなお清らかに流れて岸を洗うて居る大きな川に出で逢うた、その川の中には珠のような小磧こいしやら銀のような砂でできて居る美しいのあったれば、長者は興に乗じて一尋ひとひろばかりの流れを無造作に飛び越え、あなたこなたを見廻せば、洲の後面うしろの方もまた一尋ほどの流れでおかと隔てられたる別世界、まるで浮世のなまぐさい土地つちとは懸絶かけはなれた清浄しょうじょうの地であったままひとり歓び喜んで踊躍ゆやくしたが、わたろうとしても渉り得ない二人の児童こどもが羨ましがってび叫ぶを可憐あわれに思い、そなたたちには来ることのできぬ清浄の地であるが、さほどに来たくば渡らしてやるほどに待っていよ、見よ見よわが足下あしもとのこのこいしは一々蓮華れんげ形状かたちをなし居る世に珍しき磧なり、わが眼の前のこの砂は一々五金の光をもてる比類たぐいまれなる砂なるぞと説き示せば、二人は遠眼にそれを見ていよいよ焦躁あせり渡ろうとするを、長者はしずかに制しながら、洪水おおみずの時にても根こぎになったるらしき棕櫚しゅろの樹の一尋余りなをけ渡して橋としてやったに、我が先へ汝は後にと兄弟争いせめいだ末、兄は兄だけ力強くおととをついに投げ伏せて我意がいの勝を得たに誇り高ぶり、急ぎその橋を渡りかけ半途なかばにようやくいたりし時、弟は起き上りさま口惜しさに力をめて橋をうごかせば兄はたちまち水に落ち、苦しみ※(「足へん+宛」、第3水準1-92-36)もがいて洲に達せしが、この時弟ははやその橋を難なく渡り超えかくるを見るより兄もその橋の端を一揺り揺り動かせば、もとより丸木の橋なるゆえ弟もたまらず水に落ち、わずかに長者の立ったるところへしたたりてい上った、その時長者は歎息して、汝たちには何と見ゆる、今汝らが足踏みかけしよりこの洲はたちまち前と異なり、磧は黒く醜くなりすなは黄ばめる普通つねの沙となれり、見よ見よいかにと告げ知らするに二人は驚き、まなこ※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みはりて見れば全く父の言葉に少しもたがわぬすなこいし、ああかかるもの取らんとて可愛き弟を悩ませしか、たっとき兄をおぼらせしかと兄弟ともにじ悲しみて、弟のたもとを兄は絞り兄の衣裾もすそを弟は絞りて互いにいたわり慰めけるが、かの橋をまた引き来たりて洲の後面うしろなる流れに打ちかけ、はやこの洲には用なければなおもあなたに遊び歩かん、汝たちまずこれを渡れと、長者の言葉に兄弟は顔を見合いて先刻さきには似ず、兄上先にお渡りなされ、弟よ先に渡るがよいと譲り合いしが、年順なれば兄まず渡るその時に、まろびやすきを気遣いて弟は端を揺がぬようしかとおさゆる、その次に弟渡れば兄もまた揺がぬように抑えやり、長者は苦なく飛び越えて、三人ともにいと長閑のどけくそぞろに歩むそのうちに、兄が図らず拾いし石を弟が見れば美しき蓮華の形をなせる石、弟がつまみ上げたる砂を兄がのぞけば眼もまばゆく五金の光を放ちていたるに、兄弟ともども歓喜よろこび楽しみ、互いに得たる幸福しあわせを互いに深く讃歎し合う、その時長者は懐中ふところより真実まことたまの蓮華を取り出し兄に与えて、弟にも真実の砂金を袖より出して大切だいじにせよと与えたという、話してしまえば小供だましのようじゃが仏説に虚言うそはない、小児欺しでは決してない、噛みしめて見よ味のある話しではないか、どうじゃ汝たちにも面白いか、老僧には大層面白いが、と軽く云われて深く浸む、譬喩ひゆ方便も御胸のうちにもたるる真実まことから。源太十兵衛二人とも顔見合わせて茫然たり。


其十
 感応寺よりの帰り道、半分は死んだようになって十兵衛、どんつく布子の袖組み合わせ、腕こまぬきつつうかうか歩き、お上人様のああおっしゃったはどちらか一方おとなしく譲れとさとしの謎々なぞなぞとは、何ほど愚鈍おろかおれにも知れたが、ああ譲りたくないものじゃ、せっかく丹誠に丹誠凝らして、定めし冷えて寒かろうにおやすみなされと親切でしてくるる女房かかの世話までを、黙っていよよけいなと叱り飛ばして夜の眼も合わさず、工夫に工夫を積み重ね、今度という今度は一世一代、腕一杯の物を建てたら死んでも恨みはないとまで思い込んだに、悲しや上人様の今日のおさとし、道理には違いないそうもなければならぬことじゃが、これを譲っていつまた五重塔の建つというあてのあるではなし、一生とてもこの十兵衛は世に出ることのならぬ身か、ああ情ない恨めしい、天道様が恨めしい、たっとい上人様のお慈悲は充分わかっていて露ばかりもありがとうなくは思わぬが、ああどうにもこうにもならぬことじゃ、相手は恩のある源太親方、それに恨みの向けようもなし、どうしてもこうしても温順すなお此方こちの身を退くよりほかに思案も何もないか、ああないか、というて今さら残念な、なまじこのようなことおもいたたずに、のっそりだけで済ましていたらばこのように残念な苦悩おもいもすまいものを、分際忘れたおれが悪かった、ああ我が悪い、我が悪い、けれども、ええ、けれども、ええ、思うまい思うまい、十兵衛がのっそりで浮世の怜悧りこうな人たちの物笑いになってしまえばそれで済むのじゃ、連れ添う女房かかにまでも内々活用はたらきの利かぬ夫じゃとかこたれながら、夢のように生きて夢のように死んでしまえばそれで済むこと、あきらめて見れば情ない、つくづく世間がつまらない、あんまり世間がむご過ぎる、と思うのもやっぱり愚痴か、愚痴か知らねど情な過ぎるが、言わず語らず諭された上人様のあのお言葉の真実まことのところを味わえば、あくまでお慈悲の深いのが五臓六腑に浸み透って未練な愚痴の出端もないわけ、争う二人をどちらにも傷つかぬようさばきたまい、末の末までともによかれと兄弟の子に事寄せてとうといお経を解きほぐして、んで含めて下さったあのお話に比べて見ればもとより我はおととの身、ひとしおひとに譲らねば人間ひとらしくもないものになる、ああ弟とは辛いものじゃと、みちも見分かで屈托のまなこなんだに曇りつつ、とぼとぼとして何一ツ愉快たのしみもなきわが家の方に、糸でかるる木偶でくのように我を忘れて行く途中、この馬鹿野郎発狂漢きちがいめ、ひとのせっかく洗ったものに何する、馬鹿めとだしぬけにみつくごとくののしられ、癇張声かんばりごえに胆を冷やしてハッと思えばぐゎらり顛倒てんどう手桶ておけ枕に立てかけありし張物板に、我知らず一足二足踏みかけて踏みかえしたる不体裁ざまのなさ。
 尻餅しりもちついて驚くところを、狐憑きつねつ[#ルビの「きつねつ」は底本では「きつねつつ」]きめ忌々いまいましい、と駄力だぢからばかりは近江おうみのおかね、顔は子供の福笑戯ふくわらいに眼をつけゆがめた多福面おかめのごとき房州出らしき下婢おさんの憤怒、こぶしを挙げて丁と打ち猿臂えんぴを伸ばして突き飛ばせば、十兵衛たまらず汚塵ほこりまみれ、はいはい、狐につままれました御免なされ、と云いながら悪口雑言聞き捨てに痛さを忍びて逃げ走り、ようやくわが家に帰りつけば、おおお帰りか、遅いのでどういうことかと案じていました、まあ塵埃ほこりまぶれになってどうなされました、と払いにかかるを、構うなと一言、気のなさそうな声で打ち消す。その顔を覗き込む女房にょうぼの真実心配そうなを見て、何か知らず無性に悲しくなってじっと湿うるみのさしくるまなこ、自分で自分を叱るように、ええと図らず声を出し、煙草をひねって何気なくもてなすことはもてなすものの言葉もなし。平時つねに変れる状態ありさまを大方それと推察すいしてさて慰むる便すべもなく、問うてよきやら問わぬがよきやら心にかかる今日の首尾をも、口には出して尋ね得ぬ女房は胸を痛めつつ、その一本は杉箸すぎばしで辛くも用を足す火箸に挾んで添える消炭の、あわれ甲斐なき火力ちからを頼り土瓶どびんの茶をばぬくむるところへ、遊びに出たる猪之の戻りて、やあ父様帰って来たな、父様も建てるか坊も建てたぞ、これ見てくれ、とさも勇ましく障子を明けてめられたさが一杯に罪なくにこりと笑いながら、指さし示す塔の模形まねかた。母は襦袢じゅばんの袖を噛み声も得たてず泣き出せば、十兵衛涙に浮くばかりのつぶらまなこいだし、まじろぎもせでぐいとめしが、おおでかしたでかした、よくできた、褒美ほうびをやろう、ハッハハハとむせび笑いの声高く屋のむねにまで響かせしが、そのままこうべを天にむかわし、ああ、弟とは辛いなあ。


其十一
 格子こうし開くる響きさわやかなること常のごとく、お吉、今帰った、と元気よげに上り来たる夫の声を聞くより、心配を輪に吹き吹き吸うていし煙草管きせるを邪見至極にほうり出して忙わしく立ち迎え、大層遅かったではないか、と云いつつ背面うしろへ廻って羽織を脱がせ、立ちながらあごに手伝わせての袖畳み小早く室隅すみの方にそのままさし置き、火鉢のそばへすぐまたもどってたちまち鉄瓶に松虫のおこさせ、むずと大胡坐おおあぐらかき込み居る男の顔をちょっと見しなに、日は暖かでも風が冷たく途中は随分ひえましたろ、一瓶ひとつ煖酒つけましょか、とかゆいところへよく届かす手は口をきくそのひまに、がたぴしさせずぜんごしらえ、三輪漬はの香ゆかしく、大根卸おろしで食わする※(「魚+生」、第3水準1-94-39)卵はららごは無造作にして気が利きたり。
 源太胸には苦慮おもいあれども幾らかこれに慰められて、猪口ちょくりさまに二三杯、後一杯をゆるく飲んで、きさまれと与うれば、お吉一口、つけて、置き、焼きかけの海苔のり畳み折って、追っつけ三子の来そうなもの、と魚屋の名をひとごとしつ、猪口を返してしゃくせし後、上々吉と腹に思えば動かす舌もなめらかに、それはそうと今日の首尾は、大丈夫此方こちのものとはめていても、知らせて下さらぬうちは無益むだな苦労をわたしはします、お上人様は何と仰せか、またのっそりめはどうなったか、そう真面目顔でむっつりとして居られては心配で心配でなりませぬ、と云われて源太は高笑い。案じてもらうことはない、お慈悲の深い上人様はどの道おれ好漢いいおとこにして下さるのよ、ハハハ、なあお吉、弟を可愛がればいい兄きではないか、腹のったものには自分が少しは辛くても飯を分けてやらねばならぬ場合もある、ひとこわいことは一厘ないが強いばかりが男児おとこではないなあ、ハハハ、じっと堪忍がまんして無理に弱くなるのも男児だ、ああ立派な男児だ、五重塔は名誉の工事しごと、ただおれ一人でものの見事に千年こわれぬ名物を万人の眼に残したいが、他の手も知恵も寸分交ぜず川越の源太が手腕うでだけでのこしたいが、ああ癇癪かんしゃくを堪忍するのが、ええ、男児だ、男児だ、なるほどいい男児だ、上人様に虚言うそはない、せっかく望みをかけた工事を半分他にくれるのはつくづく忌々いまいましけれど、ああ、辛いが、ええ兄きだ、ハハハ、お吉、我はのっそりに半口やって二人で塔を建てようとおもうわ、立派な弱い男児か、めてくれ賞めてくれ、きさまにでも賞めてもらわなくてはあまり張合いのない話しだ、ハハハと嬉しそうな顔もせで意味のない声ばかりはずませて笑えば、お吉は夫の気をはかりかね、上人様が何とおっしゃったか知らぬがわたしにはさっぱり分らずちっとも面白くない話し、唐偏朴とうへんぼくのあののっそりめに半口やるとはどういうわけ、日ごろの気性にも似合わない、やるものならば未練気なしにすっかりやってしまうが好いし、もとより此方こちで取るはずなればりもせぬ助太刀頼んで、一人の首を二人で切るような卑劣けちなことをするにも当らないではありませぬか、冷水ひやみずで洗ったような清潔きれいな腹をもって居ると他にも云われ自分でも常々云うていたおまえが、今日に限って何という煮えきれない分別、女の妾から見ても意地の足らないぐずぐず思案、賞めませぬ賞めませぬ、どうしてなかなか賞められませぬ、高が相手は此方こちの恩を受けて居るのっそりめ、一体ならば此方こちの仕事を先潜さきくぐりする太い奴と高飛車に叱りつけて、ぐうの音も出させぬようにすればなるのっそりめを、そう甘やかして胸の焼ける連名工事れんみょうしごとをなんでするに当るはずのあろうぞ、甘いばかりが立派のことか、弱いばかりが好い男児か、妾の虫には受け取れませぬ、なんなら妾が一走りのっそりめのところに行って、重々恐れ入りましたと思い切らせて謝罪あやまらせて両手を突かせて来ましょうか、と女さかしき夫思い。源太は聞いて冷笑あざわらい、何が汝にわかるものか、我のすることを好いとおもうていてさえくるればそれでよいのよ。


其十二
 色も香もなく一言に黙っていよとやり込められて、かぬ気のお吉顔ふり上げ何か云い出したげなりしが、自己おのれよりは一倍きかぬ気の夫の制するものを、押し返して何ほど云うとも機嫌きげんを損ずることこそはあれ、口答えの甲斐かいは露なきを経験おぼえあって知り居れば、連れ添うものに心の奥を語り明かして相談かけざる夫を恨めしくはおもいながら、そこは怜悧りこうの女の分別早く、何も妾がさえぎって女の癖に要らざるくちを出すではなけれど、つい気にかかる仕事の話しゆえ思わず様子の聞きたくて、よけいなことも胸の狭いだけに饒舌しゃべったわけ、と自分が真実めし言葉をわざとごくごく軽うしてしもうて、どこまでも夫の分別に従うよう表面うわべを粧うも、幾らか夫の腹の底にある煩悶もしゃくしゃいでやりたさよりの真実まこと。源太もこれに角張りかかった顔をやわらげ、何ごとも皆天運まわりあわせじゃ、此方こちの了見さえ温順すなおやさしくもっていたならまた好いことの廻って来ようと、こうおもって見ればのっそりに半口やるもかえって好い心持、世間は気次第で忌々いまいましくも面白くもなるものゆえ、できるだけは卑劣けち※(「金+肅」、第3水準1-93-39)さびを根性に着けず瀟洒あっさりと世を奇麗に渡りさえすればそれで好いわ、と云いさしてぐいと仰飲あおぎ、後は芝居の噂やら弟子どもが行状みもちの噂、真に罪なき雑話を下物さかなに酒も過ぎぬほど心よく飲んで、下卑げび体裁さまではあれどとり膳むつまじく飯を喫了おわり、多方おおかたもう十兵衛が来そうなものと何事もせず待ちかくるに、時はむなしく経過たって障子の日※(「日/咎」、第3水準1-85-32)ひかげ一尺動けどなお見えず、二尺も移れどなお見えず。
 是非先方むこうよりかしらを低くし身をすぼめて此方こちへ相談に来たり、何とぞ半分なりと仕事をわけて下されと、今日の上人様のお慈愛なさけ深きお言葉を頼りに泣きついても頼みをかけべきに、何としてこうは遅きや、思いあきらめて望みを捨て、もはや相談にも及ばずとて独りわが家にくすぼり居るか、それともまた此方より行くを待って居るか、もしも此方の行くを待って居るということならばあまり増長した了見なれど、まさかにそのような高慢気もいだすまじ、例ののっそりで悠長ゆうちょうに構えて居るだけのことならんが、さても気の長い男め迂濶うかつにもほどのあれと、煙草ばかりいたずらにかしいて、待つには短き日も随分長かりしに、それさえ暮れて群烏むらがらすねぐらに帰るころとなれば、さすがに心おもしろからずようやく癇癪の起り起りてこらえきれずなりし潮先、えられし晩食ゆうめしの膳にむかうとそのまま云いわけばかりに箸をつけて茶さえゆるりとは飲まず、お吉、十兵衛めがところにちょっと行て来る、行違いになって不在るすば待たしておけ、と云う言葉さえとげとげしく怒りを含んで立ち出でかかれば、気にはかかれど何とせん方もなく、女房は送って出したる後にて、ただ溜息ためいきをするのみなり。


其十三
 渋ってきかぬる雨戸にひとしお源太は癇癪の火の手をたかぶらせつつ、力まかせにがちがち引き退け、十兵衛うちにか、と云いさまにつとはいれば、声色こわいろ知ったるおなみ早くもそれと悟って、恩あるその人のむこうに今は立ち居る十兵衛に連れ添える身のおもてあわすこと辛く、女気の繊弱かよわくも胸をどきつかせながら、まあ親方様、とただ一言我知らず云い出したるぎり挨拶あいさつさえどぎまぎして急には二の句の出ざるうち、すすけし紙に針のあな、油染みなんど多き行燈あんどん小蔭こかげ悄然しょんぼりと坐り込める十兵衛を見かけて源太にずっと通られ、あわてて火鉢の前にしょうずる機転の遅鈍まずきも、正直ばかりで世態知悉のみこまぬ姿なるべし。
 十兵衛は不束ふつつかに一礼して重げに口を開き、明日の朝参上あがろうとおもうておりました、といえばじろりとその顔下眼ににらみ、わざと泰然おちつきたる源太、おお、そういう其方そちのつもりであったか、こっちは例の気短ゆえ今しがたまで待っていたが、いつになってそなたの来るか知れたことではないとして出かけて来ただけ馬鹿であったか、ハハハ、しかし十兵衛、汝は今日の上人様のあのお言葉をなんと聞いたか、両人ふたりでよくよく相談して来よと云われた揚句に長者の二人の児のお話し、それでわざわざ相談に来たが汝も大抵分別はもうめて居るであろう、おれも随分虫持ちだが悟って見ればあの譬諭たとえの通り、とがりあうのは互いにつまらぬこと、まんざらかたき同士でもないに身勝手ばかりは我も云わぬ、つまりは和熟した決定けつじょうのところが欲しいゆえに、我欲は充分折ってくだいて思案を凝らして来たものの、なお汝の了見も腹蔵のないところを聞きたく、その上にまたどうともしようと、我も男児おとこなりゃきたな謀計たくみを腹には持たぬ、真実ほんとにこうおもうて来たわ、と言葉をしばしとどめて十兵衛が顔を見るに、俯伏うつむいたままただはい、はいと答うるのみにて、乱鬢らんびんうちに五六本の白髪しらがまたた燈火あかりの光を受けてちらりちらりと見ゆるばかり。お浪ははや寝しすけが枕の方につい坐って、呼吸いきさえせぬようこれもまた静まりかえり居るさびしさ。かえって遠くに売りあるく鍋焼饂飩うどんの呼び声の、かすかに外方そとよりうちに浸みこみ来たるほどなりけり。
 源太はいよいよ気を静め、語気なだらかに説きいだすは、まあ遠慮もなく外見みえもつくらず我の方から打ち明けようが、なんと十兵衛こうしてはくれぬか、せっかく汝も望みをかけ天晴あっぱれ名誉の仕事をして持ったる腕の光をあらわし、欲徳ではない職人の本望を見事に遂げて、末代に十兵衛という男が意匠おもいつきぶり細工ぶりこれて知れと残そうつもりであろうが、察しもつこう我とてもそれは同じこと、さらにあるべき普請ではなし、取りはぐっては一生にまた出逢うことはおぼつかないなれば、源太は源太で我が意匠ぶり細工ぶりを是非のこしたいは、理屈を自分のためにつけて云えば我はまあ感応寺の出入り、汝はなんのゆかりもないなり、我は先口、汝は後なり、我は頼まれて設計つもりまでしたに汝は頼まれはせず、ひとの口から云うたらばまた我は受け負うても相応、汝が身柄がらでは不相応と誰しも難をするであろう、だとて我が今理屈を味方にするでもない、世間を味方にするでもない、汝が手腕うでのありながら不幸せで居るというも知って居る、汝が平素ふだん薄命ふしあわせを口へこそ出さね、腹の底ではどのくらい泣いて居るというも知って居る、我を汝の身にしては堪忍がまんのできぬほど悲しい一生というも知って居る、それゆえにこそ去年一昨年おととしなんにもならぬことではあるが、まあできるだけの世話はしたつもり、しかし恩にせるとおもうてくれるな、上人様だとて汝の清潔きれいな腹の中をお洞察みとおしになったればこそ、汝の薄命ふしあわせを気の毒とおもわれたればこそ今日のようなお諭し、我も汝が欲かなんぞで対岸むこうにまわる奴ならば、ひとの仕事に邪魔を入れる猪口才ちょこざい死節野郎しにぶしやろう一釿ひとちょうなに脳天っ欠かずにはおかぬが、つくづく汝の身を察すればいっそ仕事もくれたいような気のするほど、というておれも欲は捨てれぬ、仕事は真実どうあってもしたいわ、そこで十兵衛、聞いてももらいにくく云うても退けにくい相談じゃが、まあこうじゃ、堪忍して承知してくれ、五重塔は二人で建ちょう、我を主にして汝不足でもあろうがそえになって力を仮してはくれまいか、不足ではあろうが、まあ厭でもあろうが源太が頼む、聴いてはくれまいか、頼む頼む、頼むのじゃ、黙って居るのは聴いてくれぬか、お浪さんもわしの云うことのわかったならどうぞ口をえて聴いてもらっては下さらぬか、ともろくも涙になりいる女房にまで頼めば、お、お、親方様、ええありがとうござりまする、どこにこのような御親切の相談かけて下さる方のまたあろうか、なぜお礼をば云われぬか、と左の袖は露時雨つゆしぐれ、涙に重くなしながら、夫の膝を右の手で揺り動かしつ口説くどけど、先刻さきより無言の仏となりし十兵衛何ともなお言わず、再度ふたたび三度かきくどけど黙黙むっくりとして[#「黙黙むっくりとして」はママ]なお言わざりしが、やがてれたるこうべもたげ、どうも十兵衛それは厭でござりまする、と無愛想に放つ一言、吐胸とむねをついて驚く女房。なんと、と一声はげしく鋭く、頸首くびぼね反らす一二寸、眼に角たててのっそりをまっ向よりして瞰下みおろす源太。


其十四
 人情の花もくさず義理の幹もしっかり立てて、普通なみのものにはできざるべき親切の相談を、一方ならぬ実意じつのあればこそ源太のかけてくれしに、いかにってげ出したような性質もちまえがさする返答なればとて、十兵衛厭でござりまするとはあまりなる挨拶あいさつひと情愛なさけのまるでわからぬ土人形でもこうは云うまじきを、さりとては恨めしいほど没義道もぎどうな、口惜しいほど無分別な、どうすればそのように無茶なる夫の了見と、お浪はあきれもし驚きもしわが身の急に絞木しめぎにかけて絞めらるるごとき心地のして、思わず知らず夫にすり寄り、それはまあなんということ、親方様があれほどにあなたこなたのためを計って、見るかげもないこの方連れ、云わば一足に蹴落しておしまいなさるることもなさらばできるこの方連れに、大抵ではないお情をかけて下され、御自分一人でなさりたい仕事をも分けてやろう半口乗せてくりょうと、身に浸みるほどありがたい御親切の御相談、しかもお招喚よびつけにでもなってでのことか、坐蒲団ざぶとんさえあげることのならぬこのようなところへわざわざおいでになってのお話し、それを無にしてもったいない、十兵衛厭でござりまするとは冥利みょうりの尽きた我儘わがまま勝手、親方様の御親切の分らぬはずはなかろうに胴欲なも無遠慮なも大方程度ほどあいのあったもの、これこのわたしの今着て居るのも去年の冬の取りつきに袷姿あわせすがたの寒げなを気の毒がられてお吉様の、縫直なおして着よと下されたのとはおまえの眼にはうつらぬか、一方ならぬ御恩を受けていながら親方様の対岸むこうへ廻るさえあるに、それを小癪こしゃくなとも恩知らずなともおっしゃらず、どこまでも弱い者を愛護かぼうて下さるお仁慈なさけ深い御分別にもすがらいで一概に厭じゃとは、たとえば真底から厭にせよ記臆ものおぼえのある人間ひとの口から出せた言葉でござりまするか、親方様の手前お吉様の所思おもわくをもよくとっくりと考えて見て下され、妾はもはやこれから先どの顔さげてあつかましくお吉様のお眼にかかることのなるものぞ、親方様はお胸の広うて、ああ十兵衛夫婦はわけの分らぬ愚か者なりゃ是も非もないと、そのまま何ともおぼしめされずただ打ち捨てて下さるか知らねど、世間は汝を何と云おう、恩知らずめ義理知らずめ、人情せぬ畜生め、あれは犬じゃ烏じゃと万人の指甲つめはじかれものとなるは必定ひつじょう、犬や烏と身をなして仕事をしたとて何の功名てがら、欲をかわくな齷齪あくせくするなと常々妾にさとされた自分の言葉に対しても恥かしゅうはおもわれぬか、どうぞ柔順すなおに親方様の御異見について下さりませ、天にそびゆる生雲塔しょううんとうは誰々二人で作ったと、親方様ともろともに肩を並べて世にうたわるれば、汝の苦労の甲斐も立ち親方様のありがたいお芳志こころざしも知るる道理、妾もどのように嬉しかろか喜ばしかろか、もしそうなれば不足というは薬にしたくもないはずなるに、汝は天魔にみいられてそれをまだまだ不足じゃとおもわるるのか、ああ情ない、妾が云わずと知れている汝自身の身のほどを、身の分際を忘れてか、と泣き声になり掻き口説く女房のこうべは低く垂れて、まげにさされし縫針のめどくわえし一条ひとすじの糸ゆらゆらと振うにも、千々に砕くる心のさまの知られていとどいじらしきに、眼をふさぎいし十兵衛は、その時例の濁声だみごえ出し、やかましいわお浪、黙っていよ、おれの話しの邪魔になる、親方様聞いて下され。


其十五
 思いのうちに激すればや、じたじたとふるい出すひざかしらをしっかと寄せ合わせて、その上に両手もろて突っ張り、身を固くして十兵衛は、情ない親方様、二人でしょうとは情ない、十兵衛に半分仕事を譲って下さりょうとはお慈悲のようで情ない、厭でござります、厭でござります、塔の建てたいは山々でももう十兵衛は断念あきらめておりまする、お上人様のお諭しを聞いてからの帰り道すっぱり思いあきらめました、身のほどにもない考えを持ったが間違い、ああ私が馬鹿でござりました、のっそりはどこまでものっそりで馬鹿にさえなって居ればそれでよいわけ、溝板どぶいたでもたたいて一生を終りましょう、親方様堪忍かにして下されわたしが悪い、塔を建ちょうとはもう申しませぬ、見ず知らずの他の人ではなし御恩になった親方様の、一人で立派に建てらるるをよそながら視て喜びましょう、と元気なげに云い出づるを走り気の源太ゆるりとは聴いていず、ずいと身を進めて、馬鹿を云え十兵衛、あまり道理が分らな過ぎる、上人様のお諭しはきさま一人に聴けというてなされたではないおれが耳にも入れられたは、汝の腹でも聞いたらば我の胸でも受け取った、汝一人に重石おもし背負しょってそう沈まれてしもうては源太が男になれるかやい、つまらぬ思案に身を退いて馬鹿にさえなって居ればよいとは、分別が摯実くすみ過ぎて至当もっともとは云われまいぞ、おおそうならば我がすると得たりかしこで引き受けては、上人様にも恥かしく第一源太がせっかくみがいた侠気おとこもそこですたってしまうし、汝はもとより虻蜂あぶはち取らず、知恵のないにもほどのあるもの、そしては二人が何よかろう、さあそれゆえに美しく二人で仕事をしょうというに、少しは気まずいところがあってもそれはお互い、汝が不足なほどにこっちにも面白くないのあるは知れきったことなれば、双方忍耐がまんしあうとして忍耐のできぬわけはないはず、何もわざわざ骨を折って汝が馬鹿になってしまい、幾日の心配を煙とやし天晴れな手腕うでを寝せ殺しにするにも当らない、のう十兵衛、我の云うのが腑に落ちたら思案をがらりとし変えてくれ、源太は無理は云わぬつもりだ、これさなぜ黙って居る、不足か不承知か、承知してはくれないか、ええ我の了見をまだ呑み込んではくれないか、十兵衛、あんまり情ないではないか、何とか云うてくれ、不承知か不承知か、ええ情ない、黙って居られてはわからない、我の云うのが不道理か、それとも不足で腹立ててか、と義には強くて情には弱く意地も立つれば親切も飽くまでとおす江戸ッ子腹の、源太は柔和やさしく問いかくれば、聞き居るお浪は嬉しさの骨身に浸みて、親方様ああありがとうござりますると口には出さねど、舌よりも真実まことを語る涙をばあふらすまなこに、返辞せぬ夫の方を気遣きづかいて、見れば男は露一厘身動きなさず無言にて思案のこうべ重くれ、ぽろりぽろりと膝の上に散らす涙珠なみだちて声あり。
 源太も今は無言となりしばらくひとり考えしが、十兵衛汝はまだわからぬか、それとも不足とおもうのか、なるほどせっかく望んだことを二人でするは口惜しかろ、しかも源太をしんにしてそえになるのは口惜しかろ、ええ負けてやれこうしてやろう、源太は副になってもよい汝を心に立てるほどに、さあさあ清く承知して二人でしょうと合点せい、とおのが望みは無理に折り、思いきってぞ云い放つ。とッとんでもない親方様、たとえ十兵衛気が狂えばとてどうしてそうはできますものぞ、もったいない、とあわてて云うに、そうなら我の異見につくか、とただ一言に返されて、それは、とつまるをまた追っかけ、汝を心に立てようか乃至ないしそれでも不足か、とはげしく突かれて度を失うそばにて女房が気もわくせき、親方様の御異見になぜまあ早く付かれぬ、と責むるがごとく恨みわび、言葉そぞろに勧むれば十兵衛ついに絶体絶命、下げたるこうべしずかに上げつぶらまなこき出して、一ツの仕事を二人でするは、よしや十兵衛心になっても副になっても、厭なりゃどうしてもできませぬ、親方一人でお建てなされ、私は馬鹿で終りまする、と皆まで云わせず源太は怒って、これほど事を分けて云う我の親切なさけを無にしてもか。はい、ありがとうはござりまするが、虚言うそは申せず、厭なりゃできませぬ。おのれよく云った、源太の言葉にどうでもつかぬか。是非ないことでござります。やあ覚えていよこののっそりめ、ひとの情の分らぬ奴、そのようのこと云えた義理か、よしよし汝に口は利かぬ、一生どぶでもいじって暮せ、五重塔は気の毒ながら汝に指もささせまい、源太一人で立派に建てる、ならば手柄に批点てんでも打て。


其十六
 えい、ありがとうござります、滅法界に酔いました、もういけやせぬ、と空辞誼そらじぎはうるさいほどしながら、猪口ちょくもつ手を後へは退かぬがおかしき上戸じょうご常態つね、清吉はや馳走酒ちそうざけに十分酔ったれど遠慮に三分の真面目をとどめて殊勝らしく坐り込み、親方の不在るすにこう爛酔へべでは済みませぬ、姉御と対酌さしでは夕暮をおどるようになってもなりませんからな、アハハむやみに嬉しくなって来ました、もう行きましょう、はめをはずすと親方のお眼玉だ、だがしかし姉御、内の親方には眼玉をもらってもわっちは嬉しいとおもっています、なにも姉御の前だからとて軽薄を云うではありませぬが、真実ほんとに内の親方は茶袋よりもありがたいとおもっています、いつぞやの凌雲院りょううんいんの仕事の時も鉄やけいむこうにしてつまらぬことから喧嘩けんかを初め、鉄が肩先へ大怪我をさしたその後で鉄が親から泣き込まれ、ああ悪かった気の毒なことをしたと後悔してもこっちも貧的、どうしてやるにもやりようなく、困りきって逃亡かけおちとまで思ったところを、黙って親方から療治手当もしてやって下された上、かけら半分叱言こごとらしいことを私に云われず、ただ物和ものやさしく、清やてめえ喧嘩は時のはずみで仕方はないが気の毒とおもったら謝罪あやまっておけ、鉄が親の気持もよかろし汝の寝覚めもよいというものだと心づけて下すったその時は、ああどうしてこんなに仁慈なさけ深かろとありがたくてありがたくて私は泣きました、鉄に謝罪るわけはないが親方の一言に堪忍がまんして私も謝罪りに行きましたが、それからおつなものでいつとなく鉄とは仲好しになり、今ではどっちにでもひょっとしたことのあれば骨を拾ってやろうかもらおうかというぐらいの交際つきあいになったも皆親方のおかげ、それに引き変え茶袋なんぞはむやみに叱言こごとを云うばかりで、やれ喧嘩をするな遊興あそびをするなとくだらぬことを小うるさく耳のはたで口説きます、ハハハいやはや話になったものではありませぬ、え、茶袋とは母親おふくろのことです、なにひどくはありませぬ茶袋でたくさんです、しかも渋をひいた番茶の方です、あッハハハ、ありがとうござります、もう行きましょう、え、また一本けたから飲んで行けとおっしゃるのですか、ああありがたい、茶袋だと此方こちで一本というところを反対あべこべにもうせと云いますわ、ああ好い心持になりました、歌いたくなりましたな、歌えるかとは情ない、松づくしなぞはあいつにめられたほどで、と罪のないことを云えばお吉も笑いを含んで、そろそろ惚気のろけは恐ろしい、などと調戯からかい居るところへ帰って来たりし源太、おおちょうどよい清吉いたか、お吉飲もうぞ、支度させい、清吉今夜は酔いつぶれろ、胴魔声の松づくしでも聞いてやろ。や、親方立聞きして居られたな。


其十七
 清吉酔うてはしまりなくなり、砕けた源太が談話はなしぶりさばけたお吉が接待とりなしぶりにいつしか遠慮も打ち忘れ、されていなまず受けてはつと酒盞さかずきの数重ぬるままに、平常つねから可愛らしきあから顔を一層みずみずと、実のった丹波王母珠ほおずきほど紅うして、罪もなき高笑いやら相手もなしの空示威からりきみ、朋輩の誰の噂彼の噂、自己おのれ仮声こわいろのどこそこで喝采やんやを獲たる自慢、あげられぬ奪られるの云い争いの末何楼なにや獅顔火鉢しかみひばちり出さんとして朋友ともだちの仙の野郎が大失策おおしくじりをした話、五十間で地廻りをなぐったことなど、縁に引かれ図に乗ってそれからそれへと饒舌しゃべり散らすうち、ふとのっそりの噂に火が飛べば、とろりとなりし眼を急に見張って、ぐにゃりとしていし肩をそばだて、冷とうなった飲みかけの酒をおかしく唇まげながら吸い干し、一体あんな馬鹿野郎を親方の可愛がるというがわっちにはてんからわかりませぬ、仕事といえば馬鹿丁寧ではこびは一向つきはせず、柱一本鴫居しきい一ツで嘘をいえばかんなを三度もぐような緩慢のろまな奴、何を一ツ頼んでも間に合ったためしがなく、赤松の炉縁ろぶち一ツに三日の手間を取るというのは、多方ああいう手合だろうと仙が笑ったも無理はありませぬ、それを親方が贔屓ひいきにしたので一時は正直のところ、済みませんが私もきんも仙も六も、あんまり親方の腹が大きすぎてそれほどでもないものを買い込み過ぎて居るではないか、念入りばかりで気に入るならおれたちもこれから羽目板にも仕上げがんな、のろりのろりとしたたか清めて碁盤肌ごばんはだにでも削ろうかとひがみを云ったこともありました、第一あいつは交際つきあい知らずで女郎買い一度一所にせず、好闘鶏鍋しゃもなべつつき合ったこともない唐偏朴とうへんぼく、いつか大師だいし一同みんなが行く時も、まあ親方の身辺まわりについて居るものを一人ばかり仲間はずれにするでもないと私が親切に誘ってやったに、我は貧乏で行かれないと云ったきりの挨拶あいさつは、なんと愛想も義理も知らな過ぎるではありませんか、銭がなければ女房かかの一枚着を曲げ込んでも交際は交際で立てるが朋友ともだちずく、それもわからない白痴たわけの癖に段々親方の恩をて、私や金と同じことに今ではどうか一人立ち、しかもはばかりながらあおぱならして弁当箱の持運び、木片こっぱを担いでひょろひょろ帰る餓鬼がきのころから親方の手についていた私や仙とは違って奴は渡り者、次第を云えば私らより一倍深く親方をありがたいかたじけないと思っていなけりゃならぬはず、親方、姉御、私は悲しくなって来ました、私はもしものことがあれば親方や姉御のためと云や黒煙のあおりを食っても飛び込むぐらいの了見は持って居るに、畜生ッ、ああ人情なさけない野郎め、のっそりめ、あいつは火の中へは恩を背負しょっても入りきるまい、ろくな根性はもっていまい、ああ人情ない畜生めだ、と酔いが図らず云い出せし不平の中に潜り込んで、めそめそめそめそ泣き出せば、お吉は夫の顔を見て、いつもの癖が出て来たかと困った風情はしながらも自己の胸にものっそりの憎さがあれば、幾らかは清が言葉を道理もっともと聞く傾きもあるなるべし。
 源太は腹に戸締りのなきほどおろかならざれば、猪口ちょくしつけ高笑いし、何を云い出した清吉、寝ぼけるな我の前だわ、三の切を出しても初まらぬぞ、その手で女でも口説きやれ、随分ころりと来るであろう、きさまのろけた小蝶こちょうさまのお部屋ではない、アッハハハと戯言おどけを云えばなお真面目に、木※(「木+患」、第3水準1-86-5)珠ずずだまほどの涙を払うその手をぺたりと刺身皿さしみざらの中につっこみ、しゃくり上げ歔欷しゃくりあげして泣き出し、ああ情ない親方、私を酔漢よっぱらいあしらいは情ない、酔ってはいませぬ、小蝶なんぞはべませぬ、そういえばあいつのつらがどこかのっそりに似て居るようで口惜しくて情ない、のっそりは憎い奴、親方のむこうを張って大それた、五重の塔を生意気にも建てようなんとは憎い奴憎い奴、親方がやさし過ぎるので増長した謀反人め、謀反人も明智あけちのようなは道理もっともだと伯龍はくりゅうが講釈しましたがあいつのようなは大悪無道ぶどう、親方はいつのっそりの頭を鉄扇でちました、いつ蘭丸らんまるにのっそりの領地をると云いました、私は今にもしもあいつが親方の言葉に甘えて名をならべて塔を建てれば打捨うっちゃってはおけませぬ、たたき殺していぬにくれますこういうように擲き殺して、と明徳利あきどくりの横面いきなりたたき飛ばせば、砕片かけらは散って皿小鉢おどり出すやちんからり。馬鹿野郎め、と親方に大喝されてそのままにぐずりとすわりおとなしく居るかと思えば、散らかりし還原海苔もどしのりの上に額おしつけはや鼾声いびきなり。源太はこれに打ち笑い、愛嬌のある阿呆めに掻巻かいまきかけてやれ、と云いつつ手酌にぐいと引っかけて酒気を吹くことやや久しく、おこって帰って来はしたもののああでは高が清吉同然、さて分別がまだるわ。


其十八
 源太が怒って帰りし後、腕こまぬきて茫然ぼうぜんたる夫の顔をさしのぞきて、吐息つくづくお浪は歎じ、親方様は怒らする仕事はつまり手に入らず、夜の眼も合わさず雛形ひながたまで製造こしらえた幾日の骨折りも苦労も無益むだにした揚句の果てにひとの気持を悪うして、恩知らず人情なしと人の口端にかかるのはあまりといえば情ない、女の差し出たことをいうとただ一口に云わるるか知らねど、正直律義りちぎもほどのあるもの、親方様があれほどに云うて下さる異見について一緒にしたとて恥辱はじにはなるまいに、偏僻かたいじ張ってなんのつまらぬ意気地立て、それを誰が感心なとめましょう、親方様の御料簡につけば第一御恩ある親方のお心持もよいわけ、またお前の名も上り苦労骨折りの甲斐も立つわけ、三方四方みな好いになぜその気にはなられぬか、少しもお前の料簡がわたしの腹には合点のみこめぬ、よくまあ思案し直して親方様の御異見につい従うては下されぬか、お前が分別さええれば妾がすぐにも親方様のところへ行き、どうにかこうにか謝罪あやまり云うて一生懸命精一杯、たれてもたたかれても動くまいほど覚悟をきめ、謝罪って謝罪って謝罪りいたらお情深い親方様が、まさかにいつまで怒ってばかりも居られまい、一時の料簡違いは堪忍かにして下さることもあろう、分別しかえて意地らずに、親方様の云われた通りして見る気にはなられぬか、と夫思いの一筋に口説くも女の道理もっともなれど、十兵衛はなお眼も動かさず、ああもう云うてくれるな、ああ、五重塔とも云うてくれるな、よしないことを思いたってなるほど恩知らずとも云わりょう人情なしとも云わりょう、それも十兵衛の分別が足らいででかしたこと、今さらなんとも是非がない、しかしきさまの云うように思案しかえるはどうしても厭、十兵衛が仕事に手下は使おうが助言じょごんは頼むまい、人の仕事の手下になって使われはしょうが助言はすまい、桝組ますぐみ椽配たるきわりもおれがする日には我の勝手、どこからどこまで一寸たりとも人の指揮さしずは決して受けぬ、善いも悪いも一人で背負しょって立つ、ひとの仕事に使われればただ正直の手間取りとなって渡されただけのことするばかり、生意気な差し出口は夢にもすまい、自分が主でもない癖に自己おのが葉色を際立ててかわった風をほこ寄生木やどりぎは十兵衛の虫が好かぬ、人の仕事に寄生木となるも厭ならわが仕事に寄生木をるるも虫が嫌えば是非がない、やさしい源太親方が義理人情をみ砕いてわざわざ慫慂すすめて下さるは我にもわかってありがたいが、なまじい我の心を生かして寄生木あしらいは情ない、十兵衛は馬鹿でものっそりでもよい、寄生木になって栄えるは嫌いじゃ、矮小けちな下草になって枯れもしょう大樹おおきを頼まば肥料こやしにもなろうが、ただ寄生木になって高く止まる奴らを日ごろいくらも見ては卑しい奴めと心中で蔑視みさげていたに、今我が自然親方の情に甘えてそれになるのはどうあっても小恥かしゅうてなりきれぬわ、いっそのことに親方の指揮さしずのとおりこれを削れあれをき割れと使わるるなら嬉しけれど、なまじ情がかえって悲しい、汝も定めてわからぬ奴と恨みもしょうが堪忍かにしてくれ、ええ是非がない、わからぬところが十兵衛だ、ここがのっそりだ、馬鹿だ、白痴漢たわけだ、何と云われても仕方はないわ、ああッ火も小さくなって寒うなった、もうもう寝てでもしまおうよ、とけば一々道理の述懐。お浪もかえす言葉なく無言となれば、なお寒き一室ひとまを照らせる行燈あんどん灯花ちょうじに暗うなりにけり。


其十九
 その夜は源太床に入りてもなかなか眠らず、一番鶏いちばんどり二番鶏を耳たしかに聞いて朝も平日つねよりははよう起き、含嗽手水うがいちょうずに見ぬ夢を洗って熱茶一杯に酒の残り香を払う折しも、むくむくと起き上ったる清吉寝惚眼ねぼれめをこすりこすり怪訝顔けげんがおしてまごつくに、お吉ともども噴飯ふきだして笑い、清吉昨夜ゆうべはどうしたか、となぶれば急にかしこまって無茶苦茶に頭を下げ、つい御馳走になり過ぎていつか知らず寝てしまいました、姉御、昨夜わっちは何か悪いことでもしはしませぬか、と心配そうに尋ぬるもおかしく、まあ何でも好いわ、飯でも食って仕事に行きやれ、とやさしく云われてますますおそれ、恍然うっとりとして腕を組みしきりに考え込む風情ふぜい、正直なるが可愛らし。
 清吉を出しやりたる後、源太はなおも考えにひとり沈みて日ごろの快活さっぱりとした調子に似もやらず、ろくろくお吉に口さえきかで思案に思案を凝らせしが、ああわかったとひとごとするかと思えば、愍然ふびんなと溜息つき、ええげようかと云うかとおもえば、どうしてくりょうと腹立つ様子を傍にてお吉の見る辛さ、問い慰めんと口をいだせば黙っていよとやりこめられ、詮方せんかたなさに胸の中にて空しく心をいたむるばかり。源太はそれらにかまいもせず夕暮方まで考え考え、ようやく思い定めやしけんつと身を起して衣服をあらため、感応寺に行き上人にまみえて昨夜の始終をば隠すことなく物語りし末、一旦は私もあまりわからぬ十兵衛の答えに腹を立てしものの帰ってよくよく考うれば、たとえば私一人して立派に塔は建つるにせよ、それではせっかくおさとしを受けた甲斐なく源太がまた我欲にばかり強いようで男児おとこらしゅうもない話し、というて十兵衛は十兵衛の思わくを滅多に捨てはすまじき様子、あれも全く自己おのれを押えて譲れば源太も自己を押えてあれに仕事をさせ下されと譲らねばならぬ義理人情、いろいろ愚かな考えを使ってようやく案じ出したことにも十兵衛が乗らねば仕方なく、それを怒っても恨んでも是非のないわけ、はやこの上には変った分別も私には出ませぬ、ただ願うはお上人様、たとえば十兵衛一人に仰せつけられますればとて私かならず何とも思いますまいほどに、十兵衛になり私になり二人ともどもになりどうとも仰せつけられて下さりませ、御口ずからのことなれば十兵衛も私も互いに争う心は捨てておりまするほどに露さら故障はござりませぬ、我ら二人の相談には余って願いにまいりました、と実意を面に現わしつつ願えば上人ほくほく笑われ、そうじゃろそうじゃろ、さすがにそなたも見上げた男じゃ、よいよい、その心がけ一つでもう生雲塔見事に建てたより立派に汝はなっておる、十兵衛も先刻さっきに来て同じことを云うて帰ったわ、あれも可愛い男ではないか、のう源太、可愛がってやれ可愛がってやれ、と心ありげに云わるる言葉を源太早くも合点して、ええ可愛がってやりますとも、といとすずしげに答うれば、上人満面しわにしてよろこびたまいつ、よいわよいわ、ああ気味のよい男児じゃな、と真から底からほめられて、もったいなさはありながら源太おもわずこうべをあげ、おかげで男児になれましたか、と一語に無限の感慨を含めて喜ぶ男泣き。はやこの時に十兵衛が仕事に助力せん心の、世に美しくも湧きたるなるべし。


其二十
 十兵衛感応寺にいたりて朗円上人にまみえ、涙ながらに辞退の旨云うて帰りしその日の味気なさ、煙草のむだけの気も動かすに力なく、茫然ぼんやりとしてつくづくわが身の薄命ふしあわせ、浮世の渡りぐるしきことなど思いめぐらせば思い廻らすほどうれしからず、時刻になりて食う飯の味が今さらかわれるではなけれど、はし持つ手さえ躊躇たゆたいがちにて舌が美味うもうは受けとらぬに、平常つねは六碗七碗を快ういしもわずかに一碗二碗で終え、茶ばかりかえって多く飲むも、心に不悦まずさのある人の免れがたき慣例ならいなり。
 主人あるじが浮かねば女房も、何の罪なきやんちゃざかりの猪之いのまで自然おのずと浮き立たず、さびしき貧家のいとど淋しく、希望のぞみもなければ快楽たのしみも一点あらで日を暮らし、暖か味のない夢に物寂ものさびた夜を明かしけるが、お浪暁天あかつきの鐘に眼覚めて猪之と一所に寝たる床よりそっと出づるも、朝風の寒いに火のないうちから起すまじ、も少しさせておこうとのやさしき親の心なるに、何もかも知らいでたわいなく寝ていし平生いつもとは違い、どうせしことやらたちまち飛び起き、襦袢じゅばん一つで夜具の上ね廻り跳ね廻り、厭じゃい厭じゃい、父様をっちゃ厭じゃい、とわらびのような手を眼にあてて何かは知らず泣き出せば、ええこれ猪之はどうしたものぞ、とびっくりしながら抱き止むるに抱かれながらもなお泣き止まず。誰も父様を打ちはしませぬ、夢でも見たか、それそこに父様はまだ寝て居らるる、と顔を押し向け知らすれば不思議そうに覗き込んで、ようやく安心しはしてもまだ疑惑うたがいの晴れぬ様子。
 猪之やなんにもありはしないわ、夢を見たのじゃ、さあ寒いに風邪をひいてはなりませぬ、床にはいって寝て居るがよい、と引き倒すようにして横にならせ、掻巻かいまきかけて隙間すきまなきよう上から押しつけやる母の顔を見ながら眼をぱっちり、ああこわかった、今よその怖い人が。おゝおゝ、どうかしましたか。大きな、大きな鉄槌げんのうで、黙って坐って居る父様の、頭を打って幾つも打って、頭が半分こわれたので坊は大変びっくりした。ええ鶴亀鶴亀、厭なこと、延喜でもないことを云う、とまゆしわむる折も折、戸外おもてを通る納豆売りのふるえ声に覚えある奴が、ちェッ忌々いまいましい草鞋わらじが切れた、と打ち独語つぶやきて行き過ぐるに女房ますます気色をしくし、台所に出てかまの下をきつくれば思うごとく燃えざるまきも腹立たしく、引窓のすべりよく明かぬも今さらのようにれったく、ああ何となく厭な日と思うも心からぞとは知りながら、なお気になることのみ気にすればにや多けれど、また云い出さば笑われんと自分でしかって平日いつもよりは笑顔をつくり言葉にも活気をもたせ、いきいきとして夫をあしらい子をあしらえど、根がわざとせし偽飾いつわりなればかえって笑いの尻声が憂愁うれいの響きを遺して去る光景ありさまの悲しげなるところへ、十兵衛殿お宅か、と押柄おうへいに大人びた口ききながらはいり来る小坊主、高慢にちょこんと上り込み、御用あるにつきすぐと来たられべしと前後あとさきなしの棒口上。
 お浪も不審、十兵衛も分らぬことに思えどもいなみもならねば、はや感応寺の門くぐるさえ無益むやくしくは考えつつも、何御用ぞと行って問えば、天地顛倒てんどうこりゃどうじゃ、夢かうつつか真実か、円道右に為右衛門左に朗円上人中央まんなかに坐したもうて、円道言葉おごそかに、このたび建立なるところの生雲塔の一切工事川越源太に任せられべきはずのところ、方丈おぼしめし寄らるることあり格別の御詮議例外の御慈悲をもって、十兵衛そのほうにしかとお任せ相成る、辞退の儀は決して無用なり、早々ありがたく御受け申せ、と云い渡さるるそれさえあるに、上人皺枯れたる御声にて、これ十兵衛よ、思う存分し遂げて見い、よう仕上らば嬉しいぞよ、と荷担になうに余る冥加みょうがのお言葉。のっそりハッと俯伏うつぶせしまま五体をなみゆるがして、十兵衛めが生命いのちはさ、さ、さし出しまする、と云いしぎりのどふさがりて言語絶え、岑閑しんかんとせし広座敷に何をか語る呼吸の響きかすかにしてまた人の耳に徹しぬ。


其二十一
 紅蓮白蓮ぐれんびゃくれんにおいゆかしく衣袂たもとすそかおり来て、浮葉に露の玉ゆらぎ立葉に風のそよ吹ける面白の夏の眺望ながめは、赤蜻蛉あかとんぼ菱藻ひしもなぶり初霜向うが岡の樹梢こずえを染めてより全然さらりとなくなったれど、赭色たいしゃになりてはすの茎ばかり情のう立てる間に、世を忍びげの白鷺しらさぎがそろりと歩む姿もおかしく、紺青色こんじょういろに暮れて行くそらにようやくひかり出す星を背中にって飛ぶかりの、鳴き渡る音も趣味おもむきある不忍しのばずの池の景色を下物さかなのほかの下物にして、客に酒をば亀の子ほど飲まする蓬莱屋ほうらいやの裏二階に、気持のよさそうな顔して欣然と人を待つ男一人。唐桟揃とうざんぞろいの淡泊あっさりづくりに住吉張りの銀煙管おとなしきは、職人らしき侠気きおいの風の言語ものいい挙動そぶりに見えながら毫末すこしも下卑ぬ上品だち、いずれ親方親方と多くのものに立てらるる棟梁株とうりょうかぶとは、かねてから知り居る馴染なじみのお伝という女が、さぞお待ち遠でござりましょう、と膳を置きつつ云う世辞を、待つ退屈さにつかまえて、待ち遠で待ち遠でたまりきれぬ、ほんとに人の気も知らないで何をして居るであろう、と云えば、それでもお化粧しまいに手間の取れまするが無理はないはず、と云いさしてホホと笑う慣れきった返しの太刀筋。アハハハそれも道理もっともじゃ、今に来たらばよく見てくれ、まあ恐らくここらに類はなかろう、というものだ。おや恐ろしい、何を散財おごって下さります、そして親方、というものは御師匠さまですか。いいや。娘さんですか。いいや。後家様。いいや。おばあさんですか。馬鹿を云え可愛そうに。では赤ん坊。こいつめ人をからかうな、ハハハハハ。ホホホホホとくだらなく笑うところへふすまの外から、お伝さんと名を呼んでお連れ様と知らすれば、立ち上って唐紙明けにかかりながらちょっと後ろ向いて人の顔へおつに眼をくれ無言で笑うは、お嬉しかろと調戯からかってらして底悦喜そこえっきさする冗談なれど、源太はかえってしんからおかしく思うとも知らずにお伝はすいと明くれば、のろりと入り来る客は色ある新造しんぞどころか香も艶もなき無骨男、ぼうぼう頭髪あたまのごりごり腮髯ひげかおよごれて衣服きものあかづき破れたる見るから厭気のぞっとたつほどな様子に、さすがあきれて挨拶あいさつさえどぎまぎせしまま急には出ず。
 源太は笑みを含みながら、さあ十兵衛ここへ来てくれ、かまうことはない大胡坐おおあぐらで楽にいてくれ、とおずおずし居るを無理に坐にえ、やがて膳部も具備そなわりし後、さてあらためて飲み干したる酒盃さかずきとって源太はし、沈黙だんまりで居る十兵衛にむかい、十兵衛、先刻さっき富松とみまつをわざわざってこんなところに来てもらったは、何でもない、実は仲直りしてもらいたくてだ、どうかきさまとわっさり飲んで互いの胸を和熟させ、過日こないだの夜のおれが云うたあの云い過ぎも忘れてもらいたいとおもうからのこと、聞いてくれこういうわけだ、過日の夜は実は我もあまり汝をわからぬ奴と一途いちずに思って腹も立った、恥かしいが肝癪かんしゃくも起しごうにやし汝の頭を打砕ぶっかいてやりたいほどにまでも思うたが、しかし幸福しあわせに源太の頭が悪玉にばかりは乗っ取られず、清吉めが家へ来て酔った揚句に云いちらした無茶苦茶を、ああ了見のちさい奴はつまらぬことを理屈らしく恥かしくもなく云うものだと、聞いているさえおかしくてたまらなさにふとそう思ったその途端、その夜汝の家でならべ立って来た我の云い草に気がついて見れば清吉が言葉と似たり寄ったり、ええ間違った一時の腹立ちにき込まれたか残念、源太男がすたる、意地が立たぬ、上人の蔑視さげすみも恐ろしい、十兵衛が何もかも捨てて辞退するものをはすに取って逆意地さかいじたてれば大間違い、とは思ってもあまり汝のわからな過ぎるが腹立たしく、四方八方どこからどこまで考えて、ここを推せばそこに襞※(「ころもへん+責」、第3水準1-91-87)ひずみが出る、あすこを立てればここに無理があると、まあ我の知恵分別ありたけ尽して我のためばかりはかるではなく云うたことを、むげに云い消されたが忌々いまいましくて忌々しくて随分堪忍がまんもしかねたが、さていよいよ了見をめて上人様のお眼にかかり所存を申し上げて見れば、よいよいと仰せられたただの一言に雲霧もやもやはもうなくなって、すずしい風が大空を吹いて居るような心持になったわ、昨日きのうはまた上人様からわざわざのお招きで、行って見たれば我を御賞美のお言葉数々のその上、いよいよ十兵衛に普請一切申しつけたがかげになって助けてやれ、皆そなたの善根福種になるのじゃ、十兵衛が手には職人もあるまい、あれがいよいよ取りかかる日には何人いくらやとうそのうちに汝が手下の者も交じろう、必ず猜忌邪曲そねみひがみなど起さぬようにそれらには汝からよく云い含めてやるがよいとの細かいおさとし、何から何まで見透しでお慈悲深い上人様のありがたさにつくづく我折って帰って来たが、十兵衛、過日こないだの云い過ごしは堪忍かにしてくれ、こうした我の心意気がわかってくれたら従来いままで通りきよむつまじく交際つきあってもらおう、一切がこう定まって見れば何と思ったと思ったは皆夢の中の物詮議、後にのこして面倒こそあれやくないこと、この不忍の池水にさらりと流して我も忘りょう、十兵衛きさまも忘れてくれ、木材きしなの引合い、鳶人足とびへの渡りなんど、まだ顔を売り込んでいぬ汝にはちょっとしにくかろうが、それらには我の顔も貸そうし手も貸そう、丸丁まるちょう山六やまろく遠州屋えんしゅうや、いい問屋といやは皆馴染なじみでのうては先方さきがこっちを呑んでならねば、万事歯痒はがゆいことのないよう我を自由に出しに使え、め組のかしら鋭次えいじというは短気なは汝も知って居るであろうが、骨は黒鉄くろがね、性根玉ははばかりながら火の玉だと平常ふだん云うだけ、さてじっくり頼めばぐっと引き受け一寸退かぬ頼もしい男、塔は何より地行じぎょうが大事、空風火水の四ツを受ける地盤の固めをあれにさせれば、火の玉鋭次が根性だけでも不動が台座の岩より堅く基礎いしずえしかとえさすると諸肌もろはだぬいでしてくるるは必定ひつじょう、あれにもやがて紹介ひきあわしょう、もうこうなった暁には源太が望みはただ一ツ、天晴あっぱれ十兵衛汝がよくしでかしさえすりゃそれでよいのじゃ、ただただ塔さえよくできればそれに越した嬉しいことはない、かりそめにも百年千年末世に残って云わば我たちの弟子筋の奴らが眼にも入るものに、へまがあっては悲しかろうではないか、情ないではなかろうか、源太十兵衛時代にはこんなくだらぬ建物に泣いたり笑ったりしたそうなと云われる日には、なあ十兵衛、二人が舎利しゃり魂魄たましい粉灰こばいにされて消し飛ばさるるわ、へたな細工で世に出ぬは恥もかえって少ないが、遺したものを弟子めらに笑わる日には馬鹿親父おやじが息子に異見さるると同じく、親に異見を食う子より何段増して恥かしかろ、生き磔刑はりつけより死んだ後塩漬の上磔刑になるような目にあってはならぬ、初めは我もこれほどに深くも思い寄らなんだが、汝が我の対面むこうにたったその意気張りから、十兵衛に塔建てさせ見よ源太に劣りはすまいというか、源太が建てて見せくりょう何十兵衛に劣ろうぞと、腹の底には木をって出した火でる先の先、我意はなんにもなくなったただよくできてくれさえすれば汝も名誉ほまれ我も悦び、今日はこれだけ云いたいばかり、ああ十兵衛その大きな眼を湿うるませていてくれたか嬉しいやい、とみがいていで礪ぎ出した純粋きっすい江戸ッ子粘り気なし、ぴんでなければ六と出る、忿怒いかりの裏の温和やさしさもあくまで強き源太が言葉に、身動みじろぎさえせで聞きいし十兵衛、何も云わず畳に食いつき、親方、堪忍かにして下され口がきけませぬ、十兵衛には口がきけませぬ、こ、こ、この通り、ああありがとうござりまする、と愚かしくもまた真実まことにただ平伏ひれふして泣きいたり。


其二十二
 言葉はなくても真情まことは見ゆる十兵衛が挙動そぶりに源太は悦び、春風みずを渡ってかすみ日に蒸すともいうべき温和の景色を面にあらわし、なおもやさしき語気円暢なだらかに、こう打ち解けてしもうた上は互いにまずいこともなく、上人様の思召おぼしめしにもかない我たちの一分いちぶんも皆立つというもの、ああなんにせよ好い心持、十兵衛汝も過してくれ、我も充分今日こそ酔おう、と云いつつ立って違いだなに載せて置いたる風呂敷包みとりおろし、結び目といて二束ふたつかねにせし書類かきものいだし、十兵衛が前に置き、我にあっては要なき此品これの、一ツは面倒な材木きしな委細くわしい当りを調べたのやら、人足軽子かるこそのほかさまざまの入目を幾晩かかかってようやく調べあげた積り書、また一ツはあすこをどうしてここをこうしてと工夫に工夫した下絵図、腰屋根の地割りだけなもあり、平地ひらじ割りだけなのもあり、初重の仕形だけのもあり、二手先または三手先、出し組ばかりなるもあり、雲形波形唐草からくさ生類しょうるい彫物のみを書きしもあり、何よりかより面倒なる真柱から内法うちのり長押なげし腰長押切目長押に半長押、縁板えんいた縁かつら亀腹柱高欄垂木たるきます肘木ひじきぬきやら角木すみぎの割合算法、墨縄すみの引きよう規尺かねの取りよう余さずらさず記せしもあり、中には我のせしならで家に秘めたる先祖の遺品かたみ、外へは出せぬ絵図もあり、京都きょうやら奈良の堂塔を写しとりたるものもあり、これらはみんなきさまに預くる、見たらば何かの足しにもなろ、と自己おの精神こころめたるものを惜しげもなしに譲りあたうる、胸の広さの頼もしきをせぬというにはあらざれど、のっそりもまた一気性、ひと巾着きんちゃくでわが口らすようなことは好まず、親方まことにありがとうはござりまするが、御親切は頂戴いただいたも同然、これはそちらにお納めを、と心はさほどになけれども言葉ににべのなさ過ぎる返辞をすれば、源太大きに悦ばず。此品これをば汝はらぬと云うのか、といかりを底にかくして問うに、のっそりそうとは気もつかねば、別段拝借いたしても、と一句うっかり答うる途端、鋭き気性の源太はたまらず、親切の上親切を尽してわが知恵思案を凝らせし絵図までやらんというものを、むげに返すか慮外なり、何ほど自己おのれ手腕うでのよくてひと好情なさけを無にするか、そもそも最初におのれめがわが対岸むこうへ廻わりし時にも腹は立ちしが、じっとこらえて争わず、普通大体なみたいていのものならばわが庇蔭かげたる身をもって一つ仕事に手を入るるか、打ちたたいても飽かぬ奴と、怒って怒ってどうにもすべきを、可愛かわゆきものにおもえばこそ一言半句の厭味も云わず、ただただ自然の成行きに任せおきしを忘れしか、上人様のお諭しを受けての後も分別に分別らしてわざわざ出かけ、汝のために相談をかけてやりしも勝手の意地張り、大体ならぬものとても堪忍がまんなるべきところならぬを、よくよく汝をいとしがればぞ踏みこたえたるとも知らざるか、汝が運のよきのみにて汝が手腕うでのよきのみにて汝が心の正直のみにて、上人様より今度の工事しごといいつけられしと思い居るか、此品これをばやってこの源太が恩がましくでも思うと思うか、乃至ないしはもはや慢気のきざしててんからなんのつまらぬものと人の絵図をも易く思うか、取らぬとあるに強いはせじ、あまりといえば人情なき奴、ああありがとうござりますると喜び受けてこのうちの仕様を一所二所ひととこふたとこは用いし上に、あの箇所はお蔭でうもう行きましたと後で挨拶あいさつするほどのことはあっても当然なるに、けて見もせずのぞきもせず、知れきったると云わぬばかりに愛想もすげもなく要らぬとは、汝十兵衛よくもねたの、この源太がした図の中に汝の知ったもののみあろうや、うぬらが工風の輪の外に源太がおどり出ずにあろうか、見るに足らぬとそちで思わばおのれが手筋も知れてある、大方高の知れた塔建たぬ前から眼にうつって気の毒ながら批難なんもある、もう堪忍の緒もれたり、卑劣きたな返報かえしはすまいなれど源太がはげしい意趣返報がえしは、する時なさでおくべきか、酸くなるほどに今までは口もきいたがもうきかぬ、一旦思い捨つる上は口きくほどの未練ももたぬ、三年なりとも十年なりとも返報しかえしするに充分なことのあるまで、物蔭から眼を光らして睨みつめ無言でじっと待っててくりょうと、気性が違えば思わくも一二度ついに三度めで無残至極に齟齬くいちがい、いと物静かに言葉を低めて、十兵衛殿、と殿の字を急につけ出し叮嚀ていねいに、要らぬという図はしまいましょ、そなた一人で建つる塔定めて立派にできようが、地震か風のあろう時こわるることはあるまいな、と軽くは云えど深く嘲けることばに十兵衛も快よからず、のっそりでも恥辱はじは知っております、と底力味あるくさびを打てば、なかなか見事な一言じゃ、忘れぬように記臆おぼえていようと、くぎをさしつつ恐ろしくにらみて後は物云わず、やがてたちまち立ち上って、ああとんでもないことを忘れた、十兵衛殿ゆるりと遊んでいてくれ、我は帰らねばならぬこと思い出した、と風のごとくにその座を去り、あれという間に推量勘定、幾金いくらか遺してふいと出つ、すぐその足で同じ町のある家がしきいまたぐや否、厭だ厭だ、厭だ厭だ、つまらぬくだらぬ馬鹿馬鹿しい、ぐずぐずせずと酒もて来い、蝋燭ろうそくいじってそれが食えるか、鈍痴どじさかなで酒が飲めるか、小兼こかね春吉はるきちふさ蝶子ちょうこ四の五の云わせず掴んで来い、すねの達者な若い衆頼も、我家うちへ行て清、仙、鉄、政、誰でも彼でもすぐに遊びによこすよう、という片手間にぐいぐい仰飲あおる間もなく入り来る女どもに、今晩なぞとは手ぬるいぞ、とまっ向から焦躁じれを吹っかけて、飲め、酒は車懸くるまがかり、猪口ちょくは巴と廻せ廻せ、お房外見みえをするな、春婆大人ぶるな、ええお蝶めそれでも血が循環めぐって居るのか頭上あたま鼬花火いたちはなび載せて火をつくるぞ、さあ歌え、じゃんじゃんとやれ、小兼め気持のいい声を出す、あぐり踊るか、かぐりもっとねろ、やあ清吉来たか鉄も来たか、なんでもいい滅茶滅茶に騒げ、我に嬉しいことがあるのだ、無礼講にやれやれ、と大将無法の元気なれば、後れて来たる仙も政もけぶに巻かれて浮かれたち、天井抜きょうが根太抜きょうが抜けたら此方こちのお手のものと、飛ぶやら舞うやらうなるやら、潮来出島いたこでじまもしおらしからず、甚句にときの声を湧かし、かっぽれにすべって転倒ころび、手品てずまの太鼓を杯洗で鉄がたたけば、清吉はお房が傍に寝転んで銀釵かんざしにお前そのよに酢ばかり飲んでを稽古する馬鹿騒ぎの中で、一了簡あり顔の政が木遣きやりを丸めたような声しながら、北に峨々ががたる青山せいざんをとおつなことを吐き出す勝手三昧ざんまい、やっちゃもっちゃの末はけんも下卑て、乳房ちちふくれた奴が臍の下に紙幕張るほどになれば、さあもうここは切り上げてと源太が一言、それから先はどこへやら。


其二十三
 蒼※(「顫のへん+鳥」、第3水準1-94-72)たかの飛ぶ時よそはなさず、鶴なら鶴の一点張りに雲をも穿うがち風にもむかって目ざす獲物の、咽喉仏のどぼとけ把攫ひっつかまでは合点せざるものなり。十兵衛いよいよ五重塔の工事しごとするに定まってより寝ても起きてもそれ三昧ざんまい、朝の飯うにも心の中では塔をみ、夜の夢結ぶにも魂魄たましいは九輪の頂をめぐるほどなれば、まして仕事にかかっては妻あることも忘れ果てのあることも忘れ果て、昨日きのうの我を念頭に浮べもせず明日あすの我を想いもなさず、ただ一ちょうなふりあげて木をるときは満身の力をそれにめ、一枚の図をひく時には一心の誠をそれに注ぎ、五尺の身体こそ犬鳴きとり歌い権兵衛が家に吉慶よろこびあれば木工右衛門もくえもんがところに悲哀かなしみある俗世にりもすれ、精神こころは紛たる因縁にられで必死とばかり勤め励めば、さきの夜源太に面白からず思われしことの気にかからぬにはあらざれど、日ごろののっそりますます長じて、はやいずくにか風吹きたりしぐらいに自然軽う取りし、やがてはとんと打ち忘れ、ただただ仕事にのみかかりしは愚かなるだけ情に鈍くて、一条道ひとすじみちより外へはけぬ老牛おいうしの痴に似たりけり。
 金箔きんぱく銀箔瑠璃るり真珠水精すいしょう以上合わせて五宝、丁子ちょうじ沈香じんこう白膠はくきょう薫陸くんろく白檀びゃくだん以上合わせて五香、そのほか五薬五穀まで備えて大土祖神おおつちみおやのかみ埴山彦神はにやまひこのかみ埴山媛神はにやまひめのかみあらゆる鎮護の神々を祭る地鎮の式もすみ、地曳じびき土取り故障なく、さて竜伏いしずえはその月の生気の方より右旋みぎめぐりに次第え行き五星を祭り、釿初ちょうなはじめの大礼には鍛冶かじの道をばはじめられしあま一箇ひとつみこと、番匠の道ひらかれし手置帆負ておきほおいみこと彦狭知ひこさちみことより思兼おもいかねみこと天児屋根あまつこやねみこと太玉ふとだまみこと、木の神という句々廼馳くくのちかみまで七神祭りて、その次の清鉋きよがんなの礼も首尾よく済み、東方提頭頼※(「咤-宀」、第3水準1-14-85)持国天王とうほうたいとらだじごくてんおう西方尾※(「口+魯」、第4水準2-4-45)叉広目天王さいほうびろしゃこうもくてんおう南方毘留勒叉増長天なんぽうびるろしゃぞうちょうてん北方毘沙門多聞天王ほっぽうびしゃもんたもんてんおう、四天にかたどる四方の柱千年万年ゆるぐなと祈り定むる柱立式はしらだて天星色星多願てんせいしきせいたがん玉女ぎょくじょ三神、貪狼巨門たんろうきょもん等北斗の七星を祭りて願う永久安護、順に柱の仮轄かりくさびを三ッずつ打って脇司わきつかさに打ちめさする十兵衛は、幾干いくその苦心もここまで運べば垢穢きたなきかおにも光の出るほど喜悦よろこびに気の勇み立ち、動きなき下津盤根しもついわねの太柱と式にて唱うる古歌さえも、何とはなしにつくづく嬉しく、身を立つる世のためしぞとその下の句を吟ずるにも莞爾にこにこしつつ二たびし、壇に向うて礼拝つつしみ、拍手かしわでの音清く響かし一切成就のはらいを終るここの光景さまには引きかえて、源太が家の物淋ものさびしさ。
 主人あるじは男の心強く思いを外には現わさねど、お吉は何ほどさばけたりとてさすが女の胸小さく、出入るものに感応寺の塔の地曳きの今日済みたり柱立式昨日済みしと聞くたびごとに忌々いまいましく、嫉妬の火炎ほむらき上がりて、おのれ十兵衛恩知らずめ、良人うちの心の広いのをよいことにしてつけ上り、うまうま名を揚げ身を立つるか、よし名のあがり身の立たばさしずめ礼にも来べきはずを、知らぬ顔して鼻高々とその日その日を送りくさるか、あまりに性質ひとのよ過ぎたる良人も良人なら面憎きのっそりめもまたのっそりめと、折にふれては八重縦横に癇癪かんしゃくの虫ね廻らし、自己おの小鬢こびんの後れ毛上げても、ええれったいと罪のなき髪をきむしり、一文もらいに乞食が来ても甲張り声にむご謝絶ことわりなどしけるが、ある日源太が不在るすのところへ心易き医者道益どうえきという饒舌おしゃべり坊主遊びに来たりて、四方八方よもやまの話の末、ある人に連れられてこのあいだ蓬莱屋へまいりましたが、お伝という女からききました一分始終、いやどうも此方こちの棟梁は違ったもの、えらいもの、男児おとこはそうありたいと感服いたしました、とお世辞半分何の気なしに云い出でしことばを、手繰たぐってその夜の仔細しさいをきけば、知らずにいてさえ口惜しきに知っては重々憎き十兵衛、お吉いよいよ腹を立ちぬ。


其二十四
 清吉そなた腑甲斐ふがいない、意地も察しもない男、なぜ私には打ち明けてこないだの夜の始末をば今まで話してくれなかった、私に聞かして気の毒とおつに遠慮をしたものか、あまりといえば狭隘けちな根性、よしや仔細を聴いたとてまさか私が狼狽うろたえまわり動転するようなことはせぬに、女とかろしめて何事も知らせずにおき隠し立てしておく良人うちのひとの了簡はともかくも、汝たちまで私をつんぼ盲目めくらにして済まして居るとはあまりな仕打ち、また親方の腹の中がみすみす知れていながらに平気の平左で酒に浮かれ、女郎買いの供するばかりが男の能でもあるまいに、長閑気のんきでこうして遊びに来るとは、清吉おまえもおめでたいの、平生いつも不在るすでも飲ませるところだが今日は私はかまえない、海苔のり一枚焼いてやるも厭ならくだらぬ世間咄せけんばなしの相手するも虫が嫌う、飲みたくば勝手に台所へ行ってみ口ひねりや、談話はなしがしたくばねこでも相手にするがよい、と何も知らぬ清吉、道益が帰りし跡へ偶然ふと行き合わせてさんざんにお吉が不機嫌を浴びせかけられ、わけもわからず驚きあきれて、へどもどなしつつだんだんと様子を問えば、自己おのれも知らずに今の今までいしことなれど、聞けばなるほどどうあっても堪忍がまんのならぬのっそりの憎さ、生命いのちと頼むわが親方に重々恩をた身をもって無遠慮過ぎた十兵衛めが処置振り、あくまで親切真実の親方の顔踏みつけたる憎さも憎しどうしてくりょう。
 ムム親方と十兵衛とは相撲すもうにならぬ身分のちがい、のっそり相手に争っては夜光のたま小礫いしころつけるようなものなれば、腹は十分立たれても分別強くこらえて堪えて、誰にも彼にも欝憤うっぷんらさず知らさず居らるるなるべし、ええ親方は情ない、ほかの奴はともかく清吉だけには知らしてもよさそうなものを、親方と十兵衛では此方こちが損、おれとのっそりなら損はない、よし、十兵衛め、ただ置こうやとはやりきったる鼻先思案。姉御、知らぬ中は是非がない、堪忍かにして下され、様子知ってははばかりながらもう叱られてはおりますまい、この清吉が女郎買いの供するばかりを能の野郎か野郎でないか見ていて下され、さようならば、と後声しりごえはげしく云い捨てて格子戸こうしどがらり明けっ放し、草履ぞうりもはかず後も見ず風よりはやく駆け去れば、お吉今さら気遣きづかわしくつづいて追っかけ呼びとむる二声三声、四声めにははや影さえも見えずなったり。


其二十五
 はつよきの音、板削るかんなの音、あなるやらくぎ打つやら丁々かちかち響きせわしく、木片こっぱは飛んで疾風に木の葉のひるがえるがごとく、鋸屑おがくず舞って晴天に雪の降る感応寺境内普請場の景況ありさまにぎやかに、紺の腹掛け頸筋くびすじに喰い込むようなをかけて小胯こまたの切り上がった股引ももひきいなせに、つっかけ草履の勇み姿、さも怜悧りこうげに働くもあり、よご手拭てぬぐい肩にして日当りのよき場所に蹲踞しゃがみ、悠々然とのみ※(「石+刑」、第3水準1-89-2)衣服なり垢穢きたなじじもあり、道具捜しにまごつく小童わっぱ、しきりに木をく日傭取り、人さまざまの骨折り気遣い、汗かき息張るその中に、総棟梁ののっそり十兵衛、皆の仕事を監督みまわりかたがた、墨壺墨さし矩尺かねもって胸三寸にある切組を実物にする指図命令いいつけ。こうれああ穿れ、ここをどうしてどうやってそこにこれだけ勾配こうばいもたせよ、はらみが何寸くぼみが何分と口でも知らせ墨縄なわでも云わせ、面倒なるは板片いたきれに矩尺の仕様を書いても示し、の目たかの目油断なく必死となりてみずから励み、今しも一人の若佼わかものに彫物の画を描きやらんと余念もなしにいしところへ、野猪いのししよりもなお疾く塵土ほこりを蹴立てて飛び来し清吉。
 忿怒ふんどの面火玉のごとくし逆釣ったる目を一段視開みひらき、畜生、のっそり、くたばれ、と大喝すれば十兵衛驚き、振り向く途端にまっ向より岩も裂けよと打ち下すは、ぎらぎらするまで※(「石+刑」、第3水準1-89-2)ぎ澄ませしちょうなを縦にその柄にすげたる大工に取っての刀なれば、何かはたまらん避くる間足らず左の耳をぎ落され肩先少し切りかれしが、し損じたりとまた踏ん込んで打つを逃げつつ、げつくる釘箱才槌さいづち墨壺矩尺かねざし利器えもののなさに防ぐすべなく、身を翻えして退はずみに足を突っ込む道具箱、ぐざと踏みく五寸釘、思わず転ぶを得たりやとかさにかかって清吉が振りかぶったる釿の刃先に夕日の光のきらりと宿って空に知られぬ電光いなずまの、しや遅しやその時この時、背面うしろの方に乳虎一声、馬鹿め、と叫ぶ男あって二間丸太に論もなく両臑もろずねもろぎ倒せば、倒れてますます怒る清吉、たちまち勃然むっくと起きんとする襟元えりもとって、やいおれだわ、血迷うなこの馬鹿め、と何の苦もなく釿もぎ取り捨てながら上からぬっと出す顔は、八方にらみの大眼おおまなこ、一文字口怒り鼻、渦巻うずまき縮れの両鬢りょうびんは不動をあざむくばかりの相形そうぎょう
 やあ火の玉の親分か、わけがある、打捨うっちゃっておいてくれ、と力を限り払いけんと※(「足へん+宛」、第3水準1-92-36)もが焦燥あせるを、栄螺さざえのごとき拳固げんこ鎮圧しずめ、ええ、じたばたすればり殺すぞ、馬鹿め。親分、情ない、ここをここを放してくれ。馬鹿め。ええ分らねえ、親分、あいつをかしてはおかれねえのだ。馬鹿野郎め、べそをかくのか、おとなしくしなければまだつぞ。親分ひどい。馬鹿め、やかましいわ、拳り殺すぞ。あんまり分らねえ、親分。馬鹿め、それ打つぞ。親分。馬鹿め。放して。馬鹿め。親分。馬鹿め。放して。馬鹿め。親。馬鹿め。放。馬鹿め。お。馬鹿め馬鹿め馬鹿め馬鹿め、醜態ざまを見ろ、おとなしくなったろう、野郎我の家へ来い、やいどうした、野郎、やあこいつは死んだな、つまらなく弱い奴だな、やあい、どいつか来い、肝心の時は逃げ出して今ごろ十兵衛が周囲まわりありのようにたかって何の役に立つ、馬鹿ども、こっちには亡者もうじゃができかかって居るのだ、鈍遅どじめ、水でも汲んで来て打っけてやれい、落ちた耳を拾って居る奴があるものか、白痴たわけめ、汲んで来たか、かまうことはない、一時に手桶ておけの水みんな面へ打つけろ、こんな野郎は脆く生きるものだ、それ占めた、清吉ッ、しっかりしろ、意地のねえ、どれどれこいつは我が背負って行ってやろう、十兵衛が肩のきずは浅かろうな、むむ、よしよし、馬鹿どもさようなら。


其二十六
 源太居るかとはいり来たる鋭次を、お吉立ち上って、おお親分さま、まあまあ此方こちへといざなえば、ずっと通って火鉢の前に無遠慮の大胡坐おおあぐらかき、汲んで出さるる桜湯を半分ばかり飲み干してお吉の顔を視、面色いろが悪いがどうかしたか、源太はどこぞへ行ったのか、定めしもう聴いたであろうが清吉めがつまらぬことをしでかしての、それゆえちょっと話があって来たが、むむそうか、もう十兵衛がところへ行ったと、ハハハ、敏捷すばやい敏捷い、さすがに源太だわ、おれの思案より先に身体がとっくに動いて居るなぞは頼もしい、なあにお吉心配することはない、十兵衛と御上人様に源太が謝罪わびをしてな、自分の示しが足らなかったで手下の奴がとんだ心得違いをしました。幾重いくえにも勘弁して下されと三ツ四ツ頭を下げれば済んでしまうことだわ、案じ過しはいらぬもの、それでも先方さきがぐずぐずいえば正面まともに源太が喧嘩を買って破裂ばれの始末をつければよいさ、薄々聴いた噂では十兵衛も耳朶みみたぶの一ツや半分られても恨まれぬはず、随分清吉の軽躁行為おっちょこちょいもちょいとおかしないい洒落か知れぬ、ハハハ、しかし憫然かわいそに我の拳固を大分くらってうんうん苦しがって居るばかりか、十兵衛を殺した後はどう始末が着くと我に云われてようやく悟ったかして、ああ悪かった、はやり過ぎた間違ったことをした、親方に頭を下げさするようなことをしたかああ済まないと、自分の身体みうちの痛いのより後悔にぼろぼろ涙をこぼしている愍然ふびんさは、なんと可愛い奴ではないか、のうお吉、源太はむごく清吉を叱って叱って十兵衛がとこへ謝罪あやまりに行けとまで云うか知らぬが、それは表向きの義理なりゃ是非はないが、ここはおまえもうけ役、あいつをどうか、なあそれ、よしか、そこは源太を抱き寝するほどのお吉様にわからぬことはない寸法か、アハハハハ、源太がいないで話もらぬ、どれ帰ろうかい御馳走は預けておこう、用があったらいつでもおいで、とぼつぼつ語って帰りし後、思えば済まぬことばかり。女の浅き心から分別もなく清吉に毒づきしが、逸りきったる若き男の間違いし出して可憫あわれや清吉は自己おのれの世をせばめ、わが身は大切だいじ所天おっとをまで憎うてならぬのっそりに謝罪らするようなり行きしは、時の拍子の出来事ながらつまりはわが口より出し過失あやまち、兎せん角せん何とすべきと、火鉢のふちもたするひじのついがっくりとすべるまで、我を忘れて思案に思案凝らせしが、思い定めて、おおそうじゃと、立って箪笥たんす大抽匣おおひきだし、明けて麝香じゃこうとともに投げ出し取り出すたしなみの、帯はそもそも此家ここへ来し嬉し恥かし恐ろしのその時締めし、ええそれよ。ねだって買ってもろうたる博多に繻子しゅすに未練もなし、三枚重ねに忍ばるる往時むかしは罪のない夢なり、今は苦労の山繭縞やままゆじま、ひらりと飛ばす飛八丈とびはちじょうこのごろ好みし毛万筋、千筋ちすじ百筋ももすじ気は乱るとも夫おもうはただ一筋、ただ一筋の唐七糸帯からしゅっちんは、お屋敷奉公せし叔母が紀念かたみ大切だいじ秘蔵ひめたれど何かいとわん手放すを、と何やらかやらありたけ出しておんなに包ませ、夫の帰らぬそのうちと櫛笄くしこうがいも手ばしこく小箱にまとめて、さてそれを無残や余所よそくらこもらせ、幾らかの金懐中ふところに浅黄の頭巾小提灯こぢょうちん闇夜やみよも恐れず鋭次が家に。


其二十七
 池の端の行き違いより翻然からりと変りし源太が腹の底、初めは可愛かわゆう思いしも今は小癪こしゃくさわってならぬその十兵衛に、かしらを下げ両手をついて謝罪あやまらねばならぬ忌々いまいましさ。さりとて打ち捨ておかば清吉の乱暴も命令いいつけてさせしかのよう疑がわれて、何も知らぬ身に心地からぬ濡衣ぬれぎぬせられんことの口惜しく、たださえおもしろからぬこのごろよけいな魔がさして下らぬ心労こころづかいを、馬鹿馬鹿しき清吉めが挙動ふるまいのためにせねばならぬ苦々しさにますます心平穏おだやかならねど、処弁さばく道の処弁さばかで済むべきわけもなければ、これも皆自然に湧きしこと、なんとも是非なしと諦めて厭々ながら十兵衛が家音問おとずれ、不慮の難をば訪い慰め、かつは清吉を戒むること足らざりしをび、のっそり夫婦が様子をるに十兵衛は例の無言三昧、お浪は女の物やさしく、幸い傷も肩のは浅く大したことではござりませねばどうぞお案じ下されますな、わざわざお見舞い下されてはまことに恐れ入りまする、と如才なく口はきけど言葉遣いのあらたまりて、自然おのずとどこかに稜角かどあるは問わずと知れし胸のうち、もしや源太が清吉に内々含めてさせしかと疑い居るに極まったり。
 ええ業腹ごうはらな、十兵衛も大方我をそう視て居るべし、とく時機ときの来よこの源太が返報しかえし仕様を見せてくれん、清吉ごとき卑劣けちな野郎のしたことに何似るべきか、ちょうなで片耳ぎ取るごときくだらぬことをがしょうや、わが腹立ちは木片こっぱの火のぱっと燃え立ちすぐ消ゆる、こらえも意地もなきようなることでは済まさじ承知せじ、今日の変事は今日の変事、わが癇癪はわが癇癪、まるで別なり関係かかりあいなし、源太がしようは知るとき知れ悟らする時悟らせくれんと、うちにいよいよ不平はいだけど露塵つゆちりほども外には出さず、義理の挨拶あいさつ見事に済ましてすぐその足を感応寺に向け、上人のお目通り願い、一応自己おのれ隷属みうちの者の不埒ふらちをお謝罪わびし、わが家に帰りて、いざこれよりは鋭次に会い、その時清を押えくれたる礼をもべつその時の景状ようすをも聞きつ、また一ツにはさんざん清をののしり叱って以後こののちわが家に出入り無用と云いつけくれんと立ち出でかけ、お吉のいぬを不審してどこへと問えば、どちらへかちょと行て来るとてお出でになりました、と何食わぬ顔でおんなの答え、口禁くちどめされてなりとは知らねば、おおそうか、よしよし、おれは火の玉の兄きがところへ遊びに行たとお吉帰らば云うておけ、と草履ぞうりつっかけ出合いがしら、胡麻竹ごまだけつえとぼとぼと焼痕やけこげのある提灯ちょうちん片手、老いの歩みの見る目笑止にへの字なりして此方こちへ来るばば。おお清の母親おふくろではないか。あ、親方様でしたか、


其二十八
 ああ好いところでお眼にかかりましたがどちらへかお出かけでござりまするか、とせわしげに老婆ばばが問うに源太かろく会釈して、まあよいわ、遠慮せずと此方こちへはいりゃれ、わざわざ夜道を拾うて来たは何ぞ急の用か、聴いてあげよう、と立ち戻れば、ハイハイ、ありがとうござります、お出かけのところを済みません、御免下さいまし、ハイハイ、と云いながら後にいて格子戸くぐり、寒かったろうによう出て来たの、あいにくお吉もいないでかまうこともできぬが、縮こまっていずとずっと前へて火にでもあたるがよい、と親切に云うてくるる源太が言葉にいよいよ身を堅くして縮こまり、お構い下さいましては恐れ入りまする、ハイハイ、懐炉を入れておりますればこれで恰好かっこうでござりまする、と意久地なく落ちかかる水涕みずばなを洲の立った半天の袖できながらはるか下って入口近きところにうずくまり、何やら云い出したそうな素振り、源太早くも大方察して老婆としよりの心の中さぞかしと気の毒さたまらず、よけいなことしいだして我に肝煎きもいらせし清吉のお先走りをののしり懲らして、当分出入りならぬ由云いに鋭次がところへ行かんとせし矢先であれど、視ればわが子を除いては阿弥陀あみだ様よりほかに親しい者もなかるべきか弱き婆のあわれにて、われ清吉を突き放さば身は腰弱弓のつるれられし心地して、在るに甲斐なき生命いのちながらえんに張りもなく的もなくなり、どれほどか悲しみ歎いて多くもあらぬ余生を愚痴のなんだ時雨しぐれに暮らし、晴れ晴れとした気持のする日もなくて終ることならんと、思いやれば思いやるだけ憫然ふびんさの増し、煙草ひねってつい居るに、ばばは少しくにじり出で、夜分まいりましてまことに済みませんが、あの少しお願い申したいわけのござりまして、ハイハイ、もう御存知でもござりましょうがあの清吉めがとんだことをいたしましたそうで、ハイハイ、鉄五郎様から大概は聞きましたが、平常ふだんからして気のはややつで、じきにつのるのと騒ぎましてそのたびにひやひやさせまする、おかげさまで一人前にはなっておりましてもまだ児童がきのような真一酷まいっこく、悪いことや曲ったことは決してしませぬが取りのぼせては分別のなくなる困ったやっこで、ハイハイ、悪気は夢さらないやつでござります、ハイハイそれは御存知で、ハイありがとうござります、どういう筋で喧嘩をいたしましたか知りませぬが大それた手斧ちょうななんぞを振り舞わしましたそうで、そうききました時は私が手斧で斫られたような心持がいたしました、め組の親分とやらが幸い抱き留めて下されましたとか、まあせめてもでござります、相手が死にでもしましたらあれめは下手人、わたくしは彼を亡くして生きて居る瀬はござりませぬ、ハイありがとうござります、彼めが幼少ちいさいときはひどい虫持で苦労をさせられましたも大抵ではござりませぬ、ようやく中山の鬼子母神様の御利益ごりやくで満足には育ちましたが、なおりましたら七歳ななつまでにお庭の土を踏ませましょうと申しておきながら、ついなにかにかまけてお礼参りもいたさせなかったその御罰か、丈夫にはなりましたがあの通りの無鉄砲、毎々お世話をかけまする、今日も今日とて鉄五郎様がこれこれとつまんで話されました時の私のびっくり、刃物を準備よういまでしてと聞いた時には、ええまたかと思わずどっきり胸も裂けそうになりました、め組の親分様とかが預かって下されたとあれば安心のようなものの、清めは怪我はいたしませぬかと聞けば鉄様の曖昧あいまいな返辞、別条はない案じるなと云わるるだけになお案ぜられ、その親分の家を尋ぬれば、そこへおまえが行ったがよいか行かぬがよいかおれには分らぬ、ともかくも親方様のところへ伺って見ろと云いっ放しで帰ってしまわれ、なおなお胸がしくしく痛んでいても起っても居られませねば、留守を隣家となりの傘張りに頼んでようやく参りました、どうかめ組の親分とやらの家を教えて下さいまし、ハイハイすぐにまいりまするつもりで、どんなざましておりまするか、もしやかえって大怪我などして居るのではござりますまいか、よいものならば早うって安堵あんどしとうござりまするし喧嘩の模様も聞きとうござりまする、大丈夫曲ったことはよもやいたすまいと思うておりまするが若い者のこと、ひょっと筋の違った意趣ででもしたわけなら、相手の十兵衛様にまずこの婆が一生懸命で謝罪り、婆はたといどうされても惜しくない老耄おいぼれ生先おいさきの長い彼めが人様に恨まれるようなことのないようにせねばなりませぬ、とおろおろ涙になっての話し。始終を知らで一筋にわが子をおもう老いの繰言、この返答には源太こまりぬ。


其二十九
 八五郎そこに居るか、誰か来たようだ明けてやれ、と云われて、なんだ不思議な、女らしいぞと口のうち独語つぶやきながら、誰だ女嫌いの親分のところへ今ごろ来るのは、さあはいりな、とがらりと戸を引き退くれば、八ッさんお世話、と軽い挨拶、提灯吹きして頭巾を脱ぎにかかるは、この盆にもこの正月にも心付けしてくれたお吉と気がついて八五郎めんくらい、素肌に一枚どてらのまえ広がって鼠色ねずみになりしふんどしの見ゆるを急に押し隠しなどしつ、親分、なんの、あの、なんの姉御だ、とせわしく奥へ声をかくるに、なんの尽しで分る江戸ッ児。おおそうか、お吉来たの、よく来た、まあそこらの塵埃ごみのなさそうなところへ坐ってくれ、油虫がって行くから用心しな、野郎ばかりの家は不潔きたないのが粧飾みえだから仕方がない、おれおまえのような好いかかでも持ったら清潔きれいにしようよ、アハハハと笑えばお吉も笑いながら、そうしたらまた不潔不潔と厳しくおいじめなさるか知れぬ、と互いに二ツ三ツ冗話むだばなしして後、お吉少しく改まり、清吉はておりまするか、どういう様子か見てもやりたし、心にかかれば参りました、と云えば鋭次も打ちうなずき、清は今がたすやすやついて起きそうにもない容態じゃが、きずというて別にあるでもなし頭の顱骨さらを打ちったわけでもなければ、整骨医師ほねつぎいしゃ先刻さっき云うには、ひどく逆上したところを滅茶滅茶にたれたため一時は気絶までもしたれ、保証うけあい大したことはない由、見たくばちょっとのぞいて見よ、と先に立って導く後につき行くお吉、三畳ばかりの部屋の中に一切夢で眠り居る清吉を見るに、顔も頭もれ上りて、このようにってなしたる鋭次のむごさが恨めしきまで可憫あわれなるさまなれど、済んだことの是非もなく、座に戻って鋭次にむかい、我夫うちでは必ず清吉がよけいな手出しに腹を立ち、お上人様やら十兵衛への義理をかねて酷く叱るか出入りをむるか何とかするでござりましょうが、元はといえば清吉が自分の意恨でしたではなし、つまりは此方こちのことのため、筋の違った腹立ちをついむらむらとしたのみなれば、わたしはどうも我夫のするばかりを見て居るわけには行かず、ことさら少しわけあって妾がどうとかしてやらねばこの胸の済まぬ仕誼しぎもあり、それやこれやをいろいろと案じた末に浮んだは一年か半年ほど清吉に此地こち退かすること、人の噂も遠のいて我夫の機嫌もなおったら取り成しようは幾らもあり、まずそれまでは上方あたりに遊んで居るようしてやりたく、路用の金も調こしらえて来ましたれば少しなれどもお預け申しまする、どうぞよろしく云い含めて清吉めにって下さりませ、我夫はあの通り表裏のない人、腹の底にはどう思っても必ず辛く清吉に一旦あたるに違いなく、未練げなしに叱りましょうが、その時何と清吉がたとい云うても取り上げぬは知れたこと、傍から妾が口を出しても義理は義理なりゃしようはなし、さりとて欲でしでかしたとがでもないに男一人の寄りつく島もないようにして知らぬ顔ではどうしても妾が居られませぬ、あれが一人の母のことは彼さえいねば我夫にも話して扶助たすくるに厭は云わせまじく、また厭というような分らぬことを云いもしますまいなれば掛念けねんはなけれど、妾が今夜来たことやらかげで清をばいたわることは、我夫へは当分秘密ないしょにして。わかった、えらい、もう用はなかろう、お帰りお帰り、源太が大抵来るかも知れぬ、撞見でっくわしてはまずかろう、と愛想はなけれど真実はある言葉に、お吉うれしく頼みおきて帰れば、その後へ引きちがえて来る源太、はたして清吉に、出入りをむる師弟の縁るとの言い渡し。鋭次は笑って黙り、清吉は泣いて詫びしが、その夜源太の帰りしあと、清吉鋭次にまた泣かせられて、いぬになっても我ゃ姉御夫婦の門辺は去らぬとうなりける。
 四五日過ぎて清吉は八五郎に送られ、箱根の温泉いでゆを志して江戸を出でしが、それよりたどる東海道いたるは京か大阪の、夢はいつでも東都あずまなるべし。


其三十
 十兵衛傷を負うて帰ったる翌朝、平生いつものごとくく起き出づればお浪驚いて急にとどめ、まあ滅相な、ゆるりとやすんでおいでなされおいでなされ、今日は取りわけ朝風の冷たいに破傷風にでもなったら何となさる、どうか臥んでいて下され、お湯ももうじき沸きましょうほどに含嗽手水うがいちょうずもそこで妾がさせてあげましょう、と破れ土竈べっついにかけたる羽虧はかがまの下きつけながら気をんで云えど、一向平気の十兵衛笑って、病人あしらいにされるまでのことはない、手拭だけを絞ってもらえば顔も一人で洗うたが好い気持じゃ、とたがゆるみし小盥こだらいにみずから水を汲み取りて、別段悩める容態ようすもなく平日ふだんのごとく振舞えば、お浪はあきれかつ案ずるに、のっそり少しも頓着とんじゃくせず朝食あさめししもうて立ち上り、いきなり衣物を脱ぎ捨てて股引ももひき腹掛け着けにかかるを、とんでもないことどこへ行かるる、何ほど仕事の大事じゃとて昨日の今日は疵口の合いもすまいし痛みも去るまじ、じっとしていよ身体を使うな、仔細はなけれど治癒なおるまでは万般よろず要慎つつしみ第一と云われたお医者様の言葉さえあるに、無理しして感応寺に行かるる心か、強過ぎる、たとい行ったとて働きはなるまじ、行かいでも誰がとがみょう、行かで済まぬと思わるるなら妾がちょと一走り、お上人様のお目にかかって三日四日の養生を直々じきじきに願うて来ましょ、お慈悲深いお上人様の御承知なされぬ気遣いない、かならず大切だいじにせい軽挙かるはずみすなとおっしゃるは知れたこと、さあ此衣これを着て家に引っみ、せめて疵口くちのすっかり密着くっつくまで沈静おちついていて下され、とひたすらとどめなだめ慰め、脱ぎしをとってまたすれば、よけいな世話を焼かずとよし、腹掛け着せい、これは要らぬ、と利く右の手にてね退くる。まあそう云わずと家にいて、とまた打ち被する、撥ね退くる、男は意気地女はじょう、言葉あらそい果てしなければさすがにのっそり少し怒って、わけの分らぬ女の分で邪魔立てするか忌々いまいましい奴、よしよし頼まぬ一人で着る、高の知れたる蚯蚓膨みみずばれに一日なりとも仕事を休んで職人どものかみに立てるか、うぬはちっとも知るまいがの、この十兵衛はおろかしくて馬鹿と常々云わるる身ゆえに職人どもが軽う見て、眼の前ではわが指揮さしずに従い働くようなれど、蔭では勝手に怠惰なまけるやらそしるやらさんざんに茶にしていて、表面うわべこそつくろえ誰一人真実仕事をよくしょうという意気組持ってしてくるるものはないわ、ええ情ない、どうかして虚飾みえでなしに骨を折ってもらいたい、仕事にあぶらを乗せてもらいたいと、さとせば頭は下げながら横向いて鼻で笑われ、叱れば口に謝罪あやまられて顔色かおつきに怒られ、つくづく折って下手に出ればすぐと増長さるる口惜しさ悲しさ辛さ、毎日毎日棟梁棟梁と大勢に立てられるは立派でよけれど腹の中では泣きたいようなことばかり、いっそ穴鑿あなほりで引っ使われたほうが苦しゅうないと思うくらい、その中でどうかこうか此日ここまで運ばして来たに今日休んでは大事のつまずき、胸が痛いから早帰りします、頭痛がするで遅くなりましたとみんな怠惰なまけられるは必定ひつじょう、その時自分が休んで居れば何と一言云いようなく、仕事が雨垂あまだれ拍子になってできべきものも仕損しそこなう道理、万が一にも仕損じてはお上人様源太親方に十兵衛の顔が向けらりょうか、これ、生きても塔ができねばな、この十兵衛は死んだ同然、死んでもわざをし遂げれば汝がおやじは生きて居るわい、二寸三寸の手斧傷ちょうなきずて居られるか居られぬか、破傷風がおそろしいか仕事のできぬが怖ろしいか、よしや片腕られたとて一切成就の暁までは駕籠かごに乗っても行かではいぬ、ましてやこれしきの蚯蚓膨みみずばれに、と云いつつお浪が手中より奪いとったる腹掛けに、左の手を通さんとしてしかむる顔、見るに女房の争えず、争いまけて傷をいたわり、ついに半天股引まで着せて出しける心の中、何とも口には云いがたかるべし。
 十兵衛よもや来はせじと思い合うたる職人ども、ちらりほらりと辰の刻ころより来て見てびっくりする途端、精出してくるる嬉しいぞ、との一言を十兵衛から受けて皆冷汗をかきけるが、これより一同みなみな励み勤め昨日に変る身のこなし、一をきいては三まで働き、二と云われしには四まで動けば、のっそり片腕の用を欠いてかえって多くの腕を得つ日々にちにち工事しごと捗取はかどり、肩疵治るころには大抵塔もできあがりぬ。


其三十一
 時は一月の末つ方、のっそり十兵衛が辛苦経営むなしからで、感応寺生雲塔いよいよものの見事に出来上り、だんだん足場を取り除けば次第次第にあらわるる一階一階また一階、五重巍然ぎぜんそびえしさま、金剛力士が魔軍を睥睨にらんで十六丈の姿を現じ坤軸こんじくゆるがす足ぶみして巌上いわおに突っ立ちたるごとく、天晴あっぱれ立派に建ったるかな、あら快よき細工振りかな、希有けうじゃ未曽有みぞうじゃまたあるまじと為右衛門より門番までも、初手のっそりをかろしめたることは忘れて讃歎すれば、円道はじめ一山いっさんの僧徒もおどりあがって歓喜よろこび、これでこそ感応寺の五重塔なれ、あら嬉しや、我らが頼む師は当世に肩を比すべき人もなく、八宗九宗の碩徳せきとくたち虎豹鶴鷺こひょうかくろぐれたまえる中にも絶類抜群にて、たとえば獅子王ししおう孔雀王くじゃくおう、我らが頼むこの寺の塔も絶類抜群にて、奈良や京都はいざ知らず上野浅草芝山内、江戸にて此塔これまさるものなし、ことさら塵土に埋もれて光も放たず終るべかりし男を拾いあげられて、心の宝珠たまの輝きを世に発出いだされし師の美徳、困苦にたゆまず知己にむくいてついにし遂げし十兵衛が頼もしさ、おもしろくまた美わしき奇因縁なり妙因縁なり、天のなせしか人のなせしかはたまた諸天善神のかげにて操りたまいしか、おくを造るに巧妙たくみなりし達膩伽尊者たにかそんじゃの噂はあれど世尊せそん在世の御時にもかく快きことありしをいまだきかねば漢土からにもきかず、いで落成の式あらば我を作らん文を作らん、我歌をよみ詩をしてしょうせん讃せん詠ぜん記せんと、おのおの互いに語り合いしは欲のみならぬ人間ひとの情の、やさしくもまた殊勝なるに引き替えて、測りがたきは天の心、円道為右衛門二人が計らいとしていと盛んなる落成式執行しゅうぎょうの日もほぼ定まり、その日は貴賤男女の見物をゆるし貧者にあまれる金を施し、十兵衛その他をねぎらい賞する一方には、また伎楽ぎがくを奏して世に珍しき塔供養あるべきはずに支度とりどりなりし最中、夜半の鐘の音の曇って平日つねには似つかず耳にきたなく聞えしがそもそも、漸々ぜんぜんあやしき風吹き出して、眠れる児童こどもも我知らず夜具踏み脱ぐほど時候生暖かくなるにつれ、雨戸のがたつく響きはげしくなりまさり、闇にまるる松柏のこずえに天魔のさけびものすごくも、人の心の平和を奪え平和を奪え、浮世の栄華に誇れる奴らのきもを破れやねむりをみだせや、愚物の胸に血のなみ打たせよ、偽物の面の紅き色れ、おの持てる者斧をふるえ、ほこもてるもの矛を揮え、なんじらがつるぎえたり汝ら剣に食をあたえよ、人の膏血あぶらはよき食なり汝ら剣にあくまで喰わせよ、あくまで人の膏膩あぶらえと、号令きびしく発するや否、猛風一陣どっと起って、斧をもつ夜叉やしゃ矛もてる夜叉餓えたる剣もてる夜叉、皆一斉にれ出しぬ。


其三十二
 長夜の夢を覚まされて江戸四里四方の老若男女、悪風来たりと驚き騒ぎ、雨戸の横柄子よこざるしっかと※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)せ、辛張り棒を強く張れと家々ごとに狼狽うろたゆるを、可愍あわれとも見ぬ飛天夜叉王、怒号の声音こわねたけだけしく、汝ら人をはばかるな、汝ら人間ひとに憚られよ、人間は我らをかろんじたり、久しく我らをいやしみたり、我らにささぐべきはずの定めのにえを忘れたり、う代りとして立って行くいぬ驕奢おごり塒巣ねぐら作れるとり、尻尾なき猿、物言う蛇、露誠実まことなき狐の子、汚穢けがれを知らざるいのこ、彼らに長く侮られてついにいつまで忍び得ん、我らを長く侮らせて彼らをいつまで誇らすべき、忍ぶべきだけ忍びたり誇らすべきだけ誇らしたり、六十四年はすでに過ぎたり、我らを縛せし機運の鉄鎖、我らをとらえし慈忍の岩窟いわやはわが神力にてちぎりてたり崩潰くずれさしたり、汝られよ今こそ暴れよ、何十年の恨みの毒気を彼らに返せ一時に返せ、彼らが驕慢ほこりの気の臭さを鉄囲山外てついさんげつかんで捨てよ、彼らのこうべを地につかしめよ、無慈悲の斧の刃味のよさを彼らが胸に試みよ、惨酷ざんこくの矛、瞋恚しんいの剣の刃糞はくそと彼らをなしくれよ、彼らがのんどに氷を与えて苦寒に怖れわななかしめよ、彼らが胆に針を与えて秘密の痛みに堪えざらしめよ、彼らが眼前めさきに彼らがしたる多数おおく奢侈しゃしの子孫を殺して、玩物がんぶつの念を嗟歎さたんの灰の河に埋めよ、彼らは蚕児かいこの家を奪いぬ汝ら彼らの家を奪えや、彼らは蚕児の知恵を笑いぬ汝ら彼らの知恵を讃せよ、すべて彼らの巧みとおもえる知恵を讃せよ、大とおもえるこころを讃せよ、美わしとみずからおもえる情を讃せよ、かなえりとなす理を讃せよ、つよしとなせる力を讃せよ、すべては我らの矛のなれば、剣の餌なれば斧の餌なれば、讃して後に利器えものい、よき餌をつくりし彼らを笑え、なぶらるるだけ彼らを嬲れ、急にほふるな嬲り殺せ、かしながらに一枚一枚皮をぎ取れ、肉を剥ぎとれ、彼らが心臓しんまりとして蹴よ、枳棘からたちをもて背をてよ、歎息の呼吸いき涙の水、動悸どうきの血の音悲鳴の声、それらをすべて人間より取れ、残忍のほか快楽けらくなし、酷烈ならずば汝らく死ね、暴れよ進めよ、無法に住して放逸無慚むざん無理無体に暴れ立て暴れ立て進め進め、神とも戦え仏をもたたけ、道理をやぶって壊りすてなば天下は我らがものなるぞと、叱※(「口+它」、第3水準1-14-88)しったするたび土石を飛ばしてうしの刻よりとらの刻、となりたつとなるまでもちっとも止まず励ましたつれば、数万すまん眷属けんぞく勇みをなし、水を渡るは波を蹴かえし、おかを走るはすなを蹴かえし、天地を塵埃ほこりに黄ばまして日の光をもほとほとおおい、斧を揮って数寄者が手入れ怠りなき松を冷笑あざわらいつつほっきとるあり、矛を舞わして板屋根にたちまち穴を穿うがつもあり、ゆさゆさゆさと怪力もてさも堅固なる家を動かし橋を揺がすものもあり。手ぬるし手ぬるしむごさが足らぬ、我に続けと憤怒ふんぬの牙噛み鳴らしつつ夜叉王のおどり上って焦躁いらだてば、虚空こくうち満ちたる眷属、おたけび鋭くおめき叫んでしゃに無に暴威を揮うほどに、神前寺内に立てる樹も富家ふうかの庭にわれし樹も、声振り絞って泣き悲しみ、見る見る大地の髪の毛は恐怖に一々竪立じゅりつなし、柳は倒れ竹は割るる折しも、黒雲空に流れてかしの実よりも大きなる雨ばらりばらりと降り出せば、得たりとますます暴るる夜叉、かきを引き捨てへいを蹴倒し、門をもこわし屋根をもめくり軒端のきばかわらを踏み砕き、ただ一揉みに屑屋くずやを飛ばし二揉み揉んでは二階をじ取り、三たび揉んでは某寺なにがしでらをものの見事についやくずし、どうどうどっとときをあぐるそのたびごとに心を冷やし胸を騒がす人々の、あれに気づかいこれに案ずる笑止の様を見ては喜び、居所さえもなくされて悲しむものを見ては喜び、いよいよ図に乗り狼藉ろうぜきのあらん限りをたくましゅうすれば、八百八町百万の人みな生ける心地せず顔色さらにあらばこそ。
 中にもわけて驚きしは円道為右衛門、せっかくわずかに出来上りし五重塔は揉まれ揉まれて九輪はゆらぎ、頂上の宝珠は空に得読めぬ字を書き、岩をも転ばすべき風の突っかけ来たり、楯をも貫くべき雨のぶつかり来るたびたわむ姿、木のきしる音、もど姿さま、また撓む姿、軋る音、今にも傾覆くつがえらんず様子に、あれあれ危し仕様はなきか、傾覆られては大事なり、止むるすべもなきことか、雨さえ加わり来たりし上周囲まわりに樹木もあらざれば、未曽有の風に基礎どだい狭くて丈のみ高きこの塔のこらえんことのおぼつかなし、本堂さえもこれほどに動けば塔はいかばかりぞ、風を止むる呪文はきかぬか、かく恐ろしき大暴風雨おおあらしに見舞いに来べき源太は見えぬか、まだ新しき出入りなりとて重々来ではかなわざる十兵衛見えぬか寛怠かんたいなり、ひとさえかほど気づかうにおのがせし塔気にかけぬか、あれあれ危しまた撓んだわ、誰か十兵衛びに行け、といえども天に瓦飛び板飛び、地上に砂利の舞う中を行かんというものなく、ようやく賞美の金に飽かして掃除人の七蔵爺しちぞうじじを出しやりぬ。


其三十三
 耄碌頭巾もうろくずきんに首をつつみてその上に雨をしのがん準備よういの竹の皮笠引きかぶり、鳶子合羽とんびがっぱに胴締めして手ごろの杖持ち、恐怖こわごわながら烈風強雨の中をけ抜けたる七蔵おやじ、ようやく十兵衛が家にいたれば、これはまたむごいこと、屋根半分はもうとうに風にられて見るさえ気の毒な親子三人の有様、隅の方にかたまり合うて天井より落ち来る点滴しずく飛沫しぶき古筵ふるござでわずかにけ居る始末に、さてものっそりは気に働らきのない男と呆れ果てつつ、これ棟梁殿、この暴風雨あらしにそうして居られては済むまい、瓦が飛ぶ樹が折れる、戸外おもてはまるで戦争いくさのような騒ぎの中に、おまえの建てられたあの塔はどうあろうと思わるる、丈は高し周囲まわりに物はなし基礎どだいは狭し、どの方角から吹く風をも正面まともに受けて揺れるわ揺れるわ、旗竿はたざおほどに撓んではきちきちときしる音の物凄ものすごさ、今にも倒れるかこわれるかと、円道様も為右衛門様も胆を冷やしたり縮ましたりして気が気ではなく心配して居らるるに、一体ならば迎いなど受けずともこの天変を知らず顔では済まぬおまえが出ても来ぬとはあんまりな大勇、汝のお蔭で険難けんのんな使いをいいつかり、忌々いまいましいこのこぶを見てくれ、笠は吹きさらわれるずぶれにはなる、おまけに木片きぎれが飛んで来て額にぶつかりくさったぞ、いい面の皮とはおれがこと、さあさあ一所に来てくれ来てくれ、為右衛門様円道様が連れて来いとの御命令おいいつけだわ、ええびっくりした、雨戸が飛んでてしもうたのか、これだもの塔が堪るものか、話しする間にももう倒れたか折れたか知れぬ、ぐずぐずせずと身支度せい、はやくはやくとり立つれば、傍から女房も心配げに、出て行かるるなら途中が危険あぶない、腐ってもあの火事頭巾、あれを出しましょかぶっておいでなされ、何が飛んで来るか知れたものではなし、外見みえよりは身が大切だいじ、いくら襤褸ぼろでも仕方ない刺子絆纏ばんてんも上にておいでなされ、と戸棚がたがた明けにかかるを、十兵衛不興げの眼でじっと見ながら、ああ構うてくれずともよい、出ては行かぬわ、風が吹いたとて騒ぐには及ばぬ、七蔵殿御苦労でござりましたが塔は大丈夫倒れませぬ、なんのこれほどの暴風雨で倒れたり折れたりするようなもろいものではござりませねば、十兵衛が出かけてまいるにも及びませぬ、円道様にも為右衛門様にもそう云うて下され、大丈夫、大丈夫でござります、と泰然おちつきはらって身動きもせず答うれば、七蔵少しふくつらして、まあともかくも我と一緒に来てくれ、来て見るがよい、あの塔のゆさゆさきちきちと動くさまを、ここにいて目に見ねばこそ威張って居らるれ、御開帳ののぼりのように頭を振って居るさまを見られたらなんぼ十兵衛殿寛濶おうような気性でも、お気の毒ながら魂魄たましいがふわりふわりとならるるであろう、蔭で強いのが役にはたたぬ、さあさあ一所に来たり来たり、それまた吹くわ、ああ恐ろしい、なかなか止みそうにもない風の景色、円道様も為右衛門様も定めし肝をっておらるるじゃろ、さっさと頭巾なり絆纏なり冠るともるともして出かけさっしゃれ、とやり返す。大丈夫でござりまする、御安心なさってお帰り、と突っぱねる。その安心がそう手易たやすくはできぬわい、とうるさく云う。大丈夫でござりまする、と同じことをいう。末には七蔵れこんで、なんでもかでも来いというたら来い、我の言葉とおもうたら違うぞ円道様為右衛門様の御命令おいいつけじゃ、と語気あらくなれば十兵衛も少し勃然むっとして、わしは円道様為右衛門様から五重塔建ていとは命令いいつかりませぬ、お上人様は定めし風が吹いたからとて十兵衛よべとはおっしゃりますまい、そのような情ないことを云うては下さりますまい、もしもお上人様までが塔あぶないぞ十兵衛呼べと云わるるようにならば、十兵衛一期の大事、死ぬか生きるかの瀬門せとに乗っかかる時、天命を覚悟して駈けつけましょうなれど、お上人様が一言半句十兵衛の細工をお疑いなさらぬ以上は何心配のこともなし、余の人たちが何を云わりょうと、紙をにして仕事もせず魔術てずまも手抜きもしていぬ十兵衛、天気のよい日と同じことに雨の降る日も風の夜も楽々としておりまする、暴風雨がこわいものでもなければ地震が怖うもござりませぬと円道様にいうて下され、と愛想なく云い切るにぞ、七蔵仕方なく風雨の中を駈け抜けて感応寺に帰りつき円道為右衛門にこのよし云えば、さてもその場に臨んでの知恵のない奴め、なぜその時に上人様が十兵衛来いとの仰せじゃとは云わぬ、あれあれあの揺るるさまを見よ、きさままでがのっそりに同化かぶれて寛怠過ぎた了見じゃ、是非はない、も一度行って上人様のお言葉じゃと欺誑たばかり、文句いわせず連れて来い、と円道に烈しく叱られ、忌々いまいましさに独語つぶやきつつ七蔵ふたたび寺門を出でぬ。


其三十四
 さあ十兵衛、今度は是非に来よ四の五のは云わせぬ、上人様のお召しじゃぞ、と七蔵じじいきりきって門口から我鳴がなれば、十兵衛聞くより身を起して、なにあの、上人様のお召しなさるとか、七蔵殿それは真実まことでござりまするか、ああなさけない、何ほど風の強ければとて頼みきったる上人様までが、この十兵衛の一心かけて建てたものをもろくも破壊こわるるかのように思し召されたか口惜しい、世界に我を慈悲の眼で見て下さるるただ一つの神とも仏ともおもうていた上人様にも、真底からはわが手腕うでたしかと思われざりしか、つくづく頼もしげなき世間、もう十兵衛の生き甲斐なし、たまたま当時にならびなきたっとき智識に知られしを、これ一生の面目とおもうてあだよろこびしも真にはかなきしばしの夢、あらしの風のそよと吹けば丹誠凝らせしあの塔も倒れやせんと疑わるるとは、ええ腹の立つ、泣きたいような、それほどおれのないやつか、恥をも知らぬやっこと見ゆるか、自己おのれがしたる仕事が恥辱はじを受けてものめのめつら押しぬぐうて自己は生きて居るような男と我は見らるるか、たとえばあの塔倒れた時生きていようか生きたかろうか、ええ口惜しい、腹の立つ、お浪、それほど我がさもしかろうか、あゝあゝ生命いのちももういらぬ、わが身体にも愛想の尽きた、この世の中から見放された十兵衛は生きて居るだけ恥辱をかく苦悩くるしみを受ける、ええいっそのこと塔も倒れよ暴風雨もこの上烈しくなれ、少しなりともあの塔に損じのできてくれよかし、空吹く風もつち打つ雨も人間ひとほど我にはつれなからねば、塔破壊こわされても倒されても悦びこそせめ恨みはせじ、板一枚の吹きめくられくぎ一本の抜かるるとも、味気なき世に未練はもたねばものの見事に死んで退けて、十兵衛という愚魯漢ばかものは自己が業の粗漏てぬかりより恥辱を受けても、生命惜しさに生存いきながらえて居るような鄙劣けちやつではなかりしか、かかる心をもっていしかと責めては後にてとむらわれん、一度はどうせ捨つる身の捨て処よし捨て時よし、仏寺を汚すは恐れあれどわが建てしものこわれしならばその場を一歩立ち去り得べきや、諸仏菩薩もお許しあれ、生雲塔の頂上てっぺんより直ちに飛んで身を捨てん、投ぐる五尺の皮嚢かわぶくろやぶれて醜かるべきも、きたなきものを盛ってはおらず、あわれ男児おとこ醇粋いっぽんぎ清浄しょうじょうの血を流さんなれば愍然ふびんともこそ照覧あれと、おもいしことやら思わざりしや十兵衛自身も半分知らで、夢路をいつの間にかたどりし、七蔵にさえどこでか分れて、ここは、おお、それ、その塔なり。
 上りつめたる第五層の戸を押し明けて今しもぬっと十兵衛半身あらわせば、こいしを投ぐるがごとき暴雨の眼も明けさせず面を打ち、一ツ残りし耳までもちぎらんばかりに猛風の呼吸いきさえさせず吹きかくるに、思わず一足退きしが屈せずふるって立ち出でつ、欄をつかんできっとにらめばそら五月さつきやみより黒く、ただ囂々ごうごうたる風の音のみ宇宙にちて物騒がしく、さしも堅固の塔なれど虚空に高くそびえたれば、どうどうどっと風の来るたびゆらめき動きて、荒浪の上にまるるたななし小舟おぶねのあわや傾覆くつがえらん風情、さすが覚悟を極めたりしもまた今さらにおもわれて、一期の大事死生の岐路ちまたと八万四千の身の毛よだたせ牙みしめてまなこ※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みはり、いざその時はと手にして来し六分鑿ろくぶのみの柄忘るるばかり引っ握んでぞ、天命を静かに待つとも知るや知らずや、風雨いとわず塔の周囲めぐりを幾たびとなく徘徊はいかいする、怪しの男一人ありけり。


其三十五
 去る日の暴風雨あらしは我ら生まれてから以来このかた第一の騒ぎなりしと、常は何事に逢うても二十年前三十年前にありしためしをひき出して古きを大げさに、新しきをわけもなく云い消す気質かたぎ老人としよりさえ、真底って噂し合えば、まして天変地異をおもしろずくで談話はなし種子たねにするようの剽軽ひょうきんな若い人は分別もなく、後腹のまぬを幸い、どこの火の見が壊れたりかしこの二階が吹き飛ばされたりと、ひとの憂い災難をわが茶受けとし、醜態ざまを見よ馬鹿欲から芝居の金主して何某なにがしめ痛い目に逢うたるなるべし、さても笑止あの小屋のつぶれ方はよ、また日ごろより小面憎かりし横町の生花の宗匠が二階、お神楽かぐらだけのことはありしも気味きびよし、それよりは江戸で一二といわるる大寺の脆く倒れたも仔細こそあれ、実は檀徒だんとから多分の寄附金集めながら役僧の私曲わたくし、受負師の手品、そこにはそこのありし由、察するに本堂のあの太い柱もおけでがなあったろうなんどとさまざまの沙汰に及びけるが、いずれも感応寺生雲塔の釘一本ゆるまず板一枚がれざりしには舌を巻きて讃歎し、いや彼塔あれを作った十兵衛というはなんとえらいものではござらぬか、あの塔倒れたら生きてはいぬ覚悟であったそうな、すでのことにのみふくんで十六間真逆まさかしまに飛ぶところ、欄干てすりをこう踏み、風雨をにらんであれほどの大揉おおもめの中にじっと構えていたというが、その一念でも破壊こわるまい、風の神も大方血眼ちまなこで睨まれては遠慮が出たであろうか、甚五郎じんごろうこのかたの名人じゃ真の棟梁じゃ、浅草のも芝のもそれぞれ損じのあったに一寸一分ゆがみもせず退りもせぬとはよう造ったことの。いやそれについて話しのある、その十兵衛という男の親分がまた滅法えらいもので、もしもちとなり破壊れでもしたら同職なかま恥辱はじ知合いの面汚し、うぬはそれでも生きて居らりょうかと、とても再び鉄槌かなづち手斧ちょうなも握ることのできぬほど引っしかって、武士で云わば詰腹同様の目に逢わしょうと、ぐるぐるぐる大雨を浴びながら塔の周囲まわりを巡っていたそうな。いやいや、それは間違い、親分ではない商売上敵しょうばいがたきじゃそうな、と我れ知り顔に語り伝えぬ。
 暴風雨のために準備したく狂いし落成式もいよいよ済みし日、上人わざわざ源太をびたまいて十兵衛とともに塔に上られ、心あって雛僧こぞうに持たせられしお筆に墨汁すみしたたか含ませ、我この塔に銘じて得させん、十兵衛も見よ源太も見よとのたまいつつ、江都の住人十兵衛これを造り川越源太郎これを成す、年月日とぞ筆太にしるしおわられ、満面に笑みをたたえて振りかえりたまえば、両人ともに言葉なくただ平伏ひれふして拝謝おがみけるが、それより宝塔とこしなえに天にそびえて、西よりれば飛檐ひえんある時素月を吐き、東より望めば勾欄こうらん夕べに紅日を呑んで、百有余年の今になるまで、はなしきてのこりける。



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